たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

キリスト教と人類学

2008年07月20日 22時09分30秒 | 宗教人類学

かなりひょんなことから、宗教人類学のシンポジウムを、キリスト教との関わりにおいて組織するようなこととなり、最初は、これは、かなり困ったことになったと思っていたが、厄介をお願いしながら、宗教学やキリスト教学の先生方に話をうかがったり、幾つかの本を読むうちに、そのような企画そのものが、じょじょに、けっこう面白いのではないかと思えるようになってきた。というのは、宗教人類学と呼ばれる領域自体が、じつは、はっきりしないというか、そもそも、かなり怪しい研究群だと思えるのだが、今日、宗教人類学の研究対象とされる宗教的な諸実践(シャーマニズム、呪術、オカルト、シンクレティズム、宗教f儀礼、トーテミズムなど・・・)は、西洋のキリスト教に対して、非西洋の未開「宗教」、「宗教」以前の野蛮な数々の実践などを取り上げることによって、次第にかたちをなしたという歴史的事実があるからである。西洋における倫理であり、道徳であり、日常のリズムである社会的事実であり、政治的な力であるキリスト教の精神と生活を土台とすれば、地球上の多様な文化のありように触れたとたんに、キリスト教世界で行われているものと同系・同様の特色をもつ諸実践を、とりあえずは、「宗教」と呼ぶことができたであろう。さらに、キリスト教から遠く隔たった誤ったり、未明であると思えるようなものに、偽宗教であるとか、原始宗教その他の名前を付けたり、キリスト教とローカルな実践が混淆したものを、習合であると読み取ったことは、自然のこととして、理解できる。また、ヨーロッパでは、キリスト教は、長らく、人びとの生活から切離されるものではなかったのだが、啓蒙主義時代(18世紀)以降に、一つの知的システム(=宗教)として捉えられるようになった。その背景には、魔女狩りや民間宗教などの差別化があったとされる。そのようなことは、宗教をめぐる人類学研究のなかで、すでに明らかにされていることであり(花渕馨也「宗教と呪術」『文化人類学のレッスン』所収)、わたしがいまさら、驚きをもって述べるべきことでもないのだが、いずれにせよ、上で見たような宗教をめぐる概念の成立のプロセスの根っこの部分に、キリスト教の精神と実践が密接に関わっているのだとすれば、キリスト教がどのようなものであるのかということについて考えてみることは、大元を問い尋ねるという意味で、いまとなっては、宗教人類学の重要な課題となりうるのかもしれない。

(写真は、プナンの女の子)


狩猟の起源

2008年07月19日 22時30分04秒 | 起源人類学

ペニス・ピンをペニスに付けるには、少なくとも、二種類の種類の知識を用いることになる。一つは、尿管を傷つけないように穴を空けて、先端に丸みが帯びるように削られた木をそこに付けるという技術的な知識。もう一つは、同時に、そこでは、それが、セックスにおいて快感をもたらすように設計されていなければならないとするような社会的な知識とでもいうべきものである。

木の上にある果実を取るためにも、いくつかの知識を組み合わせなければならないだろう。たんに木を登って行って、果実をもぎ取るのでは、一つ二つしか手に入らない。たくさん取るためには、木に登って、不安定な所から山刀を手際よく取り出せるように、あらかじめ、腰に適切なかたちで刀を結わえておかなければならない。果実が食べごろであるということを判断する博物学的な知識。食べ物を分け与えるという社会的な知識。木登りや刀を使うための技術的な知識。そのような知識を組み合わせることが必要になる(写真は、細い木を登って果実を取りに行くプナン人の男性の足。第一指と第二指を用いて木をたくみに挟んでいる)。

ところで、プナンの神話に出てくる、数々の動物の行動。それは、まるで人間のそれである。そこでは、動物をつうじて人間を語っているのか、あるいは、反対に、人間をつうじて、動物を語っているのかはっきりしない。少なくとも、神話を語るとき、神話を聞くとき、プナンの心には、二つの知識が交錯しているのではないだろうか。人間についての知識と、それを、動物の特性をつうじて理解する知識。あるいは、逆に、動物について知識と、それを、人間の特性をつうじて理解する知識かもしれない。比喩や類推がなされる。


ハンティングに出かけて、マメジカの姿を見かけたとき、草笛を吹き、イノシシがやってくるのを待ち伏せるとき、プナンは、いったい、何をしているのだろうか。彼らは、そこで、動物の行動そのものを認知しているのではなく、あるいは、動物の行動を認知するために、動物のなかに、人間を読み込んでいるのではないだろうか。端的に言えば、動物を「擬人化」して捉えている。

動物にも心があり、その心を読み取ることをつうじて行われるのが、<狩猟>なのではないだろうか。それは、死肉あさりにおいて、肉を解体するという技術的な知識だけを使っていただけでは、発達しなかった活動である。
狩るためには、動物の行動を読み取らなければならない。ハンターは、足跡を読み、食べ跡を読み、音を聞き、通り道を推論する。人間は、動物を人間と同じような心を持つ存在であるとして「擬人化」するようになったとき、<狩猟>へと向かうようになったのではないだろうか。

乱雑な考察。覚書として。


フィールドワークのエレガンス

2008年07月14日 13時29分22秒 | フィールドワーク

最近、弊学の副学長が、ある場で、「語弊があるかもしれないけど、かつて、大学教員は研究に向かっていればよかっただけだけれども、今日、それではダメで、学生への教育を充実させるということに、力を注がなければならない」というようなことを述べていた。聞いていて、う~ん、と思った。大学の仕事は、そんなカンタンに、研究か、はたまた、教育かという単純な図式において分けることなどできないと思ったからである。そのような発言の裏では、すでに、弊学では、とうとう、来年度から、一学期(セメスター制)30コマの体制へとシフトするということが決まっているという事実がある。現在、一学期あたり26コマくらいでやっているものが、4コマ増えて、授業期間が全体に1、2週間延びることになる。教育により多くの時間とエネルギーを注がされることになる。その結果、現実問題としては、ますます、研究に注ぐ時間が少なくなるだろう。こうした大学教員の大学教育への比重の強化は、弊学だけでなく、現代の日本の大学教育機関において、ここ数年、着々と進められているように聞いている。

人類学に引き付けて述べれば、いまでさえ、夏や春の休暇を利用して、途切れ途切れのフィールドワークしか行えない状況が、ますます時間的に、切り縮められてゆくことになると予想される。とにかく、年がら年じゅう鬱勃する学務(雑務)、委員会業務、父母会やオープンキャンパスなどによって、学生の教育に全身全霊の取り組みを求められて、物理的に、フィールドワークに行くことができないのだ。今のところの解決策は、それに抗って、出かけるしかないということである(おまえは、まだましだよ、実際に出かけられているのだから、というような周囲の管理職の先生方からの声が聞こえてきそうである・・・)。いずれにしても、ここで問いたいのは、ネオ・リベラルな社会が行き着く先の、知の集蔵・管理主体としての大学において、今後、いったい、どのような人類学が可能なのであろうかということである。しかも、フィールドワークというユニークな知の手法を手放さないで。

先週出席したある研究会で、途切れ途切れのフィールドワークをせざるをえない今日の人類学にとって親和的・適合的なフィールドワークを提起するだけでなく、人類学の社会貢献、社会的なアピールにも踏み込む可能性を示唆するようなフィールドワーク論を構想している若手の人類学者がいた。強引にまとめてみたい。国際開発の場面で、統計手法にたよるような調査のあり方に、人類学のフィールドワークは、質を追加する点は、
これまでも評価されてきた。しかし、そのことは、単純に、人類学の国際開発への社会貢献となっているというふうに理解してはならない。そういったかたちで、フィールドワークを、一方で、異文化をつうじて人間探究するための手法、他方で、応用的に社会貢献を目指すための手法という二分法によって捉えてしまうこと自体が、じつは、かなり硬直したフィールドワークの捉え方なのだという。それに対して、フィールドワークを、調査者と被調査者の間に生じる出来事の展開の面白さを軸にして、体験の多芸さを示す活動として捉えていくべきではないかという問題提起がなされた。その口頭発表は、飲み会ネタとしてくらいしか語られないフィールドワークでのさまざまな出来事、事柄を、人類学のフィールドワークの魅力として、可能性の方向に開いた上で、人類学を再編成していこうとする試みであったということができるかもしれない。たしかに、それは、実際問題として、人類学の行き方としては、一皮向けていると思った。なかなか頭がいいなと思った。時代要請に応えるという意味では、そのあたりに、人類学の未来があるようにも思える。

しかし、とも思う。彼自身、フィールドワークには、そうとう忘我的に取り組んでいるように思えた。ブラックアフリカで、ふと、自分のことを鏡で覗いたら肌が白かったというのに驚いたという話をしていた。その意味で、根っからのフィールドワーカーであることが、口頭発表からうかがえた。人類学者は、いったい何のために、フィールドワークを行うのだろうか。まさか、新たな、ポップな、フィールドワークを構築するために、フィールドワークをやっていたのではないだろうと、わたしは想像する。人間行動の文化的な意味、成り立ちなどを知りたいために、調査研究をしている(してきた)のではなかったのだろうか。時代に合わせる才は、たしかに、重要だろうと思う。しかし、人類学は、フィールドワーク魂とでもいうべきものを、そんなに簡単に、売り渡してしまっていいものだろうか。その点において、もう一方の霊長類学の重鎮の先生の発表に、わたしは、心を奪われてしまった。繰り出されたのは、霊長類のフィールドワークの話題。霊長類を人格的な存在として理解するという前提。その上で、彼は、対象の動物を自分自身の生活になぞらえることで、彼らの経験に近づくことができるのだという。すると、対象動物との共感が生まれ、外界がアフォードし、怖かった熱帯雨林がよく見えるようになったのだという。そのことによって、動物の意識へと近づけるのだという話であった。

フィールドワーカーが、対象との忘我的な同一化を経て、知的な発見を行い、そのことによって打ち震えている様子が分かって、読者は、打ち震えることになる。フィールドワークのエレガンスの一部は、そこにあると、わたしは思う。上で取り上げた若手と重鎮の話。フィールドワークの忘我状況に、大差はないと感じた。あるのは、現在に合わせて生き残っていこうとするのか、あるいは、フィールドにあくまで真理を追及しようとする姿勢なのかということであるのかもしれない。

(写真は、シングー川流域のログングロード)


宗教の、ありよう

2008年07月03日 23時16分32秒 | フィールドワーク
今月末から、帰国後三度、プナンのフィールドへ。フィールドには、1ヶ月居ることができるかどうか。今回の主要トピックは、「類比思考(言語)」というのを、いま、漠然と考えている。プナンが、類比によって、どのように世界を組み立てているのかということを、特に、言語の面から考えてみたいと思っている。プナンは、はたして、類比によって、何を、どのように、語っている(きた)のだろうか。そのあたりから、「儀礼」が、わずかな例外を除いて、ほとんど行われない、さらには、「呪術」的な思考が、潜在的にほとんどないような、プナン社会の「宗教」のありように、なんとか迫ることができないだろうか、というのが、目下、なんとなく考えていることである。これ以上書いていくとボロが出るので、今日は、このへんでやめておこう。

(写真は、狩られたメスザル)

レヴィ=ストロース以前へ

2008年07月02日 11時46分22秒 | 人間と動物

さきごろ山梨に行って、昨年の害獣被害はそれほどひどくはなかったが、しとめたサル一頭の買値が、2万円から2万5千円に引き上げられたという話を聞いた。現代の都市生活者としてのわたしは、日本の農村が抱えるそのような潜在的な問題を、そうした折に、ときどき耳にする程度である。そのことは、わたしが、いかに、動物でありながら、動物であることを忘れた人間の世界にどっぷりと暮らし、動物肉を日々食べているのだけれども、もはや動物に対しては、感情の揺さぶりをもされないで、生き暮らしているのかということを示しているように思える。その意味で、動物を愛玩すること、とりわけ、社会的な運動としてそれの愛護に執着することは、きわめて現代において屈折した、複雑な問題を秘めていると見ることもできよう。話を元に戻せば、そのようにして、動物たちは、この現代空間においては、わたしの脳から疎外されてしまっている。いったい、日本の農村地域の害獣被害の当事者の人たちは、どのように、日々動物たちと向き合っているのだろうか。そうした問題意識が、そもそも研究の出発点にある。

公開シンポジウム「セックスの人類学:動物行動学、霊長類学、文化人類学の成果」の、まだ冷めやらぬ興奮に包まれながら、わたしたちは、場所を移して、人間と動物の関係をめぐる比較民族誌研究の今後について、話し合った。動物と人間のセックスをつなぐ接点は、「獣姦」だったのではないかと、Sさんは呟いた。その研究集会で
わたしが確認できたことは、人間と動物の関係について、人類学の側から接近することは、レヴィ=ストロースおよびレヴィ=ストロース以前の人類学の問題関心へと遡ることだということである。自然や環境、生態ということばだけが独り歩きして、メガ・ポリティカルな運動へと地球市民を駆り立てるような今日の行き方を横目で見ながら、勝手にクールダウンして、人間が具体的な個々の場で、動物たちとの関係を打ち立てていたのかを、象徴やトーテム、コスモロジーなどをキーワードとして、つぶさに観察し、記述するたくらみ。そうした試みが、人類学をとおして、目指されるべきなのではないかと思った次第である。
http://www2.obirin.ac.jp/%7Eokuno/man-and-animal.html

(写真は、イノシシの睾丸。プナンはうまいという。たしかに美味である)


フィールドとのセックス~公開シンポジウム「セックスの人類学」を終えて

2008年07月01日 22時50分21秒 | 性の人類学

さる2008年6月28日(土)に、桜美林大学・国際学研究所主催、リベラルアーツ学群文化人類学専攻共催で行われた公開シンポジウム「セックスの人類学~動物行動学、霊長類学、文化人類学の成果」は、予想(せいぜい、70名くらいと予想した)を超える、のべ約100名の参加を得て、無事終了した。参加していただいた方々、有難うございました。準備は、この上なく大変であったが、国際学研究所研究員のFさんの配慮の行き届いた働きのおかげで、なんとか乗り切ることができた。わたし一人では、どこかで放り出していたはずである。Fさんには、この場を借りて、深謝申し上げたい。

さて、シンポジウムの内容については、参加者や他のパネリストの方々の評価を待たなければならないが、わたしの個人的な感想を述べるならば、そのような二項的な見方は必ずしも正しくはないのだろうが、動物行動学・霊長類学の研究に、文化人類学の研究は、圧倒されてしまったということである。
動物行動学・霊長類学は、敵ながらあっぱれであった。いや、敵ではない。それどころか、われわれ文化人類学が、研究手法や態度などを、深く学ばなければならないアニキ的学問領域なのである。そのことをわたしは強く感じたし、今後、もっと接近したいとも思った。イルカの擬似性交、オラン・ウータンのフランジとアンフランジのセックス、ニホンザルを性行動をめぐる考察。それらは、どれも、フィールド観察をベースに、発表が生き生きと組み立てられていた。スリリングであった。

このシンポジウムに照らして比ゆ的に述べれば、彼らは、フィールドとセックスしている(フィールドでセックスしているということではない!)。このフィールドとのセックスとでもいうべきものが、文化人類学には欠けているのではないか。それが、このシンポジウムをつうじての、わたしが強く感じた点である。
Iさんは、眠気が吹っ飛ぶようなセックスの人類学をと、わたしに呟いた。おそらく、求められるのは、それである。

セックスの人類学、とりわけ、文化人類学の性研究が扱う性行動は、解釈・考察・分析がいかにすぐれたものであれ、しょせん、下ネタである、エロ談義である。まずは、フィールドでの観察の視角を重層化させることで、なんとかして、性行動の描写力をこそ磨かなければならない。それが、わたしが、<性の営みをめぐる「グロテスク」なまでの記述>、<性行動の「息づかい」までをも含めたかたちで記述考察>ということばで、たくらんでみた問題提起であった。それは、今回のシンポジウムでは、たぶん、あまりうまく行かなかったのだろうと思う。この主張は、「フィールドとセックスする」ほど、いかれポンチになってみなければ、分からないことなのかもしれない・・・

もう一つの問題は、「人類」という、動物行動学・霊長類学と文化人類学の共通項を互いに結び合わせるような試みが不足がちだったという点である。発表を一列に並べてみて、どれが一番面白かったとか、動物行動学のほうが現代社会の文化人類学よりも迫力があったというようなことを決するためのシンポジウムではない。文理融合プロジェクトなのではない。それらを「つなぐ」ことによって、セックスという営みについて、「人類」内外の尺度でもって、理解を前進させるということが、目指されるべきであったのではないだろうか。いずれにしても、おぼろげながら、今後の課題が、このシンポジウムをつうじて、明らかになったのではないだろうか、といまわたしは思っている。

とりいそぎ、思いつくままに。

 (写真は、ミッシェル・シュリア著、西谷修他訳『G・バタイユ伝』1991年、河出書房新社、より抜粋。ジョルジュ・バタイユは、この写真を、1925年に友人から譲り受けたという。「百刻み(百回肉を切り刻まれる)」の刑に処せられる中国人の青年は、注射されたアヘンの効果で、頭髪を逆立てて、白目をむいて恍惚の表情を浮かべている。バタイユは、その苦痛とも悦楽ともつかぬ表情に注目した。セックスの苦痛は、どのように快楽へと転じるのか?・・・という、わたしの個人的な発表との関わりから)