1970年代になると、文化をテキストとして読み解くことを主眼とするクリフォード・ギアーツの解釈人類学の登場(台頭)によって、ウィリアムズが扱ったようなトピックは、しだいに忘却され、取り上げる研究者がいなくなった。その感覚人類学的な調査研究は、現在にいたるまで、その後の、ボルネオ研究によって引き継がれてきてはいない。
ウィリアムズの興味関心の糸口は、彼の指導教授、マーガレット・ミードの研究関心の継承にあったのではないだろうか。その意味で、ミードの仕事は重要である。ミードの仕事を追うならば、彼女が、異性間の接触であるとか、親子のふれあい、さらには、そのようなふれあう行為が、どのように文化的特性として現れているのかということに、いっかんして興味を抱きつづけていたことが分かる。より丹念にミードを再読する必要がありそうだ。
ウィリアムズの論文のなかには、幼児の排泄にかんして、排泄後の肛門を飼い犬になめさせて処理をするという記述が出てくる。わたしが滞在しているプナン人の村で、幼児は、ロングハウスの(通廊および部屋内の)床に空いた穴から排泄するが、その後の処理を、飼い犬に任せるのを見たことはない。たいていの場合、母親が、水を使って処理する。また、ウィリアムズは、ドゥスン社会の儀礼の局面に現れる触覚経験についても書いている。「かつて彼は村を歩きながら、わたしの腰を抱き寄せた」というような、生前、死者とふれあった追憶の経験が、女性たちによって、葬歌のなかに歌い込まれることを報告している。
以下では、ウィリアムズを手がかりとしながら、プナンの感覚経験(触覚にとどまらず、視覚や嗅覚も含む)の断片を、とりわけ、着衣行動を中心として、書き留めておきたい。
プナンのロングハウスのなかでは、夕方、川に水浴びに行く前に、男たちは、パンツ(ブリーフパンツ)一丁で、ロングハウスのなかを歩く。その後、川へと降りて行き、しばらくして、水浴びをして、同じ姿で戻ってくる。視覚的には、プナン人によれば、パンツのなかに収められているペニスは、ほどよく、その形状を示している、つまり、ペニスがパンツのなかに、亀頭部分を上にして、しまわれていることがのぞましいとされる(それは、触覚的にも、男性にとって、もっとも好ましいものではないだろうか)。亀頭がテントのように張り出していたり、そのほか、不自然な収まりかたをしている場合、それは、通廊にいる男性たちから、笑われたり、冗談の対象にされたりすることがよくある。
男性が、パンツ一丁で歩き回る(歩き回っていい)のは、ロングハウスとその周りの空間だけである。彼らが、近隣のロングハウスや、遠方に出かけるときには、けっして、そのままではない。少なくとも、上着とズボンを身にまとう。男児は、5,6歳までは、ロングハウス周辺では、全裸であることが多いが、やはり、近隣のロングハウスや、遠方に出かけるときには、上着とズボンをまとう(多くの場合、親に着せられる)。プナン人にとって、ロングハウス内部は、裸や下着姿で過ごしていい、(家的)空間であるが、その外部は、裸や下着姿がゆるされない、(公共)空間なのである。他方、女性が、下着姿で、ロングハウス内を歩き回ることはない。若い女性を含めて、女性は、ときどき、ブラ姿で(下半身は、腰布でおおわれている)ロングハウス内を歩くことがある。胸をあらわにするのは、すでに、子育てを終えた年齢以上の女性たちである。女性もまた、ロングハウスの外に出るときには、必ず上下ともに、着衣する。
身に着けた上着や腰布は、部屋の隅に脱ぎ捨てられることが多い。そして、それらは、食事中に子どもがこぼした汁や、こぼれたコーヒーを拭くのに用いられる。幼児の鼻水や吐瀉物などを拭き取るときにも、一般に、脱いだ後の上着や腰布が使われる。それらの着物を含めて、一日のうちに脱ぎ捨てられた着物は、母親や娘たちなど、女性たちによって集められて、時間をかけて、川で洗われることになる。そのとき、洗濯石鹸ではなく、風呂用石鹸(sabun mandi)が、使われることが多い。人びとは、わたしの風呂用石鹸をよく借りに来る。おろしたての石鹸でも、だいたい、半分以下になって返却される。なぜ、(高価な)風呂用石鹸を使うのかと尋ねると、人びとは、乾いたときに、衣服にいい匂いが漂うからだと答える。そうだとすれば、彼らにとって、洗濯とは、着物についた汚れを取り、それに嗅覚的な快適さをもたらす作業なのである。
上で見たように、汚れた着物は、汚れを拭き取るのに使われるが、洗濯して、天日に干して、着物は、新しく、肌(身体)にふれるものとして、大事に扱われる。洗濯物を天日に干すときには、きちっと広げて、乾きやすいように、干さなければならない。わたしが、自分で洗濯した着物をいい加減に干すと、女性たちは、干し方がおかしいと言って、よく笑う。それは、視覚的な問題なのか、あるいは、実質的に、天日に干すことに関する問題なのか、はっきりしない。また、Tシャツなどを裏向けに着ると、笑われる。衣服は、視覚的に、きちっと身に着けなければならないのである。
今後、めざされるべきは、ミード~ウィリアムズ系の感覚研究の発展的継承である。