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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編 / 古い写真の思い出 ( 11 )

2013年03月04日 | 日記


        ↑ 左から、玉緒・勝・田宮ですが、玉緒ちゃんの右側に顔半分が私の妹です。
    

     先日、私の母の法事を北九州市で行なった時のことです。
     小倉北区古船場町のホテル・ニュー・タガワ前を通りかかり"無法松の碑"
     を見つけました。
     聞けば昭和34年に無法松を愛する地元の人々によって建立されたものだ
     そうです。

     前回のこのブログで、昭和40年に勝・玉緒夫妻と田宮・藤由紀子夫妻が
     一緒に九州に来た話を書きましたが、その時は勝が「無法松の一生」を
     撮ることが決まっていて、是非とも小倉で色々体験したいと希望したので
     段取りしたものです。
     従って2組の新婚ではなく、勝が仕事でまともな新婚旅行も出来ない田宮
     夫婦を誘ってやって来たのが真相で、私は間違って書きましたのでお詫び
     と訂正をさせていただきます。
     と言っても勝・玉緒ちゃんが結婚したのは2年前の昭和37年ですから、まだ
     アツアツの状態ではありました。

     映画「無法松の一生」は、地元北九州の作家・岩下俊作氏が書いた「富島
     松五郎伝」(1939)を基にして、かなりふくらませた脚本になっています。
     お叱りを受けるかも知れませんが、原作より優れた映画になったと言えば、
     私の頭にすぐ浮かぶのは「無法松の一生」と「座頭市」です。それくらい
     伊丹万作の脚本は優れていました。
     ご存知と思いますが、今まで映画は4本製作されていますので、並べてお
     きます。

      昭和18年・大映 脚本・伊丹万作  監督・稲垣浩  主演・板東妻三郎
      昭和33年・東宝 脚本・伊丹・稲垣  監督・稲垣浩  主演・三船敏郎
      昭和38年・東映 脚本・伊藤大輔  監督・村山新治 主演・三国連太郎
      昭和40年・大映 脚本・伊丹万作  監督・三隅研次 主演・勝新太郎

     当時はお元気だった原作者の岩下俊作氏を私は存じ上げていたので、勝
     ちゃんとの懇談を段取りしましたが、原作者は無法松と勝ちゃんのイメージ
     が良く合う・・・と仰言って居られました。

     続いて小倉の街に出て"太鼓の祇園"を体験し、田宮夫妻と分れて次に行
     ったのが小倉競馬です。
     ここでは永田社長の盟友と言われた上田炭鉱主の出迎えを受け、大いに
     ハッスルしたのですが・・・、場所を福岡に戻しての夕食時に、勝夫妻にトラ
     ブルが起きました。

     玉緒ちゃんが「競馬で4万円勝ったのよ」と喜んで言ったら、勝が「俺は
     ***万負けた!」で玉緒ちゃんの怒りが爆発、ホテルへ戻ってしまった
     のです。
     それから私は勝ちゃんと飲みに行き、朝までボーリングを付き合う羽目に
     なりました。

     早朝、「一緒にホテルに帰ろう」案外気の弱い勝ちゃんの朝帰りに、私ま
     で付き合うことにもなってしまったのですが、いま考えると楽しい思い出
     ではありました。
     勝ちゃんとの思い出は、一緒に海水浴に行ったことなどまだまだ沢山あり
     ますので、また次の機会に書かせていただきます。

    
    ↑ 原作者・岩下俊作氏と勝ちゃん      ↑ 北九州・小倉城広場で・・・。
  

  
    ↑ 小倉競馬場でのスナップです。     ↑ 別の機会に撮った玉緒ちゃんと私です。
   
               
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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (大映魂)
2013-03-04 21:42:07
今回も、貴重な写真と思い出を公開してくださって有難うございました。

今後の海水浴編も、楽しみにしてます。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2013-03-04 22:55:28
大映魂さん
  始めたばかりなのに早いもので、もう11回です。
  まだ登場していない人が大勢居ますので、勝との海水浴は暫らく
  お待ちください。
返信する
素晴らしい写真です (吉田YAS.)
2013-03-07 12:14:24
毎回楽しみに、観させていただいています。

貴重な写真の数々、大映ファン(雷蔵さん勝さん叶さん・・・・ファン)として、嬉しい限りです。

大スターのみなさん。プライヴベートの笑顔が、素敵ですね。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2013-03-07 22:37:36
吉田YASさん
  お立ち寄りいただき有難うございます。
  写真類はまだまだ沢山ありますが、今日、資料の整理をしていたら、
  またまた多くのネガが出てきました。

返信する
市川雷蔵さん (bunn)
2013-03-08 20:57:29
初めまして
貴重なお写真の数々拝見させていただき感動しております。
何十年も前に大映のプロジューサーでいらした中島源太郎氏が文部大臣になり、その祝宴が帝国ホテルでありました。映画界の錚々たる方々はいうに及ばず、井深大さん、文化庁長官さん、先日亡くなられた岩波ホールの高野悦子さん、沢山の女優さん、男優さんもいらしてました。その時のスナップ写真、私と高野悦子さんと中島源太郎さん、もう一方男性が、多分藤井浩明さんだとは思うのですが、最近の藤井さんは何度かお目にかかって存じ上げているのですが、その頃の藤井さんは存じ上げなくて、
本人に確認してからお渡ししょうと思っていましたが、まだお渡しできずにいましたので、もしや、と思い全部写真拝見させていただきました。残念ながら、ここでは見つけられませんでした。
宴には出席しておられたとの事ですので間違いはないと思うのですが、、
坪内ミキコさんが、市川雷蔵さんの奥様と親友と雑誌に書いてあって、坪内さんと中島さんと井深大さん三人のスナップ私が映しましたので、机の前に飾って毎日眺めています。お三方の笑顔が何とも素敵なんですよ。
今は亡き知人も、若尾さんと若い時にお付き合いがあったと話してくださいました。若尾さんは多くの男性に好かれたのですね。何年か前に三越劇場で「日本橋」観てきました。素敵でした女の私が見ても。
これからも、此方様に寄せていただきますので、ブログお続けくださいませ。
「博多もつ鍋」大好きです。
博多に行くと友人に言ったら、いいところだから、一週間位はいないと駄目だよ、と、その言葉どおりに愉しんできました。
返信する
おはようございます。 (中島けん)
2013-03-09 08:45:37
bunnさん
  お立ち寄りいただき有難うございます。
  貴女様のコメントを拝見していると、共通の知人が沢山出て
  来そうな気配がします。
  中島源太郎氏が大映労組の委員長していた時期があり、
  私も同時期に委員をしていたことがありまして、
  久し振りに当時のことを思い出しています。

  このブログの前に、永田社長のことなど大映のことを色々
  書いていますので、お時間がある時にご覧いただけると
  嬉しいです。
  これからも宜しくお願いします。
返信する
早速のコメント有難うございます。 (bunn)
2013-03-09 19:15:51
中島様
素敵なコメント有難うございます。
おいおい読ませていただきますが、源太郎さんは、私の親戚のお祖父ちゃんが名付け親なんですよ。
藤井プロジューサーとは、大森キネマで三島由紀夫映画週間があり、その時におめににかかり、山中湖の三島由紀夫文学館の10周年記念の講演会、懇親会、二次会、翌日の朝食と沢山お話させていただき、三島さんのお墓参りにいらした藤井さんを案内して、源太郎さんのお墓参りしたり、今、雷蔵さんの映画を毎日観ていて、藤井さんの企画があったりすると嬉しくなっちゃいます。
永田さんの話は、藤井さんからも聞いています。
ただ、源太郎さんが労働組合の委員長の後退社、しばらく浪人している所を作新学院の理事長に声かけられて、今の総理のお父様の派閥から立候補、富士重工の票があって、当選したのだと聞いています。
ですから、源太郎さんを退社に追い込んだ社長という先入観があって、
源太郎さんも「文子さん、文子さん」と私を可愛がってくださいました。私の勤めた会社の役員の表敬系訪問も時間を延長して受けてくださり、帰りには「これ文子さんに渡してください」と役員にカレンダーを
ことずけてくださいました。
中島さんもご存知ないような、女優さんの秘密も知っていたりして、、

そうそう、山中湖にも大映の方何人かいらしていましたよ。源太郎さんのパーティーにもお出になったと話しておられました。
お互いにいい時期にいい会社に勤めたと思いますが、、、
因みに私の会社の社長は東映の大川博と大喧嘩して、
でも、弔辞は、岡田さんが読まれたと聞いています。
返信する
こんばんわ。 (中島けん)
2013-03-09 21:02:48
bunnさん
 コメント嬉しく拝見しました。
 色々と考えましたが、どうしても貴女様がどのようなご縁のある方かが
 判りません。
 社員だけで約1500人居ましたから、ほとんど会わない人も大勢いる
 ということになります。
 先日も北原義郎さんから、「貴方は東京撮影所に居たよね」と言われた
 くらい仕事上で撮影所には行ってましたが、藤井さんは個人的には
 存じ上げません。企画者にしても知ってる人は多いのですが、
 そんなものです。
 私は今でも永田雅一氏の長男で、もと副社長の秀雅氏と綿密な連絡を
 取りながらお付き合いが続いています。
 私に近いもと社員でも、会社を倒産させた永田親子が憎い・・・という
 人も居ますが、私を今まで育ててくれたのは永田社長が率いる大映だと
 思っているし、永田親子が好きなので、全く違う立場の考え方です。
 俳優たちのことも人一倍知っているつもりですが、私が書いた後で
 ご本人に会っても笑って会えることをモットーにしていますので、
 そのあたりはご理解ください。
 もしこのコメント欄ではなくてのご連絡やお問い合わせがありましたら、
 以下が私のアドレスですので、そちらへメールいただけますか、
 宜しくお願いします。
  nakajimamasaru@fcv.ne.jp

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