クリント・イーストウッドといえば、当方の年代でいえば、TV映画「ローハイド」のロディ(牧童頭)。日本語吹き替えが山田康雄さんだった。毎週楽しみに見せて貰った。
インタビューで氏の生の声を聴く機会がネットでも見られるが、山田声優がいかに感じを掴んでいたのかよく分かる。
その後、映画に進出し、俳優と監督兼務で数々の名作を残してこられ、またジャズにも造詣が深く、その方面の映画もある。
91歳の今も現役で次作品の計画があるとは凄いことだ。
インタビューで氏の生の声を聴く機会がネットでも見られるが、山田声優がいかに感じを掴んでいたのかよく分かる。
その後、映画に進出し、俳優と監督兼務で数々の名作を残してこられ、またジャズにも造詣が深く、その方面の映画もある。
91歳の今も現役で次作品の計画があるとは凄いことだ。
91歳になるイーストウッドが「引退はしない」理由
2021年5月28日(金)15時00分 猿渡由紀
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/05/91-5.php
写真:2020年2月、AT&Tペブルビーチ・プロアマゴルフトーナメントの最終ラウンド中のクリント・イーストウッド Credit: Kyle Terada-USA TODAY Sports
<もうすぐ91歳になるクリント・イーストウッド。コロナ禍の中でも新作を撮影している>
クリント・イーストウッドが、今月31日で91歳になる。普通ならばとっくに引退している年齢だろうが、彼はまだまだバリバリの現役。テイクが少なく、無駄がなく、スピーディに撮影を進める彼は、ほぼ年に1本のペースで映画を作り続け、コロナ禍の中でも感染対策プロトコルを守りつつ新作を撮影したのだからすごい。
筆者は過去に何度かイーストウッドをインタビューしているが、最近作である2019年の「リチャード・ジュエル」でお会いした時も、やや耳が遠いかなという以外は、背筋もまっすぐで話も面白かった。メキシコの麻薬組織のために車で"物"を運ぶ実在した90年代の男性を演じたそのひとつ前の「運び屋」(2018)公開時のインタビューでは、「私も運転は好きだよ。長いドライブに出るのも好きだ。時には飛行機に乗ってゆっくり雑誌なんかを読むのもいいけれど」と、今も運転していることを明かしている。高齢者の運転は安全ではないのではと指摘されると、「そうかもしれないけれど、高速を運転していると、こいつには運転させない方がいいと思える人をたくさん見るよね。年齢に関係なく」と笑って答えていた。
「引退を考えたことはない。ルールはないんだよ」
イーストウッドはサンフランシスコ生まれ。テレビシリーズ「ローハイド」(1959-1966)でブレイクし、1971年の映画「ダーティハリー」で世界的な映画スターとなった。若い頃からヘルスコンシャスで、「ローハイド」放映中に受けたメディアの取材でも、野菜と果物をたっぷり食べる、炭水化物は控えめにし、砂糖がたっぷり入ったドリンクは飲まないなどと語っている。筆者とのインタビュー中も飲んでいるのはコーヒーやコーラではなく緑茶だったし、「健康に歳を取り続けている秘訣は何ですか?」と聞くと、「寿司。良いものを食べなきゃ」と答えた。
聞くところによると、お酒もハードリカーは飲まないようにしているらしい。しかしビールはお好きなようで、1971年には北カリフォルニアのカーメルにホッグス・ブレス・インというパブをオープンしている。この店は今も健在ながら、イーストウッドはだいぶ前に売ってしまっていて、もうオーナーではない。80年代には、やはりカーメルにあるミッション・ランチ・ホテル&レストランを買収し、大幅改修工事を行って、新たな息吹を与えた。長い歴史を持つこのホテルは、高級コンドミニアムに建て替えられる危機にあったのだが、市長を務めたこともあるイーストウッドが救いの手を差し伸べたのだ。
ゴルフが大好きな彼はまた、カーメルのタハマ・ゴルフクラブのオーナーでもあり、世界的に有名なペブルビーチ・ゴルフリンクに投資もしている。だが、ゴルフを「しなきゃいけない」状況は嫌だとも述べる。つまり、引退して暇になるのは嫌なのだ。
「引退を考えたことはない。引退したら何をするのだろうかとぼんやり考えたことはあるよ。きっとゴルフでもするんだろうなと思ったりするが、私は働いているのが好きなんだ。中には、早く引退して楽しむ人もいる。一方で、無理やり引退させられてしまう人もいる。仕事がなくなってしまうとか、他の理由でね。ビリー・ワイルダーも60年代に辞めてしまったし、フランク・キャプラも60年代から70年代の初めに辞めてしまった。どうしてそんなに早く引退したのかなと疑問に思うよ。単にもうやりたくなかったのか、テーマが尽きてしまったのか。かと思ったら、ジョン・ヒューストンは最後の映画『ザ・デッド』を車椅子に乗って作っている。あれはすごく良い映画だ。つまり、ルールはないんだよ」と、イーストウッドは2010年の筆者とのインタビューで語っている。
「毎回、必ず新しいことを発見するんだ。だからこの仕事は楽しいんだ」
そしてイーストウッドの場合、テーマに尽きることはないのだ。好奇心旺盛で、常にいろんなものを読んでいる彼は、「これは自分がぜひ語りたい」と感じるストーリーにたびたび出会うのである。それらのストーリーは「ジャージー・ボーイズ」(2014)のような音楽グループについてのものであったりもするし、「インビクタス/負けざる者たち」(2009)のようなスポーツ物であったりもする。そういった違うテーマを手がけることで、毎回違うことを学ぶのが楽しいのだと、イーストウッド。
「ストーリーの語り方についてだったり、自分自身についてだったり、自分が雇った人たちについてだったり。毎回、必ず新しいことを発見するんだ。だからこの仕事は楽しいんだ。毎回同じ話を語るんだったら、やりたくないよ。それに、一緒に働く人たちがいてくれるしね。私にとってクルーは家族のような存在。彼らはとても長い間、私の映画のために働いてくれている」(2016年の筆者とのインタビューより)。
新作は、80年代後半に一度興味を示したことのある企画
そんな彼が長年のクルーとコロナ禍で撮影した次回作のウエスタン「Cry Macho」は、1975年からハリウッドに存在しながらこれまで日の目を見なかったプロジェクトだ。その間、権利は違った人たちの手にわたり、主演には、バート・ランカスター、アーノルド・シュワルツェネッガー、ピアース・ブロスナンなど、さまざまな俳優の名前が挙がった。
イーストウッドも80年代後半に興味を示したものの、「ダーティハリー5」(1988)に出るために諦めている。それが、周り回ってまた彼のもとに訪れたのだ。そんなふうに彼の心を刺激するものは、どこからでもやってくる。30年以上前に見た夢を、91歳の彼は、主演俳優として、そして監督として、どんな形で実現するのだろう。そして今年末、この映画が公開される頃には、彼の頭には次の作品のアイデアが渦巻いているはずだ。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/05/91-5.php
写真:2020年2月、AT&Tペブルビーチ・プロアマゴルフトーナメントの最終ラウンド中のクリント・イーストウッド Credit: Kyle Terada-USA TODAY Sports
<もうすぐ91歳になるクリント・イーストウッド。コロナ禍の中でも新作を撮影している>
クリント・イーストウッドが、今月31日で91歳になる。普通ならばとっくに引退している年齢だろうが、彼はまだまだバリバリの現役。テイクが少なく、無駄がなく、スピーディに撮影を進める彼は、ほぼ年に1本のペースで映画を作り続け、コロナ禍の中でも感染対策プロトコルを守りつつ新作を撮影したのだからすごい。
筆者は過去に何度かイーストウッドをインタビューしているが、最近作である2019年の「リチャード・ジュエル」でお会いした時も、やや耳が遠いかなという以外は、背筋もまっすぐで話も面白かった。メキシコの麻薬組織のために車で"物"を運ぶ実在した90年代の男性を演じたそのひとつ前の「運び屋」(2018)公開時のインタビューでは、「私も運転は好きだよ。長いドライブに出るのも好きだ。時には飛行機に乗ってゆっくり雑誌なんかを読むのもいいけれど」と、今も運転していることを明かしている。高齢者の運転は安全ではないのではと指摘されると、「そうかもしれないけれど、高速を運転していると、こいつには運転させない方がいいと思える人をたくさん見るよね。年齢に関係なく」と笑って答えていた。
「引退を考えたことはない。ルールはないんだよ」
イーストウッドはサンフランシスコ生まれ。テレビシリーズ「ローハイド」(1959-1966)でブレイクし、1971年の映画「ダーティハリー」で世界的な映画スターとなった。若い頃からヘルスコンシャスで、「ローハイド」放映中に受けたメディアの取材でも、野菜と果物をたっぷり食べる、炭水化物は控えめにし、砂糖がたっぷり入ったドリンクは飲まないなどと語っている。筆者とのインタビュー中も飲んでいるのはコーヒーやコーラではなく緑茶だったし、「健康に歳を取り続けている秘訣は何ですか?」と聞くと、「寿司。良いものを食べなきゃ」と答えた。
聞くところによると、お酒もハードリカーは飲まないようにしているらしい。しかしビールはお好きなようで、1971年には北カリフォルニアのカーメルにホッグス・ブレス・インというパブをオープンしている。この店は今も健在ながら、イーストウッドはだいぶ前に売ってしまっていて、もうオーナーではない。80年代には、やはりカーメルにあるミッション・ランチ・ホテル&レストランを買収し、大幅改修工事を行って、新たな息吹を与えた。長い歴史を持つこのホテルは、高級コンドミニアムに建て替えられる危機にあったのだが、市長を務めたこともあるイーストウッドが救いの手を差し伸べたのだ。
ゴルフが大好きな彼はまた、カーメルのタハマ・ゴルフクラブのオーナーでもあり、世界的に有名なペブルビーチ・ゴルフリンクに投資もしている。だが、ゴルフを「しなきゃいけない」状況は嫌だとも述べる。つまり、引退して暇になるのは嫌なのだ。
「引退を考えたことはない。引退したら何をするのだろうかとぼんやり考えたことはあるよ。きっとゴルフでもするんだろうなと思ったりするが、私は働いているのが好きなんだ。中には、早く引退して楽しむ人もいる。一方で、無理やり引退させられてしまう人もいる。仕事がなくなってしまうとか、他の理由でね。ビリー・ワイルダーも60年代に辞めてしまったし、フランク・キャプラも60年代から70年代の初めに辞めてしまった。どうしてそんなに早く引退したのかなと疑問に思うよ。単にもうやりたくなかったのか、テーマが尽きてしまったのか。かと思ったら、ジョン・ヒューストンは最後の映画『ザ・デッド』を車椅子に乗って作っている。あれはすごく良い映画だ。つまり、ルールはないんだよ」と、イーストウッドは2010年の筆者とのインタビューで語っている。
「毎回、必ず新しいことを発見するんだ。だからこの仕事は楽しいんだ」
そしてイーストウッドの場合、テーマに尽きることはないのだ。好奇心旺盛で、常にいろんなものを読んでいる彼は、「これは自分がぜひ語りたい」と感じるストーリーにたびたび出会うのである。それらのストーリーは「ジャージー・ボーイズ」(2014)のような音楽グループについてのものであったりもするし、「インビクタス/負けざる者たち」(2009)のようなスポーツ物であったりもする。そういった違うテーマを手がけることで、毎回違うことを学ぶのが楽しいのだと、イーストウッド。
「ストーリーの語り方についてだったり、自分自身についてだったり、自分が雇った人たちについてだったり。毎回、必ず新しいことを発見するんだ。だからこの仕事は楽しいんだ。毎回同じ話を語るんだったら、やりたくないよ。それに、一緒に働く人たちがいてくれるしね。私にとってクルーは家族のような存在。彼らはとても長い間、私の映画のために働いてくれている」(2016年の筆者とのインタビューより)。
新作は、80年代後半に一度興味を示したことのある企画
そんな彼が長年のクルーとコロナ禍で撮影した次回作のウエスタン「Cry Macho」は、1975年からハリウッドに存在しながらこれまで日の目を見なかったプロジェクトだ。その間、権利は違った人たちの手にわたり、主演には、バート・ランカスター、アーノルド・シュワルツェネッガー、ピアース・ブロスナンなど、さまざまな俳優の名前が挙がった。
イーストウッドも80年代後半に興味を示したものの、「ダーティハリー5」(1988)に出るために諦めている。それが、周り回ってまた彼のもとに訪れたのだ。そんなふうに彼の心を刺激するものは、どこからでもやってくる。30年以上前に見た夢を、91歳の彼は、主演俳優として、そして監督として、どんな形で実現するのだろう。そして今年末、この映画が公開される頃には、彼の頭には次の作品のアイデアが渦巻いているはずだ。