この写真では判り難いかも知れませんが、マイクを握って舞台を進行させてい
るのが若い頃の私。舞台後方は手前から山本富士子・北原義郎・潮万太郎の
皆さんによる舞台挨拶です。
当時の大映は、このようにしてトップスターを、お正月とか盆だとかに大映の主
要映画館へ派遣したものでした。
今とは違って写真撮影はダメだとかの野暮なことは言わなかったし、どこに行
っても劇場からあふれ出すくらいの客入りでした。
北原・山本の顔合わせは、1955年前後に「火の女」「火の驀走」「見合い旅行」
などで共演が続いた話題コンビだったからです。
先述のようにお正月とかお盆に映画館での舞台挨拶が多かったものですから、
当時の私は大晦日・元旦・お盆は家にいたことが無い状態で、家人からどれだ
け恨まれたか・・・。
また話題作の試写会などにも監督や主演俳優を積極的に参加させて話題を盛
り上げたもので、今でこそ舞台挨拶は恒例になっていますが、大映はその先駆
者だったと自負しています。
上の写真の場合、司会は潮万太郎がやりましたが、最初の挨拶と司会者の紹
介、そして最後の締めくくりを私がやったと記憶しています。
下の写真は挨拶の合間に映画館の従業員と懇談するお富士さんと北原義郎さ
んで、いつもこんなに和気藹でしたよ。
北原さんと私のことですが、今年の11月に私のブログを見た北原さんのお嬢さ
んがご本人に知らせたことからお付き合いが復活した経過があります。
これについてはこのブログの11月9日と11月14日に詳しくアップしていますので
良かったら振り返ってご覧ください。
北原義郎さんもお富士さんも共に、また後々に懐かしい写真をアップさせていた
だきます。
さて、今年も本日で終わり明日は元旦です。今年は色々有難うございました。
どうか皆様、良いお年をお迎えになりますように・・・。
潮万太郎さん、軽妙で素敵な俳優でした。
来年も中島様のブログ、楽しみにしてます。
今年は色々と有難うございました。
いつまで続くか判りませんが、思い出ばなし頑張ってみます。
皆さんに、コメント欄をもっと活用していただけるようにしたいと思っているのですよ。
コメント有難うございます。
このようなやり取りが出来ることが楽しいです。
と言っても全ての大映の俳優さんのその後を知っているわけではありませんが、
苅田とよみさんは消息は目下知りません。
調べて判ればお知らせしますのでお待ちくださいませんか。
ただ40年も経過していますので元気だといいのですが・・・。
私は敢て戦友たちと呼んでいるのですが、亡くなった人や、病床にある人など
などで、悪い知らせを貰った時は寂しい限りです。
どうかまた時々お立ち寄りください。