江戸で諸国の高級な名産品のみを扱う大店・特撰堂。何故か改元の年に凶事に見舞われる店で、初代から四代までが改元当日に亡くなっていた。
その四代目の次男として生まれた裕治郎は、跡取ではないながらも才能豊かに生まれ、小料理屋おかざきの娘・みのりを妻として迎えて、兄である五代目・太兵衛の補佐にあたっていた。
そして寛政元年。老中松平定信により、札差たちに武士たちの借金を帳消しにするという棄捐令が出された。この棄捐令により、札差を上得意とする料亭では客足が減り、その影響から特撰堂は厳しい商いを強いられた。
当初は善政と世間に喜ばれた棄捐令だったが、札差たちは御家人たちへの追い貸しに応じなくなり、武士たちの生活は苦しくなるばかり。それが世間への不景気へと繋がっていった。
そんな中、裕治郎はみのりとともに新たな商売を始めるべく、特撰堂を離れて新たな生活を始めることに。
そして迎えた寛政二年。裕治郎は、深川周辺の普請場で働く職人たちを対象に、比較的安価な値段で簡単な弁当を作り、売ることを思いつく。みのりの父である駿喜らの手を借り、『梅屋』を創業。
思った以上に職人たちに好評を博し、作れる数を最大限にまで増やした裕治郎たちだったが、そこへやぐらの番をする火消したちへの弁当も手がける話が持ち上がる。実現できれば大きな金の動く商売となるのだが、それ以上に質を落とさずに実現することが難しい話でもあった……
江戸時代、棄捐令の為に不景気の嵐が吹き荒れる中で、弁当屋・梅屋を始めることにした夫婦や周辺の人々の奮闘記。途中から彼らの商売を横取りしようとする輩が現れたりして、微妙に路線がずれてるような気がしなくもないですが…。
さまざまな工夫を考え、才覚ある人物として描かれている裕治郎。一方、裕治郎の忠告も聞かず、意固地にも見える太兵衛も、上に立つものとしての心構え、そして大店を構えるものの矜持をしっかり持った別な方向でとても出来た人物で……何だかんだといいつつ、どっちもブラコンな気が(笑)。
<10/4/17>