goo blog サービス終了のお知らせ 

映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

映画「人斬り」の思い出。

2025年08月13日 | 日記
     

大映時代に新作品の九州キャンペーンは色々やりましたが、中でも忘れられないのは、昭和44年(1969)の「人斬り」で、フジテレビと勝プロが共同で製作し、大映が配給する形を取った作品です。
幕末時代に動乱の京都でその名を轟かせた土佐の剣士・岡田以蔵の半生を描いた作品で、勝新太郎が岡田以蔵を、武市瑞山・仲代達矢、坂本龍馬・石原裕次郎、それに以蔵と対局した人斬り新兵衛には三島由紀夫が出演しました。それに倍賞美津子・新條多久美・中谷昇・田中邦衛・萩本欽一・坂上二郎・辰巳柳太郎と多士済々、脚本・橋本忍、監督・五社英雄と豪華そのものでした。
この作品こそ九州で大がかりな記者会見をやろうと決めた私は、本社宣伝部と根気良く交渉して実現、他支社には行かず九州にやってきた顔ぶれは、五社監督・勝新太郎・仲代達矢・倍賞美津子・新條多久美に、なんと三島由紀夫先生までもが来てくださることになりました。
当時も楯の会などで話題の渦中にあった三島先生ですが、地元マスコミから三島先生に特別取材をしたいと申し入れが殺到、先生に相談したのですが「今回は映画の宣伝役に徹したいのでお断りして欲しい・・・」とのことでマスコミに納得して貰った経緯もありました。
記者会見で勝ちゃんのおしゃべりも面白かったけど、三島先生の話も含蓄があって興味深々でした。先生は映画の中で切腹して果てるという鮮烈な死の場面がありますが、この翌年にご自身が壮絶な死を遂げられることとなり、ただ豪華なキャンペーンだったという思い出以上に、それこそ強烈な印象を残したキャンペーンだったのです。























コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市田ひろみさんを偲んで。

2025年08月12日 | 日記
       

もう3年が経ちます。逗子市にある北原義郎さんのお墓参りをしてから数日後、またまたもと大映・市田ひろみさんの訃報に接し愕然、大映会も益々寂しくなります。 
大映では決して恵まれて存在だったとは言えませんが、大映後の市田さんはテレビを中心に大活躍、服飾評論家としても著名だったし、コマーシャルも沢山出ていました。珍しいデビュー当時の水着写真をお届けします。



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インドの旅。

2025年08月11日 | 日記


旅の思い出です。インドの首都デリーは、ヤムナー河西岸に広がる深い歴史に彩られた街で、サウスデリーにある世界遺産クトゥブ・ミナールと複合建築群は歴史的建築物であり、見逃せないはインド最古のイスラム遺跡群です。
クトゥブ・ミナールは1368年に造られた72.5mの塔で、塔にはコーランがアラビア文字で描かれ、インドで最も高いミナレットですが、遠くから見ると上部が少し傾いているのが判り、以前は塔の最高部へ369段の階段で登れましたが今は禁止されています。

        

        



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

博多座で新しい楽しみ。

2025年08月07日 | 日記
       

博多座で歌舞伎「刀剣乱舞 東鑑雪魔緑」(8/5~8/11)を観てきました。
主役はミュージカルのようにマイクを付けていて台詞がよく判るし、途中で音楽が流れたり、舞台転換も鮮やかで新しい歌舞伎の楽しみ方を味わいました。
その上にオマケがあったのです。舞台一杯に長唄囃子連中が並ぶ中、出演者の舞踊が始まり本格的な舞踊から民謡までと驚くやら嬉しい演出。それだけではなくラストは写真OKタイムまであり、各客は大興奮・大喜びでした。

        

        
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州ロケの思い出

2025年08月05日 | 日記

        

九州でのロケは結構ありましたが、その中で私が大きく係ったロケが二つあり、「妻の日の愛のかたみに」「片足のエース」です。今回は「妻の日の愛のかたみにと」の思い出をアップします。
この作品の舞台は福岡県の水郷・柳川市で、小学校教師だった池上三重子さんの同名手記を木下恵介が脚色、富本壮吉が監督、若尾文子・船越英二・藤村志保・姿美千子などが出演しました。
柳川市は水と白壁に囲まれた美しい町ですから、現地ロケは絶対に必要となり、私は監督たちとロケハンに出かけ、市長をはじめ関係先へのご挨拶をすませ、宿泊先の交渉や地元とのタイアップなどに当たり、ロケ隊を受け入れ段取りをつけました。ここまでは問題はなかったのですが、突如問題が。物語は愛し合った夫婦だったのに奥さんが難病の筋ジストロフィーで身体が動かなくなり、彼女は夫を愛するが故に旦那と離婚をするのです。
その旦那から私のことが悪人に描かれているようなので、製作を止めてくれの申し入れ。困りました。もとご主人と当時の学校長と、富本監督と私と4人で何時間も話し合い、監督も悪人扱いをしないと約束してやっとOKが出た次第。
ロケは姿美千子扮する教え子が花嫁姿で川を下って行くシーンから始まりました。ロケ地は柳川から阿蘇山へ、そして別府市へと移って無事に終わりました。
さて映画が完成。最初の試写会は柳川市でやろうと、監督以下俳優も全員揃って再び柳川入り。原作者もお招きしたのですが、「私はきっと泣くでしょう。その姿を人に見られたくない。中島さんお願いだから私一人で見せて」私は気持ちよく了解しました。
試写会は大好評で、心配していた元旦那さまも「満足です」と涙ぐんでおられホッと。次の朝は池上三重子さんひとりの試写会。6人の教え子が担架に乗せて映画館に来場。映画が終わり彼女は大きな声を上げて一時間ほど泣き続けました。とても良かった、もう泣かないよ、有難うと言われて引き続き彼女が「中島さんもう一つお願い。映画のように舟に乗りたい」ここ数年家から出なかった人の願いですから気持よくOK。お弁当を買い教え子と私も川くだり舟に乗りました。約一時間の川下りが終わったら、「中島さん、もう一つ私の望みを叶えて」それは映画のラストシーンだった"柳川市沖の端干拓の海の夕日"見せてくださいでした。一日中、赤ん坊のように喜ぶ彼女を見て、私もどんなに嬉しかったか。これこそ宣伝屋冥利と今でも思っています。

       

       


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする