フィールドワークを始めてからずっと気になっていたのは、プナン人たちの飼育動物に対する態度である。
彼らは、動物を①「歩くもの(kaan)」②「這うもの(asen)」③「飛ぶもの(juit)」④「泳ぐもの(=「魚」(betele)」に分ける。イノシシ、サル類、シカ類、リス類などなど、ジャングルに棲息する動物は、①のカテゴリーに含まれる。②にはヘビ類、③には鳥、④には魚が入る。それらのどれをも含む雑多なカテゴリーとして、⑤「虫(ketun)」がある。さらに、それらのどれにも含まれないものとして、いわば、⑥「半獣半霊」の動物として、虎、鰐、オランウータンが知られている。虎は、ボルネオのジャングルにはいない。いわば想像上の動物である。鰐(bayah)は、わたしの調査地の川にはいない。オランウータン(sikok)をかつて銃で殺して食べたことがあるというプナン人にあったことがあるが、それは、超自然的な力をもつ存在でもあるという。
⑤の虫類を除いて、プナン人は、すべてを食の対象としている。食物禁忌はない。その点で気になるのは、飼育動物についてである。プナン語には、飼育する(kolong)ということばはある。「動物を飼う」という意味である。飼ってどうするのか?プナンは、ただ飼うだけだという。
飼育する対象のなかで、最も重要な生き物は、犬(aseu)である。神話のなかで、狩猟するために、ほかの動物に代わって、プナンはそれを手に入れたということが語られている。犬には名前を付け、狩猟で大きな仕事をした犬は、死後埋葬される場合がある。猫は、今日、プナン人たちに飼われている。猫は、ただ飼われているだけで、名前は与えられない。食料を荒す鼠(berevau)をつかまえてくれるという。その鼠を、もちろん、プナンは食べる。さらに、今日、時々、鶏(dek)が飼われることがある。しかし、プナンは、ただただ飼うだけで、卵を生ませて卵を食べるとか、育てて肉を食べるとか、さらには、売って金をもうけるとかというようなことは一切ない。彼らは、鶏を、飼うために、ただ飼うのだという。鶏に対するプナン人の態度は、飼育動物に対する基本的態度を示しているように、わたしには思える。また、近隣の焼畑民がするように、イノシシをかつて飼おうとしたプナンがいたが、犬に殺されてしまったという。飼育されるブタは、buin と呼ばれる。
まとめると、飼育される生き物は、食の対象とはならないということである。今日、近隣の焼畑民が売る鶏肉は、食料となることがあるが、基本的には、プナンは、自らが飼い育てた生き物を解体、料理して、食べるようなことはない。つまり、「飼う」ということは、「食べる」ということから、独立しているのである。いいかえれば、彼らが食の対象とするのは、もっぱら、周囲の生態環境のなかで生きている動物である。狩猟民とは、基本的にはそのような人たちなのか、たまたまプナンがそうした狩猟民的なエトースを、今日まで伝えているのかはっきりしないが、とりあえず、覚書として。
(狩猟キャンプに持ち帰られたサル(kuyat))