プナンは、ジャングルから出て、ジャングルを焼くようになった。
森の中で遊動していた時期、彼らは、サゴヤシから採取されるデンプンを食べていた。サゴヤシから採取されたデンプンは、水と熱を加えられて、食べやすくされる。今日、このあたりのプナンたちは、もっぱら、工場でつくられたサゴデンプンを買って食べている。プナンの年寄りたちが、とくに、サゴデンプンを好んで食べる。 鍋あるいは容器に入れられたサゴデンプンを、皆が取り合って食べる。そうした食べ方は、そのまま、現在のご飯の食べ方へと受け継がれている。ご飯を大きな皿の中に入れて、親子が取り合って食べる姿を見ると、ほほえましく感じる。
プナンは、森から出て初めて、周辺の焼畑稲作民から農耕の手法を学んで、米を栽培するようになった。プナンがジャングルを焼き、そこに陸稲を植え、米を食べ始めたのは、今から30~40年前のことである。焼畑の作業のサイクルは、雨期がそろそろ終わりを迎える5月に始まる。 5月末、一家族が、ロングハウスの人びとに手伝ってもらって、森を拓く作業に同行した。1989年に焼畑として用いた土地を、今年、17年ぶりに焼畑として用いるとのことであった。
家長が仕事の進め方を指示した後、めいめいがキリスト教式(カトリック、SIBなど)の祈りを捧げ、仕事にかかった。かつて私が調査したカリマンタンの焼畑稲作民社会では、畑地を決定するために、<夢占い>や<鳥占い>が行われていた。畑地が決定すると、畑地で豚を殺して、精霊に対して捧げ、収穫をもたらすように祈りが行われた。そういった複雑な儀礼の手続きは、プナン社会にはないようである。予想していたとはいえ、その落差に少し驚く。
プナンのライフスタイルが簡素であるがゆえに、そのような儀礼的手続きがないのか。あるいは、焼畑そのものが新しく導入されたために、それは、精霊と人間との関係において捉えられていないのか。プナンは、彼らが農耕の手法を学んだクニャーなどの焼畑稲作民のやり方を真似ているだけなのか。そのあたりは、今のところ、まだはっきりしない。
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