たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

2018年2月の人類学系研究会の案内(於:立教大学池袋キャンパス)

2018年02月03日 21時21分48秒 | 文献研究

1.宗教人類学研究会 第10回研究会
【日時】2018年2月16日(金)17:00~19:30
【場所】立教大学池袋キャンパス 15号館(マキムホール)10階 M1010
【テーマ】著者を囲んで~浅井優一著『儀礼のセミオティクス:メラネシア・フィジーにおける神話/詩的テクストの言語人類学的研究』~
【ホームページ】http://religious-anthropology.blogspot.jp/2017/11/102018216.html
【問い合わせ】katsumiokuno@rikkyo.ac.jp  参加希望の場合、事前にご連絡いただけると有難いです。  

2.マルチスピーシーズ人類学研究会 第16回研究会
【日時】2018年2月26日(月)13:00~17:30
【場所】立教大学池袋キャンパス 12号館2階 ミーティングルームA,B
【テーマ】インゴルド的なるものの人類学的現在
【ホームページ】http://www2.rikkyo.ac.jp/web/katsumiokuno/multi-species-workshop16.html
【申し込み】2月23日まで katsumiokuno@rikkyo.ac.jp
 
 
 
 

『森は考える』を考える

2015年06月20日 09時11分33秒 | 文献研究

2014年春、マレーシア・ペナン島(ジョージタウン)を旅した。
バスの車窓から、「THINK CITY (都市を考えよう)」という巨大な看板を目にした。
その時、私は、その前年に刊行されたコーンの著書『How Forests Think(いかに森は考えるか)』を読んでいた。
人間が都市を考えるのではなく、森が考える本だ、その巨大な落差。
それは、「人間なるものを超えた人類学」を提唱する、ラディカルなポストヒューマンの民族誌だった。
先ごろ、その本を読むためのヒント、読解の可能性を記したブログを新設した。

『森は考える』を考える ~How Forests Thinkを読む~


「来たるべき人類学」Vol.2.

2013年05月30日 12時12分21秒 | 文献研究

「来たるべき人類学」の投げ込み冊子の第2号が出ました。小田マサノリさん、片岡樹さん、大石高典さん、三者三様、それぞれの人類学に寄せる思いがつづられていて、愉しい仕上がりです。お三方には、この場を借りて、寄稿に対して謝意を表します。スキャンした冊子の歪み具合が素人っぽくて微妙ですが、第3号が出るかどうかも、予算の関係で、いまのところ微妙です。
来たるべき人類学・第2号
写真はネパールのポカラから見たヒマラヤですが、この本文と何ら関係がありません、念のため。

 


セデック・バレ

2013年05月28日 15時21分12秒 | 文献研究

最近、2週つづけて、公開中の台湾映画『セデック・バレ』(前編・後編)を観にでかけた。日本統治時代の1930年(昭和5年)10月に、台中州能高郡の霧社で、原住民セデック族によって企てられ、134人の日本人が殺害された抗日暴動、いわゆる「霧社事件(ムシャジケン)」が扱われいる。その事件の顛末が、セデック族の側から描かれている、見応えのある映画である。個人的には、狩猟民セデックの描かれ方に強い関心がある。首草して、首を手に入れて顔に刺青を入れ、一人前の男となり、ようやく、死後に、虹の橋を渡っていくことができるという、セデックの男の理想が、一連の暴動の背景に丹念に描かれる。それらは、民族誌的な事実であるのかどうか分からないが、狩りや首狩り、入れ墨の習慣があることなど、ボルネオ島の諸民族とじつによく似ている。言葉の響きも、同じオーストロネシア語族ゆえ、似ているのであろう。狩り場である森を裸足で駆ける姿は、私の調査地で見かけるものと差はない(写真は、パンフレットから)。眩いばかりの緑の森の映像もまた、素晴らしかった。モーナが、頭目として、マヘボ社の行動を決める前に、虹のかかる滝で、死んだ親と交信して、かけあいの歌を歌うスピリチュアルなシーンがいい。


ひとはいかにしてエクス・アンソロポロジストになるか

2012年12月11日 18時36分30秒 | 文献研究

週末にイルコモンズのクラクラするような発表を聞いてから、文化人類学について妄想している。
来たるべき人類学第2回の集い
文化人類学とは何なのか?
本質的には、反・支配の学、周縁から中心を見つづけるための学問や態度のこと?
だとすれば、不安定性や弱者の抵抗を内在化してこそ、文化人類学ではないのか。
中央の定位置に安住しているものは、文化人類学にあらず。
他の学問と並列に置かれて、学問の制度のなかで消費されてはならない。
それは、莫言の描くアンチ探偵小説『酒国』のような、アンチ学問なのか?
さにあらず、文化人類学は、定位置に安住してしまっている。・・・とも言える。

 

 

 


アントロポロギ

2010年04月10日 10時02分35秒 | 文献研究

薄曇のなか今日の桜の美しい林の近辺の桜は少し散りかけている。ところで、わたしが1年間の海外サバティカルから帰国すると桜美林大学に文化人類学専攻なるものができていた。出発前はそういった専攻の名前は案さえ挙っていなかった。文化人類学を専攻する学生が30名(1100人中)というのは多いのか少ないのか、全体としては、いまのところ、33専攻のうち人数的には、半分くらいの位置である。はじめての専門課程の学生(3年生)を出す予定の2009年度の年初めに、専攻の学生を集めて、桜美林大学学生文化人類学研究会(Obirin Student Society for Anthropology:通称OSSCA)を組織し、学生主体で協力し合って活動を開始し、講演会や活動報告のための冊子を作成した。その成果、アントロポロギ』(創刊号2009:写真)の特集は、「恋愛の人類学」である。本田透さんと池田光穂さんをお招きして、2009年12月16日に開催した、講演会「恋愛の人類学~二次元恋愛は現代の恋愛への宣戦布告か?~」の講演会記録と学生によるエッセイが主要記事である。二次元恋愛はオタク文化によって生み出された近年の現象では必ずしもないという論点との関わりで、個人的に、後になって思い出したのは、落語の『幾代餅』という演題である。搗米屋の奉公人・清蔵は、絵草紙を見て吉原の花魁・幾代太夫に恋煩いをする。その落ち込みを見かねた親方は、1年間みっちり働けば、その金でその花魁を買いに連れて行ってやると清蔵をなだめる。清蔵は、1年後、病気治しよりも女郎買いのほうが巧い医者に連れられて、野田の醤油問屋の若旦那とのふれこみで、幾代太夫に会い、思いを果たす。花魁に「今度いつ来てくんなます」と問われた清蔵は、自分は搗米屋の奉公人にすぎないし、1年間金をためてやっとあなたに会いに来れたのであって、もう来れないと正直に言うと、その言葉に打たれた幾代太夫は、来年3月に年季奉公が明けたら訪ねて行くので、女房にしてくれと応えた。舞い上がってしまった清蔵は奉公先で仕事が手につかない様子で、来年の3月のことばかり考えていて、3月と呼ばれても返事をする始末。3月になると、幾代太夫は約束通り搗米屋を訪ねて来て、清蔵と夫婦になる。その後、二人で幾代餅という餅屋を開いて、それがその両国名物の餅の由来だという話(古今亭志ん生)。二次元空間に描かれた存在に感情移入する、恋愛感情を抱くというのは、たしかに人類社会に広がりをもった現象なのかもしれない。清蔵の場合には、二次元を介して、その先にいる三次元の存在にこそ思いを抱いたのであるが。冊子『アントロポロギ』創刊号は、160部ほど印刷して、主に、学生向けに配付する。学生の手作りの感じが、逆に、なかなか新鮮でいいかも。この件についての問い合わせは、次のメールアドレスまで。ossca_obirin@yahoo.co.jp 学生研究会の本年度の活動はすでにスタートしていると聞いている。なんでもテーマは「この世とあの世」(「世界のこちら側とあちら側」)だと聞いている。学内で興味ある学生はぜひ参加してほしい。

志ん生の「幾代餅」はアップされてないので、かわりに「風呂敷」の名演
http://www.youtube.com/watch?v=GsS4B-G04I8&feature=related
OSSCAブログ(更新なし?あちら側と交信中?)
http://ossaobirin.blog11.fc2.com/


新刊書案内:人間の人類学

2010年04月09日 23時40分12秒 | 文献研究

中野麻衣子+深田淳太郎共編
『人=間(じんかん)の人類学:内的な関心の発展と誤読』はる書房発売
2010年3月31日、定価2000円+税、
ISBN978-4-89994113-5

民族誌の実践とは、場の偶有の共有から始まるプロセスであり、同時に経験の具体性を拠り所とする営みであるに違いない。飲酒と死、死霊と生者、歴史語り、ポトラッチと情報、自己と心、動物と禁忌、消費競争、貝殻貨幣、遊牧民と市場、半男半女の仲人・・・・・多様な民族誌の現場から、人と人、人ともの、ものとものの「あいだ」を描き出す(表紙の帯より)。

第1部 死
 第1章 酒に憑かれた男たち
 第2章 死霊と共に生きる人々
第2部 民族
 第3章 インドネシア・ブトン島ワブラ社会の歴史語りの民族誌
 第4章 ポトラッチの行方
第3部 関係
 第5章 自己と情緒
 第6章 ボルネオ島プナンの「雷複合」の民族誌
第4部 もの
 第7章 バリにおける消費競争とモノの階梯世界
 第8章 トーライ社会における貨幣の数え方と支払い方
第5部 接合 
 第9章 取引費用の引き下げ方
 第10章 Pan kung ma--the Matchmaker of Tebidu

共編者および執筆者のみなさま、企画から出版に至るまで、たいへんお世話になりました。いろいなことがありましたが、この本づくりは、けっこう楽しかったです。ありがとうございました。わたしたちの先生の導きに特大の感謝を込めて。各論考にコメントを寄せていただいたIさんにも、感謝します。
利益なしで、当初の企画段階よりも立派なものに仕上げるよう努めてくださった編集担当者のSさんにも、この場を借りて、謝意を述べさせていただきます。


レヴィ=ストロース・ブックフェアー

2009年12月01日 08時26分19秒 | 文献研究

昨夜、四ツ谷の授業の帰りに、田口ランディの著作の買いだめのために、紀伊國屋新宿本店に立ち寄った。「レヴィ=ストロース100歳ー文化人類学の一世紀」と題するブックフェアをやっていた。死去についての言及はあるものの、生きた期間が強調されていた。レヴィ=ストロース関係の催し物もやるようだ。
http://bookweb.kinokuniya.jp/bookfair/levi01.html#1


『ホモ・サピエンスの牢獄』を読んで

2009年06月01日 21時26分58秒 | 文献研究

腰痛の養生のため、今学期はじめて平日自宅にいた。昨日、タイトルに引かれて本屋で買った『ホモ・サピエンスの牢獄~人類の進化を哲学する』(甲田純生、ミネルヴァ書房、2009年)を読んだ。本の最初のほうでは、人類の誕生前夜から、二足歩行や火の使用、埋葬などの人類の進化上の特徴を論じている。二足歩行は、重力への抵抗であり、その後の高層建築へとつうじる歴史の原点であるとの指摘は、スリリングである。さらに、二足歩行によって、男性器は目立つようになり、女性器は隠れるようになったと、著者はいう。つまり、二足歩行によって、「隠す」ことが、意味を持つようになったのである。著者は、「隠す」ことの本質を捉えて、禁止の侵犯というバタイユ的主題へと向かう。火の使用の起源に関しては、バシュラールを援用しつつ、火を起こす摩擦運動とセックスが、ある律動をともなって、人類に快楽を与えるという点で共通することに触れている。その後、著者は、ネアンデルタール人が、埋葬を行っていたという考古学的事実を手がかりとして、彼らの時間構成の能力と夢見の可能性、さらには、「無意識は言語として構造化されている」というラカンに拠りながら、ネアンデルタール人の言語使用の可能性にまで踏み込んでいる。このあたりの思弁は、ひじょうに面白いが、認知考古学、とりわけ、ネアンデルタールをめぐる近年の研究(例えば、ミズンの研究など)を、著者がどのように読み込み、取り入れたのかという点については、大いに疑問が残るところである。著者は、後半部分で、ホモ・サピエンスが、バルトやフーコーを手がかりとして、言語によって、自らをがんじがらめに、金縛りにしてゆくさまへと踏み込んでいる。さらに、知と自由を拡大し、弁証法的な啓蒙を続けてきた人類が行き着いたのが、戦争やテロリズムなどによって、もっとも野蛮な世紀となった20世紀であるという逆説的状況を主題化したアドルノとホルクハイマーに近づきながら、著者は、現代の<マトリックス>という概念で表象される、ヒトに自覚されにくい支配状況へと至り、オウム真理教の権力システムを手短に論評している。この本は、自然から文化への移行という、レヴィ=ストロース的主題を論じているように思えるが、残念ながら、本文中には、レヴィ=ストロースへの論及はない。あとがきには、本文で当然触れられてしかるべきレヴィ=ストロースへの言及が欠けていることと、そのことの理由が手短に述べられている。この本が、物足りないのは、その点にあるのだと言えないだろうか。もっとも、著者も、すでにそのことに気づいているようではあるが。この本が興味深いのは、そういったレヴィ=ストロース的な人類史のテーマに挑戦しているからではないだろうか、とわたしには思える。また、別の点から言えば、この本がユニークなのは、これまで哲学者が取り組まなかった観点から、人類史という土台の上に、人間の思考を哲学するという構えをもつ点にあるのではないかと思う。先史学や人類学の文献の緻密な読解をつうじて、この本に今後、厚みと深みを加えられることを期待したい。総論的に述べれば、人類の誕生から説き起こし、無意識や言語の問題を扱い、現代社会におけるマトリックス的状況へと誘われるうちに、知らず知らずのうちに、哲学の問題系に触れさせられるという、不思議ではあるが、考えさせられる本である。

(サルの丸焼きの頭の部分;プナンのフィールドワークより)
 


人類学私的メモワール

2008年01月06日 17時16分33秒 | 文献研究

1.人類学的思考の現在

『人類学的思考の歴史』(竹沢尚一郎著、世界思想社、2007)は、人類学的な思考とはどのようなものだったのかを丁寧に跡づけた、他に類を見ない、驚くべき篤実な研究書である。どのページも、批判的なまなざしにつらぬかれており、それぞれの読み解きは深く、光を放っている。わたし自身は、19世紀から20世紀の初頭にかけてイギリスにおいて、人類学思考が誕生し、同時並行的に、フランス社会学の流れを汲んで、レヴィ=ストロースによる人類学が勃興し、さらには、アメリカに舞台を移して、ボアズの弟子筋にあたる人たちによって、アメリカの文化人類学が形成されていった過程の記述検討に、特に、迫力があるように思われた。最終章、第10章「世界システム論と人類学」は、アフリカにおける人類学研究から世界システム論へと向かったウォーラーステインの業績を踏まえて、世界システム論的な観点から生み出されてきた民族誌研究の成果を取り上げて、民族誌をベースとした、人類学内部からの「内破」的な問題の提起になっている。宗教人類学に重点を置く(と語る)著者が、何ゆえに、そのような突破の試みを最終章に置いたのだろうか。そのことを、わたしは、にわかには飲み込むことができないでいる。それは、たんに、人類学の現在をどう捉え、そこに何を見ようとするか、それに何を託すのかについての考えの差であるのかもしれない。なお、そういったからと言っても、「これまでの人類学的な思考の流れを大きくとらえること」によって、「人類学の内外において、相互理解と討議のための場をつくりだそうという試み」(2ページ)を標榜する本書の価値は、いささかも低められるものではない。

2.わたしが考える人類学

わたしが考えている人類学とは、先人たちがすでに示してくれているレールの上を歩いていくことにすぎないのだが、しかしながら、その歩みは、そうとうにしんどいものであると感じられる、という偽りのない気持ちをあらかじめ述べておいた上で、川田順造と中沢新一という二人の巨人の影を踏むことにほかならないと、ひとまずは言っておきたい。そのような想いを抱いたのは、最近『文化人類学とわたし』(川田順造著、青土社、2007)を読んでいて、そこで展開されている主題が、対称性人類学』(中沢新一著、講談社、2004)に併走するように、いや、絶妙なかたちで、交差するように感じられたことに発する。両書の随所に論じられていることが、サラワクのプナン社会でのフィールドワーク以降に、わたしがためこんできた問題に共振していることを、確信したからである。一方の川田は、日本における文化人類学教育の「純粋培養された一代雑種」であり、文化の三角測量を提唱する、パワプルなフィールドワーカーであり、他方の中沢は、わたしたちの手の届くところに「知」をもたらしてくれた、かつてのニュー・アカデミズムの旗手であり、宗教だけでなく、経済や政治にいたるまで、幅広い関心と知識をタテ・ヨコ・ナナメに駆使して、人間を探究する思想家である。二人の思考は、それぞれ違う出自に発しながら、交差しているように思える。一方は、人類学内部から、他方は、人類学のへりから、レヴィ=ストロースを共通の基盤として。川田は、レヴィ=ストロースの弟子であり、中沢は、レヴィ=ストロースの最良の理解者かつ継承者である。しかし、その交差は、あらかじめ/その後に、二度と交わることがないであろう隔たりを含んでいるようにも感じられる。いずれにせよ、わたしが圧倒されるのは、両先達が切り拓いてきた人類学の構想の壮大さ、思弁の深さ、広がりである。

3.川田順造による

地球環境の破壊は、近年、切羽詰ったものとして喧伝され、国際政治の争点の一つにもなっているが、「自然を守れ」「地球環境を守ろう」という場合の、人間のアメニティー(快適さ)を保障するための自然という考え方は、あくまでも、人間中心的なものだと、川田はいう。「そういうことではなくて、もっと根本的に自然の中での人間の位置をどう考えていくか」(川田、前掲書161ページ)ということこそが、問われなければならないのだ。川田の思考には、自然のなかでの人間の位置づけという、レヴィ=ストロースの流れを汲む課題検討の意識が深く根づいているように思える。そのことを考えてゆくための「人間中心主義」の操作モデルを、川田は、以下の四つの型のなかに整理している。第一に、人間も自然のなかに、自分の意思ではなく存在し始めた生物のうちの一つであって、人間は、自然のなかで受動的な存在であるという意識をもつような捉え方(①「自然史的間中心主義」。第二に、人間は人間を中心に生きていくのが自然であるし、そのためにほかの動物を家畜化したり、それを殺したりしても当然であるというような、わたしたちがごく常識的に抱いているような見方(②「自然史的人間中心主義」)。第三に、全知全能の神が自分の姿に似せて人間をつくり、人間に役立てるために他の動物や植物をつくった、つまり、人間は、神によって他の動物を支配し、食べてもいいとしてつくられたというような考え方(③「一神教的人間中心主義」=「創世記パラダイム」。そして、第四に、アニミズムなどに裏打ちされるような、間世界のものを人間による比喩的な投影で擬人化し、それに働きかけたり、それにお供えをしたりして願い事をするような捉え方(④「汎生的世界像」)。これらのうち、「いままで世界を制覇して、いまもグローバル化の中でいちばん力をもっている一神教的人間中心主義は、どうしてもやめなければいけない」(167ページ)と述べて、川田は、ヒトだけが、確信犯的に、自らを自然のなかで突出して生かしていかなければならないとするヒト中心主義、とりわけ、「創世記パラダイム」のヒト中心主義を攻撃する「自己中心主義」「自民族中心主義」「地球中心主義=天動説」というような狭隘なセントリズムは、これまで、ヒトの聡明さによって否定されてきた。次に乗り越えなければならないのは、西洋近代を支えてきたヒト中心主義であることを、川田は強調する(155ページ)。そのために、ヒトの快適さのためにではなく、ヒトとヒト以外の生物の間にあるべき掟を探る努力をすること、つまり、「種間倫理(interspecific ethics)」を探求することこそが、わたしたちの最重要課題となるのだ。ひるがえって、農耕・牧畜を種とする食料生産を選び取ったヒトは、生産性と能率性と安楽性、もっと多く、もっと早く、もっと楽にという欲望の三原則を駆動力として、わたしたちは自ら、地球環境の危機をつくり上げてきた。その意味で、「私たち『生産性・能率性・安楽性』の権化が世界の辺境に追いやった採集狩猟民の知恵に、私たちが学ぶべき点は多はずだ」(66ページ)という。

4.中沢新一による

いくぶん現世的な匂いを放つ川田の構想に対して、中沢は、人間の思考を、「対称性の論理」である神話的な思考から、「非対称性の論理」であるアリストテレス型の論理や一神教的(=キリスト教的)な形而上学が未分化であった時代にまでさかのぼって、ホモサピエンスの「心」の基体にまで純化させた上で、語りはじめる。前出した川田の攻撃目標の一つである「創世記パラダイム」は、たしかに、中沢の問題意識の中心にも、どっしりと鎮座している。ところが、中沢は、それを、わたしたちが真正面から取り組むべき課題として指し示すのではなく、レヴィ=ストロースの流れを汲みながら、それ(=「創世記パラダイム」)が、抑圧してしまったのだけれども、不動の作動を続けている基体(=「対称性の論理」)との関わりのなかで明らかにしようとする点で、川田に比べて、純度が高いと同時に、より神秘性を含んでいるように感じられる。
「人間と熊はかつて兄弟であった」という語りは、「A≠非A」をベースとするアリストテレス型の論理では破綻していて、分裂ぎみに映るが、同時に、じつは、わたしたち人間は、そのような神話的な語りを聞くと、胸の奥から、不思議な感動のようなものがこみ上げてくるという奇妙な存在でもある。そのような神話に対する感動という情動こそが、ニューロンの組み換えによって、流動的知性を獲得した現生人類の「心」の基体であり、人間と自然が対称的に、溶け合って存在することを前提とする対称性無意識なのである。対称性無意識は、「非対称性の論理」が支配する世界からは、分裂症的な情動障害のように見えるのだ。そして、そのような領域は、「無意識」として一括して抑圧されることによって、地球上の人類の思考が形而上化されて、「非対称の論理」が支配するような、今日の科学と経済のグローバルな時代が立ち現れてきたのだと、中沢は考える。その意味で、わたしたちには、「対称性の論理」の原型を、「A=非A」をベースとするような、文字をもたない、国家をもたない社会の知識の体系のなかに探り出す可能性が残されているのではないだろうか。「人間と動物のあいだには神話的思考が発見した対称性の関係があるために、狩猟民の世界には動物の乱獲もおきなかったし、動物たちの暮らしている領域をみだりに人間がおかして、彼らの生存をあやうくするなどという危険が発生することもまれでした。つまりそこでは、動物たちにたいして、自然にたいして、人間はきわめて『倫理的』なふるまいをしていたわけです」(中沢、前掲書154ページ)。川田のいう「種間倫理」とは、「A≠非A」ではない、つまり、人間が熊でもあるというような神話的思考が行われるような「A=非A」世界において、自然なかたちであふれ出るよりほかになかったということになる。そのようにして、中沢にとって、対称性無意識とは、人類の「心」の働きを生み出している「自然」にほかならないのである。そのため、逆に、「形而上学化された世界をもう一度、対称性無意識の働きによって『自然化』する必要がある」(295ページ)ということになる。

5.交差のその先へ

①「ヒト中心主義、とりわけ、創世記パラダイム的な人間中心主義に対する批判と、それを乗り越えるために『種間倫理』を探求しようとする」、やや現世的なおもむきのある川田順造の構想は、②「『非対称性の論理』をつうじて世界を構成しているわたしたちが、抑圧することによってその自由な活動を奪ってしまったけれども、作動し続けている『対称性の論理』へと到達し、動物や弱者を思いやる態度に満ちあふれた神話的思考に光をあてようとする」、純度が高いがゆえに神秘的でもある、中沢新一の構想に交差し、もつれ合う。ふたたび、人類学に何を託すのかという最初の問いに戻るならば、そのようにして交差する両者の構想を引き継いで、わたしが取り組んでみたいのは、「創世記パラダイム」/「非対称性の論理」が幅を利かせるようになる世界より以前の狩猟民の共同体において、どのような「心」の基体が見られるのか、作動していたのかを、抉出することである。それを、現代の狩猟民社会でのフィールドデータに基づいて、取り組みたいのである。サラワクのプナン人は、そのようなテーマに見通しを与えてくれるような気がする。なぜならば、彼らは、学校があっても学校には行かないし、向上心みたいなものはないし、反省はほとんどしないし、嫌になったらすぐに別のキャンプに行ってしまうし、マルクスのいうような「なまけもので、あらゆる持ち物を、またそれ以上に使い果たしてしまうくずども」(中沢、前掲書287ページより孫引)のような、「分裂症」ぎみの人びとだと思われるからである
。彼らの「心」の基体へと、なんとかより深く接近することができないものかと考えている。

(写真について:人間はサルではないから、近寄ったり、目を合わせたりしてはいけないぞ!「非対称性の論理」は、つねに、わたしたちの身近にある。奥比叡ドライブウェイの山中にて撮影)


すべての実在を引き受ける不在への態度

2007年12月29日 22時57分40秒 | 文献研究

私用でここ数日関西に留まったが、今日は少しだけ時間があったので、雨のさなか、宇治の平等院に足を伸ばした(写真は鳳凰堂)。極楽浄土をイメージした鳳凰堂の仏教芸術の素晴らしさとその展示の巧さについてはとりあえず置いておくとして、平等院の鳳凰堂が、今から954年前の永承8年(西暦1053年)に建立されたという歴史的事実について、あるいは、その事実の時間了解について、以下、できの悪い覚書。

浄土教の影響を受けて、平安時代の仏師・定朝によって、阿弥陀仏坐像が作られ、さらに、壁には、天女のような雲中供養菩薩像52体が掲げられているという、拝観時の解説者の説明を、わたしは、納得しながら聞き入ったのであるが、はたして、わたしは、どのような態度において、わたしが直接には想起しえないような、そのような歴史的な事実を承認したのだろうか。いいかえれば、わたしは、わたし自身が直接観察したことがない事柄を承認したことになるのだ。

そういうふうに考えるのは、わたしが最近読んだ『「時間」を哲学する:過去はどこへ行ったのか』(中島義道、講談社現代新書、1996)のまったくの受け売りである。

中島義道は、そのようなわたしが直接知覚しえない過去の事実を承認する態度について、以下のような語り口で説明しようとする。

 現実世界のほとんどをあなたは現に知覚していない。しかし、その不在を含めてそれが実在していると了解している。なぜ、こんな了解ができるのか。それは、・・・(中略)・・・あなたが現在するものではなく現在しないもの・不在のものを通して、すなわち「不在への態度」を通して実在性という概念を了解しているからです(151ページ)。

 「ああ今日は暑かった」とふと語るそのときに移行がなされるのです。昼間の暑い体験を過去形の文章でとらえることによって、それが「もはやない」ことを言い表している。つまり、涼しいという現在体験に加えて不在としての暑さの体験をそこに現出させているのです(158ページ)。

 たしかに、数百億年昔のビッグバンを私は想起できませんが、過去とは何であるかを思い起こしてみると、それは同時に「不在への態度」が開かれる場であり・・・(中略)・・・ビッグバンが「あった」ことを私が承認することは、昨日起こったはずの直接経験しない膨大な事象を私が承認することとまったく変わらないのです(167ページ)。


本を読んだときには分かったような気がしたけれど、抜書きしてみると、なんだかハッキリとしない。その「不在への態度」とは、いったいどのようなものであるのだろうか。

それは、例えば、男女が恋愛する過程で、お互いの過去について、虚飾や嘘や思い違いも含めて、話し合う。二人はお互いに、間接的に聞いたことだけを承認するのではなくて、まだ見ていない聞いていない過去の事柄について、必要であればいつでも承認しようとする態度をもっている。つまり、そのような「間接的にさえ私が体験しなかった事象に対しても、それが過去に実在したということをいつでも承認する態度」(121ページ)こそが、「不在への態度」だという。わたしたちは、そのような「不在への態度」を介して、すなわち、「自分が体験したことと並んで自分が体験したのではない膨大な事象が過去に実在したことを、いつでも受け入れるような態度」をもって、過去を経験する、時間を了解するのだという。つまり、そのような「不在への態度」をもって、わたしは、平等院の建立という過去時間を了解したのである!(へ~)。

そのような中島の哲学的な時間論の観点からは、時間を運動する一本の線のようなイメージで捉える物理学の時間論は批判されることになる。時間は、過去に、未来にわたって、どこかにあるわけではない。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/89fbb126046408689404d6d26075e93e
さらには、そのような物理的時間を括弧に入れて、現象学的な態度に基づいて、過去・現在・未来を捉える立場も同様に批判される。「不在への態度」こそが、時間了解の基礎だという。

中島義道の時間論が面白いのは、物理学や現象学が前提としているような客観的な時間の次元あるいは秩序に対する特有の視点である。それは、「時間が速く過ぎ」たり、「遅く過ぎ」たりすることに対することへの説明に端的に表れているような気がする。

 一般に、過去の客観的「遠さ」とその感じにはいつでもずれがあるのです。三年前のことが一年前のことより「近くに」感じられたり、二〇年前のことが三〇年前のことより「遠く」に感じられたりすることは
しょっちゅうです。われわれは、じつのところカレンダー・日記・新聞・写真・テープ・他人の証言などさまざまな証拠によって、さらに因果関係を適用し推理をたくましくして、実感にさからって客観的順序をつけるのです。
 ここに見えてくることは、実感にさからって客観的順序をつけるからこそ、実感にもとづいて「もうそんなに経ってしまったのか!」という詠嘆が生まれる、ということです。つまり、時間の速度とは過ぎ去った過去時間の客観的長さと主観的長さ(実感される長さ)との「ずれ」を表現するさいに登場してくるらしい(66ページ)。

過去の時間は、必ずしも、客観的な線の上にはない。実感として、つねに、ぼんやりと感じられたり、間近に感じられたりするものである。それを、わたしたちは、客観的な時間の秩序の上に位置づけた上で、それとの距離の「ずれ」を語っている。人間の時間経験のなんたる「過剰」なことか!

ところで、わたしが、時間の問題に特大の関心を抱いたのは、サラワクのプナンの時間感覚に大きな驚きを感じたことに由来する。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/d87380cfa38c8884cb317393612e757c
はたして、上のような哲学的な考察が、わたし自身が抱えている、「時間の起源」「時間観念の発生」をめぐる問題にどのような方向を与えてくれるかという点について、いまだに整理できていないが、中島義道は「時間という不在に対する態度」という言い方で、以下のようなことを述べているので、そのことを、最後に書き留めておきたい。

 農業が可能であるためには膨大な「認識」が必要です。かつての試行錯誤における太陽や気温や水や害虫との関係を憶えていなければならない。「いつ」種を蒔き、「いつ」水をやり、「いつ」除草し、暴風雨のときにはコレコレ、害虫が発生したさいはコレコレ、日照りの場合はコレコレ・・・・・という膨大な経験則の上に、はじめて稲作は可能です。眼前のチョロチョロ生える稲は、これから来るべき害虫や疫病や日照りや台風といったおびただしい「不在のもの」への態度に裏打ちされて収穫に至らねばなりません。それは、人間が過去の気象状況や害虫発生状況などを記憶していることであり、またそれを未来に向けて予期することでもあります。つまり過去のデータを未来に延ばすことです。・・・(中略)・・・
 思い切り具体的に語りますと、われわれ(個体や種)を生かすものや殺すものこそ実在であり、しかもそれに関する不在への態度、つまりただちに飛びかかったり逃げたりするのではなく、時間的空間的距離をおいて熟慮してそれに迫る態度が「認識」なのです。こうした態度で時間に対することが、とりもなおさず客観的時間を「認識」することなのです(46ページ)。

中島義道を援用すれば、間接的にでさえわたしが経験しえなかった事柄についても、それが過去に、さらには未来において実在した(するであろう)ことについてじっくり考えた上で、日常の暮らし(=生業)のなかへと経験的に組み込んでいくようなことが、客観的な時間を認識し、了解することへとつながるということになるのかもしれない。


肥大化する自己、人類学の低迷、時間の物理学

2007年12月26日 14時03分55秒 | 文献研究

竹沢尚一郎先生は『人類学的思考の歴史』(2007年、世界思想社)のなかで、物理学を修め、海水中の色の知覚について博士論文を書いたフランツ・ボアズの関心は、事象を一般法則のなかに還元しようとするものから、個別事象に対する愛着をベースとして、地理学に対してひきつけられていった、というようなことを述べている(211ページ)。20世紀初頭のアメリカにおいて、経験主義的なフィールドデータを重視し、進化主義的な思潮に反対して、文化相対主義を唱えたボアズ。その弟子たちには、ベネディクトやミードがいた。彼女たちは、異文化研究において、「他者」を、肥大化したアメリカ的な「自己」をやしなうための一手段にまで切り下げてしまった(238ページ)。文化人類学は、アメリカの政治状況と結びつくことによって、安っぽい「アメリカ文化論」へと成り下がったのである。ひじょうに興味深い見解である。

ベネディクトやミードがリードした前世紀半ばのアメリカの文化人類学。それは、どこか、わたしたちの時代、特に、日本の文化人類学を取り巻く状況に似ていないだろうか。肥大化した日本の文化の現在をやしなうために、他者は対象化される。結果として、他者は、わたしたちの視界から消えてしまう。紛争状況のなかで生命の危機にさらされ、貧困や飢餓にあえぐ他者たちは、現代日本の若者のヒロイックな自己実現のための対象や道具となっている。地球温暖化問題は、バイオエタノールの生産や削減電力の企業間トレードなどを介して、千載一遇のビジネスチャンスと捉えられて市場化され、気候変動の影響を受ける他者たちは置き去りにされて、どんどんと活動だけが肥大化していく。文化人類学も、基本的には、そういった現代の思潮におもねったかたちで他者に接近している。そのために、悲しいことに、文化人類学は、現在、時代をリードする学問であるという状況にはない。

いったい、なぜ文化人類学は、こんなにも、ダメ学問になってしまったのだろうか。第一に、学問そのものに、ワクワク感がなくなってしまっていることがある。文化人類学をやっている人たちのなかには、ほんとうに楽しいからやっているのか、疑問に思えるようなうような人たちがたくさんいるように思えたりする。
それは、文化人類学が、学問の内部に逼塞してしまったことに一因がある。自らの立ち位置をこそ問うという、ワケの分からない学問になってしまったのである。

しかし、本来的には、文化人類学は、けっして、そういった学問ではなかった。他の学問領域に、開かれていた。他の学問領域のいいとこ取りをしてきたのが、文化人類学だった。その意味で、科学や文学の研究や成果から、ヒューと抜け出して、文化人類学にスライドしてきたという、かつての文化人類学者たちの出自のありようを思い起こしてみる価値は、大いにあるのではないだろうか。例えば、ボアズの物理学への関心が、どのようにして、文化人類学の関心を生み出したのだろうか、と。

ボアズの固有の関心はとりあえず傍らにおいて、一般に、物理学は、世界をどう捉えるのか、という問いに支えられている。それは、他者を介して、文化人類学がもっている問いと同様のものである。わたしは、いま、余剰次元に関するリサ・ランドールの本(『ワープする宇宙』2007年、NHK出版)を読んでいる。この本は、門外漢の者にとっては、すんなりと理解できないところがところどころあるが、じつにワクワクする本である。余剰次元の発見の予感に、じつは、著者自身が、一番ワクワクしているのではないかと思える。ワクワク感の点で、いま、文化人類学は、
物理学とたたかったなら、対戦成績は2勝13敗くらいで負けるだろう。

線的な移動を可能にする一次元。平面的な移動を可能にする二次元。二次元に上下が加われば三次元となる。わたしたちは、三次元に住んでいるため、四次元、五次元・・・というより高次の次元については、単純なかたちで、想像することができない。逆に、ふつう、三次元より低次のものについては、捉えることができる。影絵の三次元的な人形が壁に射影された場合、二次元的な影となるし、わたしたちは、三次元的な世界にいながらにして、サム・ロイドの「15パズル」をして、文字を並びかえて語=意味をつくり出す。そのことによって、プラスチックの囲いのなかに二次元世界を閉じ込める。遠くに見える
山々は三次元のつらなりであるが、夕日に照らし出されて、それらが重なり合ったときに、二次元的に、ひとつのかたまりとして見えることがある。

それとは逆に、わたしたちはどのように、次元を上がることができるのだろうか。ベビーベッドのなかで、幼児は二次元的世界から立ち上がって、上下の方向を知り、三次元世界を自ら体験するようになる。
上下だけに二次元的な移動をするエレベータ。「ウォンカベータ」なるものは、想像上で、あらゆる方向に行くことができる三次元的なエレベータである。一次元が巻き上げられて二次元となり、同じように、二次元が巻き上げられて三次元となるという。はたして、三次元を超えた四次元とは、どのようなものなのだろうか。

わたしは、時間の問題を考えているうちに、消化不良ではあるが、余剰次元を含む、物理学の課題へとたどり着いた。中国人とイヌイットが(見た目)よく似ているということは、そもそも、二次元的な空間移動の問題である(イヌイットの祖先が、ベーリング海峡を渡って、アジアから新大陸へたどり着いた)。しかし、そのような空間移動は、移動する時間を内在化させている。その意味で、伝播とは、たんに、二次元的な空間移動だけでなく、時間であり、行動の歴史なのである。

いいかえれば、時間とは、空間的な次元(=三次元)に加えられる、もうひとつの次元でもある。
「時空は空間よりも次元の数が一つ多い、『上下』、『左右』、『前後』に加えて、時間を含めたのが時空である」(157ページ)。要は、わたしたちは、じつは、<時空>(=三次元空間+時間)のなかにいる。

そのような<時空>の感覚こそが、時を刻むこと、そのための機械である時計の発生のベースにあるのかもしれない。
他方で、時間感覚を身に着けることがなかったような、サラワクのプナンのような人たち。三次元空間における二次元的な移動、遊動のさいに、狩猟採集民は、<時空>の奥深くから突如として立ち昇るかのようにして現れる時間の次元だけを、<時空>から分離して、抽出したいというような衝動に向き合うようなことがなかった。それは、仮説的に述べれば、狩猟採集民が、時だけを飼い慣らし、管理するというような必要がなかったためなのではないだろうか・・・

(写真は、車に載って、狩猟に出かけるプナンの人たち)


「もののけ姫」から考える

2007年09月22日 13時59分16秒 | 文献研究

Kくん(24歳くらいだと思う)は、さる8月いっぱい、プナンの暮らしを体験して、ハンターになる(?)という野望を持つにいたったと、わたしに語ったが、彼が、狩猟民社会のフィールドワークに出かけてみたいと思うようになったそもそもの動機は、かつて観た「もののけ姫」にあったということを、フィールドワークが終わりに近づいたある日、聞いた。彼の熱い勧めもあり、帰国後、見よう見ようと思いながら、見ることができなかったのだが、ようやく、昨夜になって、「もののけ姫」のDVDを見ることができた。Kくんが、「イノシシを殺す場面を見たいと強く思っていた」こと、「たたら場を見たいと願った」ことが、なんとなく分かった気がする。前者は、Kくんの寝坊で、後者は、たまたま洪水があって見に行くことができなかったのであるが・・・

「もののけ姫」のなかでは、森のなかで、ことばを介して意思疎通する人間と動物たちの「神話的な世界」が描かれている。そこでは、動物たちが、人間と同じように、意思や心を持つ存在として描かれている。そして、動物たちは、森を破壊する人間に対して憎しみをつのらせて死にゆき、恨みの心を持って、「祟り神」になる。動物が、恨みゆえに「祟り神」になるとする考えの背後には、動物たちが「人間のために」死んでくれていると捉えるような世界観、世界の捉え方があるように思われる。そこには、人間側の都合で森を破壊し、動物の住み処を奪い、殺すことに対する罪悪感のようなものが見え隠れする。

そういった動物に対する人間の態度は、北東アジアから東アジアの狩猟文化に共通して見られる。捕獲したクマに対して、「南無財宝無量寿岳仏」と7度、「光明真言」を3度唱え、最後に「これより後の世に生まれてよい音を聞け」と唱えるような秋田県阿仁のマタギの習慣(田口洋美「クマを崇め、熊を狩る者」)、クマを仕留めるとクマの頭を東に向けて、「自分たちを恨まないでください」と祈りを捧げるアムール川の先住民の儀礼的なしきたり(上掲書)、アイヌのイヨマンテ(クマ送り)の儀礼など。
そのような儀礼や習慣のベースにあるのは、動物を殺すことに対する罪悪感なのではないだろうか。人間が罪悪感を持つからこそ、動物にとって理不尽な死を、動物が恨みへと転換することがないように、いましがた殺した動物に願い、祈るのだ。

他方で、プナン人たちの動物に対する態度には、罪悪感や、それをベースとした祈願というようなものは見当たらない。プナンは、動物にも意思や心はあるというが、動物が、人間によって、住み処を奪われたり、殺されたりすることに対して、恨み心を発する存在として捉えるようなことはない。つまり、彼らは、人間との関わりにおいて、動物のなかに蓄積され
やがてかたちをもって表出されるような「心」を読み取るようなことはない。プナンはよく言う。動物は、たんに殺して食べるだけだと。しかし、殺してから食べるまでの間に、動物をおとしめるような行為をしてはならないという、強いタブーも存在する。わたしは、それは、別のかたちでの、人間の動物に対する、素朴な敬意の表明であると考えている。

ところで、 「もののけ姫」では、森を破壊する人間の象徴として、たたら場が出てくる。それは、また、森の近くに陣取って、(石火矢によって)暴力を生み出し、富を生み出す「力」として描かれている。そのような意味で、たたら場と森の結びつきは深い。森を開拓して鉄を探し、木炭を燃やすからである。森の民プナンは、ある意味で、ボルネオ島の「たたら衆」である。それは、まずもって、プナンたち自身が、森の動物を殺し、料理することによって生きながらえてきたのであり、つねに、刀剣を必要としてきたからである。イノシシやシカなどの中・大型動物を解体するときには、切れ味の鋭い、手ごろな刀剣が欠かせない。そのために、彼らは、独自の鍛冶技術を発達させてきた。ジャングルの奥深くの川の中に赤い石を見つけて焼くと鉄になった、という昔話が残っている。
いまでも、プナンの家には、必ず、小さなたたら場が敷設されていて、周辺の他民族もプナンに刀鍛冶を頼みにやって来る。

動物に恨み心を読み取るにせよ(日本、北東アジア)、読み取らないにせよ(プナン)、人は動物との間に、広い意味における宗教儀礼をつうじて、倫理的な契約というか、規範とでもいうべきものを確立してきた。「もののけ姫」のなかで描かれているような、動物と人間との戦いは、動物と人間の間の倫理的な契約や規範が踏みにじられたり、危機に陥ったことを示しているのではないだろうか。 それは、まさに現代社会の問題でもあるのだろう。


とりいそぎ、メモの代わりとして。

(写真は、プナンのたたら場の風景。左上の男は、足ではなく手で、二つのふいごを組み合わせて、連続して送風している)