たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

蠶霊供養塔

2010年05月18日 23時20分23秒 | 人間と動物

本日、相模線上溝駅周辺で3年生ゼミのフィールドワークを行った。学生諸君と別れて歩いていると上溝JAの敷地内に社のようなものがあったので、立ち寄ってみた。蠶影神社(こかげじんじゃ)としてあった。養蚕の神を祭る社なのかもしれない。よくみると、小さな本殿の脇に、蠶霊供養塔(さんれいくようとう)なるものが建っていた(写真)。蚕の霊を供養している塔である。1メートルにも満たない小さないしぶみであった。その裏面には、昭和六年十月十六日建立という文字が刻まれていた。いまから79年ほど前のことである。いしぶみや神社の写真撮影をさせてもらう許可を得るのと、何か話を聞かせてもらえればと思って事務所に入って名刺を渡すと、そこにいた女性はわたしのことを知っていた。大学の卒業生で、私の授業も受けたことがあるという。吹き矢の実演を覚えてますよとのことだった。彼女が取り持ってくれて、上司に話をしてくれて、職員の方たちから話を聞くことができた。蠶影神社そのものの設立の起源は不明であるが、いまでも毎年1月に、豊蚕祭というのを、神殿の前で、JAの関係者が行っているとのことであった。このあたりは、かつて養蚕業が盛んな土地柄であって、そのことから、蠶影神社が勧請されたということは、十分に予想される。盗難を恐れて、神殿のなかにはご神体は安置されておらず、それは、通常は、事務所のなかに置かれているとのことであった。蠶霊供養塔については、偶然、JAに用事があって来られていた年輩の女性に話を聞くことができた。彼女がこのあたりに嫁いできた昭和39年頃には、「おかいこ」と称する行事、すなわち、蚕の霊の供養が行われていたという。その後、昭和40年代まで、このあたりでは、どうやら蚕の霊の供養が行われていたようである。それが、どういった催しであったのか、どういう意味を持っていたのかという点に関しては、明らかにならなかったが、かつて<絹の道>沿いの養蚕家が多かった相模原で、蚕の霊を弔っていたという事実が浮かび上がってきた。JA上溝のみなさん、ご協力有難うございました。


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