たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

草原の哲学

2016年08月28日 22時00分23秒 | 大学

8月後半しばらくモンゴル国に行ってた。髪の長い中年の男の哲学者はアメリカにいいようにされているヤポン(日本)は将来列島ごど沈没するだろうその時モンゴル牧民の末裔たる3分の1の日本人だけはなんとか救い出さねばならぬと言った。頭をぐぁんぐぁんと振り回して憑霊したオイラートのシャーマンは私が日本から来たというと「地面の下に鉄の蛇がはい回る国」(地下鉄が通っている国」から来たのかと言って草原は永遠に続くとも言った。


豊かなる野蛮

2016年03月22日 08時18分27秒 | 大学

これ、4月から大学院で輪読します。
日本語にすると、「豊かなる野蛮」あるいは「実り多き野蛮」くらいか。
米・御曹司のニューギニアでの半世紀前の失踪事件を調べ直して、アンチ・ヒューマニズムの極致たる首狩りとカニバリズムに挑み、「野蛮」の精髄に触れる。
人類学ないしは民族学とは、私のもともとのイメージでは、こんな感じの学問。
シラバス
ノンフィクションゆえ、英語はそれほど厄介ではない。


大学院博士課程・前期課程および後期課程募集

2016年01月13日 20時47分43秒 | 大学

2016年春季実施分・大学院博士課程・前期課程募集
2016年春季実施分・大学院博士課程・後期課程募集

組織がえがあって、前期課程・後期課程とも2016年度からの新専攻です。
言語学、異文化コミュニケーション、通訳翻訳、サステナビリティという学際的な領域相関の研究科です。
私は、サステナビリティ・コミュニケーション研究領域というところで、文化人類学を中心に指導します。
私の担当は、現代社会のサステナビリティというよりも、「冷たい社会」(未開社会)のサステナビリティです。
人間と動物、文化と自然、超越者や超越的な力、あるいは生き物と人間の連続性の中の性や食、狩猟民などが主要なテーマです。




異動のお知らせ

2015年04月21日 10時49分32秒 | 大学


16年勤めた桜美林大学を3月末で退職し、4月1日より立教大学に着任いたしました。

今日は4月21日、あっという間に、もう3週間も経ってしまいました。

この2、3月は大体2、3日に1回の割で歓送会を開いていただき、関係の皆様方の温かいご厚情に触れ、深く感謝しております。

段ボール170箱分の研究室の引っ越しもあり、他のことで何をしたのか、いったいその間どう過ごしたのか、思い出せないくらいです・・・


奥野克巳

立教大学 異文化コミュニケーション学部
〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1

 

 


E.Kohn の How Forests Think を読む(2015.4.14.~)

2015年04月12日 22時41分46秒 | 大学

開発コミュニケーション特論 (Special Seminar on Developmental Communication)
(2015年度春学期・立教大学大学院講義)

担当者(Instructor) 奥野 克巳(OKUNO KATSUMI)
時間/毎週火曜18:30~20:00 立教大学池袋キャンパス 7205(7号館)
http://www.rikkyo.ac.jp/access/ikebukuro/



授業の目標
(Course Objectives)

開発に関わるコミュニケーションは、 人と人との 「人間的な」 領域のコミュニケーションだけではなく、 人、 動物や植物などのあらゆる生命、 景観や物理的世界を含む非生命が、 重層的に織りなす諸々のコミュニケーションを含んでいます。 この授業では、 開発される側の世界に実在する、 諸存在の関係性の網の目のなかに紡ぎ出されるコミュニケーションのあり方を、 文化人類学の新たなトレンドである 「人間的なるものを超えた人類学(anthropology beyond the human)」 の観点から検討します。

授業の内容(Course Contents)

この授業では、 チャールズ・パースの記号論とテレンス・ディーコンの創発理論を組み合わせて、 南米・エクアドルの熱帯雨林に住まうルナ人たちのもとでのフィールドワーク経験に基づいて書かれた、 エドゥアルド・コーンの『森は考えるー人間的なるものを超えた人類学ー』を取り上げます。 それは、 文化、 言語や自己などの諸概念を問い直し、 まったく新しい学問を創造するスピリットに溢れた、 ポスト・ヒューマニティーズの民族誌です。 この授業では、 現在翻訳中の日本語の訳稿を利用しながら、 その本を受講生とともに読み進み、 理解を深めます。

授業計画(Course Schedule)

1. イントロダクション、 授業の進め方について
2. 序 ルナ・プーマ
3. 第1章 開かれた全体(1)
4. 第1章 開かれた全体(2)
5. 第2章 生ある思考(1)
6. 第2章 生ある思考(2)
7. 第3章 魂盲
8. 第4章 種-横断的ピジン
9. 第5章 形式の労なき効力(1)
10. 第5章 形式の労なき効力(2)
11. 第6章 生きている未来(1)
12. 第6章 生きている未来(2)
13. エピローグ
14. 全体のまとめ

授業時間外(予習・復習等)の学習(Study Required Outside of Class)
毎回の授業時に指示します。

成績評価方法・基準(Evaluation)
最終レポート(Final Report)(40%)/出席と授業での取り組み(60%)

テキスト(Textbooks)
Eduardo Kohn How Forests Think: Toward an Anthropology beyond the Human (University of California Press 2013 978-0-520-27611-6)
日本語の訳稿については、 当該授業の前週に、 RIKWESないしはメールをつうじて配布します。

問い合わせ先:katsumiokuno@rikkyo.ac.jp


2014年度1年ゼミ読書コンテスト

2014年05月16日 11時21分10秒 | 大学

1年のセミナー16人を4班に分けて文学作品を3冊ずつブックオフで買ってきてもらって(一人324円の出費)来週から3週に渡って一冊ずつ読んできた上で班ごとに読書会を開き最終的にそれぞれの班の一位の本を決めてプレゼンテーションをしてもらうという「読書コンテスト方式」の授業の本12冊のラインナップが決まった!が私はこのうち1冊しか読んでないという意味でもまた作者やタイトルからも愉しめそうだという意味でもなかなか期待ができそうだ。本を読まなければ始まらないよということを身を持って学生たちに体験してもらう一方で教員が基本的には毎週4冊ずつ読んでこなければならないというある意味苦行を伴う授業を自分で作っておきながら言うのもなんなんだけど、私はけっこう好きである。

1班
吉本ばなな『哀しい予感』
小川洋子『薬指の標本』
湯本香樹実『夏の庭』
2班
村上春樹『回転木馬のデッドヒート』
吉本ばなな『とかげ』
桐野夏生『冒険の国』
3班
片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』
中村航『100回泣くこと』
森絵都『カラフル』
4班
江國香織『号泣する準備はできていた』
夏目漱石『坊っちゃん』
太宰治『人間失格』

2013年度の1年ゼミ読書コンテスト


ある2月のこと

2014年03月28日 17時46分52秒 | 大学

今年の2月は雪がよく降り、よく積りました。2月8日の大雪の日にゼミ論発表会やって、その次の週末に、卒論の打ち上げの飲み会だと思って町田に出かけて行ったら、そのこととは直接関連のない人たちも来ていて、打ち上げにはちがいないんでしょうが、誕生会も催されて、この上なく驚いたのですが、さきほど、Wくんが来て話していたら、そのことを思い出したので、たいへん遅くなってしまいましたが、一部の人が卒業してしまう前に、そうでない人もいるようですが、その時の写真をアップして、この場を借りて、みなさんに謝意を述べさせていただきます。有難うございました。


民族文化DAY(2013.11.20.)の案内

2013年11月12日 14時38分28秒 | 大学

桜美林大学リベラルアーツ学会モンゴル研究会
桜美林大学リベラルアーツ学群文化人類学専攻
共催

民族文化DAY

URL


プログラム

第一部

「モンゴル民族ミニコンサート」

 時間:12:10-12:50

 場所:けやきの広場(雨天の場合、太平館1階ラウンジ)
 
馬頭琴・ホーミー・歌・民族衣装ファッションショー


第二部

 「2013年度モンゴル環境研修 報告」



時間:13:00-13:30
場所:明々館A204教室

 
 ・岡田 京子(リベラルアーツ学群3年)
「モンゴルの地を訪れて」

 ・竹内 悠(リベラルアーツ学群2年)
「モンゴルを肌で感じて」

 ・前川 ちはる(リベラルアーツ学群2年)
「人の温かさ、物の大切さ」

 ・松谷 俊輝(リベラルアーツ学群2年)
「モンゴル環境研修に参加して」


第三部

 講演会「モンゴルと私」


 時間:13:30-14:20

 場所:明々館A204教室

 講演者:
宮田 修(元・NHKアナウンサー)


第四部

映画上映 チュニジア映画「悪意なき闘い」


 時間:14:40-16:00

 場所:明々館A204教室

 山形国際ドキュメンタリー映画祭2013での上映作品

第五部

 懇親会
「モンゴルとインド音楽の夕べ」

 
時間:17:00-19:00

 場所:ファカルティー・クラブ(崇貞館1階)
 
定員:先着50名まで

 料金:学生500円、その他1000円
 
モンゴル料理ホーショールも味わえます。


モンゴル写真展
 
期間:11月18日(月)-11月22日(金)

 場所:明々館1階ラウンジ

お問合せ


モンゴル研究会 代表
アリウンザヤ(リベラルアーツ学群3年)

Email : zaya_622@yahoo.com

アクセス


桜美林大学文化人類学学生研究会主催 第5回講演会 「妖怪はいま!」

2013年11月06日 20時32分10秒 | 大学

桜美林大学文化人類学学生研究会主催 

第5回講演会「妖怪はいま!」



妖怪は、災害や流行病などで命を落とした死者に対する悲しみ・うしろめたさを持った人間が生み出したものであった。

しかし現在、妖怪は娯楽の対象となり、感情の産物という側面を脱落させているように思われる。

妖怪の機能が、過去と現在では、様変わりしたのかもしれない。

妖怪が、現代において持つ意味とは何なのか、畑中章宏先生にお話を伺う。

畑中章宏先生

講師プロフィール:
多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。日本大学芸術学部写真学科講師。
著書『災害と妖怪』、『日本の神様』、『柳田国男と今和次郎』、『津波と観音』など。

日時:2013年11月29日(金)
場所:明々館A204
アクセス
参加費:無料

関連URL:OSSCA(桜美林大学文化人類学学生研究会

お問い合わせ:桜美林大学文化人類学学生研究会代表

 吉本華乃(211d1080@s.obirin.ac.jp


【おしらせ】来たるべき人類学構想会議 第4回の集い (2013.10.26.)

2013年09月30日 09時53分59秒 | 大学

 

「来るべき人類学構想会議」では、2013年10月26日(土)に、第4回の集いとして、春風社「来たるべき人類学」シリーズ5巻の刊行を記念して、合評会とディスカッションを行います。

ご関心のある皆様のご参加を歓迎いたします。

【タイトル】
「来たるべき人類学」は可能か?
―シリーズ「来たるべき人類学」全五巻刊行記念―

【概要】
 
 日本の大学では、「人類学」は今、だいたい、文化人類学という科目名で、専門課程や教養課程で教えられています。それは、もともとは、人間をめぐる学術探究の総称のようなものであって、くっきりとバウンダリーがある学問領域ではなかったようです。人間や人類に関する諸現象を見つめる学問的な精神こそが、人類学だったのです。

 ポストモダンという、学問に対する反省を含む嵐が吹き荒れた後、人類学とはいったい何であったのか、これから、どこに向かおうとしているのかということを、いま、一度、考えてみたいという思いを持ってスタートさせたのが、春風社のシリーズ「来たるべき人類学」です。

 これまでの5年の間に、(狭義の)人類学者だけでなく、動物行動学者、霊長類学者、考古学者、経済学者、宗教学者、言語学者、社会学者などを含めて、中堅・若手の総勢47名の研究者たち(1956年~1984年生、生年不明1名)の寄稿により、「来たるべき人類学」シリーズ5巻が、2013年に完結しました。

第1巻 『セックスの人類学』 2009年4月
第2巻 『経済からの脱出』 2009年11月
第3巻 『宗教の人類学』 2010年11月
第4巻 『アジアの人類学』  2013年4月
第5巻 『人と動物の人類学』  2012年9月

 今回は、総合司会に、近藤祉秋さん(『人と動物の人類学』の共編著者)、レヴュワーに、上村淳志さん(『セックスの人類学』)、田中正隆さん(『経済からの脱出』)、相澤里沙さん(宗教人類学)、山口裕子さん(『アジアの人類学)、溝口大助さん(『人と動物の人類学』をお招きして、シリーズ全5巻の合評会を行い、人類学の可能性と未来について議論します。

【日時】
2013年10月26日(土)14:00~18:00(参加費無料)

【場所】
桜美林大学四谷キャンパス 地下ホール
JR 四谷駅、東京メトロ丸の内線、南北線四谷駅より徒歩3分
http://www.obirin.ac.jp/access/yotsuya/index.html

 【関連URL】
http://anthropology.doorblog.jp/

【世話人】
池田光穂(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)、奥野克巳(桜美林大学)、内藤寛(春風社)

【問い合わせ先】
okuno@obirin.ac.jp

くまのからさぬきへ

2013年09月27日 18時32分41秒 | 大学

西武の夜行バスは予定よりも遅れて横浜Yキャットを発し愛知県から紀伊半島を南下し那智勝浦に着くとやがて熊野で第一部隊の道案内をしてくれた宿泊所所有のバスが到着しそのバスに揺られて那智大社に詣で飛沫をあげる神でもある那智の瀧を拝み青岸渡寺を拝観し新宮へ移動し中上健次の墓参りをし中上の小説ゆかりの秋幸の家や佐倉の屋敷などの場所を訪れ速玉神社を参詣し佐藤春夫記念館を見学した後に毎年の熊野大学の開催所でもある宿泊所に到着しリラックスした雰囲気のなかで熊野大学の主催者でもある方々から中上の小説や中上の思い出話を聞き翌朝早くには発心門王子に向けてバスで出発し午前中は熊野古道を散策し辿りついた熊野本宮大社では神職による本宮大社についての話をうかがい大斎原の大鳥居を拝み宿泊所に戻って蟻の熊野詣のレクチャーを拝聴し熊野信仰への理解を深め台風18号によって時折襲ってくる激しい雨音を聞きながら夜明け前まで飲み起きると雲行き怪しいなかバスで出発し中辺路を経て紀伊田辺駅に到着した後特急くろしおで大阪に出て第一部隊はそれで解散となった.

熊野古道

デジカメチェックしたらこんな写真入ってた,まったく知らなかった

私はと言えば台風が東へ向かっているという報を聞きつつそのままバスで淡路島を経て高松に向い激しい雨にびしょびしょに濡れながらホテルにたどり着き翌朝は台風一過カラっと晴れたもののどうやら高松に向かうべき第二部隊には台風18号が襲いかかったらしく乗ろうとしていた特急サンライズ号が運休になっていたたようでその朝には新幹線で出発したらしいが富士川の河川水位が高くそこを越えられないらしく横浜までいったん引き返し夜の便で再出発することになったということであったがその間私はと言えば高松出身の菊池寛の記念館を訪ねずらっと並んだ授賞作家の肖像の展示を食い入るように眺め本場の讃岐うどんを食べにうどん屋を3件梯子した後にローカル私電・琴平電鉄に乗って一足先にコテージに到着し第二部隊が到着するのを待つも部隊のメンバーがようやく到着したのは夜明け間近の午前3時すぎであり第二部隊に疲労の色見え予定は変更され翌日は部隊が金刀比羅宮に行くもコテージに留まり卒論途中経過をわりとていねいに読みその夜には検討会を行った後に飲み始めたのがやや遅かったがそうこうしているうちに朝になり再び琴平電鉄に乗り高松へと出てそこから瀬戸内海を岡山へと渡り新幹線に乗り継いで新横浜経由で都内へと戻ったのである.

琴電・長尾駅の朝

6泊7日の第一部隊と第二部隊との旅は終わりおそらく私の夏もこれで終わった.


トーキョータワー

2013年05月31日 08時21分47秒 | 大学

 

4月から、東京都内のK大で、木曜の夕方に非常勤で講義をしている。
午後6時に授業が終わって外に出ると、近くに東京タワーが目に飛び込んでくる。
4月2週目に最初行ったときには、夕闇に映えるイルミネーションがきれいだった(上写真)。
GW明けになると、6時は夕暮れ前となり、車のライトを点灯する時間となった(中写真)。
昨日(5月末)は、小雨が降っていたが、まだ辺りは明るかった(下写真)。


大山信仰

2013年05月21日 17時52分00秒 | 大学

足の痛みがようやく引いた気がする。先週の水曜(15日)に、3年ゼミの実習で、大山の阿夫利神社の「下社」から「本社」の往復と、「女坂」の下り道を歩いた。けっこうたいへんだった。いかに日ごろ、運動をしていないかが現れた。下りの道で、足がもげそうで、どうにかなりそうだったが、木曜以降、足をしばらく引き摺って、今週の月曜くらいまで腫れがあった。ふくらはぎに重い痛みがあった。筋肉痛というよりも、炎症を起こしているような。というわけで、今年のゼミの春学期の最初のテーマを、秋に熊野に行く前段階として、「大山信仰」としたのである。文献で大山の下調べをした上で、実際に、足を運んでみたということである。大山は、富士山と並んで、関東周辺地域の人びとに、霊山として信仰されてきたという。大山詣りは、大山山麓に住んだ「御師」によって広められたらしい。落語『大山詣り』では、江戸時代の町人の大山詣でのゴタゴタが描かれている。大山詣りは、崇神や巡礼というよりも、物見遊山の色合いの濃い習俗だったのかもしれない。藤沢の女郎買いに寄って帰るのが、楽しみの一つだったというようなことが、落語の枕のなかで描かれることがよくある。その意味で、「聖」と「俗」が一体化していた。下社から本社へ登る道では、にわかに天候が変じ、霧がでて急に寒くなり、小雨が降った。それは、まごうかたなき登山道で、岩場などもあり、登るのも降りるのも、けっこうハードなのである。石が敷かれた石段を降りながら、いにしえの大山詣りを思った。いずれにせよ、その山登りのハードさを抜けたところに、ようやく祈願が叶うというような要素が、大山詣りにはあったのではないだろうか。その意味で、信仰と娯楽を同時に与え、とんでもない秘境や急峰でもなく、行くのにちょうどいい「お山」が、相州大山だったのかもしれない。中高年の集団登山者が多かったように見えた。今でも、そのちょうどよさは変わらないのではないか。