「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成23(2011)年11月20日(日曜日)
通巻第3489号 <11月19日発行>
http://www.melma.com/backnumber_45206/
http://miyazaki.xii.jp/column/index.html
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ヒラリー国務長官、半世紀ぶりにミャンマー訪問へ。この異変をどう読むか?
米国は対中囲い込み戦略の一環として地政学的アプローチにすぎないが。。。。
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ヒラリー・クリントン国務長官は12月1日にミャンマーへ向かう。
米国の態度変更によってアジアの地政学が画期され、新しい歴史のページが開かれることになるだろう。
オバマは豪州からバリ島へ向かうエアフォースワンの機上から、スーチー女史に電話をかけ、ヒラリーの訪問を伝えた。
直後、アウンサン・スーチーは現政権の政治体制に参加する(つまり次の選挙を野党はボイコットをしないし、候補者を立てる)ことを表明した。
これは欧米のかなり新聞のトップニュースを飾っている。
が、米国の認識ではまだ「ミャンマーは暗黒に光が差し込んだ」程度の浅くて愚かな考え方に支配されている。
そうはいうものの
米国は対中囲い込み戦略に方向をおおきく転換させており、軍事方面でも「エア・シーバトル」特別部隊を創設する構えである。
先にオバマ大統領は豪州を訪問し、北部ダーウィンの豪軍基地に海兵隊駐留を決めた。東南アジア各国は、ようやくにして米軍が南シナ海の安全にコミットする本気を悟った。中国海軍が思うさま南シナ海に君臨し、他国の領土を踏みにじってきたことに、不満が募っていた。
慌てた中国はバリ島サミットで予定になかった会談を申し込み、オバマ・温家宝会談が緊急に行われた。会談内容は不明。
ミャンマーは先にも、中国が建設中だった巨大ダムの工事中止を決めた。
これもまた画期的な出来事であり、国際政治に特筆すべき“大事件”だったが、日本のマスコミも外務省も高い関心を払わなかった。
中国の資本による中国のための開発である。ミャンマーの領土内に中国が資本を投下し工事主体も中国企業、ダムの発電による電気はほとんどが中国へ送られるという不平等プロジェクトの典型で、すでにミャンマーに蔓延する反中国感情がヤンゴン政府の決定を支持した。
▲ミャンマーは民主化に向けて大きく変貌していた
ミャンマーはすでに民政移管を果たしており、テイン・セイン大統領は民主主義を高らかに宣言している。
もとよりミャンマーは、自由で平等な国柄を誇ってきた。欧米のミャンマー制裁は過去の自らの植民地経営の残酷さを隠蔽するための不必要な批判と攻撃でしかなく、外交的にいっても大失敗だったのだ。
欧米の経済制裁に日本も主体性なく組み込まれ、ミャンマーの経済はひどく困窮し、疲弊した。たとえば銀行は農民に貸し付けができない。流通は華僑が完全に牛耳るといった具合である。
そして欧米日の対ミャンマー制裁の二十年間に、巧妙に軍事政権に取り入って、ミャンマー経済を圧倒したのが中国だった。
アンダマン沖合の無人島に中国軍が監査基地を置いたという話も伝わった(実際にはミャンマー政府は拒否していた)。
状況は刻刻と変貌し、地政学の基本的用件が変化する。
南沙諸島における中国軍のプレセンスはASEAN諸国に不快感と強い警戒を呼び起こし、日本でも尖閣諸島へのあからさまな侵略意図は、親中派を含む政治家も対中不信感を抱かせた。
南シナ海の航海の自由が中国海軍によって妨げられれば日本のシーレーンの安全も脅かされることは火を見るよりも明らかであり、日本・ASEAN首脳会議(18日バリ島)で採択された「バリ宣言」で南シナ海の領有について「海洋の平和と安定が地域の繁栄に向けに不可欠であり、航行の自由の必要性」が鮮明に謳われた。
そのうえで2014年のASEAN首脳会議はミャンマーを議長国とすることが決められたのだ。
ここまでの進展があれば、オバマ政権は対ミャンマー外交を変革せざるを得ず、取り急ぎヒラリーをヤンゴンに急派して、近未来の協力関係を模索する。
ミャンマーにおける中国の軍事的橋頭堡を後退させるか、或いは中立化させ、同時にミャンマーの対中経済依存度を相殺するための新しい経済協力機構などが模索される。
これから日本の出番がくる。
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▲ミャンマーの未来は民衆の目の輝きを見る限り暗くない
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(付記)筆者は嘗てミャンマーを旅行した紀行文の結末を次のように書いた。
「ミャンマーの人々が貧困に喘いでいても、人間性が豊かで、哲学的な人生への取り組みが比較的どっしりとして見えるのは仏教を基礎とする伝統文化を尊ぶ民族の精神である。日本のようにひきこもりが目立たないのは僧侶が求心力となった精神社会の強靱さでもある。戦後の日本がうしなったものは、こうした精神世界である。
仏教原理を価値観の頂点におくため軍人でも有名なパゴダへの参拝と寄付を演出し、憲法を超える宗教律にその統治の権威をすがる。仏教原理がまつりごとの求心力にある。
タイが国王と仏教の権威を重ね持つ智慧に基づき、首相は国王に拝謁するかたちを踏襲して社会を安定させてきたように。
しかしミャンマー元国王はイギリスにより印度に拉致されてから半世紀以上も経った。その権威の代替を軍部が行うため、ミャンマーの統治形態もペルシアやサウジと同様に伝統的権威の確立はひどく遠のいてしまったのだ。カンボジアのシアヌークのような国王復帰劇はおそらくないのではないか。このような歴史の経緯とミャンマー的統治原理を理解しない欧米が、伝統を無視したスーチー女史を支援し、一方で人権を楯とした経済制裁を行っている。
経済制裁は率直に言って無意味である。それに唯々諾々として従う日本は、外交力の基礎がなきに等しい。ミャンマーの未来はそれほど明るくはないが、民衆の目の輝きを見る限り、暗くもない。それにしても、台湾といい、インドと言い、ミャンマーも日本への期待は想像以上に大きい。これらの親日国家を日本はあまりに粗末に扱いすぎていないか」。
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