たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

Men, Thunder God, Animals

2008年04月29日 12時56分13秒 | エスノグラフィー

Some 500 Western Penan live along the upper reaches of the Belaga River in Kapit Division, Sarawak and are nowadays still heavily reliant on hunting for their living.   The Penan eat almost all creatures, both in the forest and the river, such as wild boar, deer, monkey, fish and so on.

In most cases, Penan hunters leave for hunting wordlessly, and then also return home silently if they obtain game animals.  On the other hand, if they return home without game, they murmur piah pesaba (angry words for animals).

The Penan usually say that people should butcher, cook and eat the meat as soon as possible after killing animals for food.    In general, their relations with animals are always as simple as this.

In contrast to such laid-back attitudes towards animals, the Penan pay great attention to treating (game) animals.  The Penan believe that playing with animals or treating them badly angers the Thunder God (balei gau), causing strong storms, heavy rain, flooding or human petrification, which are the most feared natural disaster for the Penan. 

With this in mind, the Penan usually strive to quell the Thunder God’s anger caused by human misconduct (penyalah) in terms of their mistreatment of animals, by invocating ritual phrases, if thunder and lightning appears in the sky.  They are likely to perform the migah langit (prayer for the sky) ritual.

What I would like to explore is the Penan relations with nature, and with animals in particular, by analyzing data concerning both their attitudes towards animals and their ritual behavior.

(A Penan man cooks a monkey)


精神を病むということがないということ

2008年04月26日 22時45分04秒 | 医療人類学

うつ病やパニック障害で悩んでいる人たちがいる。それは、心の問題ではなく、神経生化学的な問題であるともいう。投薬をすると、副作用があるとも聞く。こころの病いを抱えているという言い方をすることがあるが、その深い悩みや苦しみについては、わたし自身は、十分に知ることはできない。それらは、精神科で処方されるがゆえに、精神の問題ということができるのかもしれない。かつて、わたしが調査研究をしたカリス社会には、狂っている、精神病であるとされるような人たちがいた。それは、情緒不安定となり、突然暴れて人を傷つけたり、来る日も来る日も道に石を積み上げるというような、逸脱的な行動をする人たちであった。なかには、町の精神病院で処方してもらった人がいた。ところが、精神病の地球上の遍在の可能性という点から驚くべきことに、プナン社会には、そういった精神病、こころの病いを抱えているような人が存在しないのである。少なくとも、わたしはそういったプナン人に会ったことがない。西洋の精神科医が見て、精神病理であるとカテゴライズした「文化依存症候群」(ラター、アモック、北極ヒステリーなど)を除いて、近代以前の社会には、はたして、うつ病などの精神病理が、存在したのだろうか。おそらく、プナン社会のように、そのようなものが存在しないような社会というのは、数多かったのではないかと思われるが、たぶん、外来の観察者は、精神を病むことがないという、<非在>の状況には、目を向けなかったのではないかと思われる。では、プナン社会には、現在においても、なぜ精神を病むというようなことがないのであろうか。まず、精神病、こころの病いというようなタームがない、という点があげられるかもしれない。さらに、わたし自身の経験から言えば、プナン社会では、独りで思い悩み、進むべき道を考えあぐねるというようなことがない、できないという状況があるというのも、そのことに関わりがあるのかもしれない。のべつ誰かがわたしの傍にいるし、わたしのことを気にしている。いま、精神病を病むということがないということ、精神病の<非在>について考えるということは、医療人類学の盲点であったのかもしれないと思う。

(アレット川)


公開シンポジウム「セックスの人類学」

2008年04月25日 19時26分23秒 | 性の人類学

公開シンポジウム

セックスの人類学
動物行動学、霊長類学、文化人類学の成果


桜美林大学・国際学研究所 主催

桜美林大学・リベラルアーツ学群文化人類学専攻 共催


2008年6月28日(土)

桜美林大学町田キャンパス

A408教室

(明々館4階)


 桜美林大学・国際学研究所は、本年度2度に渡って、人類学をベースとして、人類の重要な課題である、セックスと宗教を取り上げ、公開シンポジウムを開催いたします。
 6月の公開シンポジウムでは、動物行動学、霊長類学、文化人類学をベースにして、セックスを取り上げます。この公開シンポジウムでは、人間を含む動物が行う性行動の、「グロテスク」なまでの記述を目指します。その意味で、このシンポジウムは、性行動の人類学、セックスの人類学のシンポジウムです。動物の、人間の性行動への肉迫とその描写。そのことが、哲学や歴史学などの思弁的な性研究からセックスの人類学を隔てるものです。
 さらに、動物の性行動は、もっぱら、人間によって表象・理解されますが、そのような「擬人主義」の問題に、従前とは異なる観点から挑みます。「交尾」と「性交」という従来の二分的な用語法を、実験的に放棄しようと思います。前者はもっぱら動物に対して、後者はもっぱら人間に対して用いられることが、問題含みだと考えるからです。セックスという共通の用語を用いることによって、動物と人間の性行動をつないだ上で、新たな性研究の可能性を示したいと考えています。

 この公開シンポジウムは、学者・研究者、性研究および人類学とその周辺領域の学者・研究者だけでなく、大学生・大学院生、さらには、当該領域に興味関心を抱く一般の方々に向けて、開かれたものです。

 どうぞ奮って、ご参加ください。

詳しくは、以下のホームページをご覧ください。

http://www.obirin.ac.jp/la/ant/sympo2008.html

(写真は、ペニスピンの模型をつけられて困り果てた様子のプナン人の男の子)



 


吹き出物、咳、腹痛

2008年04月21日 22時31分49秒 | 医療人類学

写真は、足にニキビというのか吹き出物が腫れて、歩くことができなくなって、しくしく泣いてばかりいるプナンの女の子(6~7歳)の処置をしたときの様子である。なんらかの原因で、菌が繁殖し、炎症を起こしたのだろうか。父親は、腫れた芯の部分を鍼でついて、膿を出した。プナンは、このような腫れた状態をバー(baa)と呼んでいる。今年の3月には、そのような症状の人たちが、わたしの周囲に、少なくとも4人はいた。顔、首、お尻、太腿など、それは、いろんなところに現れて、人びとを苦しめた。わたしは、ひそかに、彼らが、イノシシの脂身を大量に食べるので、このような症状が出るのではないかと思っているが、詳しいことは分からない。

Jは、夜な夜な、ひどい咳(miket)に悩まされていた。蚊帳のなかで、ゴホンゴホンと、咳が止まらない。痰をひんぱんに吐き、苦しそうだった。眠れないとも言った。わたしも、何度となく、咳の音に起こされた。昼間は、その症状はおさまり、彼は、いつも、短いときには、5分と間隔を明けずにタバコを吸った。市販のものではなくて、タバコの葉を枯葉に包んで、スパスパとやった。わたしは喉が痛くなって、とてもそれを吸うことができない。
プナン社会で、フィールドワークを始めたころ、咳をする人たちには、タバコを控えたほうがいいと忠告してきた。日本で、たいていそう考えられているように。しかし、わたしに耳を貸すようなプナンは、誰一人としていなかった。Jには、あまりに咳がひどいので、わたしは、タバコを吸うのをやめるように進言した。しかし、彼は、昼間にスパスパとタバコを吸うのを止めなかった。プナン人は、どうやら、タバコを吸うことが喉を痛めて、結果として、咳を治りにくくしているとは考えていないようなのである。

わたしが、腹が痛い(magee buri)とき、プナン人は、それならば、お前の持っている薬を飲めという。腹が痛い、下痢だと言っても、その後、米があれば、ふつうに、わたしに大盛りのごはんを給仕してくれる。だんだん分かってきたことは、
プナンは、腹が痛くても、いつものように、きっちりと食事をするということである。腹を空っぽにして、安静にしているというようなことは、どうやら思いもつかないらしい。下痢のときにでも、しっかりと、ごはんやサゴデンプンを食べる。そうすることで、腹痛はしだいに治ると考えているようである。実際、そのようにして、プナン人たちは、腹痛を治しているようである。腹が減ったときに食べていれば、腹痛や下痢などは治ってしまうということなのだろうか。

もう一度、このあたりから、医療と文化について、考えてみなければならないのかもしれない。それは、医療人類学の出発点なのかもしれないと思う。


吹き矢という狩猟具

2008年04月20日 21時31分47秒 | 人間と動物

猟犬に襲われたイノシシを、ハンターが山刀(malat)で叩き殺すのを見たことがある。猟犬をつかった狩猟の場合、吹き矢(keleput)の先の鉄製の槍(ujep)で、止めを刺す。そのようにして、獲物に接近した場合、吹き矢の先についている槍で殺す。それに対して、通常、獲物との距離がある場合、吹き矢を吹き、矢を飛ばして、獲物を射る。それが、プナンの標準的な狩猟法である。地上40メートルほどのところにいるサル類を射るのにも、地上のイノシシやシカなどを狙うのにも、吹き矢が使われる。矢(taat)には、一般に、植物毒(ipoh)が塗られる(写真参照)。イノシシ猟では、植物毒とヘビの毒など、5種類の毒(tajem)を混ぜた毒矢が使われる(belat)。カールトン・スティーヴンズ・クーンの『世界の狩猟民』(法政大学出版局)という新刊書を読んでいる。道具としては、棍棒、槍、投槍器、弓矢および毒矢、囮などを用いる狩猟民のさまざまな狩猟法が紹介されているが、残念ながら、プナンが用いるような吹き矢猟については記述がない。ボルネオの先住民のなかで、吹き矢を用いるのは、プナンだけではないだろうか。他の焼畑民たちは、猟犬を用いて、槍で獲物を狩ってきたのではないだろうか。現在、プナン以外の周辺の焼畑民は、銃をもって猟に行くのがふつうである。プナンには、神話で語られるように、最初、吹き矢があって、犬がいなかったと考えられる。いずれにせよ、吹き矢は、ボルネオの狩猟民の特徴的な狩猟具である。吹き矢があれば、猟犬がいなくても、獲物を狩ることができる。いったいどのようにして、プナンは、槍が先に付いた、このユニークな吹き矢という道具を手に入れたのであろうか。


動物と人間が溶け合う世界から

2008年04月19日 09時12分34秒 | 人間と動物

動物と人間の間にある、わたしたち日本人、現代人が沈み込んでいる空間。それは、<隔たり>であるとか、<無関係>、<切れている>というような語彙で、一般には、言い表せるのではないだろうか。人は、わたしたちが日々の糧としている動物と直接的に向き合うことはない。それらの命を奪い、自らが生きのびている、生きのばされているという実感を、もつことはほとんどない。そういったきわめて二項的な、動物と人間の関係を、人間の一部は、築き上げてきた。その意味で、動物園の動物は、鑑賞対象として、人間にとってあちら側のそれであるし、ペットは、人間の一部なのである。

そういったことは、動物と人間がまだまだ溶け合って暮らしている、あるいは、動物と人間がそれぞれの一応の領域に相互侵入することで成り立っているとでもいうような世界に身を置くことによって、ひしひしと感じられることなのである。狩猟キャンプに、食べ物を探してやってくる野ねずみ、無数の虫たち、ざわざわっという音がして、ふと見上げると、サルが来ている。プナン人たちの日常の一部でありつづける動物たちは、数々の神話譚のなかで、人のような振る舞いをして失敗して、人に範を垂れる。

プナン人は、どうやら、動物と人間は対等であると考えているようなのである。彼らは、「ポニャラー(penyalah)」という「まちがい」を、動物も人間も、等しく犯すとしている。犬やヘビが人間を噛む。これは「まちがい」であり、そのことによって、犬やヘビは、人間に叩かれても、殺されてもしかたないと考える。それと同じような意味において、人間が、動物をさいなんだり、動物と戯れたりすることは、「まちがい」であるとされる。その場合、動物が直接的に人間にその報いを与えるのではなくて、動物に代わって、雷神が、人間に対して、罰を与える。雷神は怒って、天空に雷を轟かせ、雷雨で大水を引き起こし、人を水に流す。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/05bc7e056e5df09098d635e879017001
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/dfeb92626cc047509bb42c98387e130f
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/27506f422f29e1a3e5f3c16f56bdedb7
(以前書いたいくつかのエッセイには、微修正が必要である)


このことから、プナン人にとって、動物と人間の関係については、以下のように言うことができる。動物をいじめてはならない、動物と戯れてはならない、というタブーは、動物と人間の間の接触を禁じ、動物と人間の間に<隔たり>や<無関係>をつくり出し、確認するためのものではない。むしろ、それは、動物と人間が溶け合って暮らす日常のなかで、両者の対称性、対等性をベースにして築き上げられた、人間が「まちがい」を犯さないための行動規範のようなものなのであると。仮説であるが。

(写真は、サルの頭の丸焼き)


吹き矢と銃

2008年04月18日 22時28分07秒 | 人間と動物

おそらくこういうことのなのだろうと思う。
吹き矢(keleput)を使った猟は、根気がいる。
他方、20年ほど前にプナン社会にもたらされた
銃(serepan)は、獲物を一発でしとめることができる。

あるプナン人の狩猟者に銃弾の持ち合わせがなくなり、彼は、しかたなく吹き矢を持って猟に出かけた。彼は、ジャングルのなかに入り、
樹上にいるサイチョウに狙いを定めて、それに矢を放った。しかし、矢に塗った毒は、すぐに鳥の身体には行き渡ることはない。サイチョウは、矢を受けた後、すぐに飛び立った。狩猟者は、サイチョウがやがて、毒が全身に回って地上に落ちるのを確信しながら、ジャングルのなかを執拗に、サイチョウを追った。狩猟者は、追跡者となった。1時間くらい経ったころ、ようやくサイチョウは、地上に落ちてきたのだという。ハンターは、毒死したそのサイチョウを持ち帰ってきた(写真参照)。吹き矢を用いた猟は、じつに手間がかかる。


人獣科研のスタートにあたって

2008年04月17日 22時14分06秒 | 人間と動物

 「人間と動物の関係をめぐる比較民族誌研究」という科研費研究(通称:人獣科研)をスタートさせることができる。この研究は、わたしが、2006年度一年間、(元)狩猟民プナン人たちと暮らすなかで、輪郭をつかむことができるようになったテーマを核としている。フィールドワークに行かなければ、わたしは、このテーマを発見できないでいたであろう。あらかじめテーマがあるのではなく、フィールドワークがテーマを与えてくれるところに、文化人類学のフィールドワークのすごさがあるのではないだろうか。

 そのことはさておき、エトースをこそ、起源・根源をこそ問い尋ねるべきだというわたしの当初の主張に対して、変化という時間軸を取り入れるべきだというメンバーの意見を取り入れながら、申請書の作文をしたことを覚えている。その意味で、メンバー(研究分担者)の協力に、ひじょうに多くを負っている。メンバーの一人は、政治経済系の人類学の研究が多いなかで、近年には珍しいクラッシックなテーマ(どっしりとした文化人類学?)であったことが、審査通過によかったのではないかと分析した。同感であるし、その点を目指している。考えてみれば、この領域に関して、研究代表者であるわたしとほとんどの研究分担者は、業績ゼロである。その意味で、よく通ったものだと驚いている。

 また、このような調査研究から、いったい何が見通すことができるのか、という新たな問題提起も、すでにメンバー内部から提起されていて、申請書の粗描のレベルを超えて、
そのことが真に意義あるかたちで提起されれば、今後、メンバー間の緊張関係をもって、この領域に対して、調査研究をスタートさせることができるのではないかと考えている。6名のメンバーの調査研究のパワーに期待するとともに、申請段階での以下の文言が、今後の研究によって、データを伴って、大幅に書き換えられてゆくことを願いつつ、申請書のさわりの部分を、以下に掲載しておきたい。

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 本研究は、地球上の幾つかの生業を異にする社会(狩猟民、牧畜民、農耕民)を取り上げて、文化人類学的な参与観察とインタヴューを組み合わせた調査手法をつうじて、人間が動物をコスモロジカルにどのように表象し、感覚器官を用いてどのように動物に接しているのかに関して、人びとの実践と語りの両面において実証的に解明し、開発やグローバル化による商品経済の浸透によって、それらの関係がどのように変容しつつあるのかの地域偏差を視野に収めながら、そのような諸地域からの民族誌の成果を比較することをつうじて、人間と動物をめぐる関係について考察することを目的とする。

研究の全体構想
 人類は、周囲の自然環境における多様な生物資源を利用して生き延びてきた。動物は家畜化され、屠畜され、人類は、やがて食糧を安定的に手に入れるようになった。そのプロセスは、その後、商品経済へと組み入れられ、動物は飼育・屠畜され、食肉加工されて食卓へと運ばれる。人類は、自然界のたんなる一員からそれを支配する存在として自らを位置づけるようになり、知識と技術を用いて、スポーツ狩猟、毛皮交易、動物実験や見世物および観察の対象として、動物を取り扱うようになった。20世紀後半には、人間に残酷な扱いを受ける動物に対して哀れみを感じた人たちは、動物にも本性に従って生きる権利があるとするアニマル・ライツを唱え始めた。

 人間は、生活資源としての動物に対して、動物の生殺与奪の権利を手に入れたのである。そのようなヒト中心主義的な動物観は、今日、グローバル化による生物資源の世界的な需要の高まりとも相俟って、地球上の各地で、人間と動物の間に、様々な現実的課題を生み出している。

 他方、人間の利益を優先している点で同じくヒト中心主義的ではあるが、自然や動物に対する畏怖に支えられて、「人間の非人間的世界への比喩的投影による拡大認知」という特徴をもつ、人間の動物への態度のモデルがある(川田順造「ヒト中心主義を問い直す」、2004)。それは、ふつうは、人間の生存のための動物の殺害という撞着を身に受けながら、自然を擬人化したり、動物との交渉を行ったりするような宗教や儀礼、生業実践などとして現れるものである。

 文化人類学は、これまで、そうした自然観・動物観の記述と解明に努めてきた。それだけでなく、人間と自然の関係を、人間の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)の観点から取り上げてきた。本研究では、(1)人間のコスモロジカルな動物との関わり、(2)感覚をつうじた動物との関わりや動物への態度などを記述考察し、グローバリゼーションに伴うその関係のあり方の変容を視野に入れて、人間と動物の関係のあり方に関して、比較民族誌的な調査研究を進める。

①-1.研究の学術的背景

 周囲の自然を相手に人間がどのように暮らしてきたのかについては、生態人類学による研究蓄積がある。池谷は、カラハリのサン社会では、食糧獲得のための狩猟から、肉や毛皮を販売するための商業狩猟へと移行しつつあることを明らかにした(池谷和信『国家のなかでの狩猟採集民』、2002)。秋道は、中国とラオスの少数民族社会で、野鶏が、食糧として重んじられる一方で、焼畑民社会では害鳥とされていることを明らかにした(秋道智彌「変貌する森林と野鶏」、2005)。

 そのような研究に対して、文化人類学は、これまで、人間が動物をコスモロジカルにどのように表象するのかに着目して、人間と動物の関係を取り上げてきた。レヴィ=ストロースは『野生の思考』のなかで、人間が、動物と親密な関係をもって世界を組み立て、命名することで、自然にとりまかれ、交渉しながら、暮らしていることを明らかにした。ダグラスは、レレ社会の豊穣多産を祈願する儀礼で、センザンコウが多用される理由を考察し、それが、分類体系から逸脱する変則的な動物であるがゆえに、「神秘的な力=生殖力」を与える象徴とされていることを明らかにした(ダグラス『汚穢と禁忌』、1972)。国内では、動物をめぐる文化の諸相についての研究成果が公表されてきている(国立歴史民俗博物館編『動物と人間の文化誌』吉川弘文館、1997)。

 文化人類学はまた、感覚の民族誌研究において、人間と動物の関係へと接近してきた。匂いを世界の中心に位置づけるアンダマン島民は、身体に粘土を塗って匂いの発散を防いで狩猟に出かける。生きている動物に仲間の殺害を知らせないために、捕獲した動物から匂いを奪った後に殺害する(Pandya, Vishvajit Above the Forest. 1993)。サラワクのプナン社会では、神のお告げとして、鳥の声の聞きなしが盛んに行なわれてきた(卜田隆嗣『声の力』、1996)。さらに、居住空間の内外に家畜などがどのように配置され、人間集団とどのような関係にあるのかについても取り上げてきた(佐藤浩司編『住まいにつどう』、1999)。

 本研究は、この領域をリードしてきた生態人類学の研究に対して、理論的には、コスモロジーと感覚に関する研究蓄積をベースとして、手法的には、人びとの実践と言説の両面に重視する文化人類学の観点から、人間と動物の関係をめぐる調査研究を前進させることを目指している。

①-2.着想に至った経緯

 研究代表者は、これまで、先住民の自然環境認識をめぐる二つの科研費研究に研究分担者として参加し、さらには、2006年度の一年間の学外研修をつうじて、マレーシア・サラワクの(元)狩猟民・プナンの現地調査を進めてきた。それらの研究をつうじて、プナン社会における人間と動物との関係に気づくようになった。

 プナンにとって、雷雨や大水は、つねに、人間の動物に対する不道徳な振舞いの結果とされる。それらは、人間が動物をからかったり、さいなんだりしたために、雷神からの天罰として起きたと考えられる。そのため、動物をいじめてはいけないという強い禁忌がある。動物に対するプナンの態度は、周囲の森林伐採が進められ、生態系だけでなく暮らしが変化した今日でも、ほとんど変わりがない。プナン人の禁忌の実践は、人間と動物の間の対称的な関係を保持するように働いている。さらに、プナンは、神の声として、日々、鳥の声の聞きなしを行っている。そのような聴覚を活用した日常の暮らしに加えて、動物の習性を熟知した上で狩猟を行う。ハンターたちは、どの動物が嗅覚に優れ、どの動物が嗅覚で劣っているのかに関して熟知している。

 そうした現地調査研究を踏まえて、研究代表者は、他地域で調査研究を行ってきた文化人類学者と意見交換するなかで、人間が動物を含む自然とどのような関係を切り結んでいる(きた)のかについて、コスモロジーと感覚という視点を手がかりとして、地域の文脈から得られたデータを比較検討し、人間と動物の関係を再検討するという、本研究の基本枠組みを構想するに至った。

②研究期間内に何をどこまで明らかにするか

 生業を異にする幾つかの社会を取り上げて、それらの社会における人間と動物の関係の諸相に関して調査研究を進める。人間は、神話や昔話のなかで、動物をどのようなものとして捉えてきたのか。宗教実践や儀礼、禁忌などをつうじて、動物にどのように向き合ってきたのか。生業との関わりにおいて、動物はどのような存在として扱われるのか。さらには、感覚をつうじた動物との接触、生活空間での配置などについても明らかにする。また、開発や商業的な森林伐採などによる自然・社会環境の変化によって、住民と動物たちとの関係はどのように変わったのか。商品経済の浸透によって、人びとは、周辺の動物とどのように新たな関係を築いているのか。そうした人間と動物の関係の諸相の現在に関しても明らかにする。その後、各地での研究成果を比較検討して、現代社会の人間と動物をめぐる関係について、新たな見方・捉え方を提示する。

③当該分野における本研究の学術的な特色・独創性

 地球環境問題や人間と自然の共生の研究と枠組設定は、今日、諸科学が総力を投じて取り組んでいる最重要課題の一つである。生態人類学は、そのような課題に正面から取り組んできた。それに対して、本研究では、コスモロジーと感覚という文化人類学の強みを拠り所として、人間と自然(動物)の関係をめぐる関係に光をあてる。その点に、本研究の学術的な特色がある。 

 生活資源としての動物は商品経済のなかに組み込まれ、今日、至る所で、ヒト中心に組織された世界のあり方に対する疑念が噴き出している。ヒト中心主義を問い直すことに触れて川田が述べるように、「自然と人間をめぐって、認識論の根本にまでさかのぼる検討をすることが、さまざまなものが限界ないし爆発寸前のところまでさしかかっている人類の今後を考える上で、大切なことである」(前掲書)。本研究では、コスモロジーや感覚の面から、比較民族誌的な考察を行うことにより、ヒト中心主義的な観点から構成されている現代世界の人間と動物の関係について、新たな捉え方を提示し、問題解決の枠組みを提示する。その点に、本研究の今日的な意義がある。

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 以上、科研費基盤研究(B)(海外学術調査)(平成20年度~24年度)「人間と動物をめぐる比較民族誌研究:コスモロジーと感覚からの接近」(研究代表者:奥野克巳)の研究計画調書より抜粋。 

(写真は、吹き矢を吹くプナン)


箸で食べるのが先か、手で食べるのが先か?

2008年04月09日 22時45分44秒 | フィールドワーク

帰国して1週間も経たないのに、わたしのこのどっぷりと日本社会に漬かってしまった感覚は、いったいどうしたものだろうか。学生へのオリエンテーション、履修指導だけでなく、会議、打ち合わせ、相談、さらには、課題、解決しなければならない問題が、次から次へと押し寄せてくる。終わったと思ったら、次の仕事。さらには、次の問題。机の上には、どんどんと後回しにした仕事が、貯まっていく。日本の平均的な大学の教員は、いまごろ、どこでも同じような状況なのだろうけれども。

プナンで暮らしたつい先ごろの日々が、過去の出来事のようにボ~ッとして、遠ざかっていく。いかん、虚学者=人類学の研究者として、せめて、一日に10分くらいでも、フィールドのことを反芻して、考えてみなければ。と思って、思いつくままに。

いったいヒトは、いつごろから、ものを食べるときに、箸やスプーン、フォークなどの道具を用いるようになったのだろうか。道具を用いるようになった初期人類が、道具を使わないでものを食べていた、のではないということは、断言できないのではないだろうか。つまり、ものを食べるときに、道具を使い始めたのではないだろうか。
ちろん、何を食べるのかにもよるが。そのあたり、考古学がどういう資料を持っているのか、わたしは、まったく知らないのであるが。

現代の狩猟民であるプナンは、飴状のサゴデンプンを食べるときに、箸様のピット(pit)を用いる。ピットは、木で作った箸であるが、二本の片端に穴を開けて、二本の木が紐でつながれているものである。彼らは、いまから30年ほど前に、米を食べるようになった。それ以後、プナン人は、ごはんを、スプーンを使って食べている。ごはんを食べるとき、ボルネオの先住民がそうするように、手で食べるということはない。必ず、スプーンを用いるのだ。これは、ものを食べるときには、それをすくい上げる道具を用いるということを習慣化してきた、身体化してきたということを示しているのではないだろうか。

ということは、仮に、東南アジアの狩猟民がサゴデンプンを主食として、箸のようなものを用いて食べるという行為を行っていたのだとすると、焼畑民は、それを継承して、道具を用いて、米を食べるようになったとしても、けっして、おかしくはなかったように思われる。しかし、実際には、東南アジアの焼畑民は、とりわけ、ボルネオ島の焼畑稲作民は、おおむね、手でごはんを食べている。焼畑民だけではない。水田稲作民も同様である。
これはどういうことなのだろうか。東南アジアの遠い農耕民の祖先たちは、道具を捨てて、あえて、手で食べるようになったのではないだろうか。ごはんを味わうだけでなく、ごはんの熱さを感じ、ごはんに触れることを愉しむようになったのかもしれない。

つまり、仮説としては、道具を用いてものを食べていた人たちが、米を食べるようになって、道具を捨てて、手で食べるようになったということである。ぜ
んぜん実証性のない仮説であるが。だとすれば、手で食べることは、ぜんぜん「野蛮」ではないことになる。

(写真は、ピットを用いて、飴状のサゴデンプンを食べるプナン人たち)


夕焼けに唱える

2008年04月08日 22時43分40秒 | フィールドワーク

「夕焼けの翌日は晴れ」という日本語の言い回しがある。それに対して、プナン人は、夕焼けは、雷神の怒りに徴だという。誰かがそこかで、動物をさいなんだり、動物と戯れたりしたのである。その怒りは、やがて、空全体に広がって、長雨をもたらすという。つまり、プナン人にとって、「夕焼けは長雨」なのである。

プナンは、長雨にならないために、唱え言をする。 その唱えごとを、プナン人たちは、ティバイのことば(piah tivai)と読んでいる。日ごろ、ほとんど儀礼のようなものをしないプナン人。儀礼は、雨や嵐、雷など、彼らにとっての脅威というべきものに対するものに、集中している。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/27506f422f29e1a3e5f3c16f56bdedb7

イノシシ、マメジカ、サル・・・などを料理するために焼いたかまどの木の灰には、不思議な力(=呪力)があると、プナン人はいう。それを夕焼けに向かって投げつけながら、おおよそ以下のように大きな声で唱える。

ia peseu telauu medok kevok     マメジカ、サル、ワニの心臓
menye menenok          灰に願う
medok kevok           サル、ワニ
tae menabah menyelah       行って(空を)白くしておくれ  
maneu e mebang ngajelen utih   (空を)白く染めておくれ
ngejami putih           白くする  
mgejami abun balo ineh       夕焼けを白くしておくれ
dae ju manue liwen uven      嵐を起こさないように
dae maneu tee unye        やがて雨になる
kau liba selah ia           夕焼けを消滅させておくれ

するとどうだろう、夕焼けは空全体に広がることなく、いつであっても、しだいに、消えてなくなってしまうのである。

(写真は、夕焼け空がないので、空一面に広がる雨雲)


生きるために生きる

2008年04月07日 22時20分10秒 | フィールドワーク

朝起きる。考えるのは、今日のオリエンテーションの仕事のことだ。その前に、午前中にしなければならない数々の仕事。あ、そうだ、あれを忘れている。えっと、どういうことだっけ・・・テーブルの上に、食事を並べて、朝食を取って、さあ、オフィスに出かけよう。そのような、わたしたちの日常。 思い起こすのは、これとは対照的なプナンの日常のこと。

朝起きる。考えるのは、今日の一回目の食事は、何を食べるのか、というようなこと。米はまだある。おかずがない。どうしよう。川の水は、ずいぶん減ったようだ。投網でもして魚を取りにいくか、あるいは、5リンギットあれば、店に行って即席ラーメン5袋が買える。金はある。とりあえずラーメンで腹ごしらえをして、獲物を取りに行くのは、それからにしよう。5袋あれば、家族全員が食べるのには十分だ。

わたしたちの日常とプナンの日常には、そうとうに、大きな開きがある。わたしたちは、何かの目標を持って生きている。いいかえれば、何かの仕事に従事して、そこに生きがいや目標を見出して生きている。最終的には、そのことによって、生きるため、暮らすために、金を稼いでくることになる。ある意味で、生きるために食べてゆかなければならないということを、屈折させている。

そのことは、プナンの生き方に照らしてみれば、よりいっそうはっきりする。彼らは、生きるために、食べるのである。食べものを探すことからはじめて、日常のほとんどを費やす。食べ物を手に入れることは、人びとにとって、この上なく大切な事柄である。生きることと食べることが分離していないという意味で、彼らは、生きるために生きている、とでもいうことができるのではないだろうか。

それは、ある学問のために生きるであるとか、発明のために生きるであるとか、ある女のために生きるであるとか、世の中をよくするために生きるであるとか、貧困を撲滅するために生きるであるとか、地球環境を守ることに命を懸けるであるとか、そういった言い回しを用いて、生きる意味を見出した上で生きることとは、根本的に異なる生き方である。プナンは、そういった言い回しを、ほとんどしない。そういう生き方のあることを、ほとんど想像しない。その意味で、生きるために生きている。生きるためには、食べなければならないというテーマがあるのみ。

わたしたちが、目標を設定して生きることを自らに課して生きるている、ということを、プナン的な生き方、暮らし方は、わたしたちに教えてくれる。上述したわたしたちの生き方、暮らし方が<悪>で、プナン的な生き方が<善>であるというようなことを、言いたいのではない。わたしたちは、外部に出られないような日常に暮らしているのではなく、他者をつうじて、
外部に出るような通路を持っているということを確認したいだけである。プナン流の暮らしは、わたしたちの生き方が抱える根源的な課題に解決の光を与えてくれるという意味で、「未開から学ぶ」ことは、まだまだたくさんある。

(写真は、吹き矢でしとめたリスの丸焼き。ほとんど食べるものがないときには、こんな小動物でも獲って、腹を膨らませるしかない)


学校って何なのか?

2008年04月06日 21時45分13秒 | フィールドワーク

一ヶ月の不在の間に、研究室のメールボックスに入りきらないであふれ出た、新学期のガイダンス用の資料。わたしが所属しているリベラルアーツ学群には、今年も1000人以上の学生が入学するらしい。明日からのオリエンテーションに向けて、解説しなければならないこともあって、今日は、資料を読んで予習をしたが、履修の細々とした点については、複雑で、何だかわからないところが多々ある。まあ、しゃーない、と思いつつ、教育とは何か、という、やや根源的なテーマに思いをめぐらせた。というのは、3月のプナン社会滞在時に、印象的なある事件、というほどではないが、出来事があったからである。

「貧乏な生徒に対する資金の回収(Kumpulan Wang Amanah Pelajar Miskin)」と名づけられた、マレーシア政府による教育資金援助プログラムの、各貧困家庭に対する資金割り当てが、3月末に、ちょうどわたしの調査地域で、実施された。そのプログラムは、2006年度から開始されたという。わたしの調査地域では、プナン人の家庭は、すべて、貧困家庭であり、そのプログラムの対象になっている。すでにお金を受け取った他の河川流域に住むプナンから、今年は、一生徒あたり、一年間に900リンギット(30000円弱)のお金が降りるとの情報が伝わってきていた。それは、じつは、毎年同額で、わたしの調査地のプナンの記憶では、毎年の資金貸与は、そんなに大きなものではなかった。せいぜい、一人当たり300であるとか350であったということが、3月の初め頃から、問題となっていた。900リンギットから300ないしは350を引いたその差額は、小学校の先生たちが飲み食いに使ったのだ、小学校の先生というのはとんでもない奴らだという噂が、いたるところで、囁かれていた。

お金の配布当日、わたしは、小学校に行った。集会の場に入ることは許されなかったが、場外から、小学校校長によるマレー語での説明を聞いた。彼は、おおむね以下のようなことを、集めた生徒の父母の前で話した。マレーシアでもインドネシアでも、小学校教育は義務である。インドネシアはそのことに責任を持たないので、貧乏な家庭の子どもは学校に行けないが、マレーシアはちがう。マレーシアでは、政府の責任で、貧困な家庭にも資金援助して、貧乏な生徒に対しても、学校に行く機会を与えている。これはすばらしいことだ。その意味での義務であり、子どもの親は、学齢期の子どもを学校に連れてくる義務がある。1月から3月までの間、1年生から6年生まで、何日も学校を休んだ生徒がいる。Aは、連続して○○日、Bは、○○日・・・どうして、こんなに休んだのか。親には、学校に子どもを連れてくる義務があるのに。さて、しっかり学校に出席していた生徒の家庭には、ひとりあたり450リンギットお渡しする。子どもの教育のために使ってもらいたい・・・

わたしが最初にこの地を訪れた2006年の4月よりも、この2年で、この地のプナン人たちは、子どもを学校に送り込むことに熱心になったように感じる。学校から遠くに離れた場所に家がある生徒の親たちは、学校のそばに小屋を立てて、授業期間には、そこに寝泊りするようになっている。2006年には、小学校に通っていなかった生徒が、今年から何人か、学校に通うようになったようである。そうしたかたちで、一気に、プナン人の教育熱が高まっているように思える。それは、すべて、資金援助をもらえるからという理由からではないにせよ、なんらかのかたちで、「貧乏な生徒に対する資金の回収」が、少なからぬ役割を果たしているように、わたしには思える。彼らは、援助金がもらえる、もらえないということを、3月をとおして、集まると、大きな話題としていたし、配布当日は、朝早くから、食べ物・飲み物持参で、多くの親たちが学校に集ったからである。

しかし、明らかに、学校側というか、政府側の対応は、必ずしも、プナン人の期待したとおりのものではなかった。授業への出席率が高いか低いかによって、資金援助をするかしないかを決め、あるいは、保留したからである。自分の息子・娘の名前がない、つまり、欠席が多かった子息の父母のなかには、名簿に子どもの名前が書かれてないことを不信に思いつつ、怒って、途中で帰ってしまったものもあった。彼らは、おかしい、学校の先生が飲み食いに使ったにちがいない、政府に訴えて、小学校の先生をやめさせよう、と述べ合っていた。わたしには、プナン人にとって、すべてのメンバーに等しく与えるのではない、そうした「平等」ではないやりかたは、理解に苦しむやりかたであるように思える。あるならば、みなに与えるということを、原則としているからである。「けちはいけない(amai ibah)」。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/849200fc14da2754947a71676aec8a2d

この出来事が、プナン社会のなかで、どのように解決したのかを見届けることはできなかった。今夏に、その結末については問いたずねることにしたい。この出来事をとおして、わたしが気になるのは、教育とはいったい何かという問いである。何ゆえに、政府は、プナンを含めて、それほどまで、親たちを「金で吊りながら」、子どもたちを学校へと向かわせようとするのだろうか。金を与える機会を利用して、親にこそ、子どもたちを学校へ送り込む義務があるのだ、そして、それができなければ、資金援助はまかりならんとまで主張して。文字、ことば、数字、計算、国家・・・などについて教え、それを体得した人を生み出すことで、標準的な国民を創出するために?わたしには、プナンの父母を集めて話をした小学校の校長の、学校に来ない児童に対する態度姿勢は、かなり強引であるように思えた。かつて、国民に教育が開始された頃の日本も、そのようなものであったのだろうか、とも思う。

学校の基本的な態度とプナン人の態度は、今のところ、基本的に噛み合っていないように、わたしには思える。わたしには、プナン人にとって大きな問題は、若者たち、とりわけ、20歳代、10歳代の若い世代が、狩猟に興味を示さないだけでなく、狩猟をしようとはしないことにあるように、つねづね思っていた。現在のハンターの中心は、40歳代である。彼らは、今日、ジャングルに分け入り、油ヤシのプランテーションでイノシシなどをしとめて、木材伐採キャンプなどで売って、現金獲得をしている。わたしは、何度か、若者が狩猟に興味を示さないこと、今後、狩猟を中心とした暮らしが無くなることに危惧を覚えることを明らかにしつつ、現役のハンターたちの反応を探ってみたが、驚いたことには、誰もが、若者たちの狩猟離れというべきものを、特段気にかけていないことであった。「(若者は)おそらく(動物が)怖いのだろう(mukin medai)」というやや紋切り型の答え。そのような言い回しは、プナン人たちが、将来に向けて、向上心をもって、何かをコツコツとやっていくような人たちではない、ということを示しているのではないだろうか。いまを生きることを願い、目指している。それなのである。

その意味で、つねに上を目指して努力することを要求する学校教育は、プナン人の暮らしにフィットしない。いや、教育の思惑は、近代的な論理を、彼らの暮らしのなかに注入し、向上を目指すような人格を築き上げることなのであろうか?わたしの調査地のプナン人たちは、自らの暮らしではない何かへの想像力と実践を著しくもたない人たちである。都市で働いたり、故郷を離れて遠くで暮らすことを、ゆめゆめ思わない人たちなのである。
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何がいいたいのか。

プナンのやりかたをベースにして、学校について、教育について考えてみたいということである。プナン人のように、学校が行っても行かなくてもいいような社会空間では、これまで、<登校拒否><いじめ><校内暴力><引きこもり><非行><自殺>などの問題は顕在化してこなかった。行きたくなければ、行かなくてもいいのである。しかし、現代日本社会では、行かなくてもいいということで済むことはありえない。脱落者として、社会的に不適合な人間であるとしてカテゴライズされ、それゆえに、将来の進路選択の幅が狭められるからである。したがって、学校教育をあくまでもベースにして、オルタナティブ(例えば、ちがうタイプの教育、学校に行く)を目指すという解決に向かう。しかし、である。プナン社会では、これまでは、学校教育をベースとすることを自明とするのとは、ちがっていた。学校に行っても行かなくても、よかったのである。それは、個人(子ども)の意志いかんであった。ところが、そのようなやり方が、いま、変えられようとしているのかもしれない。

自分たちの生き方をベースにして、結果的に、学校教育に、国家に抗っているかのように見えるプナンのやり方を、どちらかというと、わたしは好んでいる。わたしたちのやり方が唯一絶対のものではないことを、別のやり方があることを示してくれるからである。

(写真は、ジャングルとプナン人ハンター)


プナンはほんとうに反省しない人びとなのか

2008年04月05日 09時35分39秒 | フィールドワーク

帰国すると、前学期の学生による授業評価アンケートの集計結果が届いていた。反省。フィールドワーク中に、学務をめぐるある問題が起こっていた。反省・・・わたしは、どうやら、日々、反省するように動機づけられている。

そのようなことを考え始めたのは、プナン社会で、フィールドワークを始めてからである。これまでにも、プナン人が反省しないことについて、考えてきた。プナンを見ていると、わたし自身、反省しないで日々を送ることができるように思えるのだが、日本社会では、そのことはそうとうに難しいことでもある。なんとか裏技のようなものがないだろうかとも思っている。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/26f5c27e89858f8af955c6f09580fe39
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/ca9f70b3fb4058dc8255a6ac05dc82df

プナンはほんとうに反省しない人びとなのか。少なくとも、しばらく暮らすと、そういうふうに見えてくる。今回は、そのことを、言語の面から少し考えてみたいと思う。

狩猟キャンプで、懐中電灯の電池の容量がなくなった。ある昼下がり、わたしとJは、近くを通りかかったクニャー人の男性Tの車で、20分ほど離れたところにある雑貨店にまで送り届けてもらった。Tの車のエンジンの調子が悪い。Tは、少し車を動かして、もし調子が回復したら、狩猟キャンプまでわれわれを送り届けてあげると言って、車を発進させた。

わたしとJは、買い物を終えて、ロギングロードの道端で、Tが来るのを待った。ちょうどそのときぽつぽつと雨が降り始めた。雲行きを見ると、どうやら、雨は長引きそうである。雨が長引くと、ロギングロードはぬかるんで、わたしたちを乗せてくれるような四輪駆動車、木材運搬車は通らなくなる。

遠くのほうから、Tが、わたしとJのほうに向かって歩いてきた。どうやら、車を置いたままで、車の調子はよくないことをわれわれに伝えに来るようである。ちょうどそのとき、便乗者のいない木材運搬車が、Tがやって来る方向から、
われわれに近づいてきた。わたしは、それに乗って帰ればラッキーだと思ったが、同時に、Tも近くまで歩いてきている。Jの判断に任せることにした。

結局、木材運搬車を見逃して、Tの説明を聞いた。Tは、案の定、車の調子が悪く、われわれを送り届けることができないと言った。それから、2時間以上にわたって、雨は降り続いた。結局、雨が止んでから、その日は、それ以上車の通行はないと見込んで、わたしとJは、狩猟キャンプまで、夕暮れの道を、とぼとぼと2時間近くかけて歩いて戻った。

わたしは悔やんでいた。雨が降り出し、Tが歩いてきたときに、車はもう来ないと予想していたにもかかわらず、どうして、木材運搬車に便乗させてもらわなかったのだろうか、と。同行者のJは、いっこうにそのことを気にしている様子はなかった。しかし、単純な疑問から、わたしは、Jに、そういうとき、どういう言い方をするのかと問うてみた。彼は、bera ということばを使うと言った。

Bera iyeng maau ia tua nii.
われわれは、さっき、彼についていかなかったのを残念に思う。

bera とは、プナン語で、「残念に思う」「後悔する」という意味のことばである。Jにそのことを教えてもらったすぐ後に、わたしは、以下のように、わたしの思いを伝えた。

Ateklan tae alee na nii sukat mulie.
さっき、それ(木材運搬車)に乗るべきだった、そうすれば帰れたのに。


Jは、頷いた。

ここからは、わたしの推測を含めた勝手な思考であるが、出来事を悔いたり、やり方について思い悩んだりする、
こういうやりとりは、ふつうは、プナン人同士ではしないように思われる。ある出来事の未達成やまちがいを残念であった、悔やんでいると述べるようなことは、それでも、たまにあるように思う。しかし、「~しなければならない/~しなければならなかった(ateklan)」という言い方をすることは、ほとんどないように思われる。

言い換えれば、プナン人たちは、「後悔」「残念」という感情をもつけれども、「~しなければならなかった」「~したほうがよかった」などという「反省」へとは向かわないようなのである。「後悔」と「反省」とはちがう。「後悔」は悔やむことで、「反省」とは、「後悔」をベースにして、ああすればよかった、こうすれば適当だったと思いをめぐらすことなのである。その意味で、「後悔」と「反省」では、階型がちがう。

「反省する」ということばは、おそらくプナン語にはない。あえて言えば、「考える(kenep/pikin)」ということばが、それにあたるだろう。kenepとは「心」のことで、心を用いて、人は思い、考える。pikinとは、おそらくマレー語経由でプナン社会にもたらされたことばで、「考える」を意味する。

仮説的に述べれば、プナン人は、「後悔」はたまにするが、「反省」はほとんどしない。なぜ「反省」しないのか。いや、その問い自体がヘンかもしれない。じつは、われわれ現代人こそ、なぜ「反省」するのかと問わなければならないのかもしれない。しかし、都合上、いまプナンがなぜ反省をしないのか、しないように見えるのかについて考えてみれば、二つのことが考えられる。

一つは、プナン人が、状況主義であるということである。彼らは、過度に、状況判断的である。そのときどきに起こっている事柄を参照点として、行動を決めるということをつねとしていて、万事、うまくいくこともあれば、場合によっては、いかないこともあると承知している。そのため、くよくよと「後悔」したり、それを「反省」へと段階を上げても、何も始まらないのである。

もう一つは、「反省」しないことは、プナン人の「時間」の観念のありように深く関わっているように思えるという点である。直線的な時間軸のなかで、将来的に向上することを動機づけられているわれわれのような社会では、よりよき未来の姿を描いて、「反省」することを求められるというか、そのことを、学校教育、家庭教育において、徹底的に、植え付けられている。よりよき未来に向かう過去の「反省」を求められるのである。しかし、プナンには、そういった時間感覚は、どうやらない。狩猟民的な時間感覚は、われわれの近代的な「よりよき未来のために生きる」という理念ではなく、「生きるために生きる」という実践をベースにしているように思える。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/d87380cfa38c8884cb317393612e757c

(写真は、プナン人の古くからの主食、飴状にしたサゴ澱粉。これが、日々反省しない人びとをつくる素なのだろうか)


ハンターたちの休日

2008年04月04日 22時59分11秒 | フィールドワーク

昨夜帰国した。クチンについたときも別世界であると感じたが、日本は、プナンの地からはもう一段上の別世界である。一国のなかにそれほどのちがいがある不思議さ。地球上にこれほどのちがいが存在することの驚き。逆に言えば、異質なものが、たんに一国のなかに収められているだけのことかも。地球上の平面のなかに収められているだけのことかもしれない、と思う。

以下は、数日前に、プナン人たちがチャーターした車に便乗して、ビントゥルという町に出てきたときの話。 午後10時にビントゥルの町に降り立った。9人のプナン人のうち、子どもが二人含まれていた。そのうちの一人の子ども(10歳)は、初めてのビントゥルに、裸足で降り立った。久しぶりに、町を歩く裸足の少年を見た。中進国マレーシアでは、その光景は珍しいものだ。ナイトバザールに、食事に出かけた。翌朝、少年の父親は、スリッパを買い与えた。

ホテルに戻って、父親はその少年に尋ねた。「ここは何の世界?(Dalee ineu iteu?)」と。少年は答えた。「ビントゥル世界(Dalee Bintulu)」であると。プナン人たちは車で4時間ほどで、ビントゥルに出て来れるようになったが、そのような言い回しは、都市が彼らにとって、遠くの別の世界であることを言い表しているように思えた。

プナン人たちは、一泊40リンギット(1300円ほど)のホテルの部屋に、大人4人、子ども1人で泊まった。わたしもそこに寝泊りしたが、夜通し、テレビをつけっ放したままだった。トイレの蛇口はひねって水を出すタイプのものではなく、上に持ち上げると水が出るタイプのものだった。彼らは、一時、水が出ないと大騒ぎした。

翌朝、何人かは銀行に出かけ、残りの者は、町をぶらぶらと歩いた。今月だけで少なくとも3頭のイノシシをしとめたハンターと4頭のイノシシをしとめたハンターが、連れ立って、金も持たず、電気屋をひやかしていた。わたしは、彼らが行こうとしている方向とは別の方向に歩いていこうとした。そのうちの一人は、「俺は上流に行くよ(Akeu tae dayah)」と、わたしに向かって言った。そのことばで、彼らが、町と並行に流れる川の<上流>と<下流>によって、自らの位置取りをしていること、居場所を確かめていることに気づいた。ランドマークを決めて居場所を確かめるよりも、たしかに、プナン人がやるように、水の流れを標識にして場所を確かめたほうが分かりやすいと、そのとき思った。

ホテルに戻ると、部屋のなかで、5~6人のプナン人が、狭い部屋のなかで、寝そべって、テレビを見ていた。それは、まさに狩猟キャンプのようだった。 プナン人3人と近くの食堂に食事に出かけた。われわれは、まぜごはん(ナシ・チャンプル)を注文した。ごはんの上には、料理されたおかずのうち好きなものを載せることができる。わたしは、一般的にそうするように、豚肉、野菜、卵をバランスよく載せた。他方、プナン人3人は、そろって、豚肉だけをごはんの上に載せてきた。肉があるならば肉しか食べないという、いつもの食事のように。

ビントゥルにおけるハンターたちの休日。それは、プナン人と現代が出会う「コンタクトゾーン(接触領域)」の現象である。コンタクトゾーンの観点から眺めるならば、現代から遠く離れて暮らす人たちと現代との界面におけるズレのようなものが、浮かび上がってくる。それはそれで、ひじょうに興味深い現象である。同時に、ポストモダニストが好むテーマであるように思う。しかし、と思う。重要なのは、コンタクトゾーンを越えて、その先にある、簡単には揺さぶられることがないような、先住民の、狩猟民のエトースに接近して、それを抉り出すことなのではないかと思う。人類学は、そういった人間探究の学なのではないのだろうかと。

(写真は、木材会社の車に便乗して、しとめたイノシシを売りに出かけるプナン人たち)


臭い放屁とリーダーの関係

2008年04月03日 23時12分32秒 | 人間と動物

スガガン(segagang)というリスに似た動物(=スカンクの一種)は、かつて動物のなかの王であった。あるとき、スガガンは、人間に大木を切り倒すように命じた。人間が木を切り倒すと、今度は、それを削るように命じた。人間は、その木からいったい何をつくるのかを知らされていなかった。人間は口々に、カヌーをつくるのだろうか、あるいは、板をつくるのだろうかと言い合った。ところがさにあらず。スガガンは、人間のところに近づいて、耳かき(set betuk)をつくるように命じたのである。人間たちは、そんなに大きな木を切り倒して、小さな小さな耳かきのようなものをつくらせるとはいかがなものかとささやき合った。その後、スガガンは、動物の王の位から転落することになった。そのようにして、スガガンは、近くに行くと、臭くてたまらないような屁をする動物となったのである。

この何気ない動物譚(sukut)は、プナン人たちの爆笑を誘った。
スガガンの臭い放屁の由来をめぐるお話ではあるが、同時に、この話には、プナンのリーダーシップに関して、じつに深遠な哲学が隠されているように思われる。

その他の動物譚として;
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/849200fc14da2754947a71676aec8a2d

「スガガンのように屁をする(tut segagang)」という言い回しは、ときに、強烈な匂いを放つ放屁に対してなされる場合がある。お互いに密に接近した社会空間を生きるプナン人たちにとって、屁をすること、とりわけ、臭い屁をすることは、その場の空気を乱し、人びとを混乱に陥れるだけでなく、その小さな社会空間をも混乱させることに等しいことを、爆笑の裏に、その話は伝えている。それは、王が大木を切り倒すように命じて、挙句の果てに、小さな小さな耳かきをつくらせたように、人びとを困惑させることに一脈つうじる。スガガンは、そのことをもって、王位から転落し、強烈な匂いを放つ屁をする動物になったのである。。

王(=リーダー)は、アドホックな地位であり、人びとは、そのリーダーが嫌になれば、別のリーダーのもとに集うという仕組みをもつプナン社会のリーダーシップ。そこでは、王(=リーダー)は、スガガンのように、人びとを困惑させるような指図をしてはならない。それは、臭い放屁のごとく、人びとを大きく惑わすことになるから。

(写真は、ジャングルの奥)