たんなるエスノグラファーの日記

エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために

ウェブマガジン・連載「熱帯のニーチェ」始まる

2016年05月17日 08時23分42秒 | エスノグラフィー

熱帯の、私たちのとは違うもう一つの生の可能性。

西洋の伝統的な精神の価値転倒の先駆者であり天才であり、病気と狂気を患った怪しいおじさんの閃きであり呻きでもあるような箴言。

プナンはなんかニーチェのようだ。 

俊傑編集者Nさんに、その直観を与えられたのが、いまからもう8年も前のこと。→ブログ記事「熱帯のニーチェ」

ウェブ上の連載「熱帯のニーチェ」を始めました。 


【講演会案内】4月28日(木)GW直前の夕べを池袋で【カザフ系モンゴル遊牧民のエスノグラフィ】

2016年04月25日 23時41分02秒 | エスノグラフィー

講演会 「カザフ系モンゴル遊牧民のノマディズムと騎馬鷹狩文化のエスノグラフィ」(仮題)

■日時   2016年4月28日(木)18:30~20:00
■場所   立教大学池袋キャンパス マキムホール(15号館)2階 M201教室
■講師   相馬 拓也 (早稲田大学高等研究所助教


 


 

 


「動物殺しの担い手ができるまで―比較民族誌研究」

2014年05月14日 14時53分53秒 | エスノグラフィー

 日本文化人類学会第48 回研究大会

2014517-18@幕張メッセ)

分科会

「動物殺しの担い手ができるまで―比較民族誌研究」

15:00-17:25

代表者

西本太(総合地球環境学研究所)
動物殺しの担い手ができるまで―比較民族誌研究

趣旨説明

吉田匡興
動物殺しの担い手が「立ち現れるまで」、「立ち現れてから」
―パプアニューギニア、アンガティーヤ社会における狩猟が成功するための条件

中野麻衣子(東洋英和女学院大学)
消えゆく悲鳴、「殺さない主体」と「見えない殺し手」の出現
―バリにおける家内的屠畜の衰退と専業的人の成立

奥野克巳(桜美林大学)
殺される動物、殺す人の出現
―サラワク・プナンにおける狩猟の組織化

田川玄(広島市立大学)
狩猟・供犠・殺人
―南部エチオピアの牧畜民ボラナ・オロモにおいて殺しの担い手
となること

コメンテータ
竹川大介(北九州市立大学)

http://www.jasca.org/meeting/48th/index.html



楢山節考考

2014年04月05日 22時30分33秒 | エスノグラフィー

1月の読書会で『甲州子守唄』を読んで、深沢七郎に心を奪われた。coffee & paperbacks 

その後、『滅亡対談』や『みちのく人形』だけでなく、嵐山光三郎の『桃仙人』(サブタイトルは、小説深沢七郎)を読みながら、大学生のころに読んだことがあるが、ぼんやりとしか内容の記憶がない『楢山節考』を改めて読んでみた。今回、『楢山節考』を読んだときの衝撃は、カルペンティエールや石牟礼道子のものを最初に読んだときを大きく凌ぐものであった。私は、部分部分に、「プナン」を発見した。その後、『楢山節考』を幾度か読み直し、小沢昭一のCDブック『楢山節考』を繰り返し聴き(マレーシアを旅行中にも聞いていた)、今村昌平監督の映画『楢山節考』も観た。『楢山節考』はたんなる棄老の物語ではない。それを超えて、第一級の民族誌として読むことができるのではないかと思っている。

「山と山が連なって、どこまでも山ばかりである。この信州の山々の間にある村ーー向こう村のはずれにおりんの家はあった。家の間に大きい欅の根の切り株があって、切り口が板のように平たいので子供達や通る人達が腰を掛けては重宝がっていた。だから村の人はおりんの家のことを『根っこ』と呼んでいた。この村ではおりんの実家の村を向こう村と呼んでいた。村には名がないので両方で向こう村と呼びあっていたのである・・・」という、ざわめきを孕んだ記述で物語は始まり、小説のタイトルで示されるように、村人に歌われる楢山節が順に考察されるなかで、物語が編み上げられる。

1957年の初版本(写真)にはないが、新潮文庫本では、楽譜に「ギター フラメンコ風」と書かれている。楢山節は、小沢昭一による朗読が秀逸である。「山が焼けるぞ 枯木ゃ茂る 行かざなるまい、しょっこしょって」。おりんの孫のけさ吉は、「節回しが実にうまく、枯木ゃ茂るというところはご詠歌のような節で唄うのだが、そこが浪花節のように、泣けるような申し分のない節まわしである。」

ところで、おりんは、食べ物が十分にないこの貧しい村では、村のしきたりに従って、70歳になったら倅の辰平に背負われて楢山まいりに行くこと(山に捨てられること)を心待ちにしている(深沢は、小説のなかで、この村が貧しいというような表現を一度もしない)。それは、いわゆる「個」が自立的なものとして確立される以前の、伝統的な共同性のなかに埋め込まれた自我のあり方ではあるまいか(それは、プナンの自我にも通じると、私は感じている)。それは、楢山まいりに行くのに抵抗する銭屋の又やんに芽生えつつある個的な価値の対極にあるもののように感じられる。

楢山まいりに行く前夜に催された「振舞酒」の儀式のくだりは、圧巻である。「山へ行く前の夜、振舞酒を出すのであるが、招待される人は山へ行ってきた人達だけに限られていた。その人達は酒を御馳走になりながら山へ行くのに必要な事を教示するのである。それは説明するのであるが誓いをさせられるのであった。」

どうやら、深沢は、山梨県境川村大黒坂あたりの古い習俗に深い関心を抱いていたようである。1969年の朝日新聞上で、「私がこの村の人たちを好きになったのは、生きていくぎりぎりの線上にわいた人情、風景ーーそれこそ、原始の味も残されていると気がついたからである」と、深沢は述べている(新海均『深沢七郎外伝』)。

その翌朝、おりんを背負って倅・辰平はお山へと向かう。「楢山が見えた時から、そこに住んでいる神の召使いのようになってしまい、神の命令で歩いているのだと思って歩いていた。そうした七谷の所まで来たのである。見上げれば楢山は目の前に坐っているようである」。辰平は、だんだんと山の神の領域へと入りこんでいったのである。しかし、そこは、生と死がむき出しのまま隣り合わせになった世界だったのである。「岩のかげに寄り掛かって身を丸くしているその人は死人であった。」「死人が動いたのである。その死人の胸のあたりが動いたのである。そこにはからすがいたのであった。・・・死人は足を投げだしているのだが腹の中をからすが食べて巣を作っていたのだ! と思った。」楢山は、生から死、こちら側からあちら側へと繋がった場所だったのである(おそらく、プナンも、生と死が一つながりになっていることを想像しているが、楢山まいりとは、おそらく、その劇的なものではあるまいか)。

そして、なによりも、この作品を書いた深沢七郎のことが気になる。根っからのノマドであったように評伝は書いている。旅回りのバンドでは芸名川上タケルやジミー川上を名乗り、日劇ミュージックホールでは桃原青二と名乗り、風流無譚事件後、埼玉県菖蒲町にラブミー農場を開き、今川焼「夢屋」の主人もやっている。元祖フリーター、自由人のようでもある。彼の生き方は、「近代」を経由していないがゆえに、ふつうのインテリのように、我々自身のあり方・やり方に我慢がならずそれを批判し、乗り越えようと、ある種無駄な抵抗を試みるのではなく、現実否定と肯定の両方を併せ持ちながら、現実を気儘に受け流したものではなかったかと見るのは、あまりにも穿った見方に過ぎるだろうか?


『わたしのフォークロア』Vol.1.

2014年03月29日 08時44分22秒 | エスノグラフィー

目次

まえがき

1 町田、相模原のフォークロア
民俗学を語る集いの歩みーー集いの「これまで」と「これから」・・・杉嶋俊夫
相模原、アニミズム・シティーーー動物供養碑を考える・・・奥野克巳
身近な超越ーー淵野辺周辺で地霊たちと対話する・・・奥野克巳

2 日本のフォークロア
切り火 火打石の民俗・・・関根秀樹
仮面宗教劇「鬼来迎」の背後にあるもの・・・金子雅是
思いがけぬ不思議なご縁で進展した”道成寺”・・・野口祥子
和歌山県・新宮の御船祭りにおける女装者・アタガイウチの研究に向けて・・・保延佳世子
津波が残したものーー川島秀一先生のお話と自身の研究から・・・木村悟朗
あちらとこちらのあいだに立つもの・・・ナカムラユウコ

3 世界のフォークロア
サハ(ヤクート)の英雄叙事詩について・・・山下宗久
サハと日本ーー四ヶ月間の滞在経験をふりかえって・・・杉嶋俊夫
ネパールにおける動物供犠と食肉の販売について・・・勝田信明
アジアに「蓮」を追って・・・塩澤珠江

おすすめの本
あとがき
執筆者プロフィール

*明日(3月30日)、桜美林の淵野辺駅前キャンパスで合評会あります。
*冊子をご希望の方は、奥野克巳までお申し出ください。


【お知らせ】淵野辺~桜美林フィールドウォーキング2013

2013年10月17日 19時27分08秒 | エスノグラフィー

桜美林生がなにげなく通学している淵野辺界隈


デエラボッチ伝説の地

5000年前の縄文人の遺跡

神社や石塔・石碑など

を訪ね歩く

一年に一回の恒例の

フィールドウォーキングです


どなたでも参加できます

 

開催日時:

2013年11月2日(土)

午後1時30分集合 午後5時ごろ解散

コース:

淵野辺駅北口~桜美林大学

参加費:300円

先着:20名

申し込み締め切り:

10月29日(火)

お申し込みは、

氏名、学群、学年、連絡先
(ケータイ番号、メールアドレス)
を明記の上、

参加希望の旨を

211d0440@s.obirin.ac.jp 坂井

まで、メールにてご連絡ください。

淵野辺ボノボの会(LA学群3年奥野ゼミ)主催






殺生科研2013-2

2013年07月17日 20時28分52秒 | エスノグラフィー

本年度の殺生科研の第2回研究会(7月13,14日、桜美林大学サレンバーガー館)

◆『ナショナル・ジオグラフィック』の密猟・動物殺しに関する7論考を読んだ*1。

ナショナル・ジオグラフィック誌では、近年、動物の密猟や交易、その規制や違法行為の取り締まり、野生生物保護のための取り組みに関する特集記事が多く見受けられるようになってきている。それは、動物殺しという、私たちの関心事と深く関わっているが、他方で、ナショ・ジオの論調は、野生動物の保護という視点が強く、人間と自然を切り分けた上で、自然的存在である動物に対するサンクチュアリーをつくりあげようとする試みでもあるようにも感じられる。さらには、ナショ・ジオの記事そのものが、政治的な主張になっているかもしれない可能性もある。

*1
・2007.3.「滅びゆくゾウの王国」
・2008.7.「今後の密林を揺るがすゴリラ殺害事件の真相」
・2008.10.「サルの楽園ビオコ」
・2010.1.「売られる野生動物」
・2011.12.「消えゆく王者 トラ」
・2012.3.「サイの悲鳴」
・2012.3.「象牙と信仰」

◆Three papers were presented as part of  the outcomes from our study group, in the session "Human-animal Relationship Reconsidered".*2

Three researchers read their English papers, based on their Japanese articles, and then comments were given to each papers.  Terms such as "negotiation" or "bargaining" between men and animals, and detaild ethnographic accounts in their papers were picked up to disucussion.   

*2
Mitsuho IKEDA "Epicurian Children: On Interaction and 'Negotiation' between Experimental Animals and Laboratory Scientists".
Takanori OISHI "Gorilla-man and Man-gorilla: Human-animal boundaries and interethnic relationships in central African rainforest."
Futoshi NISHIMOTO "Tormenting Animal Sacrifices: The Kantu Agricultural People of Laos and Bargaining with Water Baffalos."(unofficial translation by Betty Zhang)
Commentator: Vincent Labran

上田信『トラが語る中国史』(山川出版社)を輪読して、検討した。

中国の歴史人口学的な資料、文学や思想・宗教に関する記録、フィールドワークによって得られた経験に基づく見解などを丹念に織り込みながら、中国の周囲の生態環境、宗教や思想、政治との関わりのなかで、トラがどのように追い詰められ、今日、絶滅にまで至ったのかが丹念に描きだされる。トラを主語にして語る著者の語り口は斬新で、現在のMultispecies Ethnography とも重なる部分があるように思われる。 

◆Frederic Keckの、日本語で書かれた2論文を検討した。*3

『思想』掲載の論文は、存在とモノを脅威にさらすこととしての「カタストロフィー」に向き合うなかで、レヴィ=ストロースの「主体」は解体されたのだという、難解であるが、知的には興味深いものであった。他方で、『現代思想』は、鳥インフルエンザに対する人びとの経験を踏まえて、人と鳥の関係を、レヴィストロースの構造主義をベースにして考えみるという研究計画のような内容を持つ刺激的な論考であり、動物殺しについて考える上で示唆的であるものと思われる。

*3
・「レヴィ=ストロースにおける主体の解体と生態的カタストロフィー」『思想』2008.12. 
・「レヴィ=ストロースと鳥インフルンザ」『現代思想』2010.1.

個人的な覚書として。

番外編
あの淵野辺駅近くの店で入れたボトルはどうなったのだろうか?残っていたのではなかったか?記憶にない・・・。


殺生科研2013-1


第2回来たるべき人類学構想会議告知

2012年10月17日 09時22分05秒 | エスノグラフィー

来たるべき人類学構想会議では、12月8日(土)に、小田マサノリさんを迎えて、お話をうかがいます。人類学者向けに、とお願いしています。

ひとはいかにしてアクティヴィスト・アンソロポロジストになるか

小田マサノリ

 
日時: 2012年12月8日(土)14:00~17:30
場所: 桜美林大学四谷キャンパスY311教室
http://www.obirin.ac.jp/access/yotsuya/index.html

・参加費:無料
・参加申し込み先:okuno@obirin.ac.jp
 
「人類学者のなかには、アナーキズムあるいはアナーキスト的な政治に加担した者たちがいた。そして、その何人かは同時に、特定の学問体系の創始者であった」(デヴィッド・グレーバー)
 
自 身アナーキスト人類学者であるグレーバーが指摘するように、マルセル・モース、レヴィ=ストロース、フランツ・ボアズ、ジェルメーヌ・ティヨンなど、社 会・政治活動にコミットした人類学者は少なくない。また欧米には「アクティヴィスト・アンソロポロジスト」を名乗る人類学者たちも多い。人類学の学説史の なかであまり語られることのない「アクティヴィスト人類学」とその可能性について、ニューヨーク州立大学が編集した「アクティヴィスト・アンソロポロジス ト・ツール」などを参照しながら、アーティスト・アクティヴィスト・アンポロポロジストとして過ごしてきた近年の活動について述べる。

 [資料]
 ・文化人類学開放講座編「オルタナティヴ人類学」
 ・ニューヨーク州立大学編「アクティヴィスト・アンソロポロジスト・ツール」
 ・小田マサノリ「太鼓を叩いて練り歩け、シャーマンの弟子、アクティヴィスト人類学者になる」「FIELD+(フィールドプラス)」第6号 東京外国語大学出版会
 
 [プロフィール]
 イルコモンズ/小田マサノリ 1966年福岡生まれ、現代美術家、文化人類学者、メディア・アクティヴィスト、一橋大学大学院社会学研究課博士課程単位取得退学、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所特任研究員、中央大学兼任講師、
 
 [最近の活動] アトミックサイト、怒りのドラムデモ、首都圏反原発連合
 
 [最 近の著述] 「〈帝国〉のアートと新しい反資本主義の表現者たち」(「VOL」第3号)「実存主義的ステンシル主義者の報復とファンタジー」(「ユリイカ」2011年 8月号)「M9とレヴェル7のもとでの、芸術の発生学」(「芸術人類学研究所会報」第6号)「アーティヴィストよ一歩前に、アーティストは後からついてこ い」」(美術手帖 2012年2月号)
 
 [ブログ] http://illcomm.exblog.jp/

世話人:池田光穂(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)、奥野克巳(桜美林大学リベラルアーツ学群)、内藤寛(春風社)

問い合わせ先:okuno@obirin.ac.jp


大津波記念碑

2012年07月05日 13時12分00秒 | エスノグラフィー

眼の奥に染み入る濃緑の森。
前には、眩いばかりの碧い海。

週末に、車で岩手県の重茂(おもえ)半島を回った。

そこここに、明治29年の海嘯記念碑や昭和8年の津波記念碑が建てられていた。

「里」のいしぶみには、文字が刻まれていた(写真)。

昭和八年 
大津波記念碑

強い地震は
  津波の知らせ
其の後の警戒
  一時間
想へ惨禍を
  三月三日

津波を記録し記憶すること、伝承について、考えてみたいと思った。 


半年ぶりにブログ更新

2012年06月16日 19時52分03秒 | エスノグラフィー

ブログ更新、おおよそ半年ぶり。
書きこむ時間が、なくなってしまったのである。

半年経つと、すっかり、ブログの書き方も忘れてしまっているではないか。
写真は、2月に、マイナス25度のなか登った、内蒙古の「オボー」。

さて、研究会などの案内でもしておこうっと。

来週、広島の日本文化人類学会で、パネルやります(2012年6月23日)。
どうなることやら。
1995年に出た東大出版会の<熱帯林の世界>シリーズは、知る限り書評がないのだけれど、<学問>に抗しているように感じられ、なかなかすごい。

最近、震災に関しても、少しずつ考え始めています。
桜美林の学内で、学生たちとぼちぼち研究会やっています。

7月から、「来るべき人類学構想会議」なる集いを始めようと思ってます。
今年は、2回、ex-anthropologists に来てもらって、<人類学とは何ぞや>ということを考えてみたい。
ど真ん中にいるよりも、端のほうにいるほうが、中心で何をやっているのかがよく見えるのではないか。
人類学の若手、周辺学問領域の人などにぜひ来てほしいと思ってるのですが。

ついでに、今年度から、殺生科研を始めました。

次回の更新はいつごろになるやら。
目標は、次の新刊書が出た頃に。