落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

自虐と利権の無駄遣い

2012年02月19日 | 政治・外交
増税喧しいのに、仕分けの対象にならなかったのか。
安倍内閣の頃から始まった旧日本軍の遺棄化学兵器の処理事業、
終戦時にソ連軍と中華人民軍に引き渡し済み(目録付き、双方合意)で、本来は必要のない事業と云われる。
2月18日 2012.2.18 03:08 [産経抄]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120218/plc12021803090003-n1.htm

 世の中はカネだ。とは言いたくないが、親の遺産相続から国家間の戦争に至るまで、この世に存在する諍(いさか)いの原因ほとんどすべてにカネがからんでいるのが現実である。
 ▼永田町で日々、繰り広げられている茶番劇もまたカネにからんだものがほとんどだ。政府はきのう消費税増税と社会保障の一体改革に関する大綱を閣議決定したが、要するに増え続ける老人のためにどうカネを都合するか、あるいは削るかに尽きる。
 ▼老人は年金を減らさせないためにある程度の消費税増税も致し方ないと思うだろうし、若者は自分たちの生活で精いっぱいで増税などとんでもないというところだろう。さらに厄介なのは、いま若者でもいつかは老人になり、「もっと年金を」と文句を言うようになるときにはカネを稼いでくれる若者が激減していることだ。
 ▼だからこそいま増税が必要だ、というのはもっともらしいが、野田佳彦首相は肝心なことを忘れている。自らの身を削る行政改革をまったくやっていない上に、貴重な血税を無駄な事業に使いすぎている。
 ▼最も無駄なのが、旧日本軍が中国に捨てたとされる遺棄化学兵器の処理事業だ。来年度予算案には約208億円も計上されているばかりか、既に約861億円もの大金が支払われ、しかも出費はこれから最低10年続くという。
 ▼化学兵器禁止条約に基づいた事業だが、旧日本軍は終戦時にほとんどの砲弾を中国軍や旧ソ連軍に引き渡しており、本来なら必要はない。この事業をめぐってはさまざまな輩(やから)が徘徊(はいかい)し、逮捕者まで出ている。こんなお人よしで不明朗なカネのばらまきをやっているのは世界広しといえども日本だけなのを納税者はもっと知るべきだろう。

内閣官房ホームページより(一部)
中国遺棄化学兵器処理に関する廃棄事業開始行事の実施について
http://wwwa.cao.go.jp/acw/jigyobetsu/jigyobetsu_ido_haikijigyokaishi.html

中国遺棄化学兵器処理に関する廃棄事業開始行事の実施について
1.背景
平成22年9月1日(水)、中華人民共和国江蘇省南京市郊外で、日本政府を代表し平岡秀夫内閣府副大臣が出席して、日中両国政府の国民、OPCW(化学兵器禁止機関)、国際社会に向かって、遺棄化学兵器廃棄処理事業が日中両国の永年の努力を経て、開始されるというメッセージを発することを目的として、遺棄化学兵器の廃棄事業開始行事を実施した。

2.参加者
1) 日本側代表 平岡秀夫内閣府副大臣
2) 中国側代表 張志軍外交部副部長
3) OPCW代表 クリストフ・パトレイ特別プロジェクト室長
・・・・・

平成10年「正論」より
中国“遺棄化学兵器”問題 スクープ第4弾 政論9月号
政府が二年前に入手していた化学兵器引渡し文書
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0608/ronbun1-1.html(現在リンク切れ)

本誌・喜多由浩
 中国“遺棄化学兵器”問題で、政府が『化学兵器』として処理の対象にしている「あか筒」「みどり筒」を、中国側に引き渡していたことを明記した引渡兵器目録が、防衛庁の防衛研究所に残されていることが分かった。しかも、この資料の存在は2年前に、政府側に伝えられていたのである。これまで政府側は、「日本軍が化学兵器を残置したことに、中国側が同意していたことを示す資料は見つかっていない」という趣旨の言い訳を繰り返してきた。さらに、そうした文書が見つかれば、「(処理の)基本的な枠組みが変わってくる」と国会答弁で明確にしている。早速、中国側と再協議し、支援の見直しを進めていただきたい。

●リストに明記された「あか筒」「みどり筒」
 この資料は、防衛研究所にある「陸軍・高雄(台湾)分廠考潭集積所・引渡兵器目録」。中華民国34年(昭和20年=1945年)12月18日の日付で、日本軍側が、中国・国民政府軍に引き渡した武器・弾薬の品目と数が約10ページにわたって、細かく記されている。受け取った中国側の責任者の署名・捺印(なついん)があり、間違いなく、引き渡しが行われた(所有権の移転)ことを示すものだ。この文書は極秘でも何でもない。防衛研究所に行けば、だれでも閲覧・複写ができる資料である。

 その引き渡しリストの中には、大あか筒 100▽小あか筒 2250▽みどり筒 点火具50▽催涙筒 1?などと日中両国が『化学兵器』として、日本側が処理する対象になっている兵器の名称がはっきり書かれているのだ。

 その意味は、内閣府の遺棄化学兵器処理担当室のホームページの資料を見るとよく分かる。「旧日本軍が保有していた化学兵器」の一覧表の中で、「有毒発煙筒」に分類されるものとして「あか筒」「みどり筒」が確かに入っている。そして、弾薬の化学剤として使われている「あか剤」はくしゃみ(嘔吐)剤、「みどり剤」は催涙剤であることが説明されているのだ。

 これらはいわゆる致死性の毒ガスではなく、本来、化学兵器禁止条約の対象にもなっていないのに、日中の「談合」によって、日本の責任で処理する『化学兵器』に含められてしまったことは、すでに『正論』で報じてきたところだ。

 台湾は終戦まで日本の領土だったため、日本軍は南京に司令部を置く支那派遣軍ではなく、台湾軍(後に第10方面軍)だが、武装解除を受けたのは、支那派遣軍と同じ、蒋介石総統の国府軍である。つまり、中国側が受け取っていることにはまったく変わりがない。

●公開されなかった報告
 今年2月、内閣府の高松明・遺棄化学兵器処理担当室長は、衆院内閣委員会において、「正式に中国やソ連に化学兵器が引き渡されたという文書が発見されれば基本的な枠組みが変わってくる」と答弁した。これは、明確な証拠となる文書があれば、総額で1兆円といわれる処理費用の支払い義務を、日本が背負う必要はない、ということだ。しかし、その同じ委員会の場で高松室長は、「政府として現在、中国、ソ連の同意の下に引き渡されたことを確実に裏付ける証拠、資料があるとは承知していない」という見解を示している。

 高松室長の答弁は、これまでの政府側の見解を踏襲したもので、つまりは、
(1)中国は引き渡しに同意していないと主張している
(2)日本側にそれをくつがえす資料や証拠はない?という極めて情けない論法である。
さらに、「資料がない」と言い切っているのに、政府側に資料を探し出そうという意欲はほとんど感じられない。

 実はこの問題が日中間の懸案となり始めていたころ、防衛庁が防衛研究所に、この種の資料探しを非公式に命じたことがある。このときは、約2年間にわたって、担当者が研究所の資料を調べたが、あか筒などが明記された「高雄分廠考潭集積所・引渡兵器目録」についての報告はなかったという。元防衛研究所幹部は、「(高雄分廠考潭集積所・引渡兵器目録は)非常に意味のある文書だと思う」とした上で、「当時、なぜこの資料が見つからなかったのか、なぜ報告がなかったのかは、よく分からない」と話している。

 だが、この「高雄分廠考潭集積所・引渡兵器目録」は、その後に行われた別の調査で、発見されていたのだ。その内容は2年前の平成16年にまとめられた政府機関への報告にも盛りこまれていたが、その文書が公開されることはなかったのである。

●もはや言い逃れはできない
 本誌は6月号で、山形のシベリア史料館で約600冊の旧日本軍兵器引継書が発見されたスクープを報じて以来、3号にわたって、この問題の虚構性と中国の言いなりになっている媚中派の政治家、官僚の実態を再三にわたって、明らかにしてきた。シベリア史料館の兵器引継書は、化学弾とみられるものを含むすべての武器・弾薬を、中国側に整然と引き渡していた事実を証明する貴重な資料である。

 安倍晋三官房長官は国会で、「政府としてしっかり調査をしたい」と答弁し、内閣府や法務省の担当者が、作業を進めている、と伝えられているが、今回、明らかになった防衛研究所の資料についても、改めて精査することが必要だ。

 関係者によると、一部の政府関係者は、シベリア史料館の引継書についても、存在自体は知っていた、という。それなのに調べることさえしなかったのである。

 こうした兵器引継書が存在するのはシベリア史料館だけではない。復員時に、それこそ命がけで日本へ持ち帰った人たちは多数、いるのだ。実際、当編集部には、6月号以降、そうした人たちからのお便りがたくさん届いている。

 千葉県芝山町の伊藤正夫さん(54)からは、中国・青島の独立歩兵第18大隊の副官だった父・高夫さん(故人)が保管していた引継明細書が寄せられた。大隊長だった柏崎與三二氏(同)から託されたものだという。

 その引継書には、武器・兵器のほか、生活用品、食料、医薬品、軍馬、軍刀の由来に至るまで、39ページにわたり、事細かに書かれている。伊藤さんは、「まさに歯ブラシ1本、包帯1本まで細かくチェックして書いてある。日本軍は本当に生まじめだった。これを見れば、極めて整然と中国側にすべての兵器・物品を引き渡していたことがよく分かります」と話している。

 国民は中国の言い分しか聞こうとしない一部の政治家・官僚に怒り心頭なのだ。続々と編集部に届く、お便りがそれを示している。これだけの「証拠」が出てきたいま、もはや言い逃れはできないはずだ。一刻も早く、支援事業の見直しを行うべきである。

【正論9月号】


「王立軍」その後

2012年02月19日 | 政治・外交
世界中が注目している重慶亡命未遂事件。
王立軍は精神障害にされたという説。
中共にしてみれば、あってはならないこと。「休暇式治療」で落着か。
重慶亡命事件、「精神障害」で決着か 消息絶つ王立軍
http://www.epochtimes.jp/jp/2012/02/html/d64267.html

「精神障害のせいで、米領事館に駆け込んだのだ」。世界中が注目した重慶亡命事件は、これで片付けられる可能性が出てきた。

 北京にいる政治評論家で、「天下公言文化伝媒」社の李偉東・研究員は15日、自身の微博(マイクロブログ)にこのように書き込んだ。「(米領事館に駆け込んだ王立軍は)すでに妄想性障害だと認定されている。ボスに暗殺されると妄想し、米領事館に逃げ込んで北京の大ボスの助けを待っていたのだ。なので、これは突発した個別的な案件であり、このハプニングによって重慶の経験を否定することはできない。すべてが平穏無事になる。(薄煕来が)若干バツが悪かったかもしれないが、反省書を書けば済むことだ。せいぜい常務委員にならなければいいのだ」

 このように北京政府の出方を推測し揶揄する李研究員に証拠があるかどうかは不明だが、「精神障害説」は他でも広がっている。

 重慶政府系サイト・華龍網によると、ネット上に王立軍の「診断書」とされるものが流出している。この「診断書」は重慶市第三軍医大学に出されたものと見られ、王は「重度のうつ病」を患っているとしている。

 「診断書」によれば、王は同大学の大坪付属病院に通院しており、医師に「仕事のプレッシャーが大きい」「長期にわたって睡眠不足」「精神が高度に緊張し、寝る時も電気を付けないと怖い」と話している。
 さらに、昨年末から「思考がおぼつかない。言葉と考えが論理性に欠ける」「焦燥や情緒不安定、ヒステリックの症状が頻繁に現れる」と病院は見ており、「重度のうつ病」と診断されたという。
 この「診断書」の日付は2月4日。王立軍が重慶市公安局長を解任されたのは2日。5日、王氏は副市長の身分で重慶師範大学を視察していた。その翌日の6日、「重度のうつ病」の王は車を数百キロ走らせ、成都にある米国領事館に駆け込んだ。

 「診断書」には第三軍医大学の大学印が押されているが、医師の署名はない。9日付の中国経営報はこの「診断書」の真偽について同病院に取材したところ、病院側は「ニセモノだ」と否定したという。だが、診断書の真偽よりも、地元重慶市の政府系サイトがわざわざ副市長の精神障害説を取り上げることは興味深い。
 診断書騒ぎと同時期の8日、重慶市オフィシャル微博では、「王立軍副市長は、長期の重労働により、精神が高度の緊張状態に陥り体調に異常をきたしたため、現在、休暇式治療を受け入れた」というメッセージを流した。偽造とされる診断書も李偉東研究員のツイートも十分に現実味を帯びる展開となった。

 ラジオ・フランス・インターナショナル(RFI)は海外中国語メディア・博訊ネットの情報として、王は自分が不慮な死を遂げた場合、死因は「統合失調症」や「重度のうつ病」になるだろうと身辺の人に話したことがあるという。「彼ら」はすでに自分に「自殺傾向がある」というシナリオを用意してあると王氏は話したという。
 「王立軍は憂鬱かもしれないが、うつ病は強いられた病名なのでは」とネットユーザー。しかし、強いられた病名であっても、この病名が本当に成立すれば、王立軍は今後しばらくの間、精神病院に閉じ込められる可能性がある。そうなれば、重慶亡命事件が政局への影響を最少に収められる。
 実際、「休暇式治療」に入った王立軍氏はいま完全に消息を絶っている。博訊ネットによれば、北京と重慶で彼の所在を調べる妻と弟でさえも知らされていない。
 (翻訳編集・張凛音)

上司の薄熙来も失脚?
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成24(2012)年 2月18日(土曜日)
通巻第3562号
http://www.melma.com/backnumber_45206/

やっぱり、そうだったのか。王立軍は薄き来に見捨てられ、パニック状態だった
薄き来の政治局常務委員会入りはほぼ絶望的。引退か飾りのポストへ


 習近平が米国訪問でにこにこと愛想を振りまき、米中関係の正常化を演出していたときに重慶は政治の嵐のまっただ中にあった。

未曾有の混乱だった。
すでに報じたように重慶副市長の王立軍は米国亡命に失敗し、拘束されて北京で取り調べを受けているが、その捜査対象は遼寧省鉄玲市公安局時代の古傷であることが分かった。
 また重慶のマフィアを一網打尽にしたとき、従来は1500名のギャングと腐敗分子を逮捕起訴し、うち7名を死刑としたと報じられてきたが、拘束した数は2000名にも及び、えん罪も含まれたうえ、文強(当時の重慶市司法局長)以下13名を処刑、その多くの裁判は所定の手続きを踏まれていないことが判明した(ニューヨークタイムズ、2月18日号)。
 これは法に基づかない措置であり、専横であると批判があった。

 またえん罪で連座した旧幹部の弁護士を拘束したため、そのうちのひとりが膨真(元北京市書記、大幹部)の息子だったことも中央の評判を落とした。
 薄き来のやり過ぎと不法な措置に不満の声があがり、長老格の喬石らが胡錦涛に要望書をおくった。薄き来の人気が陰った。

薄き来が重慶書記として行った「諸改革」は、第一に唱紅打黒はキャンペーンで、中国最大の毛沢東像を重慶市内に設置し、市民をあつめて革命かを唱わせる集会を開いて気勢をあげさせた。
また毛沢東の革命理論を最学習せよとも強要した。

▼重慶モデルは垂涎の的だったが。。。。。。
そのうえで重慶特別市の人口3000万人のうち、2000万人に「都市戸籍」をあたえ、ベッドタウンを強圧的に建設して、近郊を農民へのレンタル・マンションだらけとした。
重慶の建設ブームはとどまるところを知らず、また成都?重慶間には新幹線が開通し、市内にはモノレール、地下鉄、橋梁の増設など、凄まじい発展ぶりを見せつけた。
筆者も過去三年に三回、重慶を視察したのでこれらの実情を目撃してきた。

この建設プロジェクトは借金によるもので、前書記だった王洋時代から、国家予算による開発費用は3兆円前後だったが、薄き来は「向こう十年ほどの財政を先食いしてでも、建設を急げ」としたため、重慶市財政は「ギリシア並みか、もっと悪い」と言われる。

数ヶ月前まで、習近平は薄の「大活躍」を仄聞しながらも、側近には「誰もがやろうとしてもやれないことを大胆におこなったのは薄き来の個性だろう。政治的リアクションを考えたら党内に波風が立つことは必定であり、あの大胆さは、おそらく彼一人だろう」と発言した(ヘラルドトリビューン、2月18日付け)。

 北京中枢はしずかに動き出した。
王立軍の過去の些細な瑕瑾をほじくりだし、2011年秋頃から取り調べを始めたが、最初のうち、王をかばっていた薄き来は、やがて沈黙するようになる。
ヤクザ粛正に熱心なあまり、王立軍は、自ら走行中のメルセデスを無謀に追い越した車の運転手を殴りつけ、そのまま略式起訴もなく十五日間拘留、これが王立軍批判大合唱のきっかけとなったらしい。
 追い詰められた状況を知覚した薄き来と王立軍のあいだにすきま風が吹き荒れ、王立軍の運転手がいきなり拘束された。
 つまり薄は批判の矛先を先日までの忠実な部下であった王にすり替えようとしたのだ。
これでパニック状態に陥った王立軍は自らが運転して300キロ離れた成都の米国領事館へかけこむ仕儀とあいなる。

 さて今回のミニ政変で薄き来の次期政治局常務委員会入りはたいそう難しくなり、また重慶書記の任期も期限切れとなって近く新しい重慶書記の人事が発表される見通しにある。
薄き来は政治生命をうしなって隠遁生活にはいるか、あるいは全人代の飾りのポストが用意される可能性があるという。