たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

『禁色』あるいは同性愛のエスノグラフィー

2007年09月30日 21時47分47秒 | 性の人類学

ニューギニア・サンビア社会(仮名)の「儀礼的同性愛」の研究者であり、自らの同性愛経験を核として、同性愛をめぐる研究を行っている文化人類学者、ギルバート・ハート。日本語にも翻訳されている著作(『同性愛のカルチャー研究』現代書館)のなかで、彼は、日本の同性愛文化にふれ、三島由紀夫の『禁色』(新潮文庫)の質の高さを賞賛している。数年前に、そのことを知って、今学期からO大学で、「性の人類学」という授業を始めるにあたって、ずっと、その本をぜひとも読んでおきたいと思っていた。この週末に、一気に読み終えた。わたしのなかでは、サンビアの儀礼的な同性愛と日本の同性愛が、線でつながったような気がする。

川端康成をモデルにしたとも言われる頽齢の小説家・檜俊輔は、母に愛されず、三度の結婚に失敗し、すでに女に絶望している。彼を慕う娘・康子を追ううちに現れた、希臘彫刻のような精悍な美青年・南悠一。悠一は、自分が女を愛することができない男であることを、俊輔に告白する。俊輔に芽生えた目論見。それは、悠一を自らの分身として、自分を愛すことがなかった女たちに復讐をすることであった。俊輔は悠一に50万円を与え、女を愛せない悠一に、その美貌を用いて、女たちに不幸を与えるというはかりごとを画策したのである。

俊輔の言いつけどおりに、悠一は康子と結婚する。しかし、康子は、夫に愛されることがない。悠一は、そのことで、康子が、夫の男色にすでに気づいているのではないかと疑うようになる。

もし康子が、その良人は女一般を愛さないという事実に直面するならば、はじめから欺かれていたことになって、救いがない。しかし妻だけを愛さない良人は世間に数多く、この場合、今愛されているというその事実は、妻にとって、昔愛されていたという事実の逆の証跡にもなるであろう。康子だけを愛さないと知らせることこそ肝要である」(235ページ)と、悠一は、身勝手に考える。

倒錯した感情の微細なまでの心理描写が光を放っている。

俊輔の復讐の対象である鏑木夫人が、彼女の夫と悠一の男色の濡れ場を覗き見てショックを受けて、京都へと逃げた。鏑木夫人が悠一に対してつづった手紙を読み終えて、悠一が鏑木夫人に対して感動した、愛してしまったと告白したのであるが、そのとき、俊輔は悠一の情動を冷徹に分析する。

「・・・この世に肉感以外の感動はないことを。どんな思想も観念も、肉感をもたないものは、人を感動させない。人は思想の恥部に感動しているくせに、見栄坊な紳士のように、思想の帽子に感動したようなことを言いふらす。むしろ感動というようなあいまいな言葉はやめたらいい・・・君は心の中で、肉感を伴わない感動が何ものでもないことを知っているんだ。そこであわてて愛という追而書をつけたのだ。すると君は、愛をもって肉感を代表させたことになる」(310ページ)。

その語り口には、女になぞ、感動するものではない、愛したなどと軽々に語るものではないという、俊輔の女に対する怨念のようなものが宿っているように思う。

悠一は、ますます、男色の深みへとのめりこんでいく。

「・・・もし彼が、青年に合意の徴笑を示す。二人は夜おそくまで落ち着いて酌み交わすだろう。二人は店が看板になるとそこを出るだろう。酩酊を装って、ホテルの玄関先に立つだろう。日本では、通例、男同士の泊り客もさほど怪しまれない。二人は深夜の貨物列車の汽笛を間近に聴く二階の一室に鍵をかけるだろう。挨拶の代わりの永い接吻、脱衣、消された灯を裏切って窓の摺硝子を明るくする広告灯、老朽したスプリングがいたいたしい叫びをあげるダブル・ベッド、抱擁とせっかちな接吻、汗が乾いたあとの裸の肌の最初の冷たい触れ合い、ポマードと肉の匂い、はてしれぬ焦燥にみちた同じ肉体の満足の模索、男の虚栄心を裏切る小さな叫び、髪油に濡れた手、・・・そしていたたましい仮装の満足、おびただしい汗の蒸発、枕もとに手さぐる煙草と燐寸、かすかに光っているおたがいの潤んだ白目、堰を切ったようにはじまる埒もない長話、それから欲望をしばらくして失くしてただの男同士になった二人の子どもらしい戯れ、深夜の力較べ、レスリングのまねごと、そのほかさまざまの莫迦らしいこと・・・」(408ページ)。

男たちの情欲とその果て。それらがまざまざと浮かび上がるような描写である。

悠一と出会った青年・稔の心中。

「『この人もアレだな』と稔は思っていた。『でもこんなにきれいな人が、アレだということは、なんて嬉しいんだろう。この人の声も、笑い方も、体の動かし方も、体全体も、匂いもみんな好きだ、早く一緒に寝てみたいな。こんな人になら、何でもさせてやるし、なんでもしてやろう。僕のお臍を、きっとこの人も可愛いと思うだろう。』--彼はズボンのポケットに手を入れて、突っ張って痛くなったものを、うまく向きをかえて、楽にした・・・」(448-9ページ)。

稔と悠一の関係に嫉妬した、やはり男色家である稔の養父は、悠一の妻・康子と悠一の母の元に、悠一が男色であることを密告する手紙を送る。悠一の母は、その手紙が真実であるのかどうかを、実地に確かめようとする。

彼女は目をつぶって、この二晩に見た地獄の光景を思いうかべた。一通の拙い手紙のほかには、かつて彼女が予備知識をもたなかった現象がそこに在った。たとえようもない気味の悪さ、怖ろしさ、いやらしさ、醜さ、ぞっとする不快、嘔吐をもよおすような違和感、あらゆる感覚上の嫌悪をそそる現象がそこに在った。しかも店の人たち客たちも、人間のふだんの表情、日常茶飯事を行うときに平然たる表情を崩さぬことが、まことに不快な対比を形づくる。『あの人たちは当たり前だと思ってやっているんだわ』と彼女は腹立たしく考えた。『さかさまの世界の醜さはどうでしょう!ああいう変態どもがどう思ってやっていようと、正しいのは私のほうだし、私の目に狂いはないんだ』」(475ページ)。

男色の世界を驚愕のまなざしでもって眺める悠一の母の思いが、閃光のごとく表現されている。 悠一に恋心を寄せながら、彼の男色行為を覗き見して、ショックで京都に遁走していた鏑木夫人が、上京して、その窮地を救ったのである。

最後に、俊輔の身代わりであることを拒むために、俊輔と会った悠一は、俊輔の自殺に立ち会うことになる。俊輔は、悠一に、1千万円という財産を残したのであった。

人間の過剰なる性の叙述。性の人類学は、過剰なる性へと経験的に接近し、その息づかいまでをも含めて、活写しようとする点に、その最大の特徴を抱懐する。マリノフスキーの古典的な名著『未開人の性生活』は『禁色』に肩を並べる読み物、性のエスノグラフィーだったのだと思う。悠一の母のいうように、同性愛が「感覚上の嫌悪をそそる現象」であるかどうかは別にして、ある意味で、身近な他者の現象であるならば、性行動の記述にあたって、『禁色』は、性の人類学が目指すべき叙述のある型を示しているのではないかと思う。


「もののけ姫」から考える

2007年09月22日 13時59分16秒 | 文献研究

Kくん(24歳くらいだと思う)は、さる8月いっぱい、プナンの暮らしを体験して、ハンターになる(?)という野望を持つにいたったと、わたしに語ったが、彼が、狩猟民社会のフィールドワークに出かけてみたいと思うようになったそもそもの動機は、かつて観た「もののけ姫」にあったということを、フィールドワークが終わりに近づいたある日、聞いた。彼の熱い勧めもあり、帰国後、見よう見ようと思いながら、見ることができなかったのだが、ようやく、昨夜になって、「もののけ姫」のDVDを見ることができた。Kくんが、「イノシシを殺す場面を見たいと強く思っていた」こと、「たたら場を見たいと願った」ことが、なんとなく分かった気がする。前者は、Kくんの寝坊で、後者は、たまたま洪水があって見に行くことができなかったのであるが・・・

「もののけ姫」のなかでは、森のなかで、ことばを介して意思疎通する人間と動物たちの「神話的な世界」が描かれている。そこでは、動物たちが、人間と同じように、意思や心を持つ存在として描かれている。そして、動物たちは、森を破壊する人間に対して憎しみをつのらせて死にゆき、恨みの心を持って、「祟り神」になる。動物が、恨みゆえに「祟り神」になるとする考えの背後には、動物たちが「人間のために」死んでくれていると捉えるような世界観、世界の捉え方があるように思われる。そこには、人間側の都合で森を破壊し、動物の住み処を奪い、殺すことに対する罪悪感のようなものが見え隠れする。

そういった動物に対する人間の態度は、北東アジアから東アジアの狩猟文化に共通して見られる。捕獲したクマに対して、「南無財宝無量寿岳仏」と7度、「光明真言」を3度唱え、最後に「これより後の世に生まれてよい音を聞け」と唱えるような秋田県阿仁のマタギの習慣(田口洋美「クマを崇め、熊を狩る者」)、クマを仕留めるとクマの頭を東に向けて、「自分たちを恨まないでください」と祈りを捧げるアムール川の先住民の儀礼的なしきたり(上掲書)、アイヌのイヨマンテ(クマ送り)の儀礼など。
そのような儀礼や習慣のベースにあるのは、動物を殺すことに対する罪悪感なのではないだろうか。人間が罪悪感を持つからこそ、動物にとって理不尽な死を、動物が恨みへと転換することがないように、いましがた殺した動物に願い、祈るのだ。

他方で、プナン人たちの動物に対する態度には、罪悪感や、それをベースとした祈願というようなものは見当たらない。プナンは、動物にも意思や心はあるというが、動物が、人間によって、住み処を奪われたり、殺されたりすることに対して、恨み心を発する存在として捉えるようなことはない。つまり、彼らは、人間との関わりにおいて、動物のなかに蓄積され
やがてかたちをもって表出されるような「心」を読み取るようなことはない。プナンはよく言う。動物は、たんに殺して食べるだけだと。しかし、殺してから食べるまでの間に、動物をおとしめるような行為をしてはならないという、強いタブーも存在する。わたしは、それは、別のかたちでの、人間の動物に対する、素朴な敬意の表明であると考えている。

ところで、 「もののけ姫」では、森を破壊する人間の象徴として、たたら場が出てくる。それは、また、森の近くに陣取って、(石火矢によって)暴力を生み出し、富を生み出す「力」として描かれている。そのような意味で、たたら場と森の結びつきは深い。森を開拓して鉄を探し、木炭を燃やすからである。森の民プナンは、ある意味で、ボルネオ島の「たたら衆」である。それは、まずもって、プナンたち自身が、森の動物を殺し、料理することによって生きながらえてきたのであり、つねに、刀剣を必要としてきたからである。イノシシやシカなどの中・大型動物を解体するときには、切れ味の鋭い、手ごろな刀剣が欠かせない。そのために、彼らは、独自の鍛冶技術を発達させてきた。ジャングルの奥深くの川の中に赤い石を見つけて焼くと鉄になった、という昔話が残っている。
いまでも、プナンの家には、必ず、小さなたたら場が敷設されていて、周辺の他民族もプナンに刀鍛冶を頼みにやって来る。

動物に恨み心を読み取るにせよ(日本、北東アジア)、読み取らないにせよ(プナン)、人は動物との間に、広い意味における宗教儀礼をつうじて、倫理的な契約というか、規範とでもいうべきものを確立してきた。「もののけ姫」のなかで描かれているような、動物と人間との戦いは、動物と人間の間の倫理的な契約や規範が踏みにじられたり、危機に陥ったことを示しているのではないだろうか。 それは、まさに現代社会の問題でもあるのだろう。


とりいそぎ、メモの代わりとして。

(写真は、プナンのたたら場の風景。左上の男は、足ではなく手で、二つのふいごを組み合わせて、連続して送風している)


性の人類学談義メモ

2007年09月15日 13時21分22秒 | 性の人類学

Nさんが言うように、性をめぐる問題に対して、哲学的・思弁的な研究の蓄積(たとえば、フランスの性研究)の観点から眺めるならば、人類学は、性をめぐる行動を、経験的に、より近い地点から解読しようとする点で、スリリングである。人類学の醍醐味は、経験としての性行動、セックスおよびその(社会的文化的)背景へと漸近し、その息づかいまでをも含めて、エスノグラフィックに活写しようとするところにある。他方で、人類学は、そうしたミクロなアプローチとは真逆の、マクロな時間枠のなかで、ヒトをヒトたらしめている過剰なる、蕩尽的な性の始原・淵源を求めて、ヒト以前(以外)の生き物の性行動へとまなざしを向け、探究しようとする欲動を、そのうちに抱え込んでいる。前者が、エスノグラフィーをベースにして、人類の(ときに過剰な)性のありよう、その多様性を明らかにしようとするのに対して、後者は、主に、生き物の生殖へといたる行動などの観察をつうじて、性行動の進化・適応過程を解読しようとする。

Sさんの関心は、東アフリカに見られる「儀礼的(特別な)性交」について。喪明けや屋敷建築のさいに、屋敷内で決まった順番で「性交」がおこなわれる。そうした「性交」は、そのような社会では、じっさいには、どのようなものとしておこなわれ、どのようなものとして捉えられているのだろうか。性交そのものが、儀礼的に、新たな秩序を構築するために使われるとは、いったいどのようなことなのだろうか。
「儀礼的な性交」は、屋敷内では誰もが知っている事実で、性交の相手は、そうした騒々しい雰囲気のなかで、上手く性交がおこなえなかったというようなことがあったという。その行為を取り巻く、前後のそうしたざわめきのようなものを含めて、全貌について知りたい。

Tさんは言う。問題は、「ヒト以前」のサルには、同性愛行動やマスターベーションというような「人間的な行動」をおこなうことがないと思われているがゆえに、そういった(過剰な)性行動の報告が、人びとの関心を引くということである、と。性の人類学は、サルに、ヒトの性行動を重ねあわせて、読み取っているのではないか。攻撃的であり、残虐的なチンパンジーに対して、頻繁にセックスをし、社会関係の調節をはかろうとするボノボ。そういった類型は、サルの行動を、ヒトの行動の延長上に読み取ることの典型ではないだろうか。サルは、人間あるいは人間性の起源を求める対象でしかない、とも。そういったものではない、性の人類学からのサルの性への接近を。

以上、新宿での性の人類学の打ち合わせ(2007.9.14.)の個人的なメモ。Sさん、Tさん、害獣対策のあり方などを含めて、いろいろと勉強になりました。ありがとうございました。

写真は、夜這い旅行の帰り道でのプナンの男女。


プナン語雑感

2007年09月08日 13時17分34秒 | エスノグラフィー

プナン語には、「借りる」という言葉がない。
マレー語から借用して、mijam(借りる)という語を使うことがないわけではない。
しかし、彼らの会話に耳を傾けてみると、その言葉は、プナン社会では、ほとんど使われない。
モノやお金を借りるとき、プナンは、どのように表現するのだろうか?
「お金ちょうだい、明日返すから(akeu manii rigit sagam mulie)」という言い方になる。
つまり、もらっておいて、それを返すという表現になる。
わたしたちの「借りる」という言葉には、あらかじめ、返すという意味が潜んでいることにいまさらながら気づく。

プナン語では、「頼む」と「命じる」という語は、分かれていない、一語しかない。
それは、両方とも、menyeu ということばで表される。
わたしの感覚では、「頼む」と「命じる」は、ちがう意味である。
「頼む」よりも、「命じる」のほうが、強制度が高い。
「コーラ買ってきてください、よろしく頼みます」
という表現と
「コーラ買ってくるように命じる」
という表現では、どこがちがうか?
前者では、べつにお金がなくてもいいかもしれない。
しかし、後者では、「命じる」わけだから、お金は必要だと思われる。
プナン語では、そのどちらもいっしょである。
つまり;

akeu menyeu kau aleau kola.
(コーラ買って来てよ)
という。
だいたい、お金を出すことなく、そう言う。
私の感覚としては、彼らは頼んでいる。
しかし、それをマレー語に訳していうとき、
しばしば、「コーラ買ってくるように命じる(saya suruh kamu beli kola)」という表現を使う。
そのとき、プナンは、たいていの場合、金を出さない。

プナンは、ときどき、マレー語で謝意を述べることがある。
terima kasih.
プナン語では何というかと尋ねると、 jian kenep という答えが返ってくる。
jian とは、「よい」という意。
kenep とは、「心」の意。
jian kenep とは、「よい心」あるいは「よい心がけ」という意味である。
前述したように、プナンは、よく、誰かの持っているモノを「ちょうだい」という。
「けちはダメ(amai ibah)」という規範に沿って、モノは与えられる。
そのとき、(物惜しみしないとは、何と)jian kenep(よい心がけ)だ!という。
それは、謝意というよりも、「物惜しみしない心」に対する賞賛のようなものである。
ひるがえって、わたしたちが「ありがとう」というとき、相手の何に感謝しているのだろうか?
「心」や「心がけ」なのか、あるいは、「モノ」の有難さにだろうか?
ついでながら、プナン人は、人間だけが「心」を持つのではないという。
「心」は、動物にもあるのだという。
だから、イノシシは、人間に撃たれないように逃げるのだという。

そのあたりが、狩猟民らしいと思う。

(写真は、物悲しい音を奏でる鼻笛を吹く女性)
 


ペニスピン、ふたたび

2007年09月07日 21時50分32秒 | 性の人類学

ドナルド・ブラウンのペニスピンに関する論考を読んだ。
Brown, Donald, E. 'The Penis Pin: An Unsolved Problem in the Relations between the Sexes in Borneo'in Sutlive, Vinson (ed.) Female and Male in Borneo: Contributions and Challenges to Gender Studies, 1991, Borneo Research Council.

ボルネオ島先住民社会でかつて広く見られたペニスピンをめぐる先行文献を渉猟したブラウンは、それが、おおむね、二つの目的をもつものとして、論じられてきたことを指摘している。
(1)ひとつには、それは、女性の性的な快楽のためのものであるということであり、(2)ふたつめは、男が「男らしさ」を獲得するためであるというものである。

今日、プナンは、ペニスピンを装着することによて得られる快楽について、「女が気持ちよければ、男も気持ちいい(lake jian tegen daun redu jian rasa)」というような言い方をすることが多い。女が装着を要求するのか、男が自ら付けるのか。
女性が男性に付けるように頼むということはよくあると聞く。ペニスピンを付けていた男性と別れた後に結婚した男性が付けていなかった場合、付けるように頼むことがあるということを、プナン人の年寄りの男性から聞いた。妻からペニスピンを付けるように言われて、それがひとつの理由となって、別れたと語った30歳代の男性もいた。

他方で、父親や「兄」にあたる男性など、身近にいる男性がペニスピンを装着していたから、自分も付けたと語る場合が多い。ペニスピンを付けるかどうかは個人の裁量に任されているが、一般には、装着することを、周囲が自然に後押ししているのではないかと思う。

プラウンのペーパーには、ペニスピンと多産との関わりに関して調査研究を行った研究者がいたことが紹介されている。クールワインは、1930年の論文で、2500人のボルネオ人の生殖器を調べて、ペニスピンを装着する確率が高い集団において、子どもの数が多いというようなことはない、と報告したという。つまり、ペニスピンを付けたからといって、(それで快楽をむさぼりあうようになり)、より多産になるというようなことではない、というのだ。

ところで、 ペニスピンを付けることが、男らしさの獲得に関わるかどうかについては、少なくとも、今日のプナン人たちからの聞き取りからは、明らかにはならなかった。B川流域では、LやPの家の男たちのなかに、ペニスピンを装着している人が多いという噂がある。そして、誰がペニスピンを付けているのかという情報は、かなり精確に、周辺の人びとに知れ渡っている。

(写真:ペニスピンをめぐるわたしのしつこすぎる
質問に対して、あるプナンは、植物の茎を削って、ペニスピンの模型をつくってくれた)


プナン人の性

2007年09月06日 13時58分19秒 | 性の人類学

吹き矢(kelepet)の持ち主から、吹き矢をしばらくのあいだ持つように頼まれたとき、わたしは無意識に、その吹き口を地面につけてしまった。吹き矢の持ち主は、「そんなふうにしてはいけない(amai maneu ke)」とつぶやいて、吹き口に塵や埃、土や砂が付いていないかどうかを念入りに確かめて、それらを口で吹き飛ばそうとした。わたしは、吹き矢の吹き口が、吹き矢を吹くために口を付ける場所であるということをうっかり失念していたのである。

プナン人たちが<口唇性交>に対する嫌悪感を口にするとき、わたしは、このエピソードを思い出す。口(uje)は、ことば(=意味)を発したり(piah)、食べたり(kuman)飲んだり(mesep)、(特定のものを)接吻したり(marek)する部位であって、性器を刺激するためのものではないと、プナンは考えている。 口は、土、砂など、排泄器官でもある生殖器などに触れてはならない、人体のパーツだとされる。

同じように、性器は、性交のためだけに使うものであると考えられているように思える。だから、プナンは、マスターベーションをおこなわない。精液(be ape)は、必ず女性器(ukin)へと射出されなければならないのである。眠っているときに男が射精することについては、プナンは、ムリユン(meliyung)ということばを持っている。しかし、その文化的な意味は、わたしたちのそれとは、ずいぶんちがうように思う。ムリユンは、たんなる「夢精」ではない。眠っている間の射精は、性交の夢と等価であるとされる。ムリユンとは、包括的に、女性と性交渉する夢のことなのである。そのようなムリユンは、不吉の兆しとして、忌み嫌われている。猟に行けば捕れないだろうし、何か良くないことがおきると考えられる。

男性器は、三つの部位に分けられる。亀頭(sekat)、陰茎(utan nyi)、睾丸(tulin tilu)である。これは、よく分かる。問題は、女性器の部位である。やはり3つであるが、それは、大陰唇や陰核というような、わたしたちの持っているカテゴリーに照応していない。膣の上位(ketut)、中央部(tereget)、下位(terenit)というカテゴリーによって知られる。もっとも、わたしは、もっぱら男たちから、これらのタームを聞き知ったので、それらは、「性交の機能面」からのカテゴリーになっているということがあるのかもしれない。

ところで、プナンは、妊娠のメカニズムをどのように考えているのだろうか?10代の若者たちは、メカニズムについて、ほとんど語らない。知らない。その点では、若者たちは、理論派でなく、実践派である。キリスト教の神観念を出してきて、神が子どもをつくるというような説明をする若者もいるが。

「精液によって、どのように子どもができるのか」という問いに対して、答えてくれるのは、30歳代以上の人たちである。 性交すると、精液は女性の卵みたいなものと一緒になって、人間ができる。しかし、繰り返し繰り返し、性交しなければ、子どもにはならない。その40歳代の男性の話を聞いていた別の30歳代の男性は、人間には卵はないと言い張った。卵は、ニワトリなどの動物にしかない。どうして子どもができるのかというと、精液はじつは血の一種で、その血が、女性の身体の血と混ざり合って、やがて人になると主張した。別の30歳代の男性は、性交中に女性から出る愛液(be ape ukin)が精液と混じって、やがて子どもができると述べた。プナン社会には、その問いに対する安定的な答えはないようである。

ところで、性交の体位として、どのようなものが知られているのだろうか。いわゆる「正上位(ubit)」、「寝たまま(selata)」、「お尻から(jin lotok)」、「座って(monyen)」の4種類が、一般的である。

プナン社会において、兄弟姉妹の関係を説明するときに特徴的な言い方がある。それは、その兄弟(姉妹)(padie)は、(1)「一人の父、二人の母(jah tamen, dua tinen)である」、あるいは逆に、(2)「一人の母、二人の父(jah tinen, dua tamen)」であるという言い回しである。(1)は、その兄弟姉妹が、「父は同じで、母がちがう」ということであり、(2)は、その兄弟姉妹が、「母が同じで、父がちがう」ということを指し示す。

プナン社会は、そういった言い方が一般的になるまでに、男女双方が、「結婚」と「離婚」を、繰り返すのである。30歳代のN(男)はA(
Nの現在の妻)との間に8人の子どもがいるが、10歳代の半ばに、別の村からやってきた娘2人と「結婚」して、それぞれ一人、計2人の子をなしている。その10人の兄弟姉妹は、「一人の父、三人の母」による兄弟姉妹なのである。60歳代のJ(男)は、10人の女性との間に14人の子をなしている。14人の兄弟姉妹は、「一人の父、十人の母」の子どもたちである。それぞれの男性は、3回、10回「結婚」したということになる。

(写真は、6歳の少年が描いた性交の絵図)


ポーカカップ(夜這い)

2007年09月05日 19時55分38秒 | 性の人類学

プナン人の家々では、夜になると、部屋のなかに、いくつかの蚊帳(kulabu)が吊り下げられる。夫婦と小さな子どもたちは、ひとつの蚊帳のなかに眠る。10歳を越える年ごろになると、少年たちは、父母の蚊帳から出て、新しい蚊帳を吊って、少年たちだけで寝るようになる。娘たちも、またしかりである。

プナン人たちは、マラリア対策用に、衛生局によって蚊帳が配布される以前から、布を縫い合わせて、蚊帳をつくって、寒さ対策に用いていたという。ジャングルの夜は、思いのほか冷え込む。

ポーカカップ(pekakap)とは、男が、あらかじめ約束しておいた女の蚊帳のなかに忍び込むことを含む、「通い婚」のことである。蚊帳に入るさいに、中腰から這う格好になるという意味で、日本語の「夜這い」と、イメージ的には似ているのかもしれない。

ポーカカップは、プナン社会で、あらゆることが、ほぼそうであるように、とりわけ、初回から、女の家族たちは、その「事実」を知っている。なぜならば、男が、その日の昼間に、その家にやって来て、女を含む人たちと
談笑した後に、女は、その夜、その男がポーカカップにやって来ることを、なかば公然と承諾するからである。

日ごろ、その女と蚊帳を共にしている姉妹たちは、その夜は、父母やすでに結婚している兄弟姉妹たちの蚊帳のなかに入って、眠ることになる。 ポーカカップは、それがおこなわれる時点において、女の家族たちが、その一組の男女の性愛関係のなりゆきを、見守ることを含んでいるということができるのかもしれない。ポーカカップを繰り返すうちに、
やがて、その男女の間柄は、周辺に広く知られるものとなる。

プナン語に、<彼女>(あるいはガールフレンド)と<妻>の間の線引きはない。「結婚(peteu)」しているか、していないかにかかわらず、性的な関係にある相手は、男にとっては、ロゥドゥ(redu)であり、女にとっては、ラケ(lake)と呼ばれる。<わたしのロゥドゥ(redu kie>>、<わたしのラケ(lake kie)>は、その関係が公然化するにつれて、<彼のロゥドゥ(redu na)><彼女のラケ(lake na)>として知られるようになる。
くりかえしになるが、そのような呼称は、「結婚」しているか、していないのかにかかわらず用いられるのである。

プナンの「結婚」は、必ずしも、(結婚式や役所への届出などのような)儀礼によって、印づけられているわけではない。男から女へ、贈り物(指輪など)が送られることが(場合によっては、お披露目の会が)、どうやらあるようだが。

子どもができることは、「結婚」を印づけることになる。プナンの男女は、子どもが生まれると、お互いを、子どもの性別によって、「女の子のお父さん(tamen itung)」「女の子のお母さん(tinen itung)」(あるいは、「男の子のお父さん(teman uket)」「男の子のお母さん(tinen uket))
と呼ぶ)。そのことは、とりわけ、ポーカカップの結果、子どもができたときに、夫婦が結婚状態にあり、家族を持っていることを、自らに確認し、公に示すことになるのではないだろうか。

ところで、ふたたび、ポーカカップについて。いわゆる「結婚」する前の女は、<彼女のラケ>以外の男に、ポーカカップされてもよいとされる。いいかえれば、「結婚」前の女は、複数の男と性愛関係を持つことも可能である。ポーカカップする場合、男は、女が誰の<彼のロゥドゥ>であるのかを、たいていの場合知っているのであるが。
しかし、子どもができた場合、どうするのか?誰がいったい子どもの父親なのか?プナン社会では、<彼女のラケ>が、父親であるとされるようである。

ポーカカップと結婚の話が長くなりすぎた。ポーカカップを含めたプナン性行動の実際、性観念、ペニスピンなど
については、別の機会にしよう。

(写真は、15歳の少年が、ダンボールの箱に描いた性行動の絵図:"kunyi jin letok"=「お尻から」)