あらすじをまとめるならば、以下のようになるであろう。人類文明は、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争を引き起こした後に滅亡し、焼け跡から、瘴気が充満する腐海が発生した。腐海には、菌や蟲が棲息し、それらが人の生存を脅かし続ける。「風の谷」の王女ナウシカは、人類の栄光を取り戻そうとするトルメキア国との戦争を戦いながら、同時に、人類の生存をかけた蟲たちとの戦いにおいて大きな役割を果たす。
主人公のナウシカは、ギリシャ神話に登場する俊足で空想的な王女の名であり、それと、堤中納言物語に登場する、社会の束縛から逃れて、感性にたよりながら、野山を駆け回って草木や雲に心を動かした「虫愛づる姫君」をかけあわせながら、宮崎駿によって生み出された、創造上の少女である(映画のなかで、ナウシカがスカートの下にパンツを付けてないようだが、そんなことが、ことさら気になるわたしはヘンであろうか?)。
動物や王蟲と心を通じ合わせることができるナウシカは、世界のあちら側の存在とコミュニケーションできる存在としてのシャーマンの特質を備えている。それだけでなく、そのことによって、人心をひとつにまとめることができる点で、シャーマン=王(女)のプロトタイプなのかもしれない、みたいなことを考えた。
全編をつうじて、わたしがとりわけ興味深く感じたのは、この話のなかで、王蟲や胞子などの自然存在物が、知性や精神機能を持つような、人と同等か、いや、人よりも優位な存在として描かれている点である。そうした自然的存在物は、いや、それらこそが、千年もの間、腐海に住みつづけて、腐海を亡きものにしようとする人に反攻しながら、他方で、腐海の奥底深くに、完全なる自然を生み出そうとする営為を続けてきたのである。
そのことを、ナウシカが、はじめて発見したのではあるまいか。そうであるならば、作者の意図は、自然を、人間の考えが及ぶことがない、より崇高なる、オートポイエーティックな秩序や理性として捉えられるという可能性に開いてゆくことにあるのではないだろうかと、思いたくなる。取るに足らない花や自然のなかに、深い知性や秩序のありかを読み取ろうとした、レヴィ=ストロースやスピノザのように。
狩猟民たちの自然観は、ナウシカが捉えようとした自然の動きに近いような気がする。気のせいかもしれないが。そう考えると、腑に落ちる点がいくつもある。ナウシカの物語の先には、わたしたちのものではない、別の自然観を考えるための手がかりがひそんでいるように思える。
以前、宮崎駿映画のもののけ姫について考えてみたことがある
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