





敵役など脇役が良ければ、それだけ主役が引き立つという訳で、大映では上手い敵役
が沢山いたと思います。大映には途中から入ってきた人ですが、大映では悪役は勿論
ですが、重厚な役、長老役などで時代劇・現代劇を問わずに出演、倒産時まで頑張って
くれた内田朝雄さんも忘れられない名脇役の一人です。
内田朝雄さんは大正9年(1920)に平壌で生れ、仁川で終戦を迎え引き上げてきました。
遅咲きの俳優業で昭和36年(1961)に宝塚映画に入った時は41歳、昭和40年まで宝塚
映画にいましたが脇役ばかりだったそうです。ここで1年発起して宝塚映画を辞めてフリ
ーになりますが、大映とは優先本数契約を結び、脇役は脇役だけど大いに評価される脇
役としての存在を認められるようになります。
大映作品は「兵隊やくざ」「悪名幟」「剣鬼」「大魔神怒る」「陸軍中野学校 密命」「女賭博
師」「妖怪大戦争」「眠狂四郎卍斬り」「しびれくらげ」などですが、映画と並行してテレビド
ラマの出演も多くあり、大映テレビの「ガードマン」がテレビで人気が出たキッカケとなりま
した。
この人の趣味がまた変わっていて、宮沢賢治の研究者としても知られ、、「私の宮沢賢治」
などの著書がある変わり種です。平成8年(1996)に胃癌のため76歳で亡くなっています。

↑ 大映最後の名簿
先日お話しした内田さんですね。いちばん上の左側のスチールは雷蔵さんの「ある殺し屋の鍵」で、手前の後頭部は弁護士役の伊東光一さんでしょうか。
2段目の右側のスチールはテレビの「華麗なる一族」で、山村聡さんの頭取とのシーンですね。内田さんは阪神銀行に冷たくあしらわれるスーパーの経営者の役でした。
悪役と慈愛に満ちた父親役と、両方を演じられる演技力を備えた方だったと思います。
よく覚えておられるので感心しています。それに反して私の記憶は薄れるばかりです。
それにしても内田さんの写真が少なくて困りました。いい俳優さんだったとつくづく
思います。
私は、剣鬼の寡黙なベテラン公儀隠密の口跡の素晴らしさを雷蔵との掛け合いで堪能しました。居合いの体技も凄い!!
大魔神怒るの名越の城主も堂々の貫禄!!
とにかく口跡の素晴らしさは、雷蔵と双璧ではないでしょうか。
積木の箱は、内田喜郎、大魔神逆襲の二宮秀樹の少年スタアも、大映の銀幕を彩った俳優でしょうか。他社には無い大映カラーを二人には感じます…~
内田氏の宮沢賢治の本の情報ありがとうございます。
初めて知りました。
ご生存されていた頃 「文芸春秋」で時を騒がせていた
>小佐野賢治氏に似てると、よく言われる。
とエッセイに載っていたのを思い出しました。
方言を自在に駆使して演技した際は、
その地元の方々にほめられたり喜ばれたりしたそうですね。
ここでお聞きしたいのですが
今は、TVで[方言指導]のテロップ流れますが
大映当時は、方言指導の方々はおられたのですか?
悪役俳優というのは役柄が狭くなりますが、この人内田朝雄さんは非常に
幅の広い珍しい脇役さんだったと思います。
大映作品ではありませんが、「トラトラトラ」の東条英機役は凄く良かったです。
方言は必ず指導者が付きます。その地方出身の俳優は結構多いので、
それらを起用したり、どうしても社内にいなければ、外部の方をお招き
するなど、万全を期していたものです。
10/01の【次へ】のページに、
三太夫さまへのお礼の投稿をさせて頂いた際は お世話になりました。
今回初めて【次へ】の使い方や、意味を知りました。
まだまだ未熟ですが、今後も宜しくお願い致します。
その時、まじめな人なんだなと思いました。
東映の忍者映画「ワタリ」では百地三太夫と言う、名優、伊藤雄之助さんが大映「忍びの者」で演じたのと同じ役でしたが、漫画が原作のワタリの三太夫は総髪で髭面なので、イメージが大分違って見えました。
映画 「トラ!トラ!トラ!」での内田さんの東条役は逆にあの頭の形を生かしてピッタリだったと思いますが、近衛文麿役の千田是也さんと共に「恰幅が良すぎる位」の迫力の2人でした。
ワイドスクリーンだったから逆に良かったんですかねぇ(^。+;
こういう役者さんがいないと映画は作れない・・・とつくづく思う
俳優さんの一人ですね。