




大映が製作した文芸ものには必ずと言っても良いほど出演し、ユニークな演
技を見せてくれたのが中村鴈治郎さんです。
記憶に残っている作品は「大阪物語」「炎上」「鍵」「浮草」「ぼんち」「好色一代
男」「雁の寺」「破戒」「女系家族」「越前竹人形」などでしょうか、大映で撮った
作品は18本ですが、彼の一癖ある老人役は絶品でした。
私は撮影所で何回かお会いしたことがあるくらいで、深いお付き合いこそあり
ませんが、鴈治郎さんの愛娘が玉緒さんであり、その旦那が勝ちゃんですから、
私的には一方的に近い間柄という感覚がありました。
明治35年(1902)年の鴈治郎さんは、昭和を代表する歌舞伎役者の一人で、立
役、女形、敵役、老役と、幅広い芸域を誇った方です。
昭和27年に演じた、近松門左衛門の「曽根崎心中」は生涯の当たり役といわ
れましたが、その頃になると関西歌舞伎が凋落、歌舞伎の興行方針を巡って
松竹とのゴタゴタもあって長男の二代目中村扇雀(現・坂田藤十郎)とともに松
竹を離脱したのです。
その後は扇雀さんとともに映画やテレビに仕事場を移し、映画は大映を中心
に活躍されました。
また途中から映画に並行して東京での歌舞伎に出演され、昭和42年(1967)に
は人間国宝となり、その他に紫綬褒章など多くの顕彰歴があります。
先に勝・玉緒夫妻のことを書きましたが、お兄さんが二代目林又一郎、妹の
たみさんは長谷川一夫先生の奥さんです。
ご本人は実に庶民的で気さくな方で、パチンコや競馬が大好きだったし、人
間国宝になった時に「国宝なったら競馬したらアカンのか」と本気で心配した
ことは、今でも語り草になっています。
亡くなったのは昭和58年4月13日で正四位勲二等瑞宝章が追贈されました。

<追伸>
このブログで今年の3月10日に「三木裕子さん」のことを書きましたが、本
日、三木裕子さんの娘さんからお便りをいただきました。
ご本人の了解を取っていませんが、ご紹介したいと思います。お許しくださ
いね。遅ればせながら、お母様のご冥福をお祈り申し上げます。
(いただいたお便り)
はじめまして三木裕子の娘です。時々覗かせて頂いております。
母の持っていた思い出の品には無かった写真や、初めて聞く母との思い出
話など、いまでも女優三木裕子、として記憶してくださっている方がいて下さ
るのだと思うと、とても嬉しく、新鮮な気持ちで読ませて頂いております。
ほんの数年の間だけ女優のお仕事をし、結婚を機に芸能界とはスッパリ縁
を切り、三人の娘を生み育て、普通の主婦として生活していました。その後
波乱万丈な人生でしたが、数年前に亡くなりました。
生きているうちに知ってたら、見せてあげたかったなととても残念です。
いつか、もし機会がありましたら私の知らない母の女優時代のお話、聞かせ
ていただける事が出来たら、そんな嬉しい事はありません。これからも楽しみ
にしております。突然失礼致しました。

↑ 三木裕子さん(長崎にて)
こんばんは。
ご無沙汰しております。お元気ですか?
この方は私が「ぼんち」を観たときに初めて知りました。
ひょうひょうとした味のある役者さんだと思って調べてみたら、
なんと、玉緒ちゃんのお父さんではありませんか(笑)
よく見たらやっぱり親子、似ていますよね。
さすが、役者一家だなぁと思いました。
「女系家族」に出ていた時も、一癖ある番頭役がぴったりでしたね。
先日玉緒ちゃんが徹子の部屋に出ていた時も、少しお父さんのお話もされていました。
昔の俳優さんは、本当にふっと引き付けられるような魅力がありますね。
中島さまへ
若尾さんの「祇園囃子」を観ましたよ。
白黒なので、ちょっと見慣れない感じがありましたが、すぐストーリーに溶け込むことができました。
若尾さんはまだあどけない感じがとても可愛らしく、舞妓さんの姿もお似合いだったのですが、
主役の木暮実千代さんが本当に美人で色っぽくて素敵でした。
過去のコメントにも度々書かせていただきましたが、
今の女優さんで品のある色気がある女優さんは思い当たりません。
露骨にお色気路線のタレントさんは反って色気は感じませんね。
現在の方がみなさん早熟なはずなのに不思議です(笑)
何十年前の映画の方が、意外にすんなりと見始めたら溶け込みやすい気もします。
気のせいかな(^-^;
私の周りではこのお話に付いてきてくれる人はいないので、ここで語らせてくださいね(笑)
仁木多鶴子さんについてもこのブログで語っていただけたらと思います。
台風の被害はありませんか、そちらはモロだったのでしょう。福岡はソレました。
今でも年寄役で上手い人はいますが、鴈治郎さんは独特の芸風でした。
あの方は映画には歌舞伎の下地を、そして戻った歌舞伎界には映画での勉強の素地を
持って帰られ、更に飛躍された方だったと思います。
小暮さんも素敵な女優さんでした。
彼女は山口県下関市の出身で、同じ下関出身には田中絹代さんもいて、
下関では田中派と小暮派に分かれて、何かにつけて微笑ましい光景を見ます。(笑)
このブログは映画好きの遊び場のつもりで開設していますので、余分なことは考えないで、
どんどん来てください。
このブログを立ち上げて4年になります。
大映のことを忘れないでいただきたい・・・の想いで書き始めましたが、時々脱線気味です。
三木裕子さんが亡くなったことを知り、私も驚き落胆していますが、平成21年9月に肝硬変で
亡くなったそうです。
ところで、来週は仁木多鶴子さんと高毬子さんをアップする予定でしたから、ご要望にお応え
出来ますね。
これからも宜しくお付き合いください。
『炎上』の田山道詮老師、『ぼんち』の春団子、『雁の寺』の岸本南嶽、
鴈治郎さんだからこそ、味が出た役を挙げたら限りがありませんね。
他社作品ですが、『小早川家の秋』も良かったです。
少し残念なのは、競輪のシーンは、鴈治郎さんだったら、
競馬の方が良かったのでは、と思います。(笑)
たまに行くバーの映画好きのバーテンダーさんに、
「もう少し歳を取ったら森雅之さんのように、
老人になったら中村鴈治郎さんのようになりたい」と言ったら
「キャラクターが全然、違うじゃないですか」と笑われました。(笑)
私も貴兄と同意見で、鴈治郎さんの出演は当時の大映作品に、いやが上にも
深さを加えてくれたと思っています。
このような人はこれから中々出ないでしょうね。
おはようございます
鴈治郎丈の出演された作品で、ワタシが好きなのは「殺陣師段平」で演じた市川段平です。
雷蔵さんも劇中劇でたっぷりと見せ場を作っていますが、芝居の為なら家庭顧みぬ段平の役作り、冒頭の欄干上で下駄履きのまま とんぼを切る時の台詞「先代の鴈治郎にも・・・」とセルフパロディをしているのも面白かったです
でも、一番奢った配役だなぁ、と感じたのが、新国劇初期の生き証人 上田吉二郎氏をホンの一寸、鴈治郎丈に絡ませただけではなく、「舞台指導」として、当時の新国劇の所作や約束事、そして本物の段平氏を観ているのですから、雷蔵さんや鴈治郎丈やスタッフに細かく指導していたのでしょう。
奇しくも上田氏は大映東京撮影所の近所に居を構えられていたそうで、もう少しこの辺りを調べてみたいと思います。
はじめまして小三太夫と申します、浅学者ですが、よろしくお願いします。
ワタシも先日、祇園囃子を観ました。
初々しい舞妓姿の若尾さん、本当に可愛いですねぇ。
そして、面倒見の良い木暮さん。、
昔、サンヨー電器のイメージキャラ「三洋夫人」として出ていたのも頷けましたです
でも、その前に黒澤監督の「酔いどれ天使」を観て、溝口監督の「祇園囃子」を観てから、小津監督の「お茶漬けの味」を最近観たもので、作品(監督)によって木暮さんのイメージが全く違ってくるのだなぁ・・と実感しました
で、祇園囃子の中で一番親近感を覚えたのが、田中春雄氏演じる木暮さんに袖にされてしまう男です(^。+;
酔っ払ってアイスキャンデーを投げつけて意趣返しするシーンには人間の可笑しさと怖さを感じます。