2月の半ばのとある日、レンタカーのハイラックスを借りて、プナンの村に着いた。
ハイラックスにはその後、どえらい目にあうことになるが、それはさておき、到着した日の翌朝早くに、猟に行こうではないかということになった。
午前5時過ぎ、眠い目をこすりながら起床し、借りたばかりのハイラックスで、アブラヤシ農園の猟場に向かった。
車を降りてしばらくすると、夜が白々と明けはじめ、数頭のイノシシが10メートルほど先を猛スピードで駆け抜けるのが見えた。
われわれは、その親子のイノシシを追った。
アブラヤシ農園を抜けて、ジャングルに入った。
そこここに真新しいイノシシの足跡があっただけでなく、動く物音が聞こえ、たしかにイノシシの気配があった。
イノシシの水浴び場で少し待ってみたのは、午前10時、かれこれ4時間ほどぶっつづけで歩いた後だった。
そこで待ち伏せしている間に、疲れてうとうととしてしまったようで、突然の「行くぞ(tae)」という声で起こされた。
ああしんどと思いながら下方に向かって歩き始めた瞬間だった、前方で銃音がとどろいた。
ほぼ同時に、ジャングルのなかで、イノシシが転落していく物音。
血痕だ、その先に、子イノシシが斃れて、足をばたばたさせている、一瞬のことだった、死に至る瞬間だった。
一発で二頭にあたったが、もう一頭はどうやら逃げたようだという、血痕が滴り落ちている。
逃げた子イノシシを探しに行くから、「ここで待て(mekeu teu)」と、指示された。
しばらくして、15メートルほど先の藪で、イノシシの短い悲鳴。
後から聞くと、山刀で、その子イノシシの心臓を一突きしたのだという。
その様子を見に行こうとした瞬間、「ここまで持って来てくれ(miin teu)」という声が届く。
えっ、誰が、何を?俺しかいない。イノシシを、殺したてのイノシシを?
とっさに断る理由が見つからず、子イノシシが最初に息絶えたことを確認した場所へと戻り、恐る恐る、死んでいることを確かめる。
さきほどの最期の瞬間の動きが、まだ目の裏に焼きついたままなかなか離れようとしない。
う~ん、どうしよう、日本の猟師は獲物を引き摺ると言っていた、しかたない、そうしよう。
引き摺っている間、子イノシシは、蔦や木の枝に絡まり、その重みで転げ落ちそうになるのをなんとかしのいで、やっとのことで獲物を手渡す。
するとどうだろう、ひょいとイノシシを肩に担ぐではないか。
そうだ、それがプナンの初次段階での動物の担ぎ方なのだ。
その後、川の水を使って臓物が処理され、二頭の子イノシシは、麓まで運搬しやすいようにまとめられて、運ばれたのである。
クチン、テラン・ウサン・ホテルにて