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映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

寂しい・・・。

2025年07月30日 | 日記
       

もう3年が経ちました。3年前の7月6日に93歳で亡くなった北原義郎さんのお墓参りを数日後にしました。お墓は逗子市の海宝院にあり、北原さんのお嬢さんが案内してくださいました。
戒名は「海映義優居士」、彼の本名は中野義雄で北海道室蘭市の出身ですから、一字一句に意味がこもった戒名だと思います。
北原さんと私の付き合いは70年近くになりますが、私がそちらに行ったらまた時を忘れるくらいお話をしましょうねと泉下の彼に伝えました。
蛇足ですか、このお寺には石原慎太郎さんのお墓もあります。



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「サマー・コンサート2025」

2025年07月30日 | 日記
        

本日7/30、私が住んでいる福岡市のSJR六本松で開かれた恒例の「サマー・ コンサート2025」です。全体の構成や出演者の技術も高くて涙が出るくらい楽しかったです。やっぱり音楽はいいですねー。



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思い出話。

2025年07月29日 | 日記


どうしても私の自慢話の様相で申し訳ありませんが、どうかお許しください。
福岡でのキャンペーン顔ぶれで最も豪華だったのは「人斬り」で、五社監督・三島由紀夫・勝新太郎・仲代達矢・賠償美津子・新条多久美の面々でした。私流の根回しで福岡だけ実現したキャンペーンで、東京からも取材陣が来福する今では想像も出来ない凄いメンバーでした。
その他には渥美マリ売り出しのため、博多のど真ん中(水上公園)で水着撮影会をしたり、「野火」の宣伝で、当時ある炭鉱にブルトーザーとして使用中の砲塔を除いた戦車を、拝み倒して借りて本物そっくりに改装し、博多の明治通りを走らせるなんて突拍子もないことをやりましたが、道路一時借用の許可は取っていたものの道路を凸凹にし、警察から大目玉をくらったのも今となってはいい思い出です。 
宣伝材料は、題字・ポスター・特殊宣伝物・カレンダーなどを本社が作成、後は新聞広告をメインに、テレビ・ラジオ宣伝、小型ポスターなどを九州というカラーに沿って宣伝課長の責任で作成していました。当時は新聞広告の図案は外注ではなく、宣伝課の図案係が作成していて、九州支社宣伝課の作った新聞広告が2度も電通賞映画新聞広告賞を獲り、朝倉摂・制作のブロンズ像は今でも手元にあります。電通賞は本社でも獲ったことがないというので大いに面目をほどこしました。
全国の宣伝・広告費の九州支社の持分は全国の12%でしたが、支社長でさえこの使い方について指示する権限は無く、宣伝課長は随分羨ましがられたものでした。

   



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若尾ちゃん

2025年07月24日 | 日記
        

拙著「スタアのいた季節/わが青春の大映回顧録」(講談社)が発売されて10年が経ちますが、お陰様で全国的に売行きは予想を超えました。 
アマゾンによると、この本と若尾文子関連の本が連動して売れていたそうです。
「若尾文子映画・青春」で、彼女の作品が全国の映画館で一挙に60本上映されていたことが売れた原因の一つのようです。


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指宿ロケの思い出

2025年07月23日 | 日記
大映時代の鹿児島県指宿ロケの思い出です。
「視界ゼロの脱出」(1963)は、ローカル航空のパイロット(本郷功次郎)が、小児マヒのワクチンを急送するため看護婦(三条江梨子を乗せて、アパッチ機で奄美大島へ向かいますが、サソリ島上空にさしかかったとき、台風観測所からの緊急指令を受けて着陸すると、そこには観測所を占拠したニセ札ギャングの一味(高英郎、大辻伺郎らが待ち受けていて・・・、そんな感じの内容でした。 
監督は上原明氏と仲が良かった村野鐵太郎で、カメラマンも上原氏とは縁の深い渡辺公夫。上原氏のお父さんが経営する"指宿海上ホテル"をロケ隊宿舎とし、当時ここの近くにあった旧特攻隊用の滑走路を使い、そこをサソリ島に見立てての撮影です。
ところが途中で思わぬ大事故が発生しました。 滑走路に一寸だけ着陸してそのまままた飛び立って行くタッチ&ゴーを、操縦士と地上とが無線で連絡を取り合い、何度か繰り返し撮影していた時です。私も丁度現場にいて見ていたのですが、何回目かのタッチ&ゴーで飛行機が離陸したとき、黒い物体が落下したのが見えました。 何事かと駆け寄った我々の眼に入ったのはなんと飛行機の片方の車輪だったのです。機上も地上もビックリ仰天。そうなるとロケどころではなくなり、関係官庁に連絡し対策を協議、燃料を海上に捨てて鹿児島市の鴨池飛行場に胴体着陸する方法をとることになったのです。
 車を飛ばして約1時間、鴨池飛行場に急行、鴨池に着いたころ飛行機はまだ上空を旋回していて、報道で知った大勢の人が人垣を作っていました。みんなが固唾を飲んで見守る中、無事に胴体着陸に成功・・・。翌日の新聞などの報道はこの件で持ちきりでしたが、指宿ロケはこんな大変な一幕がありました。

 


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