埼玉県立歴史と民俗の博物館で「職人の『わざ』と『カタ』」の展示会が開催されている(10月6日~11月18日)。
会場は2部構成で、第一部で「職人と『ものづくり』の発達」、第二部で「『型』は生み出す商品」となっていた。第一部では、歴史上の書物、絵などに登場した職人の姿が紹介され、第二部では、瓦、石臼、鋳物、藍染、麦わら帽子、和傘、足袋、桶、つげ櫛、物差、和菓子、玩具などの商品とそれを制作する際に使われた「型」が展示されていた。さらに「ハレの日を彩る」と称して、「武州だるま」「張り子」「赤物」「木目込み人形」「押し絵羽子板」の展示があり、文字通り彩りをそえていた。
かつて、日用品はほとんどが手作業で製作され、それらをつくる職人がいたのだ。すぐれた技術がそこにあったはずであるが、機械化とともに失われていった。便利にはなったが、失われたものはおまりにも大きい。その損失のいたましさを、想い知るべきである。
この日は、木目込み人形の実演があった。人形職人の石川淳平さんから江戸木目込み人形とは何か、それはどのように作られるのかのお話があり、実際に人形を作る一部を実演してくれた。
具体的には、桐塑(桐粉を正麩糊で練ったもの)で作った生地に、衣装をあわせて筋彫をし、そこに布地を決め込んでいく。石川さんの息子さんはこの人形に眼をいれる作業をしていたが、大変に細かなで、時間と根気のいる仕事である。
木目込人形は、記録によると元明年間に京都の上賀茂神社で祭事に使う人形を作ったのが始まりとされている(柳の木の残片)。江戸時代中期に、人形生産の先進地であった京都から、人形師が江戸に下ってきて、木目込み人形が伝えられた。太平洋戦争での東京大空襲で、東京から岩槻に人形師たちが疎開して、この地に木目込人形が広まり、定着した。以後、需要の増加ともに、岩槻が東京とともに木目込人形の一大産地となった。現在、岩槻の木目込人形は埼玉県指定無形文化財である。
石川さんが語っていたが、端午の節句、ひな祭りは、いま日本人の間で、関心が小さくなってきている。クリスマスやハローインに負けてしまっている。もっと日本の伝統的な行事を大切にしていってほしい、とのことであった。
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