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たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



多=種の領野へ――人類学誌『たぐい』(亜紀書房) 創刊記念

奥野克巳 × 上妻世海 × 近藤祉秋 × 逆卷しとね × シンジルト

トークイベント

青山ブックセンター イベント サイト

 

人間は人間として生きているのではない。
動植物や非生命、神や霊との絡まりあいとして、人間はある。

人間や動物の「種」は、自律的、安定的にあるのではなく、「たぐい」が絡まりあって成り立っている領域です。
この度、この「種」を横断・撹乱し、たぐいから人間を考える挑戦的な人類学のシリーズ『たぐい』(年1回配本、全4回予定、亜紀書房刊)を創刊します。

第1巻の刊行(3月配本予定)を記念して、刊行プレイベントを行います。 このイベントでは、創刊号の寄稿者のうち5名が登壇。人類学ひいては現代思想の前線で何が起こっているのかを、人類学、アート、批評を横断して語ります。
一般発売よりひと月早く、創刊号が手に入る機会でもあります。奮ってご参加ください。



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季節のないボルネオ島の混交双葉柿林。
2017年3月上旬、サラワクのブラガ川の上流域。
花がぽつぽつと咲き始めていた。
花の季節(daun busak)が到来したようだ。


森で最もたたくそびえるメンガリスの木(tanyit)には、オオミツバチ(layuk)が巣をつくり始めていた。

オオミツバチは花蜜を吸いメンガリスに巣をつくり始めると、プナンは来るべき動物の大量出現に向けて、狩猟の準備を開始する。
花の季節の後、実が成り、コウモリやトリが啄んだ実を地面に落下させ、地上動物が身を食べに樹下に集うからである。

もうすぐ果実の季節(daun bue)となり、森に動物が集う。
やがて、森は楽園となるだろう。



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第5回研究会(予告) ハラウェイ、ローズ、ナイト&フィン
第5回研究会サイトへ

日時 2017年1月22日(日) 13:00~17:30
場所 立教大学 池袋キャンパス 12号館 2階 ミーティングルームA,B

マルチスピーシーズ人類学 特集セッション1 種間関係の「愛と非-愛」

13:00~15:00
■ファシリテータ シンジルト(熊本大学)、近藤祉秋(北海道大学)、奥野克巳(立教大学)

【趣旨】 ダナ・ハラウェイは、『伴侶種宣言』の中で、イヌと人の間の「重要な他者性」を語るとき「愛」を強調した。ハラウェイのもう一つの重要な著作『犬と人が出会うとき』では、種間の「愛」は、いかに論じられているのだろうか?他方、オーストラリアン・ヒューマニティーズ・レヴュー誌の2011年の特集「嫌われものたち」(Australian Humanities Review 50, May 2011 “Unloved Others: Death of the Disregarded in the Time of Extinctions”)では、人間と他種との「非-愛」が一つの軸となっている。本特集セッションでは、ハラウェイの「愛」論と「嫌われものたち」の特集論文を読んで、マルチスピーシーズ人類学における「愛」について検討する。さらには、ハラウェイの「クルトゥセン」をめぐる最新論考を読み、ハラウェイの「愛」とその後を追ってみたい。取り上げる文献は以下である。

・ダナ・ハラウェイ 『犬と人が出会うとき:異種協働のポリティクス』高橋さきの訳、2013年、青土社
・Deborah Bird Rose  “Flying Fox: Kin, Keystone, Kontaminant”. Australian Humanities Review 50
・Donna Haraway “Tentacular Thinking: Anthropocene, Capitalocene, Chthulucene". e-flux 75

マルチスピーシーズ人類学 文献レヴュー4

15:15~16:15
■ファシリテータ 相馬拓也(早稲田大学)

ハチ及び蜂蜜は、人間にとっての食料としてだけでなく、文化的にも重要な対象であった。モンゴルの人と家畜との「ともに生きる」関係を描きだしたナスターシャ・フィン(Living With Herds: Human Animal Coexistence In Mongolia. 2011)によるオーストラリアのYolnguの人々の、人間とハチの多層的な関係性を取り上げた論文を読み、議論する。

・Natasha Fijn "Sugarbag Dreaming: the significance of bees to Yolngu in Arnhem Land, Australia". HUMaNIMALA 6(1): 41-61

16:30~17:30
■ファシリテータ 奥野克巳(立教大学)

1980年代後半から日本の山村でフィールドワークを行い、日本人と野生動物の関係に関して、”When timber grows wild: the desocialisation of Japanese mountain forests” In Nature and Society. Descola, Ph. and Gisli Pallson(ed.), 1996, Waiting for Wolves in Japan. 2006, Herding Monkeys to Paradise. 2011などの研究を精力的に発表してきたジョン・ナイトの狩猟に関する近年の論文を取り上げて検討する。 ・John Knight  “The Anatomy of the Hunt: A Critique of hunting as Sharing”. Current Anthropology 53(3)

*研究会には、関心のある方ならどなたでも参加いただけます。
関連諸文献に関しては、各自で入手願います。
入手できない場合には、以下の連絡先まで問い合わせてください。
配布資料準備のため、参加者は、研究会の3日前までに参加の旨をご連絡ください。

連絡先:奥野克巳 katsumiokuno@rikkyo.ac.jp




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日本マレーシア学会(JAMS)関東地区研究会2016年度第5回研究会

日時:2016年7月9日(土)14時~17時
場所:立教大学池袋キャンパス5号館5203教室

テーマ:エコクリティシズムとマレーシア研究
コメント:野田研一(立教大学名誉教授、立教大学ESD研究所運営委員)

タイトル:ネイチャーライティングとしてのマレーシア華人文学
発表者:舛谷 鋭(立教大学観光学部)
概要:マレーシア華人文学(馬華文学)は20世紀初頭の五四運動の影響による中国語口語文学である。コモンウェルス文学などの英語文学がAnglophone Literatureと呼ばれるのを参照例に、Sinophone(華語語系) Literature(華語話者の文学)という定義が今世紀以降使われているが、マラヤのSinophoneは1920年代の「南洋色彩提唱」、30年代の「マラヤ地方性」以来、戦直後の「僑民文芸論争」に至るまで、独立前から送出国との相対化によって独自性を主張してきた。現代文学では、熱帯雨林やゴム林、ボルネオライティングにおける熱帯自然や動植物などをモチーフに、ネイチャーライティングを展開している。こうした要素は台湾文学の先住民、東南アジア移民、香港文学の国際都市、雑種性などと同様、古典文学を共有する中国大陸との差異化を図るものと捉えることもできよう。本発表では、現代マレーシアのSinophone作品をエコクリティシズムの視点から再検討することを試みる。

タイトル:熱帯マレーシアの語り方—文学と民族誌から考える—
発表者:奥野 克巳(立教大学異文化コミュニケーション学部)
概要:季節性の乏しい熱帯マレーシア。そこでは、あるとき一斉に花が咲き、実が一斉に成る。そのとき蜂が蜜を吸い、鳥や猿が実を啄み落下させ、地上の動物たちがそれを食べる。森は食べ物に溢れ、ひとときのと化す。地上や樹上の種子は芽吹き、やがて陽光と養分が行きわたれば生長するだろう。被子植物や昆虫や脊椎動物のとの間で、過去一億年くり返されてきたそのような熱帯雨林の生命活動のほんの一隅に人間がいるにすぎない。人類が自然環境を大きく変えてしまうと呼ばれる時代になったと雖も、人間のみが言語のうちに特遇され、記述され過ぎてきたのだとは言えまいか。
そうした点を踏まえ、今日、人間を含む熱帯の自然は、いったいいかに記述されるべきなのか。本発表では、マレー半島を舞台として、巨大樹である主人公によって時空を超えて語られる文学作品(谷崎由依「天蓋歩行」『すばる』2016年5月号)を読み、サラワクの混交双葉柿林の中で、動植物が紡ぎだす生命活動に深く参与する狩猟民プナンを民族誌の中に描きながら、熱帯がいかに記述されるべきなのかを考えたい。

https://www.facebook.com/events/1212625515434344/



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(元の木に巻きついて枯らしてしまい、自らはそのおかげですくすくと巨樹にまで生長した絞め殺しのイチジクの高木)

いまからもう5,6年前、2008年12月から翌11月まで、短期間でしたが、有志で、「自然と社会」研究会を開いていました。

いわゆる存在論の人類学のペーパーを日本語に訳しながら、読んでいました。
宿題が多くしんどかったけど、ワクワクしながらやっていたことを覚えています。
そういうと、その流れで,熊本で、「自然と文化のインターフェイス」と題するフィールドリサーチ・セミナーもやりました。

その後、自然と文化、人と動物、動物殺し、人間的なるものを超えた人類学などを経て、マルチスピーシーズ(複数種)の人類学にたどりつきました。

このたび、2016年5月吉日、研究会第二弾として、マルチスピーシーズ人類学研究会を有志で立ち上げました。

6月から順次研究会を開いていきます。

人間のことだけで人間を語る人類学ではなく、人間を超えた種と人間について語る人類学をやっている方、やってみたいと思っている方の参加・発表を謹んでお待ちしております。

研究会幹事より



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(ボルネオ島の森)

『現代思想』の対談における春日直樹による『森は考える』のまとめは、当を得ている。

コーンはVdCの影響を受けつつ、その言語中心主義を批判して、森や山の環境で間を含んだ有機体たちがシンボルでなくアイコンやインデックスの水準でいかに複合的に意味のネットワークを形成しているのかを分析しています。それぞれが自己であり視点の持ち手であって、互いをそう認め合うことで人間を超えた森の水準で思考をみいだすことができるというわけです(『現代思想』3月臨時増刊、2016年、168頁)。

そう、『森は考える』の中で、人類学者エドゥアルド・コーンが徹底的にこだわったのは、人間の持つ「言語の牢獄」に他ならない。私たち人間は、象徴と一体化した言語によって思考し、世界を組み立てることに雁字搦めに縛られてしまっている。

私たちは言語を地域化する必要がある。…私たちはまず、全ての表象は人間的な何かであり、ゆえにあらゆる表象には言語のような特性があると見なすことによって、このとりわけ人間的な傾向を普遍化している。特殊なものとして限定されるべきものが、代わりに私たちが表象について抱く想定の岩盤となってしまっている(『森は考える』72頁)。

人間の言語の中に最も明瞭に表れるのが「象徴」である。言語は、規約的で恣意的な他の同様の象徴の体系の中に埋め込まれている。それは、今日の社会理論では、ソシュール言語学によって、概念化されている。しかし、それは、「あまりに人間的な」枠組みであるがゆえに、人間―動物関係などの「人間なるものを超えた」領域にあてはめることはできない。何が問題なのかと言うと、ソシュールの図式では、人間の精神と残りの世界の間にくっきりと境界線が引かれ、区分けがされているということである。

この二元論を克服するもっとも生産的な方法は、・・・・私たちが表象であるはずだと受け取るものとはいったい何であるのかを根本的に考え直してみることである。このためにまず求められるのは、言語を地域化することである。ヴィヴェイロス・デ・カストロの言葉では、「思考を脱植民地化する」ことが、私たちに伴うのが求められる。考えることは必ずしも、言語や象徴的なるもの、人間的なるものによって囲まれていないことを理解するためにも、そうしなければならない(76頁)。

現在において未来を表象することによって未来のために事をなすのは、私たち人間だけではない。・・・・それゆえに、人間的なるものを超えて広がる、生ある世界の中に、行為主体性があるというのが適切である(77頁)。

コーンは私たちの「言語の牢獄」を乗り越えて、「思考の脱植民地化」を目指す。

要点は、私たちは関係性について考えるあらゆる特定のやり方によって植民地化されているということにある。私たちはもっぱら、人間の言語を構造化する連合の形式を通じて、諸々の自己と諸々の思考が連合を形成する仕方を想像しているだけである。そのために、たいてい意識されることなく、このような仮説は間に投影される。そのことに気づかずに、私たちは自らの特性を間に与え、またそのことをこじらせるかのように、間に対して、自らの矯正された鏡像をさし出すことを、自己陶酔するように求めるのである(42-3頁)。

私たち人間は、人間が当たり前のように使用している言語を、人間以外の領域にも知らず知らずのうちに当てはめてしまっている。そこに、問題があると、コーンは見る。つづけて、彼は、この点をひっくり返そうとする。「森は考えるのに良い素材である。なぜなら、森はそれ自体で思考するからである。森は考える」(43頁)と。さらに、「私たちが人間的なるものを超えて考えることができるのは、思考が人間的なるものを超えて広がるからである」(43頁)とも述べる。「それゆえ、本書を通して、私たち人間を例外的なものにするものに対してのみ・・・向ける注意の結果から生じている積み重なった過剰な概念上の荷物から、私たちの思考を解き放つことへと歩みを進めよう」(43-4頁)。

具体的には、どのようにして、この枠組みにおいて、私たちの思考を解き放つのだろうか? コーンは、ソシュール的な言語学の軛から自由になり、C.S.パースの記号論とともに、歩みを進めていく。そしてそのことは、森の中のすべての有機体を「記号論的自己(セミオティック・セルフ)」であると捉えることに密接に結びついている。

全ての生命は記号論的であるのだけれども、その記号論的な特性は、類を見ないほど多種多様な自己がひしめく熱帯雨林において増幅し、より明確になる。森が考える方法に注意を向ける方法を私が見出そうとするのはこのためである。熱帯林は、生命が考える筋道を増幅し、さらに、その筋道をよりはっきりと私たちに示してくれる(138頁)。

彼は、エクアドル東部のアヴィラの森の内部とその周りに広がる生ある思考が織りなす編み目を「諸自己の生態学(エコロジー・オブ・セルヴズ)」と名づけて、人間や動物などのあらゆる有機体だけでなく、死者や祖先までもその中に含めて、森がいかに思考するのかを描きだそうとする。

コーンが具体的に取り上げるのが、ハキリアリである。それは、年に一度、他のコロニーからやってきたアリと交尾させるため、数分間にわたり、それぞれのコロニーが同時に、 数百の丸まると太った、羽つきの女王アリを 早朝の空に解き放つ。アリは、脂肪を有り余るほど貯えていて、人間だけでなく、他の生きものにとってごちそうになる。熱帯では、季節変化に乏しく、春の一斉開花もないために、森の中の有機体の相互作用の他には、アリが飛ぶ時期をあらかじめ知らせてくれる合図はない。人々によれば、ハキリアリは雷鳴と稲妻、川の氾濫を伴う豪雨の期間の後の穏やかな時期に現れる。この時期をもって、八月あたりに起こる相対的により乾燥した時期は終わる。人々は、アリの出現を果物の実り具合、昆虫の増加、動物の活動の変化に関わる様々な生態学的な兆しと結びつけて予測する。様々な指標が「アリの季節」の接近を告げると、人々は夜通し、兆しを探しに出かける。残骸でできた入り口を片づける護衛アリがいたり、無気力なアリを2、3匹見かけたりすることなどが、その兆候である。

アリが飛び立つタイミングに関心を向けるのは、人間だけではない。カエル、ヘビ、小型のネコ科動物といった他の生きものが、アリやアリに誘われてきた他の動物に引きつけられる。それらの生きものは、おしなべて、「兆し」を求めてアリを監視し、また、アリを監視している動物に対して目を配る。アリがまさしく飛び立とうとする時間は、アリが捕食者に気づかれるか気づかれないかということに対する反応である。アリが巣穴にいるときには、攻撃的なコロニーの護衛アリが彼らをヘビ、カエル、その他の捕食者から守っている。しかし、アリが夜明け前に一旦巣から飛び立てば、護衛アリはそばにはいない。アリは、果実食のコウモリの餌食となることがある。コウモリは、飛行中のアリに襲いかかって、脂肪が詰めこまれて膨れた腹部を噛みちぎってしまう。

アリがコウモリが世界をいかに見るのかを認知しているかが、その生命のゆくえに影響を与える。この夜明け前の時間帯には、コウモリが活動できる時間はあと2、30分程度になる。午前6時ころにトリが出てくる頃には、メスのなかには交尾をすませて、新しいコロニーを築くために地面に降りている個体もある。

アリが飛行する正確なタイミングは、記号論的に構造化された生態学の帰結である。アリは、夜行性と昼行性の捕食者からもっとも見つかりにくい時間帯である夜明け――夜と昼のはざまの不明瞭な域――に姿を見せる(142頁)。

アリが巣穴から飛び立つ、一年間のうちの数分の間にそれらを捕まえるため、人々はアリの生活を形づくる記号論的ネットワークの論理のなかに入り込む。ハキリアリは光に魅かれて、その光源に誘引されるため、護衛アリが脅威とみなすことのないよう、灯した灯油ランプ数台とのろうそく数本や懐中電灯などが、十分に離れたところに設置される。アリの多くは光に魅かれて、空を飛ぶのではなく、人間に向かってくる。人は、松明でその羽を焦がし、覆いがしてある鍋にアリを入れることになる。

ハキリアリは、ほかならぬその存在を形づくる、諸自己の生態学の中に入り込んでいる。夜明け直前に巣から出てくるという事実は、おもにそれらを食べる捕食者による解釈の傾向からもたらされている。アヴィラの人々もまた、アリとそれに連なる多くの生きもののあいだの意思疎通の世界を利用しようとする。そのような戦略には、実用的な効果がある。それに基づくことによって、大量のアリを収穫することができるようになる(143頁)。

意図をもって、意思疎通する自己としてアリを扱うことで、人々は、アリと森にすむ他の諸存在とをつなぐ様々な関係性を理解する。そうした理解は、一年のうちで、アリが飛び立つ短期間を予測するには十分である。人々はアリと意思疎通をして、それらを死へと送り込むからである。人間は、そのようにして、森の思考の論理に入り込む。このことが可能なのは、人間の思考が、森の思考というべきものに類似しているからである。コーンによれば、それこそが、密で、繁栄する、諸自己の生態学なのである。

なにゆえに、アリも、アリを捕まえようとする生きものたちもみな思考するのだろうか? 人間は、アリが飛び立とうとしていた夜に、雨が降ったら巣から出てこないので、煙草の煙を巣穴に向かって吹きかけた。人間は、そのように、規約的、恣意的な象徴の体系を用いて、さらには言語を用いて、対象を操作する。しかし、人間もまた、人間以外の生きものと同じように、気象学や生態学の関係の編み目を利用、すなわち、言語以前の「読み」を利用する。その「読み」こそが、人間と間の両方によって共有されているのである。すなわち、人間も間もともに、記号過程の中にいるのだと言える。すなわち、イコン(類像記号)、インデックス(指標記号)が作用するプロセスの中に、私たち人間・間は滑り込んでいるのだ。

ウーリーモンキーは、雷が落ちるような倒壊音を聞いた時、イコン的に、つまり過去にあった同様の倒壊との類似から、倒壊の経験を呼び起こすように思われる。それは、何か危険なこと―枝が折れることであるとか、あるいは捕食者が接近すること―が、その倒壊音の後に起こるのではないかといった解釈に他ならない。サルは、イコンによって、こうした過去の危険を、目の前の現象に結びつける。しかしいまや、この連合は、たんなる類似以上の何かになっている。さらに、その結び付けは、サルに対して、倒壊がそれ以外の何かに結びつけられるにちがいないと「推測する」ように駆り立てる。風向計が、インデックスとしてそれ以外のこと、すなわち風が吹いている方向を指差していると解釈されるのと同じく、この大きな騒音は騒音以上の何かを示していると解釈される。それは危険な何かを指差することになる。

それゆえ、インデックス性はイコン性以上のものを含んでいる。しかしそれはイコン同士の一組の複合的な階層をなす連合の結果として創発する。イコンとインデックスの論理的な関係は一方向的である。インデックスは、イコン同士の特別な階層的関係から生じたものであるが、その逆ではない。倒壊する木に対するサルの洞察のうちに含まれるものなど、インデックス的な指示は三つのイコンのあいだの特別な関係がつくるより高位に位置するものである。倒壊が別の倒壊を思い出させる。こうした倒壊に連合する危険が別の連合を思い出させる。そして同じように、こうした連合が今起きている倒壊に連合される。イコンのこの特定の配列のために今起きている倒壊が直ちに存在するのではない何かを指差することになる。つまり、「危険」である。このようにインデックスは、イコンによる連合から創発する。こうしたイコンのあいだの特別な関係性は、独自な特性のある指示の形式となる。その特性は、インデックスが連続しているイコンによる連合の論理と共有されるものではないが、イコンによる連合に由来する。インデックスは情報を与える。それは直ちに存在するのではない何かについて新たな何かを伝える(96頁)。

この部分は、少し難解かもしれない。イコンからインデックスがいかに創発するのかが述べられている。ここでは、イコン、インデックスという記号過程は、人間以外の存在だけでなく、私たち人間もまた、そのプロセスに深く参与している。つまり、生きとし生けるものはすべて記号論的自己なのである、ということを理解すれば十分であろう。

そのような記号論的自己が生みだす複合的な意味のネットワークこそが、森に他ならない。かくして、森は考える。「森が考えていると私たちが主張できるという事実は、ある奇妙な仕方で森が考えるという事実から生まれている」(43頁)。

私たちが人間的なるものを超えて考えることができるのは、思考が人間的なるものを超えて広がるからである(43頁)。

コーンは、象徴以前の、あるいは言語以前の森の思考のあり方を、言語を通じて明らかにした。人間を超えた領域を、人間に引き寄せながらなんとか説明しようとしたと言ってもいい。厳密な人間言語を用いて、ヒューマニズムを乗り越えようとしたのである。奇妙なことに、いや、逆に、当然のことかもしれないが、森の思考は、幸田文(倖田來未ではない、念のため)が『木』というエッセイの中で書いていくことに近似している。

人にそれぞれの履歴書があるように、木にもそれがある。木はめいめい、そのからだにしるして、履歴をみせている。年齢はいくつか。順調に、うれいなく今日まできたのか。それとも苦労をしのいできたのか。幸福なら、幸福であり得たわけがある筈だし、苦労があったのなら、何歳のとき、何度の、どんな種類の障害に逢ったのか、そういうことはみな木自身のからだに書かれているし、また、その木の周辺の事物が裏書きしている――と同行の森林の人は教えてくれた(幸田文『木』43頁、新潮文庫)。

樹木もまた、森の記号論的な生命のネットワークの中で思考するのである。



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エドゥアルド・コーン著

奥野克巳・近藤宏監訳
近藤祉秋・二文字屋脩共訳

『森は考える 人間的なるものを超えた人類学』

亜紀書房

アマゾン

ツイッター(『森は考える』公式アカウント)

『森は考える』を考える~How Forests Thinkを読む~



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研究会「動物と存在論」

この研究会では、「自然」が普遍であるとされ、個別的な「文化」が記述分析されてきた、これまでの人類学のやり方が崩れた先にある、自然と文化、主体と客体などの区分がもはや成り立たなくなった地平において、とりわけ、動物と人間をどのように記述するのかという問いを、3人の民族誌的な研究の成果・途中経過をうかがうなかで考えてゆきたい。(科研費基盤研究(A)(海外学術調査)「動物殺しをめぐる比較民族誌研究」(代表者:奥野克巳)による研究会)

日時:2013年12月26日(木)13:00~
場所:桜美林大学崇貞館B335
アクセス

趣旨説明 奥野克巳 13:00~13:10

発表1:13:10~14:40(質疑応答含む)

近藤祉秋

「北方樹林の愛鳥家:内陸アラスカにおける動物を殺す/生かすこと」(仮)

休憩           14:10~14:20

発表2:14:20~15:50(質疑応答含む)

溝口大助

「音に込められた動物の存在論:マリ共和国セヌフォ社会の音世界を手がかりに」(仮)

休憩           15:50~16:00

発表3:16:00~17:30(質疑応答含む)

中上淳貴 
「生命の否定性:仏教と人類学における存在論の間」(仮)

休憩           17:30~17:40

ディスカッション     17:40~18:40

*本来的には、以下のページで案内するべきなのでしょうが、管理画面にアクセスできないので、とりあえずこちらで。

「自然と社会」研究会



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『現代思想 2011 VOL.39-16』の特集は、「ポスト3.11のエコロジー」。その軸には、今日の人類学がある。3.11以降考えなければならない問題として人と自然の関係が主題化されており、その意味で、冒頭の「エコロジーの大転換」と題する管啓次郎+中沢新一の対談はひじょうに興味深い。ヒトは自然のなかに埋め込まれているのであり、自然と社会というときの「と」の対立構造で考えることは誤りだという問題の提起。四者による討議、「生存のエコロジー」では、自然などの間なるものを人間から切り離して捉えることは、近代社会の設定そのものであり、それがラトゥールやストラザーン、ドルゥーズ=ガタリの思想の軸になっているのだという。そこではまた、人と人が関わり合い、生業を行うなかで、様々な生き物と関わりながら、たがいに交際の仕方を変えることによって、人間は人間になり、動物は動物になるということを描き出すことこそが、本来の民族誌であるという、胸がすっきりとするような<民族誌宣言>がなされている。「機械状アニミズム」では、ガタリと人類学者ヴィヴェイロス・デ・カストロの思想が交差的に語られる。ガタリは、主観性を主体や人格から切り離すだけでなく、人間からも切り離して、主観性の脱中心化に取り組んだという。そのことを梃子にしながら、そこでは、アニミズムが論じられる。「大地に根ざして宇宙を目指す」では、社会の自由な構築と自然の真理の開示を保証する社会と自然の分離という虚構の上に増殖するハイブリッド・モンスターの暴走を阻むために、グローバルな環境に対する先住民運動が検討される。最後に、ヴィヴェイロス・デ・カストロの「強度的出自と悪魔的縁組」の邦訳。英語で読んだときにはさっぱり分からなかったが、日本語で読んでも難解だ。難解すぎる。ドゥルーズと人類学の対話。



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吐息が白くなるほど寒く、冷たい雨が降り、全国的に、今年になって一番冷え込んだ11月初旬の一日。その翌日、一転して、初秋の陽気に逆戻りした。最近では、年に一度か二度しか訪れる機会のない、高校卒業まで住んでいた、関西の故郷の町を歩いてみた。習字を習っていた書道の教室。その場では先生の名が浮かんでこなかったが、いま思い出した、N川先生だった。確か、その辺には印刷業を営むUくんの家があったはずだが、すでに跡形なく、建て替えられている。今は亡き父が、40歳代の後半だったのだろうか、夜半にトイレで斃れて救急車で運ばれて入院した病院。運び込まれたとき、意識がなかったことが想い出された。中学3年生の時、クイーンのレコードを買いに行ったレコード店は、確かそのあたりにあるはずだったがない。それは、もはや追憶のなかにしかない。小学校の頃、放課後、暗くなるまで、友達と缶蹴りやドッヂボールなどをして遊んだ神社(写真)。祭神は、豊受比売命とあった。へえ、ちっとも知らなかった。5月には祭がおこなわれ、神輿を担いだこともあったな。そこで、ある秋の日の夕暮れに、あまり知らない子から、今で言うコクられたことも思い出した。それは、中学生の頃だ。鎮守の森の裏手に回ると、小学校の5,6年のときに、Mくんたちと、カエルの肛門に爆竹を突っ込んで、吹っ飛ばして遊んだ想い出が、ふと甦った(アニマルライツ派のみなさん、ごめんなさい)。風景のなかに、個人的な記憶がくっきりと刻まれている。それが、深い情緒的な絆を、そうした故郷の景観のなかに感じる所以なのだろう。



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「3.11.以降」に対する私の思い付きは、先住民や我々の祖先の考え方を称賛する一種のロマンティシズムかもしれない。http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/77fe92d594b936accaad3dae93771da1

中沢新一著『日本の大転換』(集英社新書)を読むと、そんなふうに思えてくる。

震災を原発というエネルギー形態の災禍の枠のなかに捉えて、それを
用いて暮らす現代人の「経済」まで視野に収めて、乗り越えを考えてみるという行き方はひじょうに魅力的である。

原子力によるエネルギーは、太陽圏という生態圏の「外部」の高エネルギー現象を生態圏の「内部」に持ち込む技術である。それは、生態圏にとって「外部」の超越神を自立的に生態圏に介入させることによって成立した一神教思考とパラレルだという。他方で、生態圏では、抽象的な商品経済や経済の合理性の精神が、その内部を貫いて、現実との間にノイズを生み出している。原子力発電は、これまで、そうしたグローバル型の資本主義によって担われてきた。

原発事故は、資本主義的な小手先の知性でブレイクスルーできるようなものではない。原発から自然エネルギーへの転換は必要であるが、それを、たんにビジネスの話で終わらせるべきではない。必要なのは、強力なビジョンを用意しておくことである。人が原子炉をコントロールし、自前で、富の源泉を確保できたという思い込みは、太陽や自然からの「贈与の次元」を失うことであった。もしそうであるならば、原子力開発に続く「第八次エネルギー革命は、原子力発電からの脱出をめざすとともに、人類の思考のうちにこれまで長いこと隠されてきた贈与の次元をよみがえらせる運動でもあるのだ」。

原発事故は、資本主義経済の今日の深刻な行きづまりに関わっているというのが、どうやら、大枠で議論の底にあるようだ。中沢さんは、「フュシス(自然)」+「クラティア(管理)」としての「フィジオクラシー(重農主義)」を構想したケネーの経済学に、未来を開く鍵があると述べて、現在、著作を準備中だという。



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2011年3月11日。春休みの一日、いつもの年のその時期にそうであるように、私は海外にいた。東北の地震と津波の報を聞いて、しばらくして密林に入った。3月末に帰国すると、国内が節電で薄暗く、エスカレータがいつものように動いていないことに、震災の影響を感じた。オフィスの棚から書類が落ち、ともに落下したはずのワインボトルはなぜか割れていなかった。3週間授業開始が遅らされて、私は、邪気なく、むしろ春休みが長くなったと歓迎したほどである。そのあたりに、いつだったか、ゼミの卒業生と会って話をした時に、地震当日の話題になったことがある。彼女は、都内のビルで仕事中に、地鳴りがして、やがて揺れ出し、地の力みたいなものを感じだのだと言った。それは人を超えた力のことではないかと思った。荒ぶる地の神が、突然、動き出したかのように。地震大国・日本の住民にとって、地震という厄災は、そうしたものとして、考えられ、イメージされてきたのではないだろうか。

そんなことに気づくうちに、今回の震災は、自然の力、自然の神を封じ込めようとする努力は虚しい、儚いことであるということを示唆しているのではないか、と思うようになった。そうした単純な事実を想った。科学技術を用いて、自然を操作し、電気エネルギーを生み出したり、大海原からの巨大な波の伝来を止めるための防潮堤を築くという人の営みは、人ゆえ、人ならではのものであって、そうした人の企てをやすやすと超えるものこそが、大いなる自然たる神だという点を、私たちは心深くに刻みつけなければならないのかもしれない。

私たちが深く懐におさめて、享受しているため、簡単には批難することはできないかもしれないが、自然を人間と対立させ、それを制御しようとする、ヨーロッパ形而上学に特徴的な自然と文化の二元論が、いま、私たちの足元に潜んでいることが、ようやく見えかけてきている。その延長線上に、精神を持ち、思考する主体である人間が、人間以外の自然の事物・対象を奴隷として、自らの統御の下に置いてきた。しかし、人が完全に自然をコントロールすることなどできはしない。そのことは、私たちを養ってくれる自然=神に対する反逆、反乱、抵抗でさえある。そうした自然と文化の二元論をベースとする科学への信奉が広く世界に行き渡り、自明化する以前に、人の心根にあったものが何であったのかを、私たちは問い尋ねてみなければならないのかもしれない。

赤道直下の熱帯に生きるボルネオの狩猟民・プナンは、科学以前に生きる人びとであると言えよう。プナンにとって、最大の自然の脅威は、湿り気を帯びた水蒸気がやがて天高く一か所に滞留し、凄まじい雷鳴を轟かせて、激しい雨をもたらす、気象の急変である。雷神は、稲妻を走らせ、落雷して木々をなぎ倒し、生命を奪い、鉄砲水を引き起こし、あらゆる事物を水のなかへ流し去り、時代を一気に神話の時代へと遡らせる。プナンの理屈は、天界にいる、そうした神々の怒りを引き起こすのは、日々の狩猟で得た獣に対する人による不遜な、不敬な振る舞い、すなわち、人が、動物と戯れたり、動物をからかったりしたことに因があるというものだ。プナンは、だから、(決して言葉に出して語らないが)自然が与えてくれる恵である獲物の扱い方に、念入りに注意を払う。そのことによって、狩猟民プナンは、間接的に、自然=神に対する畏怖、恐れを表現しているのだ。逆に言うならば、人は、自然の前では、ただただ逃げ惑って、猛威が納まるのを待つしかない、ちっぽけで、不甲斐ない存在なのだということを、彼らはよく知っている。

必要があって、ちょっとだけ考えてみた。

(写真:アレット川の濁流)



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文化という概念は、手垢のついた時代遅れの観念であるとされる。 文化をめぐっていま何が議論されているのか?一般には知られていないが、相当に根源的な、大きな問題が議論されている。それは、「静かな革命 a quiet revolution」と控えめに表現される。別名、「存在論的転回 ontological turn」。それは、一昔前の、ポストモダンな文化論(ジェームズ・クリフォード一派)は、はるかに霞んでしまう「革命」なのである(あれは、いったい何だったのか?)

 静かなる革命とは、例えて言えば、野田首相の国連での原発をめぐるややあいまいな演説があったけれども、原発推進なのか脱原発なのかを含めて、私たち日本人が日々格闘している現代政治や経済、さらには科学をめぐる諸問題には、私たちには染み込みすぎていて気づかないでいる根本問題があり、そのことを暴き立てて、
私たちの考え方、暮らし方に根底の地点から、問い直しを迫るような知の革命である。言ってみれば、現実に接近できるのは人、しかも科学的な知識を身に着けた人だけであり、そうした、自然を文化(=精神を持った人の実践)だけが扱えるとする存在論でもって、私たちは、あらゆる事柄、現象、文化実践の理解に努めてきたのである。その意味で、遠く離れた場所に住む人びとが持っている知識は、西洋の存在論から、自然をめぐる知識としての世界観であるとして、認識論の枠組みのなかで俯瞰的に捉えられてきた。

 文化人類学は、マリノフスキー以来この百年間、
「現地人の観点から」というようなスローガンのもとにやってきたのではなかったのか?文化人類学者は、「異文化」を理解しようとしてきたのだけれども、しかしながら、その理解は、あくまでも、文化行動を人だけに割り当て、自然から切り離す西洋二元論思考に基づいたものであったことになる。だから、動物が人のようにふるまうことを普通のこととして捉える人びとや、神霊と仲良くする人たち、言いかえれば、人と人以外の存在を連続的なものとして捉える人びとのことを、根本のところからは捉え切れていないのである。そうしたことは、あくまでも世界に対する一つの理解、世界観という認識であると捉えられてきた。

 

 エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロによれば、南米の先住民諸社会では、人であれ、動物や精霊などの人以外の諸存在であれ、それらは、つねに変化する身体を持ち、再帰的な観点をもつ主体であるとされる。そこでは、人も動物も精霊もすべて、自らを「人」であるとみなしており、動物や精霊たちもまた、人と同じように社会組織を持つと考えている。ヴィヴェイロス・デ・カストロは、南米先住民諸社会では、人と人以外の諸存在は、見かけが異なるという点で非連続的であるが、他方で、人間性をや社会性を共有するという点で、連続的であると主張する。

 

 人と人以外の存在の間に断絶があるのではなく、人間性に関して、その関係が連続的なものであるとされるような存在論のあり方に照準を当てるために、ここでは、レヴィ=ストロースが、『構造人類学2』のなかで取り上げた、大アンティル諸島のエピソードを見てみよう。

 

大アンティル諸島では、アメリカ大陸発見から数年後に、スペイン人たちが原住民たちに魂があるかどうかを確かめるために調査団を送り込んだ一方で、原住民たちは、長期間の観察をつうじて、死体が腐敗するかどうかを確かめるために、(スペイン人の)囚人たちを溺れさせたのである

 

 異質な文化の遭遇の時代に、スペイン人とアメリカの原住民の双方が、互いをどういった存在であるのか知ろうと試みたのである。これを踏まえて、ヴィヴェイロス・デ・カストロは、他者存在に関する調査法が、スペイン人と大アンティル諸島の人びとでは全く逆になっていると指摘する。彼は、スペイン人にとっては、他者が「魂」を持っているかどうかが問題であり、他方で、原住民の目的は、他者がどのような「身体」を持っているのかを見出すことであったのだと言う。

 

 大アンティル諸島の原住民たちは、動物や精霊が持っているのと同じように、ヨーロッパ人たちが魂を持っていることに一向に疑いを差し挟むことはなかった。原住民たちが知りたがったのは、そうした魂を持つ身体が、自分たちと同じ人間性を持つのかどうか、つまり、ヨーロッパ人たちは、人間の身体を持っているのか、あるいは、腐敗しにくい、変幻自在の霊の身体を持っているのか、一体どちらの身体を持っているのかを知ろうとしたのである。いいかえれば、大アンティル諸島の原住民たちにとって、ありとあらゆる存在が魂を持つことは周知の事実であり、形態上の身体のあり方こそが存在の違いであることになる。

このエピソードは、二つの存在論の激突を示している。

池田光穂さんによる、「サンファン島先住民によるスペイン人溺死実証実験」の部分訳とコメントについては、以下のHP参照。

(ゴンサーロ・フェルナンデス・デ・オビエド・イ・ヴァルデス『ラス・インディアスの一般史と自然史』(1535年))
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/110921ahgadoESP.htm



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モニカ(ジャノウスキー)とジャイル(ラングブ)の最新の論文、"Footprints and Marks in the Forest: the Penan and the Kelabit of Borneo"は、狩猟民プナンの「足跡」と農耕民クラビットの「印づけ」という、土地に対するそれぞれの民族の作法の違いを取り上げて、精緻に、自然に対する人間の態度をめぐる問題に迫っていて、秀逸な出来栄えである。

狩猟民プナンは、森のなかの、人がいた、人が生まれ死んでいったという「痕跡(足跡=Uban)」に揺さぶられ、惑乱される。それに対して、農耕民クラビットは、森のなかの風景を改変し、土、石、溝などをマークすること(印づけること)によって、それらに慣れ親しみ、自らのものとする。農耕民クラビットのやり方は、我々農耕民・日本人のやり方に通じるものがあるように思われる。私は、残された足跡に揺さぶられるという、一見するとよくわからないプナンのやり方に対して、今、特大の関心を抱いている。

いったい、プナンが、残された足跡に揺さぶられるとはどういうことなのか。事後的に、今では不在となった存在物に対して心を向け、それを忌避しながら、時に悲しみ、思い出さないようにして、近づこうとはしない。残された足跡に、プナンは、揺さぶられ、乱されるのである。ふとある場所を通り過ぎたときに、残された足跡に触れたり、見たりすることによって、その足跡から浮かび上がる、いまや不在となった過去の事物・存在の実存状況を心の奥底に甦らせて、心を躍らせたり、場合によっては、落ち込ませたりする。そうした情動によって、どうやら、プナンは動いているようなのだ。

かつて私と"J"が夜の狩猟で待ち伏せして作った小屋の痕跡のようなものを指さして、「ほら、それが、この前の我々二人の跡 iteu uban tua saau」というような言い方をして、そのことをつうじて、その経験を懐古し、二人の間の絆を確かめようとする。そんなことは、我々日本人だってふつうにやっている。しかし、そうした表現の裏の意味は、もう少し深い。私がいない間、"J"は、そこを通過することさえ忌避していたということが圧倒的に多いからである。しかし、何かの出来事を思い出させる場所の忌避ということは、私たちも、相手に対するいとおしい気持ちが、別れ別れになった後も持続して、痛苦を感じるときに、よくやる手口かもしれない。ただし、どうやら、プナンが持つ情動の深さというのは、そうした情動をハビトゥス化して、日常の暮らしのなかにしみこませている点にある。彼らは、振り返ってみると、つねにそんななのである。そうした情動を、プナンはtawai という。それは、異性に対してだけでなく、家族や自然の事物に対してもまた用いられる。プナンには、tawai が蔓延しているとでも言えるのかもしれない。

プナンは、消え去ってしまったものには、すなわち、いまは存在しないが、かつての実在していた事物や存在物に対しては、控えめな表現を付与する傾向にある。消え去った存在を、堂々と、その本当の名前で言い表すことは、彼らにとっては、衝撃的すぎるのだ。事物や存在に対する一種のtawaiの延長が見られる。死者の名前は口にされないが、どうしても必要なときには、葬儀のときに作った棺の素材である木の名前で呼ばれる。赤い沙羅の木の女など。仕留められた動物は、その名で呼ばれてはならない。一見厄介に見えるこうした規範は、残された足跡に心を揺さぶられるという、プナン文化に特有の情動に発しているとも考えられる。

こうした情動と日常実践の往復運動は、うつ病やPTSDなどの、現代人の心の病を生じさせるのとは異なる方向に、人の心を導くのではないか(と昨日の研究会で、コメントをした先生がいた)。上で述べてみた、残された足跡とは、目に見えるはっきりとした形象のことではない。最初ははっきりした形象であったものが、時間とともに、朽ち果ててゆくことを含む、僅かな痕跡へと至る、痕跡の微分化過程に他ならない。そうした薄れゆく記憶の翳みたいなものの断片と、断片の断片こそが、残された足跡の正体である。経験は楽しいものばかりではなく、辛いこともあるし、楽しいものは消え去った瞬間に辛いものに転じることもある。そうした経験と経験からたち現れる記憶のなかに痛苦を感じないために、プナンは、残された足跡から、できるだけ早く、できるだけ遠くに逃げようと努める。死者を埋めて、そこから立ち去るというプナンの葬法はその典型である。不在の対象を、たとえ観念のなかでさえ、ありのままで現前化させようとはしない。それは、結果的に、心の痛みをあらかじめ和らげるために編み出された作法なのかもしれない。



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