たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



プナンにおいても、人間と人間以外の存在物(非・人間存在物)がくっきりと区別されていることは、ほとんど疑いようがない。とりわけて、非・人間存在物において、魂/精神をもつかどうかが、存在論としてはきわめて重要なことである。プナンは、捕まえようとしたときに、逃げようとする場合には、その存在物には、魂/精神があるとみなすことができるという。生き延びようとする魂・精神・意識・心によって方向づけられているからである。大づかみに言えば、人間とともに、プナンが食の対象とする存在物(=わたしたちの分類では、「動物」)には、魂/精神がある。そして、人間と魂/精神を有する存在物ーープナンの分類では、動物、鳥、虫ーーの関係のありようが、プナンのいわゆる動物と人間のおおもとのところを規定する。「まちがったふるまい(ポニャラ)」として概念化される、一定の形式のふるまいが、つまり、やってはいけないことをやってしまったり、やってはいけないことに思いいたることが、人間と非・人間存在物の間の関係の軸となっている。魂/精神をもつ存在物(人間と大部分の動物)は、つねに、ポニャラの危険に向き合うべき存在として立ち現れるのである。換言すれば、動物と人間はすべて、正しいこととまちがったことを裁定されるように運命づけられた、魂/精神をもつ存在なのである。ポニャラとは、人間にとっては、動物と戯れることであり、動物をあざ笑うようなふるまいのことであるし、動物にとっては、人間に対して危害を及ぼしたり、人間の暮らしを邪魔したりすることである。人間が動物に対してポニャラを犯した場合、その動物の魂/精神は、天上の雷神のもとへと赴く。雷神は怒り、雷雨や嵐を起こし、ときには、大水で人を飲み込んでしまう。他方、動物が人間にポニャラを犯すことに対しては、人間は、自らその動物に報復したり、自らの餌とすることができる。この点に、プナンが動物を狩猟・殺戮して食べることの理念の正当化の一端を確認することもできよう。人間と非・人間存在物の間の諸関係は、プナンでは、このようにして構造化/秩序化される。そうだとすれば、そのことは、わたしたちの社会が、非・人間的存在物から人間だけを切り離しーー自然から社会を切り離しーー、人間だけが魂/精神をもって、社会なるものを構成し、人間が人間のまちがったふるまいを裁定するという秩序をつくり上げていることを浮かび上がらせてくれるのではないだろうか。ひるがえって、プナンでは、魂/精神は、けっして自然のなかから独立した地位を与えられるのではなく、人間と人間が相互作用する存在物の双方に対して植え込み、育んできた観念として用いられている。その意味で、プナン語のberewen に対しては、旧来のアニミズム観において未開社会に見られるとされた「魂」でなく、未開社会と近代社会を架橋するためにも、「精神」という訳語の採用が検討されるべきではないだろうか。プナンは、動物が魂をもつという意味ではなく、わたしたちが用いている精神をもつという意味合いで、動物の行動を考えていると直観的には感じられるからである。こうした内容は、詳細な民族誌記述によって、明らかにされるべきであろう。

(写真は、しとめられたテナガザル)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




昨日、一ヶ月ぶりにクチンに戻って来た。全身原因不明の発疹の痒みに悩まされながら。さて、8月は、プナンの狩猟キャンプを転々とした。最初は、獲物がなかなか思ったように獲れず、ずいぶん空腹を経験したが、その後、次々にキャンプに獲物がもたらされるようになった。以下は、わたしが今回ついて行った狩猟キャンプでしとめられた獲物のリストである(数字は、獲物の数)。猪肉と鹿肉の一部は、販売した。

8.14. ヤマネコの一種(palan alut) 2、鳥(metui) 
8.15. カニクイザル 1
8.20. カニクイザル 1、オオマメジカ 1、イノシシ 1
8.22. ブタオザル 1、リーフモンキー 1
8.23. リーフモンキー 2
8.24. セイラン 1、テナガザル 1
8.25. リーフモンキー 1、鳥(lekap) 
8.27. ブタオザル 1、イノシシ 1
8.28. イノシシ 2、シカ 1、リーフモンキー 1

ずいぶんとサル類を食べた感じがする。カニクイザル(kuyat)2頭、ブタオザル(medok)2頭、テナガザル(kelavet)1頭、リーフモンキー(bangat)4頭。 

おかげで、「サル」の話をたくさん聞くことができた。

プナンは、それらをほかの動物(kaan)から独立して、「サル」類と分類することはない。しかしながら、それらの4種(もう1種、彼らがkelaci と呼ぶ、赤毛のサルがいる)に特徴的な習性があることは熟知している。それらは、樹上に住み、単雄複雌で集団行動する。母ザルは、小さな子を胸の前に抱きかかえて育てる。それに対して人間は、一般には、おんぶして(mebin)子育てをする。子ザルの肉は、胸の前で抱きかかえるという意味の「トキヴァップ(tekivap)」と呼ばれ、ことのほか美味であるとされる。プナンは、「サル」を生け捕りにして飼育するというようなことはいっさいない。食べるためだけに捕獲する、

それらの種は樹上でなわばりを争うが、ブタオザルについでテナガザルが優位であるという。リーフモンキーとカニクイザルは、ほかの種に会ったときは逃げるという。力関係としては:ブタオザル>テナガザル>リーフモンキー、カニクイザル。ブタオザルだけが、複数の子を産む。リーフモンキーは、地上には降りてこない。特定の葉だけを食べるので、リーフモンキーの腸内の消化物(oreh)は、内臓とともにスープにして食べられる。糞便になる直前の消化物なので、糞の匂いがするともいうが、薬になるという。彼らは、腸内消化物のスープ(potok)に目がない。 

プナンは、それらの「サル」が人間に似ているとか、人間のようだとは、けっして言わないが、近隣の焼畑民たち(=人間)が、それらになったとも言われることがある。カヤン人がブタオザルに、イバン人がリーフモンキーになったと。テナガザルの鳴き声は甲高いが、リーフモンキーはゲゲゲと低く鳴く。

それらの「サル」の肉には、それぞれに、独特の風味のようなものがある。わたしが食べてもいいと思ったのは、ブタオザルのそれである。カニクイザルは、臭みがあって、ちょっと苦手である。ブタオザルのトキヴァップは、柔らかくて、文句なしに美味かった。

(写真は、親子のリーフモンキー。両方ともメス。)



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )