↑ 地元、西日本新聞 5/1 朝刊・都市圏面の記事。 右は同日の社会面記事です。
博多・中洲の灯がまた一つ消えました。
中洲でクラブ"薊"(あざみ)を経営していたオーナー・ママ大山幸子さん86歳の
訃報が本日伝えられました。
色白で美人画から抜け出してきたような女性で、2004年まで約50年に亘りお
店を続けていたのですが、自分が直接お店の面倒が見れなくなったのが閉店
した一番の理由だったようです。
先に閉店してすぐ亡くなった西中洲"蜜蜂"の武富京子さんと双璧で、中洲の夜
の文化を築いてきたという伝説の女性と言えます。
地元のみならず東京の贔屓客も多かったし、ここを利用した財界人や文化人は、
その楽しさが語り草になるほどでした。加えてママは英語も流暢だったので、海
外からの客も、その洗練された接客が話題でよく来ていたようです。
一時は東京銀座にも支店を出していたことがあり、私が"銀座・薊"に叶順子と一
緒に行っての思い出話は3月25日の「大映宣伝部・番外編/古い写真の思い出
(14)に書きましたが、そこに大山ママの話も載せていますので、良かったら読み
返してください。
映画全盛時代には各社行きつけの店があり、"薊"はまさに大映の専属クラブの
ように使わしてもらったお店でもありました。
運営する会社は西部観光で、チェーン店には「赤い靴」「白い森」など
があって、美人で気立てのいい子を揃えて一種独特の雰囲気を持った店ばかりで、
我々も監督・俳優たちを連れてよく通ったものでした。
そして大映後も縁があって、閉店するまで通ったクラブでもあったのです。
大山幸子さんのご冥福を心よりお祈りします。
↑ ありし日の大山幸子ママと私です。
水島悠嘉様
大変失礼いたしました。私も大好きなお店で、よく伺いましたしとても懐かしいです。
今回は私の勘違いで大変失礼いたしました。早速訂正させていただきました。申し訳ありません。
こちらの記事を拝見しました。
文面でチェーン店とありますが、私個人で出店しているものです。大きな語弊があります。
至急訂正願います。