たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



マナーやモラルの低下が問題とされ、倫理観の復権、倫理教育の必要性が叫ばれているが、その先に、せいぜい行われようとしているのは、個々人の道徳観・倫理基準のすり合わせの再確認程度のことであって、いったい、それらは、どういうものであるのか、どういったものとして、人類社会のなかに立ち現れたのかということに関しての認識や探究へと、なかなか発展していくようなことはない。いったん、ポーンと、わたしたちの社会の外部へと出ることをつうじて、そのような問題に関して手がかりを得ることはできないだろうか。そのような点を踏まえて、わたしは、今月、プナン人が、道徳や倫理というものをどのように捉えているのかということについて、調査してきたいと思っている。今のところ、わたしたちのことばで定義できるような道徳や倫理の観念とピッタリ一致するものを、プナン人がもっているのではないだろうと思っている。個人の内面の問題としての倫理、社会が個人に与える道筋としての道徳という、西洋哲学的な仕分けは、プナン社会には、まずはないだろうと思っている。プナン社会に、道徳や倫理という観念自体があるかどうかということ自体が、そもそもかなり怪しい。西洋哲学的な意味において道徳といったときに、すぐさま思い浮かぶのは、アデット(Adet)と呼ばれる「慣習法」である。「慣習法」で裁かれる対象として、「善悪」の概念を含む道徳が、少なくとも、今日、プナン社会では、見られるように思われる。アデットは、そもそも、プナン人固有のものではなかったという、サーカンブとセラートの見方は、おそらく正しいように思われる。ボルネオの熱帯雨林のなかで、遊動的な暮らしをしていたプナン人には、そもそも、時間の観念は必要なかった。彼らは、過去と未来に対する関心をほとんどもたなかったのである。しかし、彼らが過去を必要とし、アデットを必要とするようになった背景には、ずっと、それまで、彼らが豊かな熱帯雨林で生き暮らしてきたという歴史を主張し、ノマディックな集団として、ルール、すなわち、慣習法によって秩序正しく、その土地を使ってきたという主張をしなければならなくなったという、サラワクの近代化を背景とする特有の事情があった。そのようにして、プナン人たちは、ボルネオ島に住む焼畑稲作民が保持してきた慣習法の体系を模倣して、採用するようになったのである。今日、先住民を支援するNGOが、慣習法の知恵をプナンに授けているという見方もある[Peter Sercombe and Bernard Sellato(eds.) Beyond the Green Myth]。そのような、プナンを取り巻く政治的・社会的な変化に対応して、プナン社会内部にアデットの観念が芽生え、その後、プナン社会の内部でも、人間・社会関係を整理するために、アデットが用いられるようになったということは、十分に考えられることであるように思う。人間関係のいざこざがあった場合には、アデットで解決する。あるいは、そういうかたちで、秩序を組み立てることが、アデットであると、プナン人たちは言う。アデットは、その法秩序のベースにある道徳を、人びとに対して要請する。もちろん、そういった点も十分に押さえなければならないだろうとは思うが、わたしが特大の関心を抱いているのは、政治的・社会的な、慣習法的道徳の成立とは異なる、人間の実存に深く関わるような倫理の成立というか、人間社会のありようを深く規定するような道徳の起源についてである。どちらかというと、人間同士の間の、あるいは、対外的な政治体制との関わりにおいて立ち現れるものではなくて、人間の生命を長らえさせてくれるような自然、あるいは、それを駆動させる超越的な主体との関わりにおいて立ち現れるような道徳や倫理の実相とでもいうべきものに関心を寄せている。目指されるべきことは、人が生きていることに関して、人間と自然との間の深い理解をつうじて、ようやく、道徳や倫理は意味をもつのであるというような、具体的・説得的な事例の呈示である。

(写真は、小船で猟に出かけるプナンのハンターたち)



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激忙の如月であった。プナンのフィールドに向けて、何らかの準備をせねばならないと思っていたが、結局、何一つできなかった。せめて、プナンのフィールドに行くとは、いまのわたしにとってどういうことなのだろうかということを考えてみた。それは、わたしにとっては、料理をするのに、スーパーマーケットに行って食材を買ったり、目標をもって行動するようにと学生たちに指導するというような日常から、それらのことが、ほとんど意味をなさないもう一つの世界に入っていくことにほかならない。わたしがワクワクするのは、おそらく、プナン人たちの「生きるために生きる」という純朴たる日日のありように(とはいうものの、そこに乱れがないというわけではない)、人間行動の起源のようなものを嗅ぎとることができるからではないかと思っている。

ふと、いまから20年前の1988年の日記を開いてみた。そうだ、あのフレーズを見つけようと思って。12月20日に、わたしは以下のように記している。

サマリンダから船で出発して早くも4日目。船はどんどんとマハカム河を遡る。昨夜は、ムハマック・イルイという小さな村に船は泊まった。小便に行こうとして、足をすべらせて一瞬川の中に落ちた。くわえていた煙草は大丈夫だったが、サンダルを片方失くしてしまった。しかし今朝起きてうろうろしていると、(停船している)小船の中に見つけた!それにしてもトイレ・・・どんどんと形を失っていく。というか簡素化されていくのだ。先ほど入ったトイレ(=川べりの厠)は、ほとんど河の上にたゆとうていて両足を置くための2本の木までもが水の中につかってしまっているといった様子だ。

サマリンダは、インドネシア・東カリマンタン州の州都。サマリンダから蒸気船は、マハカム河を遡り、しだいに、先住民の人びとが住む奥地へと進んでいく。川幅は次第に狭くなり、密林が迫ってくる。そこでの、トイレ経験について、わたしは語っている。
そして、4日目の夜、わたしは、ようやく先住民バハウの村に到着した。

翌12月22日の日記。

それにしてもこちらに来てだんだんと自分が「形を失っていく」のがわかる。例えば便所。例えば、歯磨き。雨が降った時に水を桶(ドラム缶)にためておく。それを使う。料理の水もそれを使う。川では大便が沈んでいき、小便が流れて消えていく。洗濯水、せっけん水が流れ、そこで育った魚を獲って食べる。人間が人間たるべき原始の姿に近いものがここにはある。というか、それが一番生活しやすいからだろう・・・

日記を読むと、わたしは、直近にある川の水を利用して組み立てている人間行動に、
そうとう大きなショックを受けたようである。翌23日の日記にも、一行目に、「このままどんどんと『形を失っていく』のだろうか」と綴っている。それから3日後、旅を続けていくなかで、便所そのものがない村にたどり着き、村人の勧めにしたがって、わたしは、生まれて初めて、川の中で糞便をしたようだ。「川の中で大便をしたのは生まれて今日がはじめてだ!!」

「形を失う」経験は、大学を卒業して企業に勤め始めたのだけれども、それを辞めてふらふらと旅を始めたわたしにとって、空間的に時間的に、人間を遡る旅だったのだと思う。都市部には、日本と同じような水洗トイレがある。船には、板に丸く空けられた穴があるだけになる。川べりには、簡素な木の囲いがあるだけの厠があるだけになり、とうとう、厠もなくなり、川の中で直接的に排便をせざるをえなくなったのである。

旅を続けるうちに、どんどんどんどんと、起源へと遡るような感覚。人間の行動の起源には、何があったのかということに対する想像力は、その頃に、わたしのなかに芽生えたのかもしれない。それから20年経った今、わたしは、ふたたび、「起源」について考えたいと思っている。

たとえば、プナン社会の人びとと暮らすことで、人間、雷神、動物の関係を手がかりとして、「倫理の起源」について考えてみたいと思っている。以下は、その研究計画であるが、記して、今回のフィールドワークにおけるわたし自身の課題としたいと思う。

熱帯の天空高く、遠くにあらわれる黒々とした雨雲。それは、やがてグォーンというとてつもない音を立てて轟き渡る。

プナン人にとって、それは、雷神バルイ・ガウの怒りにほかならない。どこかで誰かが動物をさいなんだことに憤激した雷神は、人間を稲妻で石に変え、鉄砲水で集落もろとも押し流そうとする。雷鳴を聞くやいなや、プナン人は、雷神の怒りをなだめるために、唱えごとを始める。それは、プナン人にとって、ほとんど唯一の儀礼というべきものである。

しかし、雷雨や大水といった、プナン人にとって最大の脅威でもある災害の原因が、なにゆえに、動物をあざわらったり、動物にいたずらをしたりするという人間のふるまいなのだろうか。それは、ジャングルの動物資源に重度に依存するプナン人たちが、動物との間に、他のものには代えることができない関係を打ち立てて、動物を考えるのに最も適した存在であるとしてきたからではあるまいか。

そのようにして、人間は、つねに、動物に対する「間違ったふるまい」(penyala)の報いを受ける。プナン人にとって、「間違ったふるまい」とは、動物をさいなむという、もっぱら、人間の動物に対する態度を指す。そのような「間違ったふるまい」をしないことが、プナン人の「倫理」の一部である。

プナン社会では、一般に、「やってはいけない」とされるふるまいの種類が少ないように思える。「善い/悪い」「こうすべきだ」「やってはいけない」というようなことを含む「道徳」が、あまり見あたらない。それだけでなく、「道徳」にあたることば自体がない。人命を危険にさらす行動などが、せいぜい「やってはいけない」こととして、意識されているくらいである。その意味で、プナン社会では、社会が個人に対して要請するような「道徳」の水位が低いといえるのかもしれない。そのため、動物に対する「間違ったふるまい」への咎め立てが突出して見える。

それに対して、動物に対する「正しいふるまい」とは何か。それは、狩られた動物を無言で、(「間違ったふるまい」をしないで)、速やかに解体・料理して食べることである。この一見何の変哲もない動物への態度は、「倫理」なるものが、どのように人間の内面から溢れ出すのかを示している。それは、感謝をほとんど表明するようなことがないプナン人にとって、動物を殺生してしか生きられない、ちっぽけな存在としての人間にできる、せめてもの動物への態度であるように思える。

いったい人間にとって、「倫理」とは何か。文化人類学は、「倫理」をめぐる議論にどのように貢献することができるのだろうか。プナン社会において、人間、雷神、動物の関わりのなかで組み立てられる、人が人としてとるべき態度としての「倫理」とその起源について考えてみたいと思っている。

フィールドへの出発を前に。

宗教や倫理を含めて、人間の活動の「起源」の探究は、文化進化論が葬り去られたと同時に、人類学のなかで葬られた。しかし、それらのテーマは、人間について考える、探究する上で、とてつもなく、重要なテーマなのではないだろうか。いまひとたび、起源への知的冒険に取り組むことは、スリリングである。「起源人類学」というネーミングは、ある領域のパロディーっぽい響きも含んでいることだし。

 (写真は、大阪・万博記念公園内の太陽の搭)



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