この数日で、ようやく秋の気配を感じるようになったのであるが、昨日は、ちょっと外に出るだけで蚊に刺された、10月というのに。必要から、2ヶ月前のサラワク調査の写真を整理していたら、いろいろと思いだしてきた。英人類学者、ロ ドニー・ニーダムの60年前の論文を手がかりとしながら、IさんやSさんと「プナン」を訪ね歩いたが、知ることができたことは、プナンの驚くべき多様性で あった。幹線道路沿いにイスラム化したプナンもいれば、そのなかには、プナンという名称を嫌って、別の民族名を選び取った人たちもいる。ミリオネアーに なって、幹線道路沿いの黄色い御殿に住んでいるプナンもいるし、その意味で、プナンは、「森の民プナン」という表象のなかに、まったく収まるものではな い。ムスリム化したプナンの末裔の男は、リアルプナンに会いたければ連れて行ってやると言った。聞いて見ると、それは、わたしが調査しているところのプ ナンのことだった。そうであるならば、イスラム化したプナンたちは、プナンではないのか?プナンとは、当地では、今もかわらず「森の民」の代名詞でもあ る。さて、これまで見たことがないような圧倒的な緑の魔境のような森を見ながら、車で、東プナン人の村を訪ねた。そこには、褌を身にまとったプナンがいた (写真)。たしか、プナンの調査を始める前、今から10年ほど前にその村を尋ねたときにも、その褌プナンはわたしの前に現れたのではなかったか。ことによ ると、彼は、遠来の客が訪ねてきたと聞いて、普段着から褌に着替えたのかもしれない。写真を撮って、僅かのリンギットをあげた。リアルプナンのイメージ を逆手にとって、食いつなぐ足しにする術を心得た、戦略的本質主義のプナンなのかもしれない。