たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

上滑りする文化

2009年01月25日 19時13分46秒 | 音楽

ここ数年ワールドミュージックに凝っていて、国単位で、音楽の旅を続けてきた。マレーシア、インドネシアを皮切りに、コロンビア、プエルトリコ、キューバ、メキシコなどの中南米から、ヨーロッパに行き、アフリカを回って、ギリシア、イスラエル、アラブ世界を経由して、トルコにたどり着いた。プトゥマヨの「ターキッシュ・グルーヴ」は、いま一番気に入っている(写真)。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/d6b66c3d5483006785d4d3682eda696d

今日たまたま出かけたエスニック雑貨店で、トルコを含む中東の音楽のCDが売っていたので、よさそうなものを買い込んできた。エスニック雑貨店なるものに足を踏み入れたのは、おそらく10数年ぶりのことである。確実に、品数だけでなく、魅力的な品物が増えていた。若い娘だけでなく、中年の夫婦が、バッグや衣装を手にとって買い物中だった。

ふと、エスニック雑貨を研究している学生と話したことを思い出した。彼によれば、エスニック雑貨ブームというのは、マテリアルのテイストやファッション・センスに対するブームなのであって、けっして、その背後にあるアジアン・カルチャーに対する興味ではないという。

腑に落ちることがある。

近年、わたしの大学では、文化人類学だけでなく、アジア地域研究の授業の受講者数が減っている。少数民族などの文化に興味をもつような学生も減っているように感じる。アジアを中心としたエスニック雑貨ブームは、その雑貨の出所に対する興味関心を喚起する
ように思えるが、どうやらそういうことにはなっていないらしい。彼らの興味関心の中心は、あくまでも、その雑貨がもつテイストにあるのかもしれない。

つまり、文化を上滑りしながら、雑貨の美やテイストの価値を求めているのだ。しかし、それは、大学生だけではない。わたしだって、それとほとんど同じようにして、文化を上滑りしながら、ワールドミュージックを渡り歩いているのだから。

だから、何なんだとも言えるが、ま、少なくとも、文化人類学やアジアをどう教えるのかという、
大学のFDの手がかりくらいにはなるのではないか、考えなければならなそうなので。


公開シンポジウム「キリスト教と人類学」を終えて

2009年01月24日 22時49分10秒 | 宗教人類学

公開シンポジウム「キリスト教と人類学~多様な文化との関わりから~」が行われ、さきほど無事終了した。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/57cde30c40fe5255eefdaa469f682d90

小雪舞う天候で、出足を心配したが、出席者リストを見ると、学内外から、40名近くの方の参加があったようだ。発表者、アルバイト学生を含めると、50人強規模のシンポジウムとなった。昨年6月末の「セックスの人類学」に比べると、半分の規模であったが、今回のシンポジウムは、半日のものであり、単純には比較はできないものの、学内の学生の参加が少なかったことは、少し残念であったが。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/2b3297e59000a3df343cb8b39e7b3964

主催者でありながら、キリスト教の門外漢であり、自ら、シンポジウムの大筋から脱線したヘンテコな発表を行った者として、シンポジウム全体をまとめることは不可能なので、一参加者としての個人的な視点から、感想めいたことを書いておきたい。

要は、このシンポジウムで何が分かったのかであるが、その一番に、K先生が言っていたように、「キリスト教徒である人類学者にとっての異文化研究」である人類学のなかで、キリスト教とは、置き去りにされてきたテーマであるという点を掲げておきたい。

マルタのキリスト教会で、エクソシストを養成しながら、迷信や俗信とされる邪視信仰に真正面から取り組んでいる事態の調査からは、「被害者」の視点だけから災因論に接近してきた人類学に対する補正の必要性が見えてくる。韓国は、たんに
キリスト教を受容する国ではなく、神学校の卒業生の就職先の確保のためなどもあって、キリスト教の海外布教の発信先ともなっている。イスラーム世界におけるキリスト教徒の対話をベースにして、世界的な広がりを見せる文明間対話を視野に収めた上で、桜美林の孔子像立像は、宗教的文化の寛容さを示すものと見ることができるのではないか、その上で、大学の開かれた教育実践へとつなげるべきではないかという建設的な問題提起も行われた。このような報告が示しているように、キリスト教を介して、人びとの宗教実践に踏み込むことは、たしかに、人類学の宗教研究の新たな貢献になりうるだろうと思われる。

日本社会におけるキリスト教の受容は、はたして、コンテクスチュアリゼーション(土着化)という文脈で捉えていいのかどうかということに対する議論も行われた。そのタームは、キリスト教中心主義的な色合いを帯びているのではないか。それに代えて、いったい、どのような観点から、キリスト教を異文化との関わりに捉えればいいのか。その議論は、けっこういいところまで行ったが、時間切れとなった。

「キリスト教と人類学」という主題設定は、キリスト教と異文化という主題に比べて、幾分ねじれている。その意味で、その問いの追及は、単純な土着化論を超え出てゆく方向性を孕んでいるようにも見える。議論は時間切れとなったが、少しではあるが、議論の行く先が見えたような気がする。

以上、あやふやなまま、個人的な覚書として。個人的には、たいへん勉強になったシンポジウムであった。発表者の先生方、参加者の方々、アルバイト・スタッフに感謝します。

(写真は、ボルネオ島カリス社会で、墓場に向かう前につくられた死者の十字架:本シンポジウムのポスターの写真)


未開の声

2009年01月23日 22時20分16秒 | エスノグラフィー

終わったと思ったら、次にそれを上回る仕事が、それが終わったと思ったら、また、今度は、それを上回る仕事が積み重なることによって、しだいに、仕事感覚みたいなものは麻痺していくのかもしれない。別にそれを卑下したり、悲しんでいるわけではない。確実に言えるのは、そのうちに、仕事量は減って、そして、わたしは、やがて、死滅していくということである。こんなことがブログに書けるのは、まだまだ余裕のある証拠かもしれない。

詰めて詰めて詰め込んでやっているうちに、そのなかから、静けさのようなものが、一瞬現われることがある。そういったデジャヴ的な感覚に、わたしは、時々襲われることがある。今日、プナン人から電話があった。ちょうど一年ほど前にも、同じようなことがあった。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/050e660fec9e220b29ab6ec1a5affe0a

一日かけて、なんとか車を乗り継いで、
わたしに電話を掛けるために、彼らは、電話が使える場所に出てくる。電話の持ち主に交渉して、なけなしの金をはたいて、国際電話を掛けてきていることを、わたしは知っている。わたしに電話を掛けることが、彼らにとって、個人の事柄ではなく、共同体の関心事であるということを想う。

その電話を受けた瞬間、ここではないどこかの風景が、すうっと、わたしの心に入り込んだ。そう、この写真のような、ボルネオのジャングルのありきたりの光景が。熱帯といえども、ジャングルのなかには、涼感が支配している。あたりは暗いが、林冠から覗く光明は、遠くに、熱帯の暑熱があることを語っている。途切れ途切れの電話の声がわたしの名を呼んだとき、そのジャングルの光景は、向こうからやってきたように思う。

未開の声(電話の相手)は、わたしが今度いつ来るのかを尋ねたあと、草刈機をひとつ所望したいと言った。それだけだと言った後に、わたしのホストファミリー、つまりわたしのアニキの養子の幼娘が死んだと伝えた。ふたたびそのことを繰り返した。狩猟キャンプでわたしになついていた、遠く隔たった熱帯雨林に生まれて、2年ほどのあっけない命の幕を閉じた娘のことを静かに想う。


比較文化フィールドワーク

2009年01月21日 17時10分33秒 | 大学

<比較文化フィールドワーク>という文化人類学専攻の授業のベースには、民族誌を、必ずしも文字言語(=論文執筆)によるのでなくとも、映像作品として提出してもいいのではないかという発想がある。文化人類学専攻の学生は、必ずしも卒論をまとめるのではなく、映像作品を提出してもいいのかもしれない。民族誌映像の作成には、フィールドワーク、人に分かるような民族誌の描き方が、映像知識・技術の習得のほかに、組み込まれている。とはいうものの、映像撮影と編集は、わたしのようなドシロウトが教えられるような甘いものではなかった。その点、特別講師のKさんには、いろいろと助けていただいた。今朝、<比較文化フィールドワーク>の受講生が、「写真供養感謝祭」を題材にした民族誌映像作品のCDを提出した。文化人類学映像フィルムライブラリーと名づけた。それに合わせて、本日の午前中、文化人類学専攻のホームページを大きく書き改めた。
http://www.obirin.ac.jp/la/ant/fieldwork.html
http://www.obirin.ac.jp/la/ant/
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/26146500c58531795eec0d2027591195

(写真は、バングラデシュ・ダッカの都市風景、1983年)

 


研究会のお知らせ(2009年2月)

2009年01月20日 11時17分02秒 | 自然と社会

「自然と社会」研究会

第3回研究会
(合宿形式)
 
◆日時

2009年2月10日(火)18:00~11日(水)18:00

◆場所

八王子セミナーハウス
〒192-0372東京都八王子市下柚木1987-1
http://www.seminarhouse.or.jp/

人類学の手法、対称性人類学、自然と社会などのテーマについて、

今回は、合宿形式で、訳解と討論を行います。

プログラム

(1)Phillipe Descola "On Anthropological Knowledge" 
後半の訳解

(2)中沢新一「華やぐ子午線」『雪片曲線論』

(3)Review ArticleArtulo Escobar,
“The Problem of Nature Revisited: History and Anthropology”

(4)Viveiros de CastroPerspectivism(観点主義)
の概念について、対称性との関わりで

(5)Anna L.Peterson, "Book Review: Nature and Society"

(6)Philippe Descola and Gisli Palsson,
“Introduction”, Nature and Society

ご関心がある方は、どなたでも参加いただけます。また、発表にエントリーしてしていただくこともできます。参加ご希望の方は、下記のメールアドレスまで問い合わせください。資料などをお送りいたします。なお、上記のプログラムは、場合によっては、変更する可能性があります。
katsumiokuno@hotmail.com

関連サイト

http://nature-and-society.blogspot.com/

(写真は、フタバガキ科の木)


人類学の方法

2009年01月11日 21時57分52秒 | 自然と社会

第2回「自然と社会」研究会の報告
http://nature-and-society.blogspot.com/

【第一部】「人類学的知識について」前半の訳解

 社会科学のうち、人類学は、その主題の定義について考え続けている唯一の学問である。人類学は、親族体系、人格概念を分類し、神話、食物禁忌、植物の分類法などを分析しようとする。植民地拡張の過程で、他の学問が準備していなかった不在を、人類学がやり始めた。人類学では、記述方法は即興的につくられたし、分類基準は生み出されなければならなかった。その上で、今日、ほとんどの人類学者は、近代の周縁の、遠く離れた人たちだけを扱うことを強く否定する。「結果を考えないそうした無鉄砲さ」は、空港、ストリートギャング、産業プラント、遺伝子工学の実験室などを、人類学探究の視野に収める。それらは、かつては、宗教史や比較法のテーマであったが、人類学のリニューアルへの可能性であると考えられている。

 いったい、人類学の資産とは何か?メラネシアのイニシエーション儀礼の研究などから得られるレッスンが、近代病院におけるジェンダー格差などの理解に対して、何の役に立つのだろうか?人類学は、伝統的な領域を超えて拡張してきたが、共通の言語、共通の目的、共通の手法がはたしてあるのだろうか?カルスタが人類学に介入して、アメリカで起こったことであるが、他の学問が、人類学が時代遅れだと決めつける前に、そうした問いを人類学自身で解いたほうがいいだろう。

  人類学を、その内容によって定義する人たちがいる。それによれば、現代人類学が扱う主題は、ヨーロッパでは、「社会関係」である。ジェルによれば、「人類学は、非合理である行為、行動、発話などのきめ細かい分析を巧く行う」と捉えた。そのような定義は、合理的な行動のきめ細かい分析である、多くの人がやはり人類学であると考える、ハッチンスの米海軍訓練船内の認識のモノグラフを、人類学から除外してしまうことになる。ジェルの定義は、親族研究をさえも除外する。このように見ると、内容によって、人類学を定義することは、巧くいかないことになる(それは、だいたい、専門誌で広く認められているやり方である)。さらには、内容によって人類学を定義することは、「文化」なのか、「社会関係」なのかという、大西洋横断的な(アメリカとヨーロッパ間の)違いに向き合わなければならないという事実に答えることにはならない。

 それに対して、わたしが好む別のアプローチは、人類学に特有の調査手法を探すというものである。シチリアの村のあだ名の研究、婚姻交換の一般理論、儀礼効果の認識的な説明には、何の関係もないように思える。人類学者は、いったい何をしているのかということを、注意して見極めなければならない。人類学者は、実際の実践をくもらせるような規範的なディスコースを採用する。そのことによって、調査から対象化された結果について述べる傾向にある。

 ラドクリフ=ブラウン(以下RB)を、そうした調査手法を確立した例として取り上げてみよう。彼は、人類学を、個別記述的な学問ではなくて、法則定立的な学問であると捉えた。そのことによって、RBは、民族誌的なモノグラフにおいて役立つことになる、実践と制度のきめの細かい観察と記述が、人類学にとって助けとなるということを忘れたか、忘れたふりをしたのである。理論化の野望をもった人類学者たちが一般化したのは、つねに豊かに存在するデータからであったが、そのノウハウとは、じつは、フィールドワークをやっている間に立ち上がってくる。人類学の調査では、けっして明瞭ではない手続きをつうじて、データは獲得され、取捨選択され、提示されるが、これらは、人類学者以外に説明したり、学生たちに教えたりするのが難しい類のものである。つまり、人類学者は、意味のある一般化をしようとするときに使うことになる、他の人類学者によって集められたデータについて、直観的なつかみに頼っている。

 RBは、人類学を自然科学の延長であるとみなした。彼は、説明を、帰納的なプロセスであると捉えたのは正しくなかった。事実の観察、仮説の公式化、新たな観察による仮説の証明というのが、帰納的な方法である。民族誌家は、彼が対象とする社会に近接する社会において、十分な一貫性のある特性を提示する、信仰や制度の典型を見出そうとするときに、ふつう、そうしている(=帰納法を用いている)。しかし、このような帰納法が、自然科学のように、法則の定式化へとつながらない。他方で、演繹法について。それは、レヴィ=ストロースが、親族の基本構造を明らかにするときに用いた方法である。そのモデルの内部で働いている事柄な変容は、本当の現象の変容と同じものとして感じられるという特徴をもっている。  

  研究対象の人びとの日常的な実践において、人類学者は多様な手法とパラダイムに頼っているが、その結果は、その実在そのものを維持する専門家のコミュニティーによって確証されるにすぎない。結局、以下の三つの手続きがあることになる。記述、理解、様々な形式の説明。それらは、以下の領域に対応する。統一体として描き出される特定の社会集団についてのデータ獲得としての民族誌。文化的な地域の尺度において、統合体を一般化する最初の試みとしての民族学。最後に、一般に、社会生活の形式的な特性の研究としての人類学。しかし、記述/理解/様々な形式の説明は、単純に分離できない、というスペルベルの批判がある。

 どのように、それらは混ざるのか。民族誌家は、計測具をもたないので、あらゆる事柄に注意を払う。書くときには、複雑な相互作用と行動の結果を示すことができなければならない。完璧にはマスターできない現地語において語られた発話を適切に起こさなければならない。民族誌的な知識は、特定の個人と他の特定の個人との個人的かつ持続的な関係に基づいている。それは、二度と同じことが起きないような状況から得られる知識である。その点で、厳密なデータではないし、対象社会で先行研究者によって得られたデータとも違う。それゆえに、集められるデータは、情報提供者への依存状況から切り離すことができない。民族誌家が得た知識は、教育に用いられ、そのことはこの学問の特徴であり、さらには、個人史ともなりうる。こういった全てのことが、人類学者にとって、ありふれたものである。民族誌の知識は、間主観的な交換状況から引き出される類のものなのである(後半に続く)。

・感想
 この論文は、人類学のフィールドワークと知識の特性について、一見、ひじょうにオーソドックスに見えるが、よく練られたものであり、幾つかの興味深いテーマを含んでいる。フランス人類学者デスコラ(以下D)は、ポストモダンの批評理論の影響を受けて、人類学の取り扱い項目を無批判に拡張させてきた、アメリカを中心とする人類学のありようを牽制しているようにも見える。

 Dによれば、内容によって、人類学を特徴づけることなどできない。だとすれば、人類学が取り上げる内容ではなくて、その調査手法と知識の特性を調べて見なければならない。Dは、RBを出発点として、人類学の調査と知識の獲得手法に乗り出してゆく。しかし、RBが目指した、法則定立的な人類学は危うい。人類学者は、間主観的な人間関係から、一回きりの出来事から、データを得る。それは、厳密性に欠ける、直観的なつかみという、いたってあやふやなものなのである。他方で、レヴィ=ストロースが取った手法から得られるモデルは、現地の当の人びとの認識する現象に合致する。Dは、どうやら、そこに、雑音としての「様々な手法やパラダイム」が不必要に入り込むことによって、民族誌の精度が低下すると考えているようでもある。Dがたどり着くのは、記述/理解/様々な形式の説明という人類学のトリロジーである。

 【第2部】「対称性」概念の探求

 第1部のDによる人類学の方法論の検討を踏まえて、中沢新一を介して、折口信夫の人類学的な方法を探る(あるいは、折口を介して、中沢の方法を読み解く)という試みがなされた。

 折口は、古代人は類化性能を用いていたし、折口自身がまさに類化性能に長けた古代人であった。類化性能とは、月と女性を、類似を介して、結びつけるような思考である。そこでは、満ちては欠け欠けては満ちる月と、1ヶ月ごとに生理を変化させ、命を生みだす女性との類似による世界理解がなされる。それは、対称性思考である。

 それに対して、別化性能とは、アリストテレス論理、非対称性論理であり、科学的思考のベースとなる。折口は、類化性能、対称性思考に貫かれていた古代人の心に迫ろうとした。それは、わたしたちの祖先が何を感じ暮らしてきたのかというという、日本列島に生き暮らした人びとの精神を探ることでもあった。折口は、自らの内側の記憶を掘り返すようにして、自らの学問を築き上げたのである。

 日本人が日本の世界のおおもとについて考えるとき、折口に倣って、右脳的な、感覚的な思考論理を駆使する必要がある。論理と実証では、古代人の思考にはたどり着けない。個人的な感想になるが、この点は、プナンの思考方法に接近するときに、大きな手がかりとなるのではないか。反省しない、時間観念がない、向上心がない・・・旧石器的とでもいうような、古代人のようなプナン人を理解するには、対象を「ほう」と眺めることから、古代人の思考になりきるという方法しか、他に方法はないのかもしれない。

(写真は、プナンのフィールドで見た朝焼け)