たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

飼うということ

2008年08月30日 20時38分16秒 | 人間と動物

フィールドワークを始めてからずっと気になっていたのは、プナン人たちの飼育動物に対する態度である。

彼らは、動物を①「歩くもの(kaan)」②「這うもの(asen)」③「飛ぶもの(juit)」④「泳ぐもの(=「魚」(betele)」に分ける。イノシシ、サル類、シカ類、リス類などなど、ジャングルに棲息する動物は、①のカテゴリーに含まれる。②にはヘビ類、③には鳥、④には魚が入る。それらのどれをも含む雑多なカテゴリーとして、⑤「虫(ketun)」がある。さらに、それらのどれにも含まれないものとして、いわば、⑥「半獣半霊」の動物として、虎、鰐、オランウータンが知られている。虎は、ボルネオのジャングルにはいない。いわば想像上の動物である。鰐(bayah)は、わたしの調査地の川にはいない。オランウータン(sikok)をかつて銃で殺して食べたことがあるというプナン人にあったことがあるが、それは、超自然的な力をもつ存在でもあるという。

⑤の虫類を除いて、プナン人は、すべてを食の対象としている。
食物禁忌はない。その点で気になるのは、飼育動物についてである。プナン語には、飼育する(kolong)ということばはある。「動物を飼う」という意味である。飼ってどうするのか?プナンは、ただ飼うだけだという。

飼育する対象のなかで、最も重要な生き物は、犬(aseu)である。神話のなかで、狩猟するために、ほかの動物に代わって、プナンはそれを手に入れたということが語られている。犬には名前を付け、狩猟で大きな仕事をした犬は、死後埋葬される場合がある。猫は、今日、プナン人たちに飼われている。猫は、ただ飼われているだけで、名前は与えられない。食料を荒す鼠(berevau)をつかまえてくれるという。その鼠を、もちろん、プナンは食べる。さ
らに、今日、時々、鶏(dek)が飼われることがある。しかし、プナンは、ただただ飼うだけで、卵を生ませて卵を食べるとか、育てて肉を食べるとか、さらには、売って金をもうけるとかというようなことは一切ない。彼らは、鶏を、飼うために、ただ飼うのだという。鶏に対するプナン人の態度は、飼育動物に対する基本的態度を示しているように、わたしには思える。また、近隣の焼畑民がするように、イノシシをかつて飼おうとしたプナンがいたが、犬に殺されてしまったという。飼育されるブタは、buin と呼ばれる。

まとめると、飼育される生き物は、食の対象とはならないということである。今日、近隣の焼畑民が売る鶏肉は、食料となることがあるが、基本的には、プナンは、自らが飼い育てた生き物を解体、料理して、食べるようなことはない。つまり、「飼う」ということは、「食べる」ということから、独立しているのである。いいかえれば、彼らが食の対象とするのは、もっぱら、周囲の生態環境のなかで生きている動物である。狩猟民とは、基本的にはそのような人たちなのか、たまたまプナンがそうした狩猟民的なエトースを、今日まで伝えているのかはっきりしないが、とりあえず、覚書として。

(狩猟キャンプに持ち帰られたサル(kuyat))


A piece of animal sex

2008年08月29日 17時02分50秒 | 性の人類学

I happened to hear a story of animal sex in Penan society.   An old hunter gained a wild boar in the jungle.  When he walked down from the jungle mountain, he met a younger member of his family. The young boy proposed to bring the wild boar down.  He ran down with the game animal.  When an old man reached a certain place he found the boy committing sexual intercourse with the female wild boar (kunyi mere mabui)!, without noticing the old man coming by.  This is only one story of animal sex I heard from Penan.  My supposition is that this story suggested potenciality of animal sex in Penan society.

(I am writing at Kuala Lumpur International Airport; the picture is a red morning sky along the Belaga river)


生きるために生きる、その2

2008年08月28日 12時01分53秒 | フィールドワーク

町のホテルのバスタブで衣服を洗濯をした。いつもながら、バスタブが泥と砂だらけになった。プナン社会を、途切れ途切れ(3月と8月の年二回)ながら繰り返して訪ねるなかで、繰り返し繰り返し、わたしに深く突き刺さってくることがある。それは、プナンが「生きるために生きている」ということに、思い至ることである。それは、彼らが、生きてゆくために食べることに、日々大きな努力を払っていることを強調するための、やや不正確な言い回しであるが、言いたいことは、以下のようなことである。朝目覚めた段階で、その日の食べ物のことを、心配する。ジャングルに猟に出かけたり、川に魚を捕りに行ったり、あるいは、米を買うためのお金を得るために、焼畑民の労働を手伝いに行ったりして、ともかく、食べ物を手に入れる。そして、今日も生き残るのである。毎日毎日が、ずっとずっと、そのように流れてゆく。いずれにせよ、食べて、生きるということが、日常の中心にどっしりとある。プナンは、生きるために日々生きているのである。逆に、と思う。わたしたちは、そうではない。つかみどころがなかったり、遠くにあるがゆえに大きく輝いて見えるかもしれない、あるいは、手の届く範囲にある理想や夢に向かって、動いている。そのことが、めぐりめぐって、わたしたちに、わたしたちが生きていく上で、必要となる以上のものを手に入れるのに役立つ。あるいは、将来、そうなると信じて。いずれにせよ、わたしたちは、目的や夢を、日常の食べる、生きることとは別のところにつくりだして、動いていることになる。その場合、人は、目的によって、宙吊りにされることになる。しかし、適切な目的を探し出して、自らをうまく宙吊りにできないような人を、また生み出してしまう場合がある。その意味で、わたしたちの社会は不安定でもある。ふたたび、プナンに戻ろう。誤って理想化してしまいかねないが、プナン人は、あくまでも、食べるということ、そして、そのことによって生きるのだという姿勢、態度を崩すことはない。そこでは、生きるということと、生きるため必要なものと距離が近い。逆に、わたしたちのそれは、遠い。ひるがえって、フィールドワークに出かけて、わたしは、毎回、そのようなことを確認している(だけの)ような気もする。

http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/ba579e4f48dee33741de5c189fc55ec6


(写真は、狩猟キャンプにおける吹矢の練習)


近代に抗う社会

2008年08月27日 12時46分59秒 | エスノグラフィー

7月末のサバでの会議参加後、プナンのフィールドに直行し、3週間の滞在を終えて、今度は、サラワク州の州都クチンにやって来た。帰りは、プナンのセトゥルメントからビントゥルの町まで、わたしの調査地にある小学校の校長先生の車に乗せてもらった。車のなかで、彼は、小学校の先生がわたしに対してつねにそうであるように、プナンの学童が学校に通わないことを嘆いた。その小学校は、今年設立25年になるが、これまで、プナン人から、ただ一人の高等教育(中学校以上)の卒業生を出したことがないとも。わたしは、わたしの経験から、子どもたちは、親たちがジャングルに狩猟に出かけるときには、たいてい親について行こうとするから、学校に行かなくなるのだと述べた。校長は、そのとき、「親が子どものことを考えて」、子どもを狩猟キャンプにつれて行くのではなくて、学校に行かせることを考えるべきだと言った。わたしの感覚から言えば、プナンは、「親が子どものことを考えて」、子どもを狩猟キャンプにつれていくのである。校長は、プナン人にも、サラワクの開発のメインストリームに入ってほしいと願っているのだ。明らかに、そうすることが、プナン人たちの未来にとって、不可欠のことであると考えている。しかし、それは、プナン人たちの考え、思いとは、必ずしも一致しないように、わたしには思われる。わたしは、「あなたも、一度、プナン人たちについて行って、狩猟キャンプで過ごしてみたらどうかね、一種の家庭訪問として。皮膚感覚で、プナンの暮らしに接近するために...」ということばが、もう少しのところで、口から飛び出すのを押さえた。校長にとって、プナンの側に立って考えてみることなど、思いも寄らないことなのだと思う。たとえ、そのような家庭訪問がじっさいになされたとしても、小学校、州政府の教育政策がゆらぐことなど、想像するさえできない。だって、プナンも、水道や電気を欲しがっているし、車で移動しようとするし、きれいな服だって着たいし、そのためには、現金を稼がなければならないのだから、開発のメインストリームに乗りたいはずだし、乗らなければならないのである。少なくとも、校長は、そのように考えているように思えた。しかし、現実としては、プナンは、やはり、学校教育に、これまでのところ、ほとんど何の価値も見出していない。そこには見出すべき価値がないということが、プナンにとっては、どういうことなのかということを問うこと自体が、重要であると、わたしは考えているが、その点は、とりあえず置いておくとして、厄介なのは、校長が「悪人」や「権力の権化」の人ではないという点である。彼は、州政府が現在計画している水力ダム建設が、周辺のプナン人を犠牲化することを、同時に嘆いた。彼のなかに見出せるのは、力なく、政治や経済に翻弄されるプナン人に対する同情、思い入れである。それだけではない。彼は、生徒や生徒の親たちのことを思いやる、じつにいい人なのである。そういう評判である。その意味で、健全なのである。現代社会における同種の問題をめぐって、とてつもなく厄介なのは、この点である。社会開発や国際協力を推し進める側の人びとの人柄と熱意には、文句のつけようがない場合が多い。しかし、彼の価値観は、他者を前にしたとき、ときに、絶対的なものとなる。動かない。やりきれなくなることがある。開発を推し進めるというのは、近代の代表的な価値の具体的な現れである。他方で、学校というものを信じない、その価値を認めないプナン人は、近代以降にわたしたちが容易に抗うことができないようなイデオロギーに対して、集合的に抗っている稀有な人びとである。そこに、わたしは、何か希望のようなものがあるのではないかと思ってしまう。地球温暖化をなんとかしなければならないというような、個人が抗うことができない今日の、ほとんど絶対視されたような価値などに対して、プナンが示してくれる、近代に対する静かなる抵抗とでもいうべきものには、特大の意義があるように、わたしには思える。

(写真は、ブラガ川を舟で下る)


BRC 9th Biennial International Conference

2008年08月01日 18時47分58秒 | エスノグラフィー

I just came to Bintulu after four months interval this afternoon.  Before coming here, I pareticipated in three-day 9th BRC international conference in Kota Kinabalu, Sabah, Malaysia. 
http://sepanggar.wordpress.com/

To my surprise, during the conference, consultant anthropologists employed by a wolrd famous campany, introduced by a reknown native antropologist, came to me(us, specialists) to find a hint for solution of a ressetlment issue of the Penan caused by the construction of a huge dam close to my research site.  After meeting and talking with the ex-anthlopologists, we, anthropologists and sociologist, seriously disscussed the people influenced, research ethics and the goal of the consultant anthropology.  I  had a good experience with consultant  anthropology phenomenon newly emergent in today's business world.   

On the other hand, I enjoyed lots of impressive oral presentations.  I was mostly impressd with a panel entitled "cultured rainforest" led by Monica Janowski, UK.  Both archeologists and anthropologists are participating in the research project to study human relation with nature, starting from pre-history period through migration history to present day cultural facts, focusing on a certain region.  I feel the research project will possibly be one of the models to look into human relation with nature.

(The photo is taken at the opening ceremony by my small hand-phone camera.)