たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

殺生科研2013-1

2013年04月15日 19時58分13秒 | 人間と動物

◆本年度の殺生科研の第1回研究会(4月13,14日、桜美林大学明々館)で、チンパンジーの「狩り」をめぐる3論文を読んだ*1。

*1
・ジェーン・グドール 「II.狩猟」『野生チンパンジーの世界』杉山幸丸・松沢哲郎訳、ミネルヴァ書房、1990
・保坂和彦 「第9章 狩猟・肉食行動」西田利貞・上原重男・川中健二編著『マハレのチンパンジー:<パンスロポロジー>の三七年』京都大学出版会、2002
・「肉と獣:ボノボ、チンパンジー、そしてヒトの狩猟対象のイメージ」五百部 裕『アフリカ研究』42、1993

グドールの論文は、チンパンジーの「狩り」に関してのパイオニア的な研究であり、チンパンジーの動物(アカコロブス、ヤブイノシなど)の殺し方を含めて詳細な記述がなされており、その意味で、我々にとっては重要な論文であろう。保坂の論文は、チンパンジーがなぜ「狩り」をするのかについて、社会的要因の重要性に目を向けている。五百部の論文は、チンパンジー、ボノボ、ヒトの比較の観点を取り入れながら、プレイ・イメージ(獲物のイメージ)という認知の枠組みのなかで、「狩り」に迫ろうとしている。

◆生態人類学的な動物をめぐる調査研究について知るために、「トゥングウェ動物誌」を読んだ*2。

*2
伊谷純一郎「9.トゥングウェ動物誌」『人類の自然誌』原子令三・伊谷純一郎編、雄山閣、1977

伊谷純一郎が、トゥングウェの人びとの動物をめぐる世界へと接近しようと努めた果てにたどり着いた記述は、ナチュラリスト的な動物分類から、物語、歌のなかに現れる動物、動物の猟と漁、動物の象徴的側面にまで、多岐厖大にわたる。

「あまりに詳細なエスノグラフを書くことは意味がないという意見もあるようだが、ひとつの構造をもった全体を把握し、それへのトゥングウェの人たちの関与を徹底的に掘り起こすという作業を試みた。これらの資料の収集には十数年の歳月を要している。個々の体験を積み重ねていって、ほぼこれが彼らの動物的世界の全体だという納得ができたときに、私は、彼らの心性を投影しうる1枚のスクリーンを得たことになる。・・・こうして要素に分解し、それを配列した平面には、すでにある特定の要素と要素の間のさまざまな関係が生じている。・・・このような脈略や、複雑に染め分けられ彩られた平面全体が、トゥングウェの心性を投影しているのである。」

ある地域・ある社会の調査研究における動物に対して(民族誌的に)ズーム・インするだけではなく、ズームアウトして、自然科学の体系のなかで捉えること、この二面の先に考えていくことが大切ではないだろうか。

◆人の「動物殺し」のひとつとして、文化人類学の伝統的なトピックである「供犠」に焦点をあてて、『アフリカの供犠』を読んだ*3。

*3
リュック・ド・ウーシュ『アフリカの供犠』浜本満・浜本まり子訳、みすず書房

ド・ウーシュは、ユダヤ・キリスト教経由で導入された「聖と俗」の観念に基礎を置くフランス社会学の供犠論を退け、さらには、暴力の全面化を抑止する機構であると捉えたジラールの供犠理解を批判した上で、アフリカの具体的な民族誌記述を中心とした諸文献のなかに供犠の本質を探ろうとしている。読みにくいぐだぐだとした論述の先に、供犠には、一方で、供犠という殺しの場面の後に出現する調理するという側面、他方で、王や神などを介して、宇宙論的な秩序と深く結びついた領域があることを示唆しているように見える。研究会では、供犠論における「負債」概念(超越的な存在に対する負い目)やそれを返済するための贈与の議論を深めることによって、今後、供犠を行う社会の供犠だけではなくて、供犠を行わない社会の「動物殺し」への負い目や罪悪感の性質についても問い直してみることができるのではないだろうかという点などが話し合われた。

個人的な覚え書きとして。 


日本文化人類学会第47回研究大会・分科会「動物殺しの論理と倫理 ―種間/種内の検討」

2013年04月10日 17時55分46秒 | 人間と動物

日本文化人類学会第47回研究大会(於:慶應義塾大学三田キャンパス)

 6 月 8 日(土)15:00-17:25
I会場(524 教室)

分科会 動物殺しの論理と倫理 ―種間/種内の検討 

奥野克巳 (桜美林大学) 「趣旨説明
島田将喜 ( 帝京科学大学 ) 「動物が動物を「無駄に」殺すことはあるか?」

シンジルト ( 熊本大学 ) 「屠畜の新規範 ―中国西部における「人と動物」と「人と人」」
山口未花子 ( 東北大学 ) 「北米狩猟民カスカと動物との殺し殺される関係」
大石高典 ( 京都大学アフリカ地域研究資料センター ) 「「殺す/殺さぬ」の位相 ―カメルーン東南部熱帯林における動物殺しを事例に
コメンテータ:池谷和信 ( 国立民族学博物館 )

大会日程・プログラム


ネパールの葬斂

2013年04月09日 09時50分27秒 | フィールドワーク

ネパール滞在の終わりのある日、火葬を見る機会があった。朝、葬列が川のほうに向かったので、その後、歩いて見に行った.そこでは、川が火葬場である。木材が積み重ねられ、支度が整えられていた.裸の男がその上に載せられ(上流を頭にして、だと思う)、火の棒を持った男(死者の長男?)が反時計回りに、横たえられた死者のまわりを三回周回し、その後、死者の顔の近くに火を入れた.ガソリンのようなものが注がれ、火はどんどんと大きくなった.周囲には、遺族・関係者などがいたようだが、そのうちの多くは、三々五々その場から離れていった.火が小さくなると、風邪を通して、火を燃え盛らせようとした.そのようにして、火を入れてから一時間近くになると、人(死者)のかたちは見えなくなった.ネパールには墓はない、遺骨は残されることはないという.覚書として.


ネパールの供犠

2013年04月08日 13時07分34秒 | フィールドワーク

ネパールの寺では、ニワトリやヤギが供犠されていると聞かされたとき、寺と動物殺しが頭のなかで結びつかず、しっくり来なかったのだが、それは、無意識のうちに私が、仏教寺院と不殺生戒を単純に結びつけてイメージしていたためであり、神に供犠獣を捧げることは、言われてみれば、至極当然のことのように思える。その日、ポカラのヒンドゥー寺院には、次から次に、それぞれに、ずいぶんと立派なニワトリを抱えた人たちがやってきていた。祈りを捧げてから、寺の敷地を出て階段を数段下りたところにある、薄暗い、2メートル四方の寺専用の供犠場で、寺の小僧さん(といっても、年をくっている)に渡して、順に、ニワトリの首をばっさりと切ってもらっていた。供犠場の中央には、動物殺しのための刃が上に向けて固定されて置かれていて、そこにニワトリの首が押し付けられて、殺された。首は、依頼主から小僧さんがもらい受けているようだった。逆に、依頼主は、小僧さんに心付けを手渡し、ビニール袋に殺されたニワトリの首から下の部分を入れてもらって、満足そうな顔をして、その「肉」を持って帰って行った。依頼主である彼ら(写真)は、仏教徒のグルン人たちで、一年に一回、このヒンドゥー寺院にお参りに来るということだった。グルンは、母方交叉イトコ婚を選好する民族集団らしいが(レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』のなかには見当たらなかったが)、それはさておき、お参りと肉食は、そこではいまでも、ハレの日の行事なのであろう。逆に言うならば、肉食というのは、宗教がしっかりと根を張っているような社会では、長らく、ハレの日の食事だったのではないだろうか。その日、ヒンドゥー寺院で、午前中を通じて、ややぼんやりと参拝者の行動を眺めながら、そうした宗教生活によって、動物を殺し、人びとに肉を供給するという回路が生みだされてきたのではないかと思った。