大映では有望な俳優さんが多く育った一方、期待されて入社したのに途中で消えてしま
った人も結構います。今回はその一人、霧立はるみさんです。
彼女は戦前~戦後と活躍した女優・霧立のぼると俳優の佐伯秀男の一人娘として生れ
ました。東洋英和女学院を卒業後、お母さんの霧立昇さんも在籍した宝塚音楽学校~宝
塚歌劇団に入り、霧立みつるの芸名で活躍、同期に上月晃、古城都、甲にしき、高樹蓉
子らが居ます。昭和38年(1963)に退団し画家の岩田専太郎の秘書をやっていたときに
周辺が推薦して大映に入社しました。
これを機会に霧立はるみに芸名変更。大映では期待の新人として、同時に入社した高田
美和さんと一緒に、売出しのための全国宣伝行脚を実施したりしました。
身長が163㌢で したし、容貌もステージ向きで男役としては映えるのですが、どうも映画
向きではなかったようで、いま一つ人気が出ず、本人もくさっていたに違いないと思います。
入社して「十七才の狼」「青い性」「検事霧島三郎」と立て続けの出演を果たしたものの、
翌年は「大怪獣ガメラ」の1本のみというのが状況を如実に示しています。
そして大映を退社、東映作品に1本、テレビドラマにも数本出たようですが事態は好転せ
ず、昭和45年(1970)に芸能界を引退、昭和48年(1973)に結婚しています。
因みにお母さんの霧立のぼるさんは主に東宝映画で活躍していますが、大映でも「怪猫
岡崎騒動」「楊貴妃」に出演しています。霧立はるみさんの芸能界引退後の詳細は分かり
ませんが、平成14年(2002)に亡くなったそうで、いま生きていれば今年75歳でした。
↑ 宝塚時代の霧立はるみとお母さん
↑ 全国キャンペーンで、左から私、新聞記者、霧立はるみ、高田美和
添付写真のように、全国キャンペーンには私も参加しました。
とてもいいお嬢さんで、いわゆる宝塚臭が感じられない普通のお嬢さん
だった記憶が私にはあります。
霧立はるみさん、亡くなっていたのですね。残念です。古城都さん(本郷功次郎さんの奥様)と同期というのは知りませんでした。また、高樹蓉子さんが宝塚出身というのも初めて知りました。われわれの年代ですと特撮物の女優さんというイメージです。
遅ればせですが、ご冥福をお祈りいたします。