わたしにとって、本年最後の研究会となったが、「自然と社会」研究会の記念すべき第1回研究会を開催した。以下、その手短な報告(参加者のうち、奥野以外は全員仮名)。
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研究会には、大阪から珍田さんが駆けつけてくださった。この先生の機動力および人類学に対する旺盛な興味関心にはものすごいものがある。「病いのゼロ・ロジック」の中沢さんの講演を聴いたという(1980年代前半)珍田さんの思いがけない参加のおかげで、『対称性人類学』をめぐって、また、人類学の今後をめぐって、実りのある議論ができたように思う。さらには、珍田さんの誘いで、中沢さんの東大の宗教学の後輩にあたる狂岡さんも、懇親会に合流してくださって、引き続いて、議論が盛り上がった。研究会には、大学院生の二百文字屋くんも参加した。
研究会では、骨上さんによって、『対称性人類学』を含む、講談社の「カイエソバージュ」シリーズの各巻ごとの、中沢さん自身によるダイジェストのDVDの紹介が行われた。その後、骨上さんは、『対称性人類学』にいたる中沢さんの思考の軌跡に触れた。
『チベットのモーツァルト』(以下、チベモツ)の文庫版の「まえがき」において、中沢さんは、「チベモツ」を、古典的な古い時代に、人間はどのような精神(心)をもち、何を考えていたのかを知るための「精神(心)の考古学」であると評した吉本隆明のことばを、当を得たものとして引いた上で、自分自身は、マルクス、フロイト、レヴィ=ストロースの影響の下に出発したが、人類学や民俗学によって取り扱われてきた対象の「奥にはいっさいの近代的な分析の道具を拒絶する、堅い岩盤のようなものが存在している」ことに気づき、言語同断な地層を掘り返す作業に乗り出したのだと述べている。それは、2,300年の厚みしかない「近代」を掘り返すフーコーの「知の考古学」を超えた「意識(心)の考古学」とでもいうべき試みだったのだという。
次に、『雪片曲線論』の「あとがき」(1984年のクリスマスの日付)において、中沢さんは、それを、チベモツと『森のバロック』の中間的な書物であると位置づけた上で、じつに、驚くべき先見を語っている。彼の考えでは、フーコーやクリフォード以降の学問では、モダンな批評理論がその限界点にまで立ち向かったのだけれども、その先の一歩を踏み出すことの危険性の前にたじろいだまま、思考のポジティヴィズムという名の保守主義へと立ち戻っている。『雪片曲線論』は、はっきりとそれらから身を引き剥がすための書物であるという。うーん、いままさに、人類学で起こっていることは、これではないか。モダンな批評理論の先の新保守主義。これらは、ともどもに切り裂いてゆかねばならないのではないかという思いを、わたしは新たにした。
骨上さんは、その後、中沢さんが、『森のバロック』を執筆し、粘菌のなかに、生きているのでも死んでいるのでもなく、動物でも植物でもない、原初における「流動的なもの」を嗅ぎつけた南方熊楠のなかに、後の『対称性人類学』へといたる足取りを見出したことを指摘した。研究会発表で、骨上さんは、『対称性人類学』から、とりわけ、仏教をピックアップした。一神教的、資本主義的、科学合理主義的、ヨーロッパ的な思考の基底には、神話的世界、ドリームタイム、対称性無意識という名称で変奏して奏でられる、ヒトの心の基底をなす思考がある。ヨーロッパは、そのような対称性無意識を抑圧して自己成型したのである。対称性無意識とは、野生の思考にほかならないが、いわゆる前近代社会の野生の思考だけでは、ヨーロッパ的な思考が含みもつ、非対称を生み出してしまう思考に立ち向かうことはできない。その意味で、野生の思考を、自己の鍛錬の技法にまで高めた仏教という知恵を用いなければならないのである。
骨上さんによって、おおむね、そういった中沢さんの思想の概要が紹介され、その後、議論が行われた。骨上さんが語ったのは、中沢さんの読解それ自体ではなく、彼が道具としているさまざまな思想の道具の読み解きを行いたいということであった。他方、奥野は、中沢さんの巨大な思想を、エスノグラフィーにおいて、いかに実証的に記述考察していくことができるのだろうかという点であった。そのことの必要性は、次の段落で述べる点に由来する。いずれにせよ、このあたりが、今後、この研究会を運んでいく上で、二つの大きな軸になるのかもしれない。
珍田さんからは、今日の人類学に元気がないという奥野の議論に対する質疑がなされた。奥野は、モダン批評理論が人類学を席巻して、人類学者の多くが、それに奮闘している間に、他の隣接科学が、ヒトや人類とは何かに関して、新たな知見を生み出していることに触れて(認知考古学、ロボット工学など)、人類学は、人類学が冠している「人類」という概念をどのように捉えているのかということも含めて、自らを再構成してゆかなければならないのではと述べた。しかし、そのことで、人類学とは何ぞや、ではなくて、人類とは何か?ということが大事なのである。そのような取り組みの一つの可能性として、レヴィ=ストロース、中沢系の思考を引き継いで、エスノグラフィーとして、どう結実させるのかを考えてみたいと述べた。
研究会の議論で扱われなかった点で、『対称性人類学』のなかにある、交換と贈与についての議論は興味深い。NGOやボランティアは、交換によって組み立てられた非対称な現代の経済世界において、(純粋)贈与であり、心の交流を生み出す点で、それは、ヒトの古い意識の層に根ざしたものであるということの指摘についても、個人的には、ことのほか、印象深く感じた。
以上、とりいそぎ、個人的な覚書として。
第2回研究会は、年明け(2009年)早々に行う予定である。内容などは、近日中に告知を行いたい。
(写真は、捕まえたイノシシを前に、しばし休息するプナンの男たち)