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【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

山崎豊子『大阪づくし・私の産声(山崎豊子自作を語る②)』新潮社、2009年

2011-07-14 22:04:55 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                     

 大阪に生まれ、大阪で育ち、大阪で就職し、大阪で作家になった山崎豊子さんのデビュー作から『白い巨塔』『華麗なる一族』(いずれも大阪が舞台)までの小説に関する執筆裏話のエッセイ集。

 大阪を描くことから、そして人間を描くことから小説が始まるそうです(人間を描くということでは、バルザックを目指している)。後者は作者が「社会派小説家」とみなされることに対する控えめな反論です。結果として社会問題を抉りだす小説をつくってきたので、社会派と呼ばれるのですが、その呼称は本意ではないようです。

 「人間を描くこと」が最初で、社会や組織は後から構成されていくという小説作法とか。また、小説の構想を時間をくみたてることにかなりの時間を要し、ある程度、結論まで出来上がった段階で書き始めるとか。

 著者は、取材が本当に好きと語っています。そのための予習は生半可ではありません。最初は素人で知識がなくとも、調べをしっかりして熱意で取材にあたるという方法論です。

 『華麗なる一族』では、取材のおりにもらった名刺が250枚くらいと書かれていました。取材拒否にも相当遭遇したらしいです。『白い巨塔』では医学の世界でタブーであった誤診をとりあげたので、取材拒否にあいました。

 とことん調べるその追求力はただものではく、いくつかその例があげられています。ひとつ、『女の勲章』で最後の部分でパリが舞台になるにもかかわらず、病気で行けなかったので、大きなパリの地図を壁にはって、イメージを広げたという裏話、もうひとつは「大阪格子」の語源が分らず文献資料もなかったので、船場の古老を探して聴き回り半年かかった話です。

 そうした裏話も面白いですが、「第二章:あのひとやつしやな-大阪あれこれ」で上方文化をとりあげて話題にしているところが秀逸です。大阪の船場という特殊な家族制度、風習、風俗、言語、大阪弁などなど。「大阪女系分布図」では、女性の呼称にヴァラエティがあり(「嬢はん(いとはん)」「御寮人はん(ごりょんはん)」「お家はん(おえはん)」)、その由来が記されている。
 著者はこうした上方文化をハワイ州立大学で客員教授だったときに、自らの小説をテキストに向こうの学生に講義し、理解してもらったようである(「上方文化ハワイに芽生える-プロフェッサー・ヤマサキの”ぼんち通信”」)。

 全編、大阪文化が匂いたってくるエッセイの連続である。

山崎豊子『作家の使命・私の戦後(山崎豊子自作を語る①)』新潮社、2009年

2011-06-30 00:02:09 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                                                               

                                 

 著者が自著「不毛地帯」「大地の子」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」「運命の人」を完成させた、その背景について書き、語ったものをまとめた本です。

 いずれも大作で、社会問題を抉り、問題提起となった作品ばかりですが、完成にいたるプロセスには人知れぬ苦労があり、取材、調査に要した時間と労力はなみたいていのものではなく、また粘りと根気が必要とされたことがわかります。シベリア抑留、中国の貧困地帯、アフリカ(ケニアなど)での取材、ハワイ大学、カリフォルニア大学での資料収集、そして数々のインタビュー。入念、緻密な取材、調査があったからこそ、いい作品が生まれたのです。

 くわえて、人とのいい出逢いが不可欠で、「大地の子」では時の胡燿邦主席の計らいがなければその執筆は不可能だったようです。

 そして、著者はそれらを小説に仕立てるため面白く書くことにも力を抜かない作家であることが本書でわかりました。

 本書から、他にもいろいろなことを学びました。「残留孤児」と言ってはいけないこと「戦争孤児」であること、シベリア抑留はソ連の国家ぐるみの捕虜虐待であること、それに対して厳重な抗議をしなかった日本政府の姿勢の愚かさ、東京裁判での法廷速記録では日本文は曖昧で英文との対照が欠かせないこと、などなど。

 著者はかつて毎日新聞社で記者をしていた経験があり、その時の取材経験が役に立っているとのことです。小説家として身をたてたことに関して、記者時代の上司であった井上靖が、また作風として石川達三が先達のようです。

 さらに、作家として作品を書きながら何度も執筆を諦めようと思ったことがあるようであるが、戦争中の体験、同僚の死などを思い返しながら自分の道を進んできたと書いています。

佐野洋子/西原理恵子/リリー・フランキー『佐野洋子対談集・人生のきほん』講談社、2010年

2011-06-08 00:02:10 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                                    
 武蔵美大を卒業した三人の対談集です。

 メインは「100万回生きた猫」で不動の名声を得た佐野洋子さんで、前半は漫画家の西原理恵子さん、後半はイラスト、俳優、作詞・作曲などなんでもやるタレント、リリー・フランキーさんと対談をしています。

 佐野洋子さんと西原理恵子さんはいまや怪女の範疇に入っている、あるいは入りつつあります(もっとも佐野さんは既に他界されましたが)。というのも、ふたりとも離婚を経験し、男性のダメなところ、可愛いいところを知りつくしていますし、またいろいろな曲がりくねった経験を経て、立派な仕事をえて、有名になったからです。

 波乱万丈の人生の具体的諸相が思う存分に語られています。<佐野洋子VS西原理恵子>では次のテーマが並んでいます。「100万回生きた猫」「美大時代」「”死”の記憶」「母と娘」「男」「子ども」「仕事」「家」「世界」「生きるということ」。

 <佐野洋子VSリリー・フランキー>では「母と娘、母と息子」「老いゆく母」「武蔵美、そして仕事」「家、家族」「母親の死」「お墓」「東京、北京」がテーマです。

 「西原:生きているものは、いつかは死ぬものですからね。」「佐野:そうそう、生きているときは、楽しいことだけじゃなくて、いやなことやつらいこともいっぱいあるけれども、生きることは生きることでやはり素晴らしいことだと思うのね。でも、死ぬことも、それは自然なことだから」(p.12)という対話が何故か印象に残りました。

 佐野さんは癌を告知されていて、この対談のときにはそれを乗り越えたかのような達観した様子でした。この本が刊行される直前に亡くなられています。本書に載っている写真はお元気そうだったのですが・・・。

           


坂口三千代『クラクラ日記』(ちくま文庫)、1987年

2011-04-29 00:05:05 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
                  
              
  高校3年生の頃、TV番組「クラクラ日記」というのを観ましたが、妙に印象に残っています。安吾役は藤岡琢也さん、妻役(ただし八千代という名前になっていました)は若尾文子さんでした。坂口安吾との生活を妻の側から描いた内容ということだけは覚えていますが、細かなことは忘れてしまいました。

 その原作が本書です。安吾夫人である三千代さんが執筆しています。クラクラの意味は今回初めてわかったのですが、フランス語で野雀、そばかすだらけでその辺にいる平凡なありふれた少女の含意があるらしいです。そして三千代さんが安吾没後、経営した銀座のBARの店の名前だそうです。獅子文六の発案とか。

 さて、本書ですが、坂口安吾のこと、ふたりの生活のことが実によくわかります。文章は淀みなく、独特の文体で、「ぐずぐず長いあいだ書いておりました習慣の故か、私はえんえんと死ぬまで書いてもいいような気分になり、最後の原稿用紙に『おわり』と書いて編集者の方に渡してしまうと急に未練が出て、アレもコレも書き落としているこちに気がつき、『おわり』と書いた原稿用紙を取り戻したい気持ちになりました」(p.334)とのことです。何のてらいも、技巧もないのですが、単調ではなく、言葉使いはたおやかに、飽きさせず、不思議に引き込まれます。松本清張とか(本書の末尾に掲載の「周辺の随想」)、松岡正剛さんも感心して誉めています。

 清張は「筆に抑制がきき、ムダがない。感情の説明も少なく、叙景描写もほとんどない。それだけにリアリティが底に光って、迫真力がある」と評しています(本書346ページ)。

 とにかく、安吾との生活は大変だったと想像できます。壮絶と言っても過言でありません(それでもあまりそういう感じは出していません)。当時の流行作家であり、仕事熱心でしたが、睡眠薬、覚醒剤にたより(アドルムとヒロポンの多量併用)、大暴れで他人に迷惑をかけ、警察沙汰になり、新聞記事になり、家庭でも怒鳴ったり、モノをなげたり、三千代さんをトイレに閉じ込めたり、急にいなくなって帰ってこなかったりとさんざんです。心中を思い立って挙行しようともしました。

 よく、耐えて生涯を共にした思います(別れようと思ったこともあるらしく、そのことも書いてある)。ある意味で、不思議な女性です。

 引っ越し、文人との付き合い、酒、囲碁、競馬、ゴルフ、飼い犬、子どものこと、とにかくいろいろなことが出てくるので、興味つきないです。それが上記の文体で日記のように書かれているのです。

大竹しのぶ『この人に会うと元気になれる!』集英社、2003年

2011-04-08 00:04:46 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

  女優である大竹しのぶさんが『メイプル』という雑誌の企画でなったインタビューです。一年間もので毎月のインタビューなので12人が相手役です。
         
・渡辺えり子さん(劇作家、演出家、女優)
・久本雅美さん(お笑い芸人)
・山崎努さん(俳優)
・阿川佐和子さん(エッセイスト)
・美輪明宏さん(俳優)
・安住紳一郎さん(アナウンサー)
・夏木マリさん(女優)
・瀬戸内寂聴さん(作家、宗教家)
・中村勘九郎さん(歌舞伎役者)
・新藤兼人さん(映画監督)
・笑福亭鶴瓶さん(落語家)
・さだましさん(歌手)と続きます。

 大竹さんはインタビュアーとしては無邪気すぎて、おしゃべり対談のようです。渡辺えり子さんには事前の勉強が足りない、どちらがゲストかわからないというように、笑いながら怒られています。

 しかし、全部を読んでみると、かえってそれがよかったのか、みな本音でいい人柄ぶりがでています。

 それぞれに個性的な存在で、その道では苦労して偉業をなしている人ばかりであるせいか、また編集もよくできているせいか、充実したトークになっています。

 読んで損した気にはなりません。対談でしのぶさんは間違いなく元気をもらっていますが、読者も元気をおすそ分けしてもらえることうけあいです。


伊藤礼『伊藤整氏の奮闘の生涯』講談社、1995年

2011-03-26 00:20:32 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

 作家、伊藤整(1905-69)の次男の眼からみた父親の記です。

 珍しい本に出会いました。こういう本に出会うに可能性として、一番ありそうなケースは伊藤整の小説のファンで、この作家のことをいろいろ知ろうとしてアンテナに入ってくるということがありうるでしょう。わたしの場合は、吉村昭という作家がエッセイで、この本がいいと書いてあったので、取り寄せました。上記とは別のルートです。吉村昭は信頼できる作家のひとりです。この人がいいと言っているものはだいたい間違いないです。本との出会いは実にさまざまです。

 さて、この本ですが、面白い。伊藤整の人柄も孤軍奮闘ぶりもよくわかります。流れは、転々とした居住地にそって記述してあり、千代田町から始まって、和田本町、千歳烏山、そして北海道、また東京に戻って日野、久我山と続いています。

 著者は書いています、父であった伊藤整は日記をこまめに書いていましたが、著者自身の小さいときの断片的記憶がどういうものであったのかは、父の日記を読むとつぶさに書き込んであり、「あーそういうことだったのか」と留飲をさげることできる、と。

 「ものを書くことを職業とする父親を持った子供になにか利益があるとすれば、こういうことは遠慮なく利益だということができる」(p.9)と言っています。

 本書はこの調子をベースに最後まで進んでいきます。次々と、かなり用意周到に転居するさま、資金のやりくり、太平洋戦争末期の北海道塩谷疎開の決断、著者の礼が小さいころから虚弱であったことへの父らしい配慮、チャタレイ裁判の顛末、毎日入浴のこだわり、日常生活での創意工夫、癌との壮絶な闘い、こうしたことが著者独特の父親への愛情をこめたユーモア溢れる文体で、しかし父を「彼」と書いてかなり客観的に描き切っています。

 「父が生きている間は、わたしたちは決して父の心情のなかなどに立ち入れるようなことは許されなかった。またそのような真似は家中の誰ひとりとしてしようと思う者はなかった。私たちは父を文学者として考えたり、父の書いたものを読もうとしたり、父の生活に興味をもったりすることはなかった。私たちの家で読まれている新聞に父が連載の小説を書くことがあっても、私たちの誰ひとりとしてその事実に気づく者はいなかった。・・・父は、死んで、はじめて私たちに身近なものとなった」(pp.245-246)。

 秀逸なエッセイ集。


森田功『やぶ医者のねがい』文春文庫、1998年

2011-03-25 00:09:09 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

            やぶ医者のねがい

 「やぶ医者」と言っているのは謙遜で、作家の吉村昭によると、著者は日本の開業内科医のなかで十指のひとつに入る名医です。

 同時に小説、とくにエッセイの達人であり、その短編が北日本文学賞を受賞したりしています。本書を読むと独自の文学世界をもっていることがわかります。それが何かを言葉で表現することは難しいですが、読み進めると他の人とは異なる考え方、言い回しを感じます。漂っているのは庶民の哀歓、独自の死生観で、滋味深いですね。

 もちろん、著者は医師ですから、本書に入っている31のエッセイは(「過ぎた夏」「棟梁の入院」「切るか切らぬか」「治療のすすめ」「ヒダル神がとりついた」など)、病気、治療、死に関するものばかりなので、ときどき読み続けるのが辛くなります。いろいろな病気があることに、驚かされますし、怖いです。

 同時に著者自身がこれらのエッセイ執筆中は体調がよくなかったようで、その気配が抑えたトーンで書きこまれています。体調が悪いのだが、みなにたよりにされ、聴診器などをもって、息をきらせながら、往診にかけまわっていたのです。1998年、82歳で亡くなりました。合掌。


吉村昭『その人の想い出』河出書房新社、2011年

2011-03-10 00:09:05 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

               

 吉村昭の著作は久しぶりです。この作家の書いたものに接すると小説でもエッセイでも、思わず襟を正し、背筋がピンとしてくるから不思議です。

 本書は著者が生前に親交のあった、あるいは印象にあった人について書かれたものを、集めて作られた本です。作家吉村昭がどういう人だったかがよく分かります。

 原稿締切日をきちっと守る人であり、大事なことにこだわりがあった人でした。自分で自身のことを「小心者」と書いていますが、そういうことではなく、筋がとおらないことを嫌っただけのことでしょう(「畏敬の念」)。また、いく床屋は決まっていたようですし(「二人の床屋さん」)、行きつけのバーの経営者が京風小料理屋を開店したことに腹をたてています(「バスとハイヤー」)

 お酒が好きだったし、相撲も愛していたらしいことが窺えます(「横綱 北の湖」「玉ノ海と文ちゃん」)。

 若い頃に結核で生死をさまよい、そのこともあって身体のこと、医療のことに関心がつよかったようです(「銘記されるべき技術者の死」)。年齢を重ねて、いまもう一度会いたい人が誰かと問われて、結核で肺の長時間かから手術をした前後に出会った看護婦の「雨宮さん」と書いているところが面白かったことでした(「白衣の人」)。

 映画俳優の原節子さん(「将来のお嫁さん」)、マラソンランナーの宇佐美選手、ボクサーの輪島選手のことを綴っていたのも印象的でした(「公園の著名人」)。

 文学者との付き合いは少なかった、と書いていますが、吉行淳之介氏(「吉行氏の作品との出会い」)、新田次郎氏(「惜別新田次郎さん」)宮尾登美子氏(「『連』と『櫂』」)、城山三郎氏(「昭和二年生まれの眼差し」)、大城立裕氏(「大城さんとの交友」)のことはよく書かれていました。

 この本を読んで著者が誉めていた伊藤了氏の「伊藤整 奮闘の生涯」、森田功「やぶ医者のねがい」は読んでみたいと思ったので、Amazonで注文しました。

杉田成道『願わくは、鳩のように』扶桑社、2010年

2011-01-28 00:04:37 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

               願わくは、鳩のごとくに
 「北の国から」(倉本聡脚本)[フジテレビ]に演出でたずさわった著者。先妻に癌で先立たれた後、30歳年下の女性(亡くなった妻の友人の弟の娘)と再婚、3人の子がつぎつぎと生まれます。

 その妻に、余命長いとは思われない(?)「お父さん(=著者)が将来どんな人だったのか子どもたちに問われたときに答えられるものを書き遺して」と乞われ、いわば遺書のようなつもりで書きおろしたのが本書です。

 出産への立ち会い、子どもの命名の経緯、新しい地獄の(?)子育て生活(妻は銀行員だったのが結婚後、医学部に入り女医となる)、保育園の送り迎え、借り物のような家での窮屈な生活、年齢差が大きいゆえの悲哀がおもしろ、おかしく綴られています。

 それだけの話かと思ったら流石にそれだけではなく、「北の国から」の裏話が興味深いです。純、蛍の兄妹役をこなした吉岡秀隆さんと中嶋朋子さんの感情、自身が妻をがんで亡くした地井武男さんが役どころで同じシーンを演じざるをえなくなったといの心境、オホーツクの流氷場面での唐十郎さんと助監督の決死のロケ、あの場面、この場面が彷彿としてきます。

 叔母にあたる山川素子さんの寂しい死とその顛末にもいたく同情しましたが、前の奥さん(明美)のそれ、後者に劇作家の小山内薫、喜劇役者の三木のり平があらわれ、びっくりしました。

 前の奥さん(明美さん)とその母である梨園子さん、そして何の因果か母から離れて玉子さんというバアバに育てられ、バアバを母と思い、実の母を姉と思って大きくなった明美さん、といった複雑な血筋のからみをひもとくように叙述した本書の最後の部分にものめり込みましだ。

 バアバの大往生の場面も迫真的です。

 実はこれらの家系図が表紙になっているので、この叙述部分は表紙の図と対照させながら読むことになりました。

 表題の「願わくは、鳩のごとくに」というのは、鳩という鳥は、鶴とちがって(鶴は連れ合いが死ぬと、一生孤高を保つらしい)、つがいの間は決して離れないという習性をもっているそうで、それにあやかりたいという著者の願いのようです(p.83)。


井上ひさし『この人から受け継ぐもの』岩波書店、2010年

2011-01-12 00:16:08 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
           
 劇作家、井上ひさしさんが生前に書いたもの、講演会での話を、「この人から受け継ぐもの」というテーマのもとに編集された本で、「この人たち」とは井上さんが敬意をもっていたり、私淑していた人たちです。

 その人たちとは、吉野作造、宮沢賢治、丸山真男、チェホフです。井上さんは旺盛な好奇心、知識欲に裏づけられた知見をもっていた人で、この本からも多くのことを教えられました。

 吉野作造をつうじて憲法・国家論を論じた文章では、この学者が唱えた民本主義(民主主義と同義)の内容とその思想と戦後の憲法との関係がわかりやすく説明されていたほか、日露戦争のアメリカの企みが「なるほど感覚」で解説されていました。もちろん、当の吉野作造の果たした役割と社会貢献も丁寧に記述されています。

 宮沢賢治では、この作家がかなりの躁鬱病に悩まされていたこと、めざしたユートピアがどのようなものであったのか、井上さん自身がもとめるユートピアの賢治のそれとの相違など、面白く論じられています。

 丸山真男では戦争責任論について触れられ、インチキ東京裁判(勝者が敗者を裁いたという単純な構図ではなく、天皇訴追をたったアメリカの意図)、戦争責任が曖昧にされたことの犯罪性をついた丸山真男の遺訓の継承を唱えています。

 チェホフの笑劇・喜劇を論じた文章では、チェホフの演劇のなかだなにが新しかったのか、ヴォードヴィル(歌あり踊りあり滑稽な話芸ありの大衆向けショー、あるいはそのショーに挟み込まれている笑劇やコントやスケッチの類)がどうして重視されるべきなのか、などについて解説されています。チェーホフの人柄、チェーホフ演劇の革新性よくわかりました。

 最後の「笑いについて」は未完成稿であるが、ジョン・ウェルズの笑いを初め、アリストテレス、ショーペンハウアー、キルケゴール、あるいはスクリーブの笑いをとりあげ、笑いの正体を追及しています。笑いとは、人間がその共同生活体である社会に対して適合性を欠いたときに発生するもので、笑いはそれに対する処罰であり、矯正なのだそうです(p.138)。

 また、ショーペンハウアーとキルケゴールは「矛盾や不釣り合いの要素が、同時に同一のコトガラに属しているとき、笑いが生まれる」と言っているそうです(p.139)。

 なにやら小難しい話になってきましたが、難しい話をわかりやすく、なっとくずくで説くというのが井上流なので、以上のことを理解したい人は、まずもって本書を紐解くべし。

永六輔『夫と妻』岩波新書、2000年

2011-01-08 00:25:15 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
           
 「妻は夫をいたわりつ・・・夫は妻をしたいつ」が本書の大命題(公理?)になっています(p.ii)。

 「この人と結婚してよかった、と思えることが夫婦なのだろう」「夫婦論というものは、意味がないような気がする」(p.200)、といいながら、『夫と妻』という本を上辞しているのだからよくわからないのですが、これが六輔流の辻説法です。

 六輔さんの辛淑玉さんと中山千夏さんとの対談が面白いです。辛さんとの対談では貝原益軒の「女大学」に代表される封建時代の夫婦関係の倫理観をこきおろしています(ただ、益軒は妻には大層優しかったと「知るを楽しむ」(NHK)という番組で言っていましたが・・・)。

 古代史を勉強している千夏さんは、女神(イザナミ)と男神(イザナキ)との最初のマグハヒでイザナキが対等の会話していることに感銘を受けたと言っています。「メオト」というのも「メオヒト」で「女(メ)、男(オヒト)」だったのが、「夫妻」という漢語が中国から入ってきて男女の順が逆転したのだと説いています。

 「夫と妻」の話ではないですが、永さんがいい女の代表として淡谷のり子の話を紹介して(追悼講演)、彼女がブルースを嫌っていたこと、頑固で主張を曲げなかったこと、高橋竹山とのジョイントコンサートのことなど、思い出を語っています。

 一夫一婦制と一夫多妻制の話、受精卵方から胎児までの過程で男は女から男になった(XX⇒XY)話など、尽きることのない話題で盛り上がっていました。

木村治美『静かに流れよテムズ川』文藝春秋社、1981年

2010-12-17 00:20:29 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
 タイトルは,16世紀のイギリスの詩人エドモンド・スペンサーによるふたりの貴婦人の結婚を祝う祝婚歌からの詩句からのものです。「黄昏のロンドンから」に続く著者のエッセイ集です。 「黄昏・・」のほうは未読です。

 ヴィクトリア朝のもの,「古いもの」を誇るイギリス人,これといった料理がないが紅茶とプディングにこだわる国民性,文学者・科学者には一流を輩出しているが画家,音楽家など芸術の分野で後塵を拝するこの国,職業が階級的に区分され,中産階級を代表する保守党と労働者を代表する労働党とで政策が根本的に異なるこの社会。

 著者は生活者の感覚でイギリスの風土と文化,イギリス人の気質を表現していきます。やわらかく,弾力的な文体に,著者の性格が滲み出ています。

 変らないイギリスに驚嘆しつつ,著者は1977年に再訪してその変り様に驚き,イギリスの底力を見る思いで,ロンドンの北西部ヘンドン地区の「ブレント・クロス・ショッピングセンター」,ロンドン北西約100マイルのところにある都市のコベントリー大寺院の脇にたつ超現代的な建物を紹介しています。

 わたしはロンドンには行ったことがありません。次の2012年五輪開催地はロンドンです。

吉永小百合『旅に夢みる』講談社、2003年

2010-12-14 00:21:00 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
               旅に夢みる
 映画女優、吉永小百合さんの旅に関したエッセイ集です。吉永さんは1959年に映画界デビューし、100本以上の映画に出演しています。代表作は、「キューポラのある街」「動乱」「おはん」「華の乱」「長崎ぶらぶら節」「北の零年」「母べえ」「おとうと」などです。「華の乱」(深作欣二監督)は未見ですが、吉永さんが与謝野晶子役、鉄幹に緒方拳、有島武郎に松田優作、波多野秋子に池上季実子さん、大杉栄に風間杜夫さん、伊藤野枝に石田えりさん、島村抱月に蟹江敬三さん、松井須磨子に松坂慶子さんですから、面白そうです。

 6つの旅の扉があり、最初が「ふるさと東京」。そこから出発して、映画のロケ地である川口、長崎、京都、稚内の紹介があります。

 川口はいわずと知れた彼女が主演した「キューポラのある街」のロケ地です。長崎では「長崎ぶらぶら節」の紹介が・・・。京都では「時雨の記」「細雪」について語られています。

 これ以降は、外国の旅事情で、フランス(ヴェルサイユ、オルレアン、パリ、ブルターニュ)、イタリア(ミラノ、ヴェローナ、ヴェネチア、ベルガモ)、アメリカ(シアトル、ポート・タウンゼント、ハリウッド、スコッツデール)、中国(上海、蘇州)と続きます。

 気取ったところは全くなく、普段着のままの叙述です。たくさんの映画を観ているようで、その記述の部分には随分共感がもてました。

 また原爆の詩の朗読は彼女のライフワークのひとつになっていますが、その平和への願いも素直な心そのままです。

 アリゾナ州のタリアセン・ウエストのことが建築家のフランク・ロイド・ライト氏との関わりで登場します。タリアセンという地名は軽井沢にもあり、その地名の淵源はこのライトの拠点です。懐かしい響きがありました。

 豊富な写真が並んでいてそれぞれに興味をひきます。「キューポラのある街」でしょうか、浦山桐郎監督から野球のバッティングの指導を受けている彼女の写真が掲載されていて可愛いです。

 そうそう、このあどけない表情に惹かれたサユリストが昔はたくさんいたのでした。
               

小山明子『小山明子のしあわせ日和-大島渚と歩んだ50年-』清流出版、2010年

2010-12-10 00:22:09 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
            小山明子のしあわせ日和―大島渚と歩んだ五十年
 15年ほど前の1996年に脳出血で倒れ、さらに2001年に十二指腸潰瘍穿孔で生死の境をさまよった大島渚監督。女優で妻の小山明子さんは監督の介護につとめるも、自ら「うつ病」にかかり4年間の闘病生活を経験。

 ふたりは結婚して今年で50年、金婚式を迎えたそうですが、この本は明子さんの介護の記録であり、監督との夫婦愛を綴ったエッセイであります。

 「パパが一番」という明子さんの介護の姿勢はけなげで、ひたむきで、ここまで素直な気持ちで病人に接することができるものかと思うほどすばらしいし、なかなか真似のできないことです。そして何事も前向きです。

 うつ病に罹っていたときには、身の回りのことに全く気に掛けず、ためにみすぼらしい自分になっていたといいます。そのことに気づいて、生活にメリハリをつけるようにし、身だしなみにもこだわるようにしたとのこと。

 わけても夫との生活を大切にし、妙な見栄はやめて回転寿司、焼き鳥屋で愉しみ、時にはおいしいものを食べに出掛け、好きなお酒も適度に飲み、生活をエンジョイするのだそうです。介護もいいと思われることはどんどん吸収して実行。それがいいのだと言います。

 自分をちゃんと認めてくれ、話を聞いてくれ、何かをやろうとするときにはそっと背中を押してくれた夫であるので、前向きに生きる気持ちを失わない限り、介護は苦にならない。

 自分の時間も大切にしてお稽古ごと、ボイストレーニング、山本富士子さんとの親交、子どもたち家族とのつきあいは、上手にこなしています。

 後半部分に、瀬戸内寂聴さんとの対談、息子の武さん、新さんとの鼎談があります。


阿部なを『小鉢の心意気』ちくま文庫、2007年

2010-11-26 00:49:55 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
                            
                   



 人の邪魔をしないで、生きる。それが料理研究家であった著者、阿部なをさん(1911-1996)のモットーでした。

 人形製作者であった著者がふとしたきっかけで始めた料理、松坂屋デパートにお店をだすまでになりましたが、ここでも人目につかない小鉢に目が向いています。「中心になる料理でなく、派手な主役になれないもの、いちばん先に箸のゆかないもの、声を出さずひっそりとしていて、それがあれば他の料理もなごんでくるような小鉢ものが、私をよんでいるような、ふるさとの風のなかのおもい」(p.204)、この気持ちが本書の標題になっています。

 「わたしの歳時記」「味覚歳時記」が秀逸です。
 前者では「むつき(1月)」から「しわす(12月)」までの著者の生活の視点からみつめた日本のうつりゆく季節がつづられています。9月を「ながつき」とではなく、「きくつき」と呼んでいるのが新鮮です。
 後者では「だいこん(1月)」「ねぎ(2月)」「菜の花・つくし(3月)」「アスパラガス(4月)」「山うど・わらび(5月)」「さやいんげん(6月)」「かぼちゃ(7月)」「なす(8月)」「れんこん(9月)」「さといも(10月)」「ほうれん草(11月)」「白菜(12月)」というように野菜、山菜を愛で、それらを食材に使った簡単な工夫のレシピが示されています。

 棟方志功、太宰治、田中英光との親交の記述があり、面白かったです。

 北国の風土、こまやかな手仕事、離婚の経験から得たもの、蘇る日本のお膳、ひとつひとつの語りが珠玉のようです。