たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

クラシック特選(かなりムダな主観コメント付、ついでに絵文字も)

2010年09月30日 10時07分17秒 | 音楽

・一時期、バーンスタインのCDボックスでマーラーを聞きまくっていたことがある。朝から夜まで、一番から十番まで。マーラで最も好きなのは、交響曲第三番。出だしが、シャキッとしていて清々しい。第四楽章にアルトの独唱があり、第六楽章にまで来ると、涙が出そう。 「復活」は、出だしと、第四、第五楽章の声楽が荘厳な感じでいい(YouTubeでは、全曲入っている)。「巨人」(一番)の雄大な雰囲気も好き。
マーラー、交響曲第三番第一楽章、ゲルギエフ指揮、ロンドン
http://www.youtube.com/watch?v=FpN-GYEdKKs
マーラー、交響曲第三番第四楽章
http://www.youtube.com/watch?v=KqxoMnKrruU&feature=related
マーラー、交響曲第三番第六楽章、ズービン・メータ指揮、ベルリン、2008年
http://www.youtube.com/watch?v=OzqBTBXMgpE
マーラー、交響曲第二番「復活」、カリフォルニア大学デイヴィス校
http://www.youtube.com/watch?v=d6idPaGqvV8
マーラー、交響曲第一番「巨人」、バーンスタイン指揮、ウィーン、1975年
http://www.youtube.com/watch?v=hIBFLGe-0s8

・夜想曲(ノクターン)のビデオのピアニストの(横向きの:後ろ姿の)美しさといったら他にない。なぜこちらを向いてくれないの?、と言いたくなるような。ショパンのピアノ協奏曲がなぜか、ずっと前から気に入っている、なんだかこう、寂しさに貫かれているというような感じがいい。
ショパン、ノクターン第十番、高木梢
http://www.youtube.com/watch?v=L5NwgYOJhAw

ショパン、バラード第一番、ホロヴィッツ、
http://www.youtube.com/watch?v=XhnRIuGZ_dc
ショパン、ピアノ・ソナタ第一番第一楽章、リパッティ
http://www.youtube.com/watch?v=nwdllqgXqyA
ショパン、ピアノ協奏曲第一番第一楽章
http://www.youtube.com/watch?v=ZNIK1yaKr_4&feature=browch

・ベートーベンのチェロ・ソナタのビデオでは、グールドが見れる。
ピアノ・ソナタでは、テンペストの第3楽章がいい。悲愴もいいけど。
ベートーベン、チェロ・ソナタ第三番、第一楽章、ローズとグレン・グールド
http://www.youtube.com/watch?v=GchB9unYkOE
ベートーベン、ピアノ・ソナタ第八番「悲愴」、バレンボイム
http://www.youtube.com/watch?v=qeL8oZAkDBA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=32iZAJoDpxg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=3mp6-bLEgcw&feature=fvsr
ベートーベン、ピアノ・ソナタ第十七番「テンペスト」、ケンプ
http://www.youtube.com/watch?v=WTzA6Mg_i7A
http://www.youtube.com/watch?v=mIsqFjiA7ao&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=LfjD-DQ5REk&feature=related

・超絶技巧練習曲の楽譜は演奏不可能だったと聞いたことがあるが、高みを目指すピアニストという感じがする。
リスト、超絶技巧練習曲10番、ワッツ、2006年
http://www.youtube.com/watch?v=haRCdflznIw

・無伴奏チェロ組曲は、一番~三番。暑い日の昼下がりに、けだるい雰囲気で聞くのがいい。
バッハ、無伴奏チェロ組曲第一番~第三番、カザルス
http://www.youtube.com/watch?v=rIzKdmDxdD0
http://www.youtube.com/watch?v=xBp_R_RcbEw&p=85F1D7840F829DDD&playnext=1&index=31
http://www.youtube.com/watch?v=ufcMMrOnpYE&feature=related

・アルゲリッチのほとばしる才能「白鳥の湖」の繊細な優雅さ。
チャイコフスキー、ピアノ協奏曲第一番第三楽章、アルゲリッチ、1980年
http://www.youtube.com/watch?v=vBnzQEFDW04
チャイコフスキー、「白鳥の湖」
http://www.youtube.com/watch?v=T_5WCZ-XvG4

・ブラームスの交響曲では、二番と四番がいい。滔々と流れる大河をイメージする。4,5日間かけて、汽船でボルネオ島の川(マハカム、バリト、カプアス)を遡る旅に、ピッタリだ、と思う。まだあるかな、ジャングルをクルーズする、あのスローな船?
ブラームス、交響曲第二番第一楽章、カラヤン指揮
http://www.youtube.com/watch?v=UccOlCBcIs8
ブラームス、交響曲第四番第一楽章、クライバー指揮
http://www.youtube.com/watch?v=yCaaPaQx5zg

・わお~、ジーニアス、グールドのゴルドベルク!
バッハ、ゴルドベルク変奏曲1-7、グレン・グールド
http://www.youtube.com/watch?v=g7LWANJFHEs
同8-14
http://www.youtube.com/watch?v=vPIS5yvvT2Y&feature=related
同15-19
http://www.youtube.com/watch?v=thk_Xap-Isw&feature=related
同20-14
http://www.youtube.com/watch?v=z1CDzn_7aLs&feature=related
同26-30
http://www.youtube.com/watch?v=Rtt1msnwlZQ&feature=related

(写真は、グレン・グールド、ゴールド・ベルク変奏曲BMV988、1955年モノラル録音のジャケット)


アニミズム問答

2010年09月29日 08時03分11秒 | 宗教人類学

【文化人類学専攻の学生・片部 杏(かたべ あん)と、文化人類学の先生・K-TMのアニミズム問答】

片部 杏:獣魂碑とか鳥獣供養塔とかってのは、いったい何なんですか?

K-TM:ありゃ、石の碑をつうじて、動物に対する供養の念を表すという、地球上でも珍しい現象じゃぞ。
            
アーメン観自在菩薩アッラーアクバル。

片部 杏:原当麻駅前にも、でっかい豚霊碑ってのがありました。

K-TM:ほう、文化人類学専攻の学生なら、そういうのを見たら記録をとれと言っておいたはずじゃぞ、と
            
ってきたか?

片部 杏:はい、これです。

K-TM:よしよし感心じゃ、どれどれ。ほほう、昭和の戦争以降、従来のようにコメ作りだけで経済が立ち
      行かなくなって、畜舎を立てて家畜業を専業化したのじゃな。農協が中心となって、高品質の
      豚
を仕入れた。それが昭和37年のことか。その5年後には、年間1万頭を出荷したとな。その
      ことを祝して、この碑を建てたようじゃな。おっ、この隣に畜霊塔というのもあるな。

片部 杏:ええ、それは、豚霊碑より一回り小さく、昭和18年に麻溝搾乳組合によって建てられたようで
      
す。

K-TM:どうやら、動物の霊を弔うという思いが、このあたりの畜産業者によって受け継がれていたようじ
      
ゃな。

片部 杏:で、これって何なんですか?

K-TM:動物霊に対するアニミズムじゃよ。ある人は、生き物に対する供養行事は、アニミズムを背景と
       しつつ、長い間の仏教思想に培われた精神の結果だといっておる。また、別の人は、日本で
       は、花や魚や迷子郵便に至るまで、アニミズムが願主の意向を受けていたるところで供養碑
       などに結晶化しているといっておる。

片部 杏:へ~。

K-TM:供養の対象を生き物だけでなく、無生物にまで広げてきた日本人の行動から推し量ることがで
                きるのは、日本人が、死んでしまった存在、かつて愛着や情愛を傾けた存在に対するアニミス
       ティックな想像力に拠りながら、日常の現実を組み立ててきたという事実じゃ。

片部 杏:は~、で、アニミズムって何ですか?

K-TM:19世紀の名付け親のタイラーは、人間以外の存在に魂や霊の存在を認める考え方のことだと
       いっておる。

片部 杏:いわゆる精霊信仰ってことですか?

K-TM:いかにも。アニミズムについて考えるためには、アニミズムについてどういう具合に議論がされ
       
てきたのかを考えるのが肝要じゃ。最初に、19世紀のアニミズム論だが、文化人類学を中心
                になされたのじゃ。アニミズム論は、
宗教の起源論に関わっておった。文化もまた進化すると
       いう考え方を基礎にして、アニミズムは、宗教の原
初形態と考えられたのじゃ。でも、20世紀
       
になって文化進化論が批判されると、しだいに、アニミズムをめぐる議論も下火となったのじ
       ゃ。

片部 杏:ってことは、われわれは、いまだに19世紀のアニミズム論を生きてるってことですか?

K-TM:ちょっと、そんなにあわてるでない、そうでもあるし、そうでないとも言えるのじゃが、もう少し先を
       見ておこう。新しいアニミズム論を提言したのは、じつは、文化人類学者じゃない。動物行動
       学や霊長類学などの進化科学、進化論や認知科学の影響を受けた心理学、考古学などが
       一体となって、宗教の起源論およびアニミズム論をリードしてきたのじゃ。

片部 杏:それで、それで?

K-TM:今日の認知考古学では、いまから6~3万年前ほどに、宗教が出現したとする見方が優勢なん
       
じゃ。ミズンによれば、現生人類の出現に先立つ約20万年の間、石器を用い、言語を操って
       いたとされるネアンデルタール人の脳では、社会領域、技術領域、博物領域などの脳内の諸
       領域が分化していた。そのため、彼らは、ありのままでしか物事を捉えることができなかった。
       「石」を見たなら見たなり、「木」を見たら見たなりのものとして理解することができたが、それ以
       上のことを行うことはなかった。ところが、現生人類の脳には、それぞれの領域を隔てる壁が崩
       れて、ニューロンが組み換えられた結果、それらをつなぐ新たな回路がつくられ、その回路を
       とおして、諸領域を横断する流動的知性が作動するようになった。そうした高次の知性の発達 
       によって、現生人類はいくつもの意味の領域を重ね合わせて、比喩や象徴を使えるようになっ
       たんじゃ。現生人類の脳は、さまざまな存在に対する知識を結び合わせて、「石」や「木」など
       の無生物にも、人間と同じように意思や意識のようなものがあると考えるようになっ。そのことは
       現生人類においてはじめて、目に見えない超自然的存在に対する敬意や畏怖が出現した
       とを示しておる。あくまでも仮説じゃがな。

片部 杏:ほう、人類の認知の進化のなかに宗教の起源があるってことですね。そうした認知進化の過程
       で生み出された観念と実践は、タイラーならば、人間以外の存在のなかに魂や霊を読み取
       る、アニミズムと呼んだ現象だということですね。

K-TM:そのとおり、わかってきたじゃないか。アニミズムは、現生人類が認知進化の過程で流動的知
       性を獲得した結果、目の前にある事物や事柄だけでなく、それとは別次元に存在する事物や
       事柄との関係のなかで、日常の現実を組み立てなおしたり、日々の問題を解決したりする手
       立てとして立ち現われたということじゃ。もしそうだとすれば、タイラーのアニミズム理解は、そ
       れでいいのじゃろうかということになる。

片部 杏:えっ、どういうことですか?

K-TM:南米の先住民のトーテミズムやアニミズムの調査研究からは、タイラ的なアニミズムとはずいぶ
       ん違うアニミズムが報告されておる、じゃ、このあたりの話からしていこうかな。

片部 杏:お願いします。

K-TM:ちょっと難しいが、デスコーラという南米のアシュアルを調査した人類学者は、身体性内面性
       という概念を用いて、世界に関する情報を持たない状況下で、主体が自分自身とそのほかの
       存在との差異と類似を発見する仕組みについて考える思考実験をやったのじゃ。アニミズムと
       いうのは、彼に言わせると、動物や神、精霊やその他の無生物といった非人間的存在が、人
       間との間で、身体性は異なるが、内面性において類似しているという事態を意味している。つ
       まり、デスコーラによれば、人間と間が、異なる身体性をもつが、類似する内面性を有す
       ることなのじゃ。

片部 杏:どういうこと?お化けと人間は、身体は違うけど、内面は同じだということ?たしかに、お化けは
       足がないし、人間は足がある。でも、感情の面では、お化けは人を羨んだり、復讐してやろうと
       する。ははん、そういうことで、アニミズムってのは、異なる身体性と類似する内面性か。デスコ
       ーラって、けっこうやるじゃん!

K-TM:南米のアラウェテ社会を調査研究したヴィヴェイロス・デ・カストロも、よく似たことを言ったんじ
       ゃ。
動物、精霊、人間は、内面的・精神的には同じあるが(=連続的)、身体的・物質的には
       異なる(=非連続的)と、南米先住民は考えていると。この点を踏まえて、ヴィヴェイロス・デ・
       カストロおじさんは、南米先住民社会において、アニミズムは、間存在物に対して、人間
       の性質を投影する営みではなく、動物と人間が、それぞれが自らに対してもっている再帰的な
       関係が、論理的に等しいことを表現するものだという。わかるかな?

片部 杏:う~ん、難しいな・・・

K-TM:カストロおじさんは、こうもいう。タイラー流のアニミズムでは、人間と人間以外の存在との断絶
       
が前提とされて、両者がまず「きり」よく分けられた上で、人間のもつ特質としての精神や魂が
       間の上に投影されている。それに対して、アメリカ先住民のアニミズムでは、人間と
       
間は、そもそも内面性において通じており、そうした相互の内面性の連続性こそが、アニミズ
       ムなんじゃと。その意味で、間存在物への人間の性質の投影という、タイラー流のアニミ
       ズム理解は、そこでは役に立たないことになるのじゃ。

片部 杏:なんかわかったような、わからないような・・・

K-TM:要は、タイラー流のアニミズム理解じゃ、アニミズムの本質は捉えきれてないのじゃないかとい
       う問題提起だな、これは。認知考古学がいうように、人間と無生物や動物の間に連続性を見
       出す知性のあり方が、現生人類の脳の組織の組み換えで生まれたのだとすれば、その知性
       は、人間と人間以外の存在を「きり」よく分けたうえで、自己の内に魂を想定し、それに引き続
       いて、人間以外の存在のなかに人間がもつ魂の存在を読み取るというような、順を追って得ら
       れたのではなくて、人間のなかに魂を見出す過程も間のなかに魂を見出す過程も同時
       に起こったのではないかということなのじゃ。逆にいえば、タイラー流のアニミズムは、人間と非
       人間を切り分けた上で、間のなかに人間様の魂や霊を読み取っているということになる。

片部 杏:タイラーは、人間だけに精神を認め、そのほかの存在と分けて考えたデカルトの考えを引き継
       いで、そのほかの存在に人間がもつ精神を読み取ろうとしたのがアニミズムであって、そういう
       理解じゃ、アニミズムのなんたるかに届いていないってことですかね?

K-TM:ま、そんなところじゃ。

片部 杏:じゃ、われわれは、タイラーじいさんに付きあって、学問をして、回り道をしてたってことになるん
       じゃないですか?学問をしなくともわれわれはアニミズムを知っている、人間が生きていること
       
が即アニミズムだということになる?

K-TM:そのとおりじゃ。われわれ人間は、学問を経由せずともアニミズムを生きとるんじゃ。川上弘美
       の小説『蛇を踏む』では、主人公のサナダヒワ子は公園に行く途中の藪で、蛇を踏む。秋の蛇
       なので、歩みがのろかったという。踏んでから蛇に気づいた。蛇は「踏まれたらおしまいです
       ね」と言い、どろりと溶けて形を失った。そして、人間のかたちが現れた。人間になった蛇は、
       50歳くらいの女性となって、ヒワ子の部屋に住みつくようになる。自分のことを、ヒワ子の母だと
       名乗り、以前からそこに住んでいたように至極自然に膳を並べ、ヒワ子とビールを酌み交わ
       す。ヒワ子は、その人間が蛇であると気づいている。その後、ヒワ子の勤め先の数珠屋のおか
       みさん・ニシ子もまた、蛇と関わっていることが分かってきた。その蛇は、ずいぶん歳を取って
       いて死期が近い。ニシ子は、蛇の世界はほんとうに暖かいという。何度もあちら側に行きそうに
       なったともいう。あるとき、ニシ子はその蛇を踏みつぶした拍子に怪我をする。死んだ蛇は埋め
       られた。数珠の納品先の願信寺の住職もまた、蛇に関わっている。蛇を女房にしていたことが
       あるという。家の切り盛りはうまい、夜のことも絶品だという。子どもは産めないが卵を産む。その
       うちに、ヒワ子の部屋の蛇は、カナカナ堂で仕事中のヒワ子を訪ねてくるようになった。部屋に
       戻ると「ヒワ子ちゃん、もう待てない」と言って、ヒワ子の首を絞め始めたのである。その後の格
       闘。結論も何もないまま、話は終わる。

片部 杏:それって、アニミズムなのですか?ま、なんとなく分かりますけど。話の内容もわかります。

K-TM:その本のあとがきを書いている松浦寿輝は、こんなことを言っている。
たくさんの動物や植物が
       入り乱れる川上弘美の物語世界では、種と種との間の境界が溶け出して、分類学の秩序に
       取り返しのつかない混乱が生じてしまう。一つの種からもう一つの種へと、存在は自在に往還
       できるかのようである。彼女の作品の登場人物たちは、誰も彼も勝手放題に自分を動物化し、
       植物化し、しまいには生物と無生物との境界も消え去ってしまう。わたしたちが眺めている世
       界の風景には、ふつうは「きり」がある。それは、「きり」良く分類され、例えば人は人であり、蛇
       は蛇であって、それらカテゴリー間の混同はありえないという明瞭な了解がそこで営まれてい
       る安穏な生の持続を保証している。世界は、基盤のマス目のようにかっきりと「きり」分けられて
       いるのが常態なのだ。川上は、この「きり」の概念を崩壊させる。わたしたちを取り巻く世界は、
       直観的には、「きり」分けることがない存在から成り立っているのではないだろうかと。

片部 杏:そっか、じつは、わたしたちは、人間とそれ以外の存在を「きり」よく分けて、非人間的存在に
       人間的な性質を見てとっているわけではないのですね。アニミズムとは、人間
と人間以外の諸
       存在が、きちっと「きり」分けられることなく、溶け合って、交差する幻想のようなものなのです
       ね。そうした幻想文学に、われわれは直観的に
はまりこんでゆくことができるのは、そうした幻
       想能力を、認知の進化の過程で、現生人類が獲得したからですね。
 だから、人間は、アニミ
       ズムを生きてきたということにもなるのですね。

K-TM:そのとおりじゃ。励みたまえ、霊界研究。

片部 杏:はい、ぼちぼち。

上のアニミズム想定問答は、奥野克巳 近刊 「アニミズム、『きり』よく分けられない幻想領域」吉田・石井
花渕共編著『宗教の人類学』、春風社の主要論点を取り出して、再構成したものである。

(写真は、ボルネオ島・カリス社会の「精霊と闘わせる戦士の木像」)
 


ロリータとLolita、ふたたび

2010年09月28日 08時29分41秒 | 文学作品

ふたたび、『ロリータ』の話、しつこいようですが。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/d/20100909
ウラジミール・ナボコフの世界に、わたしは魅かれるようになった。『ロリータ』は、偏愛を扱っているとはいうものの、その内容は、ハンバート・ハンバートによる
現実の真正面突破、現実との大真面目の格闘ではないだろうか。その一方で、文面のあちこちから噴き溢れてくる、こみ上げてくるとでもいうべき可笑しさ、滑稽さがある。それが、ナボコフに惹きつけられる、なんとも堪らない魔的な力である。太陽がギラギラと照りつける暑熱の裏に、ふと感じる哀れ、悲しみのようなもの。いや、むしろ要素としては、その逆かな?シリアスを突き抜けた先にあるコミカル。

エイドリアン・ライン監督による、1997年の『ロリータ』を見た。
ジェレミー・アイアンズ(ハンバート・ハンバート役)、ドミニク・スウェイン(ロリータ役)。スタンリー・キューブリック監督の1962年の『ロリータ』とは、脚本がずいぶん違っている。キューブリックの『ロリータ』はモノクロで、ラインのそれはカラー作品。その意味で、ラインの映画のほうが現代的で、我々の感覚的日常により近い。しかしながら、残念なことに、ナボコフの文学作品のなかに溢れている、滑稽さが消えてしまっているように感じられる。あの味を映画作品で出すのは、土台無理なことなのだろうか?すがしがしく、美しく、その反面、官能的な映画に仕立てられている。

ナボコフをどう読むか。
原文の英語にも、当たらなければならないのではないかと思うようになった。若島訳の日本語版で印象に残った部分を、英文(Vladimir Nabokov "Lolita", Vintage Books, 1995ー表紙写真がいいー)で拾い出して読んでみる。ナボコフの才気の原型に、じかに触れている気がする。適当にひとつふたつ。ローは、言葉使いのガサツな、どうしようもない娘。H.H.には、どうやら、そのあたりが好ましいらしい。カッコ内の言葉が可笑しい。


"Drive on", my Lo cried shrilly.
"Righto.  Take it easy." (Down, poor beast, down.)
I glanced at her.  Thank God, the child was smiling.
"You chump," she said, sweetly smiling at me.  "you revolting creature.  I was daisy-fresh girl, and look what
you've done to me.  I ought to call the police and tell them you raped me.  Oh, you dirty, dirty old man."(p.141)

「まっすぐ行って」と我がローは金切り声をあげた。「わかった。落ち着いて」(静まれ、こんちくしょう、鎮まるんだ。)わたしは彼女をちらっと見た。神よありがとう、子どもが微笑んでる。「この間抜け」と彼女は言って、甘ったるい頬笑みをわたしに投げかけてきた。「あんたって、ぞっとするわ。わたしってピチピチの娘だったのに、なんてことしてくれたのよ。警察に電話して、あんたにレイプされたって言ってやるわ。もうこの薄汚れた、汚らしいオヤジめ」(奥野克巳仮訳、
若島正訳は、『ロリータ』新潮文庫、252ページ参照)。

ハンバート・ハンバートが、ロリータと続けた車の旅を回想する場面。自虐的だというのではない、自分自身を叩きのめすのではなく、それからは少しずれた、悲しみの先に透けて見えるとでもいうような可笑しさ。

And so we rolled East, I more devastated than braced with the satisfaction of my passion, and she glowing with health,  her bi-iliac garland still as brief as a lad's, although she had added two inches to her atatue and eight ounds to her weight. We had been everywhere. We had really seen nothing. And I catch myself thinking today that our long journey had only defined with a sinuous trail of slime the lovely, trustful, dreamy, enourmous country that by then, in retrospect, was no more to us than a collection of dog-eared maps, ruined tour books, old tires, and her sobs in the night--every night, every night--the momemt I feigned sleep. (p.175-6)

わたしたちは東に向けて車を転がし、わたしは情熱を満たすことで奮い立つよりもやつれたが、彼女は健康で輝き、二枚の腸骨の花輪は少年のようにほっそりしていたが、身長は2インチ伸びたし、体重は8ポンドも増えた。わたしたちは、あらゆるところに出かけて行った。わたしたちは、ほとんど何も見なかった。わたしは今ふと思う、わたしたちの長旅は、素敵な、信頼のおける、夢見るような広大な国土を、ねばねばした液の曲がりくねった跡をつけただけで、振り返ってみれば、それは、端を折った地図や、ぼろぼろの旅行案内書や、古いタイヤや、わたしが寝たふりをした瞬間の夜の彼女のすすり泣きー毎晩、毎晩のことだったがーの寄せ集めにすぎなかったのではないか(奥野克巳仮訳、若島正訳は、『ロリータ』新潮文庫、310ページ参照)。

メモとして。


『動物のいのち』

2010年09月27日 12時01分48秒 | 文学作品

J.M.クッツェー『動物のいのち』森祐季子・尾関周二訳、大月書店(2010-34)

これは文学作品なのか?、たしかに、最初に置かれたクッツェーによる二つの話は、
クッツェーのプリンストン大学の講演のなかで語られたとはいえ、フィクションである。しかし、その後に、クッツェーの講演に対する4人の学者による「リフレクションズ」(コメント)が掲載されている。

まずは、大まかな内容。
プリンストンのタナー講演に招かれた作家・クッツェーは、講演のなかに、架空のオーストラリア在住の女性作家、エリザベス・コステロを登場させ、彼女が、アップルトン・カレッジから講演の招待を受け、彼女の専門領域のことではなく、人間の動物の扱いについて論じるという、手の込んだしかけをした。おそらく、扱っている問題があまりにも大きすぎて、あるいは、過激な問題提起をした折に、エリザベス・コステロという人物を立てたほうが賢明だと、クッツェーは考えたのではないか。いや、こうした組み立てのほうが、聴衆および読者が、想像力をつうじて、問題の広がりを捉えることができるだろうと思ったからなのかもしれない。エリザベス・コステロによる二つの講演は、「哲学者と動物」、「詩人と動物」と題されている。

エリザベス・コステロは、わたしたちの動物の扱いについてぶちかます。

率直に言わせて下さい。私たちは堕落と残酷と殺戮の企てに取り囲まれていて、それは第三帝国がおこなったあらゆる行為に匹敵するものです。実際、私たちの行為は、終わりがなく、自己再生的で、ウサギを、家禽を、家畜を、殺すためにこの世に送り込んでいるという点で、第三帝国の行為も顔なしといったものなのです(32ページ)。

コステロに対する抗議の意を表明するために、著名な詩人アブラハム・ハーンは、ディナーを欠席し、手紙を送ってくる。

貴女はご自分の目的のために、ヨーロッパで殺されたユダヤ人とされた家畜という、ありふれた比較を借用しておられました。ユダヤ人は家畜のように死んだ、したがって家畜はユダヤ人のように死ぬ、とあなたはおっしゃる・・・もしユダヤ人が家畜のように扱われたとしても、家畜がユダヤ人のように扱われることはならないのです。たんに逆に置き換えることは、死者の霊にたいする侮辱です。それはまた、収容所の恐怖に安っぽいやり方でつけ込むものです(82ページ)。

動物の扱いをホロコーストと比較する、
コステロの過激な発言は、聴衆を苛立たせる。しかし、彼女の態度は、クッツェーの講演のコメンテータの一人である、ピーター・シンガーをして、人間と動物の関係の「過激な平等主義」(156ページ)であると言わしめている。シンガーのスピーシズム(種差別)批判よりも、一歩踏み込んでいるともいえるのだ。

菜食主義者であるコステロは、薬物実験場、養殖場、場、食肉処理場などを全面拒否する。「私は動物のいのちを産業化し動物の肉を商品化する先駆けを務めた者が、その償いをしようとするさいの最前線に立つべきだと、心底思います」(104ページ)。

コステロはさらに言う。「動物にとって、いのちが私たちにとってほど問題ではないと言う人はみんな、生きようと闘っている動物を自分の手で抱えたことがない人たちです。動物の全存在が、その闘いにありったけ篭められいるのです。その闘いに、理知的な、あるいは想像的な恐怖という面が欠けていると言うなら、賛成します。理知的な恐怖を抱くのは、動物の生き方ではありません。動物の全存在は生きた肉体に宿っているのです」(110ページ)。彼女の論点は、「充足した存在としてのコウモリであうということは、充足した存在としての人間であることと同じことで、それもまた充足した存在なのです・・・充足した存在であるということは、肉体と魂が一つになって生きるということです。充足した存在であるという経験の一つの呼び名は喜びなのです」(52~53ページ)というところにある。コステロにとって、充足した存在として、人間と動物は平等なのである。

コステロと彼の息子、アップルトン大学の関係者などを登場させた
クッツェーの意図は、はたして、いったい何だったのだろうか?

わたしが感じたのは、アップルトンにいる彼の息子が、母の講演は、支離滅裂さを孕んだものであったと表明しているように、この種の議論が、込み入っていて、ときには、わたしたちをウンザリさせるものであるということを、クッツェーは伝えたいのではないだろうかという点である。作品中の二つの講演を読んでいるときには、強くそう感じた。

例えば、以下のようなこと。
コステロの論敵トマス・オハーンはいう。「私の周りにいる多くのさまざまな動物愛好家のなかから、二つのタイプを取り出してみましょう。一方は狩猟家です。動物をとても基本的な、思索的ではないレベルで賞賛する人たちです。動物を見つめ、跡を追って何時間も過ごす、そして殺した後はその肉を味わって喜びを得る。もう一方は、動物とほとんど接触せず、少なくとも自分たちが保護しようとしている家禽や家畜といった動物とほとんど接触せず、そのくせ全ての動物が、誰もが奇跡のように食物を与えられ、誰もが他の生き物を餌食にしないー一種の経済的真空だーユートピア的な生き方をして欲しいと願う人びとだ。この二者のうち、と私は問うのです。動物を愛しているのはどちらだろうか」(109~10ページ)と。その後の議論の展開を踏まえると、明らかにオハーンは、動物に触れもせず動物愛護を唱える観念的な後者を非難するために、こうした問いを持ち出しているように思える。「動物との共同社会を願うことはかまいませんが、それは動物との共同社会で暮らすことと同じではないのです。それは人類が楽園を追われる前の世界を。懐かしんでいるにすぎません」(110ページ)と、オハーンは加える。彼は、狩猟家のなんたるかをよく知らないままだし、説明しないままのように思える。不毛な感じ、煮え切らない議論である。人間の動物の扱いをめぐる議論は、終始、こうした種の議論になる傾向があるように感じる。

しかし、少なくとも、クッツェーの講演に応じた4人の学者は、彼の講演内容を真正面から受け取り、応じているようである。

文学者、マジョリー・ガーバーは、その講演は、動物の扱いについてではなく、文学の価値についてであったのではないかという。ピーター・シンガーは、クッツェーばりのしかけで、ピーターと彼の娘ネイオーミの会話というフィクションをとおして、ピーター・シンガー対コステロ(クッツェー)の擬似対決を生み出している。その会話の分は、シンガーよりむしろ、
コステロにあるように思える。宗教史家、ウェンディ・ドニガーは、アングローサクソン的な議論を世界中にあてはめることはできないと、作品中のトマス・オハーンの言葉を引き合いに出して、インドにおける動物の扱いを取り上げ、最後に、アングローサクソンの動物愛好家の行き過ぎについて書いている。彼によると、動物権利運動の活動家の解決はこうだ。「今生きている犬や猫を全て去勢することだ。そうすrば二十年間で世界に一匹も犬や猫がいなくなるだろう、と。彼によれば、ギリシア悲劇のヒーローたちと同様、すべての動物にとって究極の権利とは、そもそもこの世に生まれてこないことなのだ」(182ページ)。ウェンディ・ドニガーはいう。「私には、それよりましな方法があるように思えるのだが」(同ページ)。最後に、霊長類学者バーバラ・スマッツ。研究者として、ヒヒとのやり取り、日常生活でのサフィ(犬)との交感をつうじて、「私の体験は『他の存在の立場になって考えて見られる範囲に限界はありません』というエリザベスの言葉にぴったりと当てはまるように思える」(207ページ)という考えを述べている。彼女によれば、動物も人間と同じように、社会的主体であり、個性をもった動物を、一個の主体として見ないのなら、人間のほうが「個性的存在性」を喪失することになるのだという。

本の全体をつうじて、動物のいのちをめぐる議論の広がりについて、なんとなく分かったような気がする。とはいうものの、ヨーロッパ圏におけるものに限られているのだが。しかし、今後その問題に真正面から挑むことができるのかどうかは、まったく自信がない。
そのことを考えると、けっこう絶望的な感じもする。わたしの個人的な関心は、狩猟家がどのように動物を扱ってきたのか、とりわけ、ボルネオの狩猟民がどのように動物と付き合ってきたのか、ということにすぎない。それさえ窮めることができるかどうか、心もとない。

ところで、解説で、尾関周二が、「動物の権利」をめぐる議論(もちろん、西洋発のもの)についてまとめているので、最後に、覚書として、手短に書き留めておきたい。

従来の動物愛護思想には、カントの流れを汲んで、動物虐待は人間性を貶めることになるという、人間のあり方に対する倫理的関心があった。それに対して、「動物の権利」思想は、動物にも人間と等しい道徳的資格があり、人間は動物に対して直接的な責務を負っているとする。その代表的な論者には、功利主義の立場のピーター・シンガー、権利論の立場のトム・リーガンがいる。シンガーは、利害の前提として、動物もまた、苦楽の感覚を持つ点から出発する。彼の主張する平等の原理とは、同等の配慮の要求である。人間と動物をともに含む「最大多数の最大幸福」が目指されるべきだというのが、シンガーの主張である。他方、リーガンは、動物も人間と同様に固有の価値をもっている点から出発する。生命の主体こそが、固有の価値の有無の基準であり、それは人間以外の動物の一部にも認めることができる。リーガンらは、動物実験や工場畜産に対しては、シンガー以上に厳しく、禁止されるべきだと主張する(222~224ページ)。
 

これが分かれば、あれも少しは分かるようになるかもしれない。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/cbdd3875f6ca50155c2afc9c075dd3ea


ジャズ・ミー・ベイビー

2010年09月26日 10時47分02秒 | 音楽

大学生だった、ある真冬、ギリシャのアテネに降り立った。時間をもて余して映画館に入ったら、ふつうの映画(みたいなもの)をギリシャ語でやっていたが、途中からノーカットのポルノ映画に変わった。目が点になった。アテネから列車に乗った、冬のエーゲ海は、いまでは、寂しいだけの印象しかない。国境を越えて、トルコへ。イスタンブール駅から街に出たとき、寒さで身震い。その年、トルコは、ヒトラーの時代以来、最も寒い年であったと、後から聞いた。泊まる所を探し歩いて、ようやく見つけた安宿は、路地のどん詰まりにあった、名前は、HOTEL STOP(行き止まりホテル)。日本人が泊まっていた、わたしを含めて、三人の男、彼らも旅人だった、ルームシェアーした、外に出られないほど、とにかく連日冷え込んだ、シャワーもお湯が出ない、しかたなく、昼間から毛布に包まって話をした(みなさん、お元気かな?)。話が場を少しだけ暖めてくれたように思う。話が途切れて、そのうちの一人が、ウォークマンを聞き始めたので、わたしが持ってきた小型スピーカーをつないでみた、そのとき流れたのが、マイルス・デイヴィスの"KIND OF BLUE"だった。スピーカーから流れるカインド・オブ・ブルーは、部屋のなかに満ち満ちて、急にあたりが明るくなり、空気が暖まったような感じがしたのだ。ジャズが場を暖めるということを、そのとき、初めて知ったように思う。そのあと、わたしは、トルコ国内をあちこち旅して回り、帰国の後、ポップスを止めて、ジャズに転向することになる。それから10年、ジャズを聴きまくった。師匠は、寺島靖国。ジャズは、人を狂わせるという(ほんとうか?)。1950年代に、ドラム、ベース、ピアノによるリズム・セクションを基盤とする音楽形態を完成させて、ヒトに心地よさをもたらした。最初は、LPレコードを買いまくった、のちに、CDを買いまくった。商社に就職もしたが、仕事の合間に、ジャズ喫茶に通って、スイングしていたこともある。どうしてしまったのか、そのうちに、ジャズを聴かなくなった。熱中するが、すぐに冷めてしまう?でも、いまでも時々聞いている。以下、わたしのジャズ特選集20。YouTubeのジャズは、網羅的ではなく、いまだに投稿数がかなり限られているのが残念。 

Miles Davis, KIND OF BLUE
http://www.youtube.com/watch?v=FEPFH-gz3wE
・マイルスからもうひとつ。ジャスの定番。レッド・ガーランドのピアノ・ソロのパートがたまらなくいい。
Miles Davis, MY FUNNY VALENTINE
http://www.youtube.com/watch?v=HS2BUr83O-8
・アート・ペッパーが、マイルスのリズムセクションに出会ったアルバム("Meets the Rythm Section")のB面の一曲目。フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムから始まる。乗りがすごくいい。大好きだ。夏になる前、カーテンが揺れている、というシーンを思い出す。
Art Pepper, JAZZ ME BLUES
http://www.youtube.com/watch?v=d_Emr0INpFE
・でも、アート・ペッパーというと、定番はこちらかも。自己破滅の人生を送ったというが。
Art Pepper, WHAT IS THE THING CALLED LOVE?
http://www.youtube.com/watch?v=T12IgEjjKyk&p=00A9B326110CE00C&playnext=1&index=4
・こんなビデオは初めて見た。まずは曲が好き、デックスのごっついテナーもいい。音楽が頂点に達する前に、デックスがビールを飲んでいるところで終ってしまうのは残念だが。
Dexter Gordon, THOSE WERE THE DAYS
http://www.youtube.com/watch?v=eZE2ZZ79Yos
・ゴールデン・イアリングスはジャズの定番。B面の"Dahuud"から"Sonar"にかけての流れが好きだが、YouTubeにはなかったので、とりあえずこれ、いま聞いてみると味わいがあってけっこういい。たしか、どこかの民謡だったかな。
Ray Bryant, THE GOLDEN EARRINGS
http://www.youtube.com/watch?v=LqQgsPeA_7o
・これもジャズファンなら、あたりまえすぎるけど、改めて聞くと(見ると)すごくいい。ビルもシャキッとしていて、カッコイイ。
Bill Evans, WALTZ FOR DEBBY
http://www.youtube.com/watch?v=dH3GSrCmzC8
・たしか映画『マディソン郡の橋』のなかで、車のラジオから聞こえてくる音楽として使われたのではなかったかな、いや、別の曲だったか、とにかくアーマッドのこれと同じアルバムの曲だったはずだ。
Ahmad Jamal, POINCIANA
http://www.youtube.com/watch?v=MMprn3uDAVI
・アンドレ・プレヴィンは、後に、クラシックの有名な指揮者になったが、この曲はたまらないね。ビュウティフル。シェリー・マン(ドラミスト)のアルバム『マイ・フェア・レディ』から。このアルバムは、最初から最後まで完璧だ。と思う。
Shelly Manne with Andre Previn, ON THE STREET WHERE YOU LIVE
http://www.youtube.com/watch?v=Uhr7NDTzW_Y&feature=related
・アル・ヘイグ、わたしの大好きなピアニストだった。とにかく、ビル・クロウのベースのでかい響きが心地いい。美しい。このビデオの絵もピッタリ会っている。
Al Heig, ISN'T IT ROMANTIC?
http://www.youtube.com/watch?v=0ymooPo989E
・定番過ぎるけど、いま聞くと新鮮だ。ジャケットの写真のセンスが生かしているのだ(写真)。
Sonny Clark, BLUE MINOR
http://www.youtube.com/watch?v=M_-rPHcH6_g
・ズート・シムズ。わたしの大好きなテナー。乗りがいい。ソプラノを吹いたときの、"Wrap your Troubles in your Dreams"もいいが、YouTubeには見あたらず。
Zoot Sims, 920 SPECIAL
http://www.youtube.com/watch?v=fm85zY6k_0U
・コルトレーンは、ピアノレス・トリオのアルバム、"Lush Life"が好きだ。そのアルバムの最後の曲。ガンガン、ゴリゴリ押しまくる。押し倒されるっていう感じ。「ラプソディ聞いてるよ」じゃなくて「ラプソディ聞いてやってんだぜ」みたいな。このビデオは、オリジナルではないが、ま、いいっか。
John Coltrane, I HEAR A RHAPSODY
http://www.youtube.com/watch?v=Ej7IWOGM19o
・テナーのポール・クイニシェ。このアルバムの最後の曲"Cool-Lypso"が好きだけど、YouTubeでは見あたらなかった、ま、こちらも、しっとりしてかなりいい。
Paul Quinichette, ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET
http://www.youtube.com/watch?v=oGug04BaTZM
・バリトン・サックスのゲリー・マリガン。夜に静かに聞いたほうがいいかも。
Gerry Mulligan, NIGHT LIGHTS
http://www.youtube.com/watch?v=0cK_AIpmejs
・ボーカル。なんか味があるんだよな、このマット・デニスって。
Matt Dennis, EVERYTHING HAPPENS TO ME
http://www.youtube.com/watch?v=lq1E1gbu6ss
・こちらは定番。スタン・ゲッツのソロがいい。アルバムの演奏のほうが、スタン・ゲッツのソロに迫真性があって、もっといい。
Stan Getz with Astrud Gilberto, THE GIRL FROM IPANEMA
http://www.youtube.com/watch?v=UJkxFhFRFDA
・スタン・ゲッツをもう一つ。ギタリストのジョニー・スミスとの共演から。溶けてしまいそう。
Jonny Smith with Stan Getz, MOONLIGHT IN VERMONT
http://www.youtube.com/watch?v=7xf3rAXoYjA
・数年前(?)に飛び降り自殺したチェット・ベイカーの64年のビデオ。元祖ヘタウマ?トランペットを演奏するときは、シャキッとしてる。
Chet Baker, TIME AFTER TIME
http://www.youtube.com/watch?v=nchEXBimNlg
・最後に、ソニー・ロリンズ。わたしにとって、全ジャズ曲のなかの最高・最愛の曲だ。もちろん、ロリンズの『グロッカ・モーラを思う』だけれど。この曲を褒めているジャズの本を見たこともなければ、素晴らしいといったジャズファンにあったことはまだないが。パーソネル:Sonny Rollins (ts), Donald Byrd (tp), Wynton Kelly (pf), Gene Ramey (b), Max Roach (ds)、録音は、1956年12月16日。その日に、ジャズは完成された、と思う。前と後ろのドナルド・バードのソロ・トランペットが、曲を引き締めている。まんなかのウィントン・ケリーのポロポロポロと弾くピアノもいい。ドラムの丹念なブラッシュワークは、マックス・ローチか。もちろん、ソニー・ロリンズの、抑えの効いたテナー・サックスは最高にいい。何回聞いても飽きない、いや、また聞きたくなる。わたしのLPレコードは、聴きすぎて、この曲だけ痛んでる。ああ、どうにかなりそうだ、もう。1428/100926
Sonny Rollins, HOW ARE THINGS IN GLOCCA MORRA?
http://www.youtube.com/watch?v=C_fvfLAcg1A


性のコラム

2010年09月25日 00時35分54秒 | 性の人類学

【サトーくん元気かな?】
ktmが知っているなかで最も早く性に目覚めた男の子・小3のときの同級生・Sくんの話。Sくんは、
女の子の下半身を手で触りはじめた。おそらく自分にあるものが女の子にはないことを気づき、それを確かめたくなったにちがいない。若き経験主義者Sくん。まるで人類学者みたい。フィールドは学校だ。クラスの人気者・MさんとYさんに、彼の興味は集中するようになった。たまりかねたYさんは、担任のA先生に、Sくんのその変態行動をやめさせるように訴えた。ある日のホームルームで、A先生はこの問題を取り上げた。Sくん、女の子がいやがっているでしょ、そんなことは学校でやるものでないでしょと、A先生は言った。じつは、同じクラスに、Sくんの同じ家に住んでいるSくんのいとこにあたる、同じS姓のBさんがいた。A先生の提案は明瞭だった。もし女の子にそんなことしたいのなら、家に帰ってから、Bさんにお願いして触らせてもらいなさい!それを聞いたとき、A先生ってなんて頭がいいんだろうと、さすがだと、ktmは思った。でもいま考えると、その解決は、なんかおかしい気がするらしい。

【天井への飛翔】
中1のときだった。勉強机の前に座って、ktmは、なにげなく下半身をいじっていたという。なぜそんなことをしたのかは覚えていないとも。マスターベーションは知らなかった。一瞬何が起きたのか分からなかったが、液体が勢いよく天井の梁まで飛んだ。精通したのだ。距離にして3メートル弱、しかも上向きで。この話は、たいていの場合、そんなの嘘だと否定される。しかし、液体の染みついた
跡が、その後長らく、そこにクッキリと残っていたのだ。お見せできないのが残念だ。ktmの実家は、すでにずいぶん前に建て直されている。

【数学とノーパンの微妙な関係】
男にとって、夢精というのは至上の快楽である。物理的な力を加えずに、絶頂を経験することができる。次から次につくられる精子が、脳内の妄想を手がかりとして、自然のメカニズムによって放出されることで、この上ない快楽を得ることができる。夢精とは、夢を見ているときの射精という意味だろうか、いったい誰がつけたのか、センスにかける。英語では、ウェット・ドリーム、濡れた夢、湿った夢。英語のほうが上だ。夢精を経験したことのない男もいれば、30歳過ぎまで夢精を経験する男もいる。後者は、幸せである。ktmには、これまでの人生で3回の夢精経験がある。初回の中2のときのこと。隣のクラス担任は、女性の数学教師だった。20代後半か30代か。切れ長の目が印象的な美人。妊娠していた。月日が経つとともに、お腹がどんどんと膨れ上がった。ktmは、数学の授業中、繰り返し考えていた。妊娠ってのは、いったいどういうことだ?そうか、セックスをしたのだ。そのことが、いつしか頭から離れなくなった。妊娠=セックスをしたという記号。この人やったんだ。そのうち、数学の授業どころではなくなった。数学の先生×妊娠=セックス。そんなとき、夢を見た。夢のなかで、数学の方程式か何かの問題を解いている。なかなか解けない。背後から、あの数学の先生が・・・どうしたの、何が分からないの?と近づいてきた。ktmは、問題を解くどころではなくなった。右手で先生の身体に触れてみた。徐々に、下のほうに下のほうに手を滑らせていった。股のあたりを触った。割れていた。その感触と同時に、なんだか得も言われぬ快感が全身をドクドクと貫いた。ktmが、朝起きると、パンツの前の部分がカサカサになっていた。母にそのことを見つかるのが気まずくて、家に帰ってから洗おうと思って、パンツを脱いで、その日はノーパンで学校に行った。

【バンコックのサックアッパー】
大学の先輩Iさんがktmに、バンコックに行ってきた話をしてくれた。中央駅前を歩いていたら、お姉さんが声をかけてきて、着いていくと、アパートの一室に案内され、
もう一人お姉さんが出てきて、酒を飲み、戯れたのだと。その後、ふと目が覚めると、現金がなくなっていた。天国と地獄を味わったと。ktmは、その話を聞いて、すぐさま、バンコックに行くことを決めた。バングラデシュに行くのに、バンコックは素通りすることはない。おれのほうが、頭がいいかもしれない。所持金を預けておいて、駅前をうろうろすればいい。しかし、ことはそううまく運ばなかった。そんなお姉さんは、中央駅前のラーマ4世通りを足が棒になるまでほっつき歩いたところで、いやしなかった。ktmは、企てを半ばあきらめかけていた。出国前のある日、ふつうに町を歩いていたとき、一人のグラマラスなお姉さんが、いま時間ある?と声をかけてきた。よっしゃ!ついて行くことにした。タクシーに乗る。お姉さんが、わたしはレディーだからあんたが払いなさいといって、お金を渡してくれる。やさしい。モーテルの部屋に入ると、シャワーを浴びてらっしゃいという。ktmが戻ると、彼女はベッドの上で寝ていて、カモンベイビー。ktmは、飛びかかる。サックアップ!ktmその英語理解できず。女舌なめずり。お~、カチン。何か硬く当たるもの。なんじゃこりゃ。女ではなく、男だったのだ。プリーズ・トライ・ミー。ktmにはできず、退散したという。


口蹄円舞曲

2010年09月24日 08時18分58秒 | 人間と動物

今年の4月以降、宮崎県で口蹄疫感染が広がり、それ以上の感染拡大を止めるために、大量の牛と豚が殺処分された。わたしは、そして、わたしたちは、そのニュース報道をただ聞くのみであった。政府や宮崎県の対策について聞き、畜農家の経済的だけでなく精神的な苦しみを、ただただ無力に、聞くしかなかったように記憶している。

清浄性を保つためのそうした惨たらしい対策は、先進国に固有のものである。わたしたちがそうであるよりも強く動物の魂について念じている狩猟民プナンがこのことをどう感じるのか知りたくて、
8月に訪ねた折に、わたしは彼らに、口蹄疫感染拡大によって、日本で牛や豚が殺処分されることについて、どう思うのかについて尋ねてみた。彼らは、流行り病で犬が次々に死んでいくこと、近隣の焼畑民の鶏も同様に流行り病で死んでいくことなら知っていると言った。しかし、他の動物が流行り病に罹らないために、感染動物から一定の範囲にいる動物を殺処分するということが、いったいどういったことなのか、プナンは理解しなかった。わたしの印象では、それは、別世界の出来事でありすぎて、彼らの理解の閾値を超えていたのだと思う。口蹄疫の問題を、戦争をまだやっているところがあるのかという話題や、日本の首相は誰なのかという彼らにとって直接的な出来事ではない、遠い世界の出来事として受け取ったのである。逆に言えば、牛や豚の大量殺処分は、辺境の民には、想像の範囲を超えて、イメージすらできない事柄だったのではあるまいか。

昨日(2010.9.24.)の朝日新聞のオピニオンは、「牛を殺す」というテーマで編まれていた。28万8643頭というのが、宮崎県で殺された牛と豚の数だそうだ。3人の意見が紹介されている。

まずは、政府の現地対策本部長の意見。口蹄疫が発生したら、1頭1頭チェックする時間的余裕はないという。非清浄国になれば肉を海外にし輸出できないし、今度は、非清浄国からの輸入を拒めなくなるという。そうした肉の国際貿易の事情が背景にあり、日本は、清浄国であることを保たなければならない。そのために、できるだけ早く家畜の殺処分を進める必要があるという。他方で、ワクチンを使った家畜の肉を食べることはできる。煮沸すれば、生ハム以外は食べられるという。そうした肉加工の仕組みをつくることも大事だと説く。要は、病気の感染を防ぐための家畜の殺
処分は、日本国内の消費者の肉供給の生命線である。

次に、JA部長の兼業農家の意見。農家は経済的な被害だけでなく、心に大きな傷も負ったという。いずれは殺される運命だというかもしれないが、経済動物は、喜んで食べてもらうことで、幸せな「生」を全うするのだという。農家の立ち直りが、心配されている。

最後に、『世界屠畜紀行』という著作のあるルポライターの意見。肉食の罪悪感とともにあったキリスト教的な家畜観が、19世紀の進化論の影響などで揺らぎ、動物愛護思想が現われ、農場や食肉加工場での動物の扱いを変えることを唱えている。他方、日本では、命は平等とする仏教思想に根ざした動物観をベースにして、日本人は、今回の処置に大きなショックを受けたはずである。不条理な牛や豚の死は、大規模な畜産、食肉流通と消費の結果であることに、今一度目を向けるべきである。


3者の意見は、真っ当であると思う。今回の処置が、人間的な真実をめぐってーその人間的真実の切り取り方は様々であるがー、問題を含んでいるという認識。

日本の仕組みのなかで、わたしたちが安心して食べられる肉にありつける方策を講じるべきであろう。畜農家からすれば、ただ家畜を殺すのではなく、消費者に喜んで食べてもらうことが何より大切なことであり、その点で、畜農家の立ち直りが急務である。さらには、日本国中に今回さらけ出された不条理な家畜の殺処分を成り立たせている、わたしたちの暮らしの根本を見つめなおす必要がある。しかし、それぞれの意見をうまく統合する手立ては、はたして、あるのだろうか。ヒトによる自然の操作・加工という意味でのヒト中心主義。ヒト中心主義の土台の上での解決の模索。他方で、ヒト中心主義の仕組みの根本からの問い直し。問題解決は、カーブを曲がって、いくつものトンネルを超えた先?いや、そもそも終着点などない?

ところで、日本人の精神性を考えるとき、大量に殺処分された動物への慰霊という課題が浮かんでくる。どうやら、合同慰霊祭の計画が進められているらしい。

◆時事ドットコムより
28日に慰霊祭と再建決起集会=口蹄疫終息で宮崎県 宮崎県は13日までに、口蹄(こうてい)疫問題で家畜を殺処分した畜産農家約1300戸を対象に、合同慰霊祭と再建に向けた決起集会を28日に宮崎市で開催することを決めた。前日の27日に終息宣言を出すのを機に、集会では畜産業の再建方針を説明するほか、国の専門機関による再発防止研修も実施する予定だ。(2010/08/13-19:36)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201008/2010081300693

(プナンの大猟)


『恥辱』

2010年09月23日 13時58分13秒 | 文学作品

J.M.クッツェーの『動物のいのち』をアマゾンで注文したがなかなか届かなかったので、手元にあったJ.M.クッツェー『恥辱』ハヤカワepi文庫(2010-33)を読む、ぐいぐい引き込まれていく、読んでいるのではなく、文字が目と脳を導いてくれるとでもいうような、途中まで読んで眠ってしまうが、メラニーの演劇の稽古の話が出てきたせいか、演劇俳優になった奇妙な夢を見る、わたしは、演技に自信がなく舞台に出て行くのが億劫なのだ。ところで、主人公は、デヴィッド・ラウリー、もとはケープタウンの大学の現代文学の教授だったが、合理化計画の流れで学部が閉鎖になり、いまはコミュニケーション学講座の准教授をやっている、52歳か53歳、「教える科目に敬意をもてないので、学生にも影が薄い・・・教師を辞めないのは・・・ひとを教えに来た人間がそれは手厳しい教訓を得て、逆に学びにきた人間がなにひとつ学んでいない」(10ページ)と考えている、なんたる皮肉屋なのだろうと思う。小説のなかでは、人物の描写のセンスが、際立っている。デヴィッドは、周りから見ると実に嫌な人物だろうと思う、しかし、その人物の内面は、これまでの人生経験を経て、趣味趣向から性癖、問題意識、職業感覚にいたるまでじつに整然たるものとして組み立てられるように感じられる。彼の生活信条のハチャメチャぶり、二度の離婚、性的な欲望を処理するために、毎週木曜日の昼からソラヤという名の娼婦のところに通っている、ソラヤに対する身勝手な思い入れ、別れ、別の女にも手を出す、そんな折、ふと、ロマン派詩人の講義を受講している20歳の美人(だが、ウィットはないという)女学生メラニー・アイザックスに目がとまり、デヴィッドは、レイプまがいの行為でメラニーと交わる、そこには愛はなかったように思える、それまでの記述から、そう読み取れる。メラニーには強面の恋人あるいは元恋人がおり、デヴィッドは、その男に脅迫されるだけでなく、その後、メラニーにハラスメントだと大学に訴えられる。大学では査問委員会が開かれ、デヴィッドは彼のことを思いやる同僚諸氏の好意を無視して(彼には理解できないのだ)、端から自らの罪を認める陳述を行う、「自白させてもらう。話はある夕方に始まる、日付は忘れたが、そう前のことではない。カレッジの古い果樹園を抜けて行く途中で、たまたまくだんの若い女性ミズ・アイザックスに会った。二人の道が交わった。言葉が交わされ、その瞬間何かが起きたーーわたしは詩人ではないので詳述はやめておく。エロスの神が現れたと言えば足りるだろう。その後わたしは、もうそれまでとは同じではいられなかった」(82ページ)という自白のことば。ここから、話は急転する、デヴィッドは、大学を辞し、農村に移り住んで農業で身を立てている娘ルーシーの元に行くのだ、詩人バイロンに関する著作を書きたいという気持ちを持ちながら。彼はルーシーの手伝いや、さらには、ベヴ・ショウの動物クリニックの仕事をしたりして、大学での「恥辱」を引き摺って暮らす。この小説に深さを感じるのは、動物の命に向き合う人というテーマが、底に流れているからである。ルーシーはいう「・・・あるのはこの生活だけよ。それをわたしたちは動物とわかちあう。それが、ベヴのような人たちが築こうとしている理想の生活よ。わたしもその手本に倣おうとしている。人間の特権を動物とわかちあうこと。つぎに犬や豚に生まれ変わったら、人間の下になって生きるのはまっぴら」「ルーシー・・・人間は動物とは種をたがえる生き物だ。高等であるとはかぎらない、たんに違うものだ。だから、やさしくあるなら、純粋に寛容な心からにしようじゃないか。罪悪感やしっぺ返しを恐れる気持ちからでなく」(116ページ)。人間と動物はちがう、だから、動物に対して人間の寛容さが必要なのだという。そのうちに、デヴィッドは、自ら進んでベヴの仕事の手伝いを名乗り出る。多くなりすぎた愛玩動物、それらは持ち込まれて殺される。「針を刺すのがベヴ・ショウなので、亡骸の処理は彼の担当になる。午前中、始末が済むたび、ルーシーのコンビに荷物を積んで移民病院へ向かい、敷地内の焼却炉にはこびこんで、黒い袋に入った屍を炎の手に委ねる」(222ページ)。「最初の月曜は、焼却作業を彼らにまかせた。一夜明けた骸は、死後硬直でかたくなっていた。死体の脚がトロリーのバーに引っかかり、トロリーが焼却炉へ行って戻ってきたときには、ビニール袋はすっかり焼け落ち、歯をむいて黒焦げになり毛皮の焼けた臭いをさせた犬の骸がのっていったものだ。しばらくすると、作業員たちが積み込みの前にショベルの背で袋を打って、硬直した四肢を折るようになった。さすがにその時点で、彼は何かに割って入り、みずから作業することにした」(223ページ)。「いまではこのおれが犬男になっている。犬下請け人、冥界への犬案内人。犬の僕」(225ページ)。ケープタウンで「恥辱」にまみれたデヴィッドは、田舎で、汗まみれになって、動物の死に向き合う。骸となった犬への粗雑な扱いに抗うデヴィッドは、魂のレベルでは、死んだ犬と一体化しているということではないか。ところで、物語のもう一つの強烈な展開がある、娘ルーシーが、黒人3人組にレイプされて、妊娠するというストーリーであるが、その背景には、南アフリカの白人社会と黒人社会の血塗られた歴史があることがうかがえる。白人であるルーシーは、やがて、土地の覇権をめぐって、静かに、したたかに迫ってくるペドラスの庇護の下に暮らすことを決心する。父は、黒人たちにふたたび襲われることを恐れて、ルーシーをオランダに逃がそうと試みるが、ルーシーは頑なに父の計画を拒みつづける。しかし、父デヴィッドは、なかなか急激に己の人格を変化させることはないが、農園とクリニックでの動物の命のやりとりの経験を経て、「遅きに失したようだな。わたしはもはや年季をつとめる老いた囚人だ。だが、きみは前に進みなさい。じきに子供もうまれるんだし」(322ページ)ということばを、ルーシーに対して発するようになる。物語の最後のほうに、デヴィッドが、メラニーの家族に会いに行ったり、メラニーの劇を観ている場面で、彼女の(元)恋人から詰られる場面などが組み込まれているが、はたしてそうしたくだりは必要だったかどうか疑問が残るところではあるが、人生における取り返しのつかない転落が、別の時間と場所で、動物の命への関わりをとおして、破滅へと向かうのを踏みとどまらせた物語として読むならば、面白い。★★★★


PANGERAN CINTA

2010年09月22日 09時22分48秒 | 音楽

8月末にクチン(マレーシア・サラワク州)に寄ったとき、町のミュージックショップで、インドネシアのグループ・ST12(エステードゥアブラス)の新譜を見つけて買ってきた。以前、プナンの子どもたちが口ずさんでいたので、このグループを知ったが、今度は、おそらくはわたしのほうが、彼らより先に、ST12をゲットしたはすだ。帰国後この3週間近く、毎日毎日繰り返し繰り返し、アルバム"Pangeran Cinta"(恋愛の王子:ジャケットの恋愛の王子たちの写真を見よ!)を聞いている。昨日、うっかりして、オフィスに持ってくるのを忘れた。そういうこともあって、YouTubeからアルバムの全曲をアップしておこう。

最初は、ど演歌調の"Terlalu"(1)からしっとりとした"Setiaku"(2)あたりの流れが気に入るのだが、そのうち、カッコいいタイトル曲"Pangeran Cinta"(5)がよくなってくる("Biarkan aku malam ini・・・”『今宵は俺のことを放っておいてくれ』)と、恋愛の王子たちは歌い始める、もう一度ジャケット写真を見よ!)。今は、"Anugerah Cinta"(9)が、とびきり気に入っている。しかし、なんたることか、この曲はYouTubeでは、再生回数が低い(涙。いずれにせよ、ST12よ、永遠に。

1. Terlalu
http://www.youtube.com/watch?v=HEj_DlC8uTQ&list=QL
2. Setiaku
http://www.youtube.com/watch?v=fx8FBQmaPOA
3. Aku Padamu
http://www.youtube.com/watch?v=XwuTeVicYbE
4. Dunia Pasti Berputar
http://www.youtube.com/watch?v=pAd1LnbLcH8
5. Pangeran Cinta
http://www.youtube.com/watch?v=OzjdKc0dVsk
6. Masa Kecil
http://www.youtube.com/watch?v=Kfk0sMbvfg0
7. Lady Sky
http://www.youtube.com/watch?v=L4PYwHtFkIc
8. Aku Terjatuh
http://www.youtube.com/watch?v=FP0oPgU7YTM
9. Anuerah Cinta
http://www.youtube.com/watch?v=hSZNo_3piYQ
http://www.youtube.com/watch?v=GPxq-5S4DIM&feature=related
10. I Love You
http://www.youtube.com/watch?v=6OA13u0Z9po
11. Sayyidina
http://www.youtube.com/watch?v=0PJeC8GVDlg
12. Sebuah Kenyataan
http://www.youtube.com/watch?v=mvOlgeJSwO0
 

ST12の過去の記事

http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/bb536d23bc92e29b4de09e819dce0f6c


『悪魔祓い』

2010年09月21日 07時50分32秒 | 文学作品

ル・クレジオ『悪魔祓い』、高山鉄男訳、岩波文庫(2010-32)★★★★、これは民族学の衣を着た詩だ、フランス人現代作家が、数年にわたってパナマのインディオたち(エンベラ、ワウララ)と共に暮らし、原住民の美や芸術、呪術のうちに見出した驚異に言葉によって輪郭を与え、インディオ賛歌を謳い上げ、勇ましく現代文明に抗おうとした、美しく麗しい、われわれの手引書だ、しかし、現代の人類学者なら、先住民をロマン化しすぎているというかもしれない、まあまあ、そこは一つの作品として眺めてやろうではないか、「都市は永遠のものだとわたしたちに信じさせるのは、都市の策略の一つである。都市は文明の自然な到達点であり、都市が文明を説明するのだと、都市はわたしたちに思い込ませようとしている。しかし現実はそれとは大変異なっている、インディオたちの原初の文明のうちにこそ知恵が秘められ、説明が隠されているのだ」(19ページ)、「宇宙には自然でないようなものはなにもないと。都市や都市の風景も、砂漠や森や平原や海と同じように自然である。知性の可能性もまた永続的なものであり、神秘的なものである。都市を創造し、コンクリートとアスファルトとガラスを発見することによって、人間は新しい密林を作りだしたが、人間はまだその住人になっていない。もしかしたら人間は、この密林に通暁する前に死んでしまうかもしれない」(42~43ページ)、現代都市文明は、進歩や歴史といった人間にとって余計なものに囲まれている、そのため、インディオたちの美しさに比べて奇怪である、「女の美しさ。はじめは理解できず、困惑させられ、不安にさせられてしまう美しさ。その美しさはあまりにも奇蹟的だし、だれもみなひとしく美しいので、まるでまやかしのように思えてしまう(25ページ)、インディオの女の美しさは光り輝いている。美しさは、内面から来るのではなく、肉体のあらゆる深みからやって来る・・・インディオの美しさは、ただ勝ち誇って、生き生きとしてそこにある」(27ページ)、まだ続くインディオ女性の美をめぐる記述、「美は奇蹟でもなければ、偶然の結果でもない、インディオの女の美しさは、自由の結果である。道徳や宗教の禁制を恐れることなく、あるがままであるという自由。自分の肉体と精神のために、労働と交合と分娩を選ぶ自由。愛されなくなった男から逃れ、気に入った男を求める自由。堕胎用の煎じ薬を飲む自由。子ともが欲しくなければ、分娩の際に毒殺してしまう自由。気に入った家に住み、欲するものを所有し、憎むものを拒む自由。肉体の自由と裸身の自由。自分の顔を手入れする自由。競争相手もなく、自分自身の姿態以外には、他の何物とも競うことがないという自由、不品行の自由と分別の自由」(30ページ)、芸術について、「本当を言えば、インディオが知ることもないし、また無用と見なしているものは、《芸術》である。世界を明らかにすることなどには、インディオは熱中しない。音楽はあるとしても、それは世界を音楽化することではない。世界は説明され得るものではなく、置き換えられ得るものでもないと、インディオは承知している」(57ページ)とした上で、ヨーロッパの芸術の奇妙を暴き立てる、「種族の他のものたちに対する個人の優越を主張しようなどとはしない遺伝的な絵画。男も女も子供も、すべてのものが画家であり、みんなが『芸術家』である。そのためには超自然的な能力も、極端な感受性も必要ではない、『才能』などは必要ないのである。こうした言葉は、教養や技術的成果という考えにつきまとわれて、ヨーロッパ人が、自分の未熟さを正当化するために考えだしたものだ」(114ページ)、絵を描いたり、音を奏でることは、そこでは「才能」ではない、逆に、ヨーロッパでは、成果のためにその概念が作り出されたというのだ!、「感嘆するとは、白人の愚かしい感情であって、この感情は閉じ込め、無機化し、殺す。インディオは感嘆されるためになぞ、なにもつくりはしない」(126ページ)、歌について、「インディオの笛の音と、明確に発音される言語との中間に、歌がある」(72ページ)、「歌のせいで、言葉は人間だけに理解されるものではなくなってしまう。言葉は、音のせいで、悪霊の訓練された耳をそばだたせる」(78ページ)、動物たちとのやり取りもまた、歌によってなされる、「鳥笛や、草や、呼子で、もしくは単に指を使うだけで、インディオは、てんじくねずみ、鹿、パカ、やまうずら、猿などの言葉を話すことができる。インディオは、森のなかでこれらの動物に話しかけ、動物たちが答えると、その隠れ家にでかけて行って、自分のほうにおびき寄せる。そして動物たちを殺すのだ」(80ページ)、したがって、「歌うとは、音楽を奏でることではない。それは理解不能なある言語の助けを借りて、目に見えない世界と連絡することである」(89ページ)、そうだ、歌とは、目に見える世界と見えない世界の連絡の方法だったのだ、ところで、人間について、ル・クレジオの観察、それはどこかで聞いたようなフレーズ、現代のフランスの人類学者・デスコーラの言い回しにそっくりだ、「インディオは世界から分かたれていない。領域と領域が断絶することを欲してもいない。人間は、蟻や植物たちと同等に、大地の上で生きているのであって、自分の土地から亡命して来たわけではない。魔的な力は、ただ人類だけの特権ではなく、大豹も、臍猪も、イグアナも、ひき蛙も、猿も、鳥も、昆虫も、同じ原則に従っているのである。人間はおそらく農耕技術と狩猟の手管によって、万物を支配するにいたった。しかし、超自然的な力からは、他の存在と同じものとみなされているのだ。動物や植物があるわけではない。程度の差はあれ仮面をつけた人間がいるだけだ」(111ページ)、人間と動物は、狩猟と農耕がなければ、この地上において、ひとしい存在であるということを、わたしたちは先住民から学ぶことができよう、身体装飾について、「インディオが肉体に模様を描くのは、それがおよそ人間の考え出し得る限りでの、意識の最大の実験だからである人間は生きているのだということ、このことをインディオは知っている。皮膚は、他者の目にさらされた自分の生命の光景である。同時に、外部からの攻撃や探索から肉体を守るものである。衣裳は、寒気や日光を防いでくれる。ゴムの木や鎧は、矢を防ぐ。しかし、それらは、他者の目や、異物から肉体をふさいでくれはしない。肉体を無防備なままに放置する惨めな襤褸・・・インディオは肌に模様を描く。すると彼はもう裸ではなくなる。彼の皮膚は、鏡のようなものとなり、敵の目には、敵自身の姿しか送り返さない・・・肌に描くことで、インディオの諸族は、意識の冒険をもっと徹底した人々に属することになった」(133~135ページ)、呪術の防護のための身体装飾、最後に、ル・クレジオの民族学的オマージュを読んで、彼の観察眼の照準は、インディオという人間にあてられている、猿でもなければ、鳥でもない、道具でもなければ、さらには、心でもない、政治や経済でもなく、人間なのだ、その意味で、人類学は、人間を追う文学と親和的なのではないか、という凡庸な感想。


動物と人間、ふたたび

2010年09月20日 10時52分15秒 | 人間と動物

6月の文化人類学会の研究大会のパネルで、狩猟民プナンが、動物にも魂があることを認めており、それに反して、動物にはじつにそっけない態度を取ることについて、口頭発表した。それに対して、コメンテータから、プナンによる動物の魂の観念を現代に延長して、スピーシズム(種差別)批判とをどう考えるのかという問いかけがあり、わたしは、以下のように答えた。

スピーシズム批判というような、動物の権利を保護する運動というものをどういうふうに考えるのか。わたしの報告で強調したのは、魂というものを動物に認められるというふうに彼ら(=プナン)は考えているので、そのあたりとの関係についてという事だったと思うのですが。スピーシズム批判、種差別というのをどういうふうに考えるのかということですけれども、これはたとえば、ヴィヴェイロス・デ・カストロが報告するようなアメリインディアンの事例であるとか、あるいはプナンの事例であるとか、これは、あまり説得力がないというK先生はコメントされていましたけども、人間と間が共に意識であるとか心であるとか、あるいは魂を持つ存在というのがそこでは基本になっている。つまり、主体的な存在として、人間と間が同じ存在物であるという意識があくまである。これに照らすならば、わたしの見通しとしては、スピーシズム批判、動物の権利というのが西洋思考の文脈において発達してきたというのは、基本的には<人間のために存在する動物>というのが基本にあって、それに対して、動物に対してむごたらしい、あるいは行き過ぎた残虐さを示してきたということに対しての反省に近いのではないか。つまり、そこに何か人間精神に近いようなものを動物の中に読みとって、人間性と投影することによって、動物もまた悲しむ存在である、あるいは苦しみを動物に与えるべきではないというような考え方を、そこ(<人間のために存在する動物>)から、そういったかたちで積み上げてきたのではないかというふうに考えています。つまり、種差別批判は、プナンであるとかアメリインディアン人たちの人間と間が共に主体をもつような存在として考えているとものとは違うような文脈において、つまり、西洋思考の文脈において、独自に発達してきたものとして捉えられるのではないかというふうに考えています。

そうは言ったものの、わたしは、西洋の動物保護や権利をめぐる議論に関する十分な理解を持ち得ていなかったために、それは、たんなる印象論にしかすぎず、深めてゆかなければならないと考えていた。その矢先(7月になってから)、大学生協で、コーラ・ダイアモンドほか、中川雄一訳『<動物のいのち>と哲学』春秋社を見つけた。ざっと読んで理解できたのは、訳者による「傷ついた動物と倫理的思考のために」と題するまえがきだけで、5人の論者によって論じられている内容に関しては、ほとんどさっぱり理解できなかった。それは、一つには、題名にも示されているように、ノーベル文学賞作家のクッツェーの『動物のいのち』という本の内容が、議論の
ベースになっているためだと思われる。それを読まなければならないと思いながらも、夏季にはフィールドに出かけたので、そのまま放置したままになっていたが、昨日(9月19日)、朝日新聞の書評欄に、『<動物のいのち>と哲学』に対する高村薫の書評記事が載っていた。

 七〇年代に動物の権利擁護を求める過激な動物保護の思想が登場して以来、クジラやイルカの保護は世界の潮流になったが、食肉産業や実験動物の売買が消えたわけではない。菜食主義者が革靴を履き、ペットを愛する人間は競走馬を潰した馬肉を食べたりもする。イルカの知能の高さを保護の理由に挙げる人が、事故や疾病で知能が失われた人間を保護しないでいいということもない。 
 動物の扱いについて、人間はこのように錯綜しているのだが、とまれ欧米では今日まで、動物とは何であるかを規定し、動物をどう扱うべきかについて多くの議論が重ねられてきた。それらはおおむね権利論や生命倫理の側面から言語ゲームに終始し、懐疑に懐疑で応えるがごとき不毛さではあるのだが、一方で、哲学や文学からのアプローチがこの問題に与えてきた深みには驚くべきものがある。なにしろ、動物の扱いをめぐる問いが、哲学や倫理の限界へと接近してゆくのだから。 
 本書は、南アフリカのノーベル賞作家クッツェーによるプリンストン大学での記念講義ー架空の小説家の講義に対して架空の学者たちが論評すると言う構造をもち、のちに『動物のいのち』としてまとめられたーをめぐる、アメリカとカナダの哲学教授たちによる論文集である。『動物のいのち』自体がそうであるように、問われるのは個々の動物の扱いや動物保護の是非ではない。
俎上に上っているのは、殺戮される動物を眺めながら、突然自分が見ているものを言葉で言い当てることができない自分を発見する人間である。そのとき、この世界にむき出しで晒されながら、自分が動物と同じ脆い肉体をもつことを認めて傷つき、そんな認識に至る自分にさらに傷つく人間である。人間が動物にしている行為を眺めながら、生ける動物である自分を発見してうろたえ、人間であることの基盤が試練にさらされている。その瞬間をも凝視せざるを得ない人間である。こうした人間の現実から逸れていない哲学はないと言ったのは、シモーヌ・ヴェーユだ。

朝日新聞の書評より、評者:高村薫 2010年9月19日

新聞読者に向けて、本の射程を押さえて、きっちりと書かれているがゆえに、ひじょうに分かりやすい。しかし、こうした哲学の思考が、わたしたち人間にとって、どれだけの普遍性を持つのかという点については考えてみなければならないと思う。高村の解釈が正しいのであれば、ここでは、もっぱら、<傷つく人間>が問題にされているからである。はたして、動物をめぐる哲学談義は、
人間中心主義的な視点を逃れているのであろうか。

9月初旬、映画「ザ・コーヴ」の舞台となった、和歌山県太地町を訪ねた。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/2ee049383a9d7859059b9e08e050236b

僅かな時間であったが、「ザ・コーヴ」で非難が向けられているイルカ漁、ショーのためのイルカの海外輸出などは、そこに住み、捕鯨で生計を立ててきた人たちのイルカ・クジラとのつながりのほんの一面でしかないように感じられた。人びとは、イルカやクジラを、暮らしのなかで、
より大きな全体性のなかで捉えてきたような気がした。鯨の霊に対する弔いが行われるということは、人びとが、その死後までをも引き受けて、イルカ・クジラと向き合っているということではないだろうか。イルカショー、クジラショーが行われている太地町立くじら博物館の敷地内には、日本国内ではあちこちで見られる種類のものであるが、「飼育動物供養碑」が建てられていた(写真)。

ことによると、こういうことなのかもしれない。「人間か動物にしている行為を眺めながら、生ける動物である自分を発見してうろたえる」という人間目線は、太地町の人たちだけでなく、プナンやアメリカ先住民、さらには、非西洋諸社会には、もともとなかった。そうした人間目線は、動物が人間と異なる存在であるということが前提にあって、殺戮の場面で初めて、あっ、痛みはおんなじだと感じるようなものであるが、そうではなくて、あらかじめ人間と動物を分断するのではなく、それらがともにあるような、ともに向かってゆくような、死後世界・神話世界などの別の現実があって、そのような共同性を基盤として命のやり取りが行われてきたため、<傷つく人間>などは、そもそもいなかったのではないだろうか。人は、そうしたありようをアニミズムと呼んできた。

いずれにせよ、まずは、クッツェーを読んでみよう。


『賜物』

2010年09月19日 13時23分29秒 | 文学作品

ナボコフ『賜物』、沼野充義役、河出書房新社(2010-31)★★★★★

ナボコフが、雪崩を打ってわたしのなかに入り込んできた。この一週間、特にこの数日、わたしは、主人公フョードル・コンスタンチノヴィッチ、(ナボコフ自身は「英語版への序文」において否定するものの)ウラジミール・ナボコフの化身とともに、長い旅を続けてきた気がする。ある種の放心。ナボコフは、豊かな知識や文才、美しいものを見ると
詩が突いて出てくるような、豊かな情緒という「賜物」に恵まれた、かぐわしい人物だったのではないかと、この本を読んで、個人的に勝手に思い込んでいる。この本を読もうと思ったのは、偏愛だけでなく、知性や緻密さ、滑稽味などがぎっしりと詰まった『ロリータ』を読んで、もっともっとナボコフとお近づきになりたいと思ったからである。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/73a3d6824ed6eb54d00522b0dfaee96e

『賜物』は、『ロリータ』よりも15年前、ナボコフが39歳のときに、ロシア語で書いた長編小説である。『賜物』には、すでに、『ロリータ』の構想がはっきりと見られる(ということは、しばしば指摘されることである)。下宿先の女主人の再婚相手の小説のネタの話。

例えば、こんな話はどうでしょう。ある老いぼれ野郎がーとはいっても、まだ男盛りで、情熱の炎も燃やし、幸福も渇望しているんですがねー後家さんとお近づきになる。後家さんには娘がいるんだが、これがまだちっちゃな女の子でね、まだ体もできあがっちゃいないのに、その歩く様子といったら、もう男の気を変にさせるほどのものがある。色白で、きゃしゃで、目の下に青い隈があってーそれで、もちろん、くそじじいには目もくれない。どうしたものか?そこで老いぼれはのんびり考えていないで、さっと後家さんと結婚しちゃうんですよ。じつにけっこう。さて、三人の暮らしが始まった。そこには際限もなく書くべきことがあるー誘惑、永遠の拷問、うずくような欲望、狂おしい望み。しかし、結局のところ、計算ちがいだったということになる。時間が飛ぶように過ぎていき、奴はますます老いぼれいき、彼女は見事な花になる。しかし、どうにもならないんだな、これが。目の前を通り過ぎるときだって、軽蔑のまなざしで人を焼き焦がすくらいなんだから。さあ、どうです?ドストエフスキーの悲劇の感じでしょう?この話はね、むかしむかしある王国で、あるサモワール国で、伝説のゴロフ王の御代に、私の大の親友の身に起こったことなんですよ、いかがかな?(292ページ)。

『ロリータ』じゃないか、まったく、この話は!さらに、もうひとつ。フョードルの砂浜での水浴の場面。

平日なのでまばらだったとはいえ、程度の差こそあれオレンジ色をした体が見受けられた。牧神から阿呆の世界に移ってしまうことを恐れて、彼は覗き見をしないようにした。しかしときおり、学校の鞄と、木の幹に立て掛けられ輝いている自転車の脇で、少女の姿をした妖精(ニンフ)が横たわり、腿の付け根まであらわになったなめし革のように柔らかな脚を広げ、両肘を折り曲げ、太陽に自分のきらきら光る脇の下を見せつけていることもあった・・・(532ページ)。

さて、『ロリータ』以前の『ロリータ』、あるいはハンバート・ハンバートの原像はこのくらいにして、『賜物』のあらすじ。1920年代のベルリン。ロシアから亡命してきた20代の青年フョードルは、詩集を刊行したばかりである。1章では、その時期のフョードルの
ベルリンでの暮らしが綴られる。2章では、中央アジアの探検旅行に出かけたまま行方不明になった鱗翅類学者である父への思いと、幻想のなかで、その父と旅をするさまが語られる。3章では、下宿の立ち退きを余儀なくされたフョードルが、新しい下宿先で、女主人の娘ジーナと出会い、恋に陥る話が綴られる。他方、フョードルの文学に対する熱情が、全編をつうじて、あちこちで語られている。4章では、『チェルヌィシェフスキーの生涯』というフョードルによる伝記が、そのまま小説中小説として、置かれている。5章では、芸術を社会の現実以下のものと見なしたチェルヌィシェフスキーを愚弄する、彼の著作に対する書評や批評が、フョードルのもとに届けられ、下宿の女主人夫婦が引っ越すことになって、ジーナとの恋愛関係の進展の兆しが示されるところで終わっている。

けっして読みやすい話ではない、長いということもある。ところが、ナボコフを知ってしまったからには、彼の独特の言い回しを見つけて歓喜し、その表現のなかに飲み込まれてゆくという感じなのである。そうした幾つかを取り上げて、評してみたい。

一つめは、物語の初めにいきなり炸裂するストーリー。詩集を刊行して、その評判が気にかかるフョードル。友人のアレクサンドル・ヤーコヴレヴィッチ・チェルヌィシェフスキーから電話がかかってくる。

・・・第二に、君におめでとうと言いたいんですよ。えっ、何だって、まだ知らない?本当に」(「まだ知らないんだそうだ」と、アレクサンドル・ヤーコヴレヴィッチは電話の外の誰かに、自分の声の反対側を向けた」)。「それじゃ、いいかい、これから読んであげるから、落ち着いてよく聞きなさい。『出たばかりのこの詩集は、今のところまだ無名の著者、フョードル・ゴドゥノフ=チェルデンツェフによるものだが、じつに輝かしい現象であり、著者の詩的才能には疑問の余地はなく・・・』いや、ここで止めておこう。今晩のうちに来てくれたら、書評の前文を読んであげるから。いや、フョードル君、いまは何も教えてあげませんよ、どこに出た書評かとか、何が書いてあるかとか。ただ、私の考えが知りたいのならば、そう気を悪くしないでほしいんだがね、こりゃちょっと褒めすぎだな。じゃ、来てくれるね?けっこう。待っていますよ」(14~15ページ)

そわそわと、心躍らせ、あれこれと思いをめぐらせるフョードル。アレクサンドル・ヤーコヴレヴィッチの家へ。


走りながら、手に持った新聞をひらひらさせていた。
「ほら」口の一方の端を凶暴にぐいと下に引いて、彼は叫んだ(顔の痙攣は息子が死んで以来のこと)。「ほら、見てごらん!」
「結婚したときは」とチェルヌィシェフスキー夫人が言った。「もっと繊細な冗談を言う人だと思っていたんですけれどねえ」
フョードル・コンスタンチノヴィッチはその新聞がドイツ語のものだと見て驚き、ためらいがちに手に取った。
「日付だよ!」アレクサンドル・ヤーコヴレヴィッチが叫んだ。「日付を見てごらん、きみ!」
「見ていますよ、四月一日でしょう」とフョードル・コンスタンチノヴィッチは言って、ため息をついた。そして無意識のうちに新聞をたたんでしまった。「いや、もちろん、思い出すべきでしたね」
アレクサンドル・ヤーコヴレヴィッチはげらげら笑い出した(53~54ページ)。

なんと、エイプリール・フールのドッキリだったのだ(最近あまりやらないが、昔、わたしもかなり手痛いドッキリに引っかかったことがあるのでー詳細は省略ー、フョードルの落胆はよく分かる)!こうした大真面目の裏に突如として噴出すかのような
滑稽さは、『賜物』でも、あちこちで見られる。例えば、フョードルは、ある女性の言い方のなかに、一種の弁証法を読み取る。ユーモラスである。

アレクサンドラ・ヤーコヴレヴナは番号を言ったが、その調子にはなにやら抽象的な訓戒のような感じがあり、数字の発音の仕方には特別なリズムがあった。まるで四八が定立(テーゼ)、三一が反定立(アンチテーゼ)のような具合で、そこに総合(ジンテーゼ)として付け加えられたのが「その通りよ」(220ページ)。

愛着を感じない部屋を引っ越す際の、フョードルの心の描写。ふつうなら、わたしたちは、何も言わないところだ。この滑稽さは、説明できない、説明すると野暮ったい落語の滑稽さに似ている。

読者よ、愛着を持てない住まいと別れる際の微妙な悲しみを味わったことはおありだろうか。愛しい物たちにに別れを告げるときのように、心臓が張り裂けるわけでもない。潤んだまなざしがあたりをさまようこともなければ、涙をこらえて、立ち去る場所のゆらめく照り返しを涙の中に収めて持っていこうとすることもない。しかし、魂の最良の一隅において、私たちは自分で命を吹き込んでやれなかっただけでなく、ほとんど気に留めることもないまま、いま永遠に見捨てていく物たちへの憐れみを感ずるのだ。すでに死んでいるこれらの備品が、後に記憶の中で蘇ることはないだろう・・・(225~226ページ)。

ポーシキンの口癖について。

・・・おぞましい感じがするほど小柄で、ほとんど携帯用と言ってもいいくらいのサイズの弁護士ポーシキンにいたるまでーちなみにこの弁護士は、人と話していると「スープを飲む」の代わりに「ソープを飲む」とか、「狂っている」の代わりに「こるっている」などと発音し、まるで自分の苗字がプーシキンから少しずれていることの言い訳をしているかのようであった・・・(512ページ)。

フョードルは、砂浜で水浴びをしている間、
森に置いておいた衣服を盗まれて、パンツ姿で町を歩く。警官に呼び止められて職務質問され、警官とフョードルのやり取りがなされるが、その会話のなんと滑稽なことか!

若い警官が新聞の売店からゆっくりと身を引き離し、彼のほうにやって来た。
「そのような恰好で町を歩き回ることは禁止されている」と彼は、フョードル・コンスタンチノヴィッチの臍を見つめながら言った。
「全部盗まれたので」
フョードル・コンスタンチノヴィッチが簡潔に説明した。
「そんなことが起こってはならない」と警官が言った。
「そうです。でも起こってしまった」と、フョードル・コンスタンチノヴィッチはうなずきながら言った(何人かの人たちがすでにそばに立ち止まり、興味津々の様子で会話の行方を見守っていた)。
「盗まれたのであろうとなかろうと、町を裸で歩いてはいけない」警官は苛々し始めた。
「でもぼくは、何とかしてタクシー乗り場まで辿りつかなければならない。どう思いますか?」
「その恰好では駄目だ」
「残念ながら、ぼくは煙になることも、服を体にはやすこともできないんです」
「だから言っているじゃないか、そんあ恰好で歩き回ってはいけないって」と、警官。(「前代未聞の恥知らずだ」と、誰かの太い声が後ろから注釈を加えるのが聞こえた。)
「それならば」と、フョードル・コンスタンチノヴィッチは言った。「あなたにタクシーを呼びに行っていただくしかありませんねえ、ぼくはここに立っていますから」
「裸で立っていることもやはり駄目だ」と警官が言った。
「パンツを脱いで、銅像の振りをしましょうか」と、フョードル・コンスタンチノヴィッチが提案した(549~550ページ)。

爆笑!
秩序の番人としての警官と、衣服がなくなったことで困り果て、早く家に帰り着きたいフョードルとのやり取りのチグハグさの加減。
フョードルは、究極の提案をする、そんなにこの恰好がダメならば、パンツを脱いで、銅像になってみてはどうかと。

見物人は、誰も笑わんかったんかいな?

話はずれるが、わたしは、最近、ある方の話を聞いて、その方に
滑稽を愛でる心を見出した。
引っ越した先の建設予定地で、見つけた看板に、「部外者以外立ち入り禁止」とあったそうな。
聞いた瞬間分からなかったが、打ち続く劇笑。

ところで、『賜物』の滑稽話はとりあえず終えて、話題を急転させよう。
心の描写の繊細さ、とりわけ、異性への恋心の描写に、わたしは、ナボコフへの深い愛着を感じる。

シチョーゴレフの家に越してきて、最初に彼女を見かけたとき、彼女のことはもうよく知っている、その名前も、おおよその暮らしぶりも、だいぶ前からお馴染みになっている感じがした。しかし、彼女ときちんと話すまでは、いったいどのようにしてそれを知ったのか、自分にも説明がつかなかったのだ。初めのうち、彼女を見るのは昼食のときだけで、その姿を注意深く見守り、一挙手一投足まで詳しく観察した。彼女はほとんど口を聞いてくれなかったけれども、ある種の兆候からーそれは瞳によってというよりは、まるで彼のほうに向けられたかのような目の色の微妙な変化によってだがー彼女が自分に向けられた視線にはいつも気づいているということが、彼にはわかった。彼女の身のこなしは、まるで自分が彼に与えたまさにその印象のこの上なく軽やかなベールに終始制約されている、といた風だったんだ。そして、自分が彼女の魂や生活に、どんな形であれ、関わることはまるっきり不可能だろうと思えたので、彼は彼女のうちにとりわけ魅力的なものを見て取ると胸が苦しくなり、彼女の中に美の欠陥を示すものが何でもちらりと見えただけで、ほっとして嬉しくなるのだった。頭の周りの陽光に満ちた空気の中に明るく輝きながらいつの間にか溶け込んでいく淡い色の髪の毛、こめかみの細く青い一本の血管、長く優しいうなじに浮き出たもう一本の血管、細い手首、とがった肘、腰のくびれ、肩の弱々しさと、すらりとした上体の独特の前傾姿勢ー彼女がスケートですべるようにスピードをつけて駆けだして床の上を突き進んでいくとき、まるでその床は、彼女に必要な物を置いてある椅子やテーブルの埠頭に向け微かに傾斜して下っていくようだったーこの何もかもを彼は苦しいほどはっきりと受け止めた(278~9ページ)。

こうした愛しいジーナの描写は、それと対比的な以下のような描写によっていっそう引き立てられる。あるタイプの異性たちが、神秘的な親族関係にあり、しかも、その輝きは束の間のことであるという。絶望的な欲望とは、初めから満たされないことがはっきりしている欲望のこと。こういう言い回しに心を奪われる。

フョードル・コンスタンチノヴィッチに向かってうら若い、牛乳瓶を持った娘がやって来たが、彼女はどことなくジーナに似ていた。いや、より正確に言えば、この娘には、彼が多くの女性に見出しているある種の魅力のーそれは明確なものであると同時に、無意識的なものであったーひとかけらが含まれていたのだ。そして、彼はその魅力の完璧なものをジーナの中に認めていた。だからそういう女性たちは皆、ジーナとある種の神秘的な親族関係にあるということになるが、その関係について知っているのは彼一人だったのである。もっとも、その関係の特徴を具体的に言い表せといわれても、彼にはまったくできなかったけれど(ただ、この親族関係の外にある女性たちを見ると、彼は病的な嫌悪感を覚えた)。そしていま、擦れ違った少女のほうを振り返って、ずっと前からお馴染みの、束の間しか姿をとどめない黄金の線を捕えると、それはすぐさま永遠に飛び去った。そのとき彼は、一瞬、絶望的な欲望がこみ上げてくるのを感じた(523ページ)。

ふたたび、わたしたちは、ここでも『ロリータ』のハンバート・ハンバート、あるいはその原像に出会う。いや~、今日は、まとまりのない文章を、引用でつなげながら、けっこう長くダラダラと書いてしまった。最後に、『賜物』のなかで、わたしが気に入った、魂を揺さぶられる
表現を幾つか、思いつくままに、書き留めておきたい。

最初は、例えの滑稽さ。

時計はときにその振り子で舌打ちのような音を立て、時を打つ前にはまるで力をためようとでもいうのか、なんだか奇妙な具合に深呼吸をした、チクタクと時を刻む音は、一センチごとに横縞の入った巻尺のように、ぼくの不眠の夜を果てしなく測り続けた。ぼくにとって眠りにつくことは、鼻にこよりを突っ込まないでくしゃみをすることや、自分自身の体を使って自殺すること(例えば舌を呑み込んで)と同じくらい難しかった(26ページ)。

次に、父の回想。苦悩の様子から、父の心のうちを想像する、うっとりするような表現。

そして、書斎の窓越しに、外から父の姿を覗き見たとき、その顔から受けた印象を説明する手段がぼくにはない。そのとき父は突然仕事を忘れて(父がどんな風に仕事を忘れてしまったのか、ぼくは心の中で感じ取っていたーそれは何かが崩れ落ちるか、静まりかえったような感じだったのだろう)、大きな賢そうな頭を書き物机から微かに逸らして拳で支え、頬からこめかみまで大きな皺がぐっと持ち上がっていた。父はそうやって一分ほど身じろぎもせずにじっと座っていたのだ。いまぼくにはときどきこんな風に思えることがあるーひょっとしたら父は旅に出るとき、何かを探していたのではなく、むしろ何かから逃げようとしていたのではなかったのか(180ページ)。

ジーナの元カレに対するフョードルの嫉妬の感情描写。嫉妬が、待ち伏せをしているのだ。

というのも、亡霊は名前も境遇もないほうが、簡単に消え去るということがわかっていたからだ。とはいうものの、彼に対しては、むかつくような嫉妬をどうしても感じてしまい、それを突き詰めて考えないようには努めたものの、それは、つまり嫉妬はいつでもどこかの角を曲がったところで待ち伏せしていて、いつかどこかでひょっとしたらこの紳士の不安げで悲しそうな目に出くわさないとも限らないと思っただけで、周囲のすべてのものが、日蝕のときの自然と同様に、夜の生活を始めるのだった(288~289ページ)。

言い回しに対する解釈はあるのだが、とにかくこういった言い回しへの注目に注目したい。

あるときフランスの思想家ドラランドは、誰かの葬式で、どうして帽子を脱がないのですかと尋ねられ、こう答えたというー「死のほうが先に帽子を脱ぐのを待っているんだ」(492ページ)。

そのほか、表現のレベルで魅惑的なものがまだまだいっぱいあるが、もうずいぶん書いた、書きまくったような気がする、力尽きたので、ナボコフの前で帽子を脱いで、今日はこのくらいにしておきたい。


それは表現の問題である

2010年09月18日 11時51分04秒 | エスノグラフィー

エスノグラフィーは、<表現>だ。
【学的描写】を【感覚描写】に代えてみた。
以前は、【学的描写】が好きだった。
最近は、【感覚描写】のほうが、少し気に入っている。
覚書として。

【感覚描写】
プナン。太古以来、ボルネオ島の熱帯雨林のなかで、ノマディック(遊動民的)な暮らしを営んでいた。ブラガにある王朝(州政府のこと)から、男(役人)がひんぱんに森にやって来た。森から出て、暮らしてはどうか。フンドシではなく、ズボンをはいた男たちはそう言った。家を建てる土地はある、焼畑をするための土地もある。これからは、そうした暮らしに切り換えてみてはどうか。プナンは、しだいに、そうした考えに乗ってみようと思った。1960年代になって、森を出て、ブラガ川の上流域に移り住んだのである。現在、500人ほどのプナンが、焼畑民クニャー人とともに、そこに暮らしている。当初、
身体のなかからノマドが抜けきらないままで、ふたたび森へと逃げ帰った者たちもいる。が、しだいに、彼らは、フンドシを脱いでズボンを履き、周辺の焼畑民と同じように振る舞うようになった。王朝の男たちの口添えで、焼畑で暮らしてきたクニャー人たちから、焼畑のやり方を学ぶようになった。森に火を放つ。しかし、まだ十分に木々が乾ききっていない。播種。土に棒で穴を空けて、種を穴のなかに落とし込む。焼畑民のやり方に比べてランダムだ。種が穴に入らずに、零れ落ちてしまう。下草刈りには、根気がいる。面倒そうだ。せっかくの収穫を鳥がついばんでしまう。そうなると、なす術がない。何人かが王朝の農業学校のコースに送られた。でも、今日まで、年によって、米は取れたり、取れなかったり。プナンは、生粋の農民ではない。米やサゴ澱粉などは、森林伐採企業がくれる賠償金で買えばいい。だから、今日でも、プナンのハンティングへの依存率は高い。男たちは、何をおいてもまず狩猟に行く。獣肉は、自分たちで食べるだけでなく、とりわけ、猪肉は、木材キャンプで売られる。近隣の住民にも売られる、プナンは、そうして、現金を手に入れる。

【学的描写】
ブラガ川上流域には、クニャー人とともに、500人ほどのプナン人(西プナン)が住んでいる。プナンは、サラワク州政府による先住民の定住化政策に応じて、1960年代後半にその地に移り住み、州政府やクニャー人の助けを借りて焼畑稲作を開始した。ところが、今日に至るまで、プナンの稲作の知識と技能は、相対的に低いままにとどまっている。そのため、米の収穫がある年もあれば、管理不足で獣害などをこうむって、収穫がない年もある。ブラガ川上流域のプナンには、2006年と2007年にはほとんど収穫がなかったが、2008年と2009年には、十分とはいえないが収穫があった。それゆえに、彼らの生存経済は、今日でも、狩猟に大きく依存している。彼らは、狩猟によって得た獣肉を自家消費するとともに、猪肉を木材伐採キャンプや近隣のクニャー人たちに販売することで現金を手に入れている。


そのころも旅していた

2010年09月17日 10時58分34秒 | フィールドワーク

古びた日記。日記というより、漆黒のA5のバインダー。大学3年だった。その年の後半は、旅に出た。タイ、マレーシア、シンガポールを旅して、遊興に金を使い果たし、帰国まで4カ月を残して、バングラデシュに渡ったときには、所持金がほとんどなく、ブディストと称して、ダッカのモナストリーにただで泊めてもらった。以下、27年前の明日の日記(1983年9月18日(日))より。日記の内容については、とりわけ、人物については、今となっては、はっきりとは思い出せない。長い年月を経て、それでも、その紙の上には、表現の荒々しさとともに、心の動きが、たしかに感じられる。

J.Mに日本語を教える。教えるといっても「お茶を飲みます」程度の会話を2つやっただけ。俺はヨーロッパ人やアメリカ人は嫌いだという考えを今日いっそう新たなものにした。今日俺のところに、オランダから女がやってきた。Sが俺のところに連れてきた。「どこから来たの?」「どこに住んでいるの?」「何をしているの?」などと尋ねると、女は言いやがった。「そんな個人的なこと聞いて何になるのか?」と。俺はカチンと来た。ぶん殴ってやろうかと思った。そんなことからしか話を始められないではないか。女はチベットの大乗仏教に関心があるらしい。「どうして仏教徒になったの?」という質問に対して、「カルマのせいです」という答え。頭が固い西洋人だ。それから一時間あまり、俺のベッドで寝やがった。というのは話が続かなかったからである。エゴイズムの固まりめ。そのくせ子どもたちには甘い顔をする偽善者。「昼ごはん食べたの」という俺の問いかけに目を合わせることなく「ふん」というだけで出て行った。今度来たらツバをかけて追い返してやろう。

池で泳いでKとKの友達のNのこところに行くが、あいにく彼は不在で、Kの友人のS.Bを訪ねる。ペブシをごちそうになり、その後Kの姉さんのところへ。Nと会ってNの家へ、今日はムスリムの年に一度のフェスティバル。コルバンというウシを供犠する儀式があちこちで行われ、いたるところで血が流れている。Nの今日コルバンをやったらしい。テレビの放送は、今日は特別のプログラム。夜、バングラデシュのドラマをSの家で見る。

(キング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』のジャケット写真、今日はこんな気分)


『予告された殺人の記録』

2010年09月16日 15時42分47秒 | 文学作品

少し前に、ふと思い立って、G・ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』を読んだ。これで、3回目。「自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝五時半に起きた。彼は、やわらかな雨が降るイゲロン樹の森を通り抜ける夢を見た。夢の中では束の間の幸せを味わったものの、目が覚めたときは、身体中に鳥の糞を浴びた気がした・・・(7ページ)という、殺人事件が起こる日の朝に、殺される男(サンティアゴ・ナサール)の夢と目覚めの感覚という絶妙な描写から小説は始まる。あるとき田舎町へと流れついたハンサムな富豪の息子、バヤルド・サン・ロマンは、やがて、町の人びとに受け入れられるようになり、やがて、アンヘラ・ビカリオに恋をし、結婚する。しかし、初夜に、アンヘラが処女でないことが分かり、バヤルド・サン・ロマンは、アンヘラを実家に送り届ける。「バヤルド・サン・ロマンは家に入らず、黙ったまま、妻をそっと中へ押しやった。それからプーラ・ビカリオの頬に接吻すると、ひどく気落ちした声で、しかし精一杯の優しさをこめて言った。『何もかもありがとうございました、お母さん』と彼は言った。『あなたは聖女みたいにいい人です』」(56-7ページ)。「兄より判断力のあったペドロ・ビカリオが、彼女を抱きあげ、食堂のテーブルに坐らせた。『さあ』と彼は、怒りに身を震わせながら言った。『相手が誰なのか教えるんだ』」(57ページ)(祝祭の後、ふいに、静かに実家に送り返されたアンヘラ。事件をきっかけに彼女のなかで、憎しみと愛が二つで一つの情熱となったことが、のちに語られる。10年後のバヤルド・サン・ロマンとアンヘラとの再会のエピソード(107~113ページ)が、この出来事の激烈さをいっそう際立たせる。彼女は、ほとんどためらわずに、名前を挙げた。それは、記憶の闇の中を探ったとき、この世あの世の人間の数限りない名前がまぜこぜになった中から、真っ先に見つかったものだった。彼女はその名に投げ矢を命中させ、蝶のように壁に留めたのだ。彼女がなにげなく挙げたその名は、しかし、はるか昔からすでに宣告されていたのである。『サンティアゴ・ナサールよ』彼女はそう答えた」(58ページ)。アンヘラを辱めたのがほんとうにサンティアゴなのかどうか、明らかではない、謎だ。パブロ・ビカリオとペドロ・ビカリオのアンヘラの兄である双子の兄弟は、その直後、サンティアゴ・ナサールの殺害を計画する。「しかし、どうやらビカリオ兄弟は、人に見られず即座に殺すのに都合のいいことは、何ひとつせず、むしろ誰かに犯行を阻んでもらうための努力を、思いつく限り試みたというのが真相らしい」(60ページ)。物語は、アンヘラの処女喪失と予告殺人の成就をめぐる「わたし」の調査を織り込みながら、一気に、スピーディーに、どどどどと崩れるように、クライマックスへと突き進んでゆく。サンティアゴ・ナサール殺害を回避するための手立ては、ことごとく外れ、「偶然」が重なった結果、ビカリオ兄弟はサンティアゴ・ナサールを殺害するのだ。「『サンティアゴ!』と彼女は彼に向って叫んだ。『どうしたの』サンティアゴ・ナサールは、それが彼女であることが分かった。『おれは殺されたんだよ、ウェネ』彼はそう答えた(143ページ)。見事だ、完璧だ、構成といい、謎の仕掛けといい、この小説は。野谷文昭による「あとがき」には、ガルシア・マルケス自身が、この作品を自身の最高作と考えているようである。文章の魔術、驚異だ、大いなる羨望を感ず、わたしには、どうにもならないが。ついでに、映画化もされている。フランチェスコ・ロージ監督『予告された殺人の記録』。カトリックの処女性を考えるため、授業で使ったことがある。ちなみに、アンヘラ役のオルムラ・ムーティは、憂いを含んで、なかなかセクスィー。★★★★★