落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

かき

2007年10月30日 | 写真・絵



え:元康さん


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久しぶりに絵手紙頂戴しました。
こちらこそ「有り難う」ございます。
実りの秋に、元気でいることに「有り難う」です。

主張する外交

2007年10月27日 | 政治・外交
 安倍首相が降りて一ヶ月半、その外交姿勢の一端を示す記事(MSN産経ニュース)があった。
 今年6月に台湾の李登輝元総統が来日したが、その時の対応は今までになく好意的であったのも頷けた。
 奧の細道も巡り、靖国神社参拝もされた。中尊寺では冷淡なお出迎えがあったそうだが念願の旅行を果たされた。また支那の警戒する講演も無事行われた。それまでの内閣なら出来なかったろうと思われたがやはり安倍内閣の主張があった。
 同じ6月にドイツでサミットが開催されたとき招待国の中国胡錦涛主席との首脳会談を巡って、中国側が李登輝氏の訪日を理由に会談を拒否していた。しかしながら日本側が譲らなかったため、中国側が折れ会談が行われたという。
李登輝氏訪日めぐり日中神経戦 (1/2ページ) 2007.10.27 21:34 MSN産経ニュース
 今年6月にドイツで開催された主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)での安倍晋三首相(当時)と中国の胡錦濤国家主席との首脳会談をめぐり、中国側がその直前の台湾の李登輝前総統の訪日を理由に会談を拒否していたことが27日、複数の関係者の証言で分かった。しかし、日本側が譲らず、中国側が全面的に折れるかたちで決着、会談は行われた。こうした安倍政権の“遺産”をどう継承できるかが、今後の対中外交の焦点になりそうだ。
 関係者によると、サミット開催に合わせた日中首脳会談は、日中間の戦略的互恵関係の促進や北朝鮮問題などを話し合うため、早い段階で日本側が呼びかけ、中国も応じる構えだった。
 ところが、中国側は、5月末になって会談中止を通告してきた。理由は、5月30日の李氏来日だ。中国政府は、28日の日中外相会談で楊潔●(=簾の广を厂に、兼を虎に)外相が麻生太郎外相(当時)に李氏訪日への懸念を表明していた。それにもかかわらず、日本側が李氏の入国に何の制限も加えなかったことを問題視したのだ。
 これに対し、日本政府は、「サミット正式参加国は日本だ。招待国の中国と無理して会談することはない」(当時の官邸筋)と会談の提案そのものを引っ込めた。
 これにあわてたのが中国だった。すぐに「李氏は日本で講演を予定している。これを(マスコミなどに)完全クローズにするなら安倍氏と会談してもいい」とハードルを下げてきた。
 それでも日本側が「会談開催に李氏訪日の件を絡めるならば、会う必要はない」という安倍氏の考えを伝えたところ、中国側は6月3日になって「条件はつけない。ぜひ会談を行いたい」と全面的に譲歩。8日の首脳会談が実現した。

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 李氏は7日に靖国神社参拝と講演を予定通り行い、講演では、「多くの人々が中国経済の高度成長に惑わされ、危機の存在を否定するが的外れだ」などとも語った。
 日本側は「首脳会談で胡主席が、李氏に靖国を参拝させた日本を批判すると予想した」(官邸筋)。だが、胡主席は李氏の靖国参拝にさえ触れなかった。
 中国側が強硬姿勢をあっさり転換したことについて、外務省幹部は「それが中国の交渉術」とした上で、「これまで日本は中国の機嫌を損ねることばかりを恐れ、相手の思惑通りに動いていた。しかし、このときは日本がぶれず、譲歩を引き出した」と振り返る。
 外交筋は「安倍氏は靖国神社に行くとも行かないとも言わない『あいまい戦術』というかたちで靖国カードを保持していたので、中国も強く出られなかった」と解説する。中国としては、あまり日本を刺激すると安倍氏が反中国の姿勢を鮮明にし、結果的に、安倍氏の靖国参拝を招き、中国国内の暴動や反政府活動を誘発しかねない状況になるのを恐れたというわけだ。
 政権交代後の今月11日に北京で開かれた東シナ海のガス田開発に関する局長級協議で、中国側は、改めて強硬姿勢をみせている。
 こうした状況から、外務省内には「“親中派”の福田康夫首相に花を持たせる考えはない」との見方も広がり始めた。外交筋は、「福田首相は早々に『靖国には参拝しない』と述べ、靖国カードを手放しており、くみしやすいとみている」と指摘している。

 支那朝鮮は日本を必要としており日本とて同じだが、過去の歴史を捏造しそれを呑まされて付き合う必要があるだろうか。せっかく主張する外交が見え始めていたのに「相手のいやがることはしない」福田首相の親中韓外交姿勢で後退しないか心配だ。

朝来市養父市境界 須留ヶ峰(1054m)

2007年10月23日 | 散歩・山歩き
 このところ室内は23度前後だが、朝夕の冷え込みが目立ち秋らしくなってきた。6時半にバイクで出発。念のため冬用のジャンパーを着て出たが正解だった。西脇市や多可町八千代の加古川水系では川霧が立ちこめていて幻想的な朝の風景になっていた。もっとも地元では秋から冬にかけての当たり前の風物詩なのだろう。
 播但街道(国道312号線)を北上し朝来立野で左折し養父に向かう。県道70号線八代トンネル(朝来市養父市境)の温度計標識は10度を表示していた。


 須留ヶ峰登山口には9時に到着した。  HPへつづく・・・

 (写真:藤無山から見た須留ヶ峰 2007/08)

近畿自然歩道 三木市志染・伽耶院ほか

2007年10月18日 | 散歩・山歩き
 いつも県北に向って三木市を通過するときに、道路脇に近畿自然歩道の標識が見えていた。
 今日は秋晴れのよい天気になり、地元の史跡を訪ねてみた。
 中には飛鳥時代、奈良時代の年号も見える古い史跡もあり、このあたりも古くから開けていたことを知った。

 (HPへつづく)

ちょっと得した気分

2007年10月16日 | 日常・身辺
 丸坊主なので自分で散髪しているのだが、もう4半世紀ぐらい使っている電気バリカンが調子悪くなった。倅達も小さい頃はこれで散髪をしてやった。スイッチは入るのだが内蔵充電池がへたっているのかすぐに止まってしまう。捨てて買い換えようか、いやその前に、どうせヒマ、分解して点検してからにしようと思った。
 2本のビスを外し合わさったプラスチックのケースをこじ開ける。ここでツメが折れれば終わりだがなんとかうまく開いてくれた。中身は意外に単純でACアダプタからの電源が充電池を通してモーターに供給されている。よく見ると、充電池の片一方の半田が外れかかっていた。しっかり半田付けしてスイッチを入れると勢いよく回り出した。ステンレスの刃もまだ錆びていない。中にまで入り込んでいた毛髪をきれいに掃除して元のように閉じた。充電モードにしてみたらバッテリーも大丈夫のようだ。これなら今までと同じぐらい長持ちしそうな気がしてきた。「おいおい、そんなに長生きするつもりかい」と笑われそうだが、直るとぐっと愛着がわいてくる。

 じつは、電気掃除機も同じようなことがあった。掃除機のヘッドにモーターが内蔵されていてブラシが回り床や畳をカラ拭きをしながらゴミを吸い取る仕掛けになっている。その回転によって重たいヘッドが自走することも兼ねている。
 それがいやに重たくなり、ブラシも回っていないことに気がついた。10年以上も経てばこんなものかな、あまり多機能な掃除機はダメだな、最近話題の○○ソンの掃除機に買い換えようかななどと思ったが、まぁその前に分解して見てみようと点検してみるとビニール線が断線していた。(赤いテープを巻いたところ)

 もう30年以上も使っている扇風機もそうだったのだ。壁に掛けても座敷扇としても使え、豊かな風量の割には静かで気に入っている。モーターケースを開けてみると半田が外れていた。

 よく粗ゴミの日に小型電化製品が捨てられているが意外に単純な故障でお払い箱になっているのかも知れない。

フィクション「南京大虐殺」

2007年10月15日 | 政治・外交
 「南京大虐殺」がフィクションであることが近年の研究で明らかになってきたのは先人達の誇りと名誉を守る上で嬉しいことだ。
 支那・朝鮮の反日プロパガンダは飽くことなく続いており、米では「南京事件」に関する映画が沢山制作されているらしい。1年前クリント・イーストウッド監督が制作するというデマもあった。
 今年は南京陥落70周年で南京事件の真実を語る事が出来る方も90歳代になる。じかに聞く最後の機会となる催しも開かれるそうだ。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 10月13日(土曜日)  通巻 第1955号  
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 日本の良識が、中国の悪魔の偽造に鉄槌を降ろす日
   12月6日午後五時 九段会館「南京陥落70年 国民の集い」
    「参戦有志の語る『南京事件』の真実」
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 南京大虐殺という歴史の偽造、歴史の改竄がおこなわれ、中国は心理戦争で日本を永久に貶め、日本の精神、ナショナリズムの復活を阻止するために陰に陽に神経戦争、宣伝戦争をしかけてきた。
 「南京大虐殺」なるものはなかった。
 中国の代理人に堕して、嘘の上塗りをするために「活躍」してきた日本のジャーナリスト、政治家も、これからは真っ青になる番である。
 中国の嘘放送に老獪に便乗してきた米国も、窮地に立たされることになるだろう。

 過去十年、日本の南京事件の研究は飛躍的に進んだ。
 疑惑は完膚無きまでのレベルに吹き飛んだ。
 南京大虐殺なるフィクションの「証拠」だと言い張って、中国が宣伝に使ってきた写真がすべて偽造、合成、でっち上げ、もしくは日本のカメラ雑誌に掲載されたものをキャプションだけ正反対の意味に変えて使用していたことが立証された。
その悪魔のような悪質な宣伝の手口が満天下に曝された。

 南京戦に、実際に参加した兵士への聞き取り調査も進んだ。
生存している嘗ての将校ら勇姿の聴取作業が、ほぼ終わった。誰一人として、南京で虐殺を見た者がいなかったばかりか、逆に市民の歓迎ぶりがあった。
 いまも生存している証言者は、90歳代が殆ど、それも地方に住んでいる元勇士が多いため、上京する段取りが、ようやく整った。
 研究途次に、付随的ながら歴史の偽造が実証されたのは、「強制連行」「従軍慰安婦」の事実も何一つなかったこと。
さらには、「万人坑」「三光作戦」「731」など、殆どは中国が戦後でっちあげて政治宣伝につかってきた架空の話であることも実証された。
 来る12月13日は南京陥落から七十周年である。
中国は懲りずに南京の「300000記念館」をリニューアルし、この日に再開するそうな。
日本側の良識人と支援者が立ち上がって、ドキュメンタリー映画「南京の真実」も、そのころ、公開される。米国でも世界のマスコミをあつめて記者会見が行われる予定。
 アイリス・チャンが出鱈目な情報に立脚して、凄まじいまでの偽書を書いたことも明らかになる。

 これに合わせて、次の催しが正式に決まったので、弊紙で真っ先に紹介したい。
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 「南京陥落 70年 国民の集い」
 『参戦有志の語る“南京事件”の真実』
  と き    12月6日(木曜日) 午後六時(五時半開場)
  ところ    九段会館大ホール
  会場分担金  1000円
  プログラム  映画「南京の真実」予告編。およびスライド上映。
         序論解説と概論  加瀬英明
         司会と解説    冨澤繁信、藤岡信勝
         本論(それぞれ、その現場にいた生存兵士が証言します)
(1)雨花台の激戦(生存兵士が証言します。以下も同じ)
(2)南京入城
(3)兵士達がみた南京城内
(4)難民区の模様
(5)南京事件の個人的意見
(6)その他。
終幕で国会議員来賓の感想(与野党から代表一名を予定)、
   主催  「南京事件の真実を検証する会」(加瀬英明会長、藤岡信勝事務局長、杉原誠四郎、冨澤繁信、茂木弘道、高池勝彦、東中野修道、高山正之、宮崎正弘ほか)。

 このイベントはおそらく生存者としても、最後の機会になるでしょう。歴史への真実の証言をわれわれは聞いておく必要があり、今後、中国における反日記念館の不当な展示撤去、歴史教科書の不適切な記述削除をもとめる国民運動を、いよいよ日本の外交のトップに据えるキャンペーンが切って落とされる記念すべき催しになるでしょう。
 さらに詳しくは近く、本欄に告示します。当日の申込。事前のチケット入手方法など。
 (この告示は広く、転送歓迎です)


 日本国内ではチャンネル桜の南京攻略戦の真実を伝える映画「南京の真実制作が進行中だ。
 世界中にウソをばらまき日本を貶める支那・朝鮮のプロパガンダを粉砕してもらいたい。

朝来市豊岡市境界 東床ノ尾山、西床ノ尾山

2007年10月11日 | 散歩・山歩き
 「ふるさと兵庫50山」も残りは遠方ばかりになった。但馬入り口の床ノ尾山系まで神戸からバイクで3時間をかかりそうで早めに起きた。
 午前4時に起床、山行きの準備をする。必要なものはあらかた昨夜リュックに詰めていたが、握り飯と水筒を追加する。
 5時半に階下におりバイクに積みさて出発となる頃、小雨が降ってきた。昨夜の天気図では兵庫県北部は高気圧の覆われており、予報は晴れだった。どうするか迷ったが県中央部まで行ってなお小雨なら引き返すことにして出発した。
 HPへつづく・・・

(写真:出石糸井県立公園 糸井の大カツラ)

ハイビスカス

2007年10月06日 | 日常・身辺






 ベランダは真夏より今の時期の方が日当たりがよく、暖かいせいもあってだろうか鉢植えのハイビスカスが大きな花をつけました。花の命は短く翌朝にはパラソルを閉じてぽたりと音を立てて落ちます。
 もう2,3個蕾がついており、葉も青々として元気なのでしばらく楽しめそうです。

 だいぶん日が短くなり夕方の影は長くなりました。

 残暑の厳しい間はうまいぐあいに臨時の仕事でかまけました。プログラミングは暫くやっていないのと暑さで中々集中できませんでした。

 ようやく一段落したので来週あたりから山歩きに出かけたいと思っています。