たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

ペニスピン、その後

2008年05月19日 23時03分06秒 | 性の人類学

さる3月に、プナン人のキャンプに滞在したとき、わたしは勇気をふりしぼって、夫がペニスピンを付けている何人かの女性に、その性具の快楽の度合いについて尋ねようと試みたが、ことごとく、笑ってはぐらかされたり、うまくかわされたりした。で、男たちによる女の快楽の代弁が、幾つか集まった。ペニスピンを知った女性にとっては、それは、「味の素」で味をつけた料理のようなものであり、もはや「塩味」だけの料理では満足できないようなものであるという喩えがなされた。ペニスピンを使うと膣が広がり、もはや、それを使うことなしでは満足できないのだ、という言い分もあった。すべて男たちの解釈である。快楽を表わす表現は、どうやら、プナン語には、「いい(jian)」という言い回し以外にはないようである。快楽をめぐる言語は、月並みであるというか、単純明快であるがゆえに、逆に、深い趣があるようにも感じる。ペニスピンの脱着性について。それは、容易に脱着できる(写真参照:横から見た図)。ある男は、川での水浴び(ふつうパンツ一丁でする)のときに、石鹸をつけて洗っていたら、川の中に落としたことがあると語った。町の娼館などには、娼婦が痛がって困るので、それを取ってから、ポケットに入れてから行くようになっているという話も聞いた。まるで指輪か何かのように。以上、ひさしぶりに、ペニスピンについて。


反省しない文化~大学生はそれをどう受け止めたか?(3)

2008年05月18日 18時10分13秒 | エスノグラフィー

・日本ではなぜこんなにもストレス社会なのか疑問に思うようになった。反省をしないというプナンの考え方は、私は良いと思う。私自身もあまり反省をしない、しかし、反省をしないが由に同じことを繰り返してしまうのではないだろうか。・・・プナン人の反省をしない社会を日本に広めるのは不可能だろうが、私はそのように生きたいと思う(国3)。

もし私がプナン社会に入ったら、私も先生と同じように、色々なことを考えさせられると思います。日本にいて、あたり前すぎて、問われるまでもなかったことを、考えさせられ、思い込みを根底から覆されるのは何だか気持ちがいいです。プナンの生き方は、自然“なのだと思います。日本は特に「こうあるべき」とか「これはこういうものだ」という縛りが多く、窮屈に感じます、善悪という言葉がよく使われているなあと、思いました(健福2)。

・プナン社会は、私たちが住んでいる社会とは価値観などが違っていて驚きました。国や地域によって価値観や生活などが違うということを改めて感じました。日本ではよくうつ病など精神病的な病気があるが、プナン社会にはそういった病気はないのか?プナン社会にうつ病がないのだとすれば、反省や後悔という考えを捨てることで減少するのかなと思いました。日本では、よく自殺やいじめなどという言葉を耳にしますが、プナン社会に自殺やいじめは存在するのですか(国3)。⇒自殺はありません。いじめという概念・言葉はないですが、もし「いじめ」のようなものがあれば、反論がなされるようです。

・私はすぐに後悔し落ち込んでしまうので、このプナン社会の考え方がすごくいいなあと思いました。けど反省はすごく大事だと思います。私はバレーボールを長年続けています。試合に負けたりするとすごく悔しくて、もっとあそこでこうすれば良かったと後悔します。後悔しない為にはもっとどうすれば良いのか、反省します。そして次にぜったいに勝つ。やはりこれは大事だと思います(国4)。

プナン人は反省しないと言っていたが、このような狩猟漁撈を行っているような民俗集団などもまた同じように後悔はするが反省はしないのではないでしょうか?私はよくいろいろな事に対し反省し、そうすることが息苦しく感じることが多々ある。だが反省することは向上心があることだと思う。だからプナン人のような考え方に驚いたが、同時に、私も先生のように少しうらやましく感じた部分もあった。自分はよくくよくよ悩み、気分が落ち込んでしまうことがよくあるので、そんな感情を持たない社会の中に行ってみたい。でもやっぱり「反省する」ことで、人間は成長するのではないでしょうか?だからプナン人たちは昔から変わらない生活スタイルでいられるのではないかと思う(LA2)。⇒狩猟民の社会では、一般に、人びとは反省しないのかということですね。じつは、わたしの知るかぎり、その問題を追究した研究はないので、いまのところ分かりません。

・プナン社会において反省はないということでしたが、日本社会では例えば自分を批判的に反省し、客観視することも自己を磨くことの一つのような考え方があると思いますが、反省しなくても自己を高めることができるのでしょうか。それとも自己の高まり方も反省というものがなければ、また違った自分の高め方というものが存在するようになったのでしょうか(国3)。⇒反省することは自己を高める一つのやり方ですが、反省しない人たちにとって、別の自己の高め方があるのかどうか、私には分かりません。そもそも、プナンには、自己を高めるという意識はないか低いように思います。

プナンは反省しない民族と聞いて最初はこんなのんきな人々がいるのだなと感じたが、授業を受けていく中で私たちは後悔や反省を日々していくことを当たり前だと感じているんだと思った。現代の様々な社会状況や事件も場合によっては過剰な反省からくる思い込みや考えすぎといった事実から引き起こされているのではないかと考えた(国3)。

「反省をしない文化」というのはすごく衝撃的でした。自分は「反省するのが当たり前、反省しないのは悪である」という環境の中で育てられたため、プナンの人々の行動が考えられません。精神的には受付られないと思います。しかし、こうした「反省」の文化というのは、生まれたときからの本能なのではなく、環境によって形成されたものであることを知り、なかなか興味深いと思いました(国3)。

・日本では考えられないと思いましたが、やはり学ぶものは多いと思いました。反省というのは強制されるものではないと思うのですが、日本ではそういうこともあってしまいます。もっと視野を広げていろいろな社会を知るべきなんだと思いました(総文2)。

・今の「反省をしない」という話を聞いていて、よく考えてみたら、私も反省していないということに気づきました。バイトでも反省のふりをしていただけだということに気づき、いっきに親近感を抱きました。日本人は考えすぎたり、うつになったりしてしまう人が多いから、少しはかれらのようにテキトウな感じで生きてみればよいのにと思います(国3)。

反省という考え方がないということに驚きました。普段の私たちの生活の中に「反省」という言葉がない時がないなと思いました。小さな頃から、どっかいたら反省を書かされるといったものが習慣で当たり前のように思っていましたBM3)。

・“プナンの人は反省しない”。これはポジティブな精神でどことなく沖縄の”なんくるないさ~“と似ていると感じたのだが、もし殺人が起きたとしたら、自分たちで気をつけよう、では済まされないような話だと思った。しかし、日本と違い、プナンでは殺人が起きるような事が、そもそも無いのではないかとも考えられた。自分達がしっかりしよう、と当人を責めることのない程度のことなのかと思えば、とても平和な社会が築かれているのではないかと、少しうらやましくも感じた(国3)。

・自分は結構毎日が反省の連続だから、ある意味うらやましいなと感じました。反省をしないから、まちがったことをしたときも特に気にしないで、再び同じことを繰り返すこともあるのだろうかと思いました(国3)。 ⇒そもそも、再びまちがったことを繰り返すことを悪いことだと思わない場合、反省をしないのだと思いますが、いかがでしょうか。

・私はなんとも複雑な社会に生まれてしまったんだと、プナンの人々の生活について授業を受けている内に感じました。私たちは、無理矢理楽しさ、幸せを見つけたり、必要以上のストレスをかかえこんでしまっていて、自ら自分を毎日の生活で痛めつけてしまっていると感じました(国4)。

反省しない人々。最初それを聞いた時はびっくりしました。そんな文化があるのか、でもその人自身が反省するのではなく、そうさせてしまった周り(人や環境等)が変わるということ。今の日本社会において、少し取り入れてみれば、ストレスをあまり溜め込まずに、よい方向へといくのかなと思いつつ、日本社会には、反省しない事は認められないんだろうなって思いましたBM4)。

・プナンは反省しない社会だという事を初めて知りました。私はなにかとマイナス思考で、すぐ反省したりするので、そういう意味ではプナンの人々はすべてにおいてプラス思考で前向きな人々が多いのかなと感じました(総文4)。

・反省しない社会があることを初めて知りました。プナンの人々には信頼とか信用するとかいうことがないのか疑問に思いました。これでも社会が成り立っていることにも疑問に感じました。私たちの社会は反省する日が毎日あるので、考えられなかったのが私の感想です(国4)。⇒おそらく信用・信頼というのをわざわざ言わなければならないようなレベルの社会組織の密度というのがあるのだと考えます。プナンは、そういったことが話題や問題になるほど、人間関係が粗くはないように思います。ほとんど実証不能ですが。

終わり。

(写真は、反省しない大人たち?)


反省しない文化~大学生はそれをどう受け止めたか?(1)

2008年05月18日 16時38分09秒 | エスノグラフィー

先週の金曜日の「アジアの社会」の授業を半分くらい使って、プナン人の反省しない文化について話をした。同時に、プナンについての講義が終わったので、これまでの講義についての感想、疑問などを提出してもらった。そのうち多くが、反省しないプナンの文化についてのものであった。読んでいて、考えさせられるものがいくつもあった。以下では、反省しないことに関して書かれていたコメントペーパーから文章を、そのまま抜き書きしてみよう。さらには、質問(白字で書かれた部分)に答えてみたい(赤字は、わたしが読んで共鳴した部分:黄字は、質問に対する回答)。

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・反省と後悔ですが、私は反省するからこそ、次に同じ失敗を繰り返さないものだと思ってきました。なので、反省をしないプナン人は、同じ失敗をしないのか気になりました(国3)。⇒プナン人は、あくまでも状況主義で、失敗を反省というフレームワークへと組み込まないように見えます。

・特に反省するという行為は、次に同じことを繰り返さないためにも必要なものだと思っていたが、逆にその考え方にしばられてしまうこともあるのだと思った。どちらがよいとは言い切れないことは多々あるが、自分の世界だけで生きていくよりは、こうして他の世界に住んでいる人たちに触れ、考えるということはとても大切なものだと思う。フィールドワークも機会があれば挑戦してみたいとも思った(LA2)。

・プナン人は反省をしないことが分かったような気がしましたが、1つ疑問が出てきました。人が物を盗んで酒を買うお金をつくってしまうプナン人の例が出てきましたが、確かに彼自身はそうすることが悪とは思っておらず、反省をしていません。しかし、盗まれた村人たちは話し合いの場において盗まれては困る、ではどうしたら盗まれないのか?と話し合っています。これは反省ではないのですか?自分の物の監視がゆるかったことをかえりみて、そのことについて、どうすればそれが改善されるかということを考えていると思います。それは反省には入らないのでしょうか?(国3)たしかに、集団で反省しているようにも見えますね。重要な指摘だと思いました。その点からいうと、個人的な反省はしない、個人的な反省の回路がない、というふうに言ったほうがいいかもしれませんね。

・プナン社会の「反省しない」とは、はじめ悪い意味で捉えていたのですが、個人ではなく、全体でどうすればいいかとする解決法は好ましいと感じました。一つの事象で独りが向上するのではなく、複数で共有することができる点がプナン独特なものではないでしょうか。解決の仕方も日本では考えられない方向性で進んでいく。驚きの連続です(国3)。

・反省しない社会にも驚いた。最近大学生の中で反省しない人が多いと日本社会を恐ろしく思ったが、考え方を変えるとそういう見方もあるのだなあと思った(国3)。

・日本は小さい頃から学校で「今学期の反省」などをやらされてきたので、この影響は大きいと思いました(BM3)。

・「反省」をしないという考え方はすごくうらやましいと感じます。私達の日常は反省ばかりすることが求められ、これからのためにということばかり考えています。正直つかれますよね。「生きるために生きる」そんなシンプルな彼らに少しあこがれました(BM4)。

・集団無責任体制をとてもうらやましいと思った。後悔や反省は日本社会では日々くり返されていることであり、学校生活では小学校1年生から、学習や掃除の反省などがある。日本では子どもを反省、自分自身をふりかえらせることで「教育」していると思っているかもしれない。しかし、プナン人も他民族とハンティングのキャンプなどで一緒に仕事をすることがあるのだから、いつかプナン社会にも反省するということが組み込まれていってしまうのではないだろうか(反省することによって、再度、そのまちがいをおこさないようにすることができるのだから)(国4)。
⇒そうかもしれません。外部の影響で、プナン社会にも今後反省システムのようなものが浸透していくかもしれません。

・プナン人は反省や後悔をしないという話を聞いて不思議な感じがした。私達は反省や後悔をすることが普通になっているから、先生が車に乗りそびれたときに同じことを思ったけれど、プナン人はその時何を考えていたのか、何も思わなかったのか、わからず不思議です。もっとアジアの不思議な民族について知りたくなりました(LA2)。

・現代日本社会に生きる我々が反省せずに生きることは許されない。そして彼らの考えを理解しようとする行為自体も、反省につながるものがある。反省ループに捕らわれるのも困りものだが、反省の反省という形で自分を見つめなおすことは、何らかの利益を与えてくれるに違いない(中3)。

・プナンの反省については反省をしないということではないと思う。酒を買うため、盗みをやった男が反省をするのではなかったが、盗まれた人が、盗まれないようにしよう(個々人の物の管理として)というニュアンスがあったのではないだろうか。また、100%日本語の「反省」という意味ではないだろうが。日本語だけで説明できず、それを語義100%でないからとして、それを否定することにはならないだろう(国4)
。⇒たしかに、自分たちこそが甘かったのだと、集団的に反省しているようにも見えるということですね。逆にいえば、そのことによって、個人は反省しなくてもいいということになっているようなのです。

・個人的に反省をしないという点はちょっと嫌かも・・・(BM3)。

・日本の人びとも反省をしない人も多く見受けられるが、全体必要な事だと思う。反省してから向上できる事もあるし、成功する一つの手段である。言葉が悪いかもしれないが、プナンの人々は楽天家と呼ばれてもおかしくないと思う(国3)。

・プナン社会について長い講義をしてきたが、最後のほうにやったプナンは反省しない、向上心がないということ一番頭に残った。私もそうであるが、日本人は反省することも多ければ、後悔することも多い。だが、反省ばかりしていれば考えることも多くて、ストレスもたまるし、後悔なんかしても前に戻ることはできないので、プナン人の考え方はすごく共感できた。そして、日本人とプナンとの考え方にはすごく違いがあり、おどろかされたLA2)。

プナン社会において、反省という行為をしていないように見える(実際はよく分からない)というのをこの授業で知り、我々日本人がよく行う反省とはどういうものなのか考えてみた。私の解釈としては、過去のあやまちを繰り返さないように心がけるというものであり、心がけであるがゆえに必ずしも同じあやまちを防止できるものではない。このことから反省することは、確かに失敗を繰り返さないようにするという意味でいいことだと思う。しかし反省とは自分をしばりつけるものなのだと感じた(国3)。

・プナンの「反省」をしないという社会は、うらやましいと感じました。人にとって自分を批判するという行為はとても辛いことであるし、プレッシャーとなり、ストレスになるのだと思います。私は今までそういった社会で生き、それが当たり前だと思っていましたが、今回の授業で「逆になぜ私たちは反省するのか」という疑問を抱きました。反省するということは、「悪いことをしてしまった」という罪悪感があるからだと思います。しかし、そういったことを気にしながら生活するのは、何かもったいないと感じました。いつも何か気にしながら、ストレスを抱えて生きるよりも、プナンの人のように生きられたらどんなに良いだろう・・・と思いました(国4)。

・反省をしないプナンの人々について。これはプナンの人々は日本人にくらべ、自分の行動に対して批判される、人から言われることに対しての意識が低いから反省しないのだと思う。逆に日本人は批判をされるからこそ反省しなければならない状況が作り出されていると思う(言4)。

・反省が文化だなんて今まで考えたこともなかったので、面白かったです(国3)。

・プナン社会は文明社会で生きてきた自分としては、反省しないというのは腹立たしいことであろう。ただ、プナンでは、それが当たり前であり、逆にその考え方が過ごしやすい生活になるのである。言い換えれば彼らの知恵であるのかもしれない。それを思ったうえで彼らを責めることはできない(国3)。

・プナン社会について全て通して最後の反省しない、反省するということが不在であることに驚いたし、私が必然的に社会に反省を気づかないうちにしむけられているような気がした。向上と共に反省はあるのだろうかと思ったLA2)。⇒将来的に向上するということ、言い換えれば、右肩上がりの時間軸を視野に入れていないと反省しなくてもいいということなのかもしれません。

私たちは、小さい頃から悪い事をするたびに、先生や親から“あやまりなさい”、“反省しなさい”といい続けられるので、プナン人の反省しない生き方をうらやましく思っても、すでに、反省しないということをできないだろう、と思った。反省をしようと思っているだけでなくて、失敗した事を後でその失敗について思い出してる、時点ですでにもう反省しているのだろうと思う。プナン人の反省を見ていると、成長するために反省している我々だが、反省と成長は関係ないように思えた(国4)。

次回に続く。

(写真は、反省しない子どもたち?)