たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

締め殺しイチジクには髪の長い美しい女のカミがいる

2017年02月25日 13時15分48秒 | フィールドワーク

無花果(イチジク)の果実は鳥や動物に食べられ、糞とともに地上に排出され、発芽して、そこに立ってる木の幹を伝って根を伸ばしていく。根がやがて分枝し、宿主の木の幹を網状に覆うようになると、宿主の木は枯れてしまい、幹は中空となる。日本語で「締め殺し無花果」と呼ばれるFicus sp.は、無花果のうち着生型のものである。地表に落とされた無花果の種子の、意識や思考の原初形態のような、成長するための意志、志向性。不可思議な、フラットに言えば、特徴的な無花果の生態。

プナンは吹矢や槍や銃などの道具を用いてもっぱら一瞬のうちに獲物を殺害するため、「絞め殺す」作法を取ることはない。それは、人間が用いることがない自然のもつ「力」なのである。イチジクの枝は、時間をかけて元の木をじわじわと締めつけるようにして枯らせてしまう。それは髪の長い美しい女のカミ(baley)のなせる業である。シャーマン(dayung)には、その女神の姿が見えるのだといもいう。中空の幹は穿たれた孔の奥の神秘であり、森を歩く男たちにとっては神々しい女的な存在であると感じられる。プナンは、締め殺し無花果、女神、人間の女の身構えの類似性を感知している。アニミズムと呼ぶ以前にすでに。

2017年春、フィールドに入る直前の覚書として。


狩猟民的、あまりに狩猟民的な

2016年08月12日 13時31分13秒 | フィールドワーク

2016年夏、今年も、ブラガの森を訪ねた。

7月に大水が2回あった川で、子どもたちは時間を忘れて戯れていた。

ボルネオ・マーブル・キャット(Pardofelis marmorata)がはね罠にかかった。
プナンは、タリン・リヤン(taling liyan)と呼んだ。
極上の美味だった。

 

川べりでシカの胎内から仔が取りだされるのを、子どもたちはじっと見つめていた。

絞め殺しイチジクの大木。
それは長い髪の美しい女(の霊)だとプナンは言った。
複雑に穿たれた孔、それはまさに女だと思った。

猟師は、シワコブサイチョウの鳴きまねをして、近くまでおびき寄せた。
「お前は、俺の後ろの陰にしばらく隠れてろ」と言った。

胞子をまき散らすために地上に姿を出したキノコの地下に隠れたつるつるの菌床をプナンは「卵」と呼んだ。

魚網にかかった魚には、忌み名がなかった。
人々はその大漁に華やいだ。

川べりに植えられたジャックフルーツの木がたくさんの実をつけていた。


2016年03月08日 00時00分05秒 | フィールドワーク

エコクリティシズムの案内書の中で脱・人間中心主義の文学作品として紹介されていたベルナール・ウェルベルの蟻・三部作のうち『蟻』を読み蟻から見た想像世界に先ごろ暫時浸ったせいもあり折を見付けてブラガの森の狩猟小屋の周りで蟻の生態を観察しようとしていた所フタバガキ科の樹幹に蟻たちが群がって赤っぽい色をした何かに咬みついたりそれを運んだりしているのを目にした。私がその有り様を写真に撮っているのを見て何を記録しているのかを探りに来たプナンのある女性は蟻たちは「テナガザルの骨」を食べているところだと断じた。人がテナガザルの肉を調理して食べた時に嚥下できず周囲の土の上に吐き捨てた骨の欠片を蟻が捕食者たちから逃れて安全だと思われる木の幹まで運んで酸をかけ解躰し巣に運んでいたのである。テナガザルは果実や昆虫を食べるとされるが人間によって狩り殺されその肉は人間によって食べられその過程でその骨は人間によって投捨され蟻によって見付けられ運ばれ解躰されて蟻の巣へと持っていかれるのだ。テナガザルは果実だけでなく昆虫を食べる存在者である一方で人間に捕食され食べられる脱・存在者となる。人間によって土の上に無造作に打ち捨てられた残余の骨は蟻によって食べられるだけでなくそのあらゆる部位はそのほかの多くの有機的な存在者によって消費されるであろう。劃してテナガザルの不在は人間と蟻の生命を構成する助けになるが他方でそれらの生命もまた近い未来に巡り巡って他の存在者が生きる為の糧となる。

 


鳥、獲物、人間の三者関係

2016年03月07日 09時42分31秒 | フィールドワーク

鳥は人間にとってのたんなる他者ではない。ここにきてようやくおぼろげながら分かってきたのは、「(野生の)鳥」「生業対象」「人間」が、極めて実用的なレベルで三者関係を構成するということである。なかでも、狩猟民で際立っているのは、「鳥」「獲物」「人間」の間でダイアグラムが築かれていることである。

それは、鳥と人間の二元論的な世界ではない、鳥、獲物、人間の「三」に他ならない。

森の「空中の階層」(レヴィ=ストロース)。その最上部で、鳥は「点」的にそれに関わる。猿類は空中の階層の上部を「水平」的に、上部から下部に「垂直」的に移動する。人間は、林床で「点」的にそれに関わる。数日のうちに、キャンプにリーフモンキー2匹、テナガザル1匹が持ち帰られた。

リーフモンキー

テナガザル

ハンターは、リーフモンキーやテナガザルに人間が近づいていることを知らせるリーフモンキー鳥やテナガザル鳥は見かけなかったと語った。リーフモンキー鳥は、リーフモンキーと人の間を飛び回り、そのことで、リーフモンキーに危険が近づいていることを知らせる。その時、リーフモンキーは、木の茂みに身を隠すと言う。テナガザル鳥に助けられたテナガザルは、長い手を使って、枝から枝を渡って、遠くに逃げ去ってしまうと言う。

リーフモンキー鳥はリーフモンキー神、テナガザル鳥はテナガザル神の使いだとも聞いた。


ミツバチが飛んで来たら矢毒の準備にかかれ

2016年03月06日 23時45分48秒 | フィールドワーク

2月末から一週間ほどブラガの森の狩猟キャンプで過ごした。

季節性のない熱帯のボルネオ島の森(混交フタバガキ林)では、数年に一度の頻度で、花が一斉に咲き、続いて、実が一斉に成るという現象が知られる。広い地域で一斉開花・結実がある場合もあれば、限られた一帯だけでそれらの現象が起こったりする。その時期、虫や動物たちが花蜜や果実を求めて、果樹を目指して集まり、森の生命活動が次第に活発になる。

一斉開花には、ミツバチが最初にやって来る。プナンの古くからの教えは、「ミツバチが飛んで来たら矢毒の準備にかかれ」というものである。木を削って矢をこしらえ、植物毒を採取して、毒矢をふだんよりもたくさん作って、吹き矢の準備をする作業に取り掛かる。

吹き矢の準備

彼らは、ミツバチが花蜜を吸いにやって来ると、その後しばらくして、イノシシがやって来ることを経験的に知っている。イノシシたちは、花が咲く木の下で交尾をし、それから数か月後、一斉結実の前に出産する。

一斉結実の時期のイノシシは、「歩き回るイノシシ」と呼ばれる。「歩き回るイノシシ」は、広い地域に食べ物を求めて、集団で歩き回っているとも言われる。そのイノシシたちは、川を泳いで、別の場所に移動することで知られる。遊動の民プナンは、こうした採食行動をまねたのではあるまいか。

歩き回るイノシシたちがやって来ると、今度は、オジロウチワキジがやって来る。イノシシが実を食べていると、そこには、オジロウチワキジがいる。

一斉結実の時期、森には食べきれないほどの実が溢れ、イノシシは太って、脂身が多くなる。森は、イノシシやその他の動物たちにとってのユートピアというだけではない。人間も、果実を持ち帰る。人間は、次から次にイノシシを手に入れて、肉を食べて食べてお腹を満たす。

ヒゲイノシシの頭

一斉結実が終わると、森はユートピアであることをしばらく止める。森の生命は、次にやって来るミツバチを待つことになる。

締め殺しイチジクの木


アダー川沿い、狩猟キャンプにて

2015年08月21日 17時11分27秒 | フィールドワーク

2015年8月初旬、ブラガ川に注ぐアダー川沿いの森。

中米を専門とする人類学者、アフリカをフィールドとする人類学者、某大学院の院生の3名が、比較調査や調査テーマ発見のために、数泊の短時日だったが滞在した。
フィールドに別の観点が注がれ、私にとっては、新たにいくつかの発見があった。
私も、もう十年も通いつめている。

プナン人は、ラミン(仮小屋)を建ててくれた(写真)。
写真左の4つの白い蚊帳が、われわれ日本人研究者のものである。

獲れたてのでっかいララック(ヤマアラシ)が、小屋の前に転がっている。
私は、こんなでっかいヤマアラシは、初めて見た。
キャンプでは、ブタオザル、ヤマアラシ、ジャコウネコ、そして最後に、イノシシが獲れた。


 


プナンのトリと「超」パースペクティヴィスム

2015年08月20日 22時43分00秒 | フィールドワーク

夏のプナン短期調査に行くと、トゥヴィニ(tevini)と呼ばれているアマツバメを素手で捕まえた少年が、その獲物を私に見せに来た(写真).調査対象が向こうから飛び込んできたような、絶好のスタートだった.このアマツバメは、その後、すぐに料理され、食卓に上がった.


森の狩猟について行った.森で、ブクン(bekung)が鳴いた.双眼鏡を覗いたが、視認できなかった.ハンターが指差した先の樹木の上の方に穴が空いていた(写真).そいつが、つついて空けた穴だと言う.ブクンは、赤っぽい色の、尾のないトリだと言う.まだ、種を特定できていない.

トリの話を根掘り葉掘り、いろいろ聞いた.

以前から、その名前がひじょうに気になっていた、「リーフモンキー鳥」(たぶん、yellow-bented bulbul, Pycnotus goiavier)について聞いてみた.たぶん、それは、ハイガシラ・アゴカンムリ・ヒヨドリである.頭部は灰色、腹面が黄色のヒヨドリだ.

リーフモンキー鳥がいると、近くにリーフモンキーがいるのだと言う.それが、名前の由来になっているのだ.しかし、よくよく聞いてみると、必ずしもそうではないということが分かってきた.リーフモンキー鳥は、リーフモンキーを助けるために、人の近くを飛ぶのだと言う.どちらかというと、その点に、強調点があるらしい.つまり、人の近くを飛んでいる時、そのことを見たリーフモンキーが、捕食者である人間がいることに気づく.そのことによって、リーフモンキー鳥は、リーフモンキーの命を助ける.

捕食―被捕食の関係の編の目のなかで、動物や精霊などの非人間的存在の視点が語られる.それが、パースペクティヴィズムだとすれば、リーフモンキー鳥には、リーフモンキー鳥の観点だけでなく、リーフモンキーの観点が組み入れられているという意味で、そのトリの方名には、パースペクティヴィズムが二重化されている、あるいは、ある意味で、パースペクティヴィスムを超え出ている.超・パースペクティヴィスムが行われているとは言えないか.

「テナガザル鳥」(Flavescent bulbul, Pycnotus flavescens)というトリもいる.カオジロ・ヒヨドリである.彼らは、それは、テナガザルを助けるトリなのだと言う.そうしたトリは、上空飛行し、さえずって、捕食者である人間がいることを動物に伝えて、動物の命を助ける.鳥の鳴き声は、人間だけが聞くものではなく、全ての動物が聞くことができるインデックスである.それは、人間と動物にとっての共通言語のようなものでもある.

どうやら、プナンにとって、人間を助けるトリはいないらしい.トリは、つねに動物の味方なのである.その意味で、リーフモンキー鳥がさえずる時、近くにリーフモンキーがいるのだけれども、人間は捕まえることができないということが、その聞きなしにおいて指差される.

覚書として.

 


鳥、それは原初の人間にとっての手本であり憧憬であったのかどうか

2015年07月23日 23時16分58秒 | フィールドワーク

下の写真は、これまで撮ったビデオのなかで、プナン人に、サイチョウ(rhinocero hornbill)の鳴き真似をやってもらっているシーンである。それは、たんなる鳴き真似ではなく、ポクウォ(pekewe)と呼ばれる、動物の鳴き真似などで動物をおびき寄せて狩る「たぶらかし猟」でもある。

これまで、プナンのトリ(juit)については、折に触れてずいぶん調べてきた。というよりも、動物の方名、別名、動物譚、狩猟方法などを調べるなかで、必然的に、聞きなしを含めて、トリについてもデータが蓄積されてきた。

カーンカプット(ka'an kaput)と呼ばれる、動物譚に頻繁に登場するトリがいる。ある本では、カッコーのようなトリだと説明されている。そのトリは、ほとんど目撃されたことがない。鳴き声だけが、果実の季節になると聞かれるという、不思議なトリである。神話を聞きたいと言って教えてもらったなかに、いま一つ意味が呑み込めない話があった。そこには、カーンカプット、オジロドリ、イノシシだけでなく、「しおれた木」が出てくる。


カーンカプットは、果実の季節にやって来る。カーンカプットの鳴き声を聞いて、しおれた木は、果実の液を吸う。しおれた木が川の下流からやって来ると、イノシシは、今度は、花の匂いがしだいに漂ってくるのを知るようになり、ブラガ川やバルイ川にやって来た。そのようにして、イノシシは、しおれた木について行くようになり、果実を食べ、太りはじめた。オジロドリは、イノシシの後をついて行った。イノシシについて行くと、果実のたくさんある場所に辿り着くことができたからである。

ここで語られていたのは、<カーンカプット>⇒<しおれた木>⇒<イノシシ>⇒<オジロドリ>という、果実をめぐる捕食に関わる森の生態学に他ならない。プナンは、トリの渡りを知っている。そして、エドゥアルド・コーンふうに言えば、人間は、この「形式」を知って、イノシシ狩りをするのだ。

コーン『森は考える』(近刊予定)のなかにも、トリの話は、たくさん出てくる。フウキンチョウ、リスカッコウ・・・。菅原和孝『狩り狩られる経験の現象学』のなかにも、民族鳥類学の分厚い一章がある。菅原は、トリの聞きなしとは、私たち外部者にとっては「信仰」のように見えるが、現地の人たちにとっては、事の次第を見せてくれる「指標記号」なのだ、というようなことを言っている。おっ、それは、パースの記号過程のインデックス(指標記号)ではないか。旗が揺らめいているのは、風が吹いていることを指差する。トリの聞きなしとは、それと同じようなものだ、と言うのだ。カーンカプットの鳴き声が、果実の季節の訪れを告げるのは、指標記号なのである。一考の価値がある。

ここ一月ほどは、私のなかで、しだいに、トリのテーマが大きく膨らんだ。池袋の12階のオフィスで、風の強い日に窓の外を眺めていたら、窓のすぐ傍を、巨大なトリが、風に煽られないように流線型に体を絞り込んで、西を目指して、飛んで行った。動物園にも、猛禽類やカワセミなどを見に行った。トリのカタチは、他の動物に比べて、飛ぶという点で、際立っていることに、今更ながら気づいたのだった。トリの本をずいぶん買って読んだ(見た?)。小説も読んだ。梨木香歩『渡りの足跡』を読んだ。加藤幸子『心ヲナクセ、体ヲ残セ』も読んだ。それは、トリの視点からというか、作者がトリになって書いたとしか思えない小説だった。戸川幸夫『爪王』は、日本の鷹匠と角鷹の物語だった。

それでいま、プナン語のトリの方名の学名について調べている。今日は、双眼鏡も手に入れた。今回の一年ぶりのプナンの短期調査は、前半では、トリについて、いろいろ聞いてみたいと思う。

トリは、狩猟民にとって、ある場所から別の場所へそこからまた別の場所へ渡るという特質の点で、手本であり、憧れでもあるのではないだろうか?


モンゴルビューティーそのほか

2014年09月03日 18時09分41秒 | フィールドワーク

2年半ぶりの中国・内蒙古の地は乾いていた乾き切っていた

万里の長城を超えて草原へ草原から砂漠へ
ゲルに泊まり羊の屠畜を観察し羊肉を口腔から取り込み肛門から野に放ち


人が草を求めて移動し冬に向けて草を蓄えそれらを餌として家畜に与え肥育した家畜を人が食べそれを資源として利用するという循環的な暮らしに目を瞠り


母子の牛を騙して搾乳する手法に人の知恵を感じつつ乳を搾りチーズやバターという語彙だけには収まりきらない乳加工品の広がりに驚きつつ賞味し
馬の気持ちになって馬の群れを追い


他者としての荒ぶる馬を飼い馴らすさまの一端を目の当たりにし


遊牧にとっての道とはいったい何であったのかそもそも道とは何なのかというような事柄を妄想し
丘の上に登りオボーを3回まわって牛の乳を捧げつつ祈りを捧げ



モンゴル政治とチベット仏教の共栄の図式の残像を歩き
夜の熱烈歓迎の宴のなか巧みなスピーチに酔いしれつつ献杯合戦に人の顔が二重にも三重にも見えるほど酔いつぶれ
蒙医(モンゴル医者)を尋ね脈診を受け臓器の熱性を伝えられ



東西にわたって「交雑」してきた結果であろうかモンゴルには美しい女性が多いと感嘆しつつ
蒙古と漢を隔ててきた秦と明代のグレート・ウォールに「登頂」し
堂々たる体躯を持ち誇り高きことを自求し諺を口にする蒙古人の魂に触れながら
バス中では「文化人類学しりとり」に興じながら

やがてじとじとと雨降るもう一つの世界・北京に戻ってきた


空腹な日々

2014年08月20日 16時56分30秒 | フィールドワーク

2014年8月、半年ぶりに、ブラガ川上流のプナンを訪ねた。

先月のあるリーダーの死、それは共同体にぽっかりと空いた穴のようなものであった。
我々とは大きく異なる、荒々しいまでの死の滅却(破壊)というプナン的な死をめぐる態度に関して、改めて考えるきっかけを得たように思う。

もうひとつ、今回のプナン滞在では、腹ペコにさいなまれた。
2日間にわたり昼夜、森へと分け入ったが、獲物はなに一つ取れなかった。
カニクイザルがいたが、逃げられてしまった。
狩猟小屋で、彼らも私も、心身ともに、へとへとに疲れ果ててしまった(の図↑)。

どこにも、イノシシの足跡が見当たらなかった。
果実が別の河川流域で一斉に実っている。
動物たちはそちらに行っているのだと、諦め顔で、そう彼らは説明した。


見目麗しいフンコロガシをめぐる神話異聞

2014年03月22日 22時41分16秒 | フィールドワーク

雨が降った後に歩くと「石鹸」のように足が滑るために、「石鹸山(bukit sabun)」と呼ばれている山がある。ある夜、石鹸山にあるアブラヤシ農園に、5人で狩猟に行った。大きなイノシシ一頭が仕留められて、山から担ぎ降ろされた。夜明け前に車が迎えに来てくれるのを待つ間、雨除けのビニールシートを張って、我々は地べたで仮眠をとった(写真)。夜が更けるとともに、森はしんしんと冷え込んで、私は、ジャンパーを取り出して羽織り、フードをかけて、土の上に直に眠り込んだ。どれくらい経ったのだろうか、耳の回りでシャカシャカシャカシャカ・・・と妙な音がして目を覚ました。懐中電灯を点けて照らしてみると、フードの外側には、体調長3センチほどの、夥しい大きな蟻が這い回っていた。胴は黄色、お尻の部分は真っ黒でパンパンに張っている。一瞬、恐怖でのけぞったが、次の瞬間、ヒッチコックの『鳥』のことが頭をよぎった。シャカシャカ・・・は、暗闇に大きな蟻が這い回る音だったのだ。数匹は、衣服の隙間から腹部へと達し、肉に噛み付いたようで、それから数日の間、痛みと痒みが残った。

前置きがずいぶん長くなったが、夜明けにまで長い時間があったので、起きているのか寝ているのかはっきりしないあわいのうちに、以前聞き取りをして覚えている動物譚に話を向けてみると、寝転がっていた男たちは、思い思いに彼らの知っている動物譚を話してくれた。そのことによって、これまで聞き知っていた動物譚が、一つづきの物語の一部であったことが、しだいに分かってきたのであるが、その全容に関しては、現在、鋭意整理中であるが、その流れの要点を以下に示そう。

トリ(juit)とブタオザル(medok)の船漕ぎ競争があった。トリは川に落ちて羽が濡れてしまい、それ以上先に進むことができず、ブタオザルに負けてしまった。次に、ブタオザルに挑戦したフンコロガシ(kebaba)は、船から川に落ちたが、漂う木片にうまく乗って、ブタオザルよりも速くゴールに到達して勝利した。その後、フンコロガシは、今度は、コウモリ(kelit)と船漕ぎ競争をすることになった。コウモリは前に行く船をつかんで、自らが先にゴールした。その不正がばれて、罰として、、コウモリはそれ以降、洞窟で眠るときには、頭を下にして逆さまに眠る動物にされてしまったのである。そのときに船漕ぎ競争に勝ったフンコロガシはというと、その後、カミに対して、美しく麗しくしてほしいと望んで聞き届けられ、次に、叩かれても痛くないようにしほしいと願い出て、そのことも聞き入れられた。だが、最後に、フンコロガシは自分のことをカミのようにしてほしいと願い出たのだが、断られただけでなく、いつもいつも糞を転がしつづけるだけの生き物にされてしまったのである・・・

この一連の話は、コウモリやフンコロガシの動物起源譚であると解することも可能であろう。こうしたプナンの動物譚で興味深いのは、コウモリやフンコロガシの動物以前の身体性(ありさま)が、はっきりしない点である。動物たちは、昔は、人間だったと言うプナン人もいる。しかし、オハナシであるがゆえに、それは、どうもはっきりしないのである。あるいは、話を聞いた人たちの想像力に任されているとでも言おうか。フンコロガシは、いっとき、見目麗しかったのだと言う。いったい、どんなフンコロガシだったのだろうか。


プナンは動物になり、ベゾアール石はダイヤモンドより高価なり

2014年03月21日 23時41分57秒 | フィールドワーク

2014年春のサラワク調査行。

前半は、B川の上流のプナンの調査、後半は、R大のIさんといっしょに、プナンを含む、サラワクの先住民が捕るヤマアラシの胃のなかに時折見つかる胃石、いわゆるベゾアール石の一つの流通と消費の調査を行った。

前半には、動物との感情的・身体的な一体化と動物譚(神話)に関して、プナン人から聞き取り調査などを行った。
プナンは、野生動物に慣れ親しみ、動物の身体動作を身に着ける。あるいは、人間の条件を薄めて、動物に近づいたり、動物になったりする。
そのことが、結果的には、動物を仕留めるという、彼らの暮らしのど真ん中にある狩猟行動に大いに役に立っている。
動物と一体化することと、動物を殺すことは、けっして論理的に矛盾するのではなく、複・論理的なものとして作動している。
写真は、夜に狩猟に行ったときに捕れたジャコウネコの一種。
プナンは、色や模様によって、ジャコウネコを14種に分けているが、そのうちの一つ。
焼いて、塩をまぶして食べたが、脂が乗っていて、絶品だった。



後半は、サラワクでは、先住民の村、川沿いの町、沿岸部の都市、マレー半島では、二つの都市を移動しながら、マルティ・サイテッド・エスノグラファーになって、調査をした。
写真は、檻で捕まえたヤマアラシを餌付けして、胃石ができたころを見計らって、ヤマアラシから取り出された胃石。
ふつうは、サラワクの先住民の狩猟によってごく稀に胃のなかから取り出されたマアラシの胃石は、ミドルマンである華人商人の手を経て、その薬用消費地であるマレー半島へともたらされる。

価格は、流通段階で3~4倍に跳ね上がり、なんと、マレー半島では1グラムあたり80,000円ほどで売られている。
ヤマアラシの胃石は、ダイヤモンドよりも高価だと、あるミドルマンが言った。
そのおかげで、ヤマアラシの胃石を見つけたプナンのなかには、車を買った者もいる。
あたかも旧石器時代人のような暮しをしているプナンにとって、それは、「胃から飛び出た現代」のようなものである。


レインフォレストからメトロポリタンへ

2013年09月02日 17時02分10秒 | フィールドワーク

クアラルンプールからの夜行便で本日の午前成田空港に着いた.
9月になって少しくらいは涼しくなってるかと期待したがなんじゃこの東京の酷暑は.
クアラルンプールよりは確実にアツい.

今回の調査では「ヤマアラシの胃の石(porcupine date/stone :箭猪棗)」に関して「マルティ・サイテッド・エスノグラフィー」の手法ですなわち定点観察ではなく場所を転々としながらインタヴューなどを行った.
そもそもの出発点は今年の3月の調査の時点でたいていは一日中ブラブラと過ごしていてたまにあれば労賃を稼ぐ仕事をするという旧石器時代さながらのフォレジャーのような暮らしをしているかのように見えるプナンの一人の男性が昨年のクリスマスの前にヤマアラシの胃の石を見つけて売ってそのお金でローン払いではあるが4輪駆動車(Hilux)を購入したということに驚いたことだった. 
プナン人に旧石器時代から現代へのゲートウェイを可能にするようなヤマアラシの胃の石について調べてみようと思いたち仲買や需要などの実態に迫るためにサラワクの華人の調査研究を続けている文化人類学者'I'さんに声をかけた.
我々二人はエンド・ポイントとしてのプナンの棲むサラワクのレインフォレストからヤマアラシの胃の石を扱う仲買人の棲む地方都市さらには最終消費地でもあり場合によっては(東南アジアの華人たちへの)中継地でもあるクアラルンプールまでを歩いた.

商業的な木材伐採後裸になった土地の油ヤシのプランテーション化は油ヤシの実を好んで食べに来るイノシシを先住民が狩って周辺住民を含めて食料の供給を可能にしたという点においていまから考えるとプナン人たちにとっては部分的に幸運であったのだと言えるのかもしれない.
イノシシだけでなくヤマアラシもまた油ヤシの実を好物として食べに来る.
そのことによってプナンは車が買えるほどの大金を手に入れることができたわけである.
いやプナンがローン支払いという未経験の新たな苦悩を引き受けることになるならば車を手に入れることは必ずしも幸運なことではないかもしれない.
だとすれば上で挙げた拙速な結論の見通しはいまのところ慎むべきなのかもしれない.

油ヤシプランテーションの拡大がヤマアラシの増加を少なくともヤマアラシの狩猟数を増加させたようである.
プナンによればかつてはヤマアラシを捕まえても胃の石は捨てていたという.
2000年代になってからヤマアラシの胃の石の価値が知られるようになり焼畑民や華人に売られることとなった.
その時期は油ヤシのプランテーションで狩猟がおこなわれるようになった時期と重なる.

ビントゥルから車で4時間のプナンの村に'I'さんを連れていくと老若男女が部屋いっぱいに集まってきた.
いきなりのプナンの猥褻きわまりない交感言語の使用に'I'さんはまじめに答えそれが大きな笑を引き起こした.
私は腰がずっと痛くおまけにパンツや着替えを町に忘れたので'I'さんから借りた.
吹矢で獲ったリスを手で触った'I'さんに「げっ歯類は触ると危ない」と言ってその後深く心配させてしまったかもしれない.
小屋に泊まったときだろうか私だけがダニにやられた.

我々は夕方から猟について行きヌタ場の前で待ち伏せをしてほんの一時間ほどでイノシシを一頭しとめる場面に出くわした(写真). 
夜行性のヤマアラシも多くはこうした待ち伏せ猟によって捕まえられる.

ヤマアラシの胃のなかに石(中国語ではナツメ)はどのようにしてできるのだろうか.
石ができることは一種の病気だという見方がある.
ミリの漢方薬店でなめさせてもらうとかなり苦い味がした.
クアラルンプールにはインドネシアやボルネオからヤマアラシの胃の石が集められていた.
クアラルンプールの漢方薬局では緊急用と称してパウダーにしたうえで売られていた.
免疫力を向上させ癌やデング熱に効くという.
その1グラムあたりの値段は日本円でなんとおおよそ2万円もする.
それは一般庶民が買えるような値段の薬ではない.
この高値がプナンに車を買うことを可能にしているのだろう.

覚書として.


草原の帝国

2013年08月16日 13時39分48秒 | フィールドワーク

今週の初めまで、学生の環境研修の前半部分に同行して(引率ではない)、2年ぶりに、アウター・モンゴリアに出かけていた。井上靖によるチンギス・ハーンの一代記、『蒼き狼』を読みながら。遠大な草原を、西へ東へ、東へ西へ、車とバスで移動し、座席にすわりつづけたせいで、腰痛がいまだに完治していない。「羊」および、ふつうはこの時期には行わないという、「牛」の屠畜と解体の見学を含めて、遊牧をめぐって、あれこれと考えさせられた、なかなか刺激的な旅であったように思う。「遊牧民(pastralist)」は、定住せず、「ノマディック(nomadic: 遊動的)」であり、「非・反(?)農耕的」だという点で、ある意味、「狩猟・採集民(hunter-and-gatherers)」に似ている。首都ウランバートルから400キロ西にある、カラコルム(ハラホリン)の博物館では、モンゴル人が帝国を築く以前の、「匈奴」、「突厥」、「ウイグル」、「契丹」という、遊牧民ながら領土を広げ、帝国を築いた騎馬国家の前史について、話を聞く機会があった。ノマディックながら、遊牧民たちは、帝国という一つの大きな統治組織を有することへの欲動によって、深く突き動かされてきたのではないか。同じノマディックながら、狩猟採集民には、この種のエトースはない。印象にすぎないが、遊牧民のつくりあげた「都邑」は、その空間概念からして、農耕民の「都市」とは大きく異なるのではないか。北・中央アジアの草原の帝国の興亡史の観点から眺めてみるならば、中国の「夷狄」たちは、これまでとは、まったく別の存在として浮かび上がってくる(いや、これは、たんに私の無知なのかもしれないが・・・)。「家畜」へと戻れば、飼育動物の管理に関して(場合によっては、「女」の獲得や奪取を含めて)、いったい、どのような「法」が生み出されてきたのだろうか。家畜の知識や飼育技術だけでなく、それらの生き死に、偸盗を含めた増減などは、集団の勢力を左右したはずである。その意味で、遊牧の「経済」も、また興味深い。ウランバートル市内の道路は、つねに、車でごった返していた。それらは、現代の「馬」なのか。車は馬のごとく、車の群れに突っ込んでくるのだと言う。そういえば、そのような情景のようにも見える。覚書として。(写真は、カラコルムの草原と河川)


丸石神

2013年05月27日 15時35分02秒 | フィールドワーク

ちょこっと足を伸ばして、山梨県・山梨市、甲州市(一部旧・塩山市)に、「丸石神」または「丸石道祖神」を見に出かけた。家々が続く細い道路に入ってゆくと、石碑や石仏の類がたくさんあり、あちこちに、丸い石が置かれていた。写真は、甲州市七日市場の丸石道祖神。大きい丸石が真ん中に、小さな丸石がそのまわりに置かれている。山梨県下に、六百ヶ所も、丸石神が祀られているらしい。それはいったい何であるのか、不思議である。中沢厚によれば、「人々は、神といってもたかが知れた丸石ではないかといいますが、それがかえって不思議なこととして心をとらえ、自然石の丸石がなんで神なのか、なんで道祖神に祀られるのか、その問題は念頭から離れません」(『石にやどるもの』、60頁)。甲州を後にして東京に戻ると、風景を眺めていても、丸石がなくて、なんだか物足りないような気がした。丸石神は神そのものではないのだろう、たぶん。この石の信仰、あるいは石を用いた信仰の広がりは、たいへん興味深い。