一ヶ月の不在の間に、研究室のメールボックスに入りきらないであふれ出た、新学期のガイダンス用の資料。わたしが所属しているリベラルアーツ学群には、今年も1000人以上の学生が入学するらしい。明日からのオリエンテーションに向けて、解説しなければならないこともあって、今日は、資料を読んで予習をしたが、履修の細々とした点については、複雑で、何だかわからないところが多々ある。まあ、しゃーない、と思いつつ、教育とは何か、という、やや根源的なテーマに思いをめぐらせた。というのは、3月のプナン社会滞在時に、印象的なある事件、というほどではないが、出来事があったからである。
「貧乏な生徒に対する資金の回収(Kumpulan Wang Amanah Pelajar Miskin)」と名づけられた、マレーシア政府による教育資金援助プログラムの、各貧困家庭に対する資金割り当てが、3月末に、ちょうどわたしの調査地域で、実施された。そのプログラムは、2006年度から開始されたという。わたしの調査地域では、プナン人の家庭は、すべて、貧困家庭であり、そのプログラムの対象になっている。すでにお金を受け取った他の河川流域に住むプナンから、今年は、一生徒あたり、一年間に900リンギット(30000円弱)のお金が降りるとの情報が伝わってきていた。それは、じつは、毎年同額で、わたしの調査地のプナンの記憶では、毎年の資金貸与は、そんなに大きなものではなかった。せいぜい、一人当たり300であるとか350であったということが、3月の初め頃から、問題となっていた。900リンギットから300ないしは350を引いたその差額は、小学校の先生たちが飲み食いに使ったのだ、小学校の先生というのはとんでもない奴らだという噂が、いたるところで、囁かれていた。
お金の配布当日、わたしは、小学校に行った。集会の場に入ることは許されなかったが、場外から、小学校校長によるマレー語での説明を聞いた。彼は、おおむね以下のようなことを、集めた生徒の父母の前で話した。マレーシアでもインドネシアでも、小学校教育は義務である。インドネシアはそのことに責任を持たないので、貧乏な家庭の子どもは学校に行けないが、マレーシアはちがう。マレーシアでは、政府の責任で、貧困な家庭にも資金援助して、貧乏な生徒に対しても、学校に行く機会を与えている。これはすばらしいことだ。その意味での義務であり、子どもの親は、学齢期の子どもを学校に連れてくる義務がある。1月から3月までの間、1年生から6年生まで、何日も学校を休んだ生徒がいる。Aは、連続して○○日、Bは、○○日・・・どうして、こんなに休んだのか。親には、学校に子どもを連れてくる義務があるのに。さて、しっかり学校に出席していた生徒の家庭には、ひとりあたり450リンギットお渡しする。子どもの教育のために使ってもらいたい・・・
わたしが最初にこの地を訪れた2006年の4月よりも、この2年で、この地のプナン人たちは、子どもを学校に送り込むことに熱心になったように感じる。学校から遠くに離れた場所に家がある生徒の親たちは、学校のそばに小屋を立てて、授業期間には、そこに寝泊りするようになっている。2006年には、小学校に通っていなかった生徒が、今年から何人か、学校に通うようになったようである。そうしたかたちで、一気に、プナン人の教育熱が高まっているように思える。それは、すべて、資金援助をもらえるからという理由からではないにせよ、なんらかのかたちで、「貧乏な生徒に対する資金の回収」が、少なからぬ役割を果たしているように、わたしには思える。彼らは、援助金がもらえる、もらえないということを、3月をとおして、集まると、大きな話題としていたし、配布当日は、朝早くから、食べ物・飲み物持参で、多くの親たちが学校に集ったからである。
しかし、明らかに、学校側というか、政府側の対応は、必ずしも、プナン人の期待したとおりのものではなかった。授業への出席率が高いか低いかによって、資金援助をするかしないかを決め、あるいは、保留したからである。自分の息子・娘の名前がない、つまり、欠席が多かった子息の父母のなかには、名簿に子どもの名前が書かれてないことを不信に思いつつ、怒って、途中で帰ってしまったものもあった。彼らは、おかしい、学校の先生が飲み食いに使ったにちがいない、政府に訴えて、小学校の先生をやめさせよう、と述べ合っていた。わたしには、プナン人にとって、すべてのメンバーに等しく与えるのではない、そうした「平等」ではないやりかたは、理解に苦しむやりかたであるように思える。あるならば、みなに与えるということを、原則としているからである。「けちはいけない(amai ibah)」。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/849200fc14da2754947a71676aec8a2d
この出来事が、プナン社会のなかで、どのように解決したのかを見届けることはできなかった。今夏に、その結末については問いたずねることにしたい。この出来事をとおして、わたしが気になるのは、教育とはいったい何かという問いである。何ゆえに、政府は、プナンを含めて、それほどまで、親たちを「金で吊りながら」、子どもたちを学校へと向かわせようとするのだろうか。金を与える機会を利用して、親にこそ、子どもたちを学校へ送り込む義務があるのだ、そして、それができなければ、資金援助はまかりならんとまで主張して。文字、ことば、数字、計算、国家・・・などについて教え、それを体得した人を生み出すことで、標準的な国民を創出するために?わたしには、プナンの父母を集めて話をした小学校の校長の、学校に来ない児童に対する態度姿勢は、かなり強引であるように思えた。かつて、国民に教育が開始された頃の日本も、そのようなものであったのだろうか、とも思う。
学校の基本的な態度とプナン人の態度は、今のところ、基本的に噛み合っていないように、わたしには思える。わたしには、プナン人にとって大きな問題は、若者たち、とりわけ、20歳代、10歳代の若い世代が、狩猟に興味を示さないだけでなく、狩猟をしようとはしないことにあるように、つねづね思っていた。現在のハンターの中心は、40歳代である。彼らは、今日、ジャングルに分け入り、油ヤシのプランテーションでイノシシなどをしとめて、木材伐採キャンプなどで売って、現金獲得をしている。わたしは、何度か、若者が狩猟に興味を示さないこと、今後、狩猟を中心とした暮らしが無くなることに危惧を覚えることを明らかにしつつ、現役のハンターたちの反応を探ってみたが、驚いたことには、誰もが、若者たちの狩猟離れというべきものを、特段気にかけていないことであった。「(若者は)おそらく(動物が)怖いのだろう(mukin medai)」というやや紋切り型の答え。そのような言い回しは、プナン人たちが、将来に向けて、向上心をもって、何かをコツコツとやっていくような人たちではない、ということを示しているのではないだろうか。いまを生きることを願い、目指している。それなのである。
その意味で、つねに上を目指して努力することを要求する学校教育は、プナン人の暮らしにフィットしない。いや、教育の思惑は、近代的な論理を、彼らの暮らしのなかに注入し、向上を目指すような人格を築き上げることなのであろうか?わたしの調査地のプナン人たちは、自らの暮らしではない何かへの想像力と実践を著しくもたない人たちである。都市で働いたり、故郷を離れて遠くで暮らすことを、ゆめゆめ思わない人たちなのである。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/849200fc14da2754947a71676aec8a2d
何がいいたいのか。
プナンのやりかたをベースにして、学校について、教育について考えてみたいということである。プナン人のように、学校が行っても行かなくてもいいような社会空間では、これまで、<登校拒否><いじめ><校内暴力><引きこもり><非行><自殺>などの問題は顕在化してこなかった。行きたくなければ、行かなくてもいいのである。しかし、現代日本社会では、行かなくてもいいということで済むことはありえない。脱落者として、社会的に不適合な人間であるとしてカテゴライズされ、それゆえに、将来の進路選択の幅が狭められるからである。したがって、学校教育をあくまでもベースにして、オルタナティブ(例えば、ちがうタイプの教育、学校に行く)を目指すという解決に向かう。しかし、である。プナン社会では、これまでは、学校教育をベースとすることを自明とするのとは、ちがっていた。学校に行っても行かなくても、よかったのである。それは、個人(子ども)の意志いかんであった。ところが、そのようなやり方が、いま、変えられようとしているのかもしれない。
自分たちの生き方をベースにして、結果的に、学校教育に、国家に抗っているかのように見えるプナンのやり方を、どちらかというと、わたしは好んでいる。わたしたちのやり方が唯一絶対のものではないことを、別のやり方があることを示してくれるからである。
(写真は、ジャングルとプナン人ハンター)