最近の情勢から新ネタがありませんので、もう暫くは思い出の年賀状をご覧ください。
今回は船越英二さんです。私たちが監督や俳優さんと交流する場は、撮影所で毎月開催
される宣伝会議とか舞台挨拶の時などです。宣伝部としてはどんな作品も監督も俳優も
同等に扱わなければいけないのですが、仕事に打ち込んでいる熱心な姿を見聞すると、
どうしても特別に力が入ることがありました。船越さんはとても真面目な人で一般人と
しての常識を持った人でもあり、私はとても好感を持っていました。
市川崑監督の「野火」で飢餓にさいなまれ人肉まで食った敗残兵士の役でしたが、断食
して役柄に挑戦しているのを撮影所で見て、私も何とか話題を作り出して世間様に知っ
ていただこうと考えてやったのが、戦車"野火号"博多の街を走りまわる・・・でした。
旧日本軍戦車の上部を取り除き、ブルトーザーとして使っている炭鉱があると聞いて早
速借り受け、上部をベニヤで作った本物そっくりの戦車です。警察などから大目玉を喰
いましたが、会社からは良くやったと評価されたし、船越本人にもこの話は伝わってい
ました。
大映倒産後の私は、彼が亡くなるまで偶然に二度会っています。最初は赤坂東急ホテル
で、二度目はJR岡山駅でバッタリ。数年前には息子さんの英一郎さんにも偶然会いまし
たがお父さんに似て中々の好青年でした。
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