足利事件の菅家さんの再審が決定し年内にも無罪が確定するそうだ。刑務所生活17年間の時の流れは帰ってこない。 初期のDNA鑑定を過信した結果とされている。
先日20,21にTV朝日で放送された「刑事一代」は見応えがあった。昭和史に残る大事件を手がけた平塚八兵衛刑事の物語で、吉展ちゃん事件、三億円事件などが再現された。
当時自分は高校生から20代半ばで、高度成長期から昭和元禄とも呼ばれた時代だった。
三億円事件は今の金額では20~30億円に相当するそうで、なんと思い切った事をする奴がいるもんだなぁと感心した。 犯人は今も悠々自適で暮らしているのであろうか。
平塚刑事についてはTV朝日「刑事一代」番組サイトで以下のように紹介されている。
警視庁捜査一課刑事。何より被害者の立場に立つことを忘れず、事件解決に心血をそそぐ根っからの職人気質。その信念を妨げるものはたとえ上司でも本気で歯向かう気性の持ち主。35年間にわたり事件捜査の第一線で活躍した、まさに刑事になるために生まれてきた男。
その刑事でさえ、三億円事件では数々の遺留品がありながら犯人には到達できず、時効になった。「貴方のやり方ではダメです、時代が変わったんです」と若い刑事から云われてしまう場面があった。
しかし、いつの時代にも平塚刑事のような熱い信念で仕事に取り組む人がいることと思う。
今年始まった裁判員制度だがプロ中のプロが扱っても冤罪が起きている。ド素人が裁判に参画して大丈夫なのか、そんなに軽いものだろうか。
産経新聞「産経抄」より
【産経抄】6月22日 2009.6.22 02:55
きのう、おとといの2夜、テレビ朝日系で放映されたドラマ『刑事一代』で、伝説の名刑事といわれた、平塚八兵衛さんを渡辺謙さんが演じていた。身長は20センチ以上も違う。
▼それでも、夜回り取材で何度も顔を合わせていた先輩記者に聞くと、違和感はなかったようだ。何より、原田美枝子さんの和服姿が、つね夫人にそっくりなことに驚いていた。
▼ドラマの原作は、小紙OBの佐々木嘉信さんが、警視庁を退職したばかりの八兵衛さんの自宅に通い、聞き書きした連載記事(現在は新潮文庫)だ。「帝銀」「吉展ちゃん」から「3億円」まで、八兵衛さんが手がけた事件は、殺人事件だけでも124件にのぼる。
▼佐々木さんのどんな質問にも、数種類の色鉛筆で書き込みがある手帳を見ながら、間髪を入れず答えを返してきたという。在職中は帰宅すると、夏ならふんどし一本で、その日の聞き込みの内容を整理する姿が見られた。たまの休日でも、呼び出しがあると、誰よりも早く現場に到着しようとした。
▼ドラマでは、八兵衛さんが上司に、平気で突っかかっていくシーンが何度も出てくる。ホシ取りのために、誰よりも努力しているという自負があったからだろう。警察大学校の教授が、昭和34年に出した『13人の名刑事』というインタビュー集にも、八兵衛さんは登場している。
▼八兵衛さんはまったくの下戸だったが、大酒飲みで、裸踊りが得意という刑事もいる。それで広げた人脈が、いざというときの情報源となった。熱心な仏教信者で、取り調べでも信仰の話を欠かさなかった刑事もいる。個性豊かな面々だ。科学捜査の技術が進む一方で、犯罪の動機、手口も大きく変わった。平成の「名刑事」たちの物語も聞きたい。
【産経抄】6月23日 2009.6.23 02:53
栃木県足利市で女児が殺害された足利事件で、冤罪(えんざい)が濃厚となった菅家利和さん(62)の再審開始が、きょう決まる見通しだ。ぜひ、コメントを聞きたかった人物がいる。戦後まもなくの冤罪事件「松川事件」の元被告、佐藤一さんだ。
▼もっとも、先週19日の各紙に、心筋梗塞(こうそく)のために87歳の生涯を終えたとの訃報(ふほう)が載っていた。佐藤さんは、昭和24年に東北線で列車が転覆し、3人が死亡した事件で逮捕され、1、2審で死刑判決を受けた。その後アリバイを証明するメモが見つかり、38年に最高裁で無罪が確定する。
▼「なぜ真実がねじ曲げられたのか」。佐藤さんは、死刑におびえながら拘置所で、考え続けたという。社会に復帰すると、松川事件の約1カ月前に起きた「下山事件」の真実の追究にのめり込む。下山定則・初代国鉄総裁が、出勤途中で行方不明となり、翌日、轢死(れきし)体として発見された事件である。
▼自殺説、他殺説が入り乱れ、いまなお戦後史最大の謎のひとつとされている。当初他殺と考えていた佐藤さんは、関係者から話を聞き、資料を掘り起こしていくうちに、自殺説に転じていく。きのう取り上げた名刑事・平塚八兵衛もこの事件を手がけており、自殺説をとる。
▼ドラマ『刑事一代』の原作を読むと、佐藤さんとも接触があったようだ。一方、朝日新聞は他殺説を主張した。その中心となった記者、矢田喜美雄の記事や、松本清張らが唱えた「アメリカ謀略説」を、佐藤さんは厳しく批判した。 ▼ところで、先ほど「各紙」の「訃報」と書いたが、朝日にだけ載っていなかったことを、知人からのメールで知った。朝日の批判者だからか、と占領史の研究家である知人はいぶかっていたが、きのうの朝刊に載っていた。