たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



9月以来まったく何も用事のない初めての週末。快晴(心のうちは、そんなに晴れ晴れとしていないのだが・・・)。思い立って、エチオピアで発見された、440万年前の猿人の女性アルディの頭骨と骨盤のレプリカが公開されていると聞いていたので、国立科学博物館に出かけてみた。パンフレットには、以下のように書かれていた。

「有名なアファール猿人の”ルーシー”と同じように、”アルディ”はある一人の個体の頭骨や歯、骨盤、手足などがそろった化石です。身長は約120センチ、体重は約50キロで、華奢な頭骨と小さな犬歯から、女性だったと考えられます。頭や歯、体の骨の分析から、”アルディ”たちは、チンパンジーやゴリラなど現生の類人猿とはだいぶ違った暮らしをしていたことが推測されています。オスでも犬歯が小さく、地上を直立二足歩行するなど、人類的な特徴もありますが、脳容量は少なく、樹上も生活空間として利用していたことがうかがわれるなど、より原始的な面もあったようです。」

より詳しいことは、以下のウェブページに載っている。

http://www.kahaku.go.jp/userguide/hotnews/theme.php?id=0001255574730972&p=1

アルディピテクスでは、男性の犬歯が大きくない。そのことから,配偶相手をめぐる諍いは少なかったことが推測され、
一夫一婦の関係が成立していたかもしれないという。アルディに配偶者がいたかどうかは分からないものの、食糧を持ち帰る夫の帰りを樹上で楽しみに待っていたかもしれないというロマンチックな想像もなされている。じつに興味深い。

アルディピテクスは、樹上で暮らし、ときには、二足歩行をしていたと考えられているようだが、もう少し時代を下って、いまから約350万年前のアファール猿人になると、
ルーシーの二足歩行の跡がくっきりと残されている。ルーシーの骨盤の形状や足の長さから、アファール猿人は、ホモサピエンスのような歩き方ではなく、不安定に、足を引きずりながら二足歩行していたと考えられているようである。

国立科学博物館には、ルーシーの復元模型が展示されていた。思いのほか小さかった。小さなおばさんという印象である。その隣には、約150万年前の原人であるトゥルカナ・ボーイの復元模型が置かれていた。トゥルカナ・ボーイは、身長160センチの、8~12歳の少年であったとされる。こちらのほうは、われわれとあまり変わらないような感じがした
(写真)。

それらは復元模型ではあるが、人間の古のリアリティーへの想像力が一気にぐ~んと広がるような気がする。同時代に空間を共有しているような感覚とでもいうのだろうか、彼らと意思疎通が可能になったような。不思議な異空間へと迷い込んだような気がした。ところで、
猿人から原人へ進化する過程で、彼らは、どのように道具を工夫しながら、食を探し、どのように眠り、暮らしていたのか。さらには、世界の成り立ちをこのようなものとして捉えていたのか。狩猟をうまく行えるようになるのは、そのずっとずっと先のことであったにちがいない。



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ペニス・ピンをペニスに付けるには、少なくとも、二種類の種類の知識を用いることになる。一つは、尿管を傷つけないように穴を空けて、先端に丸みが帯びるように削られた木をそこに付けるという技術的な知識。もう一つは、同時に、そこでは、それが、セックスにおいて快感をもたらすように設計されていなければならないとするような社会的な知識とでもいうべきものである。

木の上にある果実を取るためにも、いくつかの知識を組み合わせなければならないだろう。たんに木を登って行って、果実をもぎ取るのでは、一つ二つしか手に入らない。たくさん取るためには、木に登って、不安定な所から山刀を手際よく取り出せるように、あらかじめ、腰に適切なかたちで刀を結わえておかなければならない。果実が食べごろであるということを判断する博物学的な知識。食べ物を分け与えるという社会的な知識。木登りや刀を使うための技術的な知識。そのような知識を組み合わせることが必要になる(写真は、細い木を登って果実を取りに行くプナン人の男性の足。第一指と第二指を用いて木をたくみに挟んでいる)。

ところで、プナンの神話に出てくる、数々の動物の行動。それは、まるで人間のそれである。そこでは、動物をつうじて人間を語っているのか、あるいは、反対に、人間をつうじて、動物を語っているのかはっきりしない。少なくとも、神話を語るとき、神話を聞くとき、プナンの心には、二つの知識が交錯しているのではないだろうか。人間についての知識と、それを、動物の特性をつうじて理解する知識。あるいは、逆に、動物について知識と、それを、人間の特性をつうじて理解する知識かもしれない。比喩や類推がなされる。


ハンティングに出かけて、マメジカの姿を見かけたとき、草笛を吹き、イノシシがやってくるのを待ち伏せるとき、プナンは、いったい、何をしているのだろうか。彼らは、そこで、動物の行動そのものを認知しているのではなく、あるいは、動物の行動を認知するために、動物のなかに、人間を読み込んでいるのではないだろうか。端的に言えば、動物を「擬人化」して捉えている。

動物にも心があり、その心を読み取ることをつうじて行われるのが、<狩猟>なのではないだろうか。それは、死肉あさりにおいて、肉を解体するという技術的な知識だけを使っていただけでは、発達しなかった活動である。
狩るためには、動物の行動を読み取らなければならない。ハンターは、足跡を読み、食べ跡を読み、音を聞き、通り道を推論する。人間は、動物を人間と同じような心を持つ存在であるとして「擬人化」するようになったとき、<狩猟>へと向かうようになったのではないだろうか。

乱雑な考察。覚書として。



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マナーやモラルの低下が問題とされ、倫理観の復権、倫理教育の必要性が叫ばれているが、その先に、せいぜい行われようとしているのは、個々人の道徳観・倫理基準のすり合わせの再確認程度のことであって、いったい、それらは、どういうものであるのか、どういったものとして、人類社会のなかに立ち現れたのかということに関しての認識や探究へと、なかなか発展していくようなことはない。いったん、ポーンと、わたしたちの社会の外部へと出ることをつうじて、そのような問題に関して手がかりを得ることはできないだろうか。そのような点を踏まえて、わたしは、今月、プナン人が、道徳や倫理というものをどのように捉えているのかということについて、調査してきたいと思っている。今のところ、わたしたちのことばで定義できるような道徳や倫理の観念とピッタリ一致するものを、プナン人がもっているのではないだろうと思っている。個人の内面の問題としての倫理、社会が個人に与える道筋としての道徳という、西洋哲学的な仕分けは、プナン社会には、まずはないだろうと思っている。プナン社会に、道徳や倫理という観念自体があるかどうかということ自体が、そもそもかなり怪しい。西洋哲学的な意味において道徳といったときに、すぐさま思い浮かぶのは、アデット(Adet)と呼ばれる「慣習法」である。「慣習法」で裁かれる対象として、「善悪」の概念を含む道徳が、少なくとも、今日、プナン社会では、見られるように思われる。アデットは、そもそも、プナン人固有のものではなかったという、サーカンブとセラートの見方は、おそらく正しいように思われる。ボルネオの熱帯雨林のなかで、遊動的な暮らしをしていたプナン人には、そもそも、時間の観念は必要なかった。彼らは、過去と未来に対する関心をほとんどもたなかったのである。しかし、彼らが過去を必要とし、アデットを必要とするようになった背景には、ずっと、それまで、彼らが豊かな熱帯雨林で生き暮らしてきたという歴史を主張し、ノマディックな集団として、ルール、すなわち、慣習法によって秩序正しく、その土地を使ってきたという主張をしなければならなくなったという、サラワクの近代化を背景とする特有の事情があった。そのようにして、プナン人たちは、ボルネオ島に住む焼畑稲作民が保持してきた慣習法の体系を模倣して、採用するようになったのである。今日、先住民を支援するNGOが、慣習法の知恵をプナンに授けているという見方もある[Peter Sercombe and Bernard Sellato(eds.) Beyond the Green Myth]。そのような、プナンを取り巻く政治的・社会的な変化に対応して、プナン社会内部にアデットの観念が芽生え、その後、プナン社会の内部でも、人間・社会関係を整理するために、アデットが用いられるようになったということは、十分に考えられることであるように思う。人間関係のいざこざがあった場合には、アデットで解決する。あるいは、そういうかたちで、秩序を組み立てることが、アデットであると、プナン人たちは言う。アデットは、その法秩序のベースにある道徳を、人びとに対して要請する。もちろん、そういった点も十分に押さえなければならないだろうとは思うが、わたしが特大の関心を抱いているのは、政治的・社会的な、慣習法的道徳の成立とは異なる、人間の実存に深く関わるような倫理の成立というか、人間社会のありようを深く規定するような道徳の起源についてである。どちらかというと、人間同士の間の、あるいは、対外的な政治体制との関わりにおいて立ち現れるものではなくて、人間の生命を長らえさせてくれるような自然、あるいは、それを駆動させる超越的な主体との関わりにおいて立ち現れるような道徳や倫理の実相とでもいうべきものに関心を寄せている。目指されるべきことは、人が生きていることに関して、人間と自然との間の深い理解をつうじて、ようやく、道徳や倫理は意味をもつのであるというような、具体的・説得的な事例の呈示である。

(写真は、小船で猟に出かけるプナンのハンターたち)



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激忙の如月であった。プナンのフィールドに向けて、何らかの準備をせねばならないと思っていたが、結局、何一つできなかった。せめて、プナンのフィールドに行くとは、いまのわたしにとってどういうことなのだろうかということを考えてみた。それは、わたしにとっては、料理をするのに、スーパーマーケットに行って食材を買ったり、目標をもって行動するようにと学生たちに指導するというような日常から、それらのことが、ほとんど意味をなさないもう一つの世界に入っていくことにほかならない。わたしがワクワクするのは、おそらく、プナン人たちの「生きるために生きる」という純朴たる日日のありように(とはいうものの、そこに乱れがないというわけではない)、人間行動の起源のようなものを嗅ぎとることができるからではないかと思っている。

ふと、いまから20年前の1988年の日記を開いてみた。そうだ、あのフレーズを見つけようと思って。12月20日に、わたしは以下のように記している。

サマリンダから船で出発して早くも4日目。船はどんどんとマハカム河を遡る。昨夜は、ムハマック・イルイという小さな村に船は泊まった。小便に行こうとして、足をすべらせて一瞬川の中に落ちた。くわえていた煙草は大丈夫だったが、サンダルを片方失くしてしまった。しかし今朝起きてうろうろしていると、(停船している)小船の中に見つけた!それにしてもトイレ・・・どんどんと形を失っていく。というか簡素化されていくのだ。先ほど入ったトイレ(=川べりの厠)は、ほとんど河の上にたゆとうていて両足を置くための2本の木までもが水の中につかってしまっているといった様子だ。

サマリンダは、インドネシア・東カリマンタン州の州都。サマリンダから蒸気船は、マハカム河を遡り、しだいに、先住民の人びとが住む奥地へと進んでいく。川幅は次第に狭くなり、密林が迫ってくる。そこでの、トイレ経験について、わたしは語っている。
そして、4日目の夜、わたしは、ようやく先住民バハウの村に到着した。

翌12月22日の日記。

それにしてもこちらに来てだんだんと自分が「形を失っていく」のがわかる。例えば便所。例えば、歯磨き。雨が降った時に水を桶(ドラム缶)にためておく。それを使う。料理の水もそれを使う。川では大便が沈んでいき、小便が流れて消えていく。洗濯水、せっけん水が流れ、そこで育った魚を獲って食べる。人間が人間たるべき原始の姿に近いものがここにはある。というか、それが一番生活しやすいからだろう・・・

日記を読むと、わたしは、直近にある川の水を利用して組み立てている人間行動に、
そうとう大きなショックを受けたようである。翌23日の日記にも、一行目に、「このままどんどんと『形を失っていく』のだろうか」と綴っている。それから3日後、旅を続けていくなかで、便所そのものがない村にたどり着き、村人の勧めにしたがって、わたしは、生まれて初めて、川の中で糞便をしたようだ。「川の中で大便をしたのは生まれて今日がはじめてだ!!」

「形を失う」経験は、大学を卒業して企業に勤め始めたのだけれども、それを辞めてふらふらと旅を始めたわたしにとって、空間的に時間的に、人間を遡る旅だったのだと思う。都市部には、日本と同じような水洗トイレがある。船には、板に丸く空けられた穴があるだけになる。川べりには、簡素な木の囲いがあるだけの厠があるだけになり、とうとう、厠もなくなり、川の中で直接的に排便をせざるをえなくなったのである。

旅を続けるうちに、どんどんどんどんと、起源へと遡るような感覚。人間の行動の起源には、何があったのかということに対する想像力は、その頃に、わたしのなかに芽生えたのかもしれない。それから20年経った今、わたしは、ふたたび、「起源」について考えたいと思っている。

たとえば、プナン社会の人びとと暮らすことで、人間、雷神、動物の関係を手がかりとして、「倫理の起源」について考えてみたいと思っている。以下は、その研究計画であるが、記して、今回のフィールドワークにおけるわたし自身の課題としたいと思う。

熱帯の天空高く、遠くにあらわれる黒々とした雨雲。それは、やがてグォーンというとてつもない音を立てて轟き渡る。

プナン人にとって、それは、雷神バルイ・ガウの怒りにほかならない。どこかで誰かが動物をさいなんだことに憤激した雷神は、人間を稲妻で石に変え、鉄砲水で集落もろとも押し流そうとする。雷鳴を聞くやいなや、プナン人は、雷神の怒りをなだめるために、唱えごとを始める。それは、プナン人にとって、ほとんど唯一の儀礼というべきものである。

しかし、雷雨や大水といった、プナン人にとって最大の脅威でもある災害の原因が、なにゆえに、動物をあざわらったり、動物にいたずらをしたりするという人間のふるまいなのだろうか。それは、ジャングルの動物資源に重度に依存するプナン人たちが、動物との間に、他のものには代えることができない関係を打ち立てて、動物を考えるのに最も適した存在であるとしてきたからではあるまいか。

そのようにして、人間は、つねに、動物に対する「間違ったふるまい」(penyala)の報いを受ける。プナン人にとって、「間違ったふるまい」とは、動物をさいなむという、もっぱら、人間の動物に対する態度を指す。そのような「間違ったふるまい」をしないことが、プナン人の「倫理」の一部である。

プナン社会では、一般に、「やってはいけない」とされるふるまいの種類が少ないように思える。「善い/悪い」「こうすべきだ」「やってはいけない」というようなことを含む「道徳」が、あまり見あたらない。それだけでなく、「道徳」にあたることば自体がない。人命を危険にさらす行動などが、せいぜい「やってはいけない」こととして、意識されているくらいである。その意味で、プナン社会では、社会が個人に対して要請するような「道徳」の水位が低いといえるのかもしれない。そのため、動物に対する「間違ったふるまい」への咎め立てが突出して見える。

それに対して、動物に対する「正しいふるまい」とは何か。それは、狩られた動物を無言で、(「間違ったふるまい」をしないで)、速やかに解体・料理して食べることである。この一見何の変哲もない動物への態度は、「倫理」なるものが、どのように人間の内面から溢れ出すのかを示している。それは、感謝をほとんど表明するようなことがないプナン人にとって、動物を殺生してしか生きられない、ちっぽけな存在としての人間にできる、せめてもの動物への態度であるように思える。

いったい人間にとって、「倫理」とは何か。文化人類学は、「倫理」をめぐる議論にどのように貢献することができるのだろうか。プナン社会において、人間、雷神、動物の関わりのなかで組み立てられる、人が人としてとるべき態度としての「倫理」とその起源について考えてみたいと思っている。

フィールドへの出発を前に。

宗教や倫理を含めて、人間の活動の「起源」の探究は、文化進化論が葬り去られたと同時に、人類学のなかで葬られた。しかし、それらのテーマは、人間について考える、探究する上で、とてつもなく、重要なテーマなのではないだろうか。いまひとたび、起源への知的冒険に取り組むことは、スリリングである。「起源人類学」というネーミングは、ある領域のパロディーっぽい響きも含んでいることだし。

 (写真は、大阪・万博記念公園内の太陽の搭)



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わたしが、「Aくん、いま、1万円ある?あったら出しておいて」というとき、その後に、「あとで、すぐに返すから」と加えれば、その行為は、Aくんからお金を「借りる」という行為になる。しかし、わたしが、「Aくん、いま、1万円ある?あったら出しておいて」とだけ言って、「あとで、すぐに返すから」という文言を付け加えなければ、たとえ、Aくんに1万円の持ち合わせがあったとしても、その場で、Aくんがお金を出すかどうか分らないだろう。Aくんにとっては、1万円を、たんにわたしに与えることになるかもしれないのだから。そのような場合、Aくんはふつうわたしに聞き返すだろう。「いつ返してくれるの?」と。その返答があって、そのやりとりは「貸し借り」のやりとりとなる。わたしたちにとっては、きわめてあたりまえのことである。

しかし、プナンの人びとのやりとりは、そうしたわたしたちの「貸し借り」のやりとりを無効化するほど、ちがっている。プナン人同士では、上で見たようなかたちでの「貸し借り」のやりとりはなされない。つまり、「あとで、すぐに返すから」というようなことばが、付け加えられるようなことは、ひじょうに少ない。付け加えられなくても、だいたいの場合、持ち合わせがあれば、頼まれたほうは、お金を支払う。場合によっては、
「お金ちょうだい、明日返す(=戻って行く)(akeu manii rigit sagam mulie)」という言い方がなされることがある。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/63bec4cffeb9c58ef2c493004870de63


そもそも、プナン語には、基本的には、「借りる」「返す」ということば自体がないのである。マレー語から借用して、「お金を借りたい(mau minjam)」というような言い方をする場合もある。細かいことを言えば、プナン人が置かれている社会環境の変化を背景として、いろいろ厄介なことがあるが、とりあえず、ここで確認しておきたいのは、プナンは、そうした「貸し借り」の概念をもたないということなのである。

いったい「貸し借り」が成立するとは、どういうことなのだろうか。それは、「所有」することに関わる問題である。「貸し借り」が成立するためには、財が、誰かに「所有」されていることが、まずは、前提とされなければならない。でないと、貸したり、借りたりできない。プナン社会では、そういった財の「所有」が、どうやら、前提とはされていないのである。

大庭健は、「所有」について、以下のように整理している。

所有は、原理的に、(1)他者による承認を必要とし、(2)「私」であることと「排他的」であることの関係に関わる、人間的な概念である。のみならず・・・(中略)・・・(3)私たちは、自分が生きている・自分がいるという「存在」の事実を、自分「の」生命・能力等々をもっている、という形で「所有」の事実に回収してしまう思考回路から、いまだ自由ではない(大庭健『所有という神話:市場経済の倫理学』岩波書店、2004年、98ページ)

よく分かる気がする。「所有」とは、要するに、財をめぐる人と人の間の組織のされ方の問題なのである。

大庭の「所有」の観念を手ががりとすれば、プナン社会は、何らかの財を、排他的に、私的に所有するものであるということを、他者および共同体が承認することが、あまりないような社会であるということができるのかもしれない。別の角度から言えば、プナン社会では、そのようにして、財を、排他的に、私的に所有されるものとして、お互いに主張し合いながら、人間関係の組織化がなされていないのである。プナン社会では、財を、排他的に、私の意のままに用益し処分していいという考え方は、育まれてこなかったように思われる。

土地所有権だけではなく、知的所有権にいたるまで、所有者の権益は守らなければならないし、そうした考えをベースに組み立てられている社会のなかで生まれ育ったわたしにとって、プナン人のモノに対する態度は、長らく、驚きや不思議さ以上の、何が何だかわからない、つかみどころがない事柄であった。ことによると、商業的な森林伐採に対するプナン人たちによるジャングルの所有権の主張は、州政府とプナン社会の歴史的・政治的な交渉の場面において、出現したものなのかもしれないとも思う。

いまから思い起こせば、わたしが難渋したことは、フィールドワークをはじめて間もないころ、プナン人たちは、マレー語を用いて、「お金を貸してほしい」とわたしのところにやってきたことである。貸したお金の回収率は、ほとんどゼロに近い。プナン人には、マレー語の「貸す」「借りる」という語を用いても、「返す」という意識がなかったのではないだろうか。

さらに、より丁寧な人たちは、「いまお金がないので、助けてくれないか」とわたしのところにやってきた。このことばには、「貸し借り」の原理が、まったく組み込まれていない。この種の文言は、日常的に、わたしがプナン語で会話をするようになった後でも、プナン人たちはよく使ってくる。つまり、最初から「貸してほしい」ではなくて、「あったら融通してほしい」ということなのである。

さらに、プナン社会の人間関係の網の目のなかに組み込まれていくにしたがって、わたしの所持金、所有物(サンダルや長靴、カバンなど)は、わたしが排他的に私有しているのではどうやらなくて、人びとは、他に使えるものがない場合には、いつのまにか、わたしの所持金、所有物を原則的にはみなで用いているということに、わたしは、しだいに気づくようになった。

プナン人たちは、「所有」に関して、そういった原理・原則をどのようにして持つようになったのかという問いは、わたしたちが、どのように、現代社会における「所有」観を持つようになったのかということを問うのと同じように、重要であると思う。そのことこそが、人類学が問わなければならない問題のひとつであるわたしはと思っている。

「所有」の起源は、いったいどのあたりにあるのか。

ところで、稲葉振一郎・立岩真也の『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス、2006年)の「所有論」に決定的に欠けているのは、わたしたちの外部に位置する人びとの「所有」をめぐる行動や考えに思い至ろうとはしないという点にあるように思える。つまり、わたしたちの「所有」を、徹頭徹尾、議論考察の対象としている点にある。

「『ものが落ちている、拾ってラッキー』じゃないんですね。ものが落ちているときに『誰の?』って考えちゃうような主体なんです。そこにあるものを『ラッキー、あった、拾った』ってことが、本当に自明で無前提な議論なのか。そうではないんじゃないか。「なんかあるんだけど、これって誰の?」っていうふうな立て方で議論が進められるんじゃないか」(前掲書、24ページ)というのは、基本的にはそのとおりだと思う。しかし、立岩が、「所有に対して所有のない状態とか、私有に対して私有じゃない共有であるとか、そういうふうに考えなくてもいいんじゃないか」(前掲書、27ページ)と言いながら、「ぼくが批判しているのは、われわれの社会における私有のあり方です」(前掲書、28ページ)と述べるとき、「われわれの社会」以外の「所有」の地平へと向かう想像力の欠如を感じる。

では、いったいどう考えればいいのか。「所有」についても、わたしたちは、またしても、中沢新一の人類学的な想像力に頼ることになる。

農耕以前の狩猟を生業とする社会では、財は、確たるものではなく、不安定なものであった。人間は、自然のなかに生きる動物を偶然に与えられ、生きながらえてきたのである。そのことを踏まえて、中沢はいう。

すべての財産は、物質性をもたない『無』の領域から『有』の世界に贈り物としてやってくる。だから、その出現も、喪失も、神と人とのあいだのデリケートな関係に左右された。すべてが壊れやすく、安定した財産は少ないかわりに、人間には自然にたいする、深い倫理観が成長できた(中沢新一『純粋な自然の贈与』せりか書房、1996年、22ページ)

財は、だれそれの排他的な私有物というのではなくて、自然からの贈り物として、共同体のメンバーが生きながらえるために、共有されたのである。そして、財の不安定性をベースとする、そのような「所有」観が崩れるのは、農業革命以降のことではあるまいか。

狩猟採集社会における「糧」とは、じつに不思議なものである。同時に、ひじょうに不安定なものである。それは、自然に対する働きかけから生まれるのではなく、つまり、「有」が「有」を生み出すのではなく、自然そのものが生きるための糧を生み出すという、「無」が「有」を生み出す仕組みのなかに、立ち現れてくるものである。逆に、農業革命以降のわたしたちの社会では、自然に対する働きかけという「有」が食糧という「有」を生み出すという仕組みをベースにしている。それはまた、貨幣がもつ、「有」が「有」を生み出す仕組みにフィットする。

そういう(=狩猟を生業とする)世界では、地上の富の発生も不安定だし、保存も不安定だ・・・(中略)・・・そこに、農業革命が生まれたのだ。農業は『死への恐れ』を反映している。繊細な倫理の関係によらなければ、気まぐれな贈与の霊は、豊かな富を与えることを拒否するかもしれないし、財産は貯蔵の効くかたちをもっていない。それに恐れをいだく人々のなかから、農業は発達したのだ(前掲書、22ページ)

人類は、『死への恐れ』につきうごかされて、農業をはじめた。財産はたしかなものとなり、所有は堅固な形式をもつようになった。そして、そのかわりに、自然との契約の精神を失いはじめた。農業には『死への恐れ』、所有の喪失の恐れが潜在している(前掲書、23ページ)

ここで、中沢は、「所有」の起源について、じつにクリアーに語っているように思える。狩猟民社会における「所有」の喪失への恐れこそが、農業を生み出した源であり、農業革命をつうじて、安定的に手に入れることができるようになった財を「所有」することによって、「所有」の観念が、その後、しだいに発達を遂げたのではないだろうか。「所有」の淵源は、「所有」を失うことに対する恐れにあったのだ。

残された課題は、現存する狩猟民社会の「所有」のエトースをよりきめ細かく観察した上で、「所有」の起源をめぐるそのような見通しに対して、実証的なデータを積み上げていくことである。

(誰のものでもないヤシの木に実を取りに登るプナン人の男性



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狩猟した動物を遊び道具にしてはいけない。そういうことを、とりわけ、プナン人の子どもたちは、得てして、しがちである。だからこそ、そういった「してはいけない」というタイプの命令がなされるのではないだろうか。同時に、プナン社会では、狩猟した動物は、すぐさま解体して、料理して、食べなければならないともされる。そのようなプナン人たちの日常の態度は、わたしにとっては、モノトーン的で、趣に欠けるように感じられた。なぜならば、人間を生かしてくれる恵(=動物)に対する感謝の気持ちというようなものが、プナン人の暮らしをつうじて、どこにも見当たらならなかったからである。それらは、純粋な心をもって(=見返りのようなものを期待せずに)、贈られたモノに対して、何の感情表出も示すことなく、それを平然と受け取るだけの、<倫理>的ではない行動であるように思えたからである。

ところが、プナン人が感謝のことばを持たず、感謝をめぐる固有の表現を持たないということがしだいに分かってくると、逆に、そのように、与えられた恵(=動物)に対して、感謝を表明することがない平明な態度こそが、いつしか、プナン人たちの<倫理>のようなものなのではないかと思えるようになってきた。

与えられたものに対して、何の返礼もしないこと。それは、与えてくれた相手の「心」に、見返りを期待する気持ちがない、清廉さみたいなものを際立たせる。それこそが、見返りを期待することによって、人を交換の関係図式へと立ち入らせる「俗なる」贈与ではなく、一方的に、人間に対して与えられるという、自然からの「聖なる」贈与の意味、つまり有難さを余計に浮き立たせるのではないだろうか。ひるがえって、礼も述べなければ、返礼もしないで、黙々とそれを消費するということこそが、見返りを期待せずに、純粋なかたちで与えられた恵(=動物)に対して、じつは、何ごともなしえない、ちっぽけなる存在である人間ができる唯一のことだったのである。そのように考えたからこそ(意識的に考えているとは思えないが)、
「狩猟した動物を遊び道具にしてはいけない」「解体してすぐに食べなければならない」というような、<倫理>を作動させたのではないだろうか。

はたして、そのようなものを<倫理>と呼んでいいのかどうか、いくぶん心許ない。ではあるが、ここしばらく、<倫理>について考えている。考えれば考えるほど、分からなくなってきている。諸々の厄介な問題は、すっ飛ばした上で、将来の考察のために、とりあえず、以下で、その一部にことばを与えておきたい(
先達の智慧を借りてであるが)

「人間という生物に社会を作らせようとする根本のものは、自然よりほかにはないだろう。自然が人間に群れを作らせるために与えたものは、本能ではなく、知性だった。・・・知性は何とか努力して、共同体の維持につとめる。法律、道徳、神話はこうして発明される。・・・共同体に向かって知性の活動全体に染み透るような倫理への根源の欲求が、自然そのものによって植え付けられていなくてはならない。そうでなければ、人間社会は、つまり人間そのものは、自滅してしまうだろう。自然はそれ(=倫理)を植えつけたのである。・・・私たちは知っている。私たちの身近で磨かれる無数の技術が、倫理への隠れたひとつの欲求によって、強く、深く動かされて組織されることがあるのを。日常のこうした技術がなかったなら、私たちの社会はもっとはるかにすさんだものになっているに違いない」(前田英樹『倫理という力』91ページ)。日々のあらゆる技術の研磨・研鑚の過程のなかに、<倫理>が宿っていたのである。
<倫理>は、そのように、共同体のなかに、知性によって生み出されたものでありながら、人間に社会をつくらせようとする自然を出自とする。要は、<倫理>の起源は、われわれ人間の内側にあるのではなくて、自然にあるということだろうか。

そのような論点は、マルク・キルシュ編『倫理は自然の中に根拠をもつか』という学際的なシンポジウムの成果をまとめた本の流れにシンクロする。そこでは、「我々の行動のあるものが、独自の道徳的な根拠をもっていると考えられていたのに、実は生物学的な土台、自然的な基盤をもっているということが示される」(13ページ)。その書のなかで、<倫理>の進化論的な説明が、大きくクローズアップされる。「倫理とは、ある種に属する生物体が、その生存の様式を、その生き残りと適応度を確保する形式だということだ。ヒトという種は、生物が進化の途上でとっている形の一つでしかなく、これも一般法則に従う。倫理は、我々を通じて、生命の役に立っているのだ」(8ページ)。そのような進化論的な<倫理>への接近は、ドーキンスの「利己的な遺伝子」に対して、それだけでは説明できない、生物の<倫理>行動のありようを捉えようとした、マット・リドレーの『徳の起源~他人を思いやる遺伝子』に深く関わっているように思える。

<倫理>に関して、人類学がなしえるのは、山の向こうとこちら側で、<倫理>行動とそれに対する考えが異なっているということを示すことだけでは、おそらく、ない。人類学は、<倫理>と呼ぶべきものが、人間社会においてどのように現れたのか、という問いに対して、議論を重ねて、上で見た諸説に対抗しうるような見方を提示することができるのではないだろうか。
<倫理>の起源が、人間の行動や思考の内側にあるのではなくて、生物学的な土台、自然のなかにあるのではないかという仮説は、いたって興味深い。<倫理>の起源に関して、いまのところ、わたしが言えることは、あまりに少なすぎる。

(写真は、ロンドンのビッグベン:2005年撮影)



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