勝地(かつち)ブログ

ご意見は下記に
✉ tsunehisa605@gmail.com

vol.810 里雪

2018年12月09日 11時30分50秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


昨夕は軽四ばかり3台のスノータイヤ交換をやって、ドンピシャで今朝の里雪。

朝8時から予定されていた鹿柵の補修作業に参加。その後、村の生活橋でもあり農耕橋でもある高柳橋の橋脚に引っかかってるワイヤーメッシュの除去作業を居残りの3人でやりました。台風で上流500メートルの左岸堤防が陥落していて、そこから流れ着いたのでは。

ビフォーアフター




そして今は、ロケットストーブを焚いて、括り罠の補修中。


除雪機も作動チェック。



話変わって
昨夜のネット捕獲ですが、途中でソーラー蓄積電源が限界値になったのか止まってしまい、映像停止。勿論、捕獲シャッターも落とせないと思う。日照時間が少ないと、こうなるのかなぁ、分かりませんが。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

vol.809 進智共會

2018年12月08日 11時48分15秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


但馬の情報誌T2の連載「裏路地探検」の取材を受けました。
高柳のあまり知られていない隠れた先人の足跡を辿ることに。そこで進智共会をとりあげたいと、このテーマ設定はこちらからですが。
明治22年、青年有志による「進智共会」という名の勉強会から始まった村の生活改善や、稲の品種改良、優良蚕種の斡旋などの農事改良は、時代の流れに沿って弊害のあるものは勇敢に改革して行くべだとする陋習打破の考えを貫いて、結果、青年層の生活改善だけでなく村の生活全体に新しい息吹を吹き込んでいたようです。
大正15年、時代の流れに沿って青年団が組織されるまでの38年間に渡った活動足跡はあまりにも大きいと聞いてます。
村社、住吉神社境内に進智共会の記念碑が建てられてます。

碑文の訳文
我が村に進智共會なるものあり、明治22年、時の青年、福垣氏、福田氏、秋田氏、植木氏、勝地氏、福井の諸氏互いに相談して青年会を会して、ともにいっしょに知を開き徳を進め勤倹励行を以って創む。爾来40年、会員増加し50余名に上る。その盛んなるや知事郡長表彰を受けること再三に至る。然れども昭和の初め村に公会堂兼青少年の会場を新設するに及び乃ち之を解散す。その蓄積せし所の金を以って田に換え之を村社に奉献す、行う所始あり終りあり。まことに美と謂うべし。由りて之を石に刻み以って永遠に傳ふと、云爾。

今日の探検は、春号9万部発行に掲載されるようです。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

vol.808 コトの魅力

2018年12月06日 11時58分34秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


病院の予約診察。今日は、患者さんが多くて駐車場一杯です。診察待合コーナーも人多い。最近、こうなんですか? そうであれば嬉しいけれど。


昨日、豊岡での葬儀参列のときに、居合わせたある御婦人から「勝地さんの議会報告だよりを丁寧に閉じています。ご苦労さんでした。」と話しかけられ、思いもよらぬことだったのでビックリしました。もう、昔の話になにりつつあるのに、有難うございます。
ついでに、そちらの方に話を向けますが、
12月定例会が開会したと新聞掲載され、報酬と定数の議論を重ねて一年後に結論するような内容が紹介されてます。
結果は別として議論はすべきだと思いますね、ただ、定数、報酬いずれにしても現在の休職議員の処遇有り様をスッキリしない限り有権者の声は厳しいと踏んでおくべきと思います。
加えて議会改革の見える化として、見えてない部分が多くあること。龍野市議会ではクラウドソフトを導入して議案書のペーバーレス化にふみきる新聞報道がありましたか、これ一つとっても、篠山市議会を視察してからずいぶん日にちが経ってるけど、その後の調査研究は見えてきてないし。
持論として、しっかり議論しやってもらえるなら、ですが、議案の審査を委員会審査に軸足を置くなら定数は現状維持でないと多様な意見反映は無理だと認識してます。少数精鋭という名の選挙は言葉としてはあっても現実無理であることはご承知のこと。
報酬は市議会でのランク付けとしてみると最低額のようですが、人口規模から見比べると町ランクであり、その点をどう考えるのか。町議会の報酬額と見比べておくことも必要だと思っています。報酬額の低さが立候補者の少なさの要因だと言い切れるかどうか、魅力を感じさせることだと思う。議員になれば報酬がもらえるという魅力を否定するものではありませんが、議員になればまちづくりのこういうことができるコト、という、コトの魅力を感じさせるようでないと。コトの魅力も重要な要素です。ぜひ議論を。


話変わって
ホカクンに近づいてくれてますが、用心深くて檻の中には、ゲートをくぐるまでには行かない。しばらく慣れるまで時間かかります。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

vol.807 参列

2018年12月05日 18時51分18秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


例年に比べると暖かいのでしょうが、それでも雨が降る戸外は寒く感じます。
涙雨の中での葬儀に参列させていただいてきました。


八鹿のまちづくりのために懸命に働いていただき、特に文化の発展継承に希な能力を発揮していただいてきました。八鹿からも参列されている方々のお顔が何人か。そして豊岡市役所OBの面々も。豊岡市長からの弔電は披露されましたが、八鹿からのその類はなく、合併後の役職は部長で退職されたのですがわたし的にはそんなものと思いつつもすこし寂しい気持ち。


長い間、御苦労様、ありがとうございました。ゆっくり休まれてください。ご冥福を御祈りします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

vol.806 OB

2018年12月03日 17時40分26秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


朝の三役会議で人事任命書の交付ほか、月末会計収支報告、町民号企画提案、自治協だより&カレンダーの編集状況、避難所運営マニュアル策定研修案などなど盛りだくさんの協議。一つ二つ前に進めました。

豊岡市の但馬県民局に補助金申請に向かう途中、市役所から職員OB訃報の報告を受け、意外だったのでショックでした。
退職前の役職は政策管理部長で、その時には私は既に退職していました。年は少し上ですが、在職中はたくさんのことを教えていただき、退職後も安否のやりとりを続けてました。
OB会長でもあるのでその足で豊岡市妙楽寺の宅に弔問に。ご冥福をお祈りします。
悲しいのが人生ですが、それでも数々の楽しかった思い出も。努めてそう思うように。
明後日のお別れ会に参列させていただきます。

補助金申請書の微修正をメール添付で済ませ、これから今夜は議員OB会の総会と懇親会に出席してきます。理事です。勇退した同期に会えるかな。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

vol.805 柚子

2018年12月02日 15時35分23秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


檀那寺の年末大掃除。理事さん毎に当番制でその年の掃除が回ってきます。枯葉や萩の枝、雑竹の焼却が主になります。私は、竹の切り倒しを一人仕事でやり遂げました。スッキリして気分良いものです。

午後からは、盆栽の棚板を届けていただいてたので、ブロックを買い求めて素人ながらの棚を組み立てました。

取り敢えずです。

柚子がなりましたー。棘がとんでもなく鋭いので要注意です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

vol.804 師走

2018年12月01日 19時06分17秒 | Weblog
今日も「勝地ブログ」にアクセスいただき、ありがとうございます。


朝イチに、昨日から連絡もらってた、くくり罠に掛かっているイノシシ🐗の狩猟に。
遠くから見た姿形は小さくても、実際はそれよりも大きいというのが経験です。止め刺しを銃でやりました、暴れてワイヤーが切れるリスクを予想してのことです。

それから自治協に帰り、英語で遊ぼう講座の受け入れ準備。今日は、7名の子たちが来てくれました。にぎやかで、良い。

事務室で、「自治協だより」と「ふるさとの詩」の編集作業。土曜なので誰も来ず、お陰で目処がついてヤレヤレです。

明日は、檀那寺の境内大掃除。年末かー、早いなー。

新年を迎える準備がこれからです。
今朝も6時には、大百度(おおひゃくど)といって、地元神社に氏子家庭それぞれが餅を持ち寄り、互いに渡しあったり、氏子総代が餅まきをして祝います。
その由来は確かではないのですが、百という数えから逆算するとお盆の15日、先を見ると3月の彼岸という目どころが浮かび上がります。
新嘗祭という性格もあるのでしょう、五穀豊穣に感謝するという食の部分です。
富めるものも、餓えるものも、この厳しい冬に向かって生き延びる食糧となる保存食の餅を、富め飢えの差無く、対等に手にすることが出来る行事であり、飢餓が多かった時の経験からの村人の助けあう仕草、だと。神社行事に組み込めば、遠慮は要らないですね。春を迎える彼岸までの百日間元気に暮らそうという、そう解釈する人がおられ、同感です。
そんな百姓の智慧を、繋いでいくのが、我らの役目です。

よくよくじっと見つめると、奥が深い。

師走です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする