たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

刀鍛冶

2010年07月29日 22時19分52秒 | 人間と動物

人間と動物の関係を考える上で、動物を殺戮する技術は重要であるが、その後、解体・料理するさいの道具もまた、重要なのではないか。獲物を解体・料理するさいに、迅速俊敏にそれを行うための道具。それは、鉄器である。

プナンは、刀鍛冶に長けている。たたら場をもち、そこで自在に鉄を鍛える技術を継承してきている(写真:鉄を鍛えるためのふいごが、高床式の家の下に常設されている)
鉄の起源について、わたしが集めた口頭伝承のなかに、以下のようなものがあった。

プナンは、川の上流を遡ったところで、川のなかが赤くなっている場所を見つけた。そこを掘って石を取り出し、袋のなかにいっぱい詰め込んで持ち帰った。その石を焼くと、石の一部は形を変えるようになった。そこから、プナンは、刀や小刀などをつくるようになったのである。

プナンは、ジャングルのなかにあった材料を用いて、鉄を鍛えはじめたということが伝わっている。
今日でも、近隣の焼畑民が、プナンに鉄を鍛えてもらいに頼みに来る。プナンの鍛えた刀は、しなやかで、切れ味が鋭いと評判である。このことから推すと、プナンは、古くから、ボルネオのジャングルにおけるたたら衆であった可能性が高い。

刀や小刀は、動物を解体するためだけに用いられるのではなく、藪や木々を切り裂き道を開いたり、薪や小屋用の木材を用意したり、場合によっては、人間を殺傷したり、脅かしたりするための武器になりうる。刀鍛冶に長けた狩猟民は、そうした殺傷性をもつ道具づくりに長けた人びととして、森のなかで、孤高の独立した存在であったのかもしれない。

人間と動物の関係を考えるためには、
狩猟民と刀鍛冶の関係について広く調べなければならない。そのための簡単な覚書として。


人間と動物の間の感覚

2010年07月28日 12時38分57秒 | 人間と動物

人間と動物との近接の禁止とは、すなわち、動物に触れないことである。しとめられた動物に子どもたちが触れていると(写真)、大人たちは、その行動をたしなめたり諭したりするだけでなく、場合によっては、厳しく強く怒る。動物をからかうと、動物に触れると、雷神が怒って、天候激変に見舞われるからである。動物は、そこでは、触れてはならない存在である。子どもたちがつねに獣に触れたがることから推すと、動物とは、人間にとって、基本的には、触れてみたい対象・存在であるのかもしれない。どんな触り心地なのか、どんな形状なのか、いろいろと触って確かめたいのかもしれない。そのことが禁止される。動物を狩るさいにも、狩猟民プナンは、直接、対象に触れることによって、獲物を手に入れる行動を取ることはない。触覚をたよりに、動物を手に入れることはない。人間は、手ではなく、手の先の道具を用いて、動物をしとめる。毒矢(吹き矢)、槍、ライフルによって。接触点・面でいうならば、<人間/動物>ではなく、<人間/道具/動物>である。これは、人間と動物の関係においては、触覚の徹底的な排除を意味するのではないか。このことは、プナンが、近年、近隣の焼畑民から「形式的に」導入した家畜・ニワトリの扱いのなかに、特徴的に見られる。彼らは、ニワトリを「飼う」。しかし、それは、食べるためでもなければ、卵を生ませるためでもない。ただ「飼う」ために飼っている。「飼う」ことを遊んでいる。餌を与えて、籠に入れておくだけである。ニワトリにほとんど触れることがない。闘鶏などは、プナンになじまない。猟犬は、プナンにとって、飼育される唯一の動物である。名前も付ける。しかし、べったりと触れ合っているというようなことはない。触れない距離に「飼う」のが基本である。こうした人間と動物の間の触覚の軽視、排除とは逆に、プナンは、狩猟のさいに、(味覚を除いて)触覚以外の3つの感覚を多用する。人間が発する匂いに対して、プナンはことのほか気を使う。とはいうものの、匂いを消す特別な処置を行うことはない。イノシシなど、動物のなかで、嗅覚にすぐれたものがいると、彼らは考える。狩猟時には、ハンターたちは、視覚を最大限利用する。獣の姿かたちを追うだけでなく、その痕跡を足跡を見ながら追う。大切なのは、聴覚である。つねに声や音を聞く。リーフモンキーの鳴き声がしたら、山刀で藪を切り開いて、一目散に、獲物めがけて前進する。イノシシが果実をかじる音、小動物が動く音を聞き逃さない。マメジカをおびき寄せるために草笛を吹き、鳥を招き寄せるために鳥の鳴きまねをする。プナンの狩猟は、嗅覚、視覚、聴覚を連動的に駆使することによって、組み立てられている。触覚は、狩猟の構成要素ではない。人間と動物の間に駆け引きがなされるのだとすれば、プナンの場合には、嗅覚、視覚、聴覚をつうじて、それが行われる。覚書として。


70~80年代を中心に

2010年07月27日 14時14分28秒 | 音楽

連日の猛暑。好評に応えて(?んなわけないか)、自己満足、息抜きの第二段。20選+アルファ。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/f6c184c32aa5d61c381efee11f24de4a

・ひたすらなつかしい、今回初めて、歌手の名前を知ったんだけど。いい曲だ。John Waite, MISSING YOU ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=k9e157Ner90
・相手に直につながるという便利なケータイがなかった時代。家にあった黒電話。何日も何日も思案して、頃合を見計らって、意を決して、必死の思いで電話をかけてみた。お兄さんだか、お父さんが電話口に出た。あわてて「間違えました」と言って電話を切った・・・というような情景が、この曲を聴くとまざまざと浮かんでくる。JD Souther YOU'RE ONLY LONELY ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=1po5MES23qo
・あ~なんかいいね、しっとりした味わいがあって。Anne Murray, YOU NEEDED ME ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=8pXQZL4HsUw&feature=fvst
・バリー・マニロウって、ずいぶんと流行ったな、なかでも、この曲、マンディの歌詞が好きだ。Barry Manilow, MANDY ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=uoGcH2L68Mg
・ELOって、いったいなんだったんだろう、高校生のとき友だちと京都公演に行ったこともある。Electric Light Orchestra, HOLD ON THGHT ★★★
http://www.youtube.com/watch?v=8TLmpL2AzLs
・大学4年、秋のつるべ落とし、バイクに乗っているという情景がなぜか浮かんでくる。Stevie Wonder, I JUST CALLD TO SAY I LOVE YOU ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=QwOU3bnuU0k
・ビー・ジーズもじつによく流行ってたな、この曲が好きだった。Bee Gees, HOW DEEP IS YOUR LOVE? ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=XpqqjU7u5Yc
・ある夏のこと、FMを聞きながら寝てしまった。起きると、ライオネル・リッチーのこの曲のさびの部分が、ぐっさりと心に突き刺さってきた。Lionel Richie, TRULY ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=G1xiFRccd88
・こういうほんわかした曲もあった、なつかしい、歌手の名前を初めて知った。Randy Vanwarmer JUST WHEN I NEEDED YOU MOST ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=PC6OJOHGmv8&feature=related
・そうだ、ベイビーズだ、この曲だ、わたしが一時夢中になっていたのは。Babys, EVERYTIME I THINK OF YOU ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=Y3ohoUV5Ktc
・ジャクソン・ブラウンのアルバムを買って持っていた。しっとりと心にしみわたる。Jackson Browne, STAY ★★★
http://www.youtube.com/watch?v=d3bUg8wsgVE
・シーナ・イーストンって、いま見ると、キュートって感じ。出だしの部分がいい。Sheana Easton, MORNING TRAIN ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=huNejF17gzg
・この曲が入っているアルバムを中学生のころに買った。この曲はピンと来なかった。高校になってずいぶんたってから、どこかの喫茶店で、タバコを吸いながら、珈琲を飲んでいたときだったと思う。この曲がかかった。初めて、いいなと思った。そのとき、俺も大人になったんだと思った。Linda Ronstadt, BLUE BAYOU ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=ceYjg1dy-h0
・大学を出ると同時に、その後しばらくジャズしか聞かなくなったが、ジャズで最初にはまったのがこれ。クリフォード・ブラウンのトランペットが生き生きしている。「恋に恋して」ってタイトルもいかしてる。Helen Merril, FALLING IN LOVE WITH LOVE ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=NCOktwy5_QY
・戻って、ロック。イントロの長いギターワークがすごくカッコイイのだ。ギターの短いバージョンがだいたいいつもかかっていた。ひゃ~、シビレル。Steve Miller Band, JET AIRLINER ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=XyQ1znMc3og
・オリヴィアにはいい曲がいろいろあるが、これが断然好きだ。Olivia Newton John, HAVE YOU NEVER BEEN MELLOW? ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=4IFQZyxxyyM
・これもまた、カッコイイ。ドイツ人だったような記憶がある。Nena, 99 RED BALLOON ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=14IRDDnEPR4
・こんなテクノっぽい曲もあった。70年代だろうか80年代だろうか、すっぽりと戻っていってしまう。Eurythmics, SWEET DREAMS ★★★
http://www.youtube.com/watch?v=rJE_Sc1Wags&feature=fvst
・フランプトン・カムズ・アライブというアルバムが、すごく売れていた。おそらく、知っている人しか知らないはずだ。Peter Frampton, BABY I LOVE YOUR WAY ★★★
http://www.youtube.com/watch?v=cCe82WXr0Cg&feature=fvst
・とにかく、カッコイイ、ギターというか、ロック魂が。Dire Straights, SULTANS OF SWING ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=2jH74e3Qo9k
・94年だか95年だかに、わたしがインドネシアでフィールドワークしているときに流行っていた。ビデオのストーリーがなんかヘンだ。 Bon Jovi, ALWAYS ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=rTycK193HfM&feature=fvst

・40代だろうか、50代だろうか、このころのフリオは、いい男だねじつに。Julio Iglesias, BEGIN THE BEGUINE ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=ld0sZF62t_g
・その息子はこんな感じ。Enrique Iglesias, BAILAMOS ★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=o8PtBtRzcqM
・いつだったか、シンガポールに行ったときに、あちこちでこのビデオミュージックがかかっていた。ジェニファー・ロペスのダンスシーン、とりわけ、スカートに着替えた後が、官能的だ、しかし、ちらっとしかその部分がない。だからこそよけいにセクシー。Jennifer Lopez, IF I HAD MY LOVE ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=dhHOJO-gec8
・「官能的」のついでに、カイリー・ミノグ。ちょっとおばちゃん風のところがいい。Kaylie Minogue, SPINNING AROUND ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=ekpM8eD3LM4
・数年前のヒット曲だと思うけど、なんだこの化け物的な再生回数は!、2千万回を超えている。Ronan Keating, WHEN YOU SAY NOTHING AT ALL ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=AuJrEBtmM1Q
・最後に、最近、通勤途中にずっと聞いている。この歌の高まりは、けっこう行ける。
Michael Bolton, HOW AM I SUPPOSED TO LIVE WITHOUT YOU? ★★★★★
http://www.youtube.com/watch?v=RaPYcsv14Q0

(写真:今日のマイ・オフィス、学期末にあたってちょっと整理した??)


ゼミ論研究計画書集

2010年07月26日 12時01分07秒 | 大学

3年生ゼミで、春学期に最終目標としていたゼミ論研究計画書が提出され、<ゼミ論研究計画書集>としてまとめて、メンバーに配付を開始した(写真)。以下は、ゼミ論研究計画書のタイトルの一覧。今後練り上げて、半年後には原稿用紙20枚のゼミ論文に、一年半後には、50枚の卒業論文にしてゆく予定である。

・仮面の象徴と意味~アジア圏、アフリカ圏と日本の比較を中心に~
・香水の文化~男女を分ける匂いを軸として~
・建造物の文化美学の比較考察~東西の世界遺産を中心に~
・「お笑い」研究序説~舞台におけるパフォーマンスを中心に~
・アイヌと伝統衣装~博物館資料を中心として~
・人はどのように戦争を行ってきたのか~未開から現代へ~
・”百姓”の生活~なりわいから見る生活と精神文化~
・人間と自然の共存~スタジオジブリのメッセージ~
・腋毛処理のたしなみ~日本社会における女性らしさ~
・踊りの多様性~キューバ社会を中心に~
・身体改造の起源から現代へ~人はなぜ体を改造しようとするのか~
・沖縄の宗教文化と女性の役割~ユタを中心に~
・日本人の宗教観について~そこからみる精神の系譜~
・コスモロジーの中の天候激変~北関東の雷神を中心に~
・異界への想像力~日本文化における人と霊の境界線~
・宗教が生み出した犠牲と信仰~魔女と聖女の比較を通じて~
・男性優位国家の中の女性優位社会~メキシコ フチタンを事例として
・日本神話と神道の関わり~神社めぐりをつうじて~
・居住空間の保全をめぐる研究~時代変遷とともに減少する京町家を事例として~
・カニバリズムの歴史~社会的意味からフェティシズムへの変容~
・適切な距離~カナダ人と日本人の距離の取り方~
・アウシュビッツ強制収容所~ホロコーストの裏側~
・妖怪の存在意義~妖怪から見る日本人の道徳心の変化~
・アメリカ合衆国の基盤~国民性が構築する歴史~
・肥満大国アメリカの食文化~日本との比較を通じて~
・日本と欧米における小売業比較~イトーヨーカドーとウォルマートを中心に
・現代の日本におけるジェンダー・アイデンティティー研究~人はどうしてオカマになるのか~
・ストリートで生きる子供たち~フィリピンのフィールドワークから考える~
・台湾の民族構成とそのアイデンティティに関する研究
・”異質”への嫌悪と魅力~ホモセクシュアルの二面性~
・日本の謝罪文化~欧米との比較を通じて~
・化粧する人間たち~化粧することの意味の比較文化研究序説~
・日本における髪型や髪飾りの移り変わり~ヨーロッパとの比較を通して~
・求愛学序説~動物と人間の求愛行動を事例として~

そういうと、何年か前までは、ゼミ論や卒論のタイトルをホームページでアップしていたことを思い出した。全体として、論文の傾向は、それほど変わっていない。宗教人類学、セクシュアリティー、比較文化が、中心である。
http://www2.obirin.ac.jp/%7Eokuno/seminar.html
http://www2.obirin.ac.jp/%7Eokuno/seminar2001.html
http://www2.obirin.ac.jp/%7Eokuno/semi2001.html
http://www2.obirin.ac.jp/%7Eokuno/grad2002.html
http://www2.obirin.ac.jp/%7Eokuno/seminar2004.htm
 


『類推の山』

2010年07月25日 16時11分38秒 | 文学作品

未完の中編小説であり、シュールレアリズムの傑作とされる、ルネ・ドーマルの『類推の山(河出文庫)を読んだ。

近づきがたい峰をもち、近づきうる麓をもった、地理学的に実在しているはずの、エヴェレストよりはるかに高い山が、神話や伝承を渉猟したある文学者によって発見され、「類推の山」と名づけられ、『化石評論』という雑誌に公表された。その実在は、発明家兼登山教授ピエール・ソゴル(Logos のひっくり返し)からの手紙によって、確信されてゆく。ソゴルのもとに集まった、言語学者、高山専門の画家、医師、アクロバティック登攀の専門家の兄弟、女優、婦人服仕立師などの12人の前で、ソゴルは、類推の山が目に見えない理由を、日蝕の光の現象に照らして説明し、その場所を、南太平洋に特定した上で、探査隊を組織する。

最終的には、そのうちの4人が尻込みして、探査隊の参加を見合わせることになるが、そのうちの一人のベニト・チコリアが送ってきた手紙。「可能ー不可能ー冒険の三項は直接的に現象可能とみなしうるものであり、したがって最初の存在論的三項に比すれば現象しうるものであるにしても、ただしそれは弁証法的逆行のーじつのところ認識論的なー条件下にあるかぎりにおいてであり、その逆行の推論以前的内容たるや、存在論的に方向をあたえられた行列の実際上の可逆性をふくむ歴史的位置決定にほかなりませんー事実のみがこの含意を正当化できるのです」という要約することが不可能な文章を検討した後で、探査隊のメンバーは彼の不参加の意を汲み取ったのである。

不可能号に乗った航海
の途中で、探査隊メンバーで交わされる会話が、味わい深い。ソゴルの思考実験から引き出された、人間の勘違いをめぐる真理。「(1)ブルドッグは犬である、(2)犬は哺乳類である、(3)哺乳類は脊椎動物である、(4)脊椎動物は獣である・・・、もっと進めみましょう、獣は生物であるーところが、さて、私はすでにブルドッグを忘れてしまっています。『ブルドッグ』を思い出すと、『脊椎動物』を忘れてしまう・・・。どんな種類の連鎖でも論理的区分でも、おなじ現象がたしかめられるでしょう。こういうわけですから、私たちはたえず偶有を実体ととりちがえ、結果を原因と、手段を目的と、私たちの船を永住の家と、私たちの体や知性を私たち自身と、私たち自身をなにか永遠のものととりちがえてしまうのです」。・・・

その後、探査隊のメンバーは、類推の山の沿岸の、フランス人居住地<猿の港>に到着する。類推の山には、さまざまな掟があった。住人の協力を得て装備を整えるが、その負債は、山で見つかるペラダンと呼ばれる、結晶密度の高い石によって払わなければならない。峰を目指す者は、ただまっすぐに進むことは許されない。山小屋を離れる前に、ひとつ下の山小屋に戻って、知識を伝えなければならない。そして、この物語は、作者ルネ・ドーマルの30代半ばの死によって、ぷっつりと途絶える。


わたしは、この物語の全編をつうじて、人びとの思い込みの激しさと熱中することの滑稽さみたいなものを感じた。それは、河出文庫版の表紙の写真である、シュールレアリストの画家ルネ・マグリットの『ピレーネーの城』(写真)によって喚起されたことなのかもしれない。
大学院の頃、わたしは、一時期、エスノメソドロジーの文献を読む社会学のゼミに出席していたことがあったが(その後、エスノメソドロジーに夢中になった)、たしかそのときに、この絵は、磐石な岩山の上にどっしりと城が建っているが、一方で、その磐石な基盤だと思っている地面自体が、じつは、海の上の宙に浮かんでいる、スッカラカンの、空疎な、何もない事態に「支えられている」ということを表しているということを聞いたことがある。これほど確かなことはないと思っている事柄には、じつは、何の根拠もなかったりする。

『類推の山』の登場人物の思い込みと熱中の様子は、この絵で表されているものであるのかもしれない。エヴェレストよりも高い山が必ずどこかにあるはずであり、その山に登頂するという夢に熱中するさま。その事柄の文脈自体のなかでは、かなり正しい。しかし、グッといったん引いてみて考えてみるならば、その活動への思いと真剣さは、滑稽でもある。いや、人間とは、根源的には、そうした生き物なのかもしれない。類推の山の探査隊は、現代社会に生きるわたしたちでもある。わたしたちは、なにゆえに、こんなにもガムシャラに、所与の現実を生きようとするのだろうか?国民となり、税を払わなければ主体となり、教育を受け、仕事を得て、法制度のもとで生きてゆくことだけでなく、目標を見出し、それに向かって夢中になり、しかし、いったん引いてみるならば、そのそれぞれの行いが、現実そのものを歪めていくことには無自覚であるという意味において、わたしたちは日々、いったい何をしているのだろう??そんなことを考えさせられた。★★★★


成績評価をめぐる雑感

2010年07月24日 21時59分49秒 | 大学

昨夜から今日一日かけてずうっと、受け持ち授業の期末試験の採点と、科目の成績評価を行って、先ほどようやくのこと終わった

本年度始めに、大学から、2008年度の実績で、A、B評価合計が7割を上回ることが明らかになり、大学成績評価の信頼性(大学認証評価)の観点から是正が求められるとして、
A、B評価の上限をそれぞれ履修者の10%、30%とするようにという、ガイドラインが示された。当初この話は、A、B評価の数が多いことによって、GPAを押し上げ、早期卒業者を出すことにつながっていることを是正しなければならないであるとか、さらには、大学が国際的競争力を身につけるためには、成績評価基準を明確にし、相対評価をおしすすめる必要があるというような、まったく教育内容と関わりのない、制度論的な課題として、わたしたち教員の耳に届いたように記憶している。その意味で、わたしは、数値目標だけが誤って設定される胡散臭いものと考えて、本学期の講義の最初には、そうした通達とは関係なく、従来どおりのかたちで、成績評価を行うと宣言した(がんばったら、全員Aでもかまわないと述べた)。他方で、導入施行期間である本年度の間に、その通達が何を意図するものなのか、何をもたらすのかを、自分なりに見極めてみたいという意識をもって、今学期の授業に臨んだ。

はじめに、本日行った成績評価の結果について。
文化人類学(b)の260名の受講者のうち、A評価54名(20,7%)、B評価82名(31,5%)。アジアの社会の134名の受講者のうち、A評価24名(17,9%)、B評価48名(35,8%)であった。A、Bの割合は、文化人類学の場合、21%と31%、アジアの社会は、18%と36%という結果である。

文化人類学は、中間試験は30点満点のクイズ形式、期末試験は40点満点の論述形式で行った。出席点は、27回出席を取り、遅刻は、3回で1回の欠席と換算し、換算を含めて、欠席が9回を越えた場合には、成績評価しない(F)とした。欠席が、0回から2回までの場合には、出席点を30点与え、2,3回(0,3回とは遅刻一回のこと)~4回の場合には25点。4,3回~6回、6,3回~8回、8,3回~9回は、それぞれ20点、15点、10点とした。全部を
素点化し、90点~100点がA、80点台、70点台、60点台が、それぞれB,C,Dとし、59点以下をFとした。他方、アジアの社会は、中間レポート(日本のなかのアジアのフィールドワークレポート)を30点で採点し、期末試験は40点満点の論述形式とした。出席の扱いは文化人類学と同じで、全部を素点化し、成績評価は、文化人類学と同じやりかたで行った。

展望すれば、文化人類学の授業は、クイズ形式の中間テストで成績が悪かった履修者には、チャンスギヴィングとして、エスノグラフィーを読んでレポートした場合には、点数を与えるとしたが、結局、10人くらいしかレポートを提出しなかった。どちらの授業でも、出席日数を点数化しているので、一回の欠席、遅刻などが、点数に反映し、評価を大きく分ける要因となったようである。

わたしが感じたのは、A、B評価の上限をそれぞれ履修者の10%、30%とするということが、はたして当を得たものなのかどうかという点である。とりわけ、A評価について見ると、それぞれの授業で、一度も授業を欠席しなかった履修者の数が、A評価の数とほぼ一致する。文化人類学の皆出席52に対して、A評価54、アジアの社会の皆出席21に対して、A評価24という数字が出た。皆出席すればA評価になる可能性が高いということは、最初から最後まで流れをつかんで聞いている履修者が、優秀な成績を取りやすいということになる(このことは、皆出席の履修者が、必ずしもA評価であるということではない)。この相関は、ある意味で、授業に出て、しっかり勉強しようという志が成績に反映しているということでもある。逆に、わたしがやっているようなタイプの授業の場合には、授業に最初から最後まで完璧に出席しえた学生が、A評価になる確率が高い。50人皆出席なら50人のAが、60人皆出席なら60人のA。
だから、わたしの言っていることはけっして間違いではない。がんばった学生は、全部Aでもいいと。しかし、現行のガイドラインに照らせば、それではA評価が多すぎで、半分に削ぎ落とさなければならないことになる。出席してしっかり聞いていれば、しっかりと理解できるようになり、A評価を得られるという現状の授業内容から、出席を欠かさないで聞いているだけでは十分ではなくて、もっと深い理解を示すための努力をし、それを評価された者だけが、A評価に値するというより高度な授業内容へ?

他方、このこととは別にわたしが感じるのは、教えることの明確化とでもいうべき問題である。今回、文化人類学では、異文化理解に焦点をあてて、そのクライマックスに<イヨマンテ>をもって来た。その儀礼の理解が、文化人類学のエッセンスでもあると唱え、授業のなかで、履修者のコメントを持ち出して、イヨマンテを動物虐待をする野蛮文化であると捉えて、そういった儀礼を空想の次元で捉える見方を厳しく退け、それは、わたしたちの肉食のプロセスそのものを生々しいかたちで示しており、人間社会における倫理的行動とは何かを思い出させるものとして、心に留めておかなければならないと説くことに力を入れた。そして、そのことが理解できないようであれば、文化人類学の見方を理解できてないのに等しいとまで断言し、期末で、必修問題としてテストしてみた。こうではなく、こう見るのだという提示の仕方が、履修者の理解を押し上げたのではないかと、わたしは考えている。するとどうだろう。一つは、そういった工夫をつねに授業のなかに組み込んでいかなければ、教育の効果は上がらないということであり、逆に、そうした血みどろの授業展開をすることで、教育効果を高めてゆくならば、結局は、教育の目的とは、全員に、この場合、文化人類学的見方をパーフェクトなかたちで理解してもらうことになるのではないか。成績評価に戻るならば、全員に評価Aを与えるべく、教員は、授業を行っているのだ。ひるがえって、AとBを1対3にするようにというお達しは、この場合、いやそうではなくて、そこまで真剣に教えなくてもいいのであり、教えたことに対する反応、達成度を、AとBがだいたい1対3になるようなかたちで教えるように努めよというような命令のようにも思える。このあたりが突き詰めるとどうも分からないが、そんな極端なことではなくても、現実的に言えば、少なくとも、文化人類学の場合、文化人類学の見方とは何なのか、それを事例に沿って、明瞭に提示し、これが分かっていたら点数をあげるし、分かっていなかったら点数をあげないというように、教える内容そのものを研ぎ澄ましていくことに、改めて力を注ぐべきであるということぐらいが、成績評価をめぐる議論を横目で見ながら今学期の授業をやってみて、わたしとしては、手に入れることができたことなのかもしれない。

雑駁な、しかも五月雨的な、感想として(写真は、成績評価表)


南部高速道路

2010年07月23日 11時18分44秒 | 文学作品

5月以降、土日もまったく休みなしだった。今週末は久しぶりの休みだけど、おそらく成績評価とたまっている論文執筆に明け暮れるはず。ふと気がつくと、この間、文学作品を何も読んでいないことに気づいた。あちこちに出かけたおりに買い求めた本のなかで、短時間で完結して読めそうなものを探して、池澤夏樹・個人編集の『短篇コレクションI』(写真)の最初に入っている、ラテンアメリカの作家、フリオ・コルタサルの「南部高速道路」を読んでみた。テーマは、フォンテーヌブローからパリまでの高速道路の渋滞という、どこででも起こりうる身近なもの。日曜の午後に、渋滞は始まる。渋滞に巻き込まれた人たちは、高速道路のなかで、渋滞情報の共有、食料や水調達の必要などから、お互いに通じ合うようになる。行方不明になる者が現れ、死者も出る。さらには、恋も芽生え、子どもを身ごもる。いったいどれくらいの期間の渋滞なのかはっきりしないが、わたしは、どんどんと物語に引き込まれてゆく。こののんびりした調子が永く続くと思えた後に、物語はスピードアップする。渋滞は解消し、車がビュンビュンと走り始める。しだいに周りに、渋滞中に知り合った仲間の車が無くなって、ついには、渋滞中のあの連帯感のようなものまで崩壊してしまうのだ。じつに面白い。


文化人類学期末試験模範回答

2010年07月22日 22時27分50秒 | 大学

昨夜ゼミの打ち上げ(写真)から帰宅して試験の採点を始めた。260枚ぶっ通しで、今日丸々一日かけて、いましがたようやく終了した。今日は、これ以外のことにほとんど何も手をつけられなかった(まだもう一科目130枚残っている!)。大人数のクラスを毎年担当しているある先生は、試験問題の採点をやり終えなければならない状況で体調を崩し、点滴を打って、必死に成績評価に取り組んだという話を聞いたことがある。O大学の文化人類学の授業の場合には、2005年までは、だいたい250人規模のクラスだったが、リベラルアーツ学群へ改組されて、このところ毎年150人規模だったのが、今年はふたたび増加に転じた。採点作業って、こんなにシンドいもんだったんだと、改めて思った次第である。単純計算で、一枚平均3分としても、750分、12時間以上もかかることになる。おまけに、字が汚い学生が多いのだ!解読に難儀する、それは、いったいどういうことだろう!字は人格だというようなことよく聞かされた。ープロが主流となって、字はどうでもよくなったのだろうか?加えて、今年の文化人類学の授業は、おそらくここ数年来なかったことであるが、騒がしかった。最初は、そのうちに収まるだろうと楽観的に考えて、あまり気にならなかったが、ほぼ毎回に近いかたちで、出席票の裏にクレームが書かれていたのである。これにはほんとうに難儀した。O大学の恥を語ることになるが、これまではまったくそんなことなかったのに、小説を読んだり、エントリーシートを書いたりする行儀のよくない学生がいたし、べちゃくちゃお喋りをしている学生もいた。今から考えると、まずは、話を聞くことができる空間をつくるのに、ずいぶんと骨が折れた。来年以降は、この規模の受講者数は、なんとか免れたいものだ(はなから学ぶ志のない学生は、なんとかして断りたいものだ)。あるいは、教員の導きが悪かったのだろうか。最初に、ビシッと言わなかったわたしが。そうかもしれない。そんなんかで、わたしとしては、内容に関しては、かなりはっきりと、文化人類学の考え方について、事例を引き出し、解説できたと自負している。それらを、そのまま試験問題として出した(必修問題と選択問題の2つの出題)。採点したところ、問題文をあらかじめ言っておいたこともあってか、できている学生が多かった。しかし、大学当局からの、本年度最初のいきなりの成績評価ガイドラインの通達。各クラス、A評価、B評価は、それぞれ10%、30%にせよ、と。それに関しては、まだ十分な議論がなされていないと個人的には感じているが、はたして、わたしの評価結果は、どうなることやら。以下、問題と模範回答。

【必修問題】
以下の問いに答えなさい。
アイヌのイヨマンテ儀礼の概要を示した上で、それを、どのように理解すればいいのかについて論述しなさい。

◆模範回答
わたしたちは、日常生活で、スーパーで動物肉を買ってきて、料理して食べて生きている一方で、その肉片が、もはや、かつて生きた動物だったということを想像することは皆無であろう。アイヌのイヨマンテでは、熊をいつくしんで飼い育てて殺すという点で、一見、残酷であるように思えるが、実は、それは、わたしたち人間誰しもが、やらなければ生きていけない事柄を拡大して見せてくれている。そうした儀礼の背後に、アイヌの人たちは、
熊が神の化身であり、自然=神が人に純粋に贈与をしてくれているというコスモロジーを用意している。イヨマンテを残酷だ、野蛮だというのは、ただうわべだけを見ているからであり、事柄の本質を見るならば、生きた動物を殺害するためだけに育てて、それを血のしぶきを上げさせて切り刻んだ後に売買いし、生命ある存在物に対して何も感じないという点で、わたしたちのほうこそ、野蛮なのではあるまいか、というようなことが、自分の言葉で書けていれば及第。

 【選択問題】
以下の3問のうちから1問を選択して、問いに答えなさい。

【1】ポトラッチの概要を示した上で、人間の根源的な精神性との関わりにおいて、それを、どのように理解
すればいいのかについて論述しなさい。

◆模範回答
競争して贈り物をし、相手から贈り物が欲しくないために、持っている貴重なものを破壊するだけでなく、その競争をどんどんエスカレートさせていく、
アメリカ西海岸地域の先住民のポトラッチ(競覇的消費)が、バタイユが『呪われた部分』で取り上げた「蕩尽」(エネルギーを貯めておいて一気に放出することに快楽を感じること)という人間の根源的な精神性に根ざしたものであるということが、自分の言葉で書けていれば及第。

【2】ニューギニアの制度化されたホモセクシュアリティーの概要を示した上で、それを、現代社会のホモセクシュアリティーと比較して、どのように理解すればいいのかについて論述しなさい。

◆模範回答
ニューギニア高地の社会で行われている、男性性を即物的に注入するために行われる儀礼的同性愛が、ライフサイクルの一時期における同性愛行動であって、その点で、現代社会における人間の(永続的)「属性」としてのホモセクシュアリティーとは異なるという点が、自分の言葉で書けていれば及第。

【3】シャーマニズムの概要を、授業で取り上げたビデオの内容を踏まえて具体的に示した上で、それを、どのように理解すればいいのかについて論述しなさい。

◆模範回答
シーマニックな能力というのは、この世とあの世を自由に行き来することができるという、
人間の潜在的な能力の一種であり、現代社会は、そうしたシャーマニズムを抑圧した上に成立している。時に、胡散臭いもの、戯れにすぎないとして批判されることがあるけれども、ビデオで見たスピカンの活動に寄り添って、その本質に迫るならば、スピカンの活動は、人類社会が長い間頼りにしてきたシャーマニズムであることが見えてくる。シャーマンとしてのスピカンもまた、あの世と交信して、問題を解決し、人間に癒しをもたらしてくれるというようなことが、自分の言葉で書かれていれば及第。


しおりちゃん

2010年07月21日 15時07分36秒 | 大学

本年度は、わたしとしては、久しぶりに専攻演習を2クラス受け持った。以前はまったくボランティアで、クラスを二つに分けていただけだったが、現行の制度では、2クラスとして数えられて、1年生向けのクラス一つが免除となる。しかし、だからといって、ゼミ二つを受け持つことは、やはりシンドイことには変わりはない。・・・というような、ゼミ教員の側の問題はさておき。文化人類学のゼミなので、フィールドワークに行って、できる限りリアリティーそのものに触れ、文献研究と合わせて、レポートを作成する(論述する)という訓練をしながら、そうした手法を浸透させた上で、卒業論文へといたる構想を得るという目標を設定している。それは、おそらく、一般的に、考えられうるもっとも文化人類学的なゼミ活動のひとつである。今週までに、メンバーは、卒論の前段階のゼミ論文(原稿用紙20枚程度)を来年1月に提出するための研究計画書を完成させることになっている。メンバーのうち、約半数が文化人類学専攻で、次いで、社会学専攻が多い。そのほかバラバラな専攻(コミュニケーション、メディア、国際協力、歴史学・・・)から構成される。テーマとして多いのは、妖怪や魔女、シャーマニズムなどの宗教人類学、匂いや化粧、ジェンダー・セクシュアリティーなどの、毎年の定番のテーマである。今後の予定としては、9月には、みんぱく(国立民族学博物館)に行って文化展示を見学し、理解を深めるというかたちの実習を含めて、2泊3日の合宿をおこなう。昨日、ゼミ生たちの作成による合宿のしおりが完成して、昨日と今日のゼミで配付した。表紙のデザインは、拙著(『「精霊の仕業」~』)を模したものだそうだ、なかなかうまくできていると思う(写真)。ここで中身を公開できないのが残念。


期末試験に想う

2010年07月20日 09時56分46秒 | 大学

今この時間、「アジアの社会」の期末試験中(写真)。第一問は、トラジャ(葬儀)、イバン(ツーリズム)、オラン・アスリ(夢の文化)で解説したプリントの要約(400~600字)。第二問は、カリス(カタベアアン)、プナン(反省しない文化)、バリ(神々の島の誕生)の授業内容についての論述。今日試験はやってしまうが、授業期間はあと一週間続く(その後、補講期間)。わたしの場合、残りの授業期間は、質疑応答と成績評価の公表に充てる。改めて思う。今の大学の、この過剰な教育熱。まずは、学生の立場になってみて。はたして、授業を15週みっちりやることで、はたして、勉強の効果ってあるのだろうか?ま、科目によってはあるのかもしれないけど、科目によってはない。教員の側から。個人的なことであるが、つい7,8年ほど前までは、7月の初めから約2ヶ月の予定で、現地調査に出かけることができていた。それが、この数年程前から、夏季休暇がどんどん短くなり、ついに今夏は、1か月どころか、3週間ほどしか調査に行くことができなくなってしまった。研究の時間が縮減される。こうした流れのなかで、わたしには、教員も学生も、ともに疲れてしまっているように感じられる。ともに生き生きとしているようには、なかなか思えない。現代日本社会で、大学の改革が進められなければならない理由があるのはよく分かる。しかし、そのことは必ずしも、授業回数を増やしたり、授業を契約とみなして、シラバスに書いたものをその通りにやらなければならないとしたり、学生や社会のニーズに合わせて授業を変えたりすることによってだけで、達成されるものではないように思える。こうしたことをつうじて、教えることに関しては、教員としての拙さを意識することにつながるというプラスの効果もあるのかもしれないが。そうしたことを、全体的に考えるために、いま真に改革の議論が必要だということなのだろうか。そのことも分からないではない。しかし、頭のなかでは理解できても、身体ではよく分からないままである。全体の幸福を目指しながら、不幸に陥るということがないようにすべきなのかもしれないが、昨今の大学をめぐる議論が、そうした問題を乗り越えるとは、わたしには、とうてい思えない。きわめて心苦しい。


自然経済

2010年07月19日 22時48分13秒 | 自然と社会

熱暑の一日、新幹線が止まるようになって、街が大きく様変わりした駅前の高層ビルの一室で、サラワクで新たに始まる、K都大学のIさんを代表者とする、文理融合の5年間の大型プロジェクトの初めての研究打ち合わせが行われた。わたしたちは、2000年代になってからずっと、自然をキーワードとして、サラワクで、これまで二つのプロジェクトに関わってきた。3つめのこのプロジェクトは、熱帯の水系を取り上げて、自然経済からプランテーション経済への移行が進みつつある現在、文化人類学や地理学、経済学、言語学、生態学、環境学などの専門家20数名が協同して、生態が撹乱されている状況下で、人びとがどのように変わってゆくのか、というテーマを追及するというプロジェクトである。打ち合わせでは、人文科学系の学問と自然科学がはたしてどのように協同できるのかという点に、最終的に的が絞られていった。自然科学に人文科学が役に立つというのはほとんど無理なことであって、逆に、人文科学も自然科学を取り入れられないという問題もあるというような冷めた意見が出されたが、現地の人びとの評価(例えば、森林破壊が進んで動物がいなくなったというようなこと)の根拠を、自然科学によって示すことが、とりあえずの出発点としては、確認されたように思う。プナンの狩猟対象であるイノシシやそのほかの動物が、どのような行動を取っているのかについては、わたしはもっぱらプナン人たちから聞いているだけであるが、自然科学のデータから、実際には、動物がどのような行動を取っているのかを知ることができるならば、プナンの自然経済の実状を、より深く知ることができるだろうし、その意味で、研究の地平が広がってゆくことになるのではないかと思える。このプロジェクトでは、研究対象地のサラワクだけでなく、日本国内でも並行して、自然科学の手法を中心に、全国津々浦々で、実習合宿も何度か予定されているという。このプロジェクトそのものには、真正面からあまり貢献ができそうもない一研究者の身としては、その点が楽しみである。むしろ、そちらのほうに力を注ぎたい感じがする。いや、それもそうだけれども、これまで取り組んできた、自然との密着度が高い狩猟民に、自然経済という観点から、今後も継続的に関わることができることは、わたしにとっては幸いである。印象と感想のみ。


パースペクティヴィスム

2010年07月18日 22時58分15秒 | 自然と社会

アマミノクロウサギが原告となった訴訟が、話題にのぼった。わたしたちの近くにも、人間以外の存在が(法的)主体となりうる状況がある。法理では、会社組織や国家などが主体であることが自明の理でもある。
http://www.kamisama-tasukete.com/archive/amami_a.htm

ところで、白人は、アメリカ先住民が動物であるのか人間であるのかをどのように判断したのか。白人たちは、インディオに魂(精神)がある場合、人間であると捉えたようである。これに対して、
アンティル諸島の先住民は、白人を見て、人間であるのか霊的存在であるのかを知ろうとした。先住民たちは、白人が、霊的存在や動物とともに、魂(精神)をもつということはすでに分かっていた。先住民が知りたかったのは、その魂が、自分たちのものと同じ気質を持つものかどうかだったという。白人の身体を調べてみて、腐敗したり、他の存在物へと変化するようなことがない場合には、先住民は、白人たちも自分たちと同じ気質の魂をもつ人間であると判断したのである。

要するに、西欧思考では、魂(精神)が差異の指標となり、身体が統合を促す。そこでは、魂は、人間を動物やモノよりも上に押し上げるが、身体は、普遍的な基質(DNA、炭素化学)によって統合されることで、
他の生き物とわたしたち人間を結びつける。これとは対照的に、アメリカ先住民は、宇宙の存在物の間に、精神がつながっていることと、身体が切れていることを仮定する。前者はアニミズムであり、後者がパースペクティヴィスムとなる。つまり、魂(精神)は統合の指標であり、身体が差異の指標である。

ところで、パースペクティヴィスム(見ることによって主体がつくられるという存在論)は、たんに、身体ではなく、肉体性(corporeality)に関わっている。個人のアイデンティティーの定義および社会的価値の流通において身体を集中的に記号論的に用いることは、あまりにもありふれた身体を特別なものに仕立て上げて、他の人間の集合体の身体からだけではなくて、他の種の身体からもそれ(=身体)を差異化することになる。身体は、苛烈に差異化されなければならないのである。

その意味で、人間の身体とは、人間性と動物性の対立の焦点になる。動物的に着飾った人間は、超自然的に裸になった動物のカウンターパートである。魂(精神)のモデルは人間のそれであり、身体のモデルは動物のそれである。主体(精神)の客体化は、身体の単一化を生み(文化の自然化)、客体(身体)の主体化は、精神のレベルにおけるコミュニケーションを意味する(自然の文化化)。このように、アメリカ先住民の自然と文化の区別は、身体的なパースペクティヴィスムという光の下で再読されなければならない。アメリカ先住民社会では、身体的な変容を伴わない精神の変化などない。身体と精神のちがいは、存在論的な非連続性(=断絶)として解釈することはできない。魂や精神が身体であるように、身体は魂でもある。

西洋思考においては、魂(精神)が、教育や宗教的な改宗をつうじて、メタモルフォーシスする(変わる)ことに恐怖の原因があり、その恐れは、独我論と結びつくことになる。それに対して、アメリカ先住民社会では、身体がメタモルフォーシスすることに恐怖の原因があり、その恐れは、カニバリズムに結びつくことになる。先住民たちは、動物を食べたとしても、それが、もともと魂を共有している人間がメタモルフォーシスしたものであるかもしれないということに疑いを抱くからである。つまり、カニバリズムを犯すことに対する恐れがある。身体は、捨てられ、交換できるものであり、身体の背後には、人間と同一の主体性が想定されている。

さらには、生者と死者の断絶について。死とは、身体の破局である。人間の身体から離れてしまうのが精神(精霊)であり、さらに、死者は人間ではないので、論理的には、死者は、動物となる。超自然性とは、社会的な人と人との間の関係でもなければ、動物の身体との身体的なつながりでもないようなカテゴリーのことである。つまり、超自然性とは、主体としての他者の形式である。アメリカ先住民社会の典型としては、森のなかで、人間が、最初は人間か動物に見えるような存在と出会う。その後、そうした存在物は、精霊か死者として現われて、その人に語りかける。そのことで、その人は、話しかけてきた存在と同じ種の存在(死者、精霊あるいは動物)となる。唯一シャーマンだけが、様々なパースペクティヴを行き来し、人間主体としての状態を失うことなく、動物や精霊に呼びかけたり、それらに呼びかけられたりする。最後に、パースペクティヴィスムの消失点は、神話である。それは、主体と客体が溶け合っていて分かれる以前の場所なのである。

以上、本日の研究会(四谷、写真)で検討したVdCCosmological Diexis and Amerindian Perspectivism の最後のパートの要点、ではあるが、う~ん、難解であり、内容の深い論文であり、日本語にしてまとめるのはなかなか骨が折れる。まだまだ不足がたくさんあると思われるが、とりいそぎ、備忘のため。


「いかなる動物との契約もありえない」自然主義、人間のようなものをどんどんと発生させるアニミズム

2010年07月17日 23時40分05秒 | 自然と社会

わたしたちがまちがって普遍的であると考えている自然主義について。

人は自由なかたちで付き合い、規範や慣習を精巧なものとして作り上げるがそれを犯す場合もあるし、環境を改変し、生存経済を調達することにおいて仕事を共有するし、交換する記号や価値を作り出すというふうに、人間以外の動物たちがしないようなあらゆることを行う。自然主義の考え方においては、アノミー的な自然とは対照的に、人間社会のなかに人間が配置されることになる。

それゆえに、ホッブスは言うのだ。「いかなる動物との契約もありえない」と。それは、自然主義の格言であるのかもしれない。人間社会を自然から切り分ける自然主義においては、
人間が動物と契約を結ぶなどとは考えられないのである。

その後、
19世紀になると、社会進化論者は、人間社会の等級づけを行った。自然に近い人たちがいると。環境を改変することもなく、重々しい制度的機構なしにやっていけるような、文化文明からは程遠い自然民族がいる。しかし、そうした人たちのことを野蛮、未開だと言い切るような人種主義者でさえも、人間が、動物たちから諸制度を借りているというような言い方をすることは、ありえなのである。人種主義もまた、その意味で、自然主義の上に立っている。

他方で、アニミズムについて。

それは、人間以外の存在に社会性のようなものを帰するような考え方である。その意味で、アニミズムもまた、自然主義と同じように、ヒト中心主義的であるように見えるかもしれないが、本当の意味でヒト中心主義であるのは、自然主義のほうである。そこでは、人と人以外の存在が、裁然と切り分けられるからである。

そのように考えるならば、アニミズムとは何かに接近することができる。アニミズムは、人間以外の存在が人間のように取り扱われるために、人間から必要なものを引き出すことに自己充足する点において、人間をどんどんと作り出す(anthropogenic)ーー魂や精神をもった存在をどんどんと発生させるーーようなものとして、よりよく理解されることになる。

本日の研究会でのデスコーラの「自然主義」についての拙いまとめ


ボルネオ島狩猟民プナン社会における動物と人間~近接の禁止と魂の連続性~【エピソード・ヴァージョン】

2010年07月15日 14時50分20秒 | 自然と社会

  本発表の目的は、マレーシア・サラワク州のブラガ川流域に半定住する、狩猟を主生業とする約500人のプナン(Penan)の動物と人間をめぐる関係の輪郭を民族誌的に描き出すことを踏まえて、自然と社会という主題に対して一つの見通しを示すことである。本発表では、ボルネオ島、マレー半島、東インドネシア一帯で広く行われているとされ、東南アジア民族学において、「雷複合(thunder complex)」と呼びならわされてきた観念と実践を取り上げる。フォースによれば、「その複合の中心には、禁止事項、とりわけ、動物の扱い方を含む禁止事項が、嵐を招き、その結果として、洪水や稲妻によって、ときには、石化によって罰を与えられるという考えがある」。

 本発表で取り上げるプナン社会においても、動物に対する人間のまちがったふるまいが、雷雨や大雨、洪水などの天候の激変を引き起こすと考えられている。人間のまちがったふるまいに怒った動物の魂が天空へと駆け上がり、雷神にその怒りを届け、雷神の怒りが雷鳴となって鳴り響き、雷雨や大水を引き起こすと考えられている。そうした制御不能な天候の激変に対しては、それが起きた時点でそれを鎮めるための儀礼が行われ、また、人間の粗野な動物の扱いがその原因であると考えられるため、動物に対して、まちがったふるまいをしないために、禁忌が実践され、人間と動物の間の近接が禁止されてきた。

  本分科会は、民族誌を手がかりとして自然と社会の二元論を考えることを目指している。それに応じるために、本発表では、どのように人間が、民族誌的な実践の場面において、動物と相互交渉しているのかに焦点をあてたい。プナンの行動の現実を、できる限り、生き生きとした民族誌のなかに描き出したいと思う。そのため、以下では、エピソードを中心とした口頭発表を試みる。そうした民族誌の全体性の先に、プナンにおける動物と人間の関係のあり方、とりわけ、それらの近接の禁止というタブーの意味と魂の連続性に関して、一つの見方を提示することを目指している。

 以下では、順に、ジャネ、発表者(プナン名:ブラユン)、ドム、ティマイ、発表者の一人称の表現による世界理解を示す。

◆登場人物リスト
・ジャネ・・・プナンの長老(1.の語り)
・ブラユン・発表者のこと(2.5.の語り)
・ドム・・・プナン人のハンター(3.の語り)
・ラセン・・プナン人のハンター
・ティマイ・プナン人のハンター(4.の語り)

1.長老ジャネの話、夜、狩猟キャンプにて

「よく聞いておきなさい。生きているもののうち人が捕まえようとしたときに逃げようとするものにはすべて魂がある。イノシシ、シカ、マメジカ、リーフモンキー、ブタオザル、テナガザル、マレーグマ、ジャコウネコ、ヤマアラシ、センザンコウだけでなく、地を這うもの(ヘビ)、サイチョウやスミゴロモなどの飛ぶもの(鳥)、泳ぐもの(魚)、トカゲやカエル、蟲でも、捕まるのを恐れて逃げようとするものにはすべて魂がある。魚には捕まえようとしても逃げないものもいるから、魂のないものもいることになる。要は、われわれ人だけではない、魂があるのは。だが、ジャングルのなかにいる吸血ヒル、あれには魂はない。捕まえようとするときにでもただただ血を吸うばかりで逃げようとはしない。ヒルは、枯葉から生まれてくると言われている。だからジャングルにはあんなにたくさんのヒルがいるのだ。それらは、次から次へと出てくる。ヒルには魂がないから、焼き殺そうが切り刻もうがかまわない。しかし、魂を持つ生き物に対しては、人はふるまいに十分に気をつけなければならない。人は魂を持つ生き物に対して、まちがったふるまいをしてはならない。子どもたちがよくそうしているように、狩りでしとめた動物と戯れるなんてもってのほかだ。プナンはしとめた動物はすばやく解体して料理して食べるだけである。そのさい、しとめた動物の本当の名前を口にしてはいけない。生きていてもすでに死んでいても、動物を前にしたら、その動物を別名(ngaran dua)で呼ばなければならない。belengang(サイチョウ)はbale ateng(赤い目) に、kelasi(赤毛リーフモンキー)はkaan bale(赤い動物)に、palang alut(ジャコウネコ)はkaan merem(夜の動物)にというふうに )。人がまちがったふるまいをすると動物の魂は天空へと駆けのぼる。すると雷神は怒って雷鳴を轟かせ大雨を降らせ洪水を起こして、わたしたちに禍をもたらすのだ。大水や洪水。場合によっては、雷神は人を石に変えたり、大地を真っ赤に染めるほど血を流したりする。赤土の大地は、そのようにして、人の血で染まったのだ。よく覚えておくのだ。動物の扱いには十分に注意せよということを。」

2.発表者の回想、翌朝、狩猟に出かける

  わたしは長老ジャネの言葉を聞いているうちに、うとうととし、そのまま蚊帳のなかに入って眠ってしまった。夜が明ける少し前に、男たちの放屁とそれをめぐる笑い声で目が覚めた。狩猟キャンプの朝は早い。朝6時前の夜が明ける前に男たちは起きていつ何時にでもこの場から立ち退くことができるように荷物をコンパクトにまとめる。それは古からの移動民のならわしだ。

 5人のハンターと彼らに同行するわたしは皆飲み物も食べ物もいっさい口にせず夜が明け始めた山道を駆け上がった。なぜ狩猟に行く前には何も飲んだり食べたりしないのかというわたしの問いかけに最年長の男はぽつりとそれが「プナンのやり方なのだ」と答えた )。わたしはもっとも近場のジャングルに入って獲物を探すというラセンとドムについてゆくことにした。

 ほどなく鬱蒼としたジャングルのなかに入った。ジャングルのなかに入り込んだ途端、わたしの脳裏にはプナンの神話世界が浮かんできた。この地上に何もなかった時代、蛙の神ジャウィが事物であれ生き物であれ、あらゆるものに名を付けた。蛙の神によってあらゆる事物や生き物が生み出された。まず言葉が先にあったのだ。その原初の時代、マレーグマだけに尾があった。見てくれがいいと他の動物がマレーグマのところに尻尾をもらいに来た。マレーグマは次々にそれを惜しみなく与えた。最後にテナガザルが来たときにはマレーグマにはもう他の動物に与える尾が残っていなかった。それで今日マレーグマとテナガザルにだけ尻尾がない。そのようにして神話のなかで、マレーグマは惜しみなく与えるという道徳規範をヒトに教えてくれたのである。そのころには、動物もヒトのように話し、ふるまっていた。ジャングルにはそうした神話の世界が息づいている。

 ジャングルを歩いていると前方の木の上で小動物のようなものがちょろちょろと動いているのが見えた。ドムはわたしにあれはリスだと教えてくれた。ムジサイチョウが高い樹々の上を飛んでゆく。はばたく雄大な羽音が聞こえる。樹上高くサルの類が葉をざわつかせている。それらは人間と同じように何かに反応して動く。魂をもっている。プナンはこうも言う。動物とヒトは見かけがちがっていても、それほどちがいはないと。解体してその内部を覗いてみるならば、動物も人間も同じように心臓 、脳、肝臓 をもっている。それゆえにクネップ=心をもっている )。その意味で、動物は、人間と同じように、再帰的な主体として現われる 。

3.ドムの狩猟行、昼、ジャングルにて

 その日は、ジャングルのなかにはイノシシシの真新しい足跡はほとんど見あたらなかった。遠くの峰からリーフモンキーの鳴き声が聞こえてきた。クゥオークゥオークゥオクゥオクゥオクゥオクゥオ。おれたちは、ジャングルのなかを歩いても歩いても、お目当てのイノシシには出くわさなかった。新しい足跡さえ見あたらない。ラセンとおれは、そのうちにイノシシではなくてリーフモンキーやブタオザルなどを狙撃しようと考えるようになった。ちょうど樹上の動物や小動物をしとめるための散弾も2発ある。われわれは下を向いて足跡を見て歩くよりも、樹上に目を凝らしながらジャングルのなかを歩き回るようにした。遠くでクロカケスがさえずっている。トゥアイトゥトアイトゥトゥアイトゥトアイトゥ。ジャングルのなかには陽射しは届かないので天空の様子は分からないが、どうやら雨が降るようだ。そうクロカケスが教えている。木の上で何かが動いているのを察知した。さきほど遠くで葉を揺らしていたブタオザルのようだ。距離にして、ここから200メートルほど先の樹上だ。ラセンは猟銃の筒に散弾銃を補填して、音を立てないように小走りで獲物がいるほうへと近づいて行った。ブタオザルの集団はどうやら危険を察知して、警戒しはじめたようである。ブタオザルはヒトが放つ匂いに対して敏感だ。甲高い声を上げて逃げようとする。樹から樹へと飛び移り始めた。そのときである。ドゥドーン。前方に一発の銃声が響いた。急いで駆けつけると地上からブタオザルがズドンと落ちてきた。散弾が何発か命中したのだ。見るとそのブタオザルのメスは血をたらたらと流しながら虫の息だった。それを見て、ラセンは、何のためらいもなく、即座に山刀の反対側で頭をコツンと強く叩いて息の根を止めた。もってきた籐の籠に獲物を畳み込んで、おれがその獲物を担いで帰ることになった。

  1時間くらいかけてジャングルを出ると、ジャングルの外は、クロカケスが教えてくれたように、土砂降りの雨だった。ブタオザルの魂が名前を呼ばれて怒らないように、おれたちはその獲物をウムンという別名で呼んだ )。ラセンとブラユンとおれは、その後しばらくして狩猟キャンプに到着した。5時間ほど歩き回って獲物はこのブタオザル一頭だけだった。狩猟に出かけた仲間のうちキャンプに戻ったのはわれわれ3人が最初だった。 おれはすぐに炭火で火を起こした。薪を割っているときに、そばにいたブラユンがカメラを取り出してその獲物を撮影しようとしていた。おれは手を止めて、それがよく写るようにと両手を持ち上げてポーズを取った。その様子を見て、タバコを吸っていたラセンはゲラゲラと笑った。おれは調子に乗ってその獲物にいろんなポーズを取らせた。ラセンとおれはしばらくの間笑い転げた。ブラユンはその間パシャパシャと写真を写していた。馬鹿騒ぎが一段落するとおれはその肉を解体して中華鍋のなかにぶちこんで、ブタオザルの肉のスープをつくった。

4.ティマイの唱えごと、夜、激しい雷雨のなかで

Iteu ulie amie padie melakau, puun ateng menigen, saok todok kat, selue pemine mena kaan, uyau, apah, panyek abai telisu bogeh, keledet baya buin belengang dek ngelangi
戻ってきたぞ兄弟たちよ、獲物はまったく獲れなかった、何も狩ることができなかった。嘘を言えば父と母が死ぬだろう。ブタの大きな鼻、かつてイノシシだったマレー人、トンカチの頭のようなブタの鼻、大きな目のシカ。夜に光るシカの目、ワニ、ブタ、サイチョウ、ニワトリが鳴いてやがる・・・!

  ラセンたちとは別の猟場に出かけたおれたち4人のメンバーは、獲物が得られなかったときのつねとして、動物に対する「怒りのことば」を唱えながら、手ぶらで狩猟キャンプに戻ってきた。朝っぱらから夕方までジャングルを歩き回って、結局、おれたちには獲物がなかったのだ。運がなかった。今日のおかずはラセンがしとめたブタオザルの肉だけだ。いや獲物があるだけましなほうかもしれない。

 ドムがつくったブタオザルの肉のスープをおかずにして、サゴヤシの澱粉を囲んで皆で食事をした。食事を終えて水浴びをしたころには陽はどっぷりと暮れた。小屋がけで蝋燭の火を灯したときに突然遠くで稲光がした。グォグォグォーン。つづいて遠くで物凄い雷鳴が轟いた。空を見上げると一面に低く雲が垂れ込めている。雷鳴は鳴り響いていた。雷神が怒っている。しだいに雷鳴の回数が増え、その音量が大きくなって、雷雨はこちらのほうに近づいてきているようだった。その瞬間、突風が吹いて蝋燭の灯が消えてしまった。まったくの闇の空間。天空をつんざく稲妻がわれわれに一瞬光を与えた。ドムがあわてて木の切れ端を寄せ集めて壁をつくって蝋燭に火を灯した。そのとき、大粒の雨が降り始めた。よりいっそうがなりたてるように轟く雷鳴。グォグォグォグォーン。土砂降りの雨と稲光。雷神の怒りはおさまらない。おれにはピンと来た。昼間、ラセンとドムがブタオザルにポーズを取らせてゲラゲラ笑ったというではないか。それがこの嵐と雷雨を引き起こしたにちがいない。ブタオザルの魂がラセンとドムのふるまいに怒って、天空の雷神のもとに駆け上がったのである。おれは髪の毛を引きちぎってそれを燃やしながら、雷雨のなかに飛び出して天に向かって唱えた。

Baley Gau, baley Lengedeu. Akeu pani ngan kuuk baley Gau, baley Lengedeu. Ia maneu liwen anah medok ineh . Mau kuuk liwen mau kuuk pengewak baley Gau baley Lengedeu. Ia maneu liwen Berayung gamban medok. Dom Lasen mala ineh maneu kuuk seli liwen. Pengah akeu menye bok mena kau baley Gau, baley Lengedeu. Mau kela baley gau, baley Lengedeu
雷神よ稲光の神よ。おれはあんた、雷神と稲光の神と話している。嵐を起こすのは、ブタオザルのせい。雷神よ稲光の神よ、嵐を起こすのを止めておくれ。嵐を起こすのは、ブラユンがブタオザルの写真を撮影したから。ドムとラセンがそれを笑って、そのことがあんたの気に障って嵐を起こしたんだ。おれはあんたのために髪の毛を燃やした。雷神よ稲光の神よ、止めておくれ!


  しばらくすると、その激しい雨は小振りとなり、雷鳴ともどもしだいにおさまった。

5.発表者の解釈、夜、寝ながら唱えごとを聞いて

   わたしは狩猟キャンプのなかで雨がかからないようにうずくまってティマイの唱えごとを録音しながら聞いていた。激しい雨音でよく聞き取れないが、祈願文のなかで、わたしの名前がひんぱんに語られている。どうやら、昼間の写真撮影でブタオザルにポーズを取らせてあざ笑ったことが、その嵐と雷雨を引き起こしたとティマイは考えたようだ。ドムとラセンとわたしの3人が、しとめられたブタオザルに対してまちがったふるまいをしてしまったのである。長老ジャネのいう戒めを破ってしまったのだ。ティマイは、ブタオザルの魂はその粗野なふるまいに腹を立て、天空へと飛び立ち、雷神が怒ってわたしたちに罰を与えたと推論したようである。

 プナンにとって、ブタオザルを含めて、動物は人間と同じように魂を持ち、人間と同じように心で怒りを感じる存在である。そこでは、動物と人間は「身体性(physicality)」は異なるが、同じような「内面性(interiority)」をもつ存在として捉えられている )。そのように、プナンにとって、動物と人間は、内面性(魂)を分かちもつ点で、きちっと切り分けられるような存在ではない。自然のなかでは、すべての現象や事物に平等の地位が与えられており、とりわけ、生き物に関しては、一頭の動物であれ一人の人間であれどんなものにも優先権はない。そういったことが、動物も人間と同じように魂をもつとプナンが言うことで示されているのではないだろうか。いずれにせよ、動物と人間の間に大きな違いはない。

 他方で、人間は動物を狩って、食べて生きてゆかなければならない。そのとき、人間にとって対象となる動物との間で、身体性と内面性に、どのような変化が起きているのだろうか。ここでは仮に、動物を殺して食べるという行動の背景には、人間と動物の間で、身体の物質性の点では類似しているが、内面性については異なる(=魂を認めない)という見方が成り立つと考えてみよう。動物を人間と同じ魂をもつ存在と見なしていては、人は、日々動物を殺害することに抵抗感を感じるはずだ。したがって、自然主義に拠りながら、人間と動物には魂の連続性はないという見方をベースにして、人間は、道具と技術を用いて、一方的に、動物を殺害し、解体・料理して食べることが可能になる。言い換えれば、人間が、獲物である動物に対面する場合には、動物と人間の魂の連続性が断ち切られ(=内面性が分断され)、動物が人間にとって操作と加工の対象(=死せるマテーリア)となる。

 しかし、はたして、プナンにとって、動物と人間の魂の連続性(=内面性の類似)という価値は、狩猟から食へのプロセスにおいて、魂の非連続性(=内面性の違い)へと変更されるのだろうか。どうやら、そう単純なものではないようである。プナンはよく、獲物はすばやく解体・料理しなければならないという。その間に、まちがったふるまいをして、魂をもつ動物を怒らせないためである。また、獲物を前にしてその動物に言及しなければならない場合には、プナンは、その動物の名の代わりに別名を用いて動物を怒らせないようにする。そうした諸規範の実践をつうじて、動物と人間の魂の連続性の価値それ自体は、いっこうに変更されることがない。つまり、プナンは、動物と近接しなければならない場合において、決められたふるまいをつうじて、動物と人間の間に魂の連続性があること、すなわち、それらが内面的に類似しているという原則を維持しようと努めているように見える。

 別の角度から述べれば、プナンは、動物と人間の魂の連続性という大原則を揺るがせにしないために、動物をあざ笑ってはならないであるとか、獲物はすばやく解体料理しなければならないであるとか、種の名前を呼んではならないというような、動物に向き合ったときの禁忌実践を複雑に発達させ、動物と人間の間の近接を禁じてきたのである。そのように理解すれば、プナン人たちは、そうした存在論の底に、人間と大部分の間(多くの動物を含む)は、同じように再帰的な主体であることを認めているという事実が浮かび上がる。

 最後に、こうしたプナンの人間と動物をめぐる民族誌には、自然と社会の二元論思考を再検討する上で、いったいどのような意味があるのだろうか。いましがた述べたように、プナンにとって、人間と動物は、ともに魂をもち、内面的に類似している。そこでは、魂をもつことにより、人間と間が同じ主体的存在、一つの主体として立ち現われる。その主原則が大きく崩れることがないように、動物をめぐる禁忌が行われ、人間と動物の近接が禁止されていた。そうした考え方は、部分的に、ヴィヴェイロス・デ・カストロのいう、「単一の文化、多数の自然」から成る「多自然主義(multinaturalism)」の考え方に近いものである )。

 多自然主義は、人間と間が等しく主体=文化であることをベースにして、「単一の自然、多数の文化」から成る「多文化主義(multiculturalism)」という知の枠組みの組み換えの可能性に開かれている。多文化主義とは、自然という共有世界を想定し、文化は多様だとする、欧米近代に主流の考え方である。そこでは、身体と物質の客観的な普遍性が確認された上で、精神と意味の主観的な特殊性が確認される。それに対して、多自然主義では、文化あるいは主体が普遍の形式であって、自然や客体が特殊の形式となる。「西洋の多文化主義が公共政策としての相対主義なら、アメリカ先住民の観点主義者のシャーマニズムは、宇宙論的なポリティクスとしての多自然主義である」 。多文化主義では、それぞれの文化の主体である人間同士が交渉し、一方、多自然主義では、人間、動物、精霊などがそれぞれ主体的存在として社会宇宙を構成し、交渉にあたる。

 自然と社会の二元論思考は、単一の自然を想定し、社会を構成する人間主体だけに精神を与えてきた。これまでのところ、人間だけに精神を与えるような考え方を批判的に乗り越えるために、人間と間を同位のアクターとして位置づける理論が提起されてきている。そうした理論的課題の検討状況の進行を見やりながら、人類学者はこれまで、多文化主義から出発することで、そのバイアスによって、人間と間が、同じように主体であるような多自然主義的な状況について語りうる方法をもち合わせてこなかったのではないだろうか。民族誌に基礎を置きながらこうした問題に取り組んできた、ヴィヴェイロス・デ・カストロやデスコーラらの議論に合流しながら、人間と間を同時に再帰的な主体的存在であると捉えるような人びとの民族誌の詳細な検討をつうじて、自然と社会の二元論思考を問い直すための議論だけでなく、そのおおもとのところにある西洋思考の再検討の議論にも接近してゆくことが、今後に残された課題である。

第44回日本文化人類学会(
立教大学)分科会(2010.6.12.)
「自然と社会の民族誌:動物と人間の連続性」 (代表:田所聖志、東京大学&奥野克巳、桜美林大学)のうち、奥野克巳「ボルネオ島狩猟民プナン社会における動物と人間~近接の禁止と魂の連続性~【エピソード・ヴァージョン】」の発表原稿


アイヌのイヨマンテ

2010年07月09日 22時34分49秒 | 宗教人類学

本日の文化人類学の授業で、アイヌのイヨマンテ儀礼を取り上げた。その儀礼は、熊猟において持ち帰られた子熊を人の子以上に丁重に飼い育て、やがて、成長した熊を殺害し、その肉をふるまう儀礼である。つまり、それは、熊の姿で人間の世界にやってきた神を丁重にもてなした後、神を神々の世界に送り返すために行われる。人間にもてなされた熊=神は、神の世界に戻った後に、他の神々に人間の素晴らしさを話し聞かせると、他の神々も、熊となって人間の世界を訪れるとされる。そうした見取り図を示した上で、解説を加え(中沢新一、「映像のエティーク」のなかのイヨマンテをめぐる記述)、ビデオ(1931年、BBC)を見せた。

それは、飼い育てた熊を残酷な方法で殺害し、肉をみなで食べるという内容の儀礼なのであるが、わたしとしては、なぜアイヌの人びとが、そうしたことをしなければならないのか、そういったことを行うことによって、何を表現しようとしているのかを、受講者たちが、真剣に考えているのかどうかを確かめたかった。ビデオを見たすぐ後に、
どれほど理解してくれたのかについて<小テスト>を行った(「何が分かったのかについて簡潔に書きなさい)」。全体として、見取り図をなぞるような内容のものが多かったため、わたしとしては、その点において、不満を感じたのであるが、なかには、いろいろと頭を働かせて考えようとしているものもあった。以下、記録として。

【???】

「イヨマンテの儀礼をする時には、本当に多くの人たちが協力し合っているということが分かりました。大人から子供が全員の力を合わせてイヨマンテの儀礼をしていました。熊に対する攻撃をする時でも集団で攻撃をしていました。イヨマンテは、動物に関して独特の考えを持っていて、文明の違いが分かりました」(LA2)という理解が、一応のところ、考えようとしているという点で、ここで取り上げなければならないほどに、表面的に、わたしが解説した見取り図を
繰り返すだけのものが多かった。しかし、この学生の理解は、イヨマンテそのものに届いていない。そうした奇妙なやり方を、たんに「文明の違い」に還元してしまっている。

「今の私にとっておかしい所もたくさんあるが、それは文化の違いであり、人間の開き直りではないと信じるしかないと思った」(LA2)というかたちで、彼らのやり方を、けっして、文化の違いに還元してはいけない。

さらに、「ただ自分の意見としては動物を殺す、物を壊すといった行為を神と神の世界に返すなどの理由をつけてやっているにすぎないのだと思いました。人間は神という理由があれば平気で残酷な事をする人だなと思ったのが正直な感想です」(LA2年)。ひぇ~、正直すぎるよ。考えようとしているけど、まったく分かっていないではないか!イヨマンテは、残酷な行為のたんなる宗教的な理由づけという意見。わたしは、教えることがいやになる。いや、もう少し忍耐を持つべきか。

同じような内容のものとして。「どうしても感情論的に見ると、人間の子供以上に大切に育てた熊を殺して食べるなんて、残酷だと思ってしまいました。これはあくまで儀礼なので、アイヌの人々は心を痛めたりしないのでしょうか?儀礼に参加していた人々がみんなが、熊から少しも目をそらさずに、熊を見つめていたのが印象的でした・・・」(LA3)。やはり、残酷だと感じる域をやはり一歩も出ていないですね。「熊から少しも目をそらさずに、熊を見つめていたのが印象的だった」ということの意味を考えてみてほしいのです。なぜ、そうした華やいだ雰囲気のなかで、飼い育てた熊を殺すのでしょうか?残酷かもしれないけど、あえてその残酷さを目にすることによって、彼らは何をしているのでしょうかということを。そうした儀礼でしか表現することができない、
人間の実存のあり方が、そこでは表現されているのではないでしょうか。

「アイヌにしてみれば、自分たちがより良く生きるために必要な儀式なのだろう。しかしボクは『逆の立場だったら』と考えてしまってしかたがない。人間が、もし他の星へ行って人間を食す高度な生命体につかまり同じことをされたら・・・どうしてもそんな考えばかり頭にうかぶ。あの映像を見て、それしか考えられなくなってしまった」(総文2)。物事の本質を理解するのに、その空想力は邪魔である。

こうした相対化をまだ体得していない見解の数々から、一歩踏み込んで考えようとしているが、まだまだ足りない意見として。その意味で、
イケテナイ理解に属するものとして。ビデオを見た感じだと、熊がかわいそうにしか見えませんでしたが、話を聞いたり、文章を読んだりして、熊の姿で人間の世界にやってきた神を丁重にもてなし、送りの儀礼(イヨマンテ)を行って神々の世界にお帰り頂くものとして解釈されていたということを知った。資料に書いてあった通り、かわいがっていた熊を殺し、丁寧に解体してあげることは、残酷だと思われるのは、とても分かりました。しかし、生き物に対する慈悲は残酷を否定するというのは、とても難しいことばだなと思いました」 (LA4)。慈悲を実践するだけでは、残酷の先にある事柄の本質を曇らせてしまうということですよ。そこを踏み込んで考えてみなければならないのです。

【○○○】
さて、次に、理解を示してくれたもの
「例えば、身近な所で言えば日本人は魚などを食べる時骨をしゃぶるくらいキレイに食べる。このことについて私は父に『日本人は食べ物(動物)にも神がいて、自分達が生きていく上で殺して食べなくてはいけない。だからこそ敬意を表していただくんだ』と聞いた。動物をペットとして見る事が多い今、とてもショッキングな映像ではあったが、同時に”人間というものは本来どういう動物なのか”を思い知らされた。そして現代人が眼にする事のない動物の”殺し”の現場を見て学ぶアイヌの子供達は、より感謝と生きていくという事を学べるんだと思った」(LA2)。うん、お父さんのことばも助けとなって、イヨマンテ理解のいいところまでイケテイルと思います。

「現在の私たちは動物を殺すこと=残酷として背を向けている。しかし何物も自然からの贈り物であり、それらのおかげで私たちは生きている。イヨマンテは、『自然に感謝する』という当たり前な、しかし現代の私たちには忘れがちなことを思い起こさせてくれるものだった。また、アイヌの人々はイヨマンテを行うことで(自分たちと関わる全てのものに)神として送り出していたことから、それが礼儀(エチケット)だと考えていたことが分かった」(LA3)。そう、私たち現代人は、スーパーで肉を買うから、自然が恵みを与えてくれることに対する感謝の気持ちを忘れてしまっているのです。そのことをイヨマンテが思い起こさせてくれるのですよね。

同様の意見として。「イヨマンテの儀礼というのは、何も知らない人から見れば、ただのむごいだけの儀礼かもしれません。しかしその行為の一つ一つにはとても深い意味があるということを知りました、熊を神の化身として丁重にあつかい、その後神々の世界に返すために盛大な儀礼を行い、その熊を殺す。この儀礼の中で、わたしはアイヌ民族の日々生きていけること、食事をできることへの自然に対する深い感謝の念を感じました。現代に生きる私たちは、食事ができることが当たり前で、生命を殺し作った食べ物を平然と捨てる。私たちとアイヌ民族、本当に野蛮なのはどちらか?深く考えさせられる儀礼でした」(LA3)。しっかりと分かっている。

きちっと理解している答案として。「この儀式は、自分達にめぐみを与えてくれる自然神に対して、アイヌの民族の人達の礼儀、思想の一部なのだという事がわかった。一見残酷に見えるこの儀礼の中には、自分達のために利益を与えてくれる物達へのアイヌの人達の思いやり、感謝を表す一つの方法なのだということが理解できた。なぜ?子熊を自分の子以上に可愛がって育てるのに、最終的に殺してしまうのかという事に対しては、その熊の器を借りてやってきた神に対して、心づくしのおもてなしをして、あちら側の世界(神々が本来あるべき場所)に気持ちよく帰ってもらうための行動なのだと言う事なのだと思った。アイヌの儀式を通して、命を捧げてくれる物達へ、人間は本来どのようにあるべきなのかを教えてくれた」(LA2)。そのとおりだと思います。

「今の私には”神”そのものの存在自体よく理解していないので、生き物を殺すということは、あまりにも残酷だと思ったが、このアイヌの人々の考えにもとづいて行われたイヨマンテは、人間と自然と生物を一つの輪でつなる
ような、共に生きているみたいな神聖な儀礼と思えた。また、殺すというよりも”神”をまた元の世界に戻すために全てのモノに対してこのイヨマンテを行うアイヌの人々の心もまた清らかなのかなと感じた。”イヨマンテ”を行うことで、礼儀正しさを考えるアイヌの人々はイヨマンテ自体をエチケットとして考えているのだから、全てに対して”はだか”だなあとまぢまぢ感じました」(LA3)。「人間と自然と生物を一つの輪でつなげてような、共に生きているみたいな神聖な儀礼」、ほう~、なるほど、人間が自然(熊・神)によって生かされ、自然(熊・神)に人間が礼儀正しくふるまうということで、すべて共に生きているということを表しているってことですかね。

同様の理解として。
「イヨマンテは、人間として自然・動物たちと向き合うことの真実を伝えている。人間はいろいろなものに支えられていて、キレイ言ではなく、そこと人間はどうつながっているのか。今の人間が忘れてしまった、また避けていることをつきつけてくれる。」(LA3)。

「神を送り返す、また来てもらい肉や毛皮を持ってきてもらうという熊送りのイヨマンテ。神を人間に豊かさを与えてくれるという、ある意味都合のいい解釈に感じたが、そこには熊をはじめ全ての自然に人間は生かされているという自然崇拝の形を見た。小熊を育てるという点は、より大きくして肉を得るという利己的な面があるように思えたが、それよりも神をもてなす、感謝する、そして家族の一員として人間も神(自然)も同列にあり、だからこそ礼を尽くすことで対価としての豊かさを得ようという考えもあるように思った。このようなアイヌの自然観、あるいは世界観をイヨマンテから理解することができると私は考えた。」(LA2)。都合のいい解釈をしていたり、利己的な側面に対する疑いを抱きながらも、イヨマンテには、人間と神の交換のなかで、礼を尽くす面もあることを読み取っている。