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ル・クレジオ 『パワナ』集英社 ★★★★(11-31)
ル・クレジオの短編『パワナ』を呼んだ。「パワナ」とは、アメリカ先住民の言葉で「鯨」の意。捕鯨船の船長チャールズ・メルヴィル・スカモンと乗組員ジョンらは、1856年に、バハ・カリフォルニアのラグーンで鯨の楽園を発見し、殺戮する。そのことを、ずっと後になって、年老いてから、1911年になって、取り返しのつかないことをしてしまったことを後悔しながら、回想するという内容。スカモンは、コククジラの発見者として、歴史に名をとどめている。 「・・・それより早くインディアンの男が引金を引いたのだが、銛は私たちの前を不意にまっすぐ飛び出し、その衝撃で短艇は止まったものの、太綱は鈍い音を立てて伸びひろがっていった。勝鬨がひびきわたり、悪魔の魚は、巨大な牝だったが、銛が当たったかどうかみとどける間もなく、水中に沈んだ。しかし沈んでゆく直前、牝鯨は私のよく知っているあのしゃがれた息づかいの音、どんな人間も忘れられないあの末期の息づかいの音を立てていた・・・」(スカモンの回想)。ジョンの回想には、売春宿に身売りされて、逃亡して殺害された先住民の娘・アラセーリへの甘い追憶が綴られる一方で、スカモンの回想では、自責の念が強く出ていて、作品全体に陰影を落としている。「彼らは言っていた、かの地に、カリフォルニアに、大洋に、鯨たちが子どもを産みにくるその秘められた地があると。そういう溜まり場、そういう海中の巨大な窪みがあって、そこえ牝の鯨たちが何千となく、すべて一緒に、いちばん若いのもいちばん老いたのも集まり、そして牝の鯨たちがそのまわりにぐるりと防禦線を作って鯱や鮫が寄ってくるのをさえぎり、そして海は鯨たちの鰭に叩かれて沸きたち、空は鼻孔の潮で曇り、鳥たちの鳴声が鍛冶場のような音をたてる」(ジョンの回想)。なんたる美しい情景の描写であろうか。
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池上永一 『統ばる島』ポプラ社 ★★★★★★(11-32)
八重山諸島の八つの島の物語。現実と非現実が織りなす美しい物語の連なり。【竹富島】では、ツカサ(神女)によって、種子取祭に奉納される芸能を習得するように選び出された若い男女に起こった色恋が、芸を迫真あるものに仕立て上げるという物語。【波照間島】では、オジイの世話にやってきた孫娘が、南波照間島という桃源郷へと迷い込んでゆく譚。【小浜島】の話が、この本のなかで、私は一番好きだ。四人の子育てを終えた女性が、自分がこの島に嫁いできたときに親切にしてくれたが、出産で別れを述べられなかった大舅の洗骨儀礼を行うことを思い立ち、その機に、家族が島に集まり、絆を確かめ合うという話。【新城島】の話も、小浜島の話に肩を並べるくらいいい。それは、目差主から琉球王への献上の品としてのジュゴン(ザン)を獲るように命じられた海人・ギールーの物語。目差主の娘を嫁にもらうという約束をされながら、ギールーは、ジュゴンの美しい娘・真魚に魅入られる。人の娘とジュゴンの娘の狭間で揺れるギールーのために、真魚(ジュゴン)は自らの命を差し出すが、やがて、そのことは、海神の怒りに触れ、島を80メートルの津波が襲う。【西表島】では、男たちは、ニュウメン蘭の花びらに小便を放ち、そのことによって現れる「メールビ」という幻想の小娘たちに犯され、快楽の果てに、次々に失神死してゆく。しかし、その背後には、メールビに魅入られた男がいたという、ミステリー仕立ての物語。【黒島】には、東大卒のエリート女性教師が赴任してくるが、子どもたちの様子が何かに憑かれたようでおかしい。やがて、小学生たちは、御嶽を守る童神であり、さらに、エリート女性教師も、神によって呼び寄せられたマレビトであることが明らかになる。【与那国島】では、日本の最西端の島であり、台湾との密貿易によって成功を収めた女傑の物語が語られる。最後に、【石垣島】こそが、これらの島々を統ばる島であることが語られ、それぞれの島の登場人物たちが、入れ代わり立ち代わり、石垣島を訪れては、自分の島に戻ってゆくさまが語られる。池上永一の民俗学想像力、恐るべし。
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いしいしんじ『トリツカレ男』 新潮文庫 ★★★ (11-33)
著者名は知っていたが、憑依を連想して、時間が余った時にすぐに読めそうな薄い本を探していて買った(380円)。ジュゼッペは、オペラ、三段跳び、サングラス集め、昆虫標本集め、探偵など、次々に取りつかれてしまい、それぞれを破格のレベルまで高める。次にジュゼッペが取りつかれたのは、風船を売っている少女のペチカだった。言葉をしゃべれるハツカネズミの協力を得て、ジュゼッペは彼女の心のくすみを調べ始める。ペチカは、先生だったタタンのことを慕っているが、実は、タタンは事故ですでに亡くなっていた。ジュゼッペは、ペチカの心を癒すために、その一心から、タタンになりきる。やがて、ペチカは、見返りのない愛を捧げようとしたジュゼッペのことを知るに至る。いしいは、現実と非現実をない交ぜにしながらも、す~っと読めるように、ストーリーを組み立てている。
西村賢太『苦役列車』新潮社 ★★★★★★ (11-34)
芥川賞作家・西村賢太は無頼派を気取っているだけだという評を聞いたことがあったが、この私小説を読んで、私は度肝を抜かれてしまった。ものすごい作品だ。とにかく全編にわたって暗い。その暗渠には光が差し込む隙間がない。こんな話のつくりは他にない。高等教育を受けて自然なかたちで社会に参入し、今は、大学に職を得てそこでのうのうと彼が嫌悪する大学的な知性を再生産している我が身に、同じ世界の「最底辺」という別の場所から、渾身の一撃を加えられた気がする。文体が激烈であり、ものすごい作家なのではないだろうか。性犯罪者の父のため学校を転々とさせられた貫多は、中学を卒業すると、母親から奪い取るように引き出した10万円で都内に部屋を借り一人暮らしを始める。それ以降、貫多は、日雇い人足の仕事を続ける。友人もなく、喋る相手もなく、朝から晩まで単純労働をし、日当5千5百円から代金差し引いて出される昼の箱弁に喜びを見出す。怠け者の貫多は、金があるときは仕事を休む。そのうち、家賃が滞る。19歳になった貫多は、ようやく、休暇中に人足仕事にやってきた、同年の日下部という専門学校生の一人の友を得る。二人で連れ立って、酒を飲み、フーゾクに通い、そうこうしていると金が無くなって、貫多はアパートを追い出されてしまう。日下部のアパートに転がり込もうとしているうちに、日下部に彼女がいることが分かった。貫多は、金もなく、彼女もいない最底辺の生活から抜け出すために、日下部の彼女に女友達を紹介してもらう画策をし、野球観戦してから、3人で酒を飲みに行くが、中卒の劣等感を背負う貫多には、二人の「エリート」会話が癪に触って、日下部と日下部の彼女を無茶苦茶に罵倒するのだ。その後、日下部には疎遠となり、鬱屈した気分で仕事仲間と乱闘して、人足の仕事もお払い箱になり、結局、嫌がる母親に金を借りることになる。貫多は「その頃知った私小説家、藤澤清造の作品のコピーを常に作業ズボンの尻ポケットにしのばせた、確たる将来の目標もない、相も変わらずの人足であった」。
町田康『告白』中公文庫 ★★★★★★ (11-35)
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明治26年、河内の国赤阪村水分の農家の長男・城戸熊太郎が、彼を兄貴と慕う谷弥五郎とともに、松永傳次郎宅に押し入って、家族など10人をを斬殺した「河内十人斬り」、別名、水分騒動を題材として、町田康は、その事件が起こった謎に迫っている。岩井梅吉が演じて大評判になった河内音頭のスタンダードナンバーとなっているらしい。800頁を越える分量で、ふつうの小説を3冊も4冊も読んだ充実感、達成感だが、何よりも作家としての町田の力量が並大抵ではないと感じられる。熊太郎の少年期から事件に至るプロセスにおける彼の内面の描写とところどころに挿入される第三者(作者)のツッコミ「あかんではないか」という声によって、作品が構成されている。熊太郎と弥五郎は、恋情や非情な金の分捕りなどの因となった松永への積年の恨みを晴らさんために、正義を振りかざして松永一族をぶった斬り、最後は、金剛山で自害したのである。熊太郎は、農村世界では、人よりすぐれて思弁的・思索的なのである。「一般的な十代の少女の好むところに従って事故を改造するということで、では、村の若者たちが一般の十代の少女がなにを好むと判断したかというと、感傷とメルヘンを好むと判断した」と言った具合に。美女・森本縫に好かれんとして、明治24年河内赤阪村の百姓の兄ちゃんたちも、少女の好む感傷とメルヘンの対象に自らを擬する。ところどころに、こんな感じの爆笑場面も挿入される。熊太郎の思弁は、しかしながら、それが明治の河内の農村という小世界では災いし、理屈は通るが、何をやってもうまく行かないということになり、熊太郎は、しかたなく、無頼の任侠となる。10代から30代にかけての熊太郎の日々の暮らしのなかで揺れ惑う心情や彼の苦心惨憺ぶりを、軽妙な河内弁に載せて綴る町田の才気は見事という他ない。タイトルを、『河内十人斬り』というようなものではなく、『告白』としたセンスもかなりのものである。
アルベルト・モラヴィア『倦怠』河出文庫 ★★★★★ (11-36)
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投票の結果、カフカの『城』を押さえて、この本を、3年の秋のゼミで読むことになった。表紙の写真のためか?倦怠とは、対象に対する現実感の欠如もしくは希薄な状態であると最初に説明される。主人公である35歳の画家ディーノは実在から切り離されているという感覚に苛まれ続け、彼の実存の幻影にかたちを与えるために、絵を描くことを放棄した上で、性行動に没入する。金銭に対して異常な執着を持つ母親から逃れて、ディーノは、彼の近隣にアトリエを持ち、へたくそな絵を描く65歳の老画家バレストリエーリの情死の直後に、その死の原因となった17歳のモデルの娘、チェチリアと性関係を結ぶようになる。ディーノは、チェチリアへの愛が本物ではないことに気づき、彼女と別れる決心をするが、幼い容貌とは対照的な完璧な肉体を持つチェチリアへの肉欲に引きずられ、より一段と彼女との関係に溺れるようになるだけでなく、次第に、彼女の奔放な性に対して嫉妬を募らせてゆく。いいなずけトニーとの関係だけでなく、老画家との関係を続けていたチェチリアは、今は、ディーノに適当な嘘をついて繕いながら、俳優ルチアーニとの性関係を続けていたのである。このことによって、ディーノはチェチリアに二股をかけられていたのであり、その醜い事実を暴き立て、そのことが明らかになった後も、ディーノはチェチリアとの性関係にますます溺れてゆく。繰り返し繰り返し交わされる性行為における一時的な所有では、ディーノの精神は満たされない。倦怠はますます大きく膨らみ、母から引き出した金を与えて、チェチリアをつなぎとめておこうとするが、そのこと自体が、ディーノには虚しい。やがて彼は、倦怠に苦しまないように、彼がチェチリアを愛さなくなるように、彼女を結婚のなかに閉じ込めようとして、チェチリアに求婚する。彼女は、明日からルチアーニとの旅行に出かけるというディーノにとって取るに足りないl理由で、ディーノの申し出を断っただけでなく、二人の旅行資金を無心する。ディーノは、チェチリアを永遠に所有するために、チェチリアを殺害しようとするが成就できない。最後に、ディーノは、乗っていた車を木に激突させて、「自殺行為」を試みたのである。「私はきっぱりとチェチリアのことを諦め、そして、不思議なことに、彼女のことを諦めてしまうやいなや、チェチリアは私にとって存在しはじめたのである」。ディーノのぼろぼろに傷ついた情念の果てに、ようやく対象であるチェチリアが存在するようになり、肉欲を越えた純真な愛が少しだけ最後に顔をのぞかせたのである。ディーノの現実との格闘を情念と行動のどうしようもない不条理のなかに緻密なまでに組み立てる、アルベルトよ、恐るべきイタリア人作家よ。
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吉田健一『金沢』講談社文芸文庫 ★★★★★ (11-37)
7月に飲みに行った折に、Nさんに教えられた小説。吉田健一が、吉田茂首相の息子だというのは知っていた。傑作だという。読んでみた。確かに、傑作だった。神田の横丁で屑鉄問屋を営む50歳代の内山の東京での暮らしや経歴は一切明かされない。内山が、商用で金沢に来て、犀川沿いに一軒家を買うのだ。「内山は金沢に偶の商用の他には何をしに来るのでもなかった。それは何もしないでいる為に来るのと同じことで一日中そうしてその部屋で雨の音を聞いていてもそれで金沢に来ているのだった」とあるように、お金に困らない風情の男が、本業や日々の暮らしから遠く離れた、身寄り、頼りのほとんどない土地で、ある時には誘われるままに、ある時には世話になった骨董品屋へのお礼のために、出かけて行って、相手と酒を酌み交わし、とくには女の影がちらつきながら、人間や東洋人と西洋人などについて、九谷焼や加賀暖簾について、ただただ話をして、酔い、気がつくと金沢の別宅である一軒家にいるというような風情の話なのである。「金沢に棲む或る人がその自宅で内山の為に一席設けたいので枉げてお出を願うというので、そこで骨董屋は言葉を切った、これが昔の支那だったらならば内山のことを風流の士と聞いてとか何とか簡単な口実がいくらでもあった筈であるが今日の日本ではそれが金沢でも事情が多少違って骨董屋は招待の理由を説明してそれまでの口上にただ、『町のどこかでお見掛けなさったのだそうで、』と付け加えただけだった。併し人を呼ぶのに考えようによってはそれも風流な口実であって内山は妙に心が弾むのを感じて承諾した・・・」という、小さな幸せがつながってゆくというような話がず~っと続いてゆく。全編にわたって、酒の匂いがプ~ンとして、金沢という土地の霊とともに、話の夢幻さに漂っているような心地の良さを感じる。