たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

『予告された殺人の記録』

2010年09月16日 15時42分47秒 | 文学作品

少し前に、ふと思い立って、G・ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』を読んだ。これで、3回目。「自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝五時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間の幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした・・・(7ページ)という、殺人事件が起こる日の朝に、殺される男(サンティアゴ・ナサール)の夢と目覚めの感覚という絶妙な描写から小説は始まる。あるとき田舎町へと流れついたハンサムな富豪の息子、バヤルド・サン・ロマンは、やがて、町の人びとに受け入れられるようになり、やがて、アンヘラ・ビカリオに恋をし、結婚する。しかし、初夜に、アンヘラが処女でないことが分かり、バヤルド・サン・ロマンは、アンヘラを実家に送り届ける。「バヤルド・サン・ロマンは家に入らず、黙ったまま、妻をそっと中へ押しやった。それからプーラ・ビカリオの頬に接吻すると、ひどく気落ちした声で、しかし精一杯の優しさをこめて言った。『何もかもありがとうございました、お母さん』と彼は言った。『あなたは聖女みたいにいい人です』」(56-7ページ)。「兄より判断力のあったペドロ・ビカリオが、彼女を抱きあげ、食堂のテーブルに坐らせた。『さあ』と彼は、怒りに身を震わせながら言った。『相手が誰なのか教えるんだ』」(57ページ)(祝祭の後、ふいに、静かに実家に送り返されたアンヘラ。事件をきっかけに彼女のなかで、憎しみと愛が二つで一つの情熱となったことが、のちに語られる。10年後のバヤルド・サン・ロマンとアンヘラとの再会のエピソード(107~113ページ)が、この出来事の激烈さをいっそう際立たせる。彼女は、ほとんどためらわずに、名前を挙げた。それは、記憶の闇の中を探ったとき、この世あの世の人間の数限りない名前がまぜこぜになった中から、真っ先に見つかったものだった。彼女はその名に投げ矢を命中させ、蝶のように壁に留めたのだ。彼女がなにげなく挙げたその名は、しかし、はるか昔からすでに宣告されていたのである。『サンティアゴ・ナサールよ』彼女はそう答えた」(58ページ)。アンヘラを辱めたのがほんとうにサンティアゴなのかどうか、明らかではない、謎だ。パブロ・ビカリオとペドロ・ビカリオのアンヘラの兄である双子の兄弟は、その直後、サンティアゴ・ナサールの殺害を計画する。「しかし、どうやらビカリオ兄弟は、人に見られず即座に殺すのに都合のいいことは、何ひとつせず、むしろ誰かに犯行を阻んでもらうための努力を、思いつく限り試みたというのが真相らしい」(60ページ)。物語は、アンヘラの処女喪失と予告殺人の成就をめぐる「わたし」の調査を織り込みながら、一気に、スピーディーに、どどどどと崩れるように、クライマックスへと突き進んでゆく。サンティアゴ・ナサール殺害を回避するための手立ては、ことごとく外れ、「偶然」が重なった結果、ビカリオ兄弟はサンティアゴ・ナサールを殺害するのだ。「『サンティアゴ!』と彼女は彼に向って叫んだ。『どうしたの』サンティアゴ・ナサールは、それが彼女であることが分かった。『おれは殺されたんだよ、ウェネ』彼はそう答えた(143ページ)。見事だ、完璧だ、構成といい、謎の仕掛けといい、この小説は。野谷文昭による「あとがき」には、ガルシア・マルケス自身が、この作品を自身の最高作と考えているようである。文章の魔術、驚異だ、大いなる羨望を感ず、わたしには、どうにもならないが。ついでに、映画化もされている。フランチェスコ・ロージ監督『予告された殺人の記録』。カトリックの処女性を考えるため、授業で使ったことがある。ちなみに、アンヘラ役のオルムラ・ムーティは、憂いを含んで、なかなかセクスィー。★★★★★


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