たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




これ、4月から大学院で輪読します。
日本語にすると、「豊かなる野蛮」あるいは「実り多き野蛮」くらいか。
米・御曹司のニューギニアでの半世紀前の失踪事件を調べ直して、アンチ・ヒューマニズムの極致たる首狩りとカニバリズムに挑み、「野蛮」の精髄に触れる。
人類学ないしは民族学とは、私のもともとのイメージでは、こんな感じの学問。
シラバス
ノンフィクションゆえ、英語はそれほど厄介ではない。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


  


エコクリティシズムの案内書の中で脱・人間中心主義の文学作品として紹介されていたベルナール・ウェルベルの蟻・三部作のうち『蟻』を読み蟻から見た想像世界に先ごろ暫時浸ったせいもあり折を見付けてブラガの森の狩猟小屋の周りで蟻の生態を観察しようとしていた所フタバガキ科の樹幹に蟻たちが群がって赤っぽい色をした何かに咬みついたりそれを運んだりしているのを目にした。私がその有り様を写真に撮っているのを見て何を記録しているのかを探りに来たプナンのある女性は蟻たちは「テナガザルの骨」を食べているところだと断じた。人がテナガザルの肉を調理して食べた時に嚥下できず周囲の土の上に吐き捨てた骨の欠片を蟻が捕食者たちから逃れて安全だと思われる木の幹まで運んで酸をかけ解躰し巣に運んでいたのである。テナガザルは果実や昆虫を食べるとされるが人間によって狩り殺されその肉は人間によって食べられその過程でその骨は人間によって投捨され蟻によって見付けられ運ばれ解躰されて蟻の巣へと持っていかれるのだ。テナガザルは果実だけでなく昆虫を食べる存在者である一方で人間に捕食され食べられる脱・存在者となる。人間によって土の上に無造作に打ち捨てられた残余の骨は蟻によって食べられるだけでなくそのあらゆる部位はそのほかの多くの有機的な存在者によって消費されるであろう。劃してテナガザルの不在は人間と蟻の生命を構成する助けになるが他方でそれらの生命もまた近い未来に巡り巡って他の存在者が生きる為の糧となる。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




鳥は人間にとってのたんなる他者ではない。ここにきてようやくおぼろげながら分かってきたのは、「(野生の)鳥」「生業対象」「人間」が、極めて実用的なレベルで三者関係を構成するということである。なかでも、狩猟民で際立っているのは、「鳥」「獲物」「人間」の間でダイアグラムが築かれていることである。

それは、鳥と人間の二元論的な世界ではない、鳥、獲物、人間の「三」に他ならない。

森の「空中の階層」(レヴィ=ストロース)。その最上部で、鳥は「点」的にそれに関わる。猿類は空中の階層の上部を「水平」的に、上部から下部に「垂直」的に移動する。人間は、林床で「点」的にそれに関わる。数日のうちに、キャンプにリーフモンキー2匹、テナガザル1匹が持ち帰られた。

リーフモンキー

テナガザル

ハンターは、リーフモンキーやテナガザルに人間が近づいていることを知らせるリーフモンキー鳥やテナガザル鳥は見かけなかったと語った。リーフモンキー鳥は、リーフモンキーと人の間を飛び回り、そのことで、リーフモンキーに危険が近づいていることを知らせる。その時、リーフモンキーは、木の茂みに身を隠すと言う。テナガザル鳥に助けられたテナガザルは、長い手を使って、枝から枝を渡って、遠くに逃げ去ってしまうと言う。

リーフモンキー鳥はリーフモンキー神、テナガザル鳥はテナガザル神の使いだとも聞いた。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




2月末から一週間ほどブラガの森の狩猟キャンプで過ごした。

季節性のない熱帯のボルネオ島の森(混交フタバガキ林)では、数年に一度の頻度で、花が一斉に咲き、続いて、実が一斉に成るという現象が知られる。広い地域で一斉開花・結実がある場合もあれば、限られた一帯だけでそれらの現象が起こったりする。その時期、虫や動物たちが花蜜や果実を求めて、果樹を目指して集まり、森の生命活動が次第に活発になる。

一斉開花には、ミツバチが最初にやって来る。プナンの古くからの教えは、「ミツバチが飛んで来たら矢毒の準備にかかれ」というものである。木を削って矢をこしらえ、植物毒を採取して、毒矢をふだんよりもたくさん作って、吹き矢の準備をする作業に取り掛かる。

吹き矢の準備

彼らは、ミツバチが花蜜を吸いにやって来ると、その後しばらくして、イノシシがやって来ることを経験的に知っている。イノシシたちは、花が咲く木の下で交尾をし、それから数か月後、一斉結実の前に出産する。

一斉結実の時期のイノシシは、「歩き回るイノシシ」と呼ばれる。「歩き回るイノシシ」は、広い地域に食べ物を求めて、集団で歩き回っているとも言われる。そのイノシシたちは、川を泳いで、別の場所に移動することで知られる。遊動の民プナンは、こうした採食行動をまねたのではあるまいか。

歩き回るイノシシたちがやって来ると、今度は、オジロウチワキジがやって来る。イノシシが実を食べていると、そこには、オジロウチワキジがいる。

一斉結実の時期、森には食べきれないほどの実が溢れ、イノシシは太って、脂身が多くなる。森は、イノシシやその他の動物たちにとってのユートピアというだけではない。人間も、果実を持ち帰る。人間は、次から次にイノシシを手に入れて、肉を食べて食べてお腹を満たす。

ヒゲイノシシの頭

一斉結実が終わると、森はユートピアであることをしばらく止める。森の生命は、次にやって来るミツバチを待つことになる。

締め殺しイチジクの木



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )