たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

腰痛の憂鬱

2010年12月07日 13時40分00秒 | 医療人類学

今日の一限目に立って授業をしているときに腰に重みというか、違和を感じた。その後、痛くなってきた。おまえよ、また来たのか。呼んでもいないのに。前回は、2年前だと思ったが、いま調べたら1年半前だった。腰痛になる間隔が、最近確実に早くなっている。ヤバイ。どうしよう。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/0e1684b624fca61c8b3d0a9bc1a5fedb


流行り病の記号論

2010年04月08日 10時49分42秒 | 医療人類学

昨日久しぶりに会った人たちにわたしが罹った感染症のことについて話しているさいに、ある人が「そのことを聞いてびっくりしましたよ、しばらく会わないほうがいい、近づかないほうがいいと思いましたよ」と言ったので、わたしは軽いめまいを覚えた。おそらくその方は、14世紀にヨーロッパで大流行したペストやインカ・アステカ文明を滅ぼした天然痘、日本でも時々流行して人びとを苦しめた麻疹、最近では、飛行機に乗ったワイドスプレッダーによって世界各地に運ばれたSARSなどのイメージの延長線上に、レプトスピラ症というなんだか聞いたこともないような流行り病のことを考えたのかもしれない。SARSがハクビシンという獣から人に感染し、さらには人から人へと広がったという事実、あるいは、豚インフルエンザが豚から人へ、さらには人から人へと染ったという事実認識に照らせば、レプトスピラは人から人へは染らないと言われているが、その方の恐れは得心できなくもないと、わたしは後に考えたのである。

この点に関して思い出すことがある。
中高と同じだったAくんのことである。Aくんは、中学のときに腸チフスに罹って隔離入院し、その後しばらくして学校に復帰した。そのときのことを、彼の病後に中学の先生から話を聞かされた。Aくんは生死の境をさまよったとか、他の人に染らないように保健所の人が彼の家を消毒に来たとか、汚れた水が感染源だからみなさんも飲みものには十分注意しなさいとか、Aくんが勉強の遅れを取り戻すために先生たちも家に行って勉強を教えたいうような話だったと思う。その後、わたしは、Aくんとは同じ高校に入学して、3年間同じクラスだった。別の中学から来た同級生Bくんが、どこかから、Aくんの腸チフスの話を聞きつけて、Aくんのいないところで、彼は腸チフスに罹ったことがあり、家と家族が消毒されたこともあるということをどうやら触れ回っているようだった。あるとき、Bくんが、Aくんがいないときにその話題を出したときに、
Aくんとわたしの共通の友人であるCくんが、、「B、そんなこというたらあかん、友達やんけ」というようなこと言った。そのとき、わたしには、Cくんが神々しく思えた、Cくんはなんて立派な奴だと思った。Bくんは、その後、そのことを触れ回ることをしなくなったように思う。

それから、高校を卒業して数年後に、電車のなかで偶然Aくんに会ったとき、彼のかつての病気のことやこのエピソードのことがふと頭をよぎった。それは、封印された恐ろしい出来事なのだとも思った。そのことをAくんにはいっさい言わなかったが。今、改めて、高校時代の出来事を思い返してみるならば、Aくんの家の衛生状態などを問題視して、悪意をもって発せられたBくんの言葉を制するように思えたCくんの勇気ある発言は、Bくんの立ち回りを前提として、じつは、Aくんが罹った流行り病を、話題に出してはいけないほどの恐るべき現象へと引き上げたのではなかったのかと思える。結果的に、その流行り病に蓋をすることで、はからずも、逆に、闇の奥に、その病気の恐ろしさを浮かび上がらせることになったのではないだろうか。わたしがAくんにしばらくぶりに会ってすぐさま、隔離され、消毒される恐るべき法定伝染病に侵されたかつてのAくんのことを思い出したように。


こうした問題に、医療人類学はあるヒントを与えてくれるかもしれない。スーザン・ソンタグは、「結核」「ガン」「エイズ」などの病気を例に、それぞれがおかれる文化的な位置づけや社会的なイメージを分析している。結核はかつては才能のある人がかかる美しい病気とされ、ガンは自己を抑える人がかかりやすい病気とされ、エイズは性経験豊富な人の病気とされる。わたしたちは、病気そのものを経験するのでなく、病気の文化・社会的な側面を経験している(池田・奥野『医療人類学のレッスン』45-46頁)。病気は、多分に、そのイメージを伴って、われわれの経験世界に流通する。流行り病が、それと聞いただけで、恐ろしい、近寄らないほうがいいというイメージを連想させるのは、その意味では、何も驚くべきことではないのだ。

さきごろ行われた人類学者たちの集いで、そうした場ではよくあるように、現地で罹った流行り病が話題となった。自分は三日熱マラリアをやったし、彼女はデング熱をやった。アフリカ研究者の誰某は熱帯熱マラリアで危なかった。ファンシダールやクロロキンはもはや効かなくて、メフロキンでもドキシサイクリンでもなく、中国のヨモギからつくった抗マラリア薬が効く。国内でもときどきマラリア様の症状がぶり返す。それを聞いていた北方民族を調査対象にしている人物は、自分は寒いところで、そんな流行病がなくてよかったと言っていた。そうした話は、人類学者どうしの情報交換であるとともに、人類学者としての一種の自負(現地で流行り病に罹ってないなんて、まだ一人前のフィールドワーカーではない!)の語りでもある。
その延長線上に、わたしは、わたしが罹った流行り病を、授業ネタなどとしても使えるなと無邪気に考えていたのだが、事態はもう少し複雑であり、慎重に考えたほうがいいかもしれない。流行り病の記号論は、話の聞き手に、それを解釈する手がかりとなるあるイメージを伴って、受け取られる。

(夜中に酔っ払って狩猟の支度をして写真に写るフィールドの人びと)


腰痛小考

2009年05月30日 22時46分18秒 | 医療人類学

今週の木曜日授業がなかったが、いつものようにずっとオフィスでデスクワークをしていた。昼すぐに、椅子から立ち上がろうとしたときに、腰に違和感があった。午後からも椅子に腰掛けていたが、夜にオフィスを出るときには、腰痛がやや激しくなっていた。翌日には、さらに、痛みはひどくなっていた。夜には、週末の用事の幾つかをキャンセルせざるをえないまでになっていた。今朝、家の近くの整形外科でレントゲンを撮って見てもらったら、椎間のクッションが劣化しているところに負荷がかかり、腰痛になったのではないかとのことであった。これからも腰痛は起きますよ、と驚かされてショックを受けて、とりあえずのところの治療をしましょうとよと促され、電気治療などを受けて、帰ってきた。コルセットも付けている。腰痛で診療所に行ったのは初めてであるが、近年、一年に1回くらいの割で、腰痛になっている。なぜ医者に行かないかとと考えていると、毎年、プナンのフィールドワークに行っている間に腰痛になるということに思いあたった。狩猟キャンプに行くまでの長い道のりを重い荷物を担いで歩いたりすると、決まって、腰が痛くなるのだ。日ごろから運動をしていないせいだくらいに思っていたが、はたしてそうなのだろうかと、レントゲン写真を見ているときに思った。そうしたことをつれづれに考えていて思い出したのは、プナン人は、腰痛にならないということである。彼らは、わたしの腰痛を、背中痛(sakit lekot)と表現した。狩猟民プナンは、わたしたちが使っている腰痛という言葉を持っていない。プナンには、腰痛がない。わたしの経験としては、腰痛に苦しんでいるプナン人にお目にかかったことはない。さきほど、ふと思い出して、昨年NHKスペシャルでやっていた『病の起源』の腰痛のビデオの撮り置きを、探し出して、見てみた。ヒトが二足歩行するようになって、腰を自由に動かせるようになって、長距離移動などが可能になった。その二足歩行という進化のなかに、腰痛の起源があるという従来の通説に挑戦するのが、どうやら、その番組の狙いのようである。本も出ている(NHK「病の起源」取材班『病の起源①』、NHK出版)。その番組のなかで、タンザニアの狩猟採集民ハザの人びとが、腰痛知らずであるという状況が紹介されていた。彼らは、狩猟のために、一日当たり28キロも歩くという。腰痛とは、彼らにとっては、木から落ちたときになるようなものであり、それは、わたしたち現代人が抱える腰痛とは、種類のちがうものである。農耕以前の狩猟採集形態に、基本的に、腰痛がないのだとすれば、腰痛は、二足歩行の宿命であるという説は説得力を失うことになる。他方で、農耕の作業は、ヒトの腰に過重な負荷を加えることになった。番組は、さらには、現代社会における腰痛の心因的な側面に迫っていた。職場環境、家庭環境などなどのストレスフルな状況が、腰痛をつくり出しているということが分かり、現在、心療および医療の両面から研究が進められている。じつは、腰痛という現象については、まだほとんど何も分かっていない・・・。それが、番組の主な流れであった。わたし自身は、自らが直面するストレスフルな状況に照らして、その最後の腰痛の心的な要因の説明に、妙に、納得させられた。

(写真は、狩猟キャンプのプナンの子どもたち)


精神を病むということがないということ

2008年04月26日 22時45分04秒 | 医療人類学

うつ病やパニック障害で悩んでいる人たちがいる。それは、心の問題ではなく、神経生化学的な問題であるともいう。投薬をすると、副作用があるとも聞く。こころの病いを抱えているという言い方をすることがあるが、その深い悩みや苦しみについては、わたし自身は、十分に知ることはできない。それらは、精神科で処方されるがゆえに、精神の問題ということができるのかもしれない。かつて、わたしが調査研究をしたカリス社会には、狂っている、精神病であるとされるような人たちがいた。それは、情緒不安定となり、突然暴れて人を傷つけたり、来る日も来る日も道に石を積み上げるというような、逸脱的な行動をする人たちであった。なかには、町の精神病院で処方してもらった人がいた。ところが、精神病の地球上の遍在の可能性という点から驚くべきことに、プナン社会には、そういった精神病、こころの病いを抱えているような人が存在しないのである。少なくとも、わたしはそういったプナン人に会ったことがない。西洋の精神科医が見て、精神病理であるとカテゴライズした「文化依存症候群」(ラター、アモック、北極ヒステリーなど)を除いて、近代以前の社会には、はたして、うつ病などの精神病理が、存在したのだろうか。おそらく、プナン社会のように、そのようなものが存在しないような社会というのは、数多かったのではないかと思われるが、たぶん、外来の観察者は、精神を病むことがないという、<非在>の状況には、目を向けなかったのではないかと思われる。では、プナン社会には、現在においても、なぜ精神を病むというようなことがないのであろうか。まず、精神病、こころの病いというようなタームがない、という点があげられるかもしれない。さらに、わたし自身の経験から言えば、プナン社会では、独りで思い悩み、進むべき道を考えあぐねるというようなことがない、できないという状況があるというのも、そのことに関わりがあるのかもしれない。のべつ誰かがわたしの傍にいるし、わたしのことを気にしている。いま、精神病を病むということがないということ、精神病の<非在>について考えるということは、医療人類学の盲点であったのかもしれないと思う。

(アレット川)


吹き出物、咳、腹痛

2008年04月21日 22時31分49秒 | 医療人類学

写真は、足にニキビというのか吹き出物が腫れて、歩くことができなくなって、しくしく泣いてばかりいるプナンの女の子(6~7歳)の処置をしたときの様子である。なんらかの原因で、菌が繁殖し、炎症を起こしたのだろうか。父親は、腫れた芯の部分を鍼でついて、膿を出した。プナンは、このような腫れた状態をバー(baa)と呼んでいる。今年の3月には、そのような症状の人たちが、わたしの周囲に、少なくとも4人はいた。顔、首、お尻、太腿など、それは、いろんなところに現れて、人びとを苦しめた。わたしは、ひそかに、彼らが、イノシシの脂身を大量に食べるので、このような症状が出るのではないかと思っているが、詳しいことは分からない。

Jは、夜な夜な、ひどい咳(miket)に悩まされていた。蚊帳のなかで、ゴホンゴホンと、咳が止まらない。痰をひんぱんに吐き、苦しそうだった。眠れないとも言った。わたしも、何度となく、咳の音に起こされた。昼間は、その症状はおさまり、彼は、いつも、短いときには、5分と間隔を明けずにタバコを吸った。市販のものではなくて、タバコの葉を枯葉に包んで、スパスパとやった。わたしは喉が痛くなって、とてもそれを吸うことができない。
プナン社会で、フィールドワークを始めたころ、咳をする人たちには、タバコを控えたほうがいいと忠告してきた。日本で、たいていそう考えられているように。しかし、わたしに耳を貸すようなプナンは、誰一人としていなかった。Jには、あまりに咳がひどいので、わたしは、タバコを吸うのをやめるように進言した。しかし、彼は、昼間にスパスパとタバコを吸うのを止めなかった。プナン人は、どうやら、タバコを吸うことが喉を痛めて、結果として、咳を治りにくくしているとは考えていないようなのである。

わたしが、腹が痛い(magee buri)とき、プナン人は、それならば、お前の持っている薬を飲めという。腹が痛い、下痢だと言っても、その後、米があれば、ふつうに、わたしに大盛りのごはんを給仕してくれる。だんだん分かってきたことは、
プナンは、腹が痛くても、いつものように、きっちりと食事をするということである。腹を空っぽにして、安静にしているというようなことは、どうやら思いもつかないらしい。下痢のときにでも、しっかりと、ごはんやサゴデンプンを食べる。そうすることで、腹痛はしだいに治ると考えているようである。実際、そのようにして、プナン人たちは、腹痛を治しているようである。腹が減ったときに食べていれば、腹痛や下痢などは治ってしまうということなのだろうか。

もう一度、このあたりから、医療と文化について、考えてみなければならないのかもしれない。それは、医療人類学の出発点なのかもしれないと思う。


医療人類学とは何か?

2008年01月20日 21時30分00秒 | 医療人類学

昨日、大阪のI先生のオフィスで、医療人類学の研究打ち合わせ会があった。午前10時からの一般的な意見・情報交換。つづいて、1時半ころからは、アメリカをベースとする医療人類学のM先生による医療人類学教育の話題提供があり、さらには、5時半ころからは、医療人類学を学ぶこと/教えることについて、参加者の間で、意見・情報交換がおこなわれた。午後10時すぎに懇親会が終わると、ヘトヘトだった。以下、医療人類学をめぐる雑感とメモ。

改めて確認できたことは、医療人類学のニーズは、「医療人類学が、<現代社会>の健康および疾病をめぐる問題に対して貢献できるにちがいないと想定している人たちの心のなか」にあるということである。したがって、医療人類学の主流は、人類学の応用(=応用人類学)なのである。けっして、医療をめぐる人間行動の研究にあるのではない。

アメリカ人医療人類学者は、医療人類学教育の概要について、ていねいに話題提供してくれた。医療人類学教育の対象は、①医療スタッフ(医師、看護士、保健士、薬剤師・・・)、②人類学者、社会学者、③大学院生、④学部学生、⑤地域住民、の4つに分類できる。

それを踏まえて、医療人類学の教育とは、具体的には、以下のような4つのプログラムからなるという。

①実証主義のデプログラミング
すべての事象を科学や合理へ還元して考えることを終わらせ、直観や解釈を重視する態度を評価することを教える。
②相対性を培うこと
謙虚さの態度や物事に対する多様な見方があることを教えたり、バイアスや偏見を取り除かなけれならないことを教える。
③社会理論の教育
人類学の文献を読解して理論を学んだり、民族誌を読んだりすることを教える。
④フィールドワークの技芸と分析についての教育
社会的な絆を作り上げて、調査をどのように行えばいいのかについて、とりわけ、強力な調査トレーニング・ツールであるビデオ撮影の手法をもちいて教える。

思いっきり簡単に言ってしまえば、これらのプログラムは、医療(近代医療)が、より柔軟にかつ人間的に医療を行うことを目指すプログラムである。このなかで、わたしが個人的に、ひじょうに興味を抱いたのは、ビデオ機材を用いて、自らの調査のやり方について撮影し、調査手法をアップグレードしていくというメソッドである(④)。それは、文化人類学の調査手法の精度を上げることにつながると思う。

その点はとりあえず脇に置くとして、要は、M先生の話題提供をとおして、医療人類学は、主に、医療スタッフのためのプログラムとして、練り上げられているというような印象を受けた。がちがちの合理主義・実証主義者が圧倒的に多いがゆえに、仮想上もっとも扱いにくいターゲットは、医師や病院で働く人たちを含めた医療スタッフなのである。

さらに、全体の討論をとおして、現代社会の医療状況のなかで、患者=人間と直に向き合う看護士に対して、医療人類学教育を行っていくことの必要性が強調されたように感じた。つまり、医療人類学の当面の戦略目標は、現在全国で150に膨れ上がった、看護系の学部へと医療人類学を送り込んで、わたしたちの健康および疾病を一手に引き受ける牙城たる医療の領域へと、じょじょに、医療人類学の考え方、やり方を
行き渡らせていこうということなのかもしれない。

そのことは、たしかにそうであるのかもしれないと想う。「医療人類学が、<現代社会>の健康および疾病をめぐる問題に対して貢献できるにちがいないと想定している人たちの心のなか」に、深く深く根を下ろしていることはたしかである。ところが、わたしは、その考えを、単純なかたちで、わたし自身の問題として引き受けることはできないでいる。そのようなことは、医療人類学の一部であると想っている。そうではない、人間行動としての医療とは何かという、伝統的な、根源的な問いを、医療人類学は含んでいるはずであると感じているからである。伝統的な、根源的な問いへと向き合うなかから、医療人類学が行われ、教育現場で教えられることが重要であると想っている。その意味において、医療人類学は、文化人類学と道行きを同じくするのだとも考えている。どうやら、この点に関して、昨日の討議者たちの間には、大きな異議はなかったようなのだが。

わたしの胸に突き刺さるのは、医療人類学(=文化人類学)の外側から眺めていると、この学問が、しばらくのあいだ、元気を失っている、精彩を欠いているように見えるという、最近、よく聞く意見である。そのことは、医療人類学が、その知識や手法を、現代社会の問題に応用すること、あるいは、現代の医療問題を検討することだけに心を砕いてきた
ことに一因がある。医療人類学(=文化人類学)は、肥大化する「自己」を諌め、「治療」する学問であることを、いつごろから、自らの使命としたのであろうか。現代社会に従属的なチープな学問となった結果として、それは先細ったのではあるまいか。同時に、文化人類学が「他者」ではなくて、「他者」について語る「自己」について、延々と、無産的な議論を続けてきたことにも原因がある。「自己」省察的な議論が席巻し、皮肉なことに、医療人類学(=文化人類学)は、「他者」を見失い、人間を見失ったのである。わたしがいまの医療人類学に対してできるのは、未開のフィールドにおける具体的なトピックを例示しながら、そういった点へと立ち入って、問題を提起することなのかもしれないと、やや楽観的ながら、感じた。

(写真は、去る1月18日の宗教人類学の期末試験の風景。本年度すべての授業はこれで終了した!)


医療人類学を勉強しよう!

2007年11月15日 17時59分26秒 | 医療人類学

以下、国際交流基金のアジア理解講座の案内です。

「アジアの〈こころ〉と〈からだ〉:医療人類学からのアプローチ」

2008年1月15日から3月18日まで(
19時から20時30分)
毎週火曜日1講座

各講座100名(先着順)

<医療人類学>は、フィールドワークという手法によりながら、病気や死、健康や医療などの現場のど真ん中に入って、
人間の医療のありようについて考えようとします。<医療人類学>の観点から、アジアの人びとの<こころ>と<身体>を探ります。扱われる地域は、インドネシア、インド、韓国、ヴァヌアツ、カザフスタン、ニューギニア、ラオス、沖縄などです。トピックは、死、女性の身体、美容整形、老い、民族医療、呪術、シャーマニズム、出産などです。

詳しくは、以下のホームページへ。
http://www.jpf.go.jp/j/culture_j/topics/asiarikai/index.html

(写真は、ボルネオ島カリス社会のシャーマンによる豚の肝臓占いのシーン)


大学生協で1985円/『医療人類学のレッスン』解題

2007年10月02日 14時04分16秒 | 医療人類学

どうやら風邪を引いたらしい、まずは、風邪薬を飲んで様子を見てみよう・・・4月の健康診断で、γーGPT値が基準を超えていると判定され、以前の週3回から週1回にアルコール摂取をペースダウンしている・・・というような、わたしの病気や健康の日常。叔母は、昨夏、心臓弁の置換手術をしたが、その後、経過は順調のようである・・・うつ病だと診断されたA子は、抗うつ剤を服用しているが、口が渇いたり、目がかすんだりするという副作用に悩んでいる・・・というようなわたしの周りの人たちの病気や健康の日常。

わたしやわたしたちの病気や健康は、わたしやわたしたちにとって、この上なく大事である。そのことは、病気や健康について考えるための、身近な手がかりでもある。がしかしである。学問領域としての医療人類学。知的な鍛錬の場としての医療人類学
は、そのような本来の「持ち場」をいったん離れて、勢いをつけてポーンと、飛び出す。そのようにして飛び出した遠心力で、人類の病気、健康、医療というようなことを考える。それが、この新刊書籍、『医療人類学のレッスン~病いをめぐる文化を探る~』の一番根っこにあるものである。

そのような観点から、ヒト以前の動物とヒトの病気のちがいが取り上げられ、人間の医療の特徴というべきものが探られる(2章)。

ついで、呪術、憑依、シャーマニズムといった、病気や健康と深く関わる、人間の身体の奥底にただよう心理的・宗教的な問題系が、検討の俎上に載せられる(3,4,5章)。

 わたしたちがもっとも信頼を置く医療(近代医療)が、なぜ、これほどまでに、地球上で広く行なわれているのかと、問いをひっくり返し(6章)、その射程のなかに、出産や女性の身体の問題を捉えようとする(7、8章)。

その果てに、近代医療の「治療神話」には、疑いのまなざしが向けられる(1章)。

老齢を、ケアや医療などの財政負担や葬儀ビジネスの対象
としてしか捉えないような日本の「知的貧困層」(ちょっと言いすぎかな?)に対しては、地球規模で、老い意味を掘下げて、学びの機会を提供する(9章)。

次から次へと積み上げられていく精神病患者のファイルに対しては、踵を返して、「狂気」って、人間にとって、人間社会にとって何なのかという問いを突きつける(10章)。

池田光穂・奥野克巳共編著
『医療人類学のレッスン~病いをめぐる文化を探る~
学陽書房
本体2,100円+税

1 医療人類学の可能性―健康の未来とはなにか?・・・ 池田光穂
2 病気と文化―人間の医療とは何か?・・・奥野克巳&山崎剛
3 呪術―理不尽な闇あるいはリアリティか?・・・池田光穂&奥野克巳
4 憑依―病める身体は誰のものか?・・・花渕馨也
5 シャーマニズム―シャーマンは風変わりな医者か?・・・奥野克巳
6 グローバル化する近代医療―医療は帝国的な権力か?・・・奥野克巳&森口岳
7 リプロダクション―「産むこと」は単純ではないのか?・・・嶋澤恭子
8 女性の身体―身体は所与のものか?・・・松尾瑞穂
9 エイジングと文化―老いはどのように捉えられているか?・・・福井栄二郎
10 心と社会―狂気はどのように捉えればいいか?・・・池田光穂
11 今日における健康問題―なぜある人びとは病気にかからないのか?・・・池田光穂


医療人類学とのたたかい

2007年07月18日 23時37分40秒 | 医療人類学

「心にかかる雲ひとつだになし!」という心境で、大学の春学期の授業を終えたと思った矢先に、医療人類学の本づくりにおいて、まだできていない章の仕上げまでを引き受けるという、とんでもないことになった。若手のひとりからは、「正解がなかなか見えないので、共同執筆でも」という、あやふやな申し出があり、他のひとりは、アフリカで調査中で、病気のためか(?)、ここしばらく音信不通なので、締め切りが、目の前に迫っている状況で、わたしが、その二本の論文の仕上げを、どうしてもやらなければならないことになった。引き受けたこと、いや、引き受けざるを得なかったことを、いまでは、たいへん後悔している。とにかく、しんどい。

昨晩から、パソコンの前に座って、キーボードを乱打しつづけているが、まだ、完成は、カーブの先という状況である。仮眠したときにも、夢のなかに、パソコンの画面と<医療>や<病気>という単語が、出ては消え、消えては出てきた(ような気がする)。

わたしが大幅に改編しつつ執筆しているのは、
ひとつは、「病気と文化」の章であり、もうひとつは、「近代医療のグローバリゼーション」の章である。後者では、<帝国医療>というタームを手がかりとして書いている。

頭のなかは、すでに、ぼんやりとしてきているが、言ってしまえば、<帝国医療>とは、わたしたちが、全幅の信頼をおいて、あたりまえのものとして捉えている、われわれの医療、すなわち、近代医療の<外部>へと踏み出て、それについて考えてみるための概念であり、分析的な想像力なのである。集中して書いてみて、分かったのは、確認できたのは、その点(のみ)である。

法律や政治、学校教育など・・・、わたしたちは、そういった事象・現象がはらむ様々な問題にぶちあたり、よりよき解決を目指すが、じつは、その解決が、問題を、より複雑化するという事態がある。
そういったときに、法律や政治、学校教育などは、その<外部>へと出るための分析的な想像力とでもいうべきものをもっているのだろうか?近代医療に関していうならば、<帝国医療>が、それにあたる。

いかん、ちょっとサボってしまったが、ふたたび、本づくりの作業に戻ろう。明日のいま頃には、でき上がっているだろうか・・・

(写真は、ボルネオ島のカリス社会のシャーマニズムのようす。ドラのリズムにあわせて、正装した女性シャーマンが踊っている)