たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

今日のエスノグラファ-熱帯編

2010年02月22日 12時09分47秒 | エスノグラフィー

ビントゥルには、昨日から、熱帯の暑熱が戻ってきた。

マラリアの予防薬(Fansidar)も飲んだし、蚊帳、毛布、マット、蚊取り線香、水、石鹸、米そのほか食料類と少々の酒類なども現地調達した。おみやげには、前回訪ねた
8月に撮影した写真のアルバム、日本から持ってきたアーミーナイフなどの小物類、さらには、ずっと以前から、おねだりされていたドイツ製のコンパクトなチェーンソー(STIHL 831)をビントゥルで買って、持っていくことにした(日本円で5万円強)。

What a dynamic and bewitching performance of Ravel's "Bolero"!  GREAT!
http://www.youtube.com/watch?v=3-4J5j74VPw


『精霊たちの家』

2010年02月21日 19時12分59秒 | 文学作品

昼夜、寝食を惜しんで読書する。なぜ?旅行に、たくさんの本を持ってきたからである。読まずに、本に旅行だけをさせるということをしたくないからである。そのための読書になっている。なんだか不条理な気がする。いや、そうではないかもしれない。国内にいるときには、400ページにわたってぎっしり書かれた本を、一日と一晩で読んで、さらには、次の本を読み進むというようなことは、絶対にできない。

さて、チリの小説家・イサベル・アジェンデの『精霊たちの家(木村榮一訳、1989年、国書刊行会)を読んだ。それは、バージェ家からトゥルエバ家の四代の物語。ガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に作りが似ている。「精霊たちの家」というタイトルがついているわりには、こちらのほうが、魔術的リアリズムの要素が抑えられているような気がする。

この世のものと思えない美貌の持ち主であるローサに恋をし、フィアンセになったエステーバン・トゥルエバは、ローサを幸せにするために鉱山に働きに行き、大儲けの見通しがついた瞬間に、ローサの死の報を受ける。その傷心から立ち直るために、エステーバンは、ラス・トレス・マリーアスという父が残した農地の開拓に精を出す。「以後十年のあいだにエステーバン・トゥルエバはあのあたりでもっとも畏敬される地主になった・・・その一方で彼の猟色ぶりも度を過ごすようになった。少女から一人前に成長するまでのあいだに、女たちはひとり残らず森の中や川岸、あるいは鉄製のベッドの上で処女を奪われた」。

他方、ローサの妹クラーラは、毒物を飲まされて死亡した姉の解剖現場をのぞき見し、助手のみだらな行為を目の当たりにした後に、エステーバンに求婚されることを直観的に知るまでの間の九年間、一言も口をきかなかった。クラーラには、生まれつき、不思議な千里眼的能力が備わっていたのである。「クラーラができたのは夢占いだけではなかった。未来の出来事を予言したり、人が心の奥に秘めている考えや生涯大切に守り通し、年とともにいっそう磨きがかけられていった美徳を見抜くことができた・・・クラーラには手で触れなくても物体を動かすことができる力が備わっていた・・・」。このクラーラのシャーマニックな能力が、『精霊たちの家』というタイトルになっているようである(しかし、その精霊たちがどういう存在であるのかについては、この本には、具体的な描写はほとんどない。全体をつうじて、目に見えない世界につうじるクラーラを介して巻き起こる人間側の事実に焦点があてられる)。

やがて、クラーラは、ブランカという娘、ハイメとニコラスという双子の男の子の母となる。ブランカは、ラス・トレス・マリーアスの幼なじみのペドロ・テルセーロと恋仲になる。父親のエステーバンは、地主として、社会主義運動に熱中するペドロ・テルセーロを憎んでおり、自分の娘との逢引の通報を受けたエステーバンは、ペドロ・テルセーロを銃で撃ち殺そうとするが、指を切り落としただけで、ペドロ・テルセーロを農場から追い出してしまう。その後、ブランカによって生み落とされた娘には、アルバという名が付けられ、かつてのような精力はないが、依然として頑ななエステーバンの愛情が一心に注がれる。話は、それ以降、保守派の国会議員となったエステーバン・トゥルエバと、孫娘アルバと恋仲にある共産主義ゲリラのミゲルとの確執を描きながら、より広い社会的文脈で、選挙における社会主義政党の勝利と軍によるその政権の転覆という非常事態のなかで、トゥルエバ家の人たちが巻き込まれてゆく運命がたどられてゆく。

約百年近い年月にわたる一家四世代のクロニクル。
圧倒的に面白いのは、クラーラの千里眼的な能力をちりばめながら、家族のなかで、さまざなな事柄が生起する中盤までである(後半の政治事件に翻弄される人びとのありようは、政争の描写に重点が置かれているため、精彩を欠いているように思われる)。よろこびや悲しみ、怒りをともなって、ときには激烈に、ときには密やかに、人びとの生きざまが描かれており、そのことが、全体的には、ことのほか、気鬱を感じさせるのである。人は、内面に深い孤独を抱えているがゆえに、人は互いに関わろうとするのではないか、助けを求めざるをえないのではないか。さらには、そうした思いを実らせるために、人は深い業にさいなまれるのではないか。そんなことを感じた。


主題

2010年02月20日 17時01分49秒 | フィールドワーク

フィールドに入る前には、つねに、ある主題を考えている。主題の束みたいなものを抱えてフィールドに行こうとする。わたしの場合、つねにこの町、ビントゥルで。 

フィールドに入ると、主題は、現実の前に変奏される。あるいは、そうした主題は、フィールドを終えて帰国して、日本的な日常のなかで、やがて、すっかり忘れ去られてしまうことになる。主題は、あるいは主題について考えることは、その後、フィールドに入る直前に、突如戻ってくる。ただただ、その繰り返しがあるのみ。パッションのように。その意味で、過去一年半の間に、思考の進歩はほとんどないとも言える。同じような主題と思考の横滑り。 

2008年夏の調査直前の主題は、「文化化された熱帯雨林(Cultured Rainforest)」と題された、考古学と人類学の研究者による共同のパネルを聞いてインスパイアーされ、必ずしもわたしたちのような近代文明的ではないかたちで、自然と向き合い、それを利用して生きる狩猟民プナンのエスノグラフィーをどのように書けばいいのかということにあった。

2009年春の調査の主題は、概略、以下のようなものであった。狩猟民は、とりわけ、動物の血と深く関わっている。血が滴る獣とのダイレクトなやり取りを、その習俗や意識の面において明らかにすることによって、プナンが、荒ぶる自然にどのように向き合ってきたのかを考えてみたいというものであった。それは、『千のプラトー』(ドルゥーズとガダリ)に出てくる、能産的な「なめらかな空間」としての自然を、狩猟民プナンが、どのように、「仕切られた空間」にしてきたのかということに関わる。

2009年夏の調査の前の主題は、自然と文化の二元論という、西洋形而上思考の乗り越えの試みであった。例えば、形態模写的なアナロジーによって天候や吉凶を知るという鳥の聞きなしのようなプナンの「伝統」的実践について。それは、鳥の声を聞いて、日常の活動の指針とする精神活動であるというような、デカルト的な理解によって、一般には捉えられてきた。しかし、そういう捉え方は、いわゆる自然と文化精神の二元論の図式を強化することにつながる。そうだとすれば、プナンが、鳥の聞きなしをつうじて、自然環境と協応しながら、どのように知覚と行動を組み立ててきたのかという点に目を向けることで、二元論の問題を乗り越えてゆくことができないか。

そして、それらの調査の事前の時点での主題が、その後の調査および思考において、方向を変えられ、粉々に砕け散って、達成されていないという、惨めったらしい状況のなかで、わたしは、今回は、いくぶん別の主題を思い描いている。それは、プナン人の精神的な内面の襞に分け入って、すなわち、人びとの情動に寄り添って、彼らが眺めている<自然>について記述するというものである。意識の深くに潜むような情念を含めて書き表すのだとすれば、そういったことは、合理性・論理性を旨とする学問にはできないと言っていいかもしれない。それが文学「的」な手法によって可能かどうかについても、いまのところ、わたしには分からないのであるが。

ラヴェルのボレロのような昂まりがない。あるいは、突き進んでいくような深まりが。そもそも、書いていないからかもしれない。覚書として。

(写真:ホテルの窓から見たビントゥルの中心街)


妄想が発生し、亢進し、萎糜し、消尽していく

2010年02月19日 23時18分39秒 | 文学作品

朝起きると雨。8時半発のエクスプレスボートに乗ってクチンを出発。南シナ海はしけて、船は大揺れに揺れ、一時、船酔いに近い症状。2時前にシブ到着。とにかく暑い。バスに乗り換えて、午後7時半にビントゥルに到着。中国語の演歌調の曲が流れるバスの車内で、場違いだと感じながらも、『夜のみだらな鳥』をようやく完読する。期待を大きく上回るものがあった。この得体の知れないざわめきは、いったい何であろうか。20年以上前に、バルガス=リョサの『緑の家』を読み終えた後の読後感と似ているような気がする。

鼓直によるあとがきによれば、ドノソは、自著を解題して、以下のように述べているという。

ぼく自身がひとつのオブセッションとして経験している何かに合理的な形を与えようと意図することは、ただ単に人間的行為として誤りであるだけでなく、文学的なそれである。非合理的なもの、妄想的なものも・・・文学的な素材たり得る。不条理なものの亡霊は日常の出来事のなかにひそんでいて、姿を見せずにぼくらを追いまわしているのだ。

うん、幾度も頷くことができる言葉だ。スペイン政府は、この作品が性的なみだらさと、さらには、宗教的なみだらさに満ちていることで、この本が出版された70年代に、『夜のみだらな鳥』を発禁処分にしたのだという。

タイトルは、ヘンリー・ジェイムズの以下の言葉に由来するようである。

分別のつく十代に達した者ならば誰でも疑い始めるものだ。人生は道化芝居ではないし、お上品な喜劇でもない。それどころか人生は、それを生きる者が根を下ろしている本質的な空虚という、いと深い悲劇の地の底で花を開き、実を結ぶのではないかと。精神生活の可能なすべての人間が生まれながらに受け継いでいるのは、狼が吠え、夜のみだらな鳥が啼く、騒然たる森なのだ。

鼓によれば、

夜のみだらな鳥』は、彼らの意識下にひそんでいる、さまざまな暗い情念がまさに怪鳥のごとく飛びかい鳴きかわす、闇の世界の完璧な表現だといってよい。

蜿々と続けられる独白は・・・その生涯にわたって外部で生起した事柄の忠実な記録ではもちろんない。また、外界の出来事に触発されてその内面に生まれたものの正確な想起でもなければ、まっとうで合理的な反応の記述というようなものでもない。《ムディート》の独白は、いずれが原因であり結果であるかを見定めがたいのだけれど、人格の統一性がしだいに崩壊し失われてゆく人間の、放恣この上ない妄想の産物なのである。独白が進むにつれて理解が深まることを望んでいる聞き手の期待を裏切りつづけていく世界、その内容がますます支離滅裂で不合理なものになっていく世界である。そこでは現実と妄想、歴史と神話、論理と非合理といった対立的な要素が紛然と入りまじっていて、何が確実であり、何が根も葉もない虚構でしかないのか、その間の分別が容易でない。不可能だとさえ言ってもよいくらいだ・・・

ウンベルトと老婆ペータ・ポンセは、性的な関係を結ぶ。「達した瞬間に彼女は叫んだ。『ああ、ヘロニモ!』おれも叫びをあげた。『イネス!』」どうして、お互いに相手を別の人物だと思いこんで、愛戯ができるのだろうか。いや、人間には、そういったことができるのかもしれない。改めて考えてみると、人間には、人間だからこそ、そういったことができるのかもしれない。修道院には、老婆と畸形が集められる。正常なウンベルトがそこにいなければならない理由が語られる。「不具の世界でただひとり正常だということは、つまり、彼こそが異常な人間だということを意味する」。なんたる狂った言い方であろう。しかし、それは、世界の成り立ちを真正面から眺めるならば、じつにまっとうな事実でもある。ウンベルトによる、悩ましい世界についての語り。「どちらが果たして真の現実なのか、分からなくなりました。内面の現実でしょうか?それとも外部の現実でしょうか?現実がわたしの脳裡にあるものを造りだしたのでしょうか?それともわたしの脳裡にあるものが、この眼前のものを造りだしたのでしょうか?」

この小説は、ひとつの事件ではあるまいか。

(シブに到着したエクスプレスボートと泥色したラジャン河の流れ)


夜のみだらな老婆たちの呪力

2010年02月18日 13時00分42秒 | 文学作品
クチンにいる。今週の日曜日に、中国の旧正月が明けたようである。昨夜は、真夜中に花火を打ち上げていた(写真)。 わたしはと言えば、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥(鼓直訳、新潮社、1984年)を、いまだに読みつづけている。語り手のムディートの、思い込みによってグチャグチャになった現実と非現実との間にすとんとはまり込んで、彼の深い煩悩に付き合いながら、あてどのない旅をつづけている。

小説をつらぬいている、呪術的な仕掛け。修道院に住み着いた年寄り女たちは、長い日常のルーティーンワークを積み重ねて、大きな呪力を身にまとうようになる。老婆とは、その意味で、ことのはじめから、魔女なのではないか。年老いた女性たちが魔女だという意味ではなく、時間と取るに足りないモノの集蓄こそ、反転的に、力のみなもとになりうる。

年老いた女たちの力は絶対だ。世間の連中が言っているように、彼女たちは静かな余生を送るためにこの修道院に来たのでは決してない。ここは、無数の独房に仕切られた牢獄である・・・召使は、その惨めな境涯のなかで力をたくわえていく。哀れみ、あざけり、けちな施し物、援助、辱しめ。耐えていくそれらすべてが、結局は力となる。老婆たちは復讐の武器にこと欠かない。ざらざらした皺だらけのその手のなかに、主人たちの別の半身を、汚く醜いもののすべてを溜め込んでいるからだ。お下がりの着古したペチコートや、身につけることを許されたアイロンで焦げたシャツ。ひとを小ばかにしたそれらを含めて、気を許した涙もろい主人たちから渡された汚く醜いもののすべてを、大事にしまい込んでいるからだ。彼女たちがその主人を思いどおりに操れないはずはない。主人の下着を洗ってやったのだ。主人がその生活のなかから捨てたいと思う不潔なもののすべてが、彼女たちの手をへるのだ。彼女たちは食堂の落ちたパン屑を掃除し、皿や鉢、ナイフやフォークを洗ったのだ。残りものを食べながら。彼女たちはまた、広間の埃や縫い物の糸屑、書斎の机のくしゃくしゃの反古などを掃除した。道ならぬ不義であったか否か、上首尾であったか否か、そこまでは分からないが、他人のからだからの残した臭いや汚れから顔をそむけることもしないで、主人たちが愛戯に耽ったベッドの後始末もした。主人たちの服の繕いをした。子供のときには洟をかんでやった。酔って帰ればベッドに入れ、ゲロや小便の後始末をした。靴下をかがり、履物を磨いた。爪を切り、まめを削ってやった。風呂では背中をブラシで洗い、髪をすいてやった。疲れや気鬱を治すために灌腸をし、下剤や煎じ薬を飲ませた。こういう仕事をしているうちに老婆たちは、主人のからだの一部を徐々に奪ってわがものにし、彼らの絶対にやりたがらないことを代わって果たすようになるのだ・・・多くのものを手中におさめるにつれて彼女たちの貪欲さはつのる。より多くの辱しめを受けることを願い、お下がりの古靴下をほしがる。すべてを自分のものにしたいと熱望する・・・おれはふと思うことがある。当然眠っているべき時間に老婆たちは起きていて、めいめいの箱から、ベッドの下から、また小さな包みのなかから、これまでに溜め込んできた主人たちの爪や洟汁、糸屑や吐物、メンスの血で汚れた布や綿などを、夢中で取りだしているのだと。闇のなかの彼女たちはそうした不潔な汚れもので、それらを奪い取った主人たちだけではなく世間全体の、いわばネガを再現して楽しんでいるのだと。この廊下や空部屋に大勢集まっている老婆たちの弱々しさ、貧しさ、寄る辺なさは、おれにもよく分かる。そしてここは、この修道院は、彼女たちがその護符を隠しておくために、またその弱さを結集して裏返しの力と言うべきものを作りあげるために、やってきた場所なのだ(50-51頁)。

それ自体としては取るに足りない、唾棄されたり廃棄されたりするような、<主人たちの一部>。それは、そのようにして溜め込まれ集積されて、力を得る。老婆たちは、そうした呪物(護符)の管理者なのである。それを、<感染呪術>と呼んでもいいし、あえて、呼ばなくてもいいだろう。世間では力のない、周辺的な存在であるとされる年老いた女たちこそが、そこでは、本当の力の管理人なのである。

ドノソの書いたものは、全編こういった調子である。真実の断片が、ぎっしりと詰め込まれた文章のなかに、まぶされている。わたしが生きているこの秩序だった現実が、静かに瓦解していくような感覚。現実は、かならずしも、わたしたちの思い描くような秩序や理性では切り取ることができない。いまさら、確認するまでもないのだけれども。

夜のみだらなエスノグラファー

2010年02月16日 22時24分25秒 | 文学作品
クアラルンプールでクチン行きの飛行機の搭乗待ちをしている。外気31度とのことであるが、冷房が効いているせいか、日本の延長のように寒い感じがする。日本からずっと、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』を読んでいる。ドン・ヘロニモの秘書で修道院に住むニセ唖のムディートの独白形式による物語。凝縮された時間秩序、登場人物の不条理なふるまいと内面の描写などのただならぬ連なり。わけが分からない分だけ、スリルを感じる。

(出発の前日研究室で:萌えグラファー撮影)

明日のエスノグラファー

2010年02月15日 22時03分46秒 | エスノグラフィー

前回帰国したのが、昨年の9月6日だったので、5ヶ月ぶりに、ふたたび、明日フィールドに向けて飛び立つ。2006年度の1年間のサバティカルを終えてから、夏春夏春と、今回が6回目のフィールドになる。ずいぶんとプナンのフィールドにかよっているものだと思う。でも、今回は、まったくもって準備不足である。物的側面については現地調達でなんとかなるだろうけれども、心的・知的な準備が不十分である。ピントがいまひとつ絞りきれていない。フィールドに入るまでの間に、道すがら、考えてみようと思っている。でも、そのわりには、今回は、さきほど、2桁に及ぶ書物をパッキングしてしまった。それらを道々読みながら、とも考えている。欲張りかもしれない。テーマは、とりわけ、動物と人間の関係から、自然と人間のありようを、エスノグラフィックに記述考察することである。それは、従来通りである。しかし、その表現の面において、痛々しいほどの能力の限界を感じているところでもあり、ブレイクスルーのための実験的な試みとして、一人称をベースにした語りを取り入れたいと思っている。自然に対する人びとの情動を視野に入れて、記述面において、より湿り気のある、内面的な書き方を。そんなことを、漠としてではあるが考えている。そのことは、一見して、精神や魂というようなものが、人間だけに独立的に存在することを語っているようでありながら、実は必ずしもそうではなくて、精神や魂が、自然のなかにも豊かに、かつ、ありふれて存在することを示すものになるはずである。見通しとしては。一人称の語りをつうじて、そんなことを、表現できないものだろうか。

(写真は、ライフル銃でしとめられた、metui と呼ばれている鳥;伽藍鳥ではないと思うが、犀鳥ともちがう)


『邪眼鳥』

2010年02月14日 22時09分25秒 | 文学作品

本日、伯父の3周忌の法要の行きと帰りに、筒井康隆の『邪眼鳥(新潮文庫)を読んだ。以下、そのアニミズム的側面に関する簡単な覚書。それは、入谷家の4兄妹弟の父の葬儀から始まる。

父・精一の妾の子である佐市以外の
3人は、父の資産や人物について、ほとんど何も知らない。未亡人であり、精一の後妻である春子によって、精一が若い頃に録音したレコードが発見され、歌詞に秘められた謎を追うなかで、4兄姉弟は、しだいに迷走していく。最近になって妻と別れた英作は、未亡人となった義母・春子にひそかな恋心を抱いており、信子は父に邪恋し、雅司は遺産に執着しているが、彼らは、決して、それぞれがそれぞれの欲望の対象に会うことができないまま、オープン・エンデッドなかたちで、この小説は終わっている。

なぜ兄姉弟のそれぞれが、それぞれの欲望する対象に出会うことができないのかというと、その対象が、現実に流れる時間とは異なる別の時間、あるいは現実の時間性とは異なる非時間性のなかにあるからである。欲望は、いまとここを流れる現実の時間と、それとは異なる非現実の時間の隙間に落ち込んでしまうのだ。

それを、世界のこちら側と世界のあちら側という言い方で呼んでもいいかもしれない。英作、信子、雅司は、世界のこちら側に生きながら、同時に、世界のあちら側の住人ともなる。精一の残した館には、しばしば、お手伝いの登志によって、生体や幽体が渾融した状態で目撃される。

あっ。そうなのでございますよ奥様。皆様しばしなお見えなのでございますが、それが皆様とりとめなく、うすぼんやりしたかたちでお邸の中をお歩きになります。坊ちゃまたち、お嬢さま、いったいどうなさったのでございましょう。お子たちだけではございませんよ奥様。若い頃の旦那さま、岡嶋の佐市さまなども、この世ならぬ姿で佇んでおられたり、座っておられたり。あれはまあ皆様、この世とあの世の交歓を生き霊と幽霊のかたちでなさっておられるのでございましょうか。英作さまなどは毎晩のように突然台所の入口に立たれて号泣なさるのでございますよ。どうしてさしあげたらよろしいものやらまあ私ほんとに困ってしまいます。

これに応じて、未亡人となった春子はいう。「みなさんばらばらにお見えのようでも、やはりお集まりなんですよ。時間の感覚がおありでないから、あなたもそのつもりで応待してあげてくださいね」。こちら側の時間秩序とあちら側の時間秩序をつなぐ場が、精一の残した邸宅であるのだけれども、なぜか、そのことを知って、「愛すべき邪心ある心が一堂に会すべき場所は帝国ホテルと春子は決定した」のである。


エニグマ(謎)

2010年02月13日 23時17分50秒 | 音楽

知らない間にというか、気づいたら、いつの間にか買いためていたという類のCDがある。エドワード・エルガーのエニグマ変奏曲である。バーンスタインのBBCのもの(バーンスタイン指揮BBC交響楽団『エルガー エニグマ変奏曲他』ポリグラム、1998年、写真)や、同じくBBCのアンドリュー・デイヴィスのものなど、今日、発見できただけで5枚あった。これだけを狙って買うのではなくて、あったら買うというのは、やはり、わたしが、この曲を、ことのほか気に入っているからにちがいない。改めて気づかされた。「謎(エニグマ)」は、エルガーの知人、友人、思い人などのスケッチに基づいて作曲したとされる、14の変奏からなる。曲想がどうあれ、14の変奏は、ときには、雄大であったり、温かみのあるものであったり、力に溢れたものであったりするそれぞれの情景の広がりとともに、わたしの心の襞にしみわたってくる。音の連なりが、どのようにして様々なそうした情動を引き起こすのかは、依然、大きな謎である。

ダニエル・バレンボイムのシカゴ交響楽団の97年のカーネギーホールでの演奏から、第9変奏の「ニムロッド」
http://www.youtube.com/watch?v=sUgoBb8m1eE


マーラーの復活

2010年02月12日 09時24分40秒 | 音楽
マーラーの交響曲は、3、1、2の順に好きだ。特に、2番"Resurrection(復活)"だけを集めいていた時期があった。リカルド・シャイー指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の2001年11月12-14日の録音のデッカ盤を取り出して聞いてみる。以前は、そうは思わなかったが、出だしがなかなかいい。

第5楽章のマーラーによる解題。

荒野の声。人生の終末に、最後の審判が近づいている。大地は震え、墓は開いて、死者が立ち上がる。権力者も乞食もみな進んでゆく。偉大なる声が響く。静けさの中に、夜の鶯の声が遠くで聞こえる。聖者と天上の者たちの合唱。「復活せよ。復活せよ。汝らは許されるであろう」。やがて、神の栄光が現れ、柔和な光がわれわれの心に染みわたる。黙した後に至福が訪れる。見よ、ここには、咎人も清き人も、罪も報いさえない。愛の感情がわれわれを至福へ導く。

ただただ漂う音に身をゆだねるのみ。

鳥の歌

2010年02月11日 22時26分15秒 | 音楽

ガルシア・マルケスの本のなかに、カザルスのことが出てきた。「四時に、ドン・パブロ・カザルスが編曲した決定版とも言えるヨハン・セバスチャン・バッハのチェロの独奏のための組曲を聴いて、気持ちを落ち着かせようとした。あの曲はすべての音楽の中でもっとも学識豊かなものだと私は思っているが、いつものように気持ちが静まるどころか、逆にひどく気が滅入ってしまった(『わか悲しき娼婦たちの思い出』p.16.)。わたしは、無伴奏チェロ組曲のCDを引っ張り出して聞いてみたが、その文章に影響されたのか、気が滅入るというよりも、今回は、心に響くことがなかった。あ、そうそう、物悲しい感じのするアレがいいだろうと思って、同じくカザルスの『鳥の歌ーホワイトコンサート』(ソニー)を大探しして、ひっぱりだして、久しぶりに聞いてみた。10数年前によく聞いていたように思う。1961年11月13日に、ホワイトハウスのケネディ大統領に招待された、85歳のカザルスが、バイオリンとピアノ奏者を従えて、演奏したチェロ・コンサートの記録である。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲から始まり(第2楽章の悲しさがいい)、クープランのチェロとピアノのための演奏用小品(悪魔の歌にわたしは打ち震える)、とろけるような、シューマンのアダージョとアレグロ変イ長調に続いて、おしまいには、むせび泣くような、カザルス編曲の鳥の歌まで、華やいだ雰囲気のなかに物悲しさが、逆に、物悲しさのなかに華やかさがあふれている。心に激しく響き渡る。

http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/d9a0dead7d0a77feb70f8cee46ed27ca


遙かなる、

2010年02月10日 23時52分28秒 | エスノグラフィー
深夜に、28年前の日記をひっぱりだして読む。1982年2月10日(水)、曇り一時雪/晴、「○○市内を車で走っている時、火事に遭遇した。煙はモクモクと上がり、風下は黒い煙に覆われている。サイレンの音がするや、野次馬連中が仕事の手を休めて暫時見物。当事者であろうか、女の人が男の人に支えられて泣きじゃくっている。野次馬はそんな人の気も知らず、『よく燃えてますな』と続々と見物にやってくる・・・」、まったく覚えていない。思えば遠くに来たものだ。日記のなかのわたしは、すごく痛々しい。その頃から、なんたる成長のなさよ。しばし、涙溢るる。

(1984年頃の肖像)

『高野聖』

2010年02月09日 21時44分04秒 | 文学作品

泉鏡花の『高野聖』を、20年ぶりくらいに再読した。 それは、高野山の僧から聞かされた話として語られる。

旅の僧は、飛騨天生峠にかかる。道連れの富山の薬売りが、危険な道を辿っていったので、僧は、彼を連れ戻すために、その後を追う。やがて、僧は、深い森のなかに迷い込む。あたりには、異様なほど、山蛭が充満している。

この恐ろしい山蛭は神代の古から此処に屯をしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどの位何解かの血を吸うと、其処でこの虫の望みが叶う。その時はありったけの蛭が不残吸っただけの人間の血を吐出すと、それがために土がとけて山一ツ一面に血と泥との大沼にかわるであろう、それと同時に此処に日の光を遮って昼もなお暗い大木が切々に一ツ一ツ蛭になって了うのに相違ないと、いや、全くの事で。

僧は、一気に、幽玄の世界に入り込んでゆく。 森を抜けると、日暮れ時、僧は、一軒の孤家に辿り着く。中からは、白痴の夫をもつ女が出てきて、一夜の宿の提供を承知してくれた。さらに、女は、近くの谷川で水浴びをするように、僧にすすめてきた。一晩で、匂い立つ女の艶麗さの虜になった僧は、その孤家から出発するが、「丁度私が修行に出るのを止して孤家に引き返して、婦人と一所に生涯を送ろうと思」う。ちょうどそのときに、馬売りの親仁に出くわす。親仁から、その女の正体を聞かされる。

親仁は、その前の晩に、女に鎮められた馬は、あの富山の薬売りの変わり果てた姿であり、女は、道に迷った、淫欲な旅人たちを、ほしいままに畜生に変える妖怪なのだという。親仁はいう。

御坊は、孤家の周囲で、猿を見たろう、蟇を見たろう、蝙蝠を見たであろう。兎も蛇も皆譲様に谷川の水を浴びせられて畜生にされたる輩!

旅の僧が、妖艶な女に迷わずに助かったのは、「感心に志が堅固ぢやから」なのだと、親仁はいう。

蛇や山蛭が住む先に開かれた怪性たちの世界。日常の空間からそれ程遠くないところに、わたしたちとは異なる存在が、別の意識や思惑をもっているにちがいないという感覚が、底知れない恐怖心を呼び醒ます。

「アニミズム」を考える過程で、泉鏡花を、ふと思い出して読み直してみたが、直観的に述べるならば、この奇譚は、なにやら農耕民的であって、狩猟民的ではないような感じがする。私の経験から言うと、焼畑民カリスの社会では、往々にして、このような奇譚のようなものが語られる。他方、狩猟民プナンの社会には、このような類の語りはない。農耕民では、人と霊との関わりの背後に動物が添えられるが、狩猟民の語りには、もう少し、動物と人間との関係が濃密であるような気がするのである。

(アントロポロギ創刊号の副産物@萌えグラファー、本文とは関係ない)


いい加減なフィールドワーク論

2010年02月08日 21時45分44秒 | フィールドワーク

フィールドワークに行くまでは、何も分からなかったことが、フィールドワークに行って、自らの身をその場へと投げ出せば、そこでの親族や社会関係の組織のされ方、性愛の実践や心の動き、自然との付き合い方、人びとの世界観だけでなく、じつにさまざまなことが、分かってくるのだと言って、授業なんかでは、それが、フィールドワークのスゴイところだと褒め称えている。しかし、あまりにも、そのことを強調しすぎてきたあまり、逆に、わたしは、フィールドワークとは、ほんとうにそういったものなのだろうかと疑いはじめるようになった。その言い方のなかに、わたし自身が、溺れかけているのではないかという思いが、ふと、わたしの脳裏をかすめたのである。とりわけ、わたし自身が、この3年間、春と夏の年2回ずつ行っているフィールドワークによって、いったい何が分かるのかについて、いや、もっと根源的に、何を知ろうとしているのかについて、もう一度、確かめておかなければならないのではないかと、思い立った。

フォックスはいう。「フィールド・ワークは目的ではなくて、たんなる手段にすぎない。それは必要なデータの収集であって、そこからわれわれは出発するのである。しかし多くの人類学者にとって、たとえ彼らが別の努力目標を認めるとしても、やはりフィールド・ワークは目的なのである」(ロビン・フォックス『人類学との出会い』p.20.)。手段としてのフィールドワークは、じつは、それ自体が、人類学者にとっての目的なのであるという認識。それは、実感としてかなり正しい。人類学者は、フィールドデータを得るためだけに、フィールドワークに行くわけではない。エスノグラフィーを書くための手段として、フィールドワークに赴くならば、さらには、そういった意識が浸透しているのならば、わたしたちは、もっともっと生産的に、社会的に意義のある(価値のある)エスノグラフィーを書けているはずである。現実は、そのことから程遠い。フィールドワークは、たんなる何かための手段ではない。

わたしにとっては、フィールドワークは、エスノグラフィーの手段ではなく、それ自体が目的であると断言できる。
とは言うものの、そのことによって、エスノグラフィーを書かなくていいということには、まったくならない。そうではなくて、何を知ろうとしているのかという点にまで踏み込んで、何をどう書くのかを考えなければならないのではないか。

ピーコックは、ゲーテと人類学者を比較して書いている。「彼(=ゲーテ)はしばしば恋におちいり、愛にわれを忘れてのめり込む一歩手前のところでとどまって、その出来事について書いた、というのだ・・・こうした心理のある部分はおそらく人類学者にも共有されているだろう。いかに彼が旺盛な好奇心を持ってある集団に入り込んでゆくにせよ、である。人類学者の仕事はかかわることと離れていることの両方を要求する。入り口があれば出口もある、というわけだ。人類学者は、参加することが同時に観察でもあるようなかたちに、彼自身の行動をアレンジしてゆかなければならないのである」(ピーコック、J.L.『人類学とは何か』pp.134-5.)。ピーコックは、そのすぐ後に、原住民になってしまった人類学者(ヌーンやクルト・オンケル)の例を出して、参加者が観察者として留まらなければならないとするフィールドワークの掟について述べている。

しかし、ほんとうに、そうなのだろうかと思う。「人類学者の使命は、ある社会集団の生活を経験し、それに参加することだけでなく、それに分析を加えることによって最終的にそれを理解することのなかにある」(上掲書、p.136.)と、ピーコックはいうが、現地人と人類学者の差異を、差異とすることで、たしかに、人類学は学問として確立されてきた。ところが、分析と理解というのは、必ずしも、あるいは、ただたんに、差異のなかにあるのではないのかもしれない。差異を超えて、同一化のベースの上に、あるいは、フィールドの人びとの内面性の共有とでもいうべきものの
上に、事柄や風土を見ることの意味を見つめなおさなければならないのではないか。そうでないと、少なくとも、わたしは、深い逡巡の後に、エスノグラフィーを、結局のところ、書くことができないような気がする。

それは、めぐりめぐって、要するに、こういうことなのかもしれない。イノシシが獲れて嬉しくて、一日に4回も5回も食べて、腹を下してしまったり、逆に、空腹でどうしようもなくて、ひもじい思いを我慢したり、遠くの森から聞こえてくるブタオザルの鳴き声に耳を澄ましたり、隣村への夜這い行に連れて行ってもらうことになって、その興奮を隠し切れずに話してしまったり、死んでしまった自分の子の名を絶対に口に出してはならないというしきたりを頑なに守ることで、悲しみを包み隠したり、狩猟キャンプに連れて行って欲しいという自分の願いが父母に理解されなくて、泣きじゃくったりすることなどなどを、一人称の立場から、その背後の景色や社会関係とともに物語的に描くこと、である。しかし、そこには、一人称的に書くことによる、対象への
同一化だけがあるのではない。その描写が、驚嘆であり、価値があるということを発見する差異の感覚も明らかにある。

(JAMS16号、p.49, 2006、 2005年カリス隊による撮影)