ロドニー・ニーダムの1964年の、この領域の記念碑的な論文「血、雷、動物をあざ笑う」を読み直してみた。
マレー半島の先住民セマン社会での観察に基づく1879年のマクスウェルの報告によれば、雷が鳴ると女性たちはナイフで足を切って血を流し、それを竹筒に入れて、怒った雷神をなだめるために、空に向けて投げつけるという。スキートとブラグデンの1906年の報告によれば、セマンは、雷と稲光が起きると、すねをナイフで傷つけて血を取り、竹のなかで水と混ぜて、それを空に投げ、「止まれ!」と叫ぶ。1929年のシェベスタのセマン社会からの報告によれば、雷とは、大声で遊んだり、わいせつな言葉を発したり、不倫をしたり、動物と戯れたり、吸血ヒルを燃やしたり、サルをあざ笑ったり、鳥を殺したり、異性の子どもの近くに寝たり、インセストを犯したりすることに対するセマンの神の不快感の表れであるとされる。もし雷神に血を捧げなければ、雷神は樹木を引き倒し、大水が起きて、たちまち人びとが飲み込まれてしまうと考えられているという。
そのようなマレー半島のセマンの人びとのものとよく似た理念と実践が、ボルネオ島の(東)プナン社会において見られる。ロドニー・ニーダムはたった一度だけ(1951年に)、その儀礼的実践に出くわしたことがあるいう。ニーダムによれば、雷が鳴り始めると、二人の若者は、血と水を混ぜ合てから、下のほうから、外に向けて、振り落した。その後、髪の毛を焼いて、唱えごとをしたという。プナン人によれば、雷神は人びとが生き物をあざ笑うのを好ましく思っていない。もし雷神が本当に怒ると、木を倒し、落雷を発生させるだろう。最初は、雷神をなだめるために一人か二人で 儀礼を行うが、もし雷が続くようならば、どんどんとそのような実践に参加する人が増えていく。
さらに、ニーダムは、ジャングルのなかを旅していたときの彼自身の体験について報告している。熱帯雨林のなかには、おびただしい吸血ヒルがいて、日暮れ時に、火の回りに腰掛けて、足から吸血ヒルを取り除こうとした。しかし、誰もそれを殺すのではなく、取って捨てるだけだった。ニーダムが、血を吸ってパンパンに腫れ上が った吸血ヒルを火の中に捨てようとしたとき、プナン人の一人はそんなこと(=吸血ヒルを焼き殺すこと)をしてはいけないと言ったという。
これらの事例を踏まえて、ニーダムは、人間の血は、人と超自然界との関係を打ち立てるという意味で、重要なシンボルであり、雷は、逆に、超自然界から人間に対するコミュニケーションの手段となっているのだと読み解いている。その上で、レヴィ=ストロースに拠りながら、そのような実践は、大枠では、自然から文化への移行の問題に深く関わっていると結んでいる。
わたし自身の観察では(2006年~2007年)、今日、(西)プナン社会において、雷鳴や稲妻が起こったときに、人びとが血を集めて、それを空に向かって投げるというようなことはしない。それに対して、自らの毛を抜いて、それを手に持ちながら、雷神に向かって唱えごとをすることがある。たんにあるというよりも、雷鳴がとどろいた場合には、人びとは 熱心にそうした儀礼をおこなう。それは、(西)プナン人にとってのほとんど唯一の儀礼的な実践であるということは、特筆すべきことである。
マレー半島、ボルネオ島の先住民に見られるこのような実践を、どのように読み解けばいいのか。その手がかりは、動物に対する人間、プナン人の態度にあると、わたしはここのところずっと考えている。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/27506f422f29e1a3e5f3c16f56bdedb7
動物こそが、(元)狩猟民プナン人の日々の糧であり、それなしに生き暮らすことはできない。とはいうものの、動物に対して、自然に対して、プナンは、ダイレクトに感謝を表明するようなことはない。プナン人は、動物は、たんに殺して食べるのみだと、つねづね言っている。逆に、こうしたプナンのシンプルなまでの動物の態度は、逆に、プナン人に大きな規制を与えているように思える。すなわち、狩った動物をあざ笑ってはならないし、からかってはならないというタブーを、自らに課している。そのタブーの侵犯こそが、雷神を怒らせ、彼らが 日々もっとも恐れている雷雨と洪水を引き起こすことになると、プナン人たちは考えている。
地球上でちっぽけで、取るに足らない存在としての、われわれ人間。プナン人たちは、生存を可能にしてくれる自然や動物に対する感謝を表現したり、自然や動物を支配する神に感謝するのではなくて、せめて、倫理的にはつつましい態度、すなわち、動物をあざ笑わない、からかわないという態度を保持することで、雷神を経由して、動物たちに向き合っているのではないだろうか。そういうふうに考えてみるのがいいのではないかと思っている。
(写真は、アレット川。夜に鉄砲水が起きて、狩猟キャンプのすぐ近くまで水が来たときの、緊迫した風景の一部)