たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

おめでとう、マリオ

2010年10月08日 08時47分13秒 | 文学作品
2010年のノーベル文学賞に、マリオ・バルガス・リョサが選ばれたという。
(今じゃ、かっこいいお爺ちゃんだけど、つい最近まで、にがみばしった美男子というふうだった)
http://news.yahoo.com/s/ap/20101007/ap_on_en_ot/us_nobel_literature
http://www.asahi.com/culture/update/1007/TKY201010070442.html
おめでとう、マリオ!他人事だけど、他人事に思えない。

20代半ばに、代表作『緑の家』を読んで衝撃を受け、小説を書いてみた。
わたしの緑の家風小説「天空の裂け目」は、日の目を見るには程遠く、文才のなさをさらけ出していた。

http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/0794d725a0f19ea755efe4c195c6db54
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/0506dd350f050e81cade189d333ae08a


音楽で世界を旅する

2010年10月07日 07時49分19秒 | 音楽

のひと月というもの、(そんなに時間があるのかと、一部の人たちに疑われながら!)ブログを更新してきた。はじめてだ、こんなにブログの更新を続けたのは。でもって、1ケ月のしめくくりは、(ムダに音楽が多いな、という意見も聞き流して)ワールドミュージックの話題。YouTubeに集められている世界の音楽について。YouTubeを見て聞いて、世界をめぐることができる。とっかかりは、Putumayo のWorld Music Series(写真)。

ールド・ミュージックについて知ったのは、2007年。わたしの節操のない、ムチャクチャな音楽遍歴のなかで、
比較的新しい。もっといいものがあるはずだ、もっとすごいものを探して、しばらく熱くなっていた。新百○ヶ丘の山○楽器で、いっきに、売っている全てのPutumayoのCDを買い漁ったこともあった。

味深いのは、その国その土地で、音楽の趣が、ガラリと変わるということだ。あたりまえのことだけど。それぞれに独特の味わいがある。フランスには洒脱な雰囲気、トルコには中近東と西洋のブレンドの味わい、ブラジルにはサンバ、ボサノバ的な(これって、表象の固定化?)。ところで、スペインには、カタルーニャ語、バスク語の音楽もあり、ハンガリーにはジプシー音楽がある。どういうことなのか。地方ポップスと移動民の音楽?

たしには、それぞれの音楽に対して、ほとんど知識がない。言葉も、何を言っているのか分からない。聞き方は、ただ音の連なりに身をゆだねて、心地いいものを聞くのみ。逆に、そこがまたいい。世界にはなんと多くの音楽があるのだろうか。音楽で溢れかえっている。ある国の音楽、特定のジャンルだけを聴くという理由はないのではないかと思えたりもする。

ーロッパから出発して、アジアを経由して、中南米へ。最後に、アフリカへ。とりわけ気に入っている曲にマークを付けておこう。何のために、ええ、もちろん、自己満足のため。

スペイン
Costo Rico,  POR ESOS MARES  ボニート!
http://www.youtube.com/watch?v=U2_zMgKWBAY

フランス
Aldebert, CARPE DIEM 「勝機をつかめ!」 トレビアン、ムシュー!
http://www.youtube.com/watch?v=gbFI04J0uWA
Mathieu Boogaerts,  ONDULE
http://www.youtube.com/watch?v=fMipyoLbuZw

イタリア
Alessandro Mannarino,  ME SO' 'MBRIACATO
http://www.youtube.com/watch?v=jgI-KBl9F58&feature=related
Danietle Siverstri,   SEMPRE DI DOMENICA ベッリ!
http://www.youtube.com/watch?v=sncLH_1oONg
Quartetto Cetra,  UN BACIO a MEZZANOTTE
http://www.youtube.com/watch?v=3SoU5PUS7jU

ハンガリー
Anselmo Crew,  SUT ICTIM DILIM YANDI (Gypsy)
http://www.youtube.com/watch?v=h5SdLJ0PQ-U
Kistehen Tanczenekar,  VIRAGOK A RETEN (Gypsy)
http://www.youtube.com/watch?v=iHkaxcr62Lo

イスラエル
Hadal Dagul,  SERET EELEM
http://www.youtube.com/watch?v=VvhvbjDlG3s

トルコ
Sezen Aksu,  SANIMA INANMA
http://www.youtube.com/watch?v=55bSzhUzEP4
Bendeniz, KIRMIZI BIBER  ビデオはなかなかいい、ターキッシュ、東西文明の融合って感じ。
http://www.youtube.com/watch?v=Sypzhfqbeyo

インド
Bombay Jayashri,  ZARA ZARA ナマステ!
http://www.youtube.com/watch?v=f2uPz8fbZAE

ジャパン (なにがワールドミュージックやねん?とりあえず3曲入れてみました)。
太田裕美、木綿のハンカチーフ
http://www.youtube.com/watch?v=2FK0Tj1sXEQ
サザン・オールスターズ、涙のキッス サノシロー!
http://www.youtube.com/watch?v=FIXFkiPr4Ts
The Boom, 島歌
http://www.youtube.com/watch?v=oFSDyM8whtk

インドネシア
Iwan Fals,  KEMESRAAN バグース!
http://www.youtube.com/watch?v=WRtzF-X8WRA
Ria Amelia,  SMS アドゥー!
http://www.youtube.com/watch?v=v8MoGoykiIs

メキシコ
Los Lobos,  FLOR DE HUEVO 
http://www.youtube.com/watch?v=4goBAFcOeNA
Pastor Cervera,  NUESTRO NIDO わお、メキシカン!
http://www.youtube.com/watch?v=zUm650OfhTs

プエルト・リコ
Plena Libre,  BEMBE DE PLENA
http://www.youtube.com/watch?v=QL_9tFKUI94
Ramito, UNA MUJER EN MI VIDA 牧歌的だ。
http://www.youtube.com/watch?v=FUP1-HIcNx8

コロンビア
La Sonora Donamita,  EL CICLON ワ~オ!
http://www.youtube.com/watch?v=9Q6VtR6Mma8&feature=related
ついでに。でも、このあたりは職場では見ないほうがいいかも。
http://www.youtube.com/watch?v=rs-m6kffCWM&a=GxdCwVVULXf7iLuUQYPv_Py2IDO9NKeU&list=ML&playnext=1

Orquesta de Edmundo Arias,  CUMBIA del CARIBE クンビア! 
http://www.youtube.com/watch?v=zpRytPMl3Jg

ブラジル
Jairzinho Oliveira,  PAPO DE PSICOLOGO
http://www.youtube.com/watch?v=p2U3Kh7IWfA
Rossa Passos,  E LUXO SO 
http://www.youtube.com/watch?v=8y5kDf74L-k
Marissa,  SUDADE FEZ UM SAMBA オブリガード!
http://www.youtube.com/watch?v=SaIaE8wBH70 

アルゼンチン
Los Pinguos,  CIELO ESCARLATA ムイ・ビエン、ロス・ピングオス!
http://www.youtube.com/watch?v=tcvAAUYQeYc

マリ
Habib Koite,  WASSIYE
http://www.youtube.com/watch?v=K4VRGALZdBA

ケープ・ヴェルデ
Teofilo Chantre, 
NHA FE
http://www.youtube.com/watch?v=LXgYSiiB_d8


メキシコの記憶

2010年10月06日 09時48分21秒 | 音楽

20歳の時にメキシコを旅した。日記を付けていたはずだが、どこを探しても見つからない(泣。ロス・アンジェルスからサンディエゴへ、国境を越えてティファナへ。オンボロバスで西海岸を下って、マサトランへ。二日間バスで隣り合わせた母子と別れたときは、涙が出た。マサトランから山のなかへ、翌朝、ドゥランゴへ。さらに、ドゥランゴからメスキタルという村へ。メスキタル村で、先住民の村に行く車を見つけて、便乗させてもらい、インディオ・テペワノ(Tepehuano)の村へ。一ヶ月弱、INI(国立インディオ局)の宿舎に泊めてもらった。アルトゥーロ・アヤーラという、おそらくそのころ、30歳代の大卒の民族学者のうちに世話になった。気のいい彼の同僚たちとも仲良くなった。羊を殺して、トルティージャに包んでよく食べた。男も女もみな踊りが好きだった。彼らと一日歩いて、別のインディオの村に行った。いまだに夢のなかに出てくる、うっとりするような素晴らしい光景が広がっていた。そのとき、こういうところで、暮らしてみたいと思った。

メキシコから持ち帰ったものが三つある。
一つには、そうした、未来への思い
だった。後に、全然別のところ(ボルネオ島)で、数年間暮らすことになった。
メキシコで、ガブリエル・ガルシア=マルケスの名前を初めて聞いた。お前はまだ読んでないのか?と言われたのを覚えている。『百年の孤独』という本だった。わたしがそこから持ち帰ったものの二つ目は、ラテンアメリカ文学への関心だった。
ドゥランゴの町に戻った。男と女は、事あるごとに接吻した(しかも、ディープなやつ)。町をあげて、ダンスパーティーが開かれた。女は椅子に腰かけている。男が右手を差し出して誘う。バモス・ア・バイラール(踊りましょう)。もっぱら女に選ぶ権利がある。そこでかかっていた心地よい、乗りのいい曲(SI TE PASA LO QUE ME PASO や POQUITO A POCO、LOS ALAMBRADOSなど)
ロス・ブキス(Los Bukis)だと、誰かがいった。翌日カセットテープを買いに行った。それが、わたしがメキシコから持ち帰った三つめのもの。
カセットテープの入れ物はあるが、中味は無くなった。
それは、メキシコの人気グループのようだ。YouTubeで検索してみると、わたしが持ち帰ってきたテープのなかの全曲がアップされていた。いま聞くと、わたしのメキシコが蘇ってくる。もう一度行ってみたい。

FALSO AMOR
この曲は、いまだにそらんじることができる。うっとりとしてしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=k8c86C9Ar0g

"Es tiempo de mi partida pue de mi no necesitas lo he notado tantas vece y es por eso que me voy el carino que me dabas era falso como tu alma pero ya perdi la calma y ahora tu juguete ya no soy yo tan solo pedi un poquito de calor pero en ti solo encontre penas odio y dolor pero algun dia tu querras un carino y no hallaras pue tu vida ya sera falso amor y nada mas・・・"

SI TU QUISIERAS
http://www.youtube.com/watch?v=p28QfP5J9JQ
SI TE PASA LO QUE ME PASO
http://www.youtube.com/watch?v=bz4bsahj1o0
TE TUVE Y TE PERDI
http://www.youtube.com/watch?v=fHuJ9i0iEWI
POQUITO A POCO
http://www.youtube.com/watch?v=HIljvInMm2w
LOS ALAMBRADOS
http://www.youtube.com/watch?v=6A6-SDmhYHE
EN UN RATO MAS
http://www.youtube.com/watch?v=LaY5fSu-_8c
UNA NOCHE COMO ESTA
http://www.youtube.com/watch?v=SWNWFQCgoCQ

MI NAJAYITA
http://www.youtube.com/watch?v=PK88TTYPaKY
ERES
http://www.youtube.com/watch?v=UDZgLCh-shs
MI SIENTO SOLO
なぜか、コリアンムービーの映像。この曲を聴くと胸がいっぱいになる。
http://www.youtube.com/watch?v=DcSfwXxdWeM

"Hoy que no estas a mi lado siento una inmensa soledad presiento que jamas volvere a verte y eso me lastima me hace llorar siento que mi vida se esta acabando y que no te vere ni en la eternidad tanto era el amor que me tenias que es dificil ver la realidad me siento solo solo solo como no me habia sentido como nunca me senti me siento solo solo solo tu recuerdo es mi vivir・・・"

LA INDIECITA
http://www.youtube.com/watch?v=FPuaBF5BDPo
ILUSION PASAJERA
http://www.youtube.com/watch?v=u4sB9JZLQ2Y
TE QUIERO A TI
http://www.youtube.com/watch?v=Zby242K_4SY
TRISTE IMAGINAR
http://www.youtube.com/watch?v=bvyGLJFMBuk

*番外編:
もうひとつ持ち帰ったものがあった。「ヘアー解禁」以前の時代、友人から頼まれて、ロス・アンジェルスで買った『ペントハウス』2冊をリュックの底に隠して「密輸入」しようとしたが、
大阪税関で別室に案内されて、見つかって没収された。それは、それでよかったのかもしれない。困ったことには、『ペントハウス』を2冊預かっている、不服があれば2週間以内に申し立てを、という税関からのお知らせのはがきが、おせっかいにも、自宅に届けられたことである。あるとき家に帰ると、机の上に置いてあった、ヤバイ、母に見られたと思った。

(ロス・ブキスのテープ/テペワノのバッグ/メキシコから帰国して自宅で写した写真 ←4年生のクリスティーヌ、3年生のHさんたちは、まったくイケてない、直視できない
と言っていた!)


ある悲しき、女教師の思い出

2010年10月05日 07時59分46秒 | 文学作品

穣がA先生と初めて会ったのは、彼女が穣のクラスに生物の教育実習に来たときだった。A先生は、背丈は中くらいで、細身で、クセ毛で、眉が濃く、口唇がとりわけ印象的で、いつも淡い色のワンピースの服を着ていた。授業中に、さし木の話を聞きながら、彼女の口唇を眺めていたとき、穣の心臓は、とてつもなく大きな音を立てて鼓動し始めた。ドンドンドンドン、と。口唇のなかに吸い込まれて、自分自身がついには溶けてなくなってしまうのではないかと思われた。穣は、あやうく失神しそうになった。その寸前だった。それ以降、穣は、女性の肉厚の口唇をまともに見ることができなくなってしまった(口唇フェチってやつ、いや、見れないのだから、口唇恐怖症?)。A先生がいた二週間は、生物の授業がことのほか楽しく感じられたが、彼女が学校を去ると、マレーバクによる授業に舞い戻り、生物がとたんにつまらなくなった。しかし、翌春、驚いたことに、A先生は大学院のマスターを卒業して、生物の教師として、穣の高校に赴任してきた。穣は、心のなかで大きく高まる波のようなものを感じた。生物は取り終えていた。考えあぐねた末、穣は、5月になって、男子生徒1人と女子生徒3人と相談して、生物部を創設することにした。穣がみなを誘ったのだが、彼はじっと陰に隠れていた。女の子たち3人がA先生に相談に行った。彼女は、「いいことですね、一年目は試験的にやってもいいですね、わたしが顧問をやりましょう」と言ったという。A先生は、剣道初段の腕前で、剣道部の副顧問でもあることを付け加えたという。穣は、人は見かけによらないと思った。放課後、穣たちは、A先生と一緒に、ダーウィンの『図版・進化論』を勉強した。彼女は、「個体発生は、系統発生を繰り返す」という言葉を教えてくれた。それが終わると、A先生がプリントを用意して、霊長類の子殺し行動の話をしてくれた。夏休みには、剣道部員といっしょに、高校の近くの川原でバーベキューパーティーをした。生物部のある女の子は、それから10年後に、剣道部員の一人と結婚している。秋になると、生物部で週末に、山のなかに、シカの足跡の石膏を取りに行ったこともあった。帰りに、ぜんざいを作って食べたのを、穣はよく覚えている。誰かが、砂糖と塩をまちがえて持ってきたので、甘くないぜんざいになった。ぜんざいを食べていて、二人っきりになったとき、穣はA先生に、「先生には恋人はいるんですか?」と聞いたことがあった。一瞬、なんて野暮なことを尋ねたのかと悔やんだが、先生は「いますよ、生物学ですよ」とやさしく答えてくれた。同時に、穣は、うまくはぐらかされたと思った。年が明けて、穣は三年生になり、共通一次試験に向けて準備を始めることになった。彼は、理科の二科目のうち、迷うことなく生物を選択した。英国数、世界史、日本史、生物、地学、5教科7科目のうち、生物だけの成績が良かった。模擬試験では、生物だけ、いつもほぼ満点だった。他の科目は、あまり振るわなかった。A先生に成績を見せに行くと、生物の成績がいいのはいいことだけど、他の教科もがんばりなさい、志望校を目指すには、あと100点の上乗せが必要ですね、と言った。夏が終わり、二学期が始まったとたん、同級生の剣道部の男が、A先生のことが好きだといいふらしているという噂が伝わってきた。そのときになって、穣も、自分もそうだったのかもしれない感じるようになった。とたんに、その同級生の剣道部員の顔が浮かんで、その男のことが疎ましくなった。二学期が始まってしばらくすると、受験を控えて、穣たち生物部員は、部活動をいったん休止した。生物部に、後輩はいなかった。生物部の活動は、実質、そのときに終わったことになる。受験対策講座が組まれたある土曜日の午後、穣が雷雨が上がるのを待って雨宿りをしていると、A先生が通りかかるのを見かけた。大雨にもかかわらず、雷雲が晴れ渡るような心持がした。挨拶をして、立ったまま話をした。彼はそのときのことを、はっきりとは覚えてないが、気持ちの高まりを抑えきれず、ぼくが卒業したら付き合ってくださいというような内容のことを、思い切って、口から出してみたのだ。一瞬、大きな雷鳴が轟いたように思う。A先生は、それが鳴りやむのを待って、いつものように静かな口調で、あなたは、きっといい男になるわよ、というようなことを言った。穣には、その意味がわからなかったが、言わなければよかったことを言ってしまったのだと直感的に悟った。A先生は、微笑みながら、これから職員会議があるのよと言って、職員室に入っていった。穣は呆然とその場に立ち尽くし、なんて、身の上をわきまえないことを言ってしまったのかと思った。心のなかでは、雷が鳴り響いていた。それ以降、秋から冬にかけて、彼は乱調して、勉強がほとんど手に付かなくなった。共通一次試験と私立と国立大学の受験もあっという間に、わけも分からずに済んでしまった。卒業式がどんなふうであったのかも、あまりよく覚えていない。穣は、卒業式の前に、A先生に進路を報告し、挨拶をしたことは覚えている。でも、A先生が、卒業式にいたのかどうかもはっきりしない。それから、数年、穣は、なんだか胸のつかえがなかなか取れなかった。彼は、やるせない気持ちを抱えて、日本からの脱出を企画し、海外旅行に出かけた。バックパッカーとなって、転々と、国外を渡り歩いた。その後も、穣は、ひんぱんにA先生のことを思い出すことがあった。A先生であれば今の落ち着きのない、薄汚い自分を見て、なんと思うだろうかとか、A先生に会ってみたいと、熱く思うこともあった。いや、いつかは、どこかで交わる道もあるはずだと思っていた。卒業後10年ほどして、インドネシアで正月を迎えたときに、A先生にグリーティングカードを送ったことがある。返事はなかった。音沙汰もまったく聞かなくなっていた。穣は、卒業から30年が過ぎようとしている今の今に至るまで、A先生には会ったことがない。ごくごく最近、電話をくれた、かつての生物部の女子の同級生から、A先生が、2007年の初めに、病気で亡くなっていたことを聞かされた。彼女も、卒業後にA先生とは疎遠になり、彼女の友人が、A先生の夫になった、同じく同級生だった剣道部の部員から、A先生が亡くなったことを聞いたらしい。電話の向うの言葉が、一瞬、凍りつき、遠のいたように穣には感じられた。穣は、思い出すと、今でも胸が張り裂けそうになる。当時の気持ちの塊が、ドカンと音を立ててぶつかってくるような気がする。若く美しかったA先生のことを悲しく想う。

(写真は文とは無関係、1983年ダッカにて)


『箱男』

2010年10月04日 07時46分40秒 | 文学作品

昔、『箱男』はぶっ飛んでいると聞いたことがある。一読して、たしかに、そうだと思った。しかも、とびっきりの問題作だ。

箱をかぶって暮らす男、箱男。彼は、市民社会の価値体系のなかで周縁化された乞食や浮浪者とは異なる。箱男は、自発的に、市民社会の価値体系から離脱する存在であり、都市空間を浮遊する。箱男が絶望的な思いを寄せる看護婦や、彼女の内縁の夫である偽医者(=贋箱男)とのやり取り、その背景にある、偽医者と彼のかつての上司・軍医殿との関係、軍医殿の麻薬中毒と死などが語られる。

面白いのは、<見ること>と<見られること>をめぐる安部公房の洞察である。

安部によれば、露出狂は過剰性欲ではなく、むしろ抑制された性表現だという。露出狂者は、実在する個々の異性に対しては、病的な羞恥心を抱く。逆に言えば、醜さの自覚である。露出行為によってオルガスムに達するには、相手が自分の性器を覗くことによって、性的な刺激を受けていると想像することが必要である。嫌悪を示されるのも興ざめだが、好奇心をむき出しにされるのも腹立たしい、見て見ぬふりをされるのがなによりのはげましになるのだという。相手が視姦者として、自分の露出行為に加担してくれることへの願望があるという。安部は、露出症は、鏡に映した視姦行為だという。

自らのどうしようもない醜さへの羞恥心をバネにして、日常空間において、そこに居る人びとのうち、それとなく試みが成功しそうな相手を探し出し、ひそかに、性器を含めて、自らの全てをさらけ出す。嫌悪され、見ぬふりをされる一方で、見られることに加わってもらっていることを強烈に意識することによって、露出狂者は、絶頂に達するのだ。人の心理のなんと複雑で、過剰なことか!(わたしは、一度、露出症の女に会ったことがある)

逆に、《Dの場合》と題する章では、少年Dがアングルスコープで、女教師のトイレを覗こうとして本人に見つかり、親に通報すると脅され、真っ裸になるように命じられて、部屋にひとり残される場面がある。
少年Dは、「観念した。自分の醜さに耐えながら、上衣をとり、シャツを脱ぎ、ズボンを下して裸になった。勃起した。だのに、なんの反応もなかった。ドアの向うはしんと静まりかえっているのだ。鍵穴から視線が黒い光になって突き刺さってくる。視界から色が消えて、明暗だけになる。足の裏から感覚が消えた。よろけそうになったはずみに、小便をもらしかける。小便ではなく、射精だった。途中でこらえることは出来なかった」。女教師は、部屋を出て、鍵穴からその様子を覗いていたのだ。

少年Dは、みじめな部分をさらけ出すことによって、女教師のトイレの覗き未遂事件に対する
お仕置きを受けたのだろうか?いや、少年Dは、その「お仕置き」によって、見ることよりも見られることのほうが、絶頂の度合いが高いことを、思い知ったのではないだろうか。

箱男は、ダンボールの前面に空けられた覗き窓から、世間を覗きみる。視覚が、箱男にとって許された唯一の、
すべての感覚だ。感覚の一点への集中といってもいいかもしれない。だから、「眼から唾が出る。他人に毀される前に、自分の手で毀してやろうと、つい気負いこんでしまうのだ。上下の瞼には歯が生える。彼女を齧る妄想で、ぼくの眼球は火照り、勃起してしまうのだ」。眼から唾が出て、眼球が勃起する。視覚は、味覚に近いものを感じ、身体反応を起こす。

Aは、最初、アパートの下にいた箱男が目障りでたまらず、空気銃で脅して、見事、箱男を退散させることに成功した。しかし、その後、彼が冷蔵庫を買ったときに出たダンボールの箱に入ってみると、ひどく懐かしく感じられたのだ。その後、Aは箱をかぶって、町へ出て、アパートへは戻らなかった。箱男となったのだ。箱は、日常の秩序やルールや人間関係から生じるストレスなどを遮断する。箱男は、その後、箱の内側で、新たな、居心地のいい、
自己の世界を築き上げるのかもしれない。

ウェブ上には、京都の
箱男の体験記が紹介されている。
http://yattemiyou.net/archive/hakootoko.html

安部公房『箱男』、新潮文庫 ★★★★★(2010-36)


ひと月の恋文

2010年10月03日 08時32分51秒 | 文学作品

 そのとき、きみはいったい何を取り戻そうとしていたのか。失った時間か、それとも彼女の愛なのか。後悔をことばで希望へと転じようとしていたのか。最初に別れようと言いだしたのは繭子ではなく、きみからだったではないか。離れてしまうから会うことができないと、何もかも葬り去ったのはきみのほうだったではないか。きみは、彼女よりも仕事を取ったのだ。きみが手紙を書こうと思ったのは、彼女が近くに越してくるということを人伝てに聞き、その人が彼女の住所も教えてくれたからなのか。彼女が同じ都会の住人になることは、きみがふたたび沸き起こった彼女への思いを届けることとどう関係するというのだろうか。きみにはそのことに思い至っていなかったはずだ。

 きみは文房具屋で便箋を買い、手紙を書いた。一縷の迷いもなく、その短い手紙を投函した。

 「高橋さんからきみの新しい住所を聞いた。元気ですか?あれから、おれは、ジャズをずっと聞いている。
クリフォード・ブラウン。25歳の若さで交通事故で逝ってしまった。彼のトランペットは女性ボーカルに特によく映える。サラ・ボーン、ダイナ・ワシントン、ヘレン・メリルとレコーディングしているが、どの一枚をとっても申し分ない。彼の音色は、まろやかで伸びがあり、女性ボーカルをいっそう引き立てる。この音の空間には足りないものがある。きみが足りない。」

 きみはその翌日にも手紙をしたためて投函した。

 「きみから教えてもらったことがある、カミュの『異邦人』を、少し前に、読んでみた。ムルソーは、アラブ人の殺人よりも、母を養老院に送り、母の死に涙さえ流さなかったという反社会的な態度を糾弾され、処刑された。この世は、なんて不条理なんだ。おれは小説を書きたい。世界の不条理や混沌をテーマとした『得体の知れないもの』、女をテーマにした『かげりゆく女たちへ』。いったい人生という道のカーブの先には何があるのだろうか。好きなことをするような人生のほうが面白そうだ。返信を待っている。」

 きみはそれから毎日毎日手紙を送り続けた。

 「六本木から日比谷線の最終で恵比寿まで出たら、池袋行きの最終しかなく、池袋から徒歩で帰ってきた。けっこう時間がかかるものだ。池袋、大塚、巣鴨、駒込、田端まで
1時間20分くらい。池袋東口にはおかまがたむろしていた。都会の土曜の夜は長い。住宅街の路地に迷い込みながら、午前2時、人びとのまだ飽きないで飲む声が漏れてくる。千鳥足の酔っ払い。アパートの前でもめている男と女。犬っころがとぼとぼと歩いてゆく。
昼の街とは趣がちがう。24時間空いているマーケットには、なぜあんな夜遅くまで人がたまっているのか。そんな時間に、きみはいったい何を考え、何をしていたのか。教えてほしい。」

 「いかなる枯葉といえども、木には栄養分があって、栄養分にならない木の葉はない。回り道、後戻りは、たんなるムダではない。肥やしだ。昨日について語るとき自信に満ちていても、今日と明日に対しては誰でも永遠の迷い子だ。男が女に惚れることも是ではないか。気持ちを伝えるため前に出ようとするとすかされる。今日と明日は、確実に昨日になる。今日はこのくらいにしておこう。もう一度会わないか。」

 一週間送り続けた。毎日早く帰って、ポストをのぞいた。返事は届かなかった。

 「毎日のこんな手紙、面白くないのだろうか。退屈だろうか。何も感じないか。忙しくてそれどころじゃないのだろうか。仕事て何なのだろう。一日8時間プラスアルファ。朝、会社に出勤するために起きて歯を磨く。すると、一日12時間以上になる。仕事のため、あるいはその準備に費やし、さらには仕事に縛られる。おれたちは人生の半分以上を仕事に費やさなければならない。いや、逆に、好きだから仕事をするのだ。好きな仕事でしか続かない。芸術家が納得のいくまで昼夜関係なしに仕事に打ち込むように。そのとき、仕事の概念は崩壊する。おれたちも好きなことを納得のいくまでしなければ。君はどう思う、聞かせてほしい。」

 「バックペインが来てから、トレーニングを始めた。ビールで弛んだ肉体に渇を入れ、頭の中をすっきりさせる為に。何かに必死になっていた頃に戻れるような気がする。おれはきみに、インドかどこかの裏町で倒れているおやじに、ドストエフスキーの『白痴』を読み聞かせて、どんな反応が起こるのか試しているのと同じことをしているのだろうか。まだきみの声を待ち続けている。」

 届かない返事。
きみは、どんどん、繭子宛に手紙を書くということに宙づりにされるようになっていったのではないか。それでもきみは書き続けたし、いつものように、朝、出がけに、駅前のポストに手紙を投函した。

 「ジャン・リュック・ゴダールの『探偵』を見た。いつか『パッション』という映画を見たことを覚えていないか。あの難解なやつだ。ほとんど訳がわからないまま全編が一瞬のうちに終わる。渋谷には、面白い店がある。一種妖しい雰囲気のインド料理店で、おやじがやって来て、『ムルギの卵入りですね』とオーダーを指定する。『いや、メニューを見せてください』と返すのが億劫になるというか、野暮なような気がする。けっこう辛いカレーだ。」

 「岩登りの感触といったらほかにない。トップはフリークライミングになる。手と足四つのうち三点確保となり、ときには一瞬二点確保となる。下半身から伝わるぞっとするような緊張感。人差し指くらいしかない岩の割れ目に指をぐいっと喰いこませ、爪の先のようなかたちをした岩場に足をかける。岩と一体化し、そこにへばりつく。ときには繊細にときには大胆に。自己自身に自己のいのちをゆだねる。ダイナミックに繊細に。疲労と緊張、その繰り返し。」

 きみはいったい何がしたかったのか。彼女の都合も聞かないで、一方的に、手紙を送り続けただけではなかったのか。そのひと月というもの、きみは、書き、送り続けた。季節は、春から初夏に変わろうとしていた。そもそもそれらの手紙は、彼女に届いていたのだろうか。封は、切られたのだろうか。いまとなっては分からない。

 「今朝、へんな夢を見た。雨が降っていた。市内リレーをやっている。おれは、何かから逃げるために走っていて、たまたまそのレースにぶつかった。女たちが走っているのを眺めていた。『エイコ、エイコ』という誰かの声。向かい側の車線を走っていた女の子がランプのようなものを踏みつけた。彼女はぶっ飛んで、なんと、即死してしまった。」

 きみが繭子に最初の手紙を送るまでには、一年以上の時が流れている。きみは、彼女が平然と、きみからの辛い仕打ちをやり過ごしたとでも思っているのだろうか。そうでなかったことを想像したことがあったのだろうか。きみは、何も分かっていなかったのではないか。

 三十
通めを送ったのち、きみには、まったく何も書くことが無くなっていた。何を書いたらいいのか、思い浮かぶことさえなかった。書くことが残っていなかったのだ。たったの三十通で、きみの思いは、しぼんでしまった。
きみは、失ったものを取り戻すどころか、失ったものを取り返そうと躍起になるあまり、何を自ら葬り去ったのか、何を失ったのかさえ見失ってしまったのではないか。自らをどん底に突き落とすために書いていたようなものではなかったのだろうか。

 その頃、きみはいったい何をしていたのだろうか。いや、むしろ、きみは、いつもそのようではなかったのだろうか。

*メールやケータイメールであれば、書いた文は手元に残っている。でも、ラブレターは、送ってしまうわけだから、ふつうは、手元に残らない。相手から返事があった場合には、(それを取り置くならば)その手紙が手元に残る。ラブレターの下書きが、ほんの一部であるが、残っていた(写真)。20年以上前のものである。いま読み返してみると、客観的に眺められるような気もする。心の動きと叫びの屈折に出会う。この短編は、そうした下書きをもとに書いてみたものであるが、創作であり、フィクションである。
ミッシェル・ビュトールの『心変わり』を真似て、二人称での語りかけ調にしてみた。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/d42eb234d8fb6eef7362ed8c82dfe6a0
わたしが、エスノグラフィーの「表現力」の問題に強い関心を持ち始めたのは、いまから一年以上前のことである。わたしはいま、心の鼓動や苦悩を自由に操る文学に、範を求めようとしている。文学を読んで評するのは面白いが、自分で書くとなると大変だ。


タマズー

2010年10月02日 09時22分29秒 | 人間と動物

動物園に行きたいと思った。いま考えてみると、ある授業で、動物霊について、別の授業で、生き物のセックスについて、ちょうど教えている最中だからかもしれない。獣魂碑からアニミズムを、精巣の大きさと性交形態の関係について、昨日話をしたところだった。ヒトと動物の関係について、(もちろんヒトも動物なのだが)とりわけ、現実に直面しながら、いや、少なくとも、現実の一面に触れながら、もっと知らなければならないことがあると、ずっと思っていたが、なかなか実行する機会がながった。問題が山積し忙殺された春学期からに比べて、今学期はほんの少しだけ楽になり(大学院の授業が閉講になったなど・・・)、心的な余裕が少し出てきたのかもしれない。頭で考えているだけでは限界があるということもある。いずれにせよ、昨日、午前中の2コマ連続の授業が終わってから、多摩動物公園に行った。秋晴れ、気温は高め。おそらく5年ぶりだと思う。オランウータンの展示のあたりがずいぶんと変わっていた。5年より前には、多摩動物園にずいぶん通ったものだ、年間パスポート(回数券)も持っていた。O大学からは、車で30分強。けっこう近い。アフリカゾウの前に座って考えあぐねていたときに、突如として、論文の組み立てが、頭のなかで流れ出したことがある(2002年の「邪術師を暴き出すーインドネシア辺境における差異と同一化ー」という論文)。動物の臭いのおかげかもしれないと、その頃は、勝手に思っていた。その後、論文の執筆に行き詰ったとき、平日の午後から、お客が少ないだろうと思われる時間帯を狙って、出かけた。いま、特段、論文に行き詰っているわけではない。今後、二本予定があるが、まだ一行も書き始めてすらいない。でも、すんなりとは書けないだろうなあという、なんとなく感じている。どうしよう。ま、今回は、あまり目的もなく、ふらっと行ってみたのであるが、たまたま、昨日は、都民の日で、入園料が無料だった。園内を歩きながら、狩猟民プナンなら、動物園をどう見るのか、思いをめぐらせてみた。プナンのなかに一人、政府の招待でクアラルンプールの動物園に行った男性がいる。動物園の話を、彼はたまにする。そこには、一角獣やトラなどの動物がいると。プナンには、食の対象としての動物にタブーはない。彼らなら、イノシシを見て、うまそうだと思うだろうか?オランウータンを見て、食べないのはもったいないと考えるだろうか?そう考えるのは、動物園の動物たちにとって、少し不謹慎なことかもしれない。しかし、動物が、そのもともとの生態環境を離れて、都市空間の一角に連れて来られているというのは、まぎれもない事実である。研究者の観察や市民の楽しみのために。見世物として。人間と動物の関係の観点から、動物園を眺めてみなければならないのかもしれない。しかし、この点は、ここでは、とりあえず置いておこう。手元に『動物園というメディア』青弓社という本がある。次回行くまでに目を通したい。上で言ったように、都民の日のため、多摩動物公園は、ベビーカーに子どもを乗せた若いお母さんたち、親子連れ、遠足の園児たちで、動物園は、そこそこ賑わっていた。思った。ヒトも動物だとすれば、動物園には、動物とヒトがいる。いや、ヒトと動物がいて、動物園ははじめて完成するのだと。そう思いながら、わたしは、若いお母さんたちを観察してみた。いきなり、先生、って、女性に声を掛けられた。ベビーカーを押していた。わたしの授業を取ったことがある卒業生だと名乗った(ごめんなさい、覚えてなかったですが)。横に旦那さんらしき方がいて彼女に「だれ?」と尋ねていた。軽い会釈をして離れた。今年に入って、3人目である。卒業生に、学校以外で遭遇するのは、クアラルンプール空港、相模原についで、タマズー。タマズーで、O大学の女子学生にも会った。話を聞いたら、5限(4:10~5:40)に授業があるのにサボろうとしていた。間に合うように送っていった。


『ベンドシニスター』

2010年10月01日 07時52分44秒 | 文学作品

ベンドシニスター
このなじみの薄いことば、ナボコフの小説のタイトルは
、しばらくわたしの頭から離れなくなった。鐘のように、頭のなかで鳴り響いた。運転中に、ベンドシニスター、授業中に、ベンドシニスタ、ふと、ベンドシニスター・・・ベンドとは、紋章学で、通常、左上から右下にわたる帯状のチャージのこと。他方、ベンドシニスター(左のベンド)とは、右上の角から左下にわたる帯状のチャージだという(下の写真:Wikipediaより)。全然知らなかった。わたしには、いまだに知らないことが、じつに多すぎる!なぜナボコフがこの表題を選んだかというと、「屈折によって乱された輪郭、存在という鏡に映るゆがみ、人生上の誤った進路、左巻きの邪悪な世界というものを暗示するためである」(275ページ)という。

パドックによる
警察国家は、妻を失って悲嘆に暮れる友人クルークを利用しようとする。しかし、クルークは、圧力に屈することはない。そのことによって起きる悲劇。やがて、国家は、クルークの息子ダヴィットを人質にとって、クルークを思い通りに操ろうとする。

ナボコフはいう。「『ベンドシニスター』の物語は実際には、グロテスクな警察国家における生と死の物語ではない」(277ページ)と。「『ベンドシニスター』の主要なテーマは、愛に満ちたクルークの心の鼓動、深いやさしさが蒙りやすい苦悩ということになるーそして、ダヴィットとその父親を描くページのためにこそ、この本は書かれたのであり、またそのためにこそ、この本も読まれるべきなのである」(同ページ)。作家自身が導くように、亡き妻への深い情愛、息子ダヴィットへの慈愛、悪意ある友人たちへの悲しみこそが、主題である。

『ベンドシニスター』は、ナボコフが、波瀾のない、活力にあふれる時期であったと回想する、アメリカに来て数年後に、アメリカで書いた最初の小説だったが、後の『ロリータ』での語り口を思わせるような滑稽味の片鱗は、すでに、この小説のなかにも潜在している。

「話している最中で、彼らがクルークをまったく思い出せないでいることがわかった。彼らはクルークの通行証を見た。そして、まるで知識の重荷を振り落とそうとでもするみたいに、肩をすくめた。彼らは頭を掻いてみせさえした。思考細胞の血行を促すというので、この国でおこなわれている奇妙な方法だ」(20ページ)。頭を掻くことが、思考細胞の血行を促す作法?わたしは、そのように考えてみたことなどなかった。なんか可笑しい。

「・・・また、陳腐きわまりない精神構造のカメラマンたちが詰めかけることになっていた。そして、この国唯一の偉大なる思想家が、緋色のローブをまとって(カチャ)国家の象徴たる元首のかたわらに現れ(カチャ、カチャ、カチャ、カチャ、カチャ、カチャ)、朗々たる声で、国家はいかなる個人よりも大きく賢明であると宣言するのだ」(172ページ)。思想家はクルークのこと。括弧内の擬音は、陳腐きわまりない精神構造のカメラマンの写真の音だろう。彼らは、カチャカチャカチャカチャと、元首の写真を写すのだ。こうした表現も滑稽だ。

『ベンドシニスター』は、つかみどころがなく、かなりの難物であるが(一回読んだだけで、その全体を理解できていると言うことは到底できない)、
一方で、国家権力の残忍さ、人間の欲望や悲しみに触れ、他方で、そのような問題を、ユーモアを忍ばせながら描き出そうとしている、人間について、なにか途方もなく大きな問題を扱っている小説のようだ。

ウラジミール・ナボコフ著『ベンドシニスター』加藤光也訳、みすず書房(2010-35) ★★★★★