たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

運について

2009年03月30日 21時18分54秒 | エスノグラフィー

狩猟で獲物が獲れなかった場合、「運がなかった」「運が悪かった」とプナンは言う。

pukun jah pulu marem tuai iyeng paulin kelap, pukun jah kela kelap, pukun teleu tuai kela, teleu liwet tuai, saat nasib.

夜10時に(イノシシが)やってきた。姿は見えたが逃げてしまった。午前1時にも逃げてしまった。3時にもまたやってきた。(イノシシは)三回来た。運が悪かったのだ。

daun iyeng pun nasib kelunan, pun nasib mabui kelap.

人に運がないなら、逃げたイノシシに運があったことになる。

そういう言い方もまたする。

この場合の「運(nasib)」とは何か?
それは、マレー語・インドネシア語でもある。
外来のことばなのであろうか?
そういう可能性は否定できない。

はたして、プナンは、古来「運」に頼って、狩猟をしてきたのだろうか?
狩猟に出かける前に、いっさい、獲物を獲るための儀礼的な行為を行わないことから推すと、彼らは、まったくもって「運」のようなものにすがっているようにも思える。
しかし、そのことは、儀礼的な行為を行わないという儀礼的な行為であるのかもしれない。

プナンは、「運」だけに頼っているのではないという証拠もある。
川で魚が獲れなかったとき、以下のようなことばを吐く。

ubeng memitik pengadim wek.

怒っているぞ、なぜ魚が獲れないのか、水の神よ

それは、「水に怒ることば(piah maneu bea)」と呼ばれる。
彼らは、けっして「運」だけに頼っているのではないのかもしれない。
ときには、水の神に、怒りのことばをあらわにする。

水の神が、魚の獲れ具合をコントロールしているような言い方だ。

だからといって、狩猟や漁労の前に、神に唱えごとをするようなことはない。

う~ん、書いて損した。
よくわからない。

(写真は、ワイパックの狩猟キャンプから眺めたジャングル)


貨幣の精神分析

2009年03月29日 10時35分19秒 | エスノグラフィー

今月プナン人とともに、3週間ほど行動をともにした。彼らは、わたしが来るのを待っていた。草刈機をお土産として渡すと、彼らは、すぐに銃弾を買いに行こうとわたしを誘った。周囲にはなく、小学校の職員の車をチャーターして、銃弾探しに出かけた。近くの町にも行った。10人くらいに尋ねても手に入らず、あきらめかけて帰りかけた折に、カヤン人にようやく分けてもらうことができた。1個10リンンギット(300円)の銃弾が、18個手に入った(バンスット=イノシシ猟用、ペナブン=その他の動物用)。もちろん、わたしが支払った。夜遅くに、わたしたちは、プナンのセトルメントに戻った。翌日から、狩猟行に出かけることになった。

最初に行った狩猟キャンプでは、ヤマアラシ1匹、サル1匹、イノシシ1頭が獲れた。次に移動したキャンプでは、サル1匹、その次のキャンプでは、鳥1羽、イノシシ1頭が獲れた。すべての動物肉が売られるのではなく、イノシシの肉のみが売られる。写真は、木材会社の車に途中まで便乗して、クニャー人の店に、猪肉を売りに行くところ。このときは、40キロほどの肉を、1キロ5リンギットで売った。

いまから40年ほど前に本格的に市場経済の端に組み込まれるようになったプナンのような人びとにとって、いったい、貨幣とは何なのだろうか?それ以前には、プナンは、貨幣をほとんど用いなかった、必要としなかったと想像される。森の中の産物を、時々近隣焼畑民や中国人商人の財と交換したり、刀の鉄を鍛えて、わずかながらの財を手に入れていた。州政府の施策に応じて、川沿いの村に定住・半定住するようになったプナン。彼らは、知らぬ間に、商業的な森林伐採のために土地を政府に明け渡したとみなされ、賠償金という名目で、毎月一定額のお金をもらうようになった。彼らは、それを、マレー語を用いて、給料(gaji)と呼んでいる。

プナンは、貨幣/お金という抽象的な観念を持たない。マレー語で言えば、uang/duit という言い回しを日常的に用いない。彼らは、お金のことをリギット(rigit)と呼んでいる(リの音を思いっきり振るわせる)。それは、マレーシアの貨幣の単位であるリンギット(ringit)のことである。つまり、彼らは、貨幣の単位そのものを、お金の呼び名としているのである。お金の呼び名としているという言い方は、以下でみるように、不適切かもしれない。貨幣/お金という抽象度の高い考えをもたないのである。いずれにせよ、
物品を手に入れるために、彼らは、リギットを用いる。

リギットは、彼らがそれを知り、手に入れる以前から、森のなかにあった財(樹木、動物・・・)
と並列に置かれているようにも思える。それは、十分でないにせよ、木材会社から、毎月毎月、与えられる。葉っぱが矢毒になり、イノシシの血がサゴと混ぜて炒めると甘みたっぷりのお菓子になるように、つまり、森のなかにあるものが、姿を変えるように、リギットは、それを店に持ってゆけば、ビールやラーメンに、マジカルに姿を変える。人びとを豊かにしてくれる財に変わる。わたしが持ってゆくリギットもまた、彼らには、そのようなものとして捉えられているのではないだろうか。リギットは、18個の銃弾に変えられた。

狩猟でしとめたイノシシは、クニャー人の店に売られると、先に述べた。クニャーは、アイスボックスに肉を保存し、それに利益を上乗せて、店にやってくる人に売る。プナンは、しとめた当人だけがリギットを受け取るのではなく、狩猟キャンプに行った家族単位で、平等にリギットが分配されるように努める。そのときの分配のしかたは、なかなか興味深い。というのは、彼らは、店から受け取った代金を、家族の数で「割る」という行為をしないからである。猪肉が250リギットで売れたとしよう。3家族でそれを分配するときに、わたしであれば(われわれであれば)、それを計算上3等分して、一家族頭83リギットをはじき出す。しかし、プナンは、そういった抽象的な計算をいっさいしたことがない。それは、計算の仕方を知らないというような単純なことではないように思える。計算は、貨幣の精神分析に深く関わる。

プナンは、店のクニャー人に、まずは、その250リギットをできるだけ砕いてくれと頼む。手にしたリギットを、平等に分配するのである。まず、50リギット紙幣を3つ並べる。残った紙幣を、3つずつ並べていくというかたちで。つまり、すでに存在しているものを、あたかも、獲れた猪肉を平等に切って分配するように、分配するのだ。リギットとは、その意味で、観念としての貨幣/お金ではなく、かたちをもった具体的な存在物なのである。プナンの心のなかでは、リギットもまた、森の財の延長線上に存在しているのではあるまいか。

もう少し詳しく考えてみたいと思う。その先に、貨幣とはいったい何かを、民族誌的に追究する手がかりがあるかもしれないと思うから。


森に暮らすということ

2009年03月28日 16時53分44秒 | 自然と社会

何度かかよううちに、わたしは、いつのまにか、プナンの森での暮らしを、深く愛してしまったように思う。備え、蓄え、計画し、概念の小島に物事を囲い込み、そこに安住するべく努力を払うというような農耕的な生き方が発芽する以前の、具体的な、実存的な、あまりにも実践的な、狩猟民の暮らしに、すっかり、没心してしまったように思う。そのことについて、プナンは、けっして、わたしたちが理解できるようなことばで語ってくれない。その意味で、フィールドワークは、プナンにとことん一体化して、彼らの内部から、彼らの声を聞くことでなければならないのではないだろうか。彼らから、深く学ぶために。あるいは、研究者であることに飽きてきたら、狩猟民そのものになってしまうのもいいかもしれない。

今回、狩猟キャンプに留まって、そこから見える森の風景を、暇に飽かして、持っていた4色ボールペンとラインマーカーでスケッチしてみた(写真;ワイパック川の森に、20人くらいでキャンプを張ったときに描いた)。描いてみて、はじめて、その細やかななり方/なりたちに、わたしは心を大きく動かされた。その一つ一つが、自ずと生きているとでもいうような、そのあり方を目の前にして。

同じように、プナンにとっての
森(vaak)もまた、驚きに満ちた世界として捉えられているのではないだろうか。キャンプのメンバーの一人は、わたしが描いた絵を眺めて、樹木の名前を一つ一つ教えてくれた。森の事物に対する驚き。それが、わたしが、森のスケッチ経験をつうじて、プナンとわたしの間で共有できたと、直観的に感じたことである。その驚きとは、つねに、具体から発する。

雨露をしのぐために、狩猟キャンプの屋根にするのに適切な木の皮がある。薪にする、燃えやすい樹木がある。のどの渇きを癒してくれるだけでなく、甘みをたっぷりと含んて、ひと時の喜びを与えてくれる果実。料理に使うと味を引き立てる葉っぱがある。籐の繊維は何かをくくったり、しばったりする。籠にもなる。床材には、キビが適している。あらゆる動物を射殺すことができる
矢毒に変わる木と葉がある。敵を攻撃するために背中から針を飛ばすヤマアラシ。敵前でくさい屁をひる動物もいる。ゆっくりと羽ばたきをしながら、悠然と巨音を立てて飛ぶ大きな鳥。さかさまにぶら下がる奇妙な鳥(こうもり)もいる。イノシシの血は、サゴヤシと混ぜると甘くなる。動物の糞に群がる昆虫...森は、驚きで満ちている。一つ一つの森の事物に対する知識とは、それらに対する驚き、不思議さの感覚とひとつらなりなのではあるまいか。


ボルネオ島における「自然災害」の人文学的研究

2009年03月21日 15時11分52秒 | エスノグラフィー

昨日、3週間ぶりにクチンに戻ってきた。おとといまでは、今日もまたサル肉か!、なかなか、この味には慣れないなあなどとと思っていたが、そうしたフィールドの感覚は、都市生活のなかで一気に薄れ、遠のいてゆく。それが、同じ国の内の出来事であったとは、ここからでは、到底思えない。あっそうか、国とは、そういった異質なるものをいっしょくたに掬い上げている場なのだった。フィールドでは、毎日、夜はたっぷりと寝て、午前中は惰眠をむさぼり、昼寝もたっぷりして、こんなにどうして寝られるものかと思えたが、町に出たら、急に眠れなくなった!いったいどうしたことか。フィールドワークの経験はさておき、以下、24日に当地で行われるセミナーの告知。振り返れば、2000年代は、サラワクで、ずっと自然認識関連の調査研究をやってきた(内堀隊津上隊)。今日は、目下、原稿作成に格闘中。う~ん、どうしよう。

Seminar on the Perceptions of Natural Disasters
among the Peoples of Sarawak
Tuesday, 24
th March 2009
Old Senate Room, East Campus, UNIMAS

Institute of East Asian Studies is pleased to announce a one day seminar on the Perceptions of Natural Disasters among The People of Sarawak to be held at the Old Senate Room, east Campus, UNIMAS on Tuesday 24th March 2009. The speakers comprise six Japanese scholars and a researcher from IEAS. You are cordially invited to attend the seminar. Enclosed is the programme of the seminar.

For more information about the seminar please contact Mr. Jayl Langub tel : 082-582474/013 8037007 or email: ljayl@ieas.unimas.my

9:30am-9:50am
Welcoming Remarks
Professor Datuk Abdul Rashid Abdullah
Director, Institute of East Asian Studies, UNIMAS

9:55am-10:10am
Opening address on the theme of the Seminar
Makoto Tsugami
Tohoku Gakui University, Sendai

10:10am-1030am
Coffee break

10:30am-11.15am
Bank Erosion in the Middle Basin of the Rejang River in Sarawak, Malaysia
Ryoji Soda and Kazuhiro Yuhora
Graduate School of Letters, Hokkaido University

11:15am-12.00noon
The Genesis of a Disaster Resilient Society: An Historical Analysis
Noboru Ishikawa
Center for Southeast Asian Studies, Kyoto University
12.00 noon-12.45pm

Spirits and Ghosts: Two Factors of Misfortunes at the time of Migration among the Kayan
Makoto Tsugami
Tohoku Gakuin University, Sendai

1:00pm-2:00pm
Lunch

2:00pm-2:45pm
It’s Not Really After the Deluge: Discourses on the Local Flood – Experiences in Ulu Skrang
Motomitsu Uchibori
The Open University of Japan

2:45pm-3:30pm
Natural Disaster Among the Penan: Beyond "Thunder Complex"
Katsumi Okuno
Obirin University, Tokyo

3:30pm-4:15pm
Failed Hunting Trip, Lightning, Thunder and Epidemic
Jayl Langub
IEAS, UNIMAS

(写真は、サルの丸焼きの料理中の様子)